緊急小特集
ワールド・ウォー "G"
 
World War G
featuring :  "Godzilla"





おとなのけんか


 今回の新生「ゴジラ」でもうひとつ厄介だと思えるのが、実は「核」の問題だ。
 1954年のオリジナル作品から、「ゴジラ」は「核」の申し子として存在してきた。そこにはどうしても「核」に対する警鐘的な意味が見出されていたし、 実際に広く世間一般もそう見てきた。それが「警鐘」になっていたかどうかは別にして、あの不評さくさくだったハリウッド第1作の「ゴジラ」(1998)ですら「核」とは無縁でいられなかったのだ。
 当然、今回の「ゴジラ」にも「それ」が出てくる。しかもタイムリーなことに、東日本大震災以来の「あの事件」の色が濃厚に出ているようなのだ。
 まぁ、映画というものは時代の産物だから、そうなるのがむしろ当然だろう。そうだよな…と思わざるを得ない設定だ。
 しかし、それを受け止める我々日本人側が、どうやらかなり複雑に引き裂かれているようなのが問題だ。
 事実、東日本大震災がらみの「あれ」にしたって、その直後はみんな戦慄したが、その後の反応は大きく人によって異なった。ノド元過ぎれば…というべきか 冷静になったと考えるのか、どちらが良いとか悪いとかはここでは語らないし語りたくもないが、その双方がお互いを口汚く罵るアリサマ。それも、我々の生存 の問題とかエネルギーの問題とかを考えているというよりは、自分の属する「陣営」のポリシーだから支持する・反対する…みたいな変な方向に向かっている。
 そういや例の震災から間もなく、仕事上の知り合いなどが一家総出で脱出して、西日本に移住しちゃったという話をよく聞いた。人はそれぞれだからそれ もいいんじゃないかとは思いながら、ぶっちゃけ僕自身はいささか過敏な反応だなと思ったのも事実。大体、西日本にも原発あるじゃん(笑)。また、何でもかんでもガイ ガーカウンターを振り回し、ヒステリックに反応するのもいかがなものかと思う。それ言っちゃうと飛行機に乗っても「汚染」されちゃうし、幼い頃核実験がバ ンバンあった僕なんか、とっくに巨大化してなくちゃならないんじゃないか(笑)。
 しかし原発はどこも悪くない…と言い張って頑張っちゃって、それに疑念を持つ者はおかしい…って決めつけるのもどうなんだろう。もう安全だという意見以 外は風評被害を広めるだけだから認められない…ってのも、ちょっと違和感を感じる。日本経済のためには原子力発電は必要…ってのも、日本経済以前に日本そ のものがなくなっちゃったら話にならんのですが…って疑問の答えになっていない気がする。まして「国に歯向かうのか!」…みたいに目を剥いて怒り狂うって いかがなもんなんだろうか?
 どっちの方々もそれぞれの裏付けデータや常識を振りかざして主張するが、どっちも自分の都合のいいとこしか見てないし、言わない。それでひたすら相手を 「バカじゃないの?」と罵るだけだ。みなさんどちらも真面目に考えた上で発言し行動しているんだろうが、正直言って僕には両方とも違和感ハンパないっす。
 何だか原子力がどうの…というより、お互いの陣営の叩き合いみたいで不毛な気がする。実は、ホントはみんな原発なんてどうでもいいんじゃないのか。エネ ルギーがどうの安全がどうの…ってことなんて関心も何もなくて、単に対立する相手を叩きたいだけなんじゃないの か。その罵り合い方があまりにも常軌を逸していてスゴいから、とにかく関わりたくない気がする。
 そのど真ん中にゴジラが降りてきて、おまけに「アメリカ製」ってのがヤバいのだ。
 そしてアメリカ映画と「核」というと、ビミョ〜な点もある。
 例えば、それは今から10年以上も前の話。トム・クランシー原作のジャック・ライアンものの映画化「トータル・フィアーズ」(2002)という映画を見れば分かる。ここからはこの映画の内容に触れることになっちゃうので、見たくない方は下の「ここから戻る」というところまで飛ばしてください。


「トータル・フィアーズ」の内容を見ない














 詳しいことは面倒なので端折るが、先にも述べたようにジャック・ライアンものの一作。ここでのジャック・ライアン役はベン・アフレックだ。驚くべきは、 この映画の劇中でアメリカ国内で核爆発が起きてしまうこと。当然、都市は壊滅して甚大な被害が出る。こういう設定は、破滅テーマのSF映画でもないと珍し いと思う。問題はその後、主人公のジャック・ライアンが被爆直後の都市にクルマで入って行くことだ。
 爆弾は当然、広島原爆よりデカい威力を持っているシロモノ。爆発直後だから街はまだ炎に包まれている。だが、クルマで乗り込むジャック・ライアンは、防護服に身を固め ているわけでもない。いや、そりゃあマズいだろ。こんなことをしてたらジャック・ライアンだってタダじゃ済まないはずなのに、映画では彼はケロッとして活 躍を続けている。この感覚にはさすがに驚いた。
 僕だってそんなに詳しいとは言えないまでも、被爆直後の都市にノコノコ丸腰で入って無事だなんて思うほどバカじゃない。僕だけじゃない。昨今の若い人た ちはどうだか知らないが、日本に産まれて広島や長崎の話を子供の頃から聞かされてきた身としては、こんなの常識・当たり前のことだろう。逆に言うと僕らにとって 「常識」でしかないことが、あちらの人々にはまったく未知のことであるということに衝撃を受けた。まぁ、確かに子供の頃から核兵器の怖さをアレコレと繰り 返し知らされていなければ、「あの感覚」はちょっと共有できないわな。
















ここから戻る


 考えてみれば、核戦争の恐怖を描いたアメリカのテレビ映画「ザ・デイ・アフター」(1983) ですら、その被害状況の描写は僕らにはかなり「甘い」と感じられたのだ。ならば、特に「核」に対するメッセージを送る意図で制作されていない娯楽サスペン ス映画では、正直言って「核」への認識もこんな程度のモノなのも仕方ないのかもしれない。それはアメリカ映画を見てきた者なら、おそらく誰しもが持つ感覚 ではないかと思う。
 「それ」を使用したアメリカなり、少なくとも「被害者側」に立って考える機会がなかった諸外国の人々からすると、日本人が本能的に抱く嫌悪感とは少々異 なる感情になってしまうようなのだ。いや、中にはこちらの感覚に近いものを理解できる人もいるのかもしれないが、そうでない人も少なからずいるということは覚悟 しておく必要があるように思う。そもそも「それ」のおかげで戦争を終決できたという大義名分でずっとやってきた国の人々が、そう簡単に考え方を変えるとは 思えない。それはもう立場の違いとしか言いようがない。我々だってすべての正しいことをお上やマスコミから知らされている訳ではない。自由と民主主義を標 榜する国であっても、そのあたりはすこぶる怪しくなってしまうだろう。
 それを分からせるようにする…というのは重要だと思うし、そういう働きかけをしていくのは大事だろう。だが、まずはそういう違いがある…ということは、念頭に置いた方がいいと思うのだ。
 「そういう違いがある」ということは、残念ながら否定し難い「事実」だからだ。
 ところが、これがまた気に入らない人もいるんだよなぁ。
 何度も言うけど、僕はもちろん核兵器について肯定しているわけでもなければ、アメリカ人たちの核兵器観に対してすら「それでいい」と肯定しているわけでは ない。なのに、「アメリカ人にはなかなか分かり得ない」という言葉を発することさえ許さないみたいな言われようで、さすがにこれにはちょっとまいった。
 「許せない」「認められない」気持ちは分かるけれども、そういう部分が現実にある…ということすら発言できないってどうなんだ。それで何かプラスになることでもあるのかねぇ。前の震災の時にやたらと飛び交った「不謹慎!」って言葉みたいで、何ともはや…。
 まぁ、映画サイトを長い間やっていると、いろんな事がある。それらは愉快なことばかりではないとはいえ、これはその中でもすこぶるつきの不愉快な案件だった。
 そこには、何だか「絶対に正しい側に立っている」という錦の御旗みたいなモノも感じられて、何だかなぁ…。だから、こういう話はイヤなんだよ。
 そこに「アメリカ製」のゴジラが、「核」成分をたっぷり含んで登場だ。あぁ、またあの手の「無神経」な発言が湧いてくるのか。僕がウンザリした気持ちも、お分かりいただけると思う。


 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...


 



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