緊急小特集
ワールド・ウォー "G"
 
World War G
featuring :  "Godzilla"





ものすごくうるさくて、ありえないほどウザい


 「ゴジラ」がハリウッド大作として甦る。そんなニュースを聞いたら、日本の映画ファンとしたらワクワクしなくちゃいけないんだろうなと思う。
 まして僕はSF映画ファンだ。特殊効果を多用した映画には、昔から強く惹かれてきた。おまけに今回3D映画として制作されるとなれば、元々3D映画好きとしては興奮するのが当たり前だ。いや、そうでなくちゃいけない。
 なのに、何でこんなにシラッとしちゃっているのだろうか。
 いや、シラッとしているだけならいいが、何となく見に行くのも腰が重く感じられるのだ。ワクワクしないだけならいざ知らず、厄介だなぁとか面倒だなぁ…という気持ちの方が上回っている。これは一体どうしたことだろう。
 まぁ、「一体どうしたことだろう」と言いつつ、理由は分かっているのだが(笑)。
 そもそも日本映画ファンは、とにかく身びいきが過ぎて贔屓の引き倒しになりがちだ。とにかく 無理矢理ホメる。どう見ても脚本が稚拙だったり出来がチープだったりしても、「味」だとか「凄み」だとか「情念」だとか言ってホメてしまう。逆に彼らから 言えば、ハリウッド映画などは商業主義の権化でカネばかりで心がこもっていない…ということになる。これは日本映画ファンに限らず、映画ファン全般から浴 びせられやすいハリウッド映画批判なので、なかなか反論しがたいものがある。とりあえずこう言っとけ…みたいなものだ。しかしそこで対照的に擁護されてい る日本映画が本当に「心がこもっている」のかと言えば、それは何とも言い難い。「情念」とかフィルムに写りませんからねぇ(笑)。まして、「商業主義」でないってはずもないだろう。みんなボランティアでは なく、職業として映画を撮っているのだ。商業主義でない映画などない。損していいなどと思っている訳もないだろう。
 そして、元々がリメイクってのは批判を浴びやすく、リメイクされるような有名作品なら熱狂的 な支持者も多い。こういう連中に限らず世間一般で言っても、どう作ったところで「オリジナルが良かった」と言うに決まっている(笑)。そこをフェアに見る 奴なんて世の中にはいない。まして日本映画ならなおさらムキになるのは目に見えている。リメイクは「劣っていなくてはならない」のだ。
 おまけに特撮・怪獣映画だ。
 これまたアニメと同じくらい…いやぁ、年代物の作品ならアニメよりもっと原理主義者化してい る。彼らの主張ではもちろん、CGなどは邪道で味わいもなくロクなものじゃない。ピアノ線が写っている戦闘機や完全につなぎ目が見えている光学合成画面、そ して何より着ぐるみの怪獣こそが「至高」だと言い出しかねない勢い。「リアルに見せる」なんて分かっていないと真顔で言いそう。当時の特撮マンたちに潤沢な制作費や時間やテクノロ ジーがあれば、彼らだって本当はCGやらストップモーション・アニメをやったはず…なんてことは考えない。否、考えちゃいけない。もちろん特撮マンたち は、味を出すために「わざと」やったに決まっているとでも言いたげだ。こう言っちゃ何だが、こりゃあ正気の沙汰じゃありませんぜ(笑)。
 中でも日本の特撮映画・怪獣映画の元祖にして最高峰である「ゴジラ」であれば、そりゃあもう 神聖にして犯すべからざる領域に達している。それをアメリカ、ハリウッドで作ろうとしたって、どうせ何か言われるに決まっているのだ。酷評でなかったとし ても、どうせスゴくいいとは言われない。
 実際、この映画が公開されてからネット上で書かれている大半の評が、ホメてはいるけど条件付 きのもの。「いろいろ言いたいことはあるが、まずは評価していい」みたいな言い草だ。専門家でも何でもない一介の映画見てるだけの観客の分際で、どうして ここまで「玄人」ヅラできるのか理解できない。でも、これがまさに特撮映画・怪獣映画ファンなんだよなぁ、申し訳ないけど。
 正直言って「ゴジラ」がそれほど「ご立派」なモノなのか…というと、いささか疑問を感じざる を得ない。これはファンの方の神経を逆なでしてしまうかもしれないが、本当のことなんだから致し方ない。1954年のオリジナル「ゴジラ」ならいざ知ら ず、その後延々と続いたシリーズ作品に至っては、それこそ玉石混淆で酷いシロモノだってあった。さすがに怪獣映画に詳しいとは言えない僕でも、それらの作 品群の中ではゴジラが結構いいかげんに扱われていたことを知っている。そんな「本家」のテイタラクを知った上で、それでもハリウッドの 「愚行」をあげつらえるほどのツラの皮の厚さなのか。「ゴジラと認めてやる」と言うほどの、神棚に上げなきゃならない「ゴジラ様」なのかい。
 特に僕が躊躇してしまっている理由は、僕がなまじっかSF映画ファンだからということもあるのかもしれない。
 「ゴジラ」が出てくる作品群は、ジャンルとしては明らかにSF映画の範疇に入る。そういうこ とを前提に作られているし、見られていると考えるべきだ。しかし…どうも日本の映画ファンには、頭では「それ」と思っていても、理屈抜きの部分で「それ」 とは違う感覚が働いているように思う。
 これはパシフィック・リム(2013)感想文でも述べたことだが、日本の怪獣映画には、どこか能や歌舞伎のような「日本の伝統芸能」的側面が強く出ている気がするのだ。
 先にも述べたように、ピアノ線で吊っていることを「良し」とすること、中に人間が入っている こと前提のデザインの「生物感ゼロ」の着ぐるみモンスター…など、どう考えてもおかしいだろ…と思えることを「それでいい」とする感覚。僕はそのあたりに ついていけないし、実はそれってダメなところを無理矢理身びいきしているだけじゃないのか…と思っていたのだ。
 だが、どうもそうとばかりも言えないんじゃないか…と、僕はいつの頃からか思うようになった。
 この手の映画がそうなってしまった当初は、単に技術が稚拙だったり予算が足りなかったり、あ るいはセンスが悪かったりしただけだったのかもしれない。しかし作り手・受け手双方に「それでいい」という合意が成立していった過程には、実はそうした 「伝統芸能」的部分が強く働いたのではないかと思える。先に能や歌舞伎を例に挙げたが、そこには浮世絵の「大げさ」な誇張表現なども入れてもいいのかもし れない。元々、日本の伝統的なアート表現には、誇張や単純化、抽象化といった手法が大胆に取り入れられてきたようなのだ。だから僕ら日本人には、そういう概念が 受け入れやすかったのかもしれない。つまり「お約束」をそれとして受け入れて楽しむ、作り手と受け手の「共犯関係」だ。
 実は個人的に言わせていただくと、そういう「伝統芸能」的なイメージは日本映画全般に言えることのように思える。わざとらしい演技やリアリティのない脚本・演出などに、写実・リアリズム指向の西欧映画との違いを感じずにはいられないからだ。
 だから、確かにそれらは「独自」の表現なのかもしれない
 ただ僕としては、それらって本来「そうしよう」としてそうなっちゃったモノではないと思え る。それらの大半は、単に時間や予算がなかったり、スキルが拙くて稚拙だったからそうなっちゃったんだと見える。それなのに、作り手も受け手も「もちろん 承知の上で、高等な表現手法としてやってます」的な「ふり」をしちゃっているからコッケイな感じがするのだ。それは違うだろ、開き直るなよ。
 そういったシリアスな事情が「それでなくても上から目線な怪獣・特撮映画ファン」「排他的で 独善的なゴジラ・ファン」という事情とはまた別に存在しているから、面倒くさいな…と思わされたのだ。それが今度はハリウッドと激突である。どう考えても いい方に転ぶとは思えないだろ。
 そんなわけで、僕は今回の新生「ゴジラ」の誕生があまりうれしくなかった。ハリウッド製SF映画というジャンルが好きなだけに、よけいに複雑な感情を抱かずにはいられなかったからだ。

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...


 



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