「ネブラスカ/ふたつの心をつなぐ旅」

  Nebraska

 (2014/05/19)


 
見 る前の予想
 今年のアカデミー賞レースで、忽然と復活した男。主演男優賞候補のリストに、あの懐かしい名前を見ると誰が想像しただろう。
 ブルース・ダーン。
 彼は決して華やかなスターでもないし、彼が「現役」感をバリバリに発揮して出ていた主演作も、実はそんなに多くない。それでも1970年代にアメリカ映画を熱心に見ていた人間なら、たぶん記憶に焼き付けられている存在だ。
  ところがそんなブルース・ダーンは、1970年代が過ぎたら目立ってはいけないとでも思ったかのように、忽然と日本のスクリーンから姿を消した。実際には それなりに主演作も作られていたのかもしれないが、ことごとく未公開の憂き目を見てしまった。そのうち、すっかりB級作品の脇役が指定席になって、人々の 記憶から消え去ってしまったのだ。
 そんなブルース・ダーンが、なぜか2014年のスクリーンに帰ってきた。それどころか、惜しくも受賞はできなかったものの、華々しいオスカー・レースに参戦までしてしまったからビックリだ。
 おまけにその復活作「ネブラスカ」は、アバウト・シュミット(2002)、サイドウェイ(2004)、「ファミリー・ツリー」(2011)…と秀作を連発してきたアレクサンダー・ペイン監督の作品ではないか。
 復活ブルース・ダーンとアレクサンダー・ペイン…この作品への僕の興味は、ほぼこの一点に集約されたのだった。

あら すじ

 アメリカのど田舎…モンタナの道をヨボヨボ歩く、ショボくれた老人。
 クルマは走るが歩行者なんて人っ子ひとりいないなか、これはかなり奇妙な光景だ。やがてパトカーがやって来て、この老人のそばに停まる…。老人の名はウディ(ブルース・ダーン)。
  心配して家にやってきた次男のデビッド(ウィル・フォルテ)は、ガミガミ屋のウディの妻ケイト(ジューン・スキップ)から事の子細を聞かされる。何とウ ディは自分が賞金100万ドルのクジに当たったので、その主催者がいるネブラスカまで行こうとしていたのだ。そしてすでに運転免許をなくしていたので、徒 歩で行くつもりだったというではないか。
 そもそもそのクジからして、よくありがちな詐欺の手口だ。デビッドは言い聞かせるようにウディにそう言 うのだが、彼はそうは思っていない。元来が無口なために言い返さないだけで、まったく納得していないのだ。妻のケイトは口汚くボロクソに叩いているが、ウ ディはカエルのツラにションベンを決め込んでいる。
 そんなデビッドは町のショッピングセンターにあるオーディオ店で働いているが、パッとしない 暮らしだ。ある日、ぽっちゃり系の元恋人(ミッシー・ドティ)が自宅に現れたのであらぬ期待をしてしまうが、もちろん彼女は忘れたモノを取りに来ただけ。 ヨリを戻す気なんかなく、デビッドを「イマイチ」とまで言い切る。なのに未練タラタラのデビッド。そんなやりとりがいきなりの電話で水をさされたのは、む しろ救いだったかもしれない。
 電話の内容は、またしても老父ウディの失踪。
 デビッドが実家に到着した時にはすでにウディは戻されてい て、今度は長男のロス(ボブ・オデンニック)が情け容赦なくコキ下ろす。デビッドは「何もそこまで」と内心思っているが、彼よりはグッとキレ者で通ってい る兄には口は出せない。兄ロスは地元テレビ局のキャスターで、デビッドは地位の面で大きく水をあけられているのだ。
 ただ、ロスとてキャスターといえども、実はレギュラー・キャスターの補欠。レギュラー病欠で出演できているここ数日まで、長らくベンチを温めている立場だったのだから世の中は厳しい。
 というわけで、またまたボロクソにコキ下ろされているウディだが、ボケたのかトボけているのか一向にこたえた形跡がない。しかも100万ドルが当たっているという事に関しては、一切引き下がるつもりがないらしい。何が何でもネブラスカに行く気マンマンだ。
 そんなウディの頑なさにサジを投げたのか、「行けば満足する」と思ったか、はたまたケイトの集中砲火のような罵倒を聞かされるのにウンザリしたのか…デビッドはついに根負けして、ウディをネブラスカまでクルマで連れて行くことを決意する。
 自分のクルマに父ウディを乗せて、背中でついに自分までその標的となった罵詈雑言の数々を聞きながら、デビッドはネブラスカまでの…おそらく無意味な旅をスタートさせるのだった…。

1970年代終焉と共に消えた怪優ブルース・ダーン

  映画の冒頭、ヨロヨロと頼りなげな足取りで歩く老人が登場。白髪の髪はボサボサ、身なりも小汚い。これが僕が待ちに待った、1970年代の個性派男優ブルース・ダーンのなれの果てとは…。
 思えば僕がブルース・ダーンを初めて意識したのは、ロバート・レッドフォード「華麗なるギャツビー」(1974)でのこと。ギャツビーがひたすら想いを寄せるデイジーの夫、トム・ブキャナン役で一気に目立ったように記憶している。
 むろんそれ以前から幅広く出演していたようで、その中には傑作テレビシリーズ「アウター・リミッツ」やら当時日本未公開だったSF映画「サイレント・ランニング」(1972)なども含まれていたが、正直その存在は広く一般に知られているとは言い難かった。ところが先に挙げた「ギャツビー」の助演あたりからグイグイと頭角を現す。
 そもそもが…僕はリアルタイムで見ていないものの、それに先立つ「11人のカウボーイ」(1971)で話題を呼んだ役者だ。ジョン・ウェインを後ろから撃ち殺した「卑怯者」として、一気に注目を浴びた「悪役」「クセモノ」俳優。当然、カッコイイ存在でも愛すべきキャラクターでもない。どっちかというとクセの強い個性派俳優だ。しかし、1970年代のアメリカ映画は、そうした「個性派」が脚光を浴びる土壌があった。というより、当時のハリウッドもまた彼のような役者を欲していたのだ。
 その後、ヒッチコックの遺作「ファミリー・プロット」(1976)、公開中止事件が起きたジョン・フランケンハイマーのサスペンス大作「ブラック・サンデー」(1977)、そしてウォルター・ヒルによる犯罪サスペンスの傑作「ザ・ドライバー」(1978)、ジェーン・フォンダジョン・ヴォイトと共演の社会派ラブストーリー「帰郷」(1978)…と、特に1970年代半ばからぐいぐいスター街道まっしぐらの印象があった。
 ところが、彼の快進撃もそこまで。どんな理由があったか知らないが、突然彼の出演作がパッタリと日本で公開されなくなってしまう。なぜかことごとく未公開になってしまい、元々の作品数も激減してしまう。正確に言うとオスカー助演男優賞にノミネートされた「帰郷」をピークに、華やかな世界から忽然と姿を消してしまうのだ。いやぁ、こうやって改めて見てみると、彼の「全盛期」ってえらく短かったよなぁ。
 まぁ、元々が個性派のダーンがヒッチコック作品で主役張ったり、ジェーン・フォンダあたりと肩を並べて名前がトップに出ちゃうようになったあたり、むしろそっちの方が「出来すぎ」だったのかもしれないが…。それにしてもフェイドアウトのされ方があまりに唐突だった。
  確か、日本に来て入れ墨の魅力に取り憑かれたアメリカ人が、自分の女に入れ墨しようとする…とかいう変なお話の映画に出るニュースを聞いたのが最後で、そ れ以降はダーンの話題はパッタリ。ってことは、そのタトゥー映画がマズかったのか。それとも業界のお偉いさんを怒らせるとか、何か別の不都合があったのだ ろうか。その頂点からの姿の消し方は、サリー・フィールドの「それ」と双璧であると言っても過言ではない。
 その後はむしろ娘のローラ・ダーンの方が出世しちゃって、本人は「ローラ・ダーンの父」的状態。たま〜にその名を見ることがあっても、作品もパッとしないモノが多かったし、役もちっちゃい役だったりして「あの人は今」的なアリサマだった。
 だから今回、忽然とオスカー候補者として名前が出てきたのには、心底驚いた。
 「どっこい生きてたシャツの中!」(笑)じゃないけど、それまでどこかへ深く潜行していたような状態だったのに、いきなり脚光を浴びる場に出てきたことが僕にはビックリだったのだ。
 タランティーノ映画に起用された訳でもないのに、突然の劇的なカムバック。
 今まで一体何があったのだブルース・ダーン? そしてここへ来て、どうして注目を集める存在になったのだ?

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 そんなわけで、ブルース・ダーンの帰還が話題となっている本作。しかし、この映画の主人公は実はブルース・ダーン演じるウディという老人ではない。ウディの次男であるデビッド(ウィル・フォルテ)という男が実質上の主人公だ。
  優しくて善良なのは、顔見れば分かる。父親が心配で実家に行ってみると、母親から兄まで親父をボロクソにコキ下ろす始末。それに対してこの次男だけは優し く諭そうとする。結局、言葉で何度も説得しても仕方ないとなると、父親を納得させるために自分も一緒に行ってやろうと決意する。
 ただ優しいのはいいのだが、この男どこか頼りない。だから兄貴や母親が父親をボロクソにコキ下ろすのにもタジタジになるしかないし、前の恋人が偉そうな態度で出てきても未練タラタラ。それがまた太めで大して美人でもない女だから、余計に情けないのだ。
 そんな親父と次男の、ネブラスカまでの珍道中。途中でカネに目のくらんだ親戚の醜い争いとか思わぬ家族の再集合があったりするが、そこらへんは端折って…目的地に行き着いて何かサプライズがあるかと思えば、やっぱりそんなものはない。手に入ったのは「ウィナー(当選者)」と書かれたマヌケな帽子ひとつだ。
 さすがに、これにガックリ虚脱状態になってしまった父親。その父親を見て、次男は「ある決意」をする。その内容は実にささやかではあるが、何とも嬉しいモノではないか。
 それは、父親のちょっとしたプライドの復権だった…。

病いの母親に現れた変化

 実は私事で恐縮だが、昨年から僕の母親は次から次へと病いに冒され、病院と自宅の間を行ったり来たりの生活を続けている
 それまで山登りで鍛えていたこともあって、身体には自信があった母親。元々が手先が器用だったこともあって、いつも何でも動作はテキパキ。そんな母親から見れば、周囲の人間は「トロい」と思えるようなところもあったようだ。
  もどかしいと思っているのか、僕の父親にも自分の兄や弟にもズケズケズバズバ。たまに、チラリと田舎の伯父さんたちが苦笑する姿を見たこともある。どちら かと言えば僕に対しても、高圧的にモノを言うきらいがなきにしもあらずだった。正直ちょっとどうかなぁと思うことも、ないわけではなかったのだ。
 ところがここ最近、身体も思うに任せず僕に頼らねばならないことも多くなると、そんな母親の態度に変化が生まれた
 あの何から何まで自信たっぷりだった母親が、何となくションボリと弱々しくなってしまった。時にはオドオドしているようにも見える。母親もそんな自分に戸惑っているのだろうか。こんな母親は初めて見た。
 そしてこちらもついつい行きがかり上、これまでとは逆に母親に対して高圧的にモノを言ってしまったりしてしまう。申し訳ないとは思うが、危なっかしいことやうまくいかないことなどアレコレあるので、どうしても言わないわけにいかないこともある。いや、やっぱりこちらに堪え性がないんだろう。ついイライラして言ってしまったりもする。
 しかし母親の立場からすれば、これはかなりツライんじゃないだろうか
  僕らとしては相手の事を考えてるつもりで、「アレをするな」「こうしろ」みたいな事を言ってしまったりする。あるいは致し方ない事情で、アレコレ押しつけ てしまったりする。しかし、すでに大人でいろいろ自分の自由にやってきた身からすれば、偉そうに指図されるのは何とも苦痛だろう。いろいろ取り上げられた り出来なくなったりするのは、耐え難いものもあるだろう。される側としては理不尽でイヤなことも多いとは思うのだが、こちらは相手に対する想像力が乏しくて結構無茶なことを押しつけてしまっているのかもしれない。
 そのあたりのことは香港のアン・ホイ監督が撮った桃<タオ>さんのしあわせ(2011)にも出てきたが、年寄りの人たちのプライドというものは、何だかんだないがしろにされてしまいがちなものだ。実際のところ、僕も時々「あれはマズかったかな」と反省せずにはいられない時がある。大抵はそれも手遅れなのだが。
 やはりアレコレ不自由は出てきても、一度はバリバリやっていた大人。プライドだってある。
 本作を見ていて、そうした老人の「プライド」に改めて思い至った。
 老人ウディがクジの賞金を手に入れたかったのは、「オマエたちに何かを残したかった」から。そして「一度は買ったばかりの新しいトラックに乗りたかった」から…。それを聞いていた次男デビッドは一念発起、中古車ではあるが新品同様のトラックを買うのである。
  すでにいろいろとヨレヨレのウディは、免許も取り上げられてクルマの運転も思うに任せない。そんなウディに次男デビッドは、そのトラックのハンドルを任せ て街を走らせる。鼻高々でトラックを走らせるウディに、見つめる知人たちは唖然呆然。悠然と彼らの前を走り去るウディには、奪われたプライドがわずかなが らも戻ってくるのである。
 正直言って、これは泣いちゃったよ
 それと同時に、自分自身の想像力の乏しさに気づかされた
 それまで誰も顧みてもみなかった、老人ウディにとってのささやかな「プライド」の問題。しかしそれは考えてみれば、ウディに限ったことではないではないか
 そもそも次男のデビッド自身が、いつもいつも長男と比べられて「負け組」扱いされている。おまけに逃げた女に徹頭徹尾コケにされている始末。その女がまた大した女じゃないだけに、ミジメさも二倍だ。
  母親にしても言いたい放題でデリケートな悩みなんかなさそうで、昔の知り合いや親戚の墓の前で、「こいつはアタシのパンツを狙ってた!」などと勝ち誇って 罵倒。どうやら、昔はとんでもないお下劣なビッチぶりを誇っていたようだ。だが、墓の下に入ってしまった男たちに卑猥な罵倒をぶつけずにはいられない彼女 には、ビッチにはビッチなりのプライドもあったのかもしれない。
 そしてデビッドから見て「勝ち組」でどこか偉そうな態度の長男ロスにしたって、地元テレビ局のキャスターといっても、実はレギュラーが病欠の間の代打。考えようによってはこっちの虚勢の方がツライ。
 みんながみんな、何がしかのプライドが傷つく場面ってのはあるものだ。誰でも、ささやかなプライドを持ちたいものなのである。別に「年寄りが特別」な訳じゃない。自分だってそう、誰だってそうじゃないか。
 ならば年老いた母親のプライドにだって、自分と同様の想像力が働いてしかるべきなのに…。
 本作のモノクロ映像をボケッと見つめているうちに、僕はそんな当たり前のことを改めて思い知らされたのである。

 

 

 

 

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