新作映画1000本ノック 2013年12月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
「消えたシモン・ヴェルネール」 「キャリー」(クロエ・グレース・モレッツ主演) 「ミッドナイト・ガイズ」 「マラヴィータ」 「セブン・サイコパス」 「悪の法則」 「グランド・イリュージョン」 「トランス」 「クロニクル」 「デッドマン・ダウン」 「パッション」(ブライアン・デパーマ監督作品) 「エリジウム」 「エビデンス/全滅」 「カイロ・タイム/異邦人」 「ファントム/開戦前夜」 「ウルヴァリンSAMURAI」 「ランナウェイ/逃亡者」 「私が愛した大統領」

 

「消えたシモン・ヴェルネール」

 Simon Werner a disparu (Lights Out)

Date:2013 / 12/ 09

みるまえ

  映画ってのは数見ていくと、時々まったく予想もしない拾いモノに出くわす時がある。この映画のことはまったく知らなかったが、たまたまタイトルを見たら、 猛烈に見たくなった。「消えたシモン・ヴェルネール」。「消えた」という時点でどうも不可解なことが起きそうである。学園を舞台にした連続失踪事件…みた いなお話らしいが、それをフランス映画でやるというのがちょっと珍しくて面白そう。渋谷の単館でレイトショーってのも、「当たるも八卦当たらぬも八卦」み たいな感じがする。こういう映画は、すごく面白いか全然面白くないかだ。他に見なきゃならない映画がいっぱいありながら、僕はこの映画見たさに劇場に駆け つけた。

ないよう

  郊外の住宅地、夜。おめかしした女子高生が、ひとり颯爽と歩いている。彼女がやって来たのは、ガンガンとロックミュージックが流れる一軒の家。扉が開く と、どうやらパーティーの真っ最中らしい。彼女の名前はアリス(アナ・ジラルド)。扉を開けて彼女を出迎えたのは、ジェレミー(ジュール・ペリシエ)とい う男の子だ。彼はなぜか松葉杖をついている。家の中は踊ったりしゃべったりする若い男女でムンムン。こうなると必ず「その気」になるヤツは出てくるもの で、パーティ客のひとりリュック(エステバン・カルヴァジャル=アレグリア)はその場にいたクララ(オドレイ・バスティアン)を落とそうと必死。ちょうど 彼女が具合が悪くなったとか言い出したので、うまいこと外に連れ出すことに成功した。郊外の住宅地だから、ちょっと足を伸ばせば雑木林もある。林の中に入 り込んだところで、クララは「おしっこがしたい」などと言い出した。これってチャンスなんだかどうなんだか。ともかくリュックが用を足すクララに対して 「紳士的」に背を向けていると、突然クララが悲鳴を上げるではないか。何と誰かが地面に倒れているというのだ。「それって、ひょっとして失踪したシモン・ヴェルネー ルじゃない?」…。慌ててパーティ会場へと戻ってきた二人は、ジェレミーたちに事の次第を話す。すると、その場にいたアリスやジェレミーの悪友フレデ リック(イヴァン・タッサン)らが懐中電灯を持って出かけることになり、足を傷めているジェレミーは警察に電話する役回りとなった。そんなこんなで大騒ぎ となったが、実はすべてのコトの発端はその何日か前にさかのぼるのだった…。

みたあと

  正直言ってこの映画を見た直後は、軽い衝撃を受けた。見る前が何しろ「当たるも八卦当たらぬも八卦」程度の期待だったから、僕として「トクした気分」で一 杯だった。ストーリーとしては前述した部分はほんのイントロでしかなくて、この先からが「本題」。見る前に得ていた情報の通りに、シモン・ヴェルネールと いう高校生が失踪したところから、次々と事件が起きる…ことは間違いない。見ているこちらはお話がミステリーのような事件モノになるのか、猟奇殺人などの スリラーになるのか、はたまた超自然的な出来事が起きるホラーなのか、いやいや、先日見た「クロニクル」みたいにSFになる可能性も捨てきれない…と、この映画の 登場人物たち以上に疑心暗鬼になって見てしまう。舞台となる郊外の住宅地も往年のスピルバーグ映画に出てくる住宅地みたいで、何だか意味ありげ。実際、怪しげな人物やエピソードもチラチラしていて、こいつ変態っぽいな…とか、犯罪者じゃないのか…と か、地下の秘密クラブとかがあるんじゃないか…とか、邪推させるネタも満載。ナゾがナゾを呼ぶので、見ていて本当にワクワクさせられる。正直言って、久々 に映画を見る楽しみを満喫させてもらった感じなのだ。この映画はだから、まったく何も知らない状態で見るに限る。アリス役の女優があの「愛さずにいられな い」(1989)主演俳優イポリット・ジラルドの娘だというくらいの情報だけで、他は何も知らない方がいいのではないか。だからここから先の文章は、絶対 に映画を見てから読んでいただきたい。
ここからは映画を見てから!

みどころ
  見ていただければお分かりの通り、お話はイントロの「死体発見」からさかのぼって、その後、「ジェレミー」「アリス」「ラビエ」「シモン」という4人の登 場人物を主体としたエピソードが並ぶ。そこでは同じ時系列の話が、それぞれの人物から見たカタチで繰り返し語られるのだ。ネットでこの映画を調べたら、ど うやらこの作品の手法ってガス・ヴァン・サントの「エレファント」(2003)に酷似したようなモノらしいが、残念ながら僕はその「エレファント」を見て いない。実は僕はあの「サイコ」リメイク(1998)以来、ガス・ヴァン・サントって苦手でねぇ(笑)。だから僕は一瞬、「エレファント」を見ていないか ら本作を高く評価し過ぎちゃったんじゃないかとも思った。しかし本作の手法は非常にユニークではあるが、さまざまな人物の視点から物事を語り直すって手法 は別に「エレファント」の専売特許って訳でもないだろう。それによって、本作の価値が下がるとも思えない。そもそも僕の場合、手法としては完全に同じと言 うわけではないが、韓国のホン・サンス監督の「教授とわたし、そして映画」(2010)の方が本作との共通性を見いだせるような気がする。ともかく4人 の別の人間の視点で語り直すことで、前述した怪しげな人物やエピソードがまったく別の見え方をしてくるのが秀逸だ。そこまでは事件モノだかスリラーだかホ ラーだかSFだか分からない得体の知れないお話だったものが、最後まで見ていくと「……」となっていく。それは「とんでもない結論」を期待している僕ら観 客からすると、結局は「ありふれたつまんない話」に落ち着いちゃったように思えなくもない。しかし、この映画はそこからが非凡なのだ。それは、映画のエピローグに如 実に出ている。コトの発端となったシモン・ヴェルネールの葬儀が行われ、いろいろあって「カップルの再編」などもあったけど毎度お馴染みのお仲間がまた顔 を揃えて…何だかんだいっても平和な日常が続いていきそうなエンディング。しかし、決して「何もなかった」訳ではない。あの「みんなが疑心暗鬼になって何 やら尋常ならざるコトが起きそうだった不穏な雰囲気」は何だったんだ…という「どんより感」がこの作品のミソだ。それは「何か起きそうで起きない」青春時 代の不安定感とも思えるし、また不謹慎で無責任でもあるのだが「何か良からぬ事が起きる」ことを期待してしまう人間のサガ(それは図らずも見ている僕らも 同様なのだが)を描いているとも言える。「大山鳴動ネズミ一匹」的に意外とショボい真相が分かっちゃった後…こそが、本作の非凡な点なのである。僕はそっ ちの方はまったく詳しくないものの…ソニック・ユースなんてバンドを音楽担当に引っ張り出すようなフランス映画らしからぬスケール感といい、ファブリス・ ゴベール監督なかなか将来が楽しみな存在だ。

さいごのひとこ と

 野次馬根性は洋の東西を問わず。

 

「キャリー」

(クロエ・グレース・モレッツ主演)

 Carrie

Date:2013 / 12/ 30

みるまえ

 あのブライアン・デパーマの出世作、スティーブン・キング原作の映画化作品としても傑作の誉れ高い「キャリー」 (1976)がリメイクと聞いて、ちょっとビックリ。僕らの世代としてはやっぱり「キャリー」といえばデパーマの「キャリー」、シシー・スペイセクの 「キャリー」という思いが強いので、アレをリメイクするなんて…と、ちょっとカンベンして欲しい気持ちになってしまう。何でも今回のリメイクの「売り」 は、「キック・アス」(2010)で話 題騒然、新世代の子役スターとして今をときめくクロエ・グレース・モレッツが主人公キャリーを演じるらしい。ははぁ、なるほどねぇ…と、それを聞いたら ちょっと興味は出てきたものの、考えてみると「キャリー」のキャラクターとグレース・モレッツって合っているのかどうなのか。企画としちゃあ面白そうに思 えるが、果たしてそれってどうなんだろう。そんなわけで、公開されてもなかなか劇場に足が運ばず、終了間際に駆け込みで見ることになった次第。どう考えて もうまくいきそうにないこの企画、果たしてその結果はいかに…。

ないよう

  ある一軒の家のなか。怪しげな雰囲気が漂い、床には血痕が垂れ、二階から女の苦悶の叫びが聞こえてくる。その二階の寝室では、ベッドの上でマーガレット・ ホワイト(ジュリアン・ムーア)という女が苦しみ悶えていた。やがてその苦しみがピークを過ぎた時、女の股間に姿を現したのは…ひとりの赤ん坊。すると マーガレットはハサミを取り出して、何とこの赤ん坊を殺そうとするではないか。ところが、結局その思いは果たせない。それはマーガレットの中に残された良 心のせいか、それとも他の理解しがたい「何か」の力によるものなのだろうか…。それから幾年月。高校のプールで、女子による水中バレーボールの授業が行わ れている。みんなが積極的に試合に参加する中、後ろの方でじっと時間が過ぎるのを待っているような風情の女の子が一人。それがかの赤ん坊の成長した姿…ハ イティーンとなったキャリー・ホワイト(クロエ・グレース・モレッツ)だ。しかし、自分のところに球が来て欲しくない時に限って球は飛んでくる。おまけに 球を打てと言われるからしぶしぶサーブすると、これが運悪く前方の優等生スー・スネル(ガブリエラ・ワイルド)の頭に当たるという始末。受けなくてもいい 怒りと嘲笑を受けることになってしまうキャリーは、今までいつもこんな負のスパイラルに陥ってきていたのだった。そんなヒヤヒヤの授業が終わって、シャ ワー室に移動。他の女の子たちはさっさと着替えに入る中、一人黙々とシャワーを浴びるキャリーは、とつぜん自らの異変に気づいて愕然とする。股間から血が 流れているではないか。どうしていいのか分からずパニックに陥った彼女は、血だらけの手をかざしながら他の女の子たちのところに駆け寄る。それは確かに、 端で見ていたらかなり異様な光景だ。たちまち爆笑嘲笑の嵐。女の子たちは怯えるキャリーにナプキンやタンポンを投げつけて大喜び。根っから根性悪そうなク リス・ハーゲンセン(ポーシャ・ダブルデイ)は、この様子をスマホで録画するアリサマだ。そこに体育教師リタ・デジャルダン先生(ジュディ・グリア)が 割って入ってきたからいいものの、キャリーのパニックはなかなか止まらない。そしてキャリーをからかっていた女の子たちの中でも、ひとりスーだけはさすが にやり過ぎたと後悔をおぼえる。それはともかく、この年齢で生理を知らなかったとは。キャリーと校長室にやって来たデジャルダン先生は、コトの顛末を校長 先生(バリー・シャバカ・ヘンリー)に報告。校長はイジメの犯人たちを罰するように、デジャルダン先生に指示した。さらにキャリーの母親に来てもらうこと になったが、母親と聞いたキャリーは異様に怯え出す。それと関係あったかなかったか、校長室に置いてあった冷水器がいきなりバリンと割れたため一同は唖 然。ともかくキャリーは母親マーガレットに迎えに来てもらい、学校を早退することになったわけだ。こうしてクルマで家に連れ帰られたキャリーは、マーガ レットに「なぜ生理のことを教えてくれなかったのか」と詰問。しかしマーガレットは答えようとしないため、キャリーは家になかなか入らずクルマに残ってい た。そこにたまたま自転車で通りかかった近所のクソガキが、キャリーをバカにしてはやし立てた。しかし、これはいささか悪いタイミングだったようだ。なぜ かクソガキは乗っていた自転車もろとも横転。慌てふためいたクソガキは怯えて逃げ去って行った。さて、仕方なく家の中に入ったキャリーだが、なぜかマーガ レットは彼女を罪人扱いして責めまくる。おまけに彼女を無理矢理小さな小部屋に押し込めようとするので、キャリーは泣き叫んで「やめてくれ」と懇願。そこ には十字架が置いてあって、さながら「懺悔部屋」のよう。どうやらキャリーは子どもの頃から、何かというとこの部屋に閉じこめられて来たらしい。しかしカ ギをかけられ閉じこめられたキャリーが号泣すると、いきなりドアにバシッと深い傷がついてしまった。彼女はもう昨日までの彼女ではなかったのだ。その頃、 スーは彼氏のトミー・ロス(アンセル・エルゴート)とクルマの中でイチャつきながら、昼間のキャリーへの仕打ちを反省していた。一方、イジメの急先鋒であ るクリスは、これまたいかにも柄の悪い彼氏ビリー・ノーラン(アレックス・ラッセル)と一緒にキャリーをバカにして、スマホで撮った例の映像をユーチュー ブにアップ。炎上路線をまっしぐらだ。翌日、キャリーをイジメたとされる女の子たちは、デジャルダン先生から居残りで体育の特訓をやらされる。当然ブーた れるクリスは他の女の子たちを焚きつけて反抗させようとするが、デジャルダン先生が「停学」やら「プロムナイト閉め出し」やらをチラつかされるや、さすが に他の女の子たちは乗ってこない。これにクリスは逆ギレ逆恨みして、捨てゼリフを残してその場を去ってしまった。こうして筋違いの怒りをキャリーに対して 抱いたクリスは、ゴロツキ彼氏のビリーと一緒に「仕返し」を企むようになる。それとは対照的に、スーは何とかキャリーに「借りを返したい」を願うように なった。そして当のキャリーはというと、自らの中に潜んでいた「力」に気づくようになって、「超能力」について調べ始めるのだった…。

みたあと

  先にも述べたように、僕がこのリメイクについて「望み薄」だと思っていたのは事実だ。しかしそれは、何もブライアン・デパーマによる「前作」を神格化して いたからではない。あの「傑作」は侵すべからざる領域であるなどと思っている訳ではないのだ。それはむしろ、今回の「売り」である主演女優によるところが 大きい。もっとズバリと言うと、オリジナル作品のシシー・スペイセクと今回のクロエ・グレース・モレッツのスペックがあまりに違っているため、このリメイ クはうまくいかないんじゃないかと思ったわけだ。ハッキリ言っては申し訳ないが、スペイセクはどっちかと言えば不美人で地味。おまけに「キャリー」出演時 は完全な無名だ。対するグレース・モレッツはといえば、魅力的なティーン女優ですでに「キック・アス」で「スター」となっていた。いつもイジメられていじ けて、なおかつ生理も知らない奥手なキャリーの役を演じるにあたって、どちらがピッタリな資質かは言うまでもないだろう。仮にグレース・モレッツに何かの 優位性があるならば、それはキャリーの役柄に実年齢が近いことぐらいだろうか。それを考えると、どう考えても今回のリメイクが成功するとは思えなかったの だ。ところが映画を実際に見る直前、僕はビックリすることに気づいたのだ。僕はこの作品を見るにあたって、監督が誰かということなどまったく気にしてもい なかった。リメイクだから、どこかの若手監督がやらされているに違いないと思い込んでいた。ところが…これが意外な人物が本作を手がけているから驚いた。 何とこの作品、あの衝撃的な「ボーイズ・ドント・クライ」(1999)を撮った、キンバリー・ピアースが監督を務めているではないか。

こうすれば
 そんなわけで実際の作品に対峙してみると、いきなりオリジナル版にはない場面が登場。ジュリアン・ムーアの大熱演のおかげで、異様な雰囲気が充満する オープニングだ。しかし話が本題に入って成長したキャリー=クロエ・グレース・モレッツが登場してくると、やっぱりどうしたってオリジナルよりヌルい。見 る前に想定していた懸念が、現実のものとなってしまった。グレース・モレッツじゃ可愛すぎる。人気急上昇のひとクセあるティーンスター、グレース・モレッ ツを使って「キャリー」をリメイク…って発想は一見良さそうなのだが、この子がやられっぱなしな根暗少女ってのは無理がある。いや、彼女としては健闘して いるのだが、なにせシシー・スペイセクが凄すぎた。だからどうしても、前作より落ちる…という印象を持ってしまうのだ。おまけに彼女を取り巻く若者たち… ガブリエラ・ワイルド、ポーシャ・ダブルデイ、アレックス・ラッセル、アンセル・エルゴートといった面々も、前作のエイミー・アービング、ナンシー・アレ ン、ジョン・トラボルタ、ウィリアム・カット…という充実したキャストと比べるとかなり見劣りしてしまう。…といっても、トラボルタを除いては今の人たち からすれば「誰、それ?」という感じの人たちばかりだし、おそらくは前作をリアルタイムで見ていた僕らにとっての「思い出補正」もかなり入っているんじゃ ないかという気もする。だから、前作のキャストを引き合いに出して本作を「見劣りする」とケナすのは、年寄りが「イマドキの若いもんは」とタワゴトを言っ ているのに近いかもしれない。しかしそれにしたって、今回のトミー・ロス役アンセル・エルゴートには、あのウィリアム・カットのキラキラ感がなさ過ぎだよ なぁ。だからプロムナイトでキャリーがトミーにエスコートされる時の「夢みたい!」なワクワク感が乏しい。もっと言うと、ブライアン・デパーマがカメラを グルグル回してヒッチコック流で盛り上げたダンス・シーンが、本作では意外に平凡だ。さらにそれを言うなら…グレース・モレッツは元々可愛いから、プロム ナイトでいきなり美しくなって「デビュー」しちゃう「みにくいあひるの子」的なニュアンスも出ない。このあたりが、青春映画としても秀逸だった前作を好き な人だったら、モノ足りない点かもしれないのだ。

ここからは映画を見てから! 

みどころ
  では本作は、前作から見劣りばかりする凡作なのか?…というと、一概にそうは言えないから映画って面白い。実は、本作には本作なりの良い点も数多くあるの だ。その中でも注目できるのが、前作に含まれていた脚本の穴を改めて細かく「補正」している点。例えば、冒頭のシャワー室の場面に無理なく持って行くため に、オリジナルのバレーボールを水中バレーボールに変更。これなどは大したことのない変更だが、悪役クリスがスーを「プロムに行きたいから先生に媚びた」 と罵る場面を追加したのはなかなかうまい。これによって、スーは自分の恋人トミーをキャリーに一晩譲る気になるわけだ。確かにオリジナルではいくらスーが キャリーに罪の意識を持ったとはいえ、そのために憧れのプロムナイトを棒に振るというのが不自然に思えなくもなかった。ヘタをすれば偽善とも思われかねな い設定だったので、これは英断と言っていいだろう。また、キャリーの「逆恨み」と受け取られかねなかった点を修正しているのも巧みで、終盤でキャリーが スーを「許す」ようにちゃんと誘導している。スーだけでなく例えば体育教師のデジャルダン先生なども、前作ではラストのカタストロフで完全にとばっちりを 受けたかたちになっていたものを、今回は適度なところで止めている。全体的にラストのキャリーの「怒り爆発」を、「歯止めがきかない」モンスター的な描き 方ではなく観客がキャリーに共感できるように設定し直している。そのぶん悪役クリスやキ●ガイ母の痛めつけ方はさらに情け容赦なくなっている(笑)のだ が…そういうことも含めて、やはりさすが「ボーイズ・ドント・クライ」のキンバリー・ピアースだなと思わされる。虐げられている者の痛みに共感しているこ とが分かるし、ラストも単なるショックに終わらず、キャリーという薄幸のヒロインに対する思いやりが感じられるのだ。僕がさんざミスキャストだと指摘した グレース・モレッツも、さすがダテに名子役と言われているタマじゃない。足りない部分は演技力でカバーして、幸薄い気の毒な女の子として演じきっている。 結局、何だかんだ見ていて違和感がなくなっていったのだから大したものだ。そしてジュリアン・ムーアのイカレ母親ぶりも、前作と比べてかなりの増量(笑) だ。これはこれで、作り手の「イジメ」「児童虐待」に対する静かな怒りが見ている者に伝わる、良心的な作品に出来上がっているから侮れないのである。

さいごのひとこ と

 大津のイジメの連中もタダで済むと思うなよ。

 

「ミッドナイト・ガイズ」

 Stand Up Guys

Date:2013 / 12/ 23

みるまえ

  この作品の存在は、ネットで見る映画を調べていた時に知った。アル・パチーノにクリストファー・ウォーケン、そしてアラン・アーキン。映画ファンにとって は魅力的な顔合わせではあるが、話題にはならないわな(笑)。それに近年はパチーノ主演作も玉石混淆で、わざわざ足を運んで見るに値する作品ばかりとは限 らない。しかも単館での上映。どう見たってB級な雰囲気だ。それでも見に行きたいと思ったのは、いいトシこいた「そのスジ」の男たちが、一晩ハメをはずし て大暴れする話という点に惹かれたから。時間を「一晩」とか「一日」に限定する話は、「アメリカン・グラフィティ」(1973)など僕の好きなモノが多 い。そんなわけで、大した期待もせずに渋谷の映画館へと出かけて行ったわけ。

ないよう

  朝焼けに輝く橋の上。それは老いたドク(クリストファー・ウォーケン)が、自室で絵筆をふるってカンバスの上に描いている絵だ。同じ頃、刑務所ではこれま た老いぼれのヴァル(アル・パチーノ)が長年にわたった刑期を終え、釈放の手続きを進めているところ。ようやく手続きを終えて刑務所の門をくぐると、そこ に待っていたのはビシッとスーツを着こなした先ほどのドク。二人は古くからの「そのスジ」の仲間だったのだ。久々の再会を喜び合った二人は、ともかくドク のアパートへと落ち着く。しかし口の悪いヴァルは、ドクのアパートの部屋をボロクソにケナす。それでも昔からのヴァルの人柄を知り尽くすドクは、そんな言 葉を飄々と受け流す。ただヴァルが顔を洗ったりしている背後で、ひそかに銃を片手にチャンスをうかがっている様子は、ただ事ではない。そんなドクの様子を 知ってか知らずか、ヴァルはせっかくシャバに出たからには「パーティー」に行こうとゴキゲンだ。早速、街へと繰り出す二人。もちろん「先立つモノ」はドク 持ち…とケロリと言ってのけるヴァルだが、級友をもてなしたいドクも異存はない。そんなわけで二人が出かけた「パーティー」とは、一見普通の家に見えるこ ぢんまりとした女郎屋。メガネをかけた女将のウェンディ(ルーシー・パンチ)は、母親から親子二代で女郎屋を営んでいる女傑だ。早速、現れた女と共に、二 階の「仕事場」へと消えていくヴァル。ドクも「そっち」を勧められたが、やんわりと断った。そしてドクはウェンディから電話を借りて、あるところに連絡を 入れる。その相手はギャングの親分クラップハンド(マーク・マーゴリス)だ。クラップハンドは電話に出てくるや、開口一番こう言い放つ。「まだ殺ってない のか?」…実はドクはこのクラップハンドの命令で、ヴァルを殺すことになっていたのだ。それというのも、クラップハンドの息子がヴァルのせいで死んだか ら…ということだが、正直言ってそれは逆恨みに近い話だった。それでも、クラップハンズが言うことを聞いてくれるはずもない。そしてドクがもしこの命令を 拒んだら、今度はドクが死ぬ羽目になる。マブダチの手でヴァルを殺させることこそ、クラップハンズの陰湿な復讐プランなのだ。苦々しい思いで「残りの時 間」を尋ねたドクに対して、クラップハンズは冷たく「明朝10時」と言い放つのだった。そんなところへ戻ってきたヴァルは、さすがに寄る年波には勝てず 「イタす」には至らなかったとボヤく。とりあえず「敗者復活戦」を約束して女郎屋を後にした二人は、バイアグラを手に入れるために街の薬屋を襲撃。それを 皮切りに、古き良き時代のように次々と「おイタ」をやらかしていく。しかし、明朝10時をめざす時計の針も、刻一刻と進んでいくのだった…。

みたあと

  ストーリー紹介は、ほんのさわりだけ。実はこの段階ではアラン・アーキンも登場していない。ただ、この映画はこんなストーリー紹介を読むより、とにかく見 てもらった方がいい。だから早々にストーリーを終わりにしてしまった。ハッキリ言うけど、この映画は最高だ。傑作、名作、問題作…映画のホメ言葉はいろい ろある。僕はこの映画が傑作かどうかはよく分からないが、とにかくメチャクチャ「気に入った」ことは確か。この映画は愛すべき映画だ。大して期待しないで 見に行ったが、意外なまでの快作でビックリ。大してビックリするような話でもないのだが、見ていて嬉しくなる映画なのだ。イヤ〜困った、実はもうこれだけ で言いたいことは全部言ってしまった。大げさに言えば言うほどシラジラしくなる。さりげない佇まいが身上の映画だから、他には何を言うのもヤボというもの なのだ。

ここからは映画を見てから! 

みどころ
  そうそう、まず言っておかねばならないのは、本作はパチーノ、ウォーケン、そしてアラン・アーキンの「共演」が売りになっているが、実はアーキンはパチー ノやウォーケンと対等の役ではない。お話がだいぶ進んでから登場して来て、さぁこれから…という時に画面から退場してしまうような役どころだ。コレは ちょっと予想外だったので、あっけにとられてしまった。しかしそれ以外は、見ている間ずっと嬉しくてゴキゲンになってしまうような映画だった。冒頭にも述 べたように、物語をほとんど一日だけにしぼったタイムリミット・ストーリー。舞台劇にも出来そうな、素晴らしい脚本だ。パチーノとウォーケンは過去いろい ろヤバいスジの人の役柄を多く演じてきただけあって、ここで演じている「裏街道を歩いてきて家庭も何もない」寂しい老人という役どころがピタリと決まる。 僕らは否が応でも彼らの過去のフィルモグラフィーが脳裏にチラつくから、彼らが若い頃にヤンチャしていたことも羽振りがよかったこともイメージとしてバッ チリ浮かんで来る。そして昔が景気良かっただけに、残り時間もあとわずかというところになって「もうひと花咲かせたい」とあがく気持ちも分かるのだ。特に この「老境」にさしかかっての気持ちは、別に「そのスジ」の人でなくてもピンと来る。ここへ来て周囲も自分も、あっちこっちカラダにガタが来るだの、物忘 れがひどくなるだの、リストラされちゃうだの…何とも寂しい話しか出てこない。もう昔のように「これからグッとよくなる」なんてことは期待できそうにな い。そういう中で、それでも「もうひと花」という気持ちになるのは、もう人ごとではないのだ。何だか情けない話になるが、僕らくらいの年齢になるとこれが 本音じゃないだろうか。そんな僕らの気持ちを知ってか、パチーノ、ウォーケンがヤンチャのし放題。しかもヤンチャと言っても、悪党のクルマをかっぱらって パトカーとカーチェイスとか、「人助け」や「仕返し」に助太刀するとか、どれもこれも「罪のない」ヤンチャばかり。だから見ていて気持ちがいいし、思わず 顔がほころんで楽しくなってしまう。いい年こいたジイサンたちが、「男の子」の遊びを一晩中やってる感じなのだ。それでも容赦なく夜が明けて、ギャングの 親分から言い渡された刻限がやって来てしまう。その時に主人公二人はキリッと正装して…いやぁ、それまでアホなやりとりや笑っちゃうエピソードの連続だっ たこの作品、「最後はこうなるんだろうな」…とある程度分かってはいても、見ていて思わず嬉しくなってしまう幕切れが待っている。あの「ワイルドバンチ」 (1969)を思わせるような、グッとくる趣向を見せてくれるのだ。そして、ラストカットで冒頭出てきたまぶしい朝焼けの輝きへと戻っていくあたりの、絶 妙な泣かせっぷりったらない。フィッシャー・スティーブンス監督、まさにお手柄。ホントはもっとうまくホメたいのに、いい言葉が見つからなくて残念。こん な感想文なんか読まないで、とにかく実物をご覧いただきたい。

さいごのひとこ と

 老いても鉄砲持たせりゃサマになる。


 

「マラヴィータ」

 Malavita (The Family)

Date:2013 / 12/ 23

みるまえ

  リュック・ベッソンといえば僕もこのサイトでアレコレ語ってきたが、近年はすっかり「リュック・ベッソン・プレゼンツ」として疑似アメリカ映画的フランス 映画を連発する人になってしまった。ただ、宮崎駿みたいに「監督辞める」と言っておきながら、その「最終作」だったはずの「アーサーとミニモイの不思議な国」 (2006)の続編(題名失念!)もシレッと撮っていたし、何とミシェル・ヨー主演でアウンサン・スーチーの伝記映画なんてシロモノ(これまた題名失念) まで撮っていた。スーチーじゃなくて、スー・チーの主演映画なら見たいんだけどねぇ(笑)。このあたりになると、さすがの僕でも付き合いかねるというのが 正直なところ。そんなベッソンの「辞める辞める詐欺」の最新作がやって来たと聞いても、最初は正直食指がそそらなかった。何とまぁ、ロバート・デニーロ、 ミシェル・ファイファー、トミー・リー・ジョーンズ主演のアクション・コメディと来ると、もはやこれがどこの映画なのかを問うのすら無意味。ハリウッド俳 優を連れて来てフランスを舞台にハリウッド映画風の娯楽作を作るという、ベッソン・プレゼンツ作品を自らの監督によってやり出した感じだ。もうこうなると 作家的な方向性もクソもないように思えるが、それでもこれほどの大物を引っさげての監督作は久しぶり。おまけに、ミシェル・ファイファーもさすがに寄る年 波のせいか、本家ハリウッドでは近年なかなか主演作がなかったはずではないか。こうなると、デニーロとファイファーという大物同士の共演を単純に楽しめれ ばいいかという気にもなってくる。僕は大した期待もせずに、フラリと劇場に足を運んだわけだ。

ないよう

  いかにもイタリア人といった感じのパパ、ママ、ワタシ、ボク…の4人家族が、今まさに食卓を囲んでいるところ。そこに玄関の呼び鈴の音。パパが玄関に出て 行くと、轟音と共に扉が吹っ飛ばされて即死。殺し屋ロッコ(ジョン・フレダ)がズカズカと家に乗り込んで、あっという間に一家全員皆殺しだ。ロッコは死ん だパパの手をとると、その指を一気に切り落とすのだった…。お話変わって、フランス・ノルマンディー地方の田舎道を、一台のクルマが走っている。クルマに 乗っているのは、夫フレッド・ブレイク(ロバート・ デ・ニーロ)、妻マギー(ミシェル・ファイファー)、娘ベル(ダイアナ・アグロン)、息子ウォーレン(ジョン・ディレオ)の4人家族。しかし、それは世を 忍ぶ仮の姿。本当はフレッドは元の名をジョヴァンニ・マンゾーニといい、FBIに敵や仲間の情報を売ったことでマフィア連中の恨みを買い、保護証人プログ ラムによって正体を隠して暮らす羽目になっている。しかし不慣れなフランス暮らしは性に合わず、いろいろ不具合も起きてなかなか平穏無事には暮らせない。 今日も今日とて前に住んでいた街にいられずに逃げ出して、こうして夜中にクルマを走らせている次第。FBIが用意した新しい暮らしに溶け込むべく、はるば るノルマンディーの田舎町までやって来た。家族は車内に漂う異臭に文句を言い、それを愛犬マラヴィータのせいにしていた。しかし、実はそれは正しくなかっ たのだが…。そんなこんなで、ノルマンディーの田舎町に落ち着いた「ブレイク一家」。とりあえず用意された屋敷に引っ込んで、翌朝から早速、活動開始だ。 子どもたち二人は学校に出かけ、マギーは近所にお買い物。しかし夫フレッドは家から出るなとのお達しだ。どうやらヤバい連中が彼らを捜して嗅ぎ回っている らしい。仕方なく家で時間をつぶすフレッドだが、庭で隣人に声をかけられれば無視もできない。ついつい「自分は作家だ」と語ってしまうが、後で辻褄合わせ に冷や汗をかくことになってしまう。一方、妻のマギーは町のスーパーにやって来るが、店員は外国人に対して横柄だ。おまけにフランス語を分からないと思い 込んで、客たちと一緒にマギーをバカにし始める始末。しかし、これは相手が悪かった。マギーはスーパーの商品を使って、灯油をぶっかけ手製爆弾をこしらえ る。火をつけたマッチをその手製爆弾に投げると、そそくさと店を出るマギー。その直後、激しい爆発で店が吹っ飛んだことは言うまでもない。さて、登校した 息子ウォーレンは、転校生の常として陰湿なイジメに遭う。しかしウォーレンは、頭の出来と度胸が違っていた。あっという間に校内に強力な人間関係と「組 織」を作り上げ、イジメっ子たちはすぐに自分のやった事を後悔させられる羽目になる。その姉ベルは男子生徒たちに誘われ、何度も固辞したのにクルマに乗せ られる。家に送るというのが彼らの言い分だったが、実際にはクルマは湖のほとりへ。そこで酒を呑んでちょっとしたパーティを行い、あわよくば…という魂胆 だ。しかし、残念ながら彼女はそんなに甘くはなかった。テニスラケットで男の子をブチのめすと、唖然とする他の子たちを横目にクルマを拝借して帰って行っ た。そんな「世間並み」が通用する訳もない一家をフォローするのは、、FBI捜査官ロバート・スタンスフィールド(トミー・リー・ジョーンズ) とディチッコ(ジミー・パルンボ)とカプート(ドメニク・ランバルドッツィ)の部下二人。スタンスフィールドはいつも目を光らせているわけにいかないの で、ディチッコとカプートが隣の家でつきっきりで監視だ。それでなくてもヤバイ状況のマンゾーニ…もといブレイク一家だというのに、一向に大人しくしてい てくれないのでスタンスフィールドも持て余し気味。それでもこの一家としては精一杯大人しくしているつもりで何とか頑張っていたのだが、運命のいたずら か。ひょんな事から一家がここノルマンディーに隠れていることが、アメリカの刑務所に収容されているかつてのマフィアの大親分ドン・ ルッケーゼ(スタン・カープ)にバレてしまった。冒頭に出てきた殺し屋ロッコは、この男に雇われていたのだ。早速、一家皆殺しの命令がフランスに飛ん だ…。

みたあと

  元からフランス映画にしてはアメリカ映画色が濃く、ハリウッド映画への傾倒が激しかったリュック・ベッソン。しかし、ここまでハリウッド・スタイルが濃厚 だった作品はなかったのではないだろうか。例えばニューヨークで撮られた「レオン」(1994)は何と言っても中心にジャン・レノがいたし、どこか湿った 雰囲気がまだ残っていた。こうまでフランス臭が薄いのは、宇宙を舞台にしてブルース・ウィリスが主演した「フィフス・エレメント」(1997)ぐらいだろ うか。今回は「レオン」とは逆に舞台はフランスながら、主人公たちはほぼアメリカ人。こんな題材ならアメリカ映画で普通にやりそうだ。元々、過度のアメリ カかぶれが高じたようなベッソンンなら、こうなってもおかしくない。そして、いかにもハリウッドの職人監督が「雇われて」撮るような題材だから、「作家 性」なんぞもまるっきりなさそう。まぁ、こういう映画があってもいいが、功成り名を遂げたはずのベッソンが今頃わざわざやるような題材か…というのも本 音。出来の良し悪しは別にして、例えば「アンジェラ」 (2005)などは御大自ら出馬するに相応しい意気込みが感じられた。じゃあ、「アーサーとミニモイのなんちゃら」とかアウンサン・スーチーとかのどこに ベッソンの作家性があるんだ…と言われると言葉に詰まるが、一体どういう風の吹き回しなんだろうと思ってしまう。なぜ作ったのか?…が分からないのだ。

みどころ
  そんなベッソン御大自ら作るに至った「必然性」は、正直言って最後まで分からない。ただ改めて彼が脚本・プロデュースだけ手がけて作って来た「プレゼン ツ」作品と起用されたハリウッド・スターの顔ぶれを眺めてみると、それらに比べて本作はデニーロ、ファイファー、トミー・リー…と頭一つ抜けたビッグネー ムが揃っているように思える。そういう意味では、今回はベッソン自らが現場で指揮しないと収集つかなかったのではないかなというのが僕の結論。ベッソン子 飼いの若手フランス監督では、超大物スターたちの統率はちょっと荷が重かったのかもしれない。ただし、それが功を奏してか、今回はさすがにメンコの数の違 いを感じさせる余裕綽々の娯楽映画演出となっている。別に個性も作家性も感じられないが、単純素直に面白い。ここまでアメリカナイズされるとハリウッドそ のものが作ればいいじゃないかとは思ったが、マフィア一家を取り囲むフランス人たちの根性の悪さや意地の悪さとかは、フランス人じゃないとここまで語れな いかもしれない(笑)。また冒頭に罪もないイタリア人一家が殺害されるのをアッケラカンと描いたり、悪意やら残酷さを笑いとしてかなりズケズケと出しちゃ う点といい、やっぱりどこか純正ハリウッドとは違う。ベッソン映画では最もハリウッド純正を思わせる構えの作品だったのに、むしろ本作に最もベッソンのフ ランス人気質を感じてしまった。それが何より本作の収穫だと思える。また、最近は本国で開店休業中だったファイファーを、堂々主役級で使ってくれたあたり も嬉しい。久しぶりにベッソン映画に好感を持ってしまった。

さいごのひとこ と

 ベッソンはフランス人がキライなのか。

 

「セブン・サイコパス」

 Seven Psychopaths

Date:2013 / 12/ 23

みるまえ

  これまでも何度かこのサイトで宣言してきたように、僕はコリン・ファレルが好きである。ハリウッド映画で主演を張ることもあるというのに、なぜか隠しきれ ない「安さ」や「情けなさ」が漂う。そんなスターとしてはいささかアレな個性が、ファンとしてはたまらない(笑)。そして放っておいても出演作が年に何本 か確実にやって来るというところも魅力だ。昔のマイケル・ケイン、今のニコラス・ケイジ、ドウェイン・ジョンソン、そしてコリン・ファレルが僕のご贔屓な 理由は、たぶんそのマメな出演歴ゆえだ。そんなコリン・ファレルの主演作が、またまたやって来る。しかもチラシを見たら、やたらメンツが豪華。豪華と言っ てもこの手の映画が好きなヤツしかピンと来ない類の「豪華」さ(笑)でしかないのだが、前出のファレルに加えてサム・ロックウェル 、ウディ・ハレルソン 、クリストファー・ウォーケン 、トム・ウェイツ、オルガ・キュリレンコという個性派揃いの面々。お話は映画の脚本家が「セブン・サイコパス」という題名の脚本を書こうとしていながら遅 々として進まず、業を煮やした友人が新聞に「サイコパス募集!」というケッタイな広告を出してしまう。これは脚本のヒントになれば…という友人の「親切 心」だったのだが、集まってきたサイコパスたちがヤバイことをやらかして来て、収集のつかないことになってしまう…というお話らしい。なかなか面白そうで はないか。その割には前々話題になっていないのだが、ひょっとしたら空前の拾いモノ映画に化ける可能性アリ。というわけで、これも結構前に見ていたのに、 今頃感想文アップというテイタラク。申し訳ない。

ないよう

  映画の都、ハリウッド。その象徴である丘の上の「ハリウッド」の大文字を間近に見ながら、二人の「そのスジ」の男がダムの上で誰かを待っている。彼らの無 駄話から、二人が殺し屋で自分たちが殺すことになっている女を待っているところであることが分かる。ところが二人は、後ろからやって来た赤い仮面の人物に 呆気なく撃ち殺されてしまうではないか。このナゾの人物は、現場にダイヤのジャックのトランプカードを置いて去っていく…。そんな何が起きるか分からない ハリウッドの街で、しがない脚本家稼業を営んでいるのがマーティ(コリン・ファレル)。目下取り組んでいる新作は、「セブン・サイコパス」なる作品。しか しこの脚本、今のところこのタイトルだけしか決まっていない。とりあえずタイトルだけ書いてみたものの、それから長時間アブラ汗垂らしながら追加した文言 は「仏教徒のサイコパス」というものだけ。思い切りスランプで酒浸りになり、同居中の恋人にも苛つかれてしまう。そんな彼を見るに見かねて手を貸してくれ るんだか足を引っ張っているんだか、とにかく周囲にウロチョロ現れるのが、売れない俳優のビリー(サム・ロックウェル)。ついでに言うと、このビリーと マーティの恋人の相性は最悪。ともかくビリーはマーティに「娘を惨殺されたクエーカー教徒がその犯人を追いつめる話」などを教えたりして、何とかヒントを 与えようとする。根はいいヤツなのだが少々空気を読めないのが玉にキズのビリーという男、日頃はどうして生計を立てているのかといえば、ちょっと危なっか しい商売に手を出していた。年老いたハンス(クリストファー・ウォーケン)という男と手を組み、人の飼い犬を誘拐しては後日飼い主の家に届けて謝礼を受け 取るというセコ〜い商売。そんなハンスには闘病中の黒人の愛妻マイラ(リンダ・ブライト・クレイ)がいて、ハンスは毎日彼女が入院している病院に通ってい た。ところがギャングのボスですぐにキレるヤバい人物、チャーリー(ウディ・ハレルソン)が溺愛するワンちゃんをかっぱらってしまったのが運の尽き。これ が思わぬ災いを招いてしまうのだから、世の中は分からない。そんなハンスは犬を血眼になって探しているチャーリーの手下たちに見つかり、さらってきた犬た ちを隠している倉庫に案内させられる羽目になってしまう。そこに間の悪いことにマーティがたまたま居合わせたから、絶体絶命のピンチ。ところがそこに例の 赤い仮面の殺人者が現れ、いきなり手下たちに発砲。そんなドサクサに紛れて、ハンスとマーティは何とかその場を逃げ出すのだった。しかし、これがかえって マズかった。チャーリーはハンスの妻マイラが入院する病院をつきとめ、報復として彼女を血祭りに挙げてしまう。一方、ビリーはマーティを応援しようとタブ ロイド誌に「サイコパス募集!」の広告を出して、問題をさらに複雑化させてしまう。その広告を見てウサギを抱いたザクライアという男(トム・ウェイツ) が、わざわざマーティを訪ねて来るではないか。それからマーティは、ザクライアから世にも奇妙な告白を聞かされるのだった。ところがその頃、ビリーは何と チャーリーの恋人アンジェラ(オルガ・キュリレンコ)相手におイタをしている始末。ところがハンスから電話を受けてマイラ殺害を聞くや、ブチッとキレてア ンジェラを撃ち殺してしまう。そんなこんなで混乱が混乱を呼び、マーティを取り巻くてんやわんやはさらに収集不可能な状況へと陥っていくのだった…。

みたあと

  このストーリー紹介を読んで、どんなお話かお分かりいただけただろうか。まぁ、最初にハッキリ言ってしまうと、この映画は僕が当初予想していたような作品 ではなかった。いや、要素だけとると必ずしも間違ってはいないのだが、出来上がりはだいぶ違う。僕は当初、脚本家のために「サイコパス募集」の広告を出し たらゾロゾロとサイコパス野郎が集まって来て、それが7人のサイコパスだった…というお話かと思っていた。しかし「セブン・サイコパス」は元々脚本につい ていたタイトルで、それは例えば「七人の侍」みたいな「いかにも」のタイトルでしかない。募集広告でサイコパスがゾロゾロ集まって来るわけでもなくて、 やって来たのはせいぜい一人ぐらい。てんやわんやの大半は、この「募集広告」とは無関係に起きていた。これはちょっとチラシの内容は「偽りあり」なんじゃ ないの? そんなわけで、そもそもが予想と違って見ていて戸惑ってしまった本作。実は想定外で調子が狂っちゃうところは、そればかりではないのだった。
こ こからは映画を見てから!

こうすれば
  こういう題材、こういう設定だから、当然のことながらオフビートなすっとぼけた笑い、ブラックな笑いが全編を横溢するような映画になると思っていた。確か にそういう点もあるにはあるのだが、意外なことに途中から笑いの要素は陰を潜めていく。特に戸惑ってしまうのはビリーの変貌ぶりで、途中から妙にシリアス になっていくから驚いてしまう。後半のヤマ場に向かってさらにシッチャカメッチャカになっていくと思いきや、マーティ、ビリー、ハンスで荒野の岩場に立て こもって「最終決戦」に臨むという妙ちきりんな展開。それもビリーが自分の「美学」で暴走しての暴挙である。おまけにお話の後半にはやたらベトナムの僧侶 が平和のために焼身自殺する…というエピソードが持ち出されて来て、これがかなり意味ありげにチラつかされている。僕の感覚がトンチンカンなのかもしれな いので自信はないが、どうやら作り手は「サイコパス」を題材に「非暴力」「平和主義」について語ることでドヤ顔している(笑)ようにも思えるのだ。ネット 上でいろいろ調べてみたら、この作品を妙に持ち上げている向きも数多くいる。だが…いやぁ、悪いが高尚すぎて正直僕には分からん。確かにこれは「ノレるか ノレないか」でかなり評価が変わってしまうのではないか。僕はハッキリ白状しちゃうとまったくノレなかった。お話が破綻しているし、「これって面白いだろ う?」と作り手が独りよがりに見せつけているだけにしか思えなかった。監督のマーティン・マクドナという人は本来は劇作家らしく、前作「ヒットマンズ・レ クイエム」(2008)もそれなりに評価は高かったみたい。確かに凝ったセリフや設定が連発。しかし悪ノリが空回りするタランティーノみたいで、見ていて ツラかった。ここで笑っていいのかどうなのか…ということすら定かでないのである。豪華なメンツもすべて活かされたとは言い難く、オルガ・キュリレンコな どは何のために出てきたか分からない。もったいない作品だ。

さいごのひとこ と

 ひょっとしたらオレのセンスが悪いのかも。

 
 

「悪の法則」

 The Counselor

Date:2013 / 12/ 16

みるまえ

  この映画のポスターやらチラシは、結構前からあちこちで目にしていた。何しろむやみやたらに豪華メンバーだ。ブラピがいる。ペネロペ・クルスとハビエル・ バルデムというスペイン出身二人組がいる。ちょっと峠を越えた観があるものの、まだまだ大物キャメロン・ディアズがいる。そんな豪華キャストのどうやら中 心にいるのが、最近頭角を現してきたとはいえ、いささかセンが細いように思われるマイケル・ファスベンダーってのは少々解せない気もするが、オールス ター・キャスティングであることは間違いない。そんな演技陣を束ねるのが、今や巨匠の風格漂うリドリー・スコットというのもスゴイ。それなのに…なぜ僕は この作品を何だかんだと理由をつけて見に行かなかったのか。自分でもそれが不思議だ。リドリー・スコットの映画はどれも好きなのに、どうしてこの作品には 食指がそそられなかったのか。公開からある程度経ってみると、逆にそれが妙に心に引っかかってきた。そんなわけで、実際には公開も終盤近くの12月半ば近 くに、ようやく重い腰を上げて見に行った次第。

ないよう

  アメリカとメキシコ国境近く。ハイウェイでバイクをすっ飛ばすライダーがいた。その顔は、ヘルメットで見えない。そのバイクの爆音も聞こえて来そうなメキ シコ・フアレスにあるホテルで、弁護士(マイケル・ファスベンダー)と彼の恋人ローラ(ペネロペ・クルス)が昼間から愛を交わし合っている。弁護士は彼女 に夢中だ。オランダのアムステルダムに飛んだ弁護士は、婚約指輪を作るために宝石商(ブルーノ・ガンツ)から美しいダイヤモンドを見せてもらう。一方、メ キシコではバキュームカーのタンクにコカインを収めたドラム缶を据え付け、そこに偽装のために糞尿を流し込んでいる。すっかり本来の姿に戻ったバキューム カーは、まんまと国境を越えていった。そんなメキシコの別の荒野では、金持ちのライナー(ハビエル・バルデム)が恋人マルキナ(キャメロン・ディアス)を 連れてバカンス。ペットの豹に狩りをさせたり乗馬をしたり。どこかクールで精悍な印象のマルキナは、果たして何を考えているのか。その頃、豪華なレストラ ンで弁護士がローラに指輪を渡す。プロポーズだ。幸せ一杯の二人。そんな 弁護士は、ライナーがマルキナと暮らす邸宅にやって来る。どうやら弁護士とライ ナーは、旧知の仲のようだ。そしてさりげなく、話題は弁護士がこれから関わろうとしている「ヤバイ仕事」についての話に移っていく。弁護士はライナーの仲 介でその「仕事」に関わることになっているが、ライナーは「素人がヤバイ仕事に手を出す」危うさについてやんわりと忠告。しかし弁護士は、そんなことは承 知の上とばかりに動じない。ライナーが「そのスジ」の連中が報復のために用いる「道具」…首に一度かかったら頸動脈が切れるまで緩まない「ボリート」とい う装置の悪趣味な話を持ち出しても、ニヤニヤと笑うばかりだ。やがて弁護士は、バーで麻薬の仲買人ウェストリー(ブラッド・ピット)と落ち合う。弁護士が 手を出そうとしていた「ヤバイ仕事」とは麻薬取引のことだ。ここでもウェストリーはさりげなく仕事の危なさ、犯罪組織の情け容赦のなさを弁護士に語るが、 弁護士は思いとどまるつもりもない。その一方で弁護士は「本業」もこなしていて、刑務所に収容されているルース(ロージー・ペレス)に面会して相談に乗っ ていた。何でもルースの息子が交通違反で捕まったらしい。そこで弁護士が「ちょっと手を回して」彼を釈放させようということになった。しかし、それが後々 いろいろな影響を生んでしまうとは、まだこの段階では弁護士も知るよしはなかった…。

みたあと

  豪華なキャストにリドリー・スコット。これで何の文句があるのだ…と言われば、返す言葉もない。しかし僕にだって、不安を感じてしまう理由がない訳ではな かった。いろいろほじくり返して考えてみると…いかに豪華キャストといえども、この顔ぶれはどこか食い合わせが悪い気がした。特に不安材料は、キャメロ ン・ディアズだろうか。そもそもディアズは近年は「上がっちゃった」印象が強い。しかもコメディならいざ知らず、この映画でのコワモテ風のクールな役柄が 合っているとは言い難い。どうしても不安材料にしかならないのだ。おまけに…言いがかりでしかないかもしれないが、ハリウッドでスペイン、ラテン系のキャ ラクターというと、毎度毎度バルデムとペネロペしかいないのか。わざわざ夫婦俳優を、それぞれ別のカップルに バラしてまでキャスティングする必要がある のか。このあたりのキャスティング・センスを見ていると、いかにリドリー・スコット作品といえども作品の品質に一抹の不安が漂ってくる。そして中心にマイ ケル・ファスベンダー。近年は目立つ作品も多いし、リドリー・スコットとは「プロメテウス」(2012)で気心も知れたのかもしれないが、正直言って役者 としてスターとして主役を張るまでの魅力を感じられない。何となく今回のキャスティングには、「やっちまった」観が強くて退いてしまったのだ。映画として は今回の作品、同時多発的にいろいろな場面でいろいろな人物が交錯するという人間群像劇であり、メキシコの麻薬組織という題材も含めてスティーブン・ソ ダーバーグの「トラフィック」(2000)に通じる点も多い作品。どちらかと言えば、僕好みの作品のはずなのだ。こんなイヤな予感がするのが不思議なくら いだ。では、実際のところはどうだったのかと言えば…やっぱり残念な出来栄えと言わざるを得ない。面白くなりそうな要素はてんこ盛りなのだが、それがこと ごとく空回りしているのだ。
ここからは映画を見てから!

こうすれば
  さまざまな人物と事件が交錯するお話ではあるが、突き詰めていけば「犯罪は所詮ド素人の弁護士がよせばいいのに犯罪に手を染めてドツボにハマるお話」にま とめられる。さまざまな人物やエピソードが複雑に交錯するのは、たまたまの運のなさからドツボに陥ってしまうという「運命の皮肉さ」を強調するためだろ う。しかしそこまでやらなくても主人公の「残念さ」は表現できちゃうはずなので、こうしたさまざまな仕掛けは話を回りくどくするだけだ。それは他の要素に も言えることで、例えばハビエル・バルデムが悪趣味に語った首絞め装置が後でブラピを殺す時に使われたり、そのブラピが語った犯罪組織による殺人ポルノビ デオ制作が後にファスベンダーの身に降りかかってきたり…と、一見巧みに伏線が張られているような部分もしかり。そんな「伏線」ミエミエの趣向が「登場人 物の会話にさりげなく出てきて、後で実際に行われてしまう」というカタチで繰り返し二度も出てくるとはいかがなものか。これは、いかにも芸がないではない か。また、少なからず手を汚してきたバルデムとブラピがそれぞれ熟練者として上から目線で主人公に「忠告」するが、結局は揃いも揃って自分たちも自滅する というあたりも、作り手としては「どいつもこいつも分かったようなつもりになっているが、分かってねえんだよな」という皮肉さを描いているつもりなんだろ う。しかしながら作り手までが「上から目線」過ぎるから、観客からは「オマエだって実際は何も分かってないんじゃねえの?」と思いたくなってしまう。作り 手に「スゴイ脚本だろう?」と目配せされているみたいな態度が、見ていてシラケるのだ。おまけにほとんどアメリカ〜メキシコ国境で事足りる話なのに、冒頭 にアムステルダム、終盤にロンドンと無駄にヨーロッパ・ロケをしてスケールアップをしているのも、虚勢を張っているみたいでちょっと恥ずかしい。犯罪素人 が調子こいて自滅…ってだけのショボ〜い話を、主人公本人も真っ青なくらい目一杯背伸びして作っているから恥ずかしいのだ。セリフもいちいち含蓄に富んで いるのだが…含蓄に富みすぎてて気取り過ぎ。メキシコのヤクザが哲学者みたいなことを言うか(笑)? 脚本のコーマック・マッカーシーはコーエン兄弟の「ノーカントリー」(2007)も書いているのだが、そう考えたら合点がいった。「ノーカントリー」も世評の大絶賛にも関わらず、僕は何となく諸手を挙げ てホメる気になれなかったんだよなぁ。あの違和感は、まさにこれと同じだ。一言でいうと気取り過ぎ、カッコつけ過ぎなんだよ。大した話でもないのにもった いつけ過ぎて回りくどくしているから、何だか話がモタモタしてる。リドリー・スコットもこれじゃもたないと思ったか、最近はしばらく見せてなかった初期の 「スタイリッシュな映像」を駆使。張り切ってスモーク焚いて逆光でキラキラ撮っている。それが主人公の弁護士を取り巻くリッチな生活や金持ちライリーの周 辺などをオサレに見せているのだが、元々がお話からして気取っているからこれが逆効果。気取った話に気取った映像じゃイヤミにしかならない。空疎そのもの なのだ。そんな空疎さに、主役マイケル・ファスベンダーの脱臭されたような個性が悲しくマッチしてしまった。本人は何も悪くないのに、「つまんねえヤツ」 にしか見えない。これじゃ「主役のウツワじゃなかったんだね」と思われかねない。おまけに、それが役柄に妙に合っている。まさにお気の毒である。しかし、 最大のキャスティングの誤算は、やっぱりキャメロン・ディアズだろう。クールで打算的。結局みんなボロボロの中でたった一人の「勝ち組」。ペットが豹で身 体にもヒョウ柄のタトゥーを入れている彼女は、目のあたりもネコ科の動物っぽいメイクを入れて完全に「それ」をイメージさせている。精悍で油断ならず冷静 で冷酷というキャラクターを豹のイメージにダブらせての役づくりなんだろうが、あまりに「豹づくし」過ぎて絵に描いたような「バカでも分かる」レベル。こ れはいささか恥ずかしいだろう。おまけに演じるキャメロン・ディアズ自身が元々そんな役柄に合っているかどうか疑問なところに、いいかげんトウが立ちすぎ ている。いいとこ大阪のヒョウ柄好きのオバチャンにしか見えないのは悲惨としか言いようがない。どうしてこんなひどい映画になってしまったのだろう。悲惨 すぎる。

さいごのひとこ と

 バキュームカーのウンコがリアルなのはまいった。


 

「グランド・イリュージョン」

 Now You See Me

Date:2013 / 12/ 16

みるまえ

  それでなくても最近は最新情報に疎い僕なので偉そうに言えないが、この作品のことはまったく知らなかった。いきなり新宿のシネコンでチラシを発見。「ソー シャル・ネットワーク」(2010)でイヤ〜なオタク野郎を演じたジェシー・アンゼンバーグを筆頭に、ウディ・ハレルソンやらマイケル・ケイン、モーガ ン・フリーマンにメラニー・ロランという強力な布陣。お話はどうもドンデン返しの連続みたいな「だまし」や「ハッタリ」に満ちた物語らしい。確かに「グラ ンド・イリュージョン」って題名自体、シルク・ド・ソレイユの興業みたいな大げさな雰囲気がある。ただこういう映画って、すごく期待して見たら大したこと ないってこともザラ。そんなわけで、僕が見に行ったのは公開後かなり経ってから。世間の熱気がすっかり冷めた後でのことだった。それを公開終了すらかなり 前になってしまった今、云々するのも空しいのだが…。

ないよう

  「カードを一枚選んで、それを覚えてくれ」…街頭で例の古典的カード・マジックを演じるのは、若手のマジシャンであるJ・ダニエル・アトラス(ジェシー・ アイゼンバーグ)だ。ただ彼が他の典型的カード・マジシャンと異なるのは、その大げさなところ。彼が指し示したカードの絵柄は、近くのビルの壁面にライト で示されるのだった。ところ変わって…帽子をかぶった中年男メリット・マッキニー(ウディ・ハレルソン)は、ある夫婦者に技を披露しているところ。妻に催 眠術をかけたところで、夫が過去に浮気していた事実を言い当てる。慌てふためいた夫は、メリットの「言い値」を払わない訳にはいかなくなるのだ。さらに舞 台変わって…客で満員のイベント会場では、トランジスタ・グラマーの女マジシャンであるヘンリー・リーブス(アイラ・フィッシャー)のマジックショーが開 幕だ。彼女もまた古典的脱出マジックを披露。彼女が手錠をかけられて入れられた水槽の上には、時間が来ると底が開く仕掛けのピラニアで一杯の水槽が設置さ れている。ところが手違いが発生。ヘンリーが脱出できないうちに、ピラニア一杯の水が彼女の入った水槽にブチまけられてしまった。満員の客の目の前で、水 槽の水は真っ赤に変わってしまう。これは悪夢だと客が驚愕したその時、人々の後ろ側からヘンリーが満面の笑みで出現するではないか。さらに…今度は観光客 で満員の船の上。若いマジシャンであるジャック・ワイルダー(デイブ・フランコ)がスプーン曲げを披露。しかしドヤ顔で見せつけた割には、すぐに客に手品 のタネを見破られてしまう。仕方なく賞金を客に渡して冷や汗で退散…と見せかけて、実はいつの間にか客のサイフをまんまとゲット。客が気づいた時には、 ジャックはすでに船から下りて消えていた…。そんな境遇もキャラクターも芸風も異なる「大道マジシャン」の4人だったが、ある日、なぜか街のど真ん中の古 いアパートへと吸い寄せられるように集まってくる。実は彼ら4人は、それぞれ意味ありげなトランプのカードを送られていた。そのカードに書かれた住所が、 この古いアパートだったのだ。彼らはそれぞれ面識はないまでもその存在は知っている仲だったし、ダニエルとヘンリーはかつて師匠と弟子…いや、それどころ か男女の間柄だったらしい。しかしその結末は決していいものではなかったようで、今回の再会でもヘンリーは非常に冷ややかに対応していた。それはともか く、指定の部屋の前までやって来た4人。ジャックがカギを開けて扉を開くと、中にはがらんとした客間があった。そして手の込んだ仕掛けがスタートし、 4人の前でユニークなプレゼンテーションが行われるのだった…。それから1年後。ここはラスベガスの娯楽の殿堂、MGMグランドホテルのイベントホール。 電撃的に登場した大物新人マジックチーム「ザ・フォー・ホースメン」のデビュー興業が華々しく開催されていた。その「ザ・フォー・ホースメン」こそ、例の ダニエル、メリット、ヘンリー、ジャックの4人だ。次々行われる華麗な技に、観客は魅了されるばかり。4人は彼らを支援してくれた大物興行主のアーサー・ トレスラー(マイケル・ケイン)に感謝を述べると、ショーのフィナーレを宣言。ラストを飾るのは、ダニエルいわく「銀行強盗」だ! 4人はカードで無作為 に観客から協力者をピックアップ。選ばれたのはフランスからやって来た観光客エチエンヌ・フォーシエ(ジョゼ・ガルシア)。彼のパリの取引銀行を聞き出す と、いかにも大げさな機械を彼に装着させた。このシロモノで、エチエンヌをパリの銀行へと瞬間移動させると言うのだ。仰々しい演出の末、エチエンヌは観客 たちの目の前で消滅。しかし装置を通じて、エチエンヌの様子は生中継されていた。彼が今いるのは、巨大な金庫の中。目の前には巨大に積み上げられた札束が あった。そこで天井から凄まじい勢いで空気が吸引され、札束があっという間に吸い上げられていく。それから間もなく、パリの銀行で金庫室に行員たちが駆け つけると、紙幣はすべて消え失せて印が書かれたトランプが一枚置いてあるだけ。一転してラスベガスの例のイベントホールでは、天井から紙幣が雪のように 降ってきた。これには観客も大騒ぎだ。マジックショーは大成功。しかしパリの銀行からは、確かに紙幣が消えていた。こうなると、これはもはや犯罪だ。 FBIの出番である。ホテルで成功の余韻に浸っていた「ザ・フォー・ホースメン」たちは、乗り込んで来た捜査官たちに全員身柄を拘束された。こうして特別 捜査官ディラン・ローズ(マーク・ラファロ)が、この事件の担当として捜査に乗り出した。そんなディランの元に、一人の若い女がやって来る。彼女はイン ターポールのフランス人捜査官アルマ・ドレイ(メラニー・ロラン)。襲われたのがパリの銀行ということで、はるばる海を渡ってやって来た。そうなると無下 に断る訳にいかない。苦虫を噛みつぶしたような顔をしながらも、アルマを相棒にせざるを得ないディランだった。こうして4人をそれぞれ別室に閉じこめて個 別で取り調べするが、どいつもこいつもディランを煙に巻くばかり。ダニエルに至っては、取り調べ室で彼をマジックの餌食にして、バカにするアリサマだ。そ もそも彼らが犯罪を犯したと疑うことは彼らのマジックがホンモノだと見なすことになりかねないのだから、捜査の前提からして苦しい。これにはディランもク サらずにはいられないのだった。こうして4人は、無事に釈放されて意気揚々。FBIはメンツ丸つぶれでコケにされまくることになる。しかし、ディランもや られっぱなしではいられない。おまけに4人が次にニューオルリンズで何かやらかすと宣言している以上、引き下がるわけにはいかない。かくしてディランは、 ある男の元へと足を運ぶ。その男の名はサディアス・ブラッドリー(モーガン・フリーマン)。彼は著名なマジシャンたちのタネを暴き、それをメディアでさら すことをメシのタネとしている男だった…。

みたあと

  実は見るまでストーリーをまったく知らなかったのだが、「シルク・ド・ソレイユの興業みたいなタイトル」ってイメージは間違っていなかった。例えば「ス ティング」(1973)みたいな引っかけ映画じゃなくて、ホントにマジック映画だったのでビックリ。「グランド・イリュージョン」って原題とは似ても似つ かないシロモノだが、日本人としてはこっちの方がピンと来るかもしれない。映画の宣伝コピーは、「この罠<トリック>に騙されるな!」とかなり煽り気味だ が、ダマしとすごいトリックで観客が思いきりキリキリ舞いさせて、見ている間にアレコレ翻弄される映画かと思うと、ちょっと違うのだ。
こ こからは映画を見てから!

みどころ
  何より主人公4人のマジックの規模がデカ過ぎ、ショーアップし過ぎで、見ているこちらがダマされたという気にすらならない。引田天功(どちらかというと初 代)の大魔術が、大規模過ぎちゃってどういうトリックで脱出したかなんてどうでも良くなるのと同じで、「どうやってやったんだ?」とか「ウソかマコト か?」なんてことは気にならなくなってしまう。元より演出され編集されている「映画」という時点でそのトリックがホンモノかどうかなんて事はどうでもよく なるに決まっているのだが、そもそもお話もそうは出来ていない。一応、4人のマジシャンとFBI、それにマジシャンのネタを暴く商売の男…の頭脳戦という 話にはなっているが、そうした「知力」や「緊張」は観客には要求されていない。まるでテレビの引田天功大魔術を子どもの頃テレビで見ていたように、ボケッ とスクリーンを見つめて楽しむような映画なのだ。しかし、それでは「映画としては面白くないじゃないか」…と思われる向きがあるかもしれない。ところがそ れが面白いんだから、映画というものは不思議だ。娯楽映画の楽しさの中には、「安心して楽しめる」という要素も少なからずあるのである。そもそもこの映画 の面白さは、観客が「知力を駆使してトリックを暴く」ところにはない。4人のマジシャンたちが次から次へと胸のすくような活躍ぶりで敵の攻撃をかいくぐり 出し抜く様子を眺める「楽しさ」、劇中で派手にブチかまされるマジックショーをその観客として眺める「楽しさ」、登場人物のポジショニングや真相が二転三 転するのを見ながら翻弄される「楽しさ」…こそがこの映画の魅力なのだ。引田天功大魔術だって、テレビを見ていた人たちはそのトリックがどうなっているの かなんて悩むことなく、ただボケッと目の前のスペクタクル・ショーを眺めて楽しんでいたはず。この映画の楽しみ方も、ほぼそれに近い。そこにキャラクター の魅力と彼らの絡みっぷりを眺める「楽しさ」が加わる。さらには、それを楽しげに演じる豪華な役者たちを見ているのも、この映画の楽しさのひとつだ。そん な粋な楽しさを味あわせてくれる映画を、「トランスポーター」(2002)や「タイタンの戦い」(2010)を撮った、どっちかと言えば「馬鹿力」派と思 われたフランス出身ルイ・レテリエが監督したとは驚いた。こんなセンスがあるとは、これぽっちも思っていなかったからねぇ。もっとも、これはエド・ソロモ ン、ボアズ・イェーキン、エドワード・リコートによる良く練られた脚本のおかげかもしれないが。

さいごのひとこ と

 珍しく続編が期待される。


 

「トランス」

 Trance

Date:2013 / 12/ 16

みるまえ

  ダニー・ボイルの新作である。このダニー・ボイルという人、「トレインスポッティング」(1996)で出てきた時には鮮烈な印象だったが、レオナルド・ ディカプリオ主演の「ザ・ビーチ」(1999)が大不評でガクッと沈んでしまった。ところがゾンビ映画を新機軸で描いた「28日後…」(2002)で再浮 上。その後も中だるみしてきたかなと思っていたら、インドで「スラムドッグ・ミリオネア」(2008)を撮ってオスカーもらって再浮上…と何とも浮き沈み が激しい。さらに先のロンドン・オリンピックでは開会式の総監督も手がけて、またまた世界の注目を集めた。ただ僕は、前作の「127時間」(2010)が かなり「アレ」な話だと聞いていたので見ないでパス。だから、僕としては本作が久々のダニー・ボイル作品ということになる。新作を撮るたびに評価が上下す るのと同じく、作品内容も語り口も大きく変えるボイルが、今回はどのような作品を撮ったのか。僕は大いに期待して、劇場へと駆けつけた。

ないよう

  彼、サイモン・ニュートン(ジェームズ・マカヴォイ)は、美術品のオークションハウスに勤める競売人。そこでは今日も今日とて貴重な美術品が持ち込まれ、 巨額の金で競りにかけられる。ところがその日は、いつもと様子が違った。何者かがオークション会場にガス弾を投げ込んで、大混乱に陥ったのだ。しかし、そ んな時でもサイモンは沈着冷静。いつも訓練しているように、緊急時の対応を行った。すなわち、有名な絵画を持って奥に引っ込み、バッグに収納して金庫へと 向かったのだ。ところが、そこにやって来たのが強盗団のリーダーであるフランク(ヴァンサン・カッセル)。銃を突きつけられ大人しく言うことをきくかと思 いきや、フランクを出し抜こうと無理をするサイモン。これが災いして、サイモンはフランクから後頭部を強打されてしまった。かくしてフランクは絵画の入っ たバッグを持って立ち去り、サイモンは悶絶してその場に倒れてしまう。しかし、フランクも隠れ家に戻ってバッグを開いて唖然。そこには額縁だけが入ってい て、絵画はどこかに消えていた。やがて頭部を傷めたサイモンは病院に収容されるが、意識を取り戻した彼はある事実に気づいて愕然とする。頭を強打した衝撃 で、彼の記憶はすべて失われてしまったのだ。しかし、フランクはそんな事を知るわけもない。とりあえずサイモンが退院するや、手下を使って彼をおびき出 す。そして隠れ家に拉致したサイモンをあの手この手で痛めつけるが、当然の事ながら彼が白状できる訳もない。怒り狂ったフランクは医師を問いつめるが、記 憶が取り戻せるかどうか分からないと聞いてますます怒りはヒートアップ。困り果てたフランクは催眠療法士を使って記憶を呼び覚ますという非常手段を思いつ いた。しかし、誰というアテもない。どの催眠療法士がいいかをサイモン自身に電話帳から選ばせたことからも、フランクの困惑ぶりが伺える。こうして選ばれ たのが、女性の催眠療法士エリザベス・ラム(ロザリオ・ドーソン)。彼女の診療所に単身送り込まれたサイモンは、身体に無線マイクを仕込まれていた。そし てフランクたち一味は、すぐそばに停めたクルマから彼のことを監視。核心に触れる言葉をエリザベスに語ることなく、彼女に失われた記憶を呼び覚ましてもら うという無理難題に取りかかることになった。しかし人間心理のプロであるエリザベスに、その不自然さが見破られないわけがない。彼女は何度かの診察を繰り 返した後にサイモンにツカツカと近寄ると、仕込んであった隠しマイクにデカい声で「バレている」ことを告げた。かくして、フランクたち一味の前に単身乗り 込んできたエリザベス。彼女はフランクたちに協力してサイモンの記憶を回復、その報酬として分け前を受け取ることを提案してきた。ところがこれによって、 サイモン、フランクと一味、そしてエリザベスの関係は二転三転し、複雑に絡み合ってくるのだった…。

みたあと

  こう言っては何だが、ダニー・ボイルという監督、名前は有名ながら僕にはいささかつかみどころのない映画作家に思えてならなかった。それまで個人的にモノ 凄くシンパシーのある作品があった訳でもない上に、作品発表のたびに異なる一面を見せてくるから、どういう人なのかピンと来ない。ディカプリオ主演の異色 サスペンス「ザ・ビーチ」、ゾンビもどきの人類終末映画「28日後…」、宇宙を舞台にしたSFサスペンス「サンシャイン2057」(2007)、インド風味の「スラム ドッグ・ミリオネア」、さらに作品は実際に見ていないがこれまた異色の題材である「127時間」…と、作品そのものはどれも面白く出来上がっているのだ が、およそどんな作家性を持っているのかまるで分からない。僕はどちらかというと「作家性の強い監督の作品」に対しては、その「人柄」を重視するところが ある。だから「どんなヤツなのかからっきし分からない」監督だと、評価のしようもない気がしてしまうのだ。今回も前作、前々作とは打って変わって、失われ た記憶を巡るサスペンス映画という具合。相変わらずウナギのつかみ取りみたいに捉えどころがないなぁ…と思って見ていたが、今回ばかりは見ていて何となく 「既視感」みたいなモノが脳裏をチラついた。催眠療法士エリザベスが主人公サイモンに催眠術をかけるたびに、サイモンの思考が画面に描かれる。その奔放な イメージが、僕の中に確かにどこかで見たような記憶を呼び覚ましたのだ。この豊かでユニークでどこか皮肉なユーモアを伴ったイメージの数々…現実と現像が サンドイッチになって進行していく物語展開。これって…そうだ、間違いない。今でこそ「大家」となったダニー・ボイルの出世作、あの「トレインスポッティ ング」の構成そのものではないか!
こ こからは映画を見てから!

みどころ
  そういや今や泣く子も黙るダニー・ボイルは、あの「トレインスポッティング」で世界的に注目を集めたのだった。その後、ダニー・ボイルがあまりにいろいろ な作品を手がけて来たため、僕はそんなこともスッカリ忘れていた。しかし今いろいろと思い起こしてみると、例えば「ザ・ビーチ」などにその時のイメージの 片鱗は残されていた気がする。そして今回、あの「トレインスポッティング」的な奔放なイメージを、正面切ってサスペンスの原動力としてうまく活かしている のだ。予想もしなかったのだが、ダニー・ボイルは今回久々に彼本来の「トレインスポッティング」の世界にこっそりと立ち戻っているのである。そういえば… 本来コワモテで歯止めがきかないはずのギャング一味が、サイモンの記憶を取り戻さねばならないという大義名分を持ち出されて、なぜか殊勝な顔をして雁首揃 えて催眠術にかけられる羽目になる場面をご覧いただきたい。何ともいえないユーモア漂うこの場面など、「トレインスポッティング」以来の皮肉な笑いが漂う ではないか。どう考えてもナンセンスでおかしい、でも行きがかり上そうしない訳にいかない…本当はコワイ顔をして凄まねばならないギャングのヴァンサン・ カッセルの、何とも困惑した表情を見よ。すっかり偉くなっちゃったために「小回り」がきかなくなったダニー・ボイルが、久々に軽快さと奔放さを取り戻した 観がある。「イースタン・プロミス」(2007)、「ブラック・スワン」(2010)…と、近年は英語圏映画でイイ味出してるヴァンサン・カッセルとい い、なかなか不思議な楽しさなのだ。

こうすれば
  その後、お話はさらに二転三転四転五転。そのあたりは面白いって言えば面白いのだが、最後の真相が明らかになるくだりはどうにかならなかったのか。結局は ロザリオ・ドーソンがゼリフで語っていく「真相告白」。こうにしか出来なかったのだろうな…と理解はするが、それまでの奔放なイメージと溢れるユーモアに 比べて、日本のテレビでやっている二時間サスペンスドラマなみの結末の収まり方には正直ガッカリ。幕切れのラストカットなど、ちょっとシャレていて面白い だけに残念なのだが…。

さいごのひとこ と

 今度はいつ便器の中に飛び込むのかドキドキした。

 

「クロニクル」

 Chronicle

Date:2013 / 12/ 16

みるまえ

  この映画のことは、まったく知らなかった。監督も主演者も知らない人だ。いつの間にか公開されていたが、どうもアメリカ本国でかなり話題になった作品らし い。その好評を受けての、日本での緊急公開ということだろうか。どうやら高校生が主人公で、超能力をテーマにしたSF映画らしい。SFと来れば、僕が見な いわけにいかない。なかなか時間が取れず見に行けなかったが、映画が好評だったらしく続映されていたのが幸い。何とか公開中に見に行くことができた。果た してその内容とは?

ないよう

  ある高校生の男の子が画面に映る。これは彼が撮影しているビデオ映像だ。その男の子アンドリュー・デトマー(デイン・デハーン)は手に入れたばかりのビデ オカメラに話しかけている。これから何でもこのビデオに記録するつもりだと宣言するが、彼の部屋のドアを激しく叩く音がする。彼の父親リチャード(マイケ ル・ケリー)がわめいているのだ。どうやらアンドリューは父親から虐待を受けているらしく、せっかくビデオカメラを手に入れてイイ気分になっていたアンド リューはめっきり暗くなる。それでもこのクズ親父をやり過ごし、アンドリューは部屋から出てくる。母親カレン(ボー・ピーターセン)は、瀕死の病で床に伏 せっていた。そんな息の詰まる家庭。そんなアンドリューを、。従兄のマット・ギャレティ(アレックス・ラッセル)がクルマで迎えに来る。彼はいじけて孤独 なアンドリューの面倒を何かと見てくれているのだ。こうして二人は学校へやって来るが、マットと別れるやいじめっ子がすぐに撮影中のアンドリューを見つけ て痛めつける。校庭でチアガールたちの練習風景を撮っていると、今度は彼女たちから変態呼ばわり。何から何まで巡り合わせが悪いアンドリューではあった。 マットはそんなアンドリューを気にして、その夜に開かれるパーティーへと誘う。アンドリューも最初は渋っていたが、行きがかり上パーティーに行くことに なった。こうしてパーティー会場の屋敷に着いた二人。みんなは大騒ぎする中、アンドリューはひたすらビデオを回す。そこに、なぜか同じようにビデオを回し ているケイシー・レター(アシュリー・ヒンショウ)という女の子がいた。珍しくアンドリューは彼女と言葉を交わす。しかし、それ以外ではやっぱりコミュニ ケーションがとれない。因縁をつけられ殴られる始末。来るんじゃなかったと涙ぐんでしまうアンドリューだった。そこにやって来たのが、二枚目の黒人青年ス ティーブ・モンゴメリー(マイケル・B・ジョーダン)。彼は生徒会長の立候補者でもあり、人気も野心もあるオバマみたいなナイスガイだ。正直言って、アン ドリューとは世界の違う人間でもある。そんな彼がアンドリューを名指しで探していた。それと言うのも、外で何やら面白いモノを見つけたというのだ。つまり は、ビデオで撮って欲しいというのである。嫌々ながらスティーブについて森にやって来ると、そこにはマットも待っていた。やがて森を抜けて空き地に出る と、そこには不思議な穴が空いていた。中からは奇妙な音も聞こえてくる。スティーブは好奇心一杯で、とにかく中に入って調べる気満々。アンドリューは気乗 りしなかったが、カメラを持っているため付き合わざるを得ない。こうしてコワゴワと穴に入っていった3人だが、もう帰ろうかと思ったその矢先、目の前に予 想もしなかったモノが現れる。例の奇妙な音を発しながら、妖しく発光する巨大な結晶体だ。それを見つけたスティーブは、よせばいいのに結晶体に近づいてい く。するとスティーブの額に流れる汗が、その結晶体に吸い寄せられていくではないか。何か尋常ではないことが起きている。ヤバイと3人が思ったその時、結 晶体は激しく発光。ビデオカメラの撮影は途絶した…。それから一夜明けて、3人はとんでもないことに気づく。一体何がどうしたのか分からないが、いつの間 にか彼らには念じただけでモノを動かせる「超能力」が備わっていたのだ…。

みたあと

ど んな映画か知らないで見たのだが、見てビックリ。確かに高校生の話だし、超能力が出てくる。それは間違いないのだが、予想していたどんな映画とも違ってい た。超能力は穴の中にある何だか分からないモノに触れて備わることになっているが、その「モノ」が何であるかについては説明がまったくない。しかも、その 「モノ」は最初に登場したきり二度と出てこない。というか、出てくる必要もないのだ。彼らがなぜ超能力を得たのか、その目的や理由はどうでもいい。その 「能力」によって彼らがどう変わっていったか、そこにしか物語の興味はない。前述のストーリー紹介もほんの冒頭部分だけで、本題はむしろあの後なのだ。そ して映画は、意外にもまたまたあの「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)スタイルで描かれる。カメラ目線の「一人称映像」で語られていくのだ。 これが彼らの「成長」と「変化」、さらに「心の動き」をじっくり見つめていくドラマ構成にピッタリとマッチ。いいかげん手アカがつきまくって飽きられつつ ある「ブレア・ウィッチ」スタイル映画だが、この映画の場合は見事にこの語り口がハマっている。おまけに途中から主人公たちが獲得した超能力のおかげで、 カメラは手で持つことなく自由に空中を舞うようになり、「一人称」カメラの持つ弊害である単調さからも逃れられている。このあたりの作戦は実に巧妙だ。先 日見た「エビデンス/全滅」(2013)でも、「ブレア・ウィッチ」スタイル映画に新鮮味をもたらす試みがなされていたが、この作品はさらにそれを推し進 めたような観がある。  初のお目見えであるジョシュ・トランク監督、なかなかの映像巧者と言うべきだろう。
こ こからは映画を見てから!

みどころ
  超能力を身につけた3人は、徐々にそのパワーを進化させる。そして自分に備わったそのパワーを使うことを、大いにエンジョイする。若い連中だから女の子の スカートをめくったり、勝手に駐車場のクルマを移動させたりと他愛のないことで楽しみ、さらには空中にフワフワ浮かんでキャッチボールしたり…とバカ丸出 し(笑)。その無邪気さがまた楽しい。さらに、孤独ないじめられっ子だった主人公のアンドリューが、他の2人と秘密を共有することで仲良くなり、みんなに 認められる機会を得ていくあたりもほほえましい。ところが、ある事をキッカケにアンドリューと他の2人との間に隔たりが生まれていく。物語はここから急速 に悲劇へと転じていくのだ。結果、3人の中でも最もパワーを持っていたアンドリューは、その力を悪しき方向に持っていってしまう。このあたり、自身も子ど も時代いじめられていた経験があり、ともすればひねくれて歪んだ考えを抱きがちだった自覚がある僕としては、まったく人ごとには思えない。こういう多感な 時期に不用意にスゴイ能力や特権などを手に入れていたら、間違いなく僕も性格を歪ませていたはずだ。逆にいうと、そこで人生を踏み外さずに済んだ僕は、単 にツイていたとしか言いようがない。そんなこんなを考えさせられて、僕はとにかく見ていて身につまされた。そんなテメエのことはさておき…レールを踏み外 し、エスカレートし始めたアンドリューはもう止まらない。こうして映画の終盤に、街のど真ん中で超能力を駆使した戦いが繰り広げられることになる。それは スペクタキュラーな見せ場としても見応えがあるが、何より怒り狂うアンドリューとそれを止めようとするマットとの葛藤があるからこそ、見ている側の心を打 つ。見た目の迫力より何より、そこに描かれている主人公たちの感情こそが大事なのである。「虐げられた者の超能力による怒りの爆発」を「青春映画」という フォーマットで描いているという点では、ある意味では「キャリー」(1976)の男子版という観もある。そんな悲痛で激しい戦いの末にやって来るのは、傷 んだ心を優しく癒すような静かな幕切れ。お話の中盤から張られていた伏線もピタリと決まった、心に残るエンディングだ。この映画が今後ずっと語り継がれる 作品になることは、まず間違いないだろう。

さいごのひとこ と

 スカートめくりでやめときゃよかったのに。


 

「デッドマン・ダウン」

 Dead Man Down

Date:2013 / 12/ 16

みるまえ

  今までもこのサイトで何度か語っていると思うが、僕はコリン・ファレルが大好きである。彼が何となく漂わせている「安さ」や「捨て犬」みたいなショボさが 気に入っているのだ。これはケナしでなくてホメ言葉で。だから新作が来ると都合がつく限り見ているし、映画の出来はイマイチでも彼さえ出てくれば満足して しまうのだ。そんな彼の新作が、またまたやってくる。拳銃を片手に無精ヒゲという貧乏臭さが、何とも彼らしくて嬉しくなる。おまけに共演が今をときめくオ リジナル「ドラゴン・タトゥーの女」ことノオミ・ラパスとくれば、ますます見たくなるではないか。どんな話かは全く見る前に情報を得ていなかったが、どう せ暗黒街の話か何かだろう。僕にとってはコリン・ファレルさえ出ていればオーケー。大して期待もナシに、フラリと見に行ったわけだ。感想文遅くなって、ま ことに申し訳ない。

ないよう

  「家族が出来てからはさぁ、すべてが変わっちまってさぁ」…と、クルマの運転席から外に向かって語るのは、見るからに「そのスジ」の兄ちゃんと分かるダー シー(ドミニク・クーパー)。彼の言葉を黙って聞いているのは、その「同僚」であるヴィクター (コリン・ファレル) だ。ダーシーは赤ん坊が生まれたばかり、そのおかげで壊れかかった女房との仲も戻りつつある。まさに子はかすがいだ。待ち受ける女房子どもの元に駆け寄る ダーシーの姿を、ヴィクターは黙って見つめている。そんなヴィクターは、くだんのダーシーと共にとある犯罪組織の一員だった。しかしヴィクターがボスのア ルフォンス(テレンス・ハワード)の邸宅にやって来ると、ちょっとした「事件」が起きていた。彼らの仲間であるポールという男が、氷漬けで送りつけられて きたのだ。手下たちはみな戦々恐々。アルフォンスも冷静さを欠いている。それというのも、ここ最近、アルフォンスは何者かにずっと脅迫されていたのだっ た。それがついに、「手下の殺害」という実害に及んでしまった。これで完全にキレたアルフォンスは、あるヤクの取引相手が怪しいとにらんで、ヴィクターら 手下を連れてその本拠に殴り込み。アルフォンスはこの取引相手に難癖つけるが、どうも話がかみ合わない。そんなこんなで一触即発。あっという間に銃撃戦の 修羅場だ。そして弾丸が飛び交ったら、こちらだって無傷ではいられない。たちまち劣勢に回ったアルフォンスだったが、そこに現れたのがヴィクター。彼は献 身的な活躍でアルフォンスを救出。かくて、一際ボスの信頼厚い手下となった。しかしヴィクターは、弟分のダーシーが何とか組織内で認められたがっているの と対照的に、この好待遇をさほど喜んでいるようには見えない。常に寡黙で、常に冷静そのもののヴィクターだった。そんなヴィクターが、一人暮らすアパート の部屋に帰ってくる。何の気なしに彼が窓から向かいのアパートを見ていると、そこには地味で孤独そうな女がひとり。ついその女と目が合ってしまって困惑す るヴィクターだが、彼女ベアトリス(ノオミ・ラパス)の顔にはひと目で分かるキズが刻まれていた。そのキズは一体なぜ…? そんなベアトリスが、ある日、 ヴィクターに近づいてくる。そして行きがかり上、ヴィクターはベアトリスとデートすることになった。向かいのアパートの彼女の部屋に迎えに行くと、ベアト リスは母親(イザベル・ユペール)と二人で暮らしていた。そんなベアトリスをクルマに乗せて連れだそうとすると、彼女は彼をある家の前へと連れて行く。そ こでベアトリスは、ヴィクターにとんでもない提案をしてきた。何とヴィクターに、この家に住むある男を殺して欲しいと言うのだ。実はベアトリスはその男が 運転するクルマにはねられ、顔に例のキズを負ってしまった。しかしその男は、大した罰も受けずにのうのうと暮らしている。それが許せないから殺して欲し い…というのがベアトリスの言い分だ。そして彼女は、ヴィクターがある男を殺しているところを目撃していた。ベアトリスは、もしヴィクターが願いを聞かな い場合は、彼を警察に突き出すと脅す。こうなると、ヴィクターに選択の余地はなかった。しかしヴィクターには、ベアトリスだけでなく他の誰もが知らないも うひとつの顔があった…。

みたあと

  情けないことを白状するが、僕が映画館に着いて劇場パンフレットを読むまで気づかなかったことがあった。まことにお恥ずかしい話だが、この作品の監督はノ オミ・ラパスの出世作…いわゆる「オリジナル」の方の「ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女」(2009)を撮ったニールス・アルデン・オプレブだったの だ。おそらくこの映画を見に来た人たちの大半は、むしろ「それ」が目当てなのかもしれない。そもそも「ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女」自体を見てい ない時点で僕は映画ファン失格なので、まったくデカい口は叩けない。まぁ、しかしこの世の映画を全部見るわけにはいかないからねぇ。じゃあ僕は何を目当て に見に来たのかと言えば、前述のようにコリン・ファレルが出ているから。そして、本作はこのファレル筆頭に、地味〜ではあるが「豪華なキャスト」が顔を揃 えているのが見どころだ。まずは先ほども挙げたように、元祖「ドラゴン・タトゥーの女」ことノオミ・ラパス、さらにテレンス・ハワード、ドミニク・クー パー。おまけに、なぜかフランスからイザベル・ユペール。さらに、「アマデウス」(1984)のサリエリ役でオスカー主演男優賞受賞のF・マーレイ・エイ ブラハム。一番ビックリしたのが…わがご贔屓で、「探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!」(1982)、「マンボ・キングス/わが心のマリア」(1992)な どのアーマンド・アサンテが久々に登場してきたこと。僕が「地味に豪華」(笑)と言った意味がお分かりいただけただろうか。こうした異色キャストが顔を揃 えているあたりでもユニークなら、彼らの中にアイルランドやらスウェーデンやらフランスやらイギリス…非アメリカの俳優も数多く混じっているあたりもかな りユニーク。さてはニールス・アルデン・オプレブ、初ハリウッド進出作品でのアウェーな状況を何とか回避しようとして、周囲をハリウッドでは「外様」な連 中で固めたのか。もしそうだとすると、その作戦は見事に功を奏したと言うべきだろう。僕は例の「ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女」を見ていないから ハッキリとは分からないまでも、少なくともこの作品を見ている限りでは、ニールス・アルデン・オプレブが何らかの不自由さを感じながら撮っているとは見え なかった。これは、非英語圏の監督のハリウッド進出作品としては、極めて異例なことだ。この人本来の持ち味が活かされているかは分からないが、少なくとも ユニークなハリウッド映画として楽しめる作品に仕上がっているのである。
ここからは映画を見てから!

みどころ
  普通はハリウッド映画を撮るとなると、何かデラックスにしたくなるもの。その意味では確かにキャストはデラックスになったとはいえ、単に大スターが顔を揃 えたというよりは、一定のセンスというか美意識が働いたキャスティングという気がする。それくらい、どの役者も実に味のある配役なのである。個人的には、 久しぶりのアーマンド・アサンテ登場に涙がチョチョ切れたよ。そしてハリウッド映画なのに、まるでヨーロッパ映画のような暗く沈んだムード。このあたりは 僕はよく分からないが、ニールス・アルデン・オプレブ「らしさ」が活かされたところだろうか。そのせいで、非常に硬質の犯罪サスペンスとして良い味出して いるのである。その一方で、この映画は幸薄なカップルによる恋愛映画ともなっていて、こちらも秀逸。ただ、どちらも暗く硬質な印象なため、お話の展開から いっても救いのない結末に向かっているとしか思えない。巨大な組織に復讐しようと孤独な戦いを挑む男、そしてよせばいいのにそんな男に復讐を頼む女、いわ ば復讐で結びついた男と女。そんな彼らの作戦は、映画の後半に向かってホコロビを見せてくる。こりゃあしょっぱいエンディングになるんだろうな…と、僕は 半ば覚悟しながら見ていたわけだ。ところが映画は、終盤に向けて我々観客の予想を大きく裏切る。もちろん、いい意味で。クライマックスはコリン・ファレル が単身ハデな殴り込み。それまでの緻密さが吹っ飛ぶムチャクチャさ、豪快さ、奔放さ。このあたり、それまでのヨーロッパ・テイストを珍重するみなさんには 複雑なところかもしれないが、この映画はあくまでハリウッド映画なのである。ニールス・アルデン・オプレブはちゃんと、「ダイ・ハード」(1988)ばり のハリウッド映画らしい力業を見せてくれるのだ。というか、これってそもそもハリウッド伝統の西部劇のセオリーではないか。悪党やならず者たちを、じっと 我慢のガンマンたった一人がやっつける…そんな古き良きハリウッド西部劇の臭いが立ち上ってくるではないか。そこから幕切れまで一気にたたみかける展開 は、アッと息を呑む鮮やかさ。しかし冒頭から張り巡らされた伏線が、見事に活かされた幕切れでもある。結局、ヒーローもヒロインも直接元凶であるワルには 手を掛けていない。その手を呪われた血で汚してはいないのだ。このあたりが、何とも粋ではないか。ちゃんと話に筋が通っている。ラストカットのあまりに アッケラカンとした明るさには、例えば「駅馬車」(1939)などのラストに通じるモノすら感じてしまう。つまりはハリウッドの「王道」、まさしく保守本 流。昨今のCG大作やアメコミ映画がハリウッド映画と思っていらっしゃる若いファンは意外だろうが、これが本来のハリウッド映画なのだ。どう見てもヤバく て困難と破滅に向かってまっしぐらの主人公をそのまま破滅させるのでは、僕あたりに言わせればドラマとは言えない。そんなモノはバカでもできる。どう考え ても破滅しそうな主人公を、脚本と演出の手練れのテクニックで、何とかかんとか力づくでハッピーエンディングに持ち込んでこそプロの技だし、ハリウッドの エンターテインメントだと言える。何とスウェーデンから単身乗り込んできた監督が非ハリウッド映画人を多く招いて作った本作、陰鬱でリアルで非情なムード のこの作品こそが、ハリウッド伝統の良質な部分に忠実な出来上がりを見せるとは! コペルニクス的転回で最後の最後に大逆転。天晴れなハッピーエンドに変 貌してしまうのにはビックリだ。自分の流儀をハリウッドに持ち込みながら、ちゃんとハリウッド映画として仕上げるあたり、ニールス・アルデン・オプレブ大 変なサムライだ。大いに感心してしまった。

さいごのひとこ と

 ハリウッド魂はいまや外様映画人にあり 。

 
 

「パッション」

(ブライアン・デパーマ監督作品)

 Phantom

Date:2013 / 12/ 09

みるまえ

  かつてはスピルバーグ、ルーカス、スコセッシらと肩を並べていたこともあったブライアン・デパーマだったが、近年はすっかり鳴りを潜めてしまった観があ る。一時期あまりにヒッチコック・フォロワーとしてのイメージばかりが強烈についてしまったのもよくなかったのかもしれないが、21世紀に入ってからはと にかく成功作に恵まれなかった。特にまずかったのは、かの有名な「ブラック・ダリア」(2006)の映画化作品を手がけながら、それが無惨に終わってし まったことだろうか。血塗られた物語はデパーマお得意の題材と思えて、実はそれってデパーマの本質ではなかったことが痛かった。ドス黒さや得体の知れなさ は実はデパーマの範疇ではない。むしろ洗練やユーモアこそが彼のテリトリーだったのだ。かくして途中一作を挟んでの久々の新作登場まで、6年も時間が空い てしまった。しかもそれがアメリカ資本でなく、フランス・ドイツ合作というカタチでしか実現しないあたりが、現在のデパーマの立場の微妙さを物語ってい る。タイトルもすでにどこかで聞いたようなシロモノ。先行している作品がそれぞれ、「パッション」(1982)はジャン=リュック・ゴダール監督作品、 「パッション」(2004)はメル・ギブソン監督作品…と大物の作品揃いだから、ますますデパーマは分が悪い。とはいえ、やっぱり僕はスピルバーグ、ルー カスらと共に映画を見てきたようなところがあるから、この世代の映画作家には無条件で期待してしまう。一時の元気は消え失せてしまってはいるが、この新作 にも期待しないではいられないのだ。

ないよう

  二人の女がノートパソコンのスクリーンを見つめている。片や野心家のクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)、もう片方はその部下イザベル(ノオミ・ ラパス)。二人は国際的な広告会社のベルリン支社で、あるCMづくりに携わっていた。それはスマホのCMだ。お互いを認め合った理想的な上司と部下の関 係、少なくともイザベルはそう思っていた。そんなイザベルは夜中にアイディアを思いつき、若い助手のダニ(カロリーネ・ヘルフルト)に連絡。二人で新CM のデモ映像を制作する。これぞ会心の出来だ。早速このデモ映像を、クリスティーンの元に持ち込んだイザベル。するとクリスティーンは自分が行くつもりだっ たロンドンでのプレゼンに、代わりにイザベルを行かせることにする。イザベルの同行者は、クリスティーンの愛人でもある同僚のダーク(ポール・アンダーソ ン)。プレゼンは大成功で、イザベルも思わずゴキゲン。勢い余って、ホテルでダークと深い仲になってしまうに至る。おまけに、コトの最中をビデオに撮らせ てしまうウカツさだ。そんなこんなで気をよくしてベルリンに戻ってきたイザベルだが、そこで唖然としてしまう出来事が起きる。わざわざやって来た社長が例 のCMプレゼンを「素晴らしい」とホメたたえると、クリスティーンは「アレは自分のアイディア」と平然と答えたのだ。その結果、クリスティーンはまんまと ニューヨーク本社への栄転を手にしてしまう。唖然呆然のイザベルだったが、そんな彼女にクリスティーンは慌てず騒がず、「ビジネスとはこんなもの」と言い 切る。信頼していた上司だっただけに、イザベルは大きなショックを受けるのだった。必死で自分を抑えるイザベルではあったが、助手のダニはリベンジを提案 する。もとより今回のクリスティーンの仕打ちは腹に据えかねていたし、クリスティーンが作ったCMの修正案の出来は最悪だった。やっぱりこいつにやらせ ちゃダメだ。かくしてイザベルはダニの力を借りて、ネット上に自分の元々のアイディアをアップ。一体誰が本当の功労者かを知らしめた。社長もこれに注目。 クリスティーンは恥をかき、イザベルはまんまと出し抜いたかに思われた。しかし、そこは海千山千のクリスティーン。まずはダークを使ってイザベルを侮辱。 怒り心頭のイザベルは地下駐車場でクルマを柱にぶつけ、ヒステリックに泣き叫ぶ羽目になる。しかも会社のパーティの場で、クリスティーンは監視カメラに 写った地下駐車場の顛末を社員一同の前で披露。完全にイザベルを笑いものにした。そんな陰湿なイジメがどんどんエスカレートしていくにつれ、イザベルの精 神も病んでいく。そしてついに…。

みたあと

  まずは、久々に「らしい」デパーマ映画の登場を喜びたい。先にも述べたが「ブラック・ダリア」は一見デパーマらしい題材に見えて、実はまるで向いてないネ タだった。それと比べると、今回は段違い。ハマっているのである。多少お話は歪んでいても、あのデパーマ節が復活しているので楽しく見ていられる。正直、 今回はこれだけで感想を終わらせてもいいくらいだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  二人の女(そのうち三人の女になるのだが)の葛藤を描いてハラハラ。こんな感触の作品、昔、見たことがあったなぁ…と思って考えてみたら、子どもの頃にテ レビの洋画劇場で何度も見た、ジュリアン・テュヴィヴィエ監督の「悪魔のようなあなた」(1967)みたいなフランスのサスペンス映画に何となく感触が似 ている。でなければ、トリュフォーの「黒衣の花嫁」(1968)や「暗くなるまでこの恋を」(1969)といったサスペンス路線の作品の肌触りにも似てい る感じがする。それもそのはず。実はこの映画ってフランスのアラン・コルノー監督のサスペンス映画を英語でリメイクした作品だというではないか。アラン・ コルノーといえば、「真夜中の刑事 PYTHON357」(1976)や「メナース」(1977)といったイブ・モンタン主演のサスペンス映画で知られる 監督だが、こういう作品も撮っていたのか。ならば、どこかフランスの湿り気が漂うサスペンス映画になっていても何ら不思議はない。そして、先ほどたまたま トリュフォーの名前を出したからフト気づいたが、どこかヒッチコックの影響を受けた作品群という点でも、ブライアン・デパーマとは相性がいいはず。という わけで、久々にデパーマとしては水を得た魚のような感じで撮れたのではないだろうか。レイチェル・マクアダムスは持ち味の「根性悪そうな感じ」(笑)全開で本 領発揮。「プロメテウス」(2012)などアメリカ映画にも進出の元祖“ドラゴン・タトゥーの女”ノオミ・ラパスも堂々たる役どころをこなして、ますます 今後に期待。しかし今回最大の功労者は、「殺しのドレス」(1980)や「ミッドナイト・クロス」(1981)などでも顕著だった流麗なストリングス・サ ウンドをガンガン鳴らした、デパーマ映画お馴染みのピノ・ドナッジオの音楽ではないだろうか。やっぱりこの人が音楽をやらないと、デパーマ映画の気分が出 ないのだ。今回はそれだけでも嬉しかった。

さいごのひとこ と

 ドラゴン・タトゥーの女を怒らせたらダメ。


 

「エリジウム」

 Elysium

Date:2013 / 12/ 09

みるまえ

  南アフリカから忽然と現れた異色SF映画「第9地区」(2009)は、僕ら観客に鮮烈な印象を与えた。そんなことを僕に改めて言われるまでもないと突っぱ ねられそうだが、現在、世界各地で起きている移民問題についての洞察もさることながら、ユーモアもたっぷり。そして何より、熱い男気が最後にたぎるあたり が、凡百の話題作・問題作とは違っていた。むしろ僕は、その「男気」にこそ大いに惹かれた。SF映画を見て「熱い気分」を味わうなんてあまりない。普段は 無骨なアクション映画を見ているようなお兄さんアンちゃんにこそ、この映画を見てもらいたいと思ったものだ。そんな「第9地区」の監督、ニール・ブロムカ ンプの最新作がやって来るとなれば、やはり気にならずにはいられない。しかし案の定、前作でアカデミー賞作品賞ノミネートまで行き着いたからには、新作は ハリウッドで豪華に制作。何しろ主演にはマット・デイモンとジョディ・フォスターが迎えられるという、大幅予算アップの派手な大作となった。しかしながら この人の場合、このデラックス化は果たして吉と出るのか? 題材は何だか格差社会みたいな話で、前作を彷彿とさせる社会派的な切り口も感じられる。しか し、だからこそ…ハリウッド的デラックス化はいかがなものだろうって気にもなる。そんなわけでイヤな予感を感じながら、劇場に足を運んだ次第。

ないよう

 21 世紀末期。世界規模の環境の悪化によって地球人口が激減。そこで富裕層の人間たちだけが、スペース・コロニー「エリジウム」に移住した。 「エリジウム」とは円環状のカタチをした宇宙ステーションで、そこには美しい環境が保たれていた。そこに住む人々は、自宅に自家用の医療ポッドを持ってい た。そこに横たわればすべての医学的な障害や病気は完全に治癒され、人々は半永久的な若さを保つことができる。貧困・争い・病気などの災いからは完全に無 縁でいられる…まさに「エリジウム」は一種の理想郷だった。しかし、そんな「エリジウム」を地上から眺めるばかりの人々もいた。孤児院に入らざるを得な かった幼い子どもたち、マックスという男の子(マックスウェル・ペリー・コットン)とフレイという女の子(ヴァレンティナ・ギロン)もそんな不運な二人 だった。孤児院で二人はいつも一緒だったが、マックスにとっては「エリジウム」は常にあこがれの場所。彼は事あるごとに、フレイに「いつかきっとエリジウ ムへ連れて行く」と語るのだった。そして、幾年月…。「エリジウム」と地上との格差はさらに増大。2154年のロサンゼルスは、まるでゴミためのようなス ラムと化していた。成長したマックス(マット・デイモン)は、大企業アーマダイン社の工場で働く一工員。今朝も工場行きのバスを待つ行列に並んでいると、 ロボット警官が絡んできた。マックスは実はかつて札付きのワルで前科者。そこをロボット警官に目を付けられたわけだ。そんなロボット警官に、マックスはつ いつい元来の反抗的態度をとってしまう。しかしロボット警官には冗談は通じない。結局、腕に容赦ない打撃を食らわされ、警察署への報告を義務づけられる始 末だ。仕方なく病院へと足を運ぶマックス。彼はその病院で、たまたま看護婦をしていた幼馴染のフレイ(アリシー・ブラガ)と再会することになる。再会を喜 ぶ二人だが、何しろ事情が事情だけにマックスはうれしさも中くらいなり。おまけに工場への出勤も遅れてしまい、腕をケガしていたので上司(マイク・ミッ チェル)に解雇をチラつかされてしまう。何とか必死の説得でクビだけは免れたものの、何に対してもイヤとは言えない状況が出来上がってしまった。そんなこ んなで、いつもの職場で働き始めるマックス。彼の仕事は、出来たばかりのアンドロイドに仕上げの放射線を照射する仕事だ。照射ルームに製品を入れたらすぐ に照射ルームから出て、扉を閉めて放射線を当てる。ところがその日はアクシデントが起きた。何かが引っかかって扉が閉まらない。扉が閉まらなければ、危険 な放射線を当てる訳にいかない。マズイ状況だと訴えても、上司は先ほどの一件もあって「自分で何とかしろ」の一点張り。仕方なく照射ルームに自分で入って 引っかかっているモノをはずしたところ、何と扉が自動的に閉まってしまうではないか。慌てて叫ぶマックスだが、今さらプログラムは変えられない。照射ルー ムに閉じ込められたまま、思い切り放射線を浴びる羽目になってしまう…。後で意識を回復したマックスは、たった一人で工場の医療室に横たえられていた。そ んな彼に、医療ロボットは余命は後5日であると宣告する。死ぬまで身体機能が維持できる薬品を渡されたマックスは、ボロボロの体で工場から放り出されるの だった…。一方、そんな底辺の住人たちが右往左往しているのとは対象的に、豊かな生活を享受していた「エリジウム」の住人たち。そんな「エリジウム」の安 全を守っているのが、防衛省長官デラコート(ジョディ・フォスター)だ。彼女は「エリジウム」を外敵から守るべく監視の目を光らせている組織のトップで、 その厳しい目は移民たちにも向けられていた。「エリジウム」に向けて不法難民を満載したシャトルが打ち上げられたことを察知するや、彼女はすぐに容赦ない 断固たる処置を執ることを決意する。そんなデラコートの手駒のひとつが、地球上にいるイカれた傭兵クルーガー(シャールト・コプリー)。クルーガーはデラ コートの連絡を受けるや、お楽しみ中のバーベキューをひっくり返す。そして自らのあばら家から、いきなりロケットランチャーを発射。「エリジウム」目指し て飛行中のシャトルを撃破してしまった。これこそ、「エリジウム」の安全と秩序を守る自分の信念にかなった処置だ…と、デラコートも思っていたのだ。しか し有無を言わせず撃墜するとは…と「エリジウム」を統治するパテル総裁(ファラン・タヒール)はおかんむり。今後あまりに強硬な手段をとるならば更迭す る…とデラコートを威嚇する。だがデラコートに言わせれば、そんなパテルこそ「平和ボケ」の無能総裁だ。そんなデラコートはある日、「エリジウム」の運営 にあたっているアーマダイン社CEOのジョン・カーライル(ウィリアム・フィクナー)に、秘めた本音を吐露するのだった。「エリジウム」統治プログラムを 上書きして変更し、自分が総裁になる手助けをして欲しい、と…。

みたあと

  だれがどう見たって、現実の格差社会のメタファーを描いたとしか思えない「エリジウム」の存在。何とな〜く「アップサイドダウン/重力の恋人」 (2012)やらリメイク版「トータル・リコール」(2012)の設定を連想させてしまうのはご愛敬か。前作「第9地区」がアパルトヘイトや移民問題の 「実感」を見る者に痛烈に突きつけてきたように、ニール・ブロムカンプの新作は基本的に同じスタンスの作品といっていい。前作がヨハネスブルクの汚いスラ ムを舞台にすれば、今回はスラム化した未来のロサンゼルスが舞台。主人公はのっぴきならない状況に追い込まれ、望んでいない戦いに巻き込まれてしまう。そ してラストには、本人が思いもかけない自己犠牲的ヒロイズムを発揮する…。作品としてのパターンがまったく変わらないのだ。そうなると、豪華なスターを主 役に迎えることが出来るようになり、大きな予算を自由に使えるようになった今回の作品は、さらに面白くなっているはず。ところがそうはならないから、映画 というのは不思議なモノだ。
こ こからは映画を見てから!

こうすれば
  細かいことを挙げればいろいろある。何より突っ込みたくなるのは、「エリジウム」の防衛体制があまりにチャチだということだろうか。地上からちょっとアレ な傭兵にロケットランチャーを撃ってもらうのが「守り」って、あまりにズサンじゃないだろうか。そこを無視したとしても、どうしたって無視できない一点が ある。それはエンディングだ。主人公の英雄的行為で、地上の底辺の人々が「エリジウム」の医療マシーンを受けられるようになるし、「エリジウム」本体にも 入れるようになる。それは確かに素晴らしい事には違いない。しかし、そもそも地上があんなスラム化した経緯って、人が増えすぎて環境を破壊したからではな いのか。その根本原因を放置したまま彼らに「エリジウム」を解放するのって、単に地上の危機的状況を「エリジウム」上に広げるだけじゃないのか。別に「特 権階級」だけ助けろと言うわけじゃないが、このラストじゃ何の解決にもなっていない。正直言って、見ていてまったくスッキリしなかった。しかも、一見何か のハッピーエンドに見えるあたり、ひどく薄っぺらな結末だ。主人公マット・デイモンの「犠牲的」ヒロイズムも、前作「第9地区」の主人公の男気と比べると どうもパッとしない。考えてみると前作の主人公は、小市民でテメエ勝手なちっちゃい男でしかなかった。その男が自らのエゴやちっちゃさもさらけ出しなが ら、最後の最後に男気を見せるからグッと来たのだった。ところが本作の主人公は、最初からそう悪いヤツじゃない。テメエ勝手でもちっちゃくもない。やっぱ りハリウッドスターのマット・デイモン様が演じるから、そんなにショボいヤツにはしようがないのだ。だから主人公の落差や成長が描けず、最後の自己犠牲も 盛り上がらなかった。これはどう見てもデラックス化による失敗だろう。それでもマット・デイモンはまだいい。ジョディ・フォスターなど何のために出てきた のか分からない。単に偉そうでイヤなイメージだけ活用されたのだろうか(笑)?

みどころ
  そんなわけでガッカリに近い結果の本作だが、唯一の収穫はこの人…シャールト・コプリー。監督ニール・ブロムカンプの盟友であるこの人、前作の小市民的な イメージとは打って変わって、今回はかなりイッちゃってるヒゲづらの傭兵役。その前にいきなりハリウッドで顔を売っての 「特攻野郎AチームTHE MOVIE」(2010)客演もビックリしたが、出てくるたびにイメージがコロコロ変わる曲者ぶりを発揮。今後がますます楽しみになってきた。

さいごのひとこ と

 蛇足とはまさにこのこと。


 

「エビデンス/全滅」

 Evidence

Date:2013 / 12/ 09

みるまえ

  渋谷の変な映画ばかりやってる映画館で、レイトショーでかかっていた作品。チラシを見ると、溶接工がかぶる金属製のマスクみたいのをかぶったヤツが、バー ナーの炎を振りかざしている絵柄がど〜んと出ている。こりゃあ「13日の金曜日」でお馴染みジェイソンのホッケーマスクみたいなモノか。どうやらホラーか スリラーらしいのだが、内容は不明。ただ、タイトルに「全滅」とはただ事ではない。どんな映画かまったく分からないまま、好奇心だけで見に行った次第。感 想文が遅れに遅れて大変申し訳ない。

ないよう

  アメリカ西部、人っ子ひとりいないド田舎。荒野のど真ん中にポツンと建つ廃墟に、警察の捜査陣が殺到していた。自動車修理工場跡やガソリンスタンドの跡が 並ぶ中、焼け焦げた無残な焼死体がゴロゴロ。切り落とされた腕まで見つかる凄惨な現場で、何人か生存者もいるようだが詳細はまったく分からない。ただちに 女刑事バルケス(ラダ・ミッチェル)が捜査に就くことになり、リース刑事(スティーブン・モイヤー)がそのパートナーに選ばれるが、彼は「ある事件」が あってしばらく現場からはずれていた。それ故、彼の精神状態を危ぶむ向きもないわけではなかった。しかし、リース刑事はやる気満々。ナゾがナゾを呼ぶ事件 だが、解決の鍵は残されたビデオカメラや携帯の映像にあるとにらんだ。それぞれダメージを食らってはいたが、エンジニアのゲイブ(バラク・ハードリー)の 力を借りてこれらを復元。警察署内の映像ルームでスクリーンに上映することになった。さて、その映像とは? まず出てきたのが、女優志望の娘リアン(トー レイ・デヴィート)と映画監督志望の娘レイチェル(ケイトリン・ステイシー)。二人は親友で、いずれリアンがスターとして大成した暁にはレイチェルと組ん ですばらしい作品を作りたい…などと夢を語り合う仲。その夢に向かって着々と進んでいるところだが、想定外の出来事も起きる。リアンの恋人タイラー(ノー ラン・ジェラード・ファンク)が、彼女の舞台の千秋楽に客の前で公開プロポーズをやらかしたこと。みんなやんやの喝采だったが、これからスターを目指すリ アンとしては「結婚」なんてまだ早い。そんな訳で良い返事などできるわけもなかった。しかし彼女たちはラスベガスへ行って一旗揚げるつもりで、その旅の道 連れとしてタイラーにも来て欲しかったようだ。当然、彼としては行きたくもないのだが、出発当日彼女たちに無理矢理つきあわされることになる。そんな一部 始終がビデオ映像として残されているのは、レイチェルがリアンの「無名時代」を記録しておきたいと願ったからだ…。しかし、こんなダラダラした映像を、好 きこのんで見たい奴はいない。まして早く犯人を挙げたいと焦るバルケス刑事は、「サッサと先に飛ばして犯行の場面を見たい」とブーたれる。そんなバルケス 刑事をたしなめたのはリース刑事。彼は「あくまで全部見よう」と主張し、さらに映像を再生させていくことにする。すると、バスは次々と別の乗客を乗せてい く。息子に会いに行くヴィッキーというロシア人の女ダンサー(スヴェトラーナ・メトキナ)、芸人目指している若者スティーブン(アルバート・クオ)…。と ころがそこに、いつの間にか妙なオバチャンが乗っているのに気づいて、刑事たちは騒然。明らかに挙動不審で、デカいバッグを抱えているのも怪しい。不満げ にカメラをにらみつけるのも変だ。このカトリナというオバチャン(デイル・ディッキー)、抱えているバッグを拡大して見てみたら、何と札束がギッシリ詰 まっているではないか。急に色めき立ったバルケス刑事が調べてみると、バッグは軍のもの。さらに名札からフレイシュマンという軍人の持ち物であることが特 定されていく。何でもこの軍人は、イラクで戦争後遺症を煩って退役。カトリナは彼の妻らしい。そしてフレイシュマン自身は居所が分からず、その銀行預金も 下ろされているというではないか。これは怪しい! バルケス刑事はすっかりこのオバチャンを犯人扱いで捜査を勝手に進めるが、リース刑事はあくまで冷静 に、ビデオの続きを見ていくことにした。すると、バスは市街地を抜けて荒野へと入っていく。ところが、道が本来のルートをはずれていくではないか。運転手 (ハリー・J・レニックス)に聞いても「これでいいんだ」と要領を得ない。おかしな雰囲気が車内に立ちこめ始めたその時…なぜかバスがいきなり横転。運転 手と乗客は慌ててバスから這い出す。しかし、周囲には人っ子ひとりいやしない。見ると、少々離れた場所に自動車修理工場とガソリンスタンドの廃墟らしきモ ノがある。そこに行けば連絡できる電話ぐらいあるかもしれない。かくしてバスから逃げ出した彼らは、この廃墟目指して歩く。そして、何人かに分かれて廃墟 内を散策。電話の在処を探そうとした。ビデオを撮り続けるレイチェルも、廃墟の廊下を歩いて暗い奥に入っていこうとしたが、突然、目の前のドアを開けて若 いスティーブンが飛び出す。しかも、彼は血だらけで目もうつろではないか。いきなりの惨事に一同は大パニック。一体、誰が何のために? しかし、それは一 連の惨劇のごくごく始まりに過ぎなかった…。

みたあと

  見始めてすぐに、警察の捜査のために残されたビデオや携帯の映像を見る…という話になって、「ははぁ、なるほど」と合点がいった。見る前はどんな映画だか 正体不明だったこの作品だったが、何のことはない。昨今いろいろなパターンで繰り返し作られている、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)スタ イルの映画ではないか。謎めいた事件が起きて、その当事者たちがたまたま残した映像を再構成して真相に迫る…という疑似ドキュメント・パターンの作品。最 近でも「ダイナソー・プロジェクト」(2012)や「ディアトロフ・インシデント」(2012)などが作られている、お馴染みのパターンの作品なのだ。た だし、この作品はそうした「ブレア・ウィッチ」的要素から構成されてはいるが、実は単にそのスタイルを踏襲しているだけの作品ではない。連続猟奇殺人に巻 き込まれた「被害者」たちが残した映像を、刑事たちが捜査の一環として見ていく…というひとつのフレームがあって、そのワク内に「ブレア・ウィッチ」的パ ターンが展開していく。これによって、「すべてを記録映像だけで構成する」ことによってどうしてもこの手の作品に生じる不自然さが払拭され、映画がこうい うスタイルをとることの必然性が生まれる。それでなくても昨今この手のパターンが多用され、「またかよ」と思われがちなほど陳腐化しているだけに、これは なかなか斬新だし新鮮だ。
こ こからは映画を見てから!

こうすれば
  ならば言うことナシと言いたいところだが、残念ながらそうはいかないのが映画の難しいところ。発想は間違っていなかったのだが、脚本に少なからず難がある のがツライ。まずは、何よりエンディング。本作の犯人は一種の愉快犯ということになるのだろうが、ここまでオープンにしちゃったら今後犯人たちが陽の目を 見ることはあり得ない。そんな理に落ちた解釈はヤボと言われそうだし、犯人は狂ってるからそのへんの判断ができないということも当然あるだろうが、そこま でしてこんな殺しをやらかすだろうか? そして、綿密な計画を建てて行われたにしては、偶然の要素が入るリスクを冒しすぎ。うまくいったのは「たまたま」 に過ぎない気がする。さらに問題なのは、とにかく警察側がアホ過ぎること。ラダ・ミッチェル扮する女刑事は、ほとんど市川崑による「金田一耕助シリーズ」 の警部なみ。「よ〜し、分かった!」とよせばいいのに早とちりしては大恥かく始末。ところが、彼女と対照的に冷静で知的な刑事として出てくるスティーブ ン・モイヤーも彼女に負けず劣らず…というか、考えようによっては知的にカッコつけてるだけもっとバカっぽく見えるミスをやらかしているから困る。いくら 何でもアホ過ぎちゃって見ていて脱力だ。そして…これは脚本の問題ではないのだが、映画の開巻まもなく、ストップモーション映像でカメラがグルングルンと 360度回ってみせる大技ショットが登場。これはどう言えばいいのか…「マトリックス」(1999)の有名な「アレ」と言うよりは、正確にはジョン・トラ ボルタとヒュー・ジャックマン主演「ソードフィッシュ」(2001)の銀行前爆発場面の再現とでも言えばいいのだろうか。かなり印象的な場面ではある。し かし、「何かとんでもないことが起きたらしい」…ってことは伝わるのだが、実は観客には何も正確に伝わっていない。ハッキリ言って、まったく意味がないテ クニックなのだ。にもかかわらず、その後もいくつかの場面で無駄に360度カメラぶん回しを繰り返す。要は大したことない状況を大げさに伝えるための、コ ケ脅しの技法に過ぎないのだ。それもこれも、面白おかしい状況を作り出したいがために無理がありすぎの脚本と、その苦しさを360度カメラ回転でごまかそ うとするオラントゥンデ・オスサンミの苦し紛れの作戦ってことなんだろうか。それでも、手垢がつきまくった「ブレア・ウィッチ」スタイルの作品に新風を吹 き込もうとした志だけは、僕は高く評価してあげたい気がするのだ。

さいごのひとこ と

 「フラッシュダンス」のヒロインが溶接工だったのを思い出した。

 

「カイロ・タイム/異邦人」

 Cairo Time

Date:2013 / 12/ 09

みるまえ

  「エイプリルの七面鳥」(2003)でオスカーの助演女優賞候補に躍り出て、一躍注目されたパトリシア・クラークソン主演のロマンス映画。チラシと予告編 を見る限りでは、夫に会いにエジプトにやって来た彼女が、なかなか夫に会えないうちに現地の男と親しくなり、エジプトのあちこちに足を運んでいるうちに徐 々に深い関係になっていく…といったお話っぽい。まぁ、正直言ってハーレクイン・ロマンスみたいな薄っぺらい内容にしか思えないが、それをおよそ「ロマン ス」に似合わないクラークソンみたいな地味な女優にやらせているのは不思議。どうせいいとこ「観光映画」どまりだろうとは思うが、僕は何より「砂漠」が大 好きなのだった。そんなわけで、砂漠に惹かれてか不思議な雰囲気の予告編に惹かれてか、およそ僕の好みでもない映画を見に行った次第。正直言って今となっ てはストーリーもうろ覚えだが…。

ないよう

  大勢の人で賑わうカイロ空港。そこに、女性誌の編集者ジュリエット(パトリシア・クラークソン)が降り立つ。彼女はパレスチナ自治政府のガザ地区で働く国 連職員の夫マークと待ち合わせ、カイロで休暇を一緒に過ごす予定だった。しかし、空港には夫の姿はない。代わりに、かつて彼の警備担当だったエジプト男性 タレク(アレクサンダー・シディグ)が彼女を迎えにやって来ていた。どうやら夫マークはトラブルでなかなかカイロに来られないらしい。仕方なくタレクにつ いて空港を出てくると、彼の旧知の人物らしい二人の女性たちと遭遇。タレクも彼女たちと親しげに話す。どうやらそのうち片方の女性は、かつてタレクと結婚 の約束をしていたらしい。訳あって二人は結ばれることなく別れたようだが、今度もう片方の女性が結婚することになるとのこと。行きがかり上、タレクだけで なくジュリエットまでその結婚式に招かれることになる。そんなハプニングで始まった、ジュリエットのエジプト訪問。とりあえずホテルにチェックインする が、マークから入った電話連絡は、さらに彼の到着が遅れそうという話。正直言って、気持ちが萎えてくるジュリエットではあった。仕方なく一人で街の散策へ と出かけるが、どうも周囲の様子が変だ。白人女性の独り歩きに、現地の男たちはギラギラと好奇の目を遠慮なく浴びせる。さすがにこれには辟易したジュリ エットは、先ほどタレクから聞かされていた彼の経営する喫茶店へと逃げ込む。そこでタレクは、常連客とチェスに興じていた。しかし、突然の訪問客である ジュリエットに、イヤな顔ひとつ見せずに応対。チェスをその場で打ち切って、彼女を連れて外に繰り出すのであった…。

みたあと

  この映画を見る前に予想していたことは、ほぼ的中していた。ハーレクイン・ロマンス的な内容。確かに間違いなくその通り。ただし、いいトシこいた二人は ハーレクイン・ロマンスみたいにセックスにはなだれ込まない。だんだん親しくなっていくしイイ感じになっていくのだが、結局は「寸止め」で終わる。これは 正直言って男にとって「生殺し」だろう。ここまで「それ」を臭わせて期待させるなら、「やらせるべき」だと言ったら女性のみなさんから怒られてしまうだろ うか。でも、自分の都合でさんざ引き回させておいて、最後に「アレ」はないもんだとエジプト男に同情してしまった。たぶん彼は、あの女のためにそれなりに 散財もしているはず。期待だけさせるなんて性格悪すぎ。一回ぐらいはやらせろよ(笑)。
こ こからは映画を見てから!

みどころ
  いいトシしたオバサンが、観光地に行ってイイ男にフラフラ。おまけにフラッとはするが「寸止め」。そして、あちこち風光明媚な風景を見て回る「観光映画」 でもある。ここまでこの映画の要素を並べてみると、どうにもつまらなくくだらない映画のように見える。ではつまらなかったのかというと…これが不思議な魅 力があったから映画って分からない。エキゾティックな風景に惹かれただけだろうと言われれば、確かにそうだ。それは間違いない。でも、そこには「非日常」 に世界に飛び込んだ時の、不思議な不安と開放感がある。ちょうどアラン・タネールの「白い町で」(1983)のリスボンの描写にも似ている。エジプトのカ イロのあちこちを見て回るヒロインとエジプト男の行動は、先にも述べたように「寸止め」で終わる。しかし「寸止め」に終わるような淡い関係だからこそ、こ の映画はありきたりの「恋愛映画」にならない。「恋愛」が主眼の映画にならないから、「ただあちこち見て回るだけ」のドラマティックな事が起きない映画に なっている。そこが不思議な魅力の所以なのだ。途中にヒロインが貧しい子供たちを何とかしたい…などと西欧的価値観でアレコレ言い出すくだりもあるにはあ るが、それはエジプト男にやんわりと却下される。それどころか、彼女は所詮はファッション記事が売りのペラッペラの女性誌の編集者でしかない…と、これま たさりげな〜くバカにされているのがミソだ。オサレなギョーカイ人の女がリゾートでリゾラバと結ばれて…というハーレクイン・ロマンス風なお話のルーティ ンをなぞっているようで、これまたさりげなくそれを崩しているのが粋なのである。そういう意味では、どこか「ロスト・イン・トランスレーション」 (2003)のカイロ版と言えなくもない。何も起きないけど、日常ではない世界に入り込んでボンヤリする「あの感じ」を、実に淡々と表現しているのであ る。これはヒロインをどこか品のあるパトリシア・クラークソンが演じたこともプラスに働いているのだろう。アラブ出身でカナダ人のルバ・ナッダという女性 監督が撮ったからこそ、ここで描かれたエジプトが妙に「好奇の目」で描かれなかったとも言える。全然期待しないで見に行ったから、これは拾いモノだった。

さいごのひとこ と

 今のエジプトじゃ、こうも淡々とはしないだろうが。


 

「ファントム/開戦前夜」

 Phantom

Date:2013 / 12/ 02

みるまえ

  時は米ソ冷戦下、ソ連原潜で起きた第三次世界大戦一触即発の事態を描いた作品。主演はエド・ハリス。これだけ聞けば、映画ファンなら思わず反応してしま う。潜水艦映画には傑作が多いし、今だから語れる旧ソ連軍の秘話という点にも惹かれる。しかもソ連軍人にエド・ハリスってのがポイント高い。軍人やらせ りゃピカイチ。それも、今まではどちらかというとアメリカのタカ派軍人のイメージが強かったが、ソ連軍というのは考えていなかった。それはそれでハマれば イイ感じではないか。共演がテレビ「Xファイル」のデビッド・ドゥカブニーというのはハッキリ言ってどうでもいいが、この映画は見ないわけにいかない。そ んなわけで公開直後に映画館に飛び込んだ。それなのにその感想文がこんなに遅れたのは…。

ないよう

 1968 年、カムチャッカにあるソ連リバチー海軍基地。長い航海から戻ったばかりのデミトリー・ズボフ艦長(エド・ハリス)は、司令官マルコフ(ランス・ヘンリク セン)の部屋に呼ばれる。そこでマルコフは、中国海軍に払い下げられる予定の老朽潜水艦B-67最後の偵察航海を命じる。戻ったばかりでさすがにキツイと ころだが、上官の命令とあらば聞かぬわけにはいかない。デミトリーは酒場でハメをはずし始めた自分の艦のクルーたちのもとに赴き、事の次第を伝える。あま りにあんまりな命令に唖然とする部下たちだったが、信頼するデミトリーのためにみんな腹をくくった。中には結婚を控えた乗組員もいたが、慌ただしく式だけ 挙げて指輪を取り交わして基地へと戻った。こうしてB-67の出航準備が突貫作業で進められるが、今回は「いつも」のクルー以外に何人かの新顔が乗り込む ことになった。中でも異彩を放っていたのが、秘密兵器の試作装置「ファントム」の実験のために乗り込んできた技術者ブルニー(デビッド・ドゥカブニー)と ガーリン(デレク・マジャール)。特にブルニーは以前デミトリーと会ったことがあると挑戦的な態度で迫る。デミトリーは思い当たるフシはないものの、何と も不穏なモノを感じずにはいられなかった。さらにデミトリーには、外洋に出るまで開封を禁じられた指令書が渡されるという異様さ。そんなデミトリーには、 人に言えない悩みがあった。過去に何らかの潜水艦事故に遭遇したらしく、時折そのトラウマに襲われてしまうのだ。そんな諸々の不安と異常事態の中でB- 67は出港していったが、それを見届けたマルコフは一人ひっそりとピストル自殺を図るのだった…。

みたあと

  まるっきりお話の冒頭だけのストーリー紹介になってしまったが、ここから先は実物をご覧いただくのが一番。潜水艦映画には傑作が多いと僕は前述したが、実 際のところ「U・ボート」(1981)、「クリムゾン・タイド」(1995)、「U-571」(2000)、「ビロウ」(2002)、「K-19」 (2002)などなど手に汗握る作品ばかり。そしてエド・ハリスと来ればあの「アビス」(1989)があるので、これまた深海や水中はお手のもの(笑)。 これはもう面白くなること間違いなしの企画なのだ。そこへ来て、僕は元々が旧ソ連ネタが大好き。これはもうご馳走としか思えない。唯一引っかかるのがデ ビッド・ドゥカブニーの存在で、僕は「Xファイル」を見ていなかったせいか、どうもこの俳優が生理的に好きになれない。劇場映画に進出しての「エボリュー ショ」(2001)も、何となく好感が持てない印象だった。その一点を除けば、この映画もなかなかイケるんではないか? 何となくイヤ〜な予感の幕開け から、たちまち目が離せなくなるのだ。
ここからは映画を見てから!

みどころ
  航海に出るや早速問題が勃発。イヤ〜な感じのドゥカブニーが本性を丸出しにして迫ってくる。なるほど〜、だからドゥカブニーだったのか。僕は元々キライ だったドゥカブニーだから妙に納得だ(笑)。そこから先は敵艦に遭遇しての緊張感に富んだ瞬間など、潜水艦映画お約束のスリリングな場面もあってゴキゲ ン。お話としては狂信者のおかげで第三次大戦の危機となる展開で、潜水艦の主導権争いが起きる「クリムソン・タイド」的なお話となるが、キャスティングが 地味なこともあってか残念ながらあっちほど大作感がない。ただしスケール感はないが、その地味さがリアリティにもつながっていて、なるほど「実話」だわ い…と思わされるので必ずしも悪いわけではない。そもそもエド・ハリス主演な時点で「質実剛健」な感じが濃厚なので、この映画の身の丈には合っている感じ なのだ。あくまで地味な小粒映画なのだが、そこがこの映画の魅力でもあるわけだ。唯一文句をつけるとすれば、秘密兵器「ファントム」があまり活かされな かったことか。わざわざ題名に据えるほどには、出てくる必然性が感じられないシロモノなのである。そして本作でユニークなのは幕切れの描き方で、何と主人 公たちは「自分たちが死んでしまった」ということを知る。つまり、ラストには幽霊として画面に出てくるのだ。これは珍しい描き方ではないか。ただし、僕は この手の映画で、すでに「幽霊」を出した先例を知っている。それは韓国映画の「ユリョン」(1999)だ。日本に対して核攻撃を行おうとする韓国の秘密の 原潜のお話。結局それを阻止しようとする主人公たちと反乱側との争いとなって原潜は破壊され、主人公は艦そのものと共に海の藻屑となる。そんな映画のス トーリーは、もはや水死体となった主人公の回想から始まるという不思議な設定だ。ところがこの水死体が語る…という趣向はかつての日本映画「太平洋の嵐」 (1960)にもあって、空母が沈没して遺体となった乗組員の三船敏郎と田崎潤が海底で語り合うという、世にも奇妙な場面が忘れがたい。おそらく「ユリョ ン」の「水死体が語る」という発想は、この「太平洋の嵐」によるものではないか。そして核攻撃の危機、原潜での主導権争い…という共通点から考えて、本作 のラストで「幽霊」が登場するのは韓国映画「ユリョン」を本作の関係者の誰かが目にしたからかもしれない。そもそも「ユリョン」=「幽霊」=「ファント ム」という意味という時点で十分怪しいではないか。とても無関係とは考えにくいほど、それはユニークな発想なのだ。なかなか面白い本作の監督は、「ロン リーハー」(2006)という今ひとつな映画を作っているトッド・ロビンソン。今回はスケール感こそ出なかったものの、地味〜に抑えた感じで手堅く作っ ているのがよかった。

さいごのひとこ と

 「ファントム」って題名の由来はラストから?。


 

「ウルヴァリンSAMURAI」

 The Wolverine

Date:2013 / 12/ 02

みるまえ

  僕はブライアン・シンガーが撮った「X-メン」(2000)、「X-メン2」(2003)が大好き。しかしそのシリーズも、「X-MEN ファイナルディ シジョン」(2006)でショボくれて来たのにはガッカリだった。だからシリーズきっての人気キャラ「ウルヴァリン」を前面に出したスピンオフ作品「ウル ヴァリン: X-MEN ZERO」(2009)にも、まったく食指が動かなかった。当然それの「好評につき第2弾」についても興味がわくわけがなかったのだが、ここでまさかの日 本ロケ作品が登場しようとは…。まぁ全身刃物のウルヴァリンが、サムライの国・日本へ行くという発想そのものは悪くない。絶対にトンデモ映画なんだろう が、僕はそんなトンデモ映画…分けても日本を描いたトンデモ映画は大好物だから、「47 RONIN」と本作は楽しみで仕方なかった。「よせばいいのにハリウッド進出」の真田広之もお約束の出演(笑)。ただし、「がんばれ!ベアーズ大旋風」 (1978)とか「ベスト・キッド2」(1986)、「ロボコップ3」(1993)あたりのように、シリーズものって「日本」が舞台になったりチラつくよ うになったりすると、たちまちおかしくなるジンクスもある。果たしてウルヴァリンはどうなるか? 僕はワクワクドキドキしながら、劇場に足を運んだのだっ た。

ないよう

  太平洋戦争も終末に近い1945年8月9日、ここは日本の長崎。運命を変えるB-52爆撃機が、その上空に飛来。空襲警報が鳴って人々が逃げまどうなか、 若き日本兵の矢志田(山村賢)は必死で捕虜たちを逃がそうとしていた。広島を焦土と化した新型爆弾のウワサはここ長崎にも伝わっていたので、他の日本兵た ちはすでに必死に逃げていた。それなのに矢志田は、捕虜たちを逃がすことに一生懸命。そんな彼は、最後に封印された井戸へと目をやる。そこには、世にも奇 妙な捕虜が閉じこめられていた。それは要注意の危険人物、知る人ぞ知るウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)だ。矢志田はウルヴァリンの鎖を切って外に出 そうとするが、ウルヴァリンは逆に矢志田を井戸の中へと誘う。ウルヴァリンには、すでにこの新型爆弾の威力が分かっていた。今さら逃げても間に合わない。 爆弾はすでに爆撃機から投下された。慌てて井戸の中へと逃げる矢志田。ウルヴァリンは井戸の中に入った矢志田の盾となって、原子爆弾の爆風や熱線を必死に 防いでくれた。やがて爆風は止んで周囲は静まりかえるが、おそるおそる見上げた矢志田の目の前で、焼けただれたはずのウルヴァリンの身体は見る見るうちに 回復するではないか。そう、ヤツは不死身なのだ! その時、パッとウルヴァリンは夢から目覚める。彼の傍らにはXメン仲間のジーン・グレイ(ファムケ・ヤ ンセン)が横になっていた。しかしジーン・グレイと抱き合ったウルヴァリンの超金属の爪が、彼女の身体を刺し貫いているではないか。たちまちジーン・グレ イは血まみれ。思わず悲鳴を上げてしまうウルヴァリン。しかし、それもまたウルヴァリンの悪夢だった。愛するジーン・グレイを自らの手で葬らねばならな かったウルヴァリンは、いまだそのトラウマから立ち直ることが出来ていなかった。しかも彼は死ぬことが出来ない身。それは、癒えない心の傷が永遠に続くこ とを意味していた。そんな彼が目覚めたのは、カナダはユーコンのど田舎。ヒゲも生やし放題で汚らしい風体。たまに町に下りてラジオの電池を買う以外は、森 の中で世捨て人のように暮らしていた。そんなある夜、生き物の鳴き声を聞きつけるウルヴァリン。駆けつけてみると、破壊されたキャンプ跡があった。そこに は、矢を数本受けて苦しむ大きなクマの姿。その直後、町の酒場へとやって来るウルヴァリンの姿があった。酒場には素人ハンターたちがいて、クマをやっつけ た「武勇談」に花を咲かせている真っ最中。キレたウルヴァリンは禁じられた毒矢を用いたハンターたちを痛めつけ、今にもトドメを刺さんばかりに怒り狂っ た。しかし、そこに一人の女が割って入る。それは珍しい赤毛の東洋女…ユキオ(福島リラ)という若い日本人女性だ。彼女は日本刀でハンターたちを威圧する と、ウルヴァリンを連れて酒場を出る。そしてクルマにウルヴァリンを乗せて、いずこへか彼を連れて行くのだった。人の死を予知できると語る彼女の目的とは 何か? 実は70年前にウルヴァリンが救った矢志田という男が、死の床にある今、恩を返すためにウルヴァリンを探しているのだという。そんな話を言われて は無下に断ることもできない。ウルヴァリンは嫌々ながら、ユキオに連れられて東京まで行くハメになってしまう。こうしてやって来た東京の街。ユキオとウル ヴァリンは早速、矢志田の豪邸に足を運ぶ。しかし矢志田を診ているグリーン博士(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)と矢志田の孫娘・真理子(TAO=岡本 多緒)は、ウルヴァリンの訪問を快く迎えてはくれなかった。何しろ世捨て人だから汚い。病人に会わせるなりではないのだ。こうしてウルヴァリンは屋敷の女 たちに無理矢理風呂に入れられ、全身をくまなく洗われることになる。こうしてようやく対面できた病床の矢志田(ハル・ヤマノウチ)は、ウルヴァリンに驚く べき提案をするのだった。「あの時の恩返しとして、あなたの命を“限りあるもの”に変えてあげよう。私たちの財力と技術なら、それができる」…。

みたあと

  何と驚くべきことに、今回の作品の監督はジェームズ・マンゴールドではないか。僕は実際に見に行くまで、迂闊にもそれに気づかなかった。どうせどこかの ポッと出の監督が、トンデモ日本ロケ作品を押しつけられたのだろうと思っていた(笑)。それなりの実績を持つマンゴールドが、何でまたこんなシリーズ映画 を引き受けたのかが分からなかった。そもそもマンゴールドという人、それなりに知られた作品歴の持ち主ながら、そのフィルモグラフィーはイマイチつかみど ころがない。アンジェリーナ・ジョリーがアカデミー助演女優賞を受賞した「17歳のカルテ」(1999)、デニーロ、レイ・リオッタ、ハーベイ・カイテル に混じってスタローンが主演し「演技開眼」した「コップランド」(1997)、さらにはジョン・キューザック主演のサスペンス・スリラー「“アイデンティ ティー”」(2003)、トム・クルーズとキャメロン・ディアズ共演のアクション・コメディ「ナイト&デイ」(2010)…と、見事なまでに一貫性ゼロ。 まるで映画作家としての立ち位置やモチベーションが想像できない。今回だって、それなりに地位を確立した監督にしては、何が悲しくてシリーズ映画のトンデ モ日本ロケによる「番外編」。人がいいから何でも引き受けちゃうのか、よく分からない人だ。よく分からないといえば真田広之。近年すっかり外国映画でしか 見なくなっちゃったけど、どうしてこうなってしまったのか。チェン・カイコーの「PROMISE」(2005)やジェームズ・アイボリーの「上海の伯爵夫 人」(2005)、「最終目的地」(2007)など「結果を残した」作品もあるにはあるのだが、それ以外は「ラッシュアワー3」(2007)、「サンシャ イン2057」(2007)、「スピード・レーサー」(2008)と悲惨なフィルモグラフィーが並ぶ。近年は特にただただ外国映画なら何でもいいとばかり の出演ぶり。何かヘンだよねぇ。やはりアカデミー賞の助演男優賞で渡辺謙がノミネートされた時、なまじっか真田主演の「たそがれ清兵衛」も外国語映画賞に ノミネートされたのがマズかったのか。結果どちらも賞を取れなかったものの、渡辺謙は個人でノミネートされていたから爪痕は残せた。同じ「ラストサムラ イ」(2003)に出演していただけに、真田としてはプライドが許さなかったのか。その後の髪振り乱さんばかりの「国際スター」ぶりは、正直痛々しい気が して見ていてツライのだ。こんなのが役者としての目指す目的だったわけじゃないだろう。こう言っちゃ申し訳ないが、すっかり人生足を踏み外しちゃったよう にしか見えないのだ。

こうすれば
  そんな真田氏の今回の役どころが、またまた悲惨極まりない。大富豪である矢志田の息子・信玄という役。「信玄」という時点でもうアレなわけ(笑)だが、な ぜか父親からその財力と権力の後継者とは見なされず、すべての資産を自分の娘である真理子が相続することになってしまう。かくして信玄は自分の娘をひが み、ねたみ、命を奪おうとまでするというテイタラク。いや〜、これは情けないとしか言いようがない。こんな役でもハリウッド進出したいのだろうか。そもそ もトシとともに恰幅がよくなるタイプでもないみたいで、ただただ人間としてのキャパが狭い男にしか見えない。側近に対して威張り散らし怒鳴りまくる姿は、 男としてみっともないの一言。悪役だってもうちょっと威厳や美学があるだろうに、これはいくら何でもマズイと思う。この人って脚本が読めてないのか。最後 には得意のアクションを見せるウルヴァリンとの戦いがあるとはいえ、そこでもヨロイなんか着ちゃって完全にチンドン屋かピエロ(笑)。ホントいいとこナシ でかわいそうになる。あまりにひどい事ばかり書いてしまって申し訳ない気持ちになるが、本当だったらいい役者さんだっただけに残念なのだ。

みどころ
そ んな真田広之の残念さはさておき、映画そのものはすこぶる面白い。これもやっぱりトンデモ日本もの映画なのだが、トンデモはトンデモなりに面白いのだ。芝 の増上寺でロケした場面の大がかりな撮影はなかなか楽しませてくれるし、走行中の新幹線の屋根で展開するアクションも凄まじい。日本トンデモ映画の怪作、 クリストファー・ランバート主演の「ハンテッド」(1995)でも忍者軍団による新幹線での大殺戮シーンが出てきて度肝を抜かれたが、今回の作品も新幹線 を使った映画として出色の出来。何しろ今回は3Dだから、迫力がハンパないのだ。そんなこんなで、ラストの巨大ロボとの大立ち回りまでたっぷり楽しませて もらった。するとエンディングに、マーベルのアメコミ映画ですっかりおなじみになった「次回予告」みたいなオマケ場面が登場。なかなか気になる展開ではな いか。一度は飽きてしまった「X-メン」の世界に、またまた引き戻されそうな予感がした。そんなわけで僕は大いに楽しませてもらった本作。「歩く刃物」と でも言うべきウルヴァリンが「サムライの国」に行くという企画はやはり抜群(ただし、この設定はすでに原作コミックにあるらしい)。だが、果たして僕ほど 日本トンデモ映画というジャンルに寛容ではないみなさんに、同じくらい楽しんでいただけるかどうかは分からないところ。ま、良くも悪くも「マンガ」なので ある。

さいごのひとこ と

 ナントカと刃物は使いよう。


 

「ランナウェイ/逃亡者」

 The Company You Keep

Date:2013 / 12/ 02

みるまえ

  ロバート・レッドフォード作品と聞いて、ありがたがる人が果たして今どれくらいいることか。僕がレッドフォードで感心した最後の作品は、ブラピと共演の「スパイ・ゲーム」(2001)だろうか。その後は無理な整形をして目の表情が変わってしまったりして、痛々しくて見ていられないような存在になってし まったし、見るべき作品も公開されなかった感じ。たまに映画に出てもヤケにひっそりと公開されたりして、すっかり過去の人になってしまった。ちょっと前に 公開された久々の監督主演作「大いなる陰謀」(2007)も、トム・クルーズやメリル・ストリープを動員した万全の体制ながら、映画自体はボロボロ。アメ リカの中東政策批判みたいなメッセージは分かるのだが、それを言いたいという気持ちが先行して映画としてはやたらに生硬な印象だった。こりゃあレッド フォードもいよいよ「上がり」かなという風に思っていたのだが、どっこい「ハリウッドの帝王」は終わっちゃいなかった。またまた政治色の強い監督主演作を 引っさげて帰ってきた。おまけに周囲をスーザン・サランドン、テレンス・ハワード、ニック・ノルティ、クリス・クーパー、サム・エリオット、ジュリー・ク リスティ…そして、さほど魅力が感じられない俳優なのに「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(2008)や「ウォール・ストリート」 (2010)となぜか重宝される若手代表シャイア・ラブーフといった布陣で固める。これだけのオールスターでレッドフォード作品ともなれば、映画ファンと しては見ないわけにはいかないではないか。ただ、これだけの豪華キャストの作品にも関わらず、「馬から落ちて落馬」…みたいな何とも投げヤリな邦題は何とかならなかったのか。さらに、公開はいたってヒッソリ…というあたりが不安材料ではあるの だが…。

ないよう

 1970 年代、アメリカは高まるベトナム戦争反対の声の中、国論を二分されていた。連日行われるデモや学生・市民による反対運動。中でも過激な手段に訴えていたの が、過激派グループ「ウェザーマン」たちだった。彼らは連続爆破事件を起こしたあげく、1980年にはミシガン州の銀行を襲って警備員を殺害。メンバーの うち3人は、この時の罪で指名手配された。彼らは地下に潜って行方知れずとなり、それから30年余の歳月が流れた。そんなある日のこと、ニューヨーク州の 郊外にある中流階級の家。平凡な主婦として暮らしているシャロン・ソラーズ(スーザン・サランドン)は、台所で炊事をしながら何かを決意した表情を見せ た。彼女はその後、クルマに乗っていずこかへと出かけていったが、途中ガソリンスタンドに寄ったところ、突然周囲からFBIが駆けつけていきなり身柄を拘 束。あっという間に逮捕されてしまう。実は彼女は、30年以上前に手配されていた例の「ウェザーマン」メンバーのうちの一人だったのだ。それが30年以上 潜伏して、平凡な主婦として毎日を暮らしていた…。そんなシャロン・ソラーズ逮捕のニュースを、複雑な思いで受け止める人物がひとり。オールバニーで弁護 士をしている、ジム・グラント(ロバート・レッドフォード)だ。彼は妻に先立たれて幼い娘イザベル(ジャッキー・エヴァンコ)を男手ひとつで育てている 「良きアメリカ人」。しかし、その正体は…。その頃、同じニュースに大いに発憤している若い男もいた。彼は地元新聞社「オールバニータイムズ」の若手記者 ベン・シェパード(シャイア・ラブーフ)。編集長レイ・フラー(スタンリー・トゥッチ)から事件を追えとドヤしつけられ、かつての恋人でFBI捜査官ダイ アナ(アナ・ケンドリック)にねじ込み、手がかりを提供してもらう。そこで浮上してきたビリー・クシマノ(スティーヴン・ルート)という男にコンタクトを とってみると、彼はまたジム・グラントという弁護士の名前を漏らしてしまった。勢いづいたベンはジム・グラントに連絡をとるが、電話を切られたために直接 押しかける。「シャロンとは何の接触もない」と剣もほろろな対応のグラントだったが、ベンは一向に気にしない。彼が指名手配「ウェザーマン」メンバーの ニック・スローンであると確信したベンは、それを記事に書く。これが新聞に発表されれば、当然のことながらジムは正体がバレて追われる身だ。観念したジム は娘イザベルを連れて自宅を脱出。ニューヨークまでクルマを走らせ、途中で長年連絡を絶っていた弟ダニエル(クリス・クーパー)とコンタクトをとった。ジ ムとイザベルはニューヨークのホテルに投宿。ベッドで眠ったイザベルを置いたまま、ジムはそっと部屋を出て行く。やがてホテルにやって来たダニエルは、事 前に聞いていた通りにロビーで部屋のカギを入手。ところが例のダイアナの上司コーネリアス(テレンス・ハワード)が指揮するFBIの一団が、ダニエルを尾 行してホテルまでやって来た。絶体絶命の危機に直面したジム=ニックだが、慌てず騒がず火災報知機を作動させ、ホテル内の混乱に乗じて脱出。このあたり、 さすが往年の「ウェザーマン」時代を思わせる手際の良さだ。こうして娘を手放して単独行動に出たジム=ニックは、他の「ウェザーマン」メンバーに接触する ために動き始めた…。

みたあと

  いやはや、まさに豪華である。監督主演で八面六臂の活躍を見せるレッドフォードを囲むキャストは先に挙げた連中だけでなく、他にもリチャード・ジェンキン ス、ブレンダン・グリーソン、スタンリー・トゥッチ…などという名脇役まで動員。何と「マイレージ、マイライフ」(2009)で頭デッカチの新人「解雇 屋」を演じて注目されたばかりの新進女優アナ・ケンドリックまで出てくるから驚いた。場面が変わるたびに、見知った顔が次々と登場するのである。ハッキリ 言って過剰なまでの豪華な配役だ。そんな豪華な配役ではあるが、中心に立つのがあのレッドフォードとなれば、まぁ納得させられてしまうのも事実。いくら年 老いても腐ってもタイ。このあたりはさすがと言うべきだろう。正直言って幼い娘の父親という設定はかなりキクく、どっちかと言えばおじいちゃんの方がどう 見てもピッタリというのが悲しい。おまけに、整形のおかげで目の表情もおかしくなっている。それでもこれだけの豪華キャストを向こうに回して、堂々たる主 演ぶりがサマになっているのは「さすが」レッドフォードならでは。久々に彼のブランド力を納得させられてしまった。

こうすれば
 確かに豪華キャストでサスペンス・アクションの見せ場もたっぷり。見ていて一応飽きさせない。確かにそういう意味では
「大いなる陰謀」よりかなりマシな「お 客様本意」の映画になっている本作。しかしその基本姿勢は、実は「大いなる陰謀」とあまり変わっていない気がする。ここでレッドフォードらが支持し共感し ているのは「ウェザーマン」たちで、作り手側の主張をぶっちゃけ言ってしまえば、「手段には問題があったが彼らの主張は真剣で、彼らの立場は理解すべき だ」というもの。ある意味では「爆破も警備員殺害もやむを得なかった」とも聞こえてしまいかねない。しかしその主張は、さすがに今の時代の気分にはそぐわ ないものに感じられてしまうのがツライ。しかも「イイ」「悪い」というより、そもそもどこか「古びて」しまっているように聞こえてしまうところが難点だ。 しかもレッドフォードも…そしてやはりそっち側のスーザン・サランドンも、若者代表みたいなシャイア・ラプーフに対して明らかに「分かっていない若造」と いう態度で説教をたれる。これもいかがなものだろうか。実は、僕はまたまたシャイア・ラプーフ登場に「何でこいつがこんなにモテはやされるのか?」とひど く疑問を感じていた。そもそもが「トランスフォーマー」(2007)の若造どまりの役者のくせに、何でこんなに大役ばかりに抜擢されるのか、まったく理由 が分からなかったのだ。しかし映画を見ていくうちに、他の作品での起用理由はともかく本作での理由はハッキリ分かった。「どう見ても分かっていないくせに 生意気な青二才」というのが、今回のラプーフ起用の理由なのだ。レッドフォードやその他ベテランと並べると、明らかに魅力も実力も劣っていること…しかも態度 だけはイッチョマエというアンバランスさ。その至らなさを際立たせたいから、ラプーフが起用されたのではないか。そういえば「大いなる陰謀」でもレッド フォードがイマドキの若者に説教をたれるという展開ではなかったか。しかし説教した相手が、それなりに魅力的な「アメイジング・スパイダーマン」 (2012)のアンドリュー・ガーフィールドだったことがマズかった。彼の若さゆえの輝きの前では、レッドフォードがうるさく説教するジジイにしか見えなくなった。それゆえ今回は「若 者代表」を矮小化することで、若い連中がいかに分かっていないか、自分たちの方がどれだけ世の中のことを考えて憂いているか…つまりは「自分たちの方が若 い奴らより上である」ということ…を際立たせたいと思ったのではないか。「若者代表」に魅力も実力も乏しい「口だけ番長」のラプーフを起用したのは、そう いう意図ではないのか。しかしながら、そういう発想自体いかがなものかと思わずにはいられない。今日びの若い連中は政治や社会をシリアスに考えていない、 かつての「若者」はそのあたりを真摯に受け止めて考え行動していた…言いたいことは分かる。僕もすでに若くはない身だから、それに多少なりとも賛同しない でもない。お上が旗振るといとも簡単に、自分からホイホイと乗せられちゃう危うさも含めて、こうも言いたくなる気持ちは痛いほど分かるのだが…。「イマド キの若いもん」をグンと卑しめて、そこにここぞと説教くらわせて溜飲を下げてるってのはちょっと情けないんじゃないのか。もはやジジイの戯言にしかなって いないという点が、レッドフォードの悲しさ。リベラルとか保守とか言う前に、「オレたちは真剣に考えている」「オマエたちは何もわかっとらん」と一方的に 上から目線で説教しようとする時点で、レッドフォード側の劣化はもはや言い逃れできないレベルなのだ。「面白い映画を作って観客を説得したい」という志ま ではよかった。しかし、所詮は「バカな若造に経験豊かで賢いオレたちが指導してやる」という態度がアリアリでは、ただの「老害」でしかない。このあたり が、いわゆる団塊世代の「限界」とでも言うべきだろうか。いかにその主張に正しい部分が多かろうと、これでは誰も説得できない。何だか黒澤明晩年の「夢」 (1990)や「八月の狂詩曲<ラプソディー>」(1991)などの生硬さとも共通するモウロクしたジジむささがレッドフォード作品にも漂い始めたあ たりが、何とも寂しく感じられるばかりだ。

さいごのひとこ と

 整形しても気持ちは若返らない。

 

「私が愛した大統領」

 Hyde Park on Hudson

Date:2013 / 12/ 02

みるまえ

  何とあのルーズベルト大統領をビル・マーレイが演じる。この映画のミソはそのルーズベルト大統領と秘かに愛人関係となっていた従妹がいた…というところ。 演じるのは芸達者のローラ・リニーというのも注目だが、どこかホンワカしたリニーの個性、主役のルーズベルトに知的コメディ役者のマーレイを持ってきてい るあたりからして、「愛人」と言ってもドロドロとした不倫なんかではなくて、淡いプラトニックなモノなんだろうか。そんなこんなで、チラシを見つけてから 見たいとは思っていた。例によって見てから感想文を書くまで時間が経ってしまったのが、何とも申し訳ない次第。

ないよう

  もうとても若いとは言えない年齢になっていたデイジー(ローラ・リニー)は、ニューヨーク州の郊外に年老いた母親と暮らしていた。ほとんど母親の世話に終 始する自分の人生には、もう華やいだ気持ちが訪れることもないと達観する日々だったデイジーだったが、ある日、そんな彼女の「太平」を打ち破るような出来 事が起きる。それは、伯母さんからの一本の電話で、自分の息子の具合がすぐれないから見てやってくれないか…という頼みだった。それだけならどうというこ ともないことだったが、デイジーはその従兄弟とさほど親しいわけではなかった。しかも、その従兄弟はただの「従兄弟」ではなかった。彼こそは圧倒的支持率 で国民に愛される存在、フランクリン・ルーズベルト大統領だったのだ。それでも伯母さんからの直々の頼みとあれば聞かない訳にいかない。デイジーはルーズ ベルト大統領のもとへ訪ねていく。すると、すでに彼女の訪問は伝えられており、彼女は大統領の部屋へ通される。その薄暗い部屋の中にデイジーがおずおずと 入っていくと、中では執務中のフランクリン(ビル・マーレイ)が彼女を待っていた。しかし、そもそも場違いな所に来てしまった感が強いデイジーは、ただた だ戸惑うばかり。そんなデイジーに、フランクリンは自慢の切手コレクションを見せてリラックスさせようとする。ただフランクリンの話を聞いているだけのデ イジーは帰ろうとしたのだが、フランクリンはそんな彼女を「君と話していると和む」と引き留めるのだった…。こうして…一体どんな理由からかは分からない が、デイジーはフランクリンの心を捕らえたようだった。やがて休暇で実家に戻ってきたフランクリンは、デイジーとクルマでドライブに出る。小児麻痺で脚が 不自由なフランクリンだったが、ハンドル操作だけで運転できる特注自動車で田舎を快適に走る。やがて何を思ったか、ずっとピッタリとマークしてきた警備の クルマに指示を出して引き離したフランクリンは、美しい野原へとやって来る。静かな野原で二人きりになったフランクリンとデイジー。するとフランクリンは デイジーの手をとって自分の膝の上に…そして、その手をさらに「身近」に引き寄せるのだった…。

みたあと

  実はストーリーとしては、まだまだまったく「本題」には入っていないところで切ってしまった。その「本題」については後述するが、なぜここでストーリー紹 介を切ったかについては理由がある。…というか、前述のストーリー紹介最後の一行をお読みになればお分かりいただけるかもしれない。何しろビル・マーレイ とローラ・リニーという顔合わせ、どこかお上品な作品の佇まいからして、“「愛人」と言ってもドロドロとした不倫なんかではなくて、淡いプラトニックなモ ノなんだろうか”…などと勝手に思って見ていたら、ここで一気にそんな甘っちょろい予想をひっくり返されてしまうではないか。さすがに露骨で直接的な描写 こそされていないものの、従姉妹デイジーの手を自らの股間に導く大統領…というトンデモ展開。これが噴飯モノの話やスキャンダラスな話に見えなかったの は、どこか上品で落ち着き払った印象のローラ・リニーという女優さんの個性のおかげだろうか。普通に考えればキレイ事にはならない設定も、何となく淡く美 しい愛情物語に仕立てちゃっているからスゴイ。ムチャと言えばムチャなのだが、ともかく力業でそう見せちゃってるから驚かされる。驚かされると言えば…映 画を実際に見に行くまでは気づかなかったのだが、この作品の監督はあの傑作「ノッティング・ヒルの恋人」(1999)を撮ったロジャー・ミッシェルだとい うから二度ビックリ。なるほど、これは一筋縄ではいかないはずである。
こ こからは映画を見てから!

みどころ
  こうしてデイジーはルーズベルトの公式「愛人」となってしまう訳だが、それでも作品としては品のある淡々とした佇まいを崩さないので、僕らもそういうモノ だと思って眺めることになる。しかし後々になってルーズベルトは病的にあっちこっちに愛人を作ってしまう性分の男だったということが明らかになった時に は、デイジーより観客のこっちが唖然。ところが、ここまで話がエスカレートしていくにも関わらず、映画は何とかエグい話になる一歩手前で踏みとどまる。そ の功労者は、「ロスト・イン・トランスレーション」(2003)や「ブロークン・フラワーズ」(2005)などで知性を感じさせたビル・マーレイと、品の 良さを感じさせるローラ・リニーということになるだろうか。そういやリニーは「愛についてのキンゼイ・レポート」(2004)でも賢夫人を演じていて、作 品が下世話になるところから救っていたっけ。こんな力業はこの人しか出来ないかもしれない。役者ではもう一人、ルーズベルトの「正妻」エレノアを演じた、「抹殺者」(2000)、「ビロウ」(2002)、「ゴーストライター」(2010)などのオリヴィア・ウィリアムズも、パサパサした感じ(笑)で雰囲気を掴んでよかった。そんなこんなで驚きに次ぐ驚きが襲いかかってくるこの映画だが、 もっと驚いたことに作品はそんなルーズベルトの隠された「性癖」が「主眼」ではない。何と途中でイギリス国王・ジョージ6世(サミュエル・ウェスト)とエ リザベス王妃(オリヴィア・コールマン)のアメリカ訪問がお話のメインに躍り出てくるのだ。ジョージ6世といえば、「英国王のスピーチ」(2010)でコ リン・ファースが演じたあの王様である。この王様のハートを掴むに至るルーズベルトの人間性を描く一手段として、デイジーをはじめとする「愛人」たちとの 関係を描いたようなのだ。なるほど、イギリス人のロジャー・ミッシェルが何でこの作品を撮ったのか、何となく合点がいくではないか。ルーズベルトの隠され た顔を見せる映画と見せかけて、実はチャッカリと英国王室「秘話」を描くとは! しかもビル・マーレイ演じるルーズベルトが「ロスト・イン・トランスレー ション」の彼を思わせるデリケートな味…と思ってたら、清濁併せ呑むしたたかな一面まで顔を出す。「政治家たるものこれくらいフトコロが広くてタヌキじゃ なきゃ」…と思わされるリアリティがあって素晴らしいのだ。そんなわけでいろいろな要素と驚きに満ちたこの作品、難を言えばあまりにそんな重要ポイントが 多すぎて、どこに焦点を絞っているのか分かりにくい点が残念なところか。それでも「ありきたり」な作品にはない楽しみが満載で飽きさせない。さらに、 「ノッティング・ヒルの恋人」のロジャー・ミッシェルならではの味わいがもうひとつ。なぜなら「ノッティング・ヒル」も本作も、「“神々”の世界に迷い込 んだ“一般人”」を描いているという点が共通項なのである。

さいごのひとこ と

 ローラ・リニーが出てきたら、何があっても驚けない。


 

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