みるまえ
今年のアカデミー賞で、作品、監督、主演男優、主演女優、助演男優、助演女優…の、いわゆる主要5部門にすべてノミネートされ、そのうち見事に主演女優賞
を受賞したことで、一躍注目された一作。こっちとしてはノー・マークの作品だったから、正直ビックリしたというのが本当のところ。嫁さんに逃げられて精神
的に不安定になった男が、亭主に死なれて会社中の男と寝まくるようになった女と、ひょんなことからダンス・パートナーになって仲良くなっていくお話。脇で
ロバート・デニーロがいい味出しているらしい。監督のデビッド・O・ラッセルは「スリー・キングス」(1999)や「ハッカビーズ」(2004)あたりは
大したことがなかったが、「ザ・ファイター」(2010)はなかなか感心する出来栄えだった。今回も期待していいのではないだろうか。そんなわけで、公開
してあまり間もないある日、劇場に駆けつけた次第。感想文がこんなに遅れたのは、単に僕の怠慢のせいである。
ないよう
無精ヒゲを生やした男パット・ソリターノ(ブラッドリー・クーパー)が、誰か親しい女と話をしている。快活そうに話しかけている彼の前には、しかし誰もい
ない。ここは精神病院。パットはそこに収容されている「患者」だ。実は彼は妻に浮気されて逆上し、相手の男をブチのめしたおかげでここに収容されることに
なった。しかし、パットはメゲていない。それどころか、病院を出たら妻とやり直せると思いこんでいる。そのため、「妻との再会」を想定して快活そうな話し
方をリハーサルしているのだった。確かに今の彼は、精神的な障害がなくなったかのように見える。そのため裁判所から退院の許可が出て、パットの母親ドロレ
ス(ジャッキー・ウィーヴァー)が迎えにやって来た。こうして無事退院することになったパットは、同時に退院を許されたという仲間の患者ダニー(クリス・
タッカー)も一緒に連れて行ってくれとドロレスに頼み込み、三人を乗せたクルマが出発する。ところが早速、ドロレスの携帯に連絡が。実はダニーには退院許
可など下りていなくて、早く戻して欲しいという病院からの連絡だった。そんなこんなでダニーを下ろして再度出発するパットとドロレスだが、「こんなに早く
退院させちゃマズかったのか」と早くも前途に暗雲たれ込めるのであった。ともかく、両親の家に落ち着いたパット。父親のパット・シニア(ロバート・デニー
ロ)は息子の退院のことを聞いていなかったので驚くが、すぐに息子を温かく抱きしめて喜んだ。そんなパット・シニアは、現在失職中。スポーツの賭け「ノミ
屋」で何とか稼いでいるような状態で、地元の野球チーム「フィリーズ」とアメフトチーム「イーグルス」の成績に一喜一憂。そもそもこの両チーム、すこぶる
付きに弱いと来ているから見通しは暗い。一方、パットはすぐにでも妻とヨリを戻すつもりだったが、妻は家を売り飛ばして出て行ってしまっていた。おまけに
パットの暴力行為のため、彼は妻に接近することを禁止されるという散々な状況だ。でも、それも無理ないかもしれない。パットは帰宅第一夜に早速危ない一面
を見せてしまう。真夜中に両親をわざわざ叩き起こして、妻オススメのヘミングウェイの小説の内容をコキ下ろす始末。とてもじゃないが、まだまだ安定してる
とは言いかねる状況だ。そんなパットは、だから退院後も定期的に専門医への通院が義務づけられていた。しかしクリニックに着くや否や、パットはまたまたキ
レてしまう。それでも、彼にも同情の余地はある。例の「あの日」に彼がたまたま早く帰宅して、妻と別の男との浮気現場を目撃した時、BGMはパットたちの
結婚式での思い出の歌だった。これにはたまらずパットはその場で逆上、相手の男を半殺しにしてしまったというわけだ。クリニックでキレてしまったのも、問
題のBGMが流れていたからなのだ。それでもモヤモヤをジョギングで「昇華」してスリム体型になれば、また妻とやり直せるはずと思いこんでいるパット。今
日も今日とて近所のジョギングに精を出す。その途中で旧友のロニー(ジョン・オーティス)とバッタリ出会ったパットは、彼から夕食の招待を受ける。こうし
て訪れたロニーの家では、ロニーの妻ヴェロニカ(ジュリア・スタイルズ)が彼を歓迎した。しかし、この夜にパットが一緒に食卓を囲むことになる相手は、ロ
ニー夫妻だけではなかった。実はヴェロニカは、自分の妹ティファニー・マクスウェル(ジェニファー・ローレンス)をこの場に呼んでいたのだ。ティファニー
は最近若くして夫を亡くしており、その悲しみから不安定な状態になっていた。そこで、ここでパットと知り合いになって立ち直ってくれれば…という、ロニー
夫妻の思惑があったわけだ。ところがやって来たティファニーは、そんなしおらしい女性ではなかった。どこか挑発的でズケズケとモノを言う彼女に、パットは
終始圧倒される。それと同時に、彼女にどこか共感めいたモノも感じるのだった…。
みたあと
まだまだ肝心のダンスの件が出てこない段階で、ストーリーを切り上げてしまった。この後、パットとティファニーはどんどん親しくなるが、そこにはパットな
りの思惑も。ティファニーはパットの妻とつながりがあることから、彼女に手紙を渡してもらいたいと考えていたのだ。かくしてティファニーはその交換条件と
して、パットにダンス・パートナーになってもらいたいと頼む。ティファニーは近々開かれるダンス大会に出場しようと思っていた…というような展開になって
いく。それはともかく…映画の開巻まもなく、僕はかなり当惑してしまったことを白状しなくてはならない。僕はこの感想文の冒頭に書いた見る前の印象の中
で、この映画の主人公を「嫁さんに逃げられて精神的に不安定になった男」だと書いた。おそらく不器用で要領の悪い男が、深く傷ついて落ち込んでいるような
状態だろう…と、僕は勝手に思っていた。人生の失敗を味わった人物が立ち直るというのがハリウッド映画の王道だったし、実際、見る前の事前情報としてはそ
の程度のことしか分からなかったからでもある。ところが実物の映画を見てみると、その第一印象はかなり変わらざるを得なくなった。この主人公、「嫁さんに
逃げられて精神的に不安定」なんてもんじゃない。言葉の使い方がすごく難しいので言い方によってはある種の人たちを怒らせかねないのだが、この主人公、単
に「精神的に不安定」ではなく明らかに「心が病んで」いる。映画のパンフレットには「双極性障害」と書いてあり、その病気がどんなものなのか僕は残念なが
ら分かっていないが、少なくともこの主人公、世間的な意味で「心が健康な状態」ではない。こんなことを言ったらそういう病気の人々を差別しちゃってること
になるかもしれないが、この映画で見る限りはかなりヤバイ状態に見えるのである。この段階で、不器用で傷つきやすい市井の人々によるラブストーリー…とい
う事前の予想は、大幅に変更を余儀なくされることになった。
ここからは映画を見てから!
みどころ
そんな主人公が夜中に自宅でいきなり「結婚式のビデオを見たい!」をあちこち探し始めて荒れ狂う場面で、レッド・ツェッペリンの曲がガンガン流れ出すあた
りでは、あまりに選曲がピタッと決まっていたので爆笑してしまった。いきなりギターがジャカジャカとかき鳴らされるや否や、主人公も荒れに荒れるという
ピッタリぶりなのだ。これは傑作と言わざるを得ない。そしてこんな周囲から見たら困った男である主人公を、それでも共感できる範囲の男として演じきったブ
ラッドリー・クーパーも素晴らしい。普通あれほどヘンだったら、なかなか共感しづらいものだ。よく観客が感情移入できる人物に演じたものである。これは素
直にホメるべきだろう。そしてアカデミー主演女優賞をとったジェニファー・ローレンス。大胆不敵なズケズケした芝居を見せてくれてこちらも素晴らしいが、
これで今年23歳というのだから驚き。ある意味では年齢不詳の感じもあって、見事なものだ。ただし、この人もひとつ間違うと、若くしてオスカーをもらった
あまりにその後不遇になってしまったマリサ・トメイみたいになりかねない気がする。そこがちょっと気になるところだ。
こう
すれば
そんな訳で、主役二人の芝居がよくてコンビネーションも抜群。脇の役者も充実。いいことづくめの作品と言いたいところだが、気になるところがない訳でもな
い。前半の傷ついた二人が少しずつお互いの距離を縮めていく慎重さに比べて、後半はちょっと話の運びが性急かつ雑な気がするのだ。例えば二人はダンス大会
出場のためにダンス・レッスンを繰り返すことになるのだが、そのプロセスが意外にあまり具体的に描かれていない。だから、いつの間にかちゃんと踊れてい
る…という風に見えてしまう。しかし二人はこのダンス・レッスンでどんどんお互いの心を近づけていったはずなのだから、ここでの細かい描写やエピソードは
映画に必要だったのではないだろうか。これに限らず後半は展開が結構あちこち雑だ。だから、いきなりヒロインが主人公の父親に対して、自分たちのダンスの
結果を賭けの対象にしろと言い出すくだりにも、見ている僕らは「???」となってしまう。本来ならここをもっとふくらませるべきだったはずだと思うので、
とても残念に感じてしまうのだ。
おまけ
しかし、実はそんなことは大したことではない。先にも書いたように、僕はこの映画を見る前には主人公がここまで「心が病んでいる」とは思っていなかった。
だから主人公が劇中でいきなり奇異な言動を見せ始めるや、ちょっとした軽い衝撃を味わったわけだ。しかし、その段階に至っても…それはあくまで「人ごと」
に過ぎなかったから、僕にとってはまだ大したことではなかった。問題は、見ている間にこの主人公の「おかしさ」や「イキっぷり」に、僕が何となく思い当た
るフシを感じ始めた点である。何だか分からないけどすぐキレる。普通に話しているうちに、だんだん興奮してキレてしまう。自分としては至って普通な状態
で、人に対しても普通に接しているつもりなのに、なぜか周囲がドン引きしている。何かを思いついたり刺激を受けたりしたら、真夜中だろうが何だろうがお構
いなしに興奮してしまう。確かにある、そんなことをしていた覚えがどこかにある。考えてみれば次から次へと職場を変え、何だかんだと文句をつけて辞めてい
た時期があった。あるいは今だって、「何かがおかしい」と思えば声を上げて抗議をするようにしている。しかし、それって本当はどうだったんだろう? その
都度、自分からすればしかるべき理由があったはずだが、果たして周囲から見たら僕はどうだったんだろう。完全にイカれてるようにしか見えなかったんじゃな
いだろうか? 主人公がおかしなキレっぷりを見せていくたびに、この程度のことならオレもどこかでやってたんじゃないか…と、そればかり気になった。以
前、「ブラック・スワン」(2010)の錯乱状態になるヒロインの言動に、異常に「既視感」を感じた僕だが、あれ以来のヤバイ感じ。最近では各方面で文句なしに絶賛されているケン・ローチの「天使の分け前」(2012)の良さがまったく理解できないのもそうなんだが、僕はどこか本当におかしいのではないだろうか? だから今までの人生がうまくいかなかったんじゃないだろうか? 正直言って、かなり不安になってきている。
|