新作映画1000本ノック 2013年2月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
「ダイ・ハード/ラスト・デイ」 「ムーンライズ・キングダム」 「アウトロー」(トム・クルーズ主演)

「ダイ・ハード/ラスト・デイ」

 A Good Day to Die Hard

Date:2013 / 02/ 18

みるまえ

 一旦は終わったかと思っていた「ダイ・ハード」シリーズが、いきなり「ダイ・ハード4.0」(2007)の登場によって「再起動」した時には、久々ということもあって僕もついつい喜んでしまった。「ダイ・ハード3」 (1995)の時にはそれなりに楽しみながらも「もうこりゃオシマイだな」と思っていたが、いざあのジョン・マクレーンが戻ってきてみるとやっぱり嬉し い。そんなわけで、僕もマクレーンの復帰を歓迎したわけだ。作品としてはかなり大味化したし、マクレーンもやたら不死身になってはいたが、アクション映画 としてはそこそこ楽しませてくれたので「許した」という感じ。そんな「4.0」のミソは、マクレーンの娘が出てきたこと。「3」が派手なアクション映画と して頑張った割に報われなかった原因を探った結果、「ダイ・ハード」第一作(1988)と「ダイ・ハード2」 (1990)には妻が出てきたのに「3」には出てこなかったことに気づいたのではないだろうか。やっぱりこのシリーズはマクレーンが個人的動機で戦わな きゃダメだということで、妻は今さら出しようがないから娘ということになったのだろう。そんなわけで息を吹き返したシリーズに、まさかの最新作がやって来 た。今回はマクレーンは初の外国、ロシアで暴れることになる。そして今度マクレーンが戦うのは、初の登場となる息子のため。一応の大義名分は存在している ようだ。しかし正直なところ、ちっぽけな普通の男が一種の密閉された状況で孤立無援で戦うという「ダイ・ハード」第一作の定義は、ニューヨーク全域まで戦 いの規模が拡大された「3」あたりからグダグダに崩れてしまっている。前作「4.0」でのマクレーンの不死身ぶりは、もはや常人とは言えない。だから今回 の最新作も、あの緻密な脚本でうならされた「ダイ・ハード」の新作と考えたら、かなり見込み違いなことになるだろう。まぁ、せいぜい派手なアクションをて んこ盛りにして楽しませてくれれば、ストレス解消の退屈しのぎにはなるだろう。それくらいにかなりハードルを下げた状態で、公開間もなく劇場に駆け込んだ 次第。

ないよう

 ロシアの首都 モスクワで、世界の注目を集める裁判が開かれようとしている。かつて大富豪で、現在は犯罪者として投獄されているユーリ・コマロフ(セバスチャン・コッ ホ)の裁判で、ロシア国内でもこの裁判を巡ってデモが行われるなど騒然とした雰囲気に包まれていた。そんなモスクワの牢獄に閉じこめられているコマロフを 訪ねてきた一人の人物…それはロシアの外務大臣チャガーリン(セルゲイ・コレスニコフ)だ。どうやらチャガーリンはコマロフと何やら因縁がある様子。しき りにコマロフに「ファイルをよこせ」と迫るが、コマロフは応じない。それどころか、裁判ですべてを明るみにするとタンカを切るので、チャガーリンは怒り心 頭。「オマエが無事に裁判に出られると思っているのか」と捨てゼリフを吐いて立ち去っていく。その頃、モスクワで暮らして達者なロシア語を操るアメリカ青 年(ジェイ・コートニー)が、クラブで男を射殺して警察に逮捕されるという事件も起きていた。この青年は取り調べの際に警官に取引を持ちかけ、例のコマノ フの裁判で彼に不利になる証言をするので、同じ裁判に出廷させてほしいと提案する…。さて、舞台変わってここはアメリカ、ニューヨーク。警察の射撃訓練場 で拳銃の腕を磨くジョン・マクレーン刑事(ブルース・ウィリス)のもとに、同僚が浮かない顔で近づいて来る。どうもマクレーンは長年音沙汰なしとなってい た息子の動向を探ってもらっていたようだが、その結果が思わしくなかった。何と彼の息子ジャックは、モスクワで犯罪を犯して逮捕されていたのだ。近々裁判 にかけられるらしいが、その結果はうまくいっても「終身刑」。おまけにロシアの流儀の裁判だから、どうなるか分からない。しかしマクレーンは「オレはオレ の流儀でやる」と訳の分からない不敵な笑みを浮かべる。こうして娘のルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られ、アエロフロート機の機 上の人となったマクレーンだったが…。はるばるやって来たモスクワでは、陸に上がったカッパも同然。息子の裁判が行われる裁判所に行こうにも、ひどい渋滞 に巻き込まれてウンザリ。ところがそんなマクレーンをよそに、奇妙な一団が不穏な動きを見せていた。いかにもふてぶてしい面構えのアリク(ラシャ・ブコ ヴィッチ)率いる武装した連中が、装甲車で裁判所の周辺にやって来ていたのだ。最終的には徒歩で裁判所までやって来たマクレーンも、その連中は視野に入っ ていた。裁判所にはあのコマロフと逮捕されたジャックも連行されて来る。周辺はデモの市民たちも取り巻いて、一触即発の状況だ。そんな折りもおり、アリク のリモコンによって裁判所の外の路地に停車されていた3台の車が爆発。裁判所の壁も内部もその勢いで吹っ飛んだ。当然、周辺は大騒ぎになるが、この大混乱 に乗じてジャックはコマロフを連れ出す。戸惑うコマロフもここはジャックに従うのが得策と踏んで、一緒に裁判所から抜け出した。爆発で崩れた裁判所内に 入ってきたのは、アリクとナゾの女(ユーリヤ・スニギル)。しかし彼らはそこにコマロフがいないと知るや、慌てて外に飛び出した。ジャックとコマロフはそ の場に停まっていたバンに乗って出発。何とジャックは耳につけた通信機で外部と連絡を取りながら、コマロフと脱出を図ろうとしていた。ところがジャックと コマロフを乗せたバンの前に、一人の男が立ちはだかるではないか。その男を一目見たジャックは、思わず唖然とせずにはいられなかった。「何でここにジョン がいるんだ?」

みたあと

 ストーリー紹介は、あえて本題に入る手前で止めさせてもらった。ここからいわゆる猛烈アクションがスタートするわけだが、実は早くもこのあたりか ら、妙な違和感を感じないわけにはいかなかった。ジャックはCIAの職員としてコマロフ脱出計画を実行中だったのだが、マクレーンの登場によって計画が 狂ってくる。そのため孤立無援でアリクたちの装甲車に追いかけられる羽目になる。当然、マクレーンも黙ってなくて、彼らを追いかけて激しいカーチェースを 展開。かくしてモスクワの道路を舞台に派手なアクションが描かれるわけだが…正直に言ってここでのマクレーンは、無闇にハタ迷惑なオッサンにすぎない。一 般道で他のドライバーを巻き込んでの大アクションは、巻き添えになった人が気の毒。「息子可愛さ」のためという大義名分があるとはいえ、それも程度問題だ ろう。途中でロシア人をブチのめしてクルマを奪ったあげく、「ロシア語分からねえんだよ」と罵倒。冒頭で「オレにはオレの流儀がある」なんてことホザいて いるあたりからイヤ〜な予感がしていたのだが、これは僕が大好きだった、なけなしの勇気を振り絞って単身戦い続ける「普通人」マクレーンじゃない。僕の 知っているマクレーンは、こんな傲慢な男じゃなかったはずだ。この時点で、この映画はロクな作品じゃないと予想がついてしまった。そして実際に、その予想 は現実のものとなってしまう。

こうすれば

 どこから手をつければいいのだろう。とにかく何から何までひどいのだ。まず最初のモスクワでのカーチェイスも、チャカチャカと目が疲れる「ボー ンなんとか」以来のイマドキのアクション演出。何が映っているのかどうなっているのか分からない。その後の展開も含めて、いくらロシアとはいえ、悪党が白 昼堂々何をやっても大丈夫な訳もないだろう。市街の中心で戦闘ヘリがビルをバンバン撃ちまくるなんて、こいつらロシアをバカにしてるのか。先のマクレーン の傲慢な言動といい、悪党アリクの「オレはアメリカ人が大嫌いだ、特にオマエみたいなカウボーイがな」というセリフに思わず共感してしまったよ。しかし ヒーローより悪党の言うことに共感できるって、どんな娯楽映画なんだ。その後もムチャクチャな不死身アクションの連続だが、もはや不死身すぎて何のスリル もない。そもそもアクションそのものがCGがらみで描かれているから、もはやリアリティもない。確かに前作「4.0」でも不死身ぶりはかなりなものだった が、それでもマクレーンは体の痛みを訴えたり「もう歳だ」などと弱音を吐いて、「ダイ・ハード」らしい「生身」感を出していた。ところが、ここではもはや それすら出てこない。これってすでに作品のコンセプトすら違うだろう。見ているこちらも、もう一作目のあの緻密で伏線を張りまくった脚本は期待していな い。普通の男の孤立無援のヒロイズムが描けていれば、それなりに満足しただろう。しかし次から次へとムチャクチャなシチュエーションのアクションが展開し ながら、主人公たちはそれを難なくどんどんクリア。おまけにそれらが見え見えのCGで描かれるから、上滑りがひどい。一作目は戦いぶりに創意工夫が見られ たが、今回に至ってはただただクルマをすっ飛ばしたり銃をバリバリ撃ちまくったりするだけで、まったく頭を使った形跡がないのだ。また、善玉だと思ってい たら悪党側…という設定も何度か出てくるのだが、脚本がそれによって観客に何らかのサプライズを提供しようとしている形跡もない。見ている側も、だから何 なのだ…という気持ちにしかならない。さらにチェルノブイリまで乗り込む後半戦では、放射能なんか全く気にしていない。悪党側も「放射能を中和するガス」 なんてのを撒いてる設定だが、そんなガスがあったら福島に持ってこいよと言いたくなる。アメリカ人は徹底的に核が分かっていないんだなと思わざるを得な い。今回は反目しあっていた息子との和解がテーマということになっているが、それすらすぐに和解できてしまうヌルさ。息子がちょっとはずしている間にマク レーンとコマロフが「東京物語」(1953)みたいな会話を交わして「父親の悲哀」を噛みしめ、それを戻ってきた息子が盗み聞きする…などという、イマド キの日本のテレビドラマでもやらないヘタクソな趣向で描くから、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。見ていて頭が痛くなってくる。それでも…それで もくだらないアクションを退屈しないようにどんどんつるべ打ちしてくれれば、僕はそれなりに満足して見終えることができただろう。そのくらいハードルを低 くして臨んでいたのだ。バカ映画ならバカ映画でよかった。バカ映画ならまだ楽しめた。問題は、この映画がバカ映画ですらなかったことだ。単に頭の悪い映画 でしかなかった。さらに悪いことに、少しでも多くの見せ場を詰め込もうという努力すらしていない。見せ場の数と密度が、明らかに従来の「ダイ・ハード」作 品より低いのだ。上映時間も1時間半強とかなり短い。いつもなら娯楽映画は短いに限ると諸手を挙げて賛成なのだが、「ダイ・ハード」はそうじゃないだろ う。観客をお腹一杯にさせてナンボだろう。だから「あれっ、もう終わり?」と肩すかしもいいところ。質も量も全部ダメってどうなっているんだ。空港で主人 公、息子、娘が笑顔で再会というエンディングのだら〜んとしたフヤけ方も、従来作品のシャレた結末を見てきた者としては噴飯モノ。久々に心底ひどい映画を 見たという気持ちになった。これはスキップ・ウッズとジェイソン・ケラーによる脚本が悪いのか、はたまた監督ジョン・ムーアの責任なのか。果たしてどうな んだろう。そのジョン・ムーアはかつて「エネミー・ライン」 (2001)で高密度なアクション演出を見せていて、そのあまりの細かいカットの重ね方に激しい違和感を覚えた記憶がある。しかしその時は「これからの映 画ってこうなるのかな」と思ったりして、僕はあえてそれを肯定的に受け取った。僕も歳をとったからついていけなくて、違和感を感じたのかと思っていたの だ。しかし「ダイ・ハード」というフォーマットがありながらのここまでの空疎ぶりは、これはもはや弁護の余地がない。あまりにもひどい。というか、ハリ ウッドの老舗の映画会社たるものがこれでは、その看板シリーズ作品でこれでは、いくら何でもまずいのではないだろうか。最低品質ぐらいはクリアしないとい かんだろう。ブルース・ウィリスもやたら映画に出まくっているが、もう少しちゃんと仕事をしたらどうなんだ。見ていて腹が立ってきたよ。ラスト・デイって タイトルはシャレになってない。そのくらい無惨な出来栄えだ。

さいごのひとこ と

 いくら不死身でもシリーズの息の根は止まりそう。

 

「ムーンライズ・キングダム」

 Moonrise Kingdom

Date:2013 / 02/ 18

みるまえ

 ウェス・アンダーソン作品が公開されるたびに蒸し返して大変恐縮だが、どうしてもこれは言わなくてはならない。僕もほとんどのみなさん同様、ウェス・アンダーソンのことを「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」 (2001)によって知ったのだが、その時の胡散臭さ、鼻につく感じったらなかった。何しろそれまでまったく知らない奴だったのに、いきなりジーン・ハッ クマン以下のオールスター勢揃い。誰もその名前を口にしていなかったくせに、いきなり「みんな知ってて当然だよね?」的な「天才」扱いの宣伝コピー。今考 えても、あれは本当にウンザリする。絶対ロクな奴ではないに違いないと、僕は映画を見る前から確信してしまった。そして、思った通り! やたら才気走って ることは認めるが、何となく血の通っていない感じがヒシヒシ。頭の中だけで映画をこさえてるガキって印象で、僕はどうにも好きになれなかった。ところがそ んなひねくれた僕が見る目を変えたのが、その次の作品「ライフ・アクアティック」(2005)。どうして見る目が変わったのか…についてはその感想文をお読みいただきたいが、とにかく愛すべき作品だった。さらに次の作品「ダージリン急行」 (2007)に至っては、キンクスの「ディス・タイム・トゥモロー」が流れた瞬間にもう好きになっていた。こうして今では、僕もウェス・アンダーソン作品 を心待ちにするようになったのだ。そんなわけで、またまたやって来た最新作。彼の作品に一見似つかわしくないようなビッグ・スターを起用しているのも毎度 のこと。そんな不思議な顔合わせも、今となっては大いに楽しみ。早速、公開中の劇場に足を運んだわけだ。

ないよう

 1965年、ここはロードアイランド州にあるニューペンザンス島。この島に住むビショップ家の12歳の長女スージー(カーラ・ヘイワード)は、灯 台のある自宅からいつも双眼鏡で周囲を眺めていた。その胸の内にどんな思いが渦巻いているのかは、三人の弟たちを含めて誰も知らない。さて、この島にある ボーイスカウトのキャンプ「キャンプ・アイバンホー」に朝が来る。「隊長」というにはいささか線の細く、何から何まで杓子定規なランディ・ウォード隊長 (エドワード・ノートン)は、例によって例のごとしの朝の日課をこなし、隊員である子供たちと決まり切った朝食の食卓に着く。しかし、すぐにウォード隊長 は異変に気づいた。隊員が一人足りないのだ。さては寝坊しているのかとその子のテントにやって来るが、テントの中はもぬけの空。テントのどてっ腹には大き な穴が開いていた。すわ、脱走だ! 早速、ウォード隊長はその子が行方不明になったことを警察に届けに行く。島で唯一の警察署である「アイランド・ポリ ス」にいる、島でたった一人の警察官シャープ警部(ブルース・ウィリス)のもとを訪ねたのだ。シャープ警部とウォード隊長は、行方不明になった子供サム・ シャカスキーの自宅に連絡するが、彼の両親は意外にも「戻ってこなくていい」と言い放つ。実はサムの両親は数年前に死んでおり、今の両親は里親だった。と ころが、もらわれてきてもアレコレとトラブルを引き起こす「問題児」だったため、さすがにもう勘弁してほしいというのが里親の言い分だった。想定外の事態 に、シャープ警部もウォード隊長も戸惑わざるを得ない。それでも警察としては捜索しないわけにはいかない。島を一通りぐるりと見て回ったシャープ警部は、 島のはずれにあるビショップ家の赤い家を訪れる。そして彼を迎えたウォルト・ビショップ(ビル・マーレイ)とローラ(フランシス・マクドーマンド)の弁護 士夫妻に、サム捜索の協力をお願いするのだった。ところがシャープ警部が立ち去ると、そそくさとローラが家を出て行くではないか。実はローラはすぐシャー プ警部と落ち合って、一本のタバコを分かち合う。つまり、二人はそういう仲なのだ。そんな一部始終を、例によってスージーが双眼鏡で眺めていることを、二 人は気づいていない。その頃、騒動のもとであるサム・シャカスキー(ジャレッド・ギルマン)は、ボーイスカウトの格好のまま森の中を歩いていた。道なき道 を行き、時にはカヌーで川下り。こうして背の高い草が生い茂る原っぱへと出てきた。どうやら彼は、ここで誰かと待ち合わせをしているらしい。するとそこに 現れたのは、例の双眼鏡を持ったスージーだった…。

みたあと

 冒頭から整然と「青少年のための管弦楽入門」なるレコードが流れ、ビショップ家の内部がシンメトリー的な構図で映し出される。そのシンメトリー的 な構図は場面が変わっても基本的に変わらず、ボーイスカウトのキャンプもすべてそんな凝った構図で展開。カメラが回ったままレール移動したりしても、凝っ た構図を極力崩さないでショットを構成する。正直言ってそこでの俳優の演技は、構図に合わせることで不自然で型にはまったものになっている。こんな滑り出 しを見ていて、先行き不安になったのは僕だけだろうか。あの「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」の頭でっかちで血の通っていない出来上がりが脳裏に浮かぶ。 確かにいかにも才気走った演出。アート系映画好きは、これだけで「さすが!」とゴキゲンになっちゃうかもしれない。しかし僕は、またぞろ「ザ・ロイヤル・ テネンバウムズ」の頃の「天才」ウェス・アンダーソンが復活かよ…と少々ウンザリし始めた。せっかく「ライフ・アクアティック」や「ダージリン急行」で血 の通った映画を見せてくれて、どんどん僕らの側に近づいて来てくれていたアンダーソンなのにまたクソ気取った映画に戻っちゃうのか…と、僕は見ていて ちょっとイヤになりかけた。それでもブルース・ウィリスやエドワード・ノートンといった賑やかな顔ぶれを眺めながら映画を見ていると…シンメトリー構図で 頭でっかちさを連想させていたイメージとは裏腹に、何となく楽しくなって来るではないか。

みどころ

 今回、最初に何でイヤな予感がしちゃったかと言えば、あまりにもカチッとしたシンメトリー的構図が次から次へと出てくるので、そこに堅苦しさや 息苦しさ…あるいは「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」的な頭でっかちさを連想してしまったから。しかし、その後のアンダーソンは、そんな「頭でっかち」さ を振り払うかのような「異物」や「ノイズ」みたいなものを映画に混入し始めた。詳しくはそれぞれの感想文をご参照いただきたいが、「ライフ・アクアティッ ク」だったら不確定要素の多い海上撮影や海中生物のストップモーション・アニメ場面を入れたこと、「ダージリン急行」だったら実際に運航中の列車で撮影す るというコントロールしきれないハプニング性などによって、作品を「コントロールし過ぎる」ことから回避しようとしてきたように思う。だから逆に今回は、 僕は「過剰にコントロールしようしているな」と感じちゃったわけだ。しかし予想に反して、今回はそんな血の通わない映画にはなっていない。むしろ愛すべき 映画、可愛らしい映画になっている。それぞれの家庭で「問題児」だった、感受性が鋭すぎの男の子女の子。この二人が駆け落ちしたことによって、周囲の大人 たちに波紋が起こる。この事件を通じて、寂しさを不倫で紛らわせていた警官は愛をつかみ、どこか杓子定規でひ弱だったボーイスカウト隊長は真の勇気を手に 入れる。信頼や愛情がガタガタになっていた仮面夫婦も、お互いの関係を見直すことになるのだ。そんな物語を見ている者にクサくないように見せていくため に、今回アンダーソンが採用しているのが「おとぎ話」的な語り口。ここに来てようやく気づいたのだが、本作でやたら目立っていたシンメトリー的構図は、あ る意味で「絵本」的なイメージを出すために用いられているとは見えないか。例えば、岩波書店から昔から出ている有名な絵本「ちいさいおうち」の、一軒の家 をずっと定点観測のように描かれているイラストの構図あたりを想起させるではないか。そして、映画も終盤に入ってから出てくるあまりにもチープな特撮も、 どこか童話やおとぎ話の語り口を感じさせる。特別出演のハーベイ・カイテルと彼を救出するエドワード・ノートンの描写は、妙に平面的な構図でまさに絵本の 「それ」だ。おかしかったのは、嵐の中、教会の鐘楼で展開される「アクション」場面。そこに来て、僕は初めてなぜ今回ブルース・ウィリスが起用されたのか 分かった。明らかにアンダーソンは、そこに「愛のために命を賭けて戦う」警官という「ダイ・ハード」(1988)のスターを必要としていたに違いない。そんなこんなで僕は今回もまた、まんまとしてやられたのである。あと、僕は個人的に小さい「島」の話って大好きなので、そのあたりでも嬉しくなったことを白状しなくてはならないだろう。

さいごのひとこ と

 こっちのダイ・ハードにはやっと息子ができた。

 

「アウトロー」(トム・クルーズ主演)

 Jach Reacher

Date:2013 / 02/ 11

みるまえ

 一時期、トム・クルーズは、本当にヤバくなっていた。もちろんヘンテコ宗教におぼれていたこともイメージダウンになっただろうが、そもそも彼の 出演作自体が行き詰まっていた。綿密なセルフ・プロデュース能力で生き延びてきただけに、彼本来が持つ個性の限界が、彼の出演作の可能性を狭めてしまっ た。「永遠の青二才」をテーマにしていた彼は、それゆえ加齢という避けられない事態によって行き場を失ってしまった。慌てて年相応の役として「コラテラル」(2004)をやってみたが成功とは言い難く、トム・クルーズ映画でなくジェイミー・フォックス映画になってしまった。それからはやることなすことが裏目裏目。何とか迷いを吹っ切ったような大バカ大作「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」 (2011)で、ようやく久々に大ホームランを放って一息ついたような感じだ。そんな彼の新作が早くも登場。ところが、何となくタイトルがいただけない。 「アウトロー」…何なのだ、これは。配給会社のやる気がまったく感じられない。おまけに宣伝コピーがこれまたイタイ。「その男、行き着く先に事件あり」だ の「世界で最も危険な流れ者」だの、イマドキの映画は女が見に行く気にならなきゃ当たらないらしいが、ハッキリ言ってこれらのコピーで見たくなる女なんて いないだろう。そもそも「流れ者」ってもう死語だろう(笑)。しかしながら、これはあくまで一般の話。僕個人の気持ちを言わせてみれば、これらの宣伝コ ピーで思わずムクムクと見る気になった。そもそも女ウケする映画なんざ面白かったためしがない(笑)。イマドキ流行りそうな雰囲気は皆無だが、自分が好き そうなB級映画の味わいが漂ってくるではないか。他のトム・クルーズ映画みたいな大ヒットは望めなくても、僕みたいな映画ファンには好物の映画になるかも しれぬ。そんなわけで公開早々、劇場へと駆けつけた次第。

ないよう

 その男(ジェイ・コートニー)はすべてを周到に準備していた。銃弾を細工し、その当日を待つ。ここはピッツバーグの街。小型のバンで川沿いの立体 駐車場にやって来ると、パーキングにコインを投入。ライフルを持ち出すと、立体駐車場の川に面した側にやって来る。彼はライフルを構えてスコープをのぞき 込みながら、川の対岸側を歩いている人々をねらい始めた。やがておもむろに一発、また一発…川沿いを歩く通行人を、一人またひとりと撃ち殺していく。たち まち5人の男女がその場に倒れ、男はそそくさとその場を離れる。騒然とした現場から警官たちが問題の立体駐車場に駆けつけた時には、もうそこに犯人の姿は なかった。だがその場に乗り込んだエマーソン刑事(デヴィッド・オイェロウォ)は、駐車場に残されたコインや薬莢などを見つけていた。こうなると、犯人を 突き止めるのは造作もないことだ。たちまち元・米軍スナイパーのジェームズ・バー(ジョセフ・シコラ)が逮捕され、取り調べの場に引きずり出される。しか し自白を迫る地方検事アレックス・ロディン(リチャード・ジェンキンス)とエマーソン刑事の前で、バーは黙りこくったまま紙に文字を書き殴るのだった。そ こに書かれた言葉は簡素そのもの、「ジャック・リーチャーを呼べ」というものだった。しかし、ジャック・リーチャーって誰だ? エマーソン刑事が八方手を 尽くして調べてみたものの、その正体ははっきりとはつかめない。元・陸軍の秘密捜査官ながら、2年前に除隊して以来消息不明。住所も運転免許もクレジット カードも携帯もない。まるっきりナゾの人物だ。途方に暮れるエマーソンと検事ロディンだったが、そんな二人の前にいきなり忽然とそのジャック・リーチャー 本人(トム・クルーズ)が現れる。突然の登場に気勢をそがれるエマーソン刑事と検事ロディンに、リーチャーは有無を言わさずズケズケと「バーに会わせろ」 と迫る。しかも意外なことに、リーチャーはバーの知人でもなければ彼を救うために来たわけでもないと言い切る。ますます当惑するしかないエマーソンとロ ディンだった。ともかくリーチャーはバーのもとに連れて行かれるが、それは意外な対面となった。バーは護送中に他の犯罪者の餌食となり、護送していた警官 たちも黙認。その結果、彼は昏睡状態になってしまったのだった。しかし、リーチャーは大して残念そうでもない。そんなところに、一人の女性がやって来た。 彼女はバーの私選弁護人ヘレン・ロディン(ロザムンド・パイク)。ロディン州検察官の娘でもある彼女は、しかし無理矢理自白に持ち込む父親のやり口を嫌っ ていた。彼女は一同に「私の立会いなしにバーと話はしないで」と啖呵を切るが、そもそも当のバーが口をきける状態じゃない。もっと意外だったのが、リー チャー自身がなぜバーに呼ばれたか分かっていないことだった。リーチャーはもう自分の用もないとばかりに、サッサとこの街から立ち去ろうとしていた。そん なリーチャーに、ヘレンは執拗に食い下がる。ヘレンはあくまでバーの弁護士として、彼の無実の可能性を探りたいのだ。しかしリーチャーは、そんなヘレンに 素っ気ない。逆に「奴は有罪だ」と言い切られてしまう。それどころか、リーチャーは衝撃的な事実をヘレンにもたらすのだった。バーは軍にいた頃に、任務で イラクに行かされた。そこで来る日も来る日も実戦はなしにスナイパーとしての訓練をしているうちに、どうしても実際に人が撃ちたくなってしまった。こうし て彼は帰国を前にしたある日、現地の人間4人を遠くから射撃して殺した。後で調べてみると彼らはレイプの常習犯だったことが分かったが、これも殺人であっ たことに変わりはない。その犯人がバーであることを見破ったのが、当のリーチャーだったのだ。この新事実に動揺しながらも、ヘレンも一歩も退かない。「あ なたも真相が知りたいはず」と、バスに乗って街を離れようとするリーチャーにあくまで食い下がる。そんなこんなで、一度は説得空しくバスに乗ったリー チャーだったが、結局、ヘレンの熱意にほだされ彼女の前に戻ってくる。こうしてリーチャーはヘレンに雇われた調査員として、事件を調べることになったのだ が…。

みたあと

 映画の冒頭から、いきなり犯人が黙々と「犯行」の準備を進め、それが実行に移される様子をじっくりと見せていく。川向こうにライフルの照準を合わ せ、歩いている人々を無差別に次々射殺…。こういうのをどこかで前に見たよなぁ…と思っていたら、あったあった。あの「ダーティハリー」(1971)の有 名なオープニング。ビルの屋上から、高層マンション最上階のプールで泳ぐ美女を狙撃するくだりを連想させるではないか。いやぁ、そもそもどこかから無差別 狙撃する…なんて趣向の場面はイマドキとんと見なくなったが、その昔、僕が映画を見始めた頃は結構あった。得体の知れない犯人が、ハイウェイ脇のタンクの 上からクルマに向かってバンバン狙撃。最後はドライブインシアターでも無差別狙撃をしちゃうピーター・ボグダノビッチ初期の監督作品「殺人者はライフルを 持っている!」(1968)とか、10万人の観衆でいっぱいのフットボール・スタジアムでどこからか無差別狙撃が行われる「パニック・イン・スタジアム」 (1976)とか、主に1970年代の映画にはこういう設定がざらにあった。だから僕は、このオープニングからかなり懐かしい雰囲気を感じていた。僕が最 も映画にワクワクしていた時代、1970年代映画の香りである。正直言ってこのオープニングだけでつかみはオッケー。まだトム・クルーズが出てこなくて も、これは僕好みの映画じゃないかという気になっていたのだ。

みどころ

 こうして出てきたトム・クルーズだが、これがまたスゴイ。まさに「流れ者」。無駄な口を叩かない。無駄な感情を出さない。無駄な動きをしない。何 かを見つめたり、行動する時には全くためらいがない。男もすっかりチャラくなった21世紀ではほとんど時代錯誤に見える、完璧なまでのアウトサイダーぶり なのである。そして、こんなキャラクターがアメリカ映画にやたら登場したのも、1970年代だった。今回の作品は、このあたりからして1970年代テイス ト全開ではないか。だが、今回のトム・クルーズは、現実には絶対いそうもないくらい完璧なアウトロー・ヒーローだ。それはかつての西部劇や、むしろマジで 日本の時代劇に出てくる人物あたりが相応しい。例えばかつて一世を風靡した「木枯らし紋次郎」とか、そういう類の人物。最も影響を受けているのは、黒澤明 の「用心棒」(1961)や「椿三十郎」 (1962)あたりだろうか。あれを現代のアメリカでやっていると思っていただければ、その光景の異質さをお分かりいただけると思う。酒場で飲んでいると 地元の若い衆に絡まれ、望まぬケンカに引っ張り出される主人公。この設定自体もイマドキはない(笑)と思うが、クルーズは開口一番、相手の連中に「やめて おいた方がいい」と警告を放つのである。これこそ「用心棒」で三船敏郎が演じた素浪人・三十郎とまったく同じ。三十郎も凄むチンピラどもを一瞥しながら、 「斬られりゃ痛えぞ」と警告。それでも止まらないチンピラに対して吐き捨てるように、「まったくバカにつける薬はねえな」と吐き捨てる。そして次の瞬間、 若い連中がバタバタと路上でのたうち回るところまでそっくり同じだ。あまりにも強いし度胸もあるし頭も回るので、どいつもこいつも敵わない。現代劇では… いやいや、そもそもイマドキの映画でこれをやったらほとんど冗談になってしまいそうなヒーローなのだが、それをトム・クルーズはニコリともせず真顔で演じ ている。これが何とも面白い。というか、今回の役によって、トム・クルーズは新しい鉱脈を発見したのかもしれないのだ。年齢を重ねて、徐々に従来イメージ を維持していくことができなくなってきたトム・クルーズ。加齢に見合った役をと行ったチャレンジも成功せず、何とか起死回生で放ったホームランが「ミッ ション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」…という話は、この感想文の冒頭ですでにしたばかり。しかしその「ゴースト・プロトコル」の前に、実はト ム・クルーズが何とかジリ貧状態から踏みとどまった作品があったのだ。それがキャメロン・ディアズと共演した「ナイト&デイ」 (2010)。ここでのクルーズは、マンガみたいなスーパー・スパイを演じてなかなかの好演ぶり。ハッキリそれまでの「ミッション:インポッシブル」シ リーズで培ったイメージをパロディ化し、メチャクチャにデフォルメした演技を見せているのだが、これがいいのだ。特にどんなピンチにも余裕綽々で白い歯を 見せて笑っているあたりが、どこか頭がおかしいんじゃねえか(笑)と思わせるほど。一歩間違えば異常者に見えるくらいの、常人ではないスーパーマンぶりが 見事にハマったのだ。そして次の「ゴースト・プロトコル」はコメディではなく普通のアクション・サスペンスではあるが、いきなりあのバカ高いブルジュ・ハ リファをよじ登るなど、やってることがあまりにムチャクチャでマンガ。こちらもある意味で「リアリティ」度外視のキレっぷりだ。このメーターの針が振り切 れそうな極端っぷりが、模索の末に見いだした新たなトム・クルーズ像らしいのである。そこでは、それまでクルーズにとってマイナスの効果しかなかった加齢 すら、「男の頼もしさ」を増す意味でプラスに働いている。そしてもう一方で、ちょうど西部劇が絶滅したばかりのアメリカの現代アクション映画にも、そんな 「過剰なまでの強さと自信を持った男」がスクリーンを闊歩しているという状況があった。今回のこの映画が1970年代テイストを持ったというのは、そうい う必然もあったのである。そんな1970年代テイストの徹底ぶりはハンパなくて、劇中のカーチェイスなども昨今の「ボーンなんとか」あたりの動体視力に挑 戦するみたいなチャカチャカしたものでなく、実際に突っ走るクルマを撮影した感じがたっぷり漂う、CG混入感ゼロの昔懐かしいカーチェイス。最後などは別 にそんなことをしなくてもまったく問題ない(笑)のに、クルーズがわざわざ銃を投げ出して悪党と雨の中をサシで殴り合うという趣向だ。このあたり、「ユー ジャル・サスペクツ」(1995)、「ワルキューレ」(2008)などブライアン・シンガー作品の脚本家として鳴らしてきたクリストファー・マッカリー、なかなかやってくれるのである。

こうすれば

 そんなわけで、アメリカ映画の1970年代アクションが大好きな僕としては至福の時だった本作、たったひとつだけケチをつけるとすれば…悪役だろうか。今回、ラスボスとして登場してくるのは、何とあのドイツの鬼才監督ヴェルナー・ヘルツォーク(笑)! 先日、「バッド・ルーテナント」(2009) でまさかのハリウッド映画デビューを果たしたかと思えば、今度は俳優としてのハリウッド・デビュー。いや〜、この人って意外にアメリカ映画好きだったんだ ろうか? それはともかく、この人の怪異な風貌が悪役には似合っていて、それ自体はなかなかいい。ところが脚本ではこの悪党がまったく書き込まれていなく て、わざわざ出てくる必然性がまったくない。だから、何でそこにいるのか分からないという、実にもったいない使われ方をしている。せっかくヘルツォーク御 大を引っ張り出しながら、何とかならなかったのだろうか。この点だけが何とも悔やまれる。

さいごのひとこ と

 昭和テイストのトム・クルーズ。

 

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