新作映画1000本ノック 2013年1月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ルーパー」 「もうひとりのシェイクスピア」
 「恋のロンドン狂騒曲」 「砂漠でサーモン・フィッシング」

 

「ルーパー」

 Looper

Date:2013 / 01 / 28

みるまえ

 未来から送られてきた人物を始末することを仕事としているジョセフ・ゴードン=レヴィットのもとに、30年後の自分が送り込まれてくる…というタイム・パラドックスがらみのSFアクション。「(500)日のサマー」(2009)で一気に若手注目株に急上昇のゴードン=レヴィットは、その後、クリストファー・ノーランに気に入られて「インセプション」(2010)、「ダークナイト・ライジング」 (2012)とノーラン作品に連続出演。アクションや辛口のシリアス演技もイケることを証明した。だから本作もなかなか期待ができそう。ミソは30年後の ゴードン=レヴィットの役に、アクションならお手のもののブルース・ウィリスが起用されていること。ウィリスとゴードン=レヴィットの顔合わせとくればか なり豪華な感じだが、問題はウィリスとゴードン=レヴィットが全然似ていないという点か。これって一体どうするつもりなんだろう。ともかくSFアクション とくれば、僕が見に行かないわけにはいかない。早速、劇場へと足を運んだわけだ。

ないよう

 ジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は「殺し屋」を生業としている。ただし、ただの「殺し屋」ではない。遙かに広 がる田舎のトウモロコシ畑の近く、原っぱにシートを広げて、ご自慢の懐中時計を見ながら「その時」が来るのをひたすら待つ。すると、正確な時間に「それ」 はやって来る。頭から袋をかぶせられて手を縛られた男が、シートの上に唐突に現れるのだ。ジョーはその男に向かって銃をぶっ放し、男の背に括られた銀の延 べ棒を手に入れる。あとは男の死体を近くのゴミ焼却施設に放り込んで仕事は終わりだ。現在は2044年。この時代、タイムマシンはまだ開発されていない。 しかし30年も経てば、それは現実のモノとなる。先ほどジョーが殺した男は、30年後からタイムマシンを使って現代に送り込まれた男だ。その時代には人々 はすべてデータ管理されており、邪魔者を始末したくとも下手に始末ができない。そこで犯罪組織は邪魔者をタイムマシン開発前の30年後に送り、そこの「殺 し屋」に始末させる方法をとっていたのだ。そのために未来から送り込まれたエイブ(ジェフ・ダニエルズ)が総元締めになって、ジョーたち「殺し屋」の仕事 が成り立っていた。そんな彼らのような「殺し屋」たちは、「ルーパー」と呼ばれていた。その仕事のおかげで、かなりの格差社会となっているこの時代でも、 ジョーは明らかに「勝ち組」の生活を得ることが出来ていたのだ。今日も今日とて、ジョーは成功の象徴というべき高級車に乗り込み、途中で「ルーパー」仲間 のセス(ポール・ダノ)を拾って高級クラブへと繰り出す。そのセスは、手の平の上でコインを浮かせて遊んでいた。彼は近年、突然変異で現れた超能力者のひ とりだ。しかしこれら超能力者たちは、さほどパワーを持っていたわけではない。どれもこのセスのように、コインを浮かせて遊ぶ程度の能力しか持ち合わせて いなかった。さて、クラブに乗り込んだジョーは、さっそくそこの売れっ子ショーガールであるスージー(パイパー・ペラーボ)に声をかける。高級娼婦でもあ る彼女は、ジョーのお気に入り。しかし残念ながら、今日は彼女には先約が入っていた。しかたなく、店の中でも「ルーパー」仲間たちがたむろする一角へと やって来るジョー。そこでの話題は、「ルーパー」仲間のひとりが「30年後の自分」を殺したことだった。彼ら「ルーパー」が廃業したいと思った時、犯罪組 織は部外者となる彼からこのからくりが発覚しないように、30年後の彼を「殺す対象」として送り込む。その結果、30年前の「ルーパー」は30年後の自分 を殺すことになる。これを仕事仲間は「ループを閉じる」と称していた。その代わり、30年後の自分を殺した時には、いつもの銀ではなく特別に金の延べ棒を 報酬としてもらえる。こうして儲けた金で、あとの30年間を贅沢に暮らせるのだ。まぁ、「太く短く生きる」のもひとつの生き方。自分の「ループを閉じた」 ばかりの仲間は、ヤクをキメながら怪気炎をあげていた。もちろんジョーもまた、過去から送り込まれた男たちをバンバン始末して、大いに稼いでいたのは言う までもない。そんなある夜のこと、ジョーのアパートの窓を叩く人物が…。それは例のお仲間のセスだった。彼はおびえきった様子で、ジョーに匿ってくれと頼 み込む。実はセスは、自分の「ループを閉じ損なった」ばかり。自分のもとに送り込まれた「30年後の自分」を撃てずにとまどっているうち、まんまと逃げら れてしまったのだ。しかし、セスは「ルーパー」廃業を宣言したわけではない。彼のあずかり知らぬ理由で、なぜか「30年後の自分」が送り込まれて来たの だ。そういえば、ここ最近「ルーパー」たちのもとに次々と「ループを閉じる」仕事が舞い込んで来ているとの噂があった。ひょっとして、未来で例の犯罪組織 が店じまいを始めようとしているのか。そうは言っても、「ルーパー」の掟ではターゲットを逃がすわけにはいかない。そこでのっぴきならない立場になったセ スは、ジョーのアパートに逃げ込んで来たわけだ。しかし、面倒に巻き込まれたくないジョーは困惑するばかり。どうすべきか考える前に、ジョーのアパートの 扉を叩く音がした。早くも追っ手がやって来たのだ。仕方なく、セスを銀の延べ棒をしまう隠し部屋に押し込むジョー。直後に追っ手を迎え入れたジョーは、彼 らに引っ立てられてエイブの元へと引っ立てられることになる。エイブの前でセスのことを聞かれたジョーは、あくまでシラを切るつもりだった。しかし、そん なことなどお見通しのエイブは、静かにジョーを諭すのだった。「セスを逃がすか、それとも貯め込んだ銀をすべて失うか」…。結局、セスの居場所を白状する ジョー。その結果、セスは組織から凄惨な拷問を受け、逃げ出した30年後のセスと運命をともにすることになった。さすがにこれはジョーにとって後味の悪い 結末だ。これまで自分のことだけを考えて生きてきた彼でも、無二の仲間だったセスを「売った」のはいい気持ちがしない。ところがそんなジョーに、降ってわ いたような事件が起こる。それはある日の「仕事」での出来事だった。いつものようにトウモロコシ畑のそばの原っぱにシートを敷いて、ひたすら「その時」を 待つジョー。ところが、いつまで経っても誰も現れない。「おかしい」とジョーが動揺し始めた頃、ようやく男が出現。ところがその男の顔には、いつもと違っ て袋がかぶせられてなかった。いきなり顔を上げたそのスキンヘッドの男は、ジョーを鋭い目で見る。その時、ジョーは瞬時にその男が誰かを悟った。ジョーの 目の前にいるその男は、彼の30年後の姿(ブルース・ウィリス)だったのだ…。

みたあと

 実はここから実際に物語が動き出すので、「これから」というところでストーリー紹介をやめちゃった感じ。大変申し訳ないと言わねばならないが、こういう SF映画などの場合はいろいろと「お約束」が多い。まずはそれらの「お約束」をすべて紹介するだけはしようと考えた次第だ。こうしてストーリーを文章に書 いてみると、この映画が、いかに効率よくすべての「お約束」を観客に説明しているか分かる。まずはこの点だけでも、監督・脚本のライアン・ジョンソンはお 手柄だと言うべきだろう。ここがうまくいっていないと、観客はダマされた気分になったり、よく分からないですっきりしないままにされてしまうからだ。
!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 そんなこの作品の中でもっとも評価すべきなのは、やっぱりジョセフ・ゴードン=レヴィットということになるだろう。冒頭にも述べたように、彼とブルー ス・ウィリスは、ハッキリ言ってまったく似ていない。だからウィリスが30年後のゴードン=レヴィットというのは、そのままではかなり無理があるのだ。今 回の作品ではそこを何とか特殊メイクなどの力を借りて頑張っているのだが、それよりも感心したのはゴードン=レヴィットの演技。ブルース・ウィリスの映画 を何本も見てきた人ならお分かりのように、ゴードン=レヴィットはウィリスの仕草や目つき、しゃべり方などをかなり忠実に再現。決して「そっくりさん」で はないが、ブルース・ウィリスの「雰囲気」を似せることに成功しているのだ。これにはちょっと驚いた。これはゴードン=レヴィットでないと、ここまでうま くいかなかったのではないだろうか。これは最大限に褒めてあげたい。一方のブルース・ウィリスは、派手に撃ちまくって大暴れするあたりが「いつものブルー ス・ウィリス」(笑)。そうしたイメージでの起用ということもあるだろうが、今回は特にどこか似た印象の題材である出演作「12モンキーズ」(1995) のオマージュ的な起用…という側面もあったのではないだろうか。他にストーリー紹介にはまだ登場してこないが、「砂漠でサーモン・フィッシング」(2011)でも好演のエミリー・ブラントが出演。ここではちょっと生活感のある役どころで、またまたいい味を出していた。

こうすれば

 そんなわけで、役者もいいしSFとしての語り口も いい。アッと驚く幕切れも「なるほど」と思わせるものではある。だからSFサスペンスとして楽しめる作品で、なおかつ余韻が残るエンディングでいい感じ… となるはずなのだが、正直言って僕は見終わってすっきりしなかった。ここで言いたいことは、こんなことだろう。幼い頃から愛されることを知らなかったがゆ えに、人を愛せず利己主義で生きてきた男が、初めて愛を知ったことで「人のため」に何をすべきか考え行動するようになった…。それ自体はすごくよく分か る。この映画で訴えたいことの意味は曖昧さがないので、おそらく観客にはほぼ完璧に伝わるはずだ。衝撃的な「オチ」もタイム・トラベルものとしては申し分 ないと思えるし、何が悪いのか分からない。どうしてだろうと考えてみたのだが、今ひとつハッキリしない。いろいろ考えてみたあげくに思ったのは、おそらく 衝撃的なエンディングがなかなか見ている者の心にストンと納得して落ちてこないからではないだろうか。その原因は無理矢理考えてみると、主人公ジョーが 30年後の彼自身をまったく説得できていないし、しようとしている形跡もないという点にあるのかもしれない。主人公ジョーは当然観客から感情移入されるべ き人物だし、映画の後半では愛情を知ったように見えるからなおさらだ。一方の30年後のジョーは、やっと知ることができた愛情のために戦っているわけで、 こちらも観客は感情移入できる。演じているのが好感度の高いブルース・ウィリスという点でも、この人物への観客の共感ぶりは極めて高いはずだ。つまり、観 客はどちらにもハッピーエンドを望むはずなのである。それが、どちらもそうはならない。しかもショットの構図などもアッサリとしたものなので、悲劇として の「泣かせどころ」にもならない。切ない思いを盛り上げるわけでもないから、観客は置いてけぼりになったような気がしてしまうのではないだろうか。そし て、それ以上に大きな理由としては…確かに主人公の感情の流れとしては、利己主義な男が愛を知って「人のため」に行動するようになった…と理路整然とした モノになっていて申し分ないが、あまりにスジが通り過ぎてしまって「理が勝ちすぎる」印象が出てしまったのかもしれない。確かに理屈としてはそうなるだろ うが、そこに血が通ったものが感じられない。例えどんな人物でもどんな理由であっても、「自分を犠牲にしても人を守る」というのは、かなりの強い必然性が なければ出来ない。誰にでもできるというものではない。それが、ずっと利己的に生きてきたこの主人公に、昨日や今日初めて愛を知った(らしい)からといっ て、すぐにこんな行動がとれるだろうか。しかも、それほど強い愛の体験を持ったようにも思えない。やっぱりこれでは、しょせん頭の中でこしらえた「お話」 でしかないので、見ている者への説得力を持たないのではないか。前半のSFならではの「お約束」をテキパキと合理的に語ったライアン・ジョンソンも、その へんの感情の動きまであまりに「合理的」に語りすぎたのがアダになってしまったのではないか。

さいごのひとこと

 「ダイ・ハード」の新作も任せられるね。

 

「もうひとりのシェイクスピア」

 Anonymous

Date:2013 / 01 / 28

みるまえ

 「ハムレット」「ロミオとジュリエット」など、現代のドラマの原点とされているシェイクスピア作品が、実はシェイクスピ アの手になる作品ではなく別人が書いていたものだった…という一種のトンデモ話を、名だたる英国名優たちを使ってリアリティたっぷりに描く作品という触れ 込み。そう聞けば、何となく有名な実在人物を扱った「史実スレスレのフィクション」ものとして「アマデウス」(1984)みたいな作品が脳裏に浮かぶし、 シェイクスピアといえば「恋におちたシェイクスピア」 (1998)なんて作品もすでにある。これもそれらの作品の系譜に連なるものなんだろうと思っていたが、ちょっと引っかかったのが監督の名前。いや、この 名前を見たら引っかかるのは「ちょっと」やそっとではない。ローランド・エメリッヒ…何と「インデペンデンス・デイ」(1996)のあの男が監督している のだ。SFXを駆使した大味超大作しか作ってこなかった男が、こんなストレートど真ん中で真っ当なドラマをこしらえようとは。まさかシェイクスピアにまつ わるSF映画なのか(笑)? エメリッヒ、一体どういう風の吹き回しなのかと疑問に感じてしまうとともに、「こいつで大丈夫なのか?」という一抹の不安が 漂う。何しろこれまでの作品群がウツワこそデカく作られているものの、ドラマとしては「いかがなものか」と思わされる部分が多々あったから、不安になるの も無理はない。背伸びもいいかげんにしろよと言いたくもなる。それでも異色の題材と監督の組み合わせに興味がわいて、ついつい劇場に足を伸ばした次第。

ないよう

 摩天楼そびえ立つニューヨークはブロードウェイ。今まさにタクシーから飛び降りて、とある劇場へ駆け込む一人の初老の男 (デレク・ジャコビ)。その劇場の出し物は「Anonymous(匿名)」と看板に書いてある。息せき切って駆け込んだその男が慌てて舞台にたどり着いた ところで幕が上がって、芝居の始まり始まり。「シェイクスピア、その存在には多くの謎がある。生涯にただ一つの原稿も残さず、子供の頃からロクな教育も受 けていなかった。妻子もみな無学な連中ばかり。あれほどの作品群をどうやって残せたのか? ここで皆様に、いささか異端な物語をご紹介しよう」と男が語り 始め、舞台は16世紀のロンドンへと移っていく。暗い雨の夜、一人の男が必死に逃げ回っている。その後を追いかける謎の兵士たち。その男、劇作家ベン・ ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)はいくつもの原稿を抱えて逃げ回り、ついには劇場「ローズ座」の中に逃げ込む。舞台の下に隠れたジョンソンは、 持っていた原稿の束をその場所に隠す。しかし兵士たちはたいまつを持ち込み、劇場に火をつけ始めた。これにはさすがにどうすることもできず、ジョンソンは お手上げ状態で舞台の下から出てくる。しかし「ローズ座」は、兵士たちがつけた火が燃え広がって手がつけられない状態になってしまう。そして捕らえられた ジョンソンは、せむしのソールズベリー伯ロバート・セシル(エドワード・ホッグ)に尋問されるのだった。「オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアの原 稿はどこにある?」…。話はそれより数年前にさかのぼる。庶民のお楽しみとして大いに盛り上がる芝居の劇場に、やんごとなき貴族オックスフォード伯エド ワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が若きサウサンプトン伯ヘンリー・リズリー(ゼイヴィア・サミュエル)を伴ってやって来た。芝居は大受け。それと いうのも、この芝居にはちょっとした仕掛けがあった。ハッキリと名指しはしないまでも、時の女王エリザベス一世の宰相として権力を誇示するウィリアム・セ シル(デヴィッド・シューリス)と、その息子ロバート・セシルをコケにした内容だったからだ。庶民は嫌われ者のセシル父子を笑って大いに溜飲を下げていた わけだが、当然、セシル父子がそれを面白く思っているわけはない。突然、劇場にセシルが派遣した兵士たちが乱入。この芝居を書いた劇作家ベン・ジョンソン を捕らえていった。この大混乱を避けて何とか劇場を脱出したエドワードとヘンリーだったが、エドワードは観客の反応ぶりに手応えを感じていた。芝居には確 かに人々を揺さぶるパワーがある…。そのころ、ヘンリーとエセックス伯ロバート・デヴァルー(サム・リード)は、セシル父子が老いたエリザベス女王が亡き 後にスコットランド王ジェームズを王位に据えようとしていることを知り、大いに憤慨していた。本来ならチューダー朝派」の人間が王位に就くべきだと考えて いたヘンリーは、エリザベス女王の「隠し子」といわれるロバートを推していたからだ。その点については同意見だったエドワードは、しかしヘンリーに慎重に 行動するように釘を刺す。それは激情型のロバートが軽率な行動をしそうなことを警戒していたからであり、また彼には彼なりの「考え」があったからだ。その 作戦のひとつが「芝居」だった。エドワードはヘンリーに、エリザベス女王に芝居の上演をプレゼントすることを提案する。早速、宮殿の中で、エリザベス女王 (ヴァネッサ・レッドグレーヴ)のためのとっておきの芝居の上演が行われることになった。それを見たエリザベス女王は、その芝居の匿名の「作者」が誰であ るかをすぐに悟ったのだった。それは何十年も前のこと、若き日のエリザベス女王(ジョエリー・リチャードソン)の前で、ひとつの芝居が上演された。その芝 居を書き、自ら演じたのが、まだ少年のエドワード(ルーク・トーマス・テイラー)だった。女王はエドワードを褒め、エドワードは女王の面影を脳裏に焼き付 けた。それからまもなく父を亡くしたエドワードは、ウィリアム・セシルに引き取られて育てられることになる。その家は抑圧的な陰鬱な空気が支配しており、 立派な青年に成長したエドワード(ジェイミー・キャンベル・バウアー)にとっては、何から何まで息苦しいばかりの家だった。中でも閉口させられたのが、セ シル家が詩や演劇などを忌み嫌っていること。文才に富んでいたエドワードには、文学をたしなむことを禁じられていることが何よりつらかった。また、エド ワードはエリザベスと恋仲になっていったが、それもウィリアム・セシルは快く思っていなかった。そんなある日、エドワードの部屋に何者かが忍び込んだた め、彼はその人物を剣で刺し殺す。それはウィリアム・セシルが偵察のために忍び込ませた使用人だったため、話は厄介になった。結局この件をもみ消す代わり に、エドワードはエリザベスと別れて、ウィリアム・セシルの娘アンと結婚する羽目になってしまう…。こうした経緯を経て壮年期を迎えていたエドワードだか らこそ、セシル父子の横暴には目をつぶれなかった。エドワードはコネを使って捕らえられたベン・ジョンソンを釈放させ、自分の屋敷へと招く。おっかなびっ くりしながらやって来たジョンソンに、エドワードは表紙に「ヘンリー五世」と書かれた分厚い原稿を渡してこう語るのだった。「私が書いたこの芝居を、君の 名前で上演してもらいたい」…。

みたあと

 肝心のシェイクスピアその人が登場する前にストーリー紹介を切り上げて申し訳ないが、キリがいいところで終わらせていただいた。SF映画の大味大作しか 見たことのなかったローランド・エメリッヒだが、こんなストレートな歴史ドラマが作れるとは驚き。何だか安っぽい大作になっていないかと思ったら…役者た ちの演技合戦が見どころの堂々たる歴史劇になっているではないか。しかも実に面白い。しかもしかも、お話にホコロビが見つからない。US版「ゴジラ」 (1998)や「2012」 (2009)ではお話がかなりボロボロだったのに、今回はそんな隙が一切見られないのだ。一体エメリッヒどうしたのかとビックリ仰天。「やりゃあできる じゃねえか」と感想を一言で済ませたいところ(笑)だが、そんな単純な問題でもないだろう。それにしても、エメリッヒの以前の作品との様変わりぶりがハン パないのである。
!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 とにかく何でこんなに面白いのかと言えば、ジョン・オーロフによる脚本がよく書けているから…ということに尽きるだろう。シェイクスピア作品が実はシェ イクスピアによって書かれたわけではなかった…というトンデモ新説を中心に、そこに時のエリザベス女王後継者問題を絡ませて、時代を揺るがす「陰謀説」に しているあたりが素晴らしい。シェイクスピアに関する史実の重箱の隅をつつくような狭っ苦しい作品ではなく、スケールの大きい時代絵巻風に描いているとこ ろが素晴らしい。そして主人公であるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアの悲劇的な描かれかたにも大いに圧倒されたが、彼にまつわるエピソードがこ とごとくシェイクスピア作品を彷彿とさせるあたりも実にうまい。そうした人生の中の事件を素材にして、さまざまな作品が描かれていったという裏付けになっ ているところがうまいのである。知性のかけらもないケチな小悪党ぶりを見せるシェイクスピアの描かれっぷりといい、主人公エドワードが王位継承問題で仕掛 けた大バクチとそのプランが崩壊していくあたりの緊迫感といい、この作品の価値の大きな部分がこのジョン・オーロフ脚本によるものであることは否定できな い。これはやっぱり脚本の勝利だろう。さらに英国の名優たちを中心にした、重厚なキャストを得られたことも大きい。特に「ノッティング・ヒルの恋人」(1999) でヒュー・グラントのおかしな同居人を演じていたリス・エヴァンスが、実に見事に主人公のエドワードを演じていたのに目を見張らされた。ヴァネッサ・レッ ドグレーヴとジョエリー・リチャードソンという実の母娘で、エリザベス一世の老いた姿と若き日を演じてみせたのも、ファンとしては感慨深い。オープニング とエンディングにチラッと出てくるだけの「狂言回し」に、名優のデレク・ジャコビをわざわざ起用しているのも贅沢。若き日のエドワード役やヘンリー役に、 「トワイライト」シリーズの若手俳優を起用しているのは何だかチャラい印象になっちゃっているが、総じてイギリスの名優クラスが大挙出演した豪華キャスト になっている。…というわけで、脚本の出来とキャスティングがよかったから今回のエメリッヒは見事な映画をモノにすることができたのだ…と考えれば事は簡 単なのだが、僕は実はそうは思えない。今回の作品は従来のエメリッヒ作品とはかなり趣が違うと繰り返し語ってはきたが、実は全く路線が異なっているかと言 えば、そうとばかりも言い切れない。実は大きな部分で、従来の彼の作品と共通する要素を持っているのである。それは、CGやSFXの大胆な使用だ。シェイ クスピアたちが生きた、16世紀ロンドン。その世界観全体を、リアルでスケールでっかいCGで再現している。これは全部セットで構成することは不可能に近 い。CGだからこそ出来る芸当だ。それはガイ・リッチーが「シャーロック・ホームズ」 (2009)で採用したアプローチに近い、CGの有効活用とでも言うべき手法なのだ。そしてここまで大胆で大幅なCGの活用は、誰にでも出来ることではあ るまい。CGやSFXを多用した映画の第一人者である、エメリッヒだからこそ出来たことだろう。これは意外な「適材適所」ぶりなのだ。では、今回エメリッ ヒは、あくまで「特撮要員」としてのみこの作品に貢献したのか。僕はそれも違うと思う。実はリアルで重厚なドラマが展開するからそれほど奇異には感じられ ないが、お話の根幹自体はかなり突飛なお話。基本的には「シェイクスピアの数々の名作は他人の作だった!」という話と、「それはエリザベス一世のお世継ぎ 問題の陰謀に絡んでいた!」という話から成立しているこのドラマは、相当トンデモな物語。かなり極端な例にはなるが、「日航ジャンボ墜落事件は米軍の陰謀 だった!」とか「ポール・マッカートニーはビートルズ存続中に死んでいた!」などという話に微妙に近いといえば近い。今回の作品は、かなりハッタリを効か せた話と言えなくもないのだ。宇宙人が巨大宇宙船で地球の代表的な都市を攻撃してくるとか、放射能で巨大化したイグアナがニューヨークを襲うとか、温暖化 によって北半球の先進国が凍り始めるとか、マヤ暦の予言通り世界中に地殻変動が起きるとか…それは大風呂敷を広げまくった映画を作り続けた、ローランド・ エメリッヒならではのハッタリ感ではないか。歴史の核心にズカズカと土足で踏み込むような大胆さ(ある意味、無神経さとも紙一重なのだが)は、従来からエ メリッヒの持ち味なのである。それをCGならではのリアリティでくるんで見せるのも、実に彼らしい手法なのだ。それでもまだ納得できない人は、エメリッヒ が意外にもすでに「パトリオット」(2000)で、骨太な歴史大作に挑んで成功させていることを忘れてはならない。従来のエメリッヒから様変わりした作品と思えた今回の映画は、実は他のどの作品よりも一番彼らしい作品だったのである。

さいごのひとこと

 もうひとりのエメリッヒが監督かと思った。

 

「恋のロンドン狂騒曲」

 You Will Meet a Tall Dark Stranger

Date:2013 / 01 / 21


みるまえ

 昔はウディ・アレンの映画が大好きで、新作は欠かさず見に行ったものだが、最近はどうも…。見ればうまく出来てるし面白 いとは思うのだが、さすがに最近は前作必ず見ようとは思わなくなっていた。毎回豪華キャストを使って人生の機微に触れた作品をつくっているのだが、あまり に洒落て才気走りすぎているせいか、時々どうも血の通ったものに感じられない作品が出来てしまう。インテリなのは分かるのだが(そして当人はインテリ面す る奴をバカにしているのに)、どうしても鼻についてくるスノッブな感覚。それが毎度毎度昔のジャズやスタンダード・ナンバーから始まる映画の構成なども相 まって、正直「マンネリ」「もうお腹いっぱい」というウンザリ感を感じさせられてしまう。ここ最近のウディ・アレン作品はそんな感じだったので、正直見る 前から見たような気がしてしまって、割と何作か見ないで済ませてしまった作品もあったのである。今回の作品を見たくなった理由は、ウディ・アレン作品にい よいよアンソニー・ホプキンス登場という興味があったから。実際にはヒット作となった「ミッドナイト・イン・パリ」(2011)の前作にあたるこの作品だ が、ぶっちゃけその程度の気分で見に行ったわけだ。

ないよう

 まぁ、シェイクスピアも言っているように、人生っていうものは大した意味はない。その話は、初老のご婦人ヘレナ(ジェ マ・ジョーンズ)が友人の紹介である怪しげな占い師クリスタル(ポーリーン・コリンズ)の元にやって来たところから始まる。この占い師は見るからにインチ キ臭がプンプンする奴だが、弱り切ってワラにでもすがろうというヘレナにとっては、その言葉が値千金。かくして完全にカモとなってしまう。元はといえば、 ことの発端はヘレナの夫だったアルフィー(アンソニー・ホプキンス)にある。ある晩、突然死の恐怖におびえたアルフィーは、いきなり迫りくる老いに対して 無駄な抵抗を開始。運動をやったり過度な若返りを始めて、ついていけなくなったヘレナを捨てて家を出た。それに動転したヘレナは、こうして占い師にすがり に来たというわけだ。しかし本来ならば困ったことなのだろうが、娘のサリー(ナオミ・ワッツ)はそんなヘレナをたしなめようとは思わない。なぜなら離婚騒 ぎの当初はヘレナの自殺未遂などでさんざ振り回されたこともあり、何でもすがって落ち着いてくれれば安心というもの。そもそもサリーは苦しい家計をヘレナ の援助で何とかしているだけに、母親にとやかく言えた義理ではないのだ。サリーの夫ロイ(ジョシュ・ブローリン)は、元々は医大に通っていた頭脳明晰な 男。しかし途中で進路を変更して、何を考えたか作家に転身。デビュー作は見事成功して思い通りの道にいけるかと思いきや、典型的な一発屋コースでその後は 鳴かず飛ばず。しかしサリーのたっての頼みで仕事に就いても、慣れぬ運転手業でキレてすぐ辞めてしまうアリサマ。現在、出版社に提出の新作もどうなるか分 からない状況だ。当然のことながらヘレナはそんなロイを好ましく思わず、ロイとサリーの家にやって来てはチクリチクリ。ロイはロイでヘレナの占い依存症を 馬鹿にして、「いずれあなたは背の高い黒っぽい見知らぬ男と出会うでしょう…おっと、こりゃ死神かな?」などとイヤミを言う始末だ。そんなサリーは画廊に 勤めて家計を支えるが、画廊のオーナーであるグレッグ(アントニオ・バンデラス)はフェロモンがムンムンする伊達男。すっかりショボくれた夫ロイと、どう したって比較せざるを得ない。さて、ヘレナと別れたアルフィーはすっかり若作りしたなりで新生活をスタートするが、それで身も心も若くなれる訳もない。ひ とりぼっちの時間を持て余して、結局、ある「サービス」に頼ることになる。それでやって来たコテコテなグラマーのシャーメイン(ルーシー・パンチ)にイチ コロで、何を血迷ったかすぐにも結婚に持ち込むアルフィー。いかにもパッパラパ?な彼女に引き合わされたロイとサリーは、さすがに当惑を隠しきれない。そ んなこんなしているうちに、占い師のおかげかヘレナにも気になる男性が出現。妻を亡くして来世を信じるようになった男ジョナサン(ロジャー・アシュトン= グリフィス)と意気投合するようになる。一方、サリーとの間柄がギクシャクし、新作の行方も不透明なロイは悶々とする毎日。おまけに友人ヘンリーから自作 の小説を読んでくれと言われたら、これが予想外の傑作で大ショックとトリプルパンチ。そんな彼の一服の清涼剤は、窓から見える向かいのアパートの若い娘 ディア(フリーダ・ピント)。時々、ギターをつまびく彼女に、徐々に心惹かれていくロイだったが…。

みたあと

 先にもさんざん愚痴ったように、僕は近年のウディ・アレン作品はマンネリだと思っていた。数多くの登場人物の恋愛模様が交錯するパターンの作品が続く中 に、時々、「マッチポイント」(2005)みたいなちょっと辛口でシビアーなシリアスものが混じる…というサイクルもお約束だと勝手に思っていたわけだ。 今回もまた毎度お馴染みの「数多くの登場人物の恋愛模様が交錯するパターン」だと思って、タカをくくってボケッと見ていたのだが…。
!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 いつもだと複数の登場人物の恋のさや当てを、少々ホロ苦さも交えてしゃれた語り口で描いていくところ。しかし今回は、そんなこちらの予想を少々くつがえ す…というのは大げさだとしても、かなり意外な展開を見せていたのに驚いた。先ほどから何度も繰り返して述べているように、しゃれてホロ苦くて…というの がアレン特有の恋愛群像劇の定石だが、今回は単にホロ苦いでは済まされない。かなりダークなエンディングを迎えるのである。その最たるものがジョシュ・ブ ローリン演じる作家のロイ。新作小説が売れず行き詰まった彼は、たまたま事故死した友人の原稿を自作と偽って、久々の出版にこぎ着けるが…という展開は、 もう「ホロ苦い」レベルでは収まらない暗さ。それは、昔の「太陽がいっぱい」(1960)とか前述の「マッチポイント」などを彷彿とさせるものがある。ロ イは殺人を犯したわけではないが、ほとんど「殺したも同然」な罪を犯していて、とてもいつものアレンの恋愛群像劇のように「しょうがないなぁ」とは笑えな い。当然、彼を待っている結末もほとんど「人生の破滅」に近いであろうことが暗示されていて、見ていて暗澹とした気分になってしまうのである。それはロイ だけに限ったわけではなく、今回の登場人物たちはほとんどみんな悲惨な結末を迎えることになる。今回のドラマはすべてアルフィーが若返りを決意して妻ヘレ ナを捨てたことに端を発しているが、彼はその後、若々しい独身生活をエンジョイするつもりがすもいかない。そのあげく愚にもつかない「体だけ」の女に引っ かかり、金は浪費されるわ浮気はされるわ。さすがに頭を冷やして古女房とヨリを戻そうとしても、もはや手遅れになってしまう。アルフィーの娘サリーはロイ との仲が暗礁に乗り上げるのと前後して、画廊のオーナーに想いを寄せるようになるが、皮肉にも自分がオーナーに紹介した級友の画家に持って行かれてしま う。おまけに独立して新画廊を立ち上げようと画策したものの、資金を提供するはずだった自分の母親ヘレナは占い師のアドバイスを聞いて、頑として金を出さ なくなってしまうのだ。そんな中でも一番悲惨なのがロイと結ばれる隣のアパートの娘ディアで、エリートの婚約者と結婚間近なのにロイに誘惑され、大もめの 末に破談。結局、ロイと同棲をスタートさせるが、ロイが前述したような状況だから一緒に悲惨な結末が待ち受けていることは間違いない。こんな調子で、出て くる人物がことごとく奈落の底へ一直線。こうなると唯一の「勝ち組」は来世や妄想に逃げ込んでしまったヘレナということになるわけで、彼女は妻を亡くして から来世を探求するようになった男ジョナサンと再婚することになっている。実際ナレーションでも「勝ち組」だと語られているわけだが、彼女とても「自分の 都合の悪いことには目をつぶって逃避している」だけと考えれば決して明るい結末とは言い切れまい。第一、本当に「来世」があるとしたら、一番困ってしまう のはこのヘレナだからである。どいつもこいつも行く末は悲惨。今までも皮肉っぽかったりクールだったりしたアレンではあるが、ここまでペシミスティック だったことはないのではないか。一見軽やかな語り口にしているからあまり気づかれないかもしれないが、おそらく彼の映画の中でも最もシビアーな話になって いるように思われるのだ。それは例えば、独立資金を出さないと母ヘレナにいきなり言われたサリーが、怒り狂って「とにかくお金をちょうだい!」と連呼して しまう身も蓋もなさを見てみれば分かる。結局、最後はテメエのこと、カネのことだけ…という救いのない状況をズバリと描いた、何とも非情な内容になってい るのだ。これが老境にさしかかったアレンの、偽らざる心境なのだろうか。正直言って暗澹とした気分になってしまったが、そこにゾッとするほどのリアリティ があることも事実なのだ。

さいごのひとこと

 軽くて楽しそうな題名に偽りあり。

 

「砂漠でサーモン・フィッシング」

 Salmon Fishing in the Yemen

Date:2013 / 01 / 14

みるまえ

  この映画については、事前にチラシを見つけたわけでも予告編を見たわけでもなかった。映画については目利きの知人より、ラッセ・ハルストレムの「砂漠で サーモン・フィッシング」という映画が近々公開される…と連絡をもらい、その存在を知ったのだった。昨年(2012年)はここ何年かで一番多くの本数を見 ることができた年になったのだが、それでも後半はムチャクチャな忙しさだったため、映画の情報がほとんど耳に来なかった。前述した知人のような人たちか ら、口コミで情報を得るしかなかったのだ。それはともかく、ラッセ・ハルストレムの新作。この人って元々はスウェーデンの人ながら、ハリウッドに渡ったら 妙に水が合ったらしく、特に「サイダーハウス・ルール」(1999)、「ショコラ」(2000)、「シッピング・ニュース」 (2001)あたりの活躍ぶりはスゴかった。ちょうどその頃がこのサイトの全盛期だったから、余計に印象に残っている。しかしその後はいつの間にかパッと しなくなり、作品の発表頻度が落ちたり日本未公開作が挟まったりで、あまりその名前を聞かなくなった。たまに新作が来ると思えば「ハチ公物語」のハリウッ ド・リメイク「HACHI/約束の犬」(2008)だったりしたというのは、出世作「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985)からの「犬」つながりっ てことなんだろうか(笑)。ともかく僕の中では「終わっちゃった人」という印象があったわけだ。しかし今回の作品、タイトルもユニークなら主演もユアン・ マクレガーと旬な人を持ってきていて、久々に「現役感」がムンムン。これは久々に期待できるんじゃないかと思えた。残念ながら多忙だったため2012年中 には見ることができなかったが、何とか正月休みに映画館に駆け込んだ次第。これが今年最初の映画鑑賞とは、縁起がいいのか悪いのか。

ないよう

  投資コンサルタント会社の社員ハリエット・チェットウォード=タルボット(エミリー・ブラント)は、一通のメールを打っているところ。その内容はとんでも ないものだった。砂漠の国イエメンの首長の頼みで、この国でサケ釣りができるようにする…というプロジェクトについての相談である。彼女はこのメールを打 ち終えると、会社を後にして恋人のもとへと急いだ。そのメールを受け取ったのは、漁業・農業省に勤める水産学者アルフレッド・ジョーンズ博士(ユアン・マ クレガー)。サケの専門家ということでハリエットが選んだ人物だったのだが、ジョーンズはこの相談を「バカげている」と一蹴。ちょうどビジネスウーマンの 妻メアリー(レイチェル・スターリング)が突然仕事で海外に出かけると宣言した時だったので、ジョーンズはなおさら苛立ちを隠せない。身もフタもない返事 を返したジョーンズは、しかし妻の海外行きを止めるわけにもいかず悶々とするばかり。そんなわけで、このイエメンでサケ釣りを可能にするというプロジェク トも、それっきりで終わってしまうはずのものだった。ところが、世の中何があるか分からない。アフガニスタンで英国軍によるモスクの誤爆という事件が勃 発。中東とイギリスの関係がみるみるうちに悪化していく懸念が生じたのだ。英国首相の広報官パトリシア・マクスウェル(クリスティン・スコット・トーマ ス)は、事態を深刻に受けとめる。彼女は部下を激しく叱りとばすと、英国と中東の間で「何かいいニュース」はないかと慌てて探させた。しかし結果はお寒い ばかり。そもそも「良い話」の数が極めて少ないところに来て、それぞれの話も大した話ではないか、かえって対中東関係を悪化させかねないようなシロモノ。 困り果てたパトリシアがふと目を留めたのが、例のイエメンでのサケ釣りの話だった。こうして話は大げさなことになってきた。ジョーンズは大嫌いな上司サグ デン(コンリース・ヒル)から、この件で例のハリエットと話をしてくるように命じられる。「バカげている」と反駁するが、聞いてもらえるわけもない。こう してイヤイヤながらハリエットのもとを訪ねるジョーンズだった。こうしてジョーンズとハリエットは初めて面と向かうが、当然のことながらジョーンズは協力 的なわけもない。「水がない」「水を冷却できない」「サケの居場所がない」と無理な理由を並べるばかりだ。しかしハリエットは、まったく裏づけナシに ジョーンズに連絡をとったわけではなかった。実はイエメンには、すでにダムが建設されている。しかも依頼人は、それなりに困難なことは分かっているという のだ。ところがジョーンズはその後も無理である理由を並べたてて、一方的に席を立ってしまった。しかしハリエットはそんな彼に苛立ちを感じるよりも、彼が 立ち去る時にガラス扉に顔をぶつけたオッチョコチョイぶりに、微笑ましい思いを抱くのだった。こうして職場に戻ってきたジョーンズだが、当然、上司がそれ で納得するわけもない。結局、ジョーンズはまたまたハリエットのもとに戻って、計画に協力せざるを得なくなる。まったく乗り気でないジョーンズは、ヤケク ソ気味に大風呂敷を広げて語り始めた。「必要なサケは1万匹」「輸送は世界最大の輸送機アントノフを使用」「中国の三峡ダムの技術者のアドバイスが要 る」…などと思いつきで並べ立てるが、ハリエットはまったく動じない。莫大な費用と手間がかかる話なのに、むしろ「話が具体化してきた」と喜ぶ始末だ。さ すがにジョーンズはこんなバカげた計画を思い付くイエメンの首長に呆れるが、ハリエットは「会えば分かる」と落ち着いたものだ。そんなハリエットも、プラ イベートではつきあい始めたばかりのロバート・メイヤーズ(トム・マイソン)という軍人の恋人がいる。ある晩、突然の命令で戦地に行くことになったロバー トを、ハリエットは心配しながらも送り出すのだった。一方、ジョーンズの方はといえば、戻ってきたばかりの妻がまたすぐに海外に出掛けることになる。さす がにやり切れない気持ちになるジョーンズ。そんなハリエットとジョーンズが、いよいよ例のイエメンの首長と会うことになる。この首長はイギリスの古い城を 別荘として買い取り、ヒマがあるとサケ釣りにやって来ていたのだ。ろくな奴じゃないと思い込んでいたジョーンズだが、城に到着するやサケ釣りに行くように 言われて、竿まで用意されればイヤとは言えない。ジョーンズ自身、無類のサケ釣り愛好者なのだ。こうして近くの川へと出向いたジョーンズは、そこに少々見 慣れぬ服装の人物がサケ釣りを行っているのに気付く。その釣り人こそ、問題の首長ムハンマド(アムール・ワケド)だった。この初対面だけで、軽く先入観を 壊されたジョーンズ。さらに、ムハンマドが愛用する釣り用のルアー「ウィリー・ジョーンズ」が、他ならぬジョーンズ考案のものだったと来れば、ますます考 えを改めざるを得ない。そんなジョーンズに、ムハンマドは「サケ釣りの実現は、最終的にはイエメンの国民のためになるのだ」と語りかけるのだった…。

みたあと

  久々のラッセ・ハルストレム作品。お話もユニーク。役者の顔ぶれもなかなか興味深い。そんなわけで結構期待して見に行った作品だが、実は意外にサラッと見 終わってしまったことに少々ビックリ。それなりに感銘なり、考えさせられる点なりってものがあるんだろうと勝手に予想していたのだが、そういう引っかかり があまりにないのに驚いてしまった。ハルストレムと「フル・モンティ」(1997)、「スラムドッグ・ミリオネア」(2008)の脚本家サイモン・ビューフォイが組んでの作品にしては、あまりにアッサリ風味だったのである。正直言ってそこに戸惑ったというのも本音だ。

みどころ

  ズバリ言うと、僕が見た限りのハルストレム作品の中では、最も「ショコラ」の感触に近いだろうか。シリアスな現実感覚からかなり遠い印象で、いわば大人の おとぎ話である。それが爽やかな水から飛び跳ねるサケのビジュアルのように、涼感たっぷりに描かれていく。本当に爽やかなお話なのである。お話自体も浮世 離れしていて、適度に戯画化されていて楽しい。「サラの鍵」(2010)クリスティン・スコット・トーマスが最もカリカチュアライズされた演技を楽しげに見せてくれる。また「シリアナ」 (2005)にも出ていたイエメンの首長役アムール・ワケドも、なかなか風格があって味わい深い。だが、他のユアン・マクレガーやエミリー・ブラントは もっとおとなしくアッサリ味の演技だ。全体的に本当にアッサリしているのである。何だか僕の感想文の書き方までアッサリなので、僕がこの作品を評価してい ないように思われるかもしれないが、僕はこの作品をとても楽しく見た。面白いとも思っている。ただ、あまりにアッサリしていて僕からあえて指摘することも ないのだ。個人的に僕にとっての引っかかりがないのである。僕のボキャブラリーが貧困なのかもしれない。だから、他の人たちが言うようなありふれたことし か言えない。そんなことしか言えないのか…とちょっと僕も考えちゃったのだが、元々がラッセ・ハルストレムって「アバ/ザ・ムービー」(1977)とか 撮ってた人なんだよな(笑)…と思ったら、何でもかんでも深読みするもんでもないと思ったよ。「楽しい」「気持ちイイ」だけでいいんじゃないか。

こうすれば

  実はこんなことを言うのはヤボだとは百も承知なのだが、イエメンの川にサケなんか放流しちゃったら環境破壊にならないのか…とか、ヒロインのハリエットの 恋人は彼女に会いたくて必死で生還したのに気の毒…とか、ちょっと気になる点もいくつか見つかった。でも、やっぱりそんなことを考えちゃう奴はヤボってこ となんだろう。

さいごのひとこと

 どこでもサーモンは食うに限る。

 

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