「陸軍登戸研究所」

  Rikugun Noborito Kenkyujo

 (2012/09/23)



見る 前の予想

 この映画のチラシを見た時には、思わずドキドキしてしまった。
 戦争を影で支えた幻の研究所の全貌に迫る…みたいな内容。「戦前や戦中の知られざる事実」…みたいな話が大好きな僕としては、思わずワクワクしてしま う。おまけに「研究所」だ。どんな秘密の兵器や技術を研究していたのか。戦況が逼迫して劣悪な状況になっていた中でも、ひそかに人工石油や原子爆弾や ジェット戦闘機を開発していた日本だ。ひょっとして想像も付かない秘密兵器を研究していなかったとも思えない。こうなると小松崎茂の空想科学イラストの世 界だ。
 チラシにはウワサの「風船爆弾」らしきモノが描かれていたり、電波みたいなモノが描かれているそばに「怪力線」なる文字があったりして、それだけでも興 味がふくらむ。ひょっとしたらトンデモ映画である可能性すらあるかもしれない。いやぁ、これはSF好きな僕なら見なくちゃいけない映画だろう。
 ところがウカウカしているうちに上映終了。ガッカリしていたら、またまたヒッソリと再上映されているではないか。僕は忙しい中、慌てて上映されているホールへ駆けつけたのだった。

あら すじ

 第一次世界大戦は、それまでの戦争の概念を大きく変えた。
 飛行機、戦車、機関銃、毒ガス兵器…科学技術を駆使した新兵器の登場によって、戦争は一般人も巻き込む無差別大量殺りく時代に突入した。そんな第一次大戦後、日本も世界の大勢に遅れまいと陸軍科学研究所を発足。戦争のための科学技術導入が模索された。
 そして1937年に日本が日中戦争に突入していった頃、神奈川県川崎市生田に陸軍の「ある施設」が設立された。人呼んで「登戸研究所」。そこでは殺人光線、毒物や爆薬の開発、風船爆弾、ニセ札など、さまざまな秘密兵器、謀略兵器が研究開発されていった…。
 現在では明治大学の生田キャンパスとなっている場所、そこがかつての陸軍登戸研究所の敷地だった。当時、この施設で働いていた人々はいまや80〜90代 の老人となっているが、当時を懐かしく楽しそうに語る人々も少なくない。そして、そこで開発された新技術を実際のカタチにするために、外部の多くの人々が駆り出されたりもした。
 しかしそこで開発された「新技術」には、おぞましい結果をもたらしたものも少なくない のである…。

「あの場所」での奇妙な思い出
 実はここで登場する陸軍登戸研究所のあった場所、川崎市の生田という土地には馴染みがある。
 それは僕が高校2年生だった頃のこと。僕はクラスメートたちと一緒に8ミリ映画を作っていたが、その仲間の一人がここ生田に住んでいた。彼とはいまだに交流があるが、彼が結婚して新居に引っ越すまでの20年間ぐらいは、この生田に何度か通ったことがあるのだ。
 彼の家は、小田急線生田駅から近い高台にあった。今はどうか知らないが、1970年代から80年代当時の生田はハッキリ言って「田舎」。たまげたのは冬 にここに行った時のことで、駅からその友達の家まで歩いていく途中に川が流れていたが、その川からもくもくと湯気が立っているではないか。当然、川は温泉で も何でもない。常温の川の水から湯気が立つほど、気温が低い場所だったということだろうか。それともあの川の水源は、比較的水温に変化のない地下水だった のだろうか。
 もっと奇妙だったのは、その友達の家にお邪魔して彼の部屋に通されても、誰一人としてそこで座ろうとしないこと。その部屋は洋間だったがカーペットが敷 かれていたから、普通だったらみんなそこにペッタリと座り込んでおしゃべりしただろう。しかしなぜか僕らは座ろうとしなかったし、もっと不思議なことに当 の友達自身も座らなかった。そして僕らは立ったまま、部屋の中でウロウロするばかりなのだ(笑)。あんなに落ち着かない「友達の部屋」というのも、他では なかったように思う。結局、僕らは何だかんだと理由をつけて、近くのファミレスなどに出かけてしまったりしたものだった。
 後に友達自身から聞いた話では、彼はこの家に住むようになってから、何度も金縛りにあったと言う。それに…これは事実かどうかは分からないが…この家自 体も昔、墓場だったところを掘り返して、宅地造成して作ったものだったとのこと。それを聞いた時、仲間内では「なるほど」と妙に納得した記憶がある。あの 説明のつかない「落ち着かなさ」には、ちゃんとそれなりの理由があったのだ。
 しかし今回このドキュメンタリー映画を見て、正直言って少々気持ちが変わったと認めざるを得ない。あの得も言われもせぬ得体の知れない落ち着かなさは、「墓を壊したから」だけじゃなかったんじゃないか…と。

見た 後での感想

 そのホールは小さいスペースで、入れる人数も限られたもの。それでもソコソコ熱心にやって来るお客はいた。かくいう僕もその一人だ。
 そのホール のチケット売り場があるカウンターには、雰囲気を盛り上げるためか「風船爆弾」の小さな模型が飾ってあった。いやぁ、こう言っちゃまずいのかもしれないが、僕はその模型 を見ただけでワクワクしてきた。これから見る映画の中で、どれだけの奇想天外な新発明、秘密兵器の数々が出てくるのか。こりゃあ下手なSFなんて相手にな らないほどバカバカしくも面白いんじゃないか?
 映画上映の際には監督自身も登場して、スピーチを一席ぶったのには驚いた。ちょっとトクした気分だったが、監督自身の口からこの映画の上映時間が3時間もあると聞かされて二度ビックリ。正直それほどの覚悟がなかったから、いささか腰が退けたと白状しなくてはなるまい。
 で、作品を見た結論を言うと…。
 正直言って、期待はずれだった。
 僕はこういう戦前・戦中のことを扱ったドキュメンタリーとかが好きだし(別に僕が右翼だ左翼だというイデオロギー的な点でこういうネタに惹かれているわ けではなく、単純に「知られざる過去」を扱ったものが好きという意味)、そういった意味で題材そのものは興味深いので退屈せずに見れたことは確かだ。しか し、ぶっちゃけ僕が期待していたようなモノを見せてくれる映画ではなかった
 それに、このネタ、この題材だったら、もっと面白く作ることは可能だったろうと言うこともできる。
 ネット上でこの映画に対する評価を見ると、総じてみんなホメているようだ。衝撃を受けたとも言っているし、反戦的なメッセージを感じている。その意味では、みんな同じような感想しか書いていない。そうでないことを言うのは勇気が必要な感じだ。
 しかし、あえて酷なことを書かせてもらうなら、どれも映画自体を見る前から用意された決まり切った「結論」みたいに思える。チャラいタレントなんかが試写会での感想に、「感動のあまり席をしばらく立てませんでした」(笑)とか書いてる類と大して変わりないように思えるのだ。
 まぁ、こういう映画を見て「戦争やりたくなっちゃった」なんて言う奴はいまい(笑)。仮にそう思っても、口に出すのははばかれる。しかし、最初から結論が決まっていてそう言わなくちゃならない映画って、果たして映画として「いい」のだろうか?
 この映画を作るには、何年もの労力がかかって大変な苦労があったとのこと。それは見ているだけでヒシヒシと伝わって来る。そんなご苦労に対して「ただ見ているだけ」の僕がこんなことを言うのは大変失礼と重々承知の上で、あえてハッキリと申し上げたい。
 僕はこの映画、ズバリ言って出来が良くないと思う。酷評すると失敗作と言っても過言ではない。労作ではあるが、成功作ではない。
 こういう映画は批判しづらい。批判する奴は悪い奴とでも言われそうだ。だけど、「裸の王様」じゃないが、誰かが本当のことを言わなければダメだろう。いいメッセージを言っているからいい映画ってのは違う。いいメッセージなんだからホメろというのは、作り手の思い上がりなのである。
 これ以降は、僕がなぜこの映画を「ダメ」だと思うかを、具体的に述べていきたいと思う。この映画そのものやそのメッセージに賛同している方にとっては、不愉快なことになっているかもしれない。そのあたりは、まことに申し訳ないがご容赦いただきたいと思う。

 

 

 


 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 




このネタでこの出来はないんじゃないか?
 この映画の感想を再度一言で言っちゃうと、「期待はずれ」ということになる。
 もっと具体的に言えば、期待してたようなトンデモ感は残念ながら少なかったと言うべきだろう。飛行機を撃墜する怪電波、電子レンジの技術を応用しての殺 人光線、また人造エネルギーの開発…などなど、ワクワクするキーワードがいっぱい出てくるのに、それらは最初の頃にサラッとほぼ言葉だけで触れられただけ で、後はほとんど出てこない。怪電波については貴重な宣伝用アニメが出てくるあたりワクワク感がスゴイが、実はそれっきりで後は尻すぼみだ。
 またおぞましい人体実験を行った毒薬や、小型で破壊力抜群の爆弾の開発など、掘り下げれば映画的には興味深いモノになったであろうネタも、これまたやけにあっさりと語られてしまう。これはちょっとどうなんだろう。
 そういう小松崎茂みたいなモノを期待したのはオマエの勝手だろう、それで期待はずれと言うのはおかしい…とおっしゃられる向きもいらっしゃるかもしれな い。確かにこれが普通の戦時中のドキュメンタリーだったら、そういう言い方もあり得る。しかしこのドキュメンタリーは、「陸軍登戸研究所」という極めて特異な題 材をテーマにして作った作品だ。このユニークな題材から戦争を語るというなら、それに見合った内容が要求されるだろう。こんな不思議で変わったネタなら ば、それを活かさないで語るなんておかしいのだ。
 そうは言っても「極秘」で行われていた研究だ。描けるモノが出てこなかったんじゃないかと言われるかもしれない。しかし、それにしたって出て来なさ過 ぎ。以後に語る「風船爆弾」と「偽札作り」のネタと比べると、それ以外の興味深いネタはほとんど触れられていないに等しい。というより、作り手が関心を払っていないように思われる。もっと突っ込んで言うと、作り手は「真面目」な反戦ドキュメンタリーが作りたくて、あまりに奇想天外な兵器や発明には深入りせず、あえて映画のネタとしては捨ててしまったように見えるのだ。これがまず間違っているのではないだろうか?
 先に述べたように、映画の大きな部分は「風船爆弾」と「偽札作り」に絞られる。どちらもそれなりに興味を惹く題材だから、これらを大きく取り上げたことに対 して異議がある訳ではない。しかし、特に前者の「風船爆弾」においては、お話は風船爆弾作りに駆り出された女学生たちやら、風船爆弾が放球された地元の人たちの証言 が中心となってくる。後者の「偽札」においては、中国に対する破壊工作を行っていた「陸軍中野学校」出身者のスパイの話が中心となる。
 確かにいずれも貴重な証言だ。なかなか興味深い。戦争の虚しさや理不尽さも伝わってくる。しかし、いつの間にか肝心の登戸研究所の話はどこかにいってしまっている。「陸軍 登戸研究所」の映画としてはこれはどうだろう? 焦点がズレまくっているのではないだろうか?
 また、そうでもしなければ尺が稼げなかったというなら、何 で上映時間が3時間にも達したのか。これほどまでに上映時間が長いのなら、研究所から若干はずれた部分が「埋めグサ」として突っ込まれたものだとは言えないだろう。つまりは「蛇足」なのである。
 こうしたことも含めて、何となくこの作り手は「陸軍登戸研究所」の映画を作るということを口実に、映画全体を自分が言いたいことに無理矢理誘導し ちゃっているような気がする。そこがちょっとイヤな感じなのだ。
 おまけに…マズイことに映画の終盤になると、「戦争は良くない」的なことを証言者に直接語らせている。それも、どうもそこに誘導してしゃべらせているようだ。これはちょっと困る。
 そりゃあ、戦争なんて良くないに決まっている。そういう結論であることは、決して間違ってはいない。僕もそれに異議申し立てをする気はない。しかし、そ ういうことは作り手や映画そのものが「言葉」で押しつけてくるものではないだろう。見ている僕たちに結論は委ねられるべきだし、僕らが見ていて「戦争は良 くない」とおのずから思えなければダメだろう。
 僕は以前、ターミネーター2(1991)や赤い鯨と白い蛇(2006)の感想文にも書いたように、いわゆる「反戦」映画や反戦メッセージを訴える映画に深い疑念を持っている。いやいや、誤解されると困るので言わせてもらうと、別に「戦争がしたい」とか「好き」だから「反戦」映画に疑念を持っているというわけではない。それらをなぜ快く思えないかと言えば、大きく言って理由は2つある。
 ひとつは…映画の出来はさておき、言っていることが立派だからホメなきゃいけないって傾向がイヤだ。 つまんない映画でも、みんなメッセージだけでホメて いる。否、ホメなきゃいけない空気になっている。そういう合意の下に作られた映画であるせいか、それらは「見て伝わる」映画になっていなくて、クドクドと 言葉で言っちゃっている場合が多い。そんなことは映画でやらないで、プラカードでも作って街中を練り歩けば済むことだろう。
 二つめは、「反戦」と唱えて同じシンパだけで納得して終わっちゃっている場合が多いこと。本当にメッセージを伝えたいなら、むしろシンパじゃなくて反対 派や無関心派を納得・説得させるぐらいじゃないと意味ないではないか。それなのに、自分は「反戦派」ですということをお互いに確認するだけで満足しちゃってるシロモノの多いこと。それは単なるマスターベーションだろう。そんなモノは人に見せるもんじゃない。
 そういう意味で、この作品も、いかにもな日本の厭戦ドキュメンタリーになっちゃってて、すごく残念なのだ。結果的に作ってる人たちが「オレたちいい人」「オレたち利口で考えてる人」って言いたいだけになっちゃっているのである。
 ここまでボロクソに言って申し訳ないが、この映画には決してドキッとさせる部分がないわけではない。石井細菌部隊との関わりとか陸軍中野学校との関わ り、「ラスト、コーション」(2007)にも出てきた中国の日本軍傀儡政権やチャイニーズ・マフィア、それにロッキード事件でも名前が挙がった右翼の大 物・児玉誉士夫が暗躍していた当時の中国の様子、偽札作りに従事していた人物が戦後は米軍に協力しながら「そのことは語らず墓場 まで持って行く」と語るあたり…そう言いながらほとんど暴露しちゃっているのだが(笑)。こういうキラリと光る部分もあるので決して退屈はしないのだが、 いかんせん話の焦点がボケまくって活かされていないのだ。
 そういう意味でドキッとした点と言えば、研究所の幹部だった伴繁雄という人物の後妻さんの話だろうか。後年になって良心の呵責からかこの研究所の本を書くこ とをライフワークにしていた伴繁雄氏だが、それを支え続けた後妻さんが、映画の中で「私のためには何もしてくれなかった」と気づいて遺影を片付けてしま う。何だか異様に迫力のあるエピソードだ。
  ただし、これは非常に興味深い場面ではあるのだが、ちょっと僕は違和感を感じてもいた。いや、分かるんだよ。確かに気持ちは分かる。しかし、僕らにも「分 かりすぎる」この感情って何なんだろう? 絵に描いたような「夫への妻の反逆」…戦争はいつでも男がやること、今こそ女から男にもの申すってな感じ。こ れってあまりにも「いかにも」で図式的過ぎやしないか?
 これってひょっとすると、映画の作り手やインタビューアーが徐々にそうなる方 向に誘導していっちゃったってことはないだろうか。考えすぎかもしれないが、見ていてそんな気持ちに なっちゃったんだよねぇ。申し訳ないけど、この映画の作り手にはどうもそんな無神経さがつきまとう。
 実はその前に、かつて風船爆弾を作る現場で働いていた女性が、風船爆弾の犠牲者となった人に謝罪するために米国に渡るエピソードが出てくる。そこでイン タビューアーの女の子が、「アメリカの原爆では大勢の人が亡くなって、風船爆弾ではたった5人しか死んでなかったのに謝罪に行ったんですか」云々という発 言をしていた。これはい かにも無神経な発言だろう。少なくとも映画の中に残すべき発言ではなかった。これにはさすがにドン引きしたよ。
 こういう無神経さがたまたま見えちゃったので、
伴繁雄の後妻さんの件でも また何かやらかしたんじゃないか…と疑う気持ちになってしまった。
 まぁ、誘導しちゃったかどうかって点は確証がない。ただ、そういう印象がしたってだけの話だ。
偏見である。しかし、申し訳ないが一事が万事なのだ。
 どちらにせよ、ワクワク・ドキドキ感に乏しいというのは、こういう題材には致命的な気がする。
  こんなことを言うと、陰鬱な戦争という題材を扱った真面目なドキュメンタリーに「ワクワク・ドキドキ感」を求めるのが間違っている、けしからん!…という お叱りが飛んできそうだ。この映画は「スター・トレック」シリーズなんかじゃない。「スター・トレック」だって今日び「イントゥ・ダークネス」だぜ (笑)って話はこっちに置いておいて、だ。ハリウッドSF大作みたいな面白おかしい映画とは違うと言われる向きもあるかもしれない。ごもっともである。し かし僕がこの映画に対してこういうモノを期待しちゃったのも、全く根拠がない訳ではないのだ。
 証言者たちは一様に当時のことを楽しげに語っているし、研 究所の幹部たちもいい人ばかりだったと言っている。そしてそこで開発されていた秘密兵器なども、不謹慎ではあるがちゃんと描かれていたら興味深そうなモノ が多い。おそらく研究していた側も、かなり楽しくてノリノリでやっていたに違いない
 実は「戦争は良くない」だけでは、戦争がどうして起こるのかは語れないんじゃないか。
 それでは「戦争の良くなさ」が分かっている作り手や観客のワタシたちは利口で、「かつて 戦争をやっていた連中」はみんなバカ…ってことで話は終わってしまう。そうではないだろう。実は戦争って、やってる時は無責任に楽しいからヤバイのではないか。平時に「戦争は良くない」と言っている連中とか、こういう映画の作り手とか「衝撃を受けました」とか言ってる観客たちこそが、いざとなったら嬉々として戦争をやらかしてしまうからヤバイのではないか。もちろん、かくいう僕もその例外ではない。
 例えばコッポラの「地獄の黙示録」(1979)では戦争の美しさやら高揚感、麻薬的な快感が描かれていて、兵士達が魅了されている様子が描かれていたあたりが秀逸だっ た。この映画も、実はそこをもっとちゃんと描く必要があったのではないだろうか。それなのに、最後「戦争は良くない」と言葉で言わせて台無しにしている。 それじゃあ戦争の本当のコワさが伝わらない。
 そして、これは指摘するのも少々酷かもしれないのだが…証言者の大半がかなりの高齢者であるが故に、言っている言葉が不明瞭なだけでなく何度も何度も同 じことを繰り返したりして聞きづらい。不必要に冗漫になってしまっている。貴重な証言で切りづらかったとはいえ、このあたりもっと刈り込むことはできな かったのか。いっぱい撮った素材がもったいなくて、捨てられなかったのは明らかだろう。これはキツイ言い方をしてしまうと、作り手としての怠慢だと思う。
 映画の終わらせ方が分からなくなったのか、ヨレヨレになって終わる幕引きのだらしなさといい、3時間という上映時間が果たして適切だったのかは大いに疑問だ。
 こう言っては悪いが、結局は日本映画学校の授業の一環として始まったプロジェクト。実は割と軽量な機材で収録されたらしいビデオ作品で、ナレーションも監督の楠山忠之によ るもの。楠山忠之自身がルポライターで本来の意味での映画人ではない。そんなことも含めて、ある程度稚拙な出来栄えも致し方ないとは言える。
 しかし、これをいいメッセージだからいい映画だとホメちゃったら、ホメ殺しに等しい。
 これほどの題材をもうちょっと活かすことは出来なかったのだろうか。返す返すも残念で仕方がないのである。

 

 

 

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