「終戦のエンペラー」

  Emperor

 (2012/09/23)



日本人なら一度は行ってみたい場所
 僕が本の編集者になって何がよかったかって、こういう仕事に就かなければおよそ行かなかった場所に行くことが出来たことだろうか。
 政府専用機に乗り込んだうえにジャンボの操縦席に座るなんてことはこういう商売をしてなければ無理だったろうし、成田空港の管制塔にだって絶対に入れな かったはずだ。子供の頃に買った水木しげるのマンガ短編集に著者ご本人のサインを目の前で書いてもらえるなんてことも、他の仕事をやっていたらまずなかっ たろう。
 そういう意味では宮内庁に行くために皇居内に入るってことも、編集者にならなければおそらく経験しなかったはずだと僕は思っている。
 初めて皇居に行ったのは今からおそらく3年前。それから仕事で毎年のように、皇居に行くことになった。行くこと自体は単に他の役所に出かける用事と何ら変わることはない。それでも最初に皇居に出かけた時は、さすがに僕も「お上りさん」みたいに緊張したものだ。何より「あの中」に入るということがドキドキだった。
 用事そのものは、写真をもらいに行くというだけのもの。たまたま宮内庁から指定された約束の時間が異例にも夕方の6時ぐらいだったことが、おの訪問を特別なものにした。
 皇居に入ること自体は、お正月の一般参賀とか申し込んで見学できるツアーなどの機会を使えば、一般の誰でもできることだ。しかしおそらく日も暮れて暗くなってからの皇居に行くって経験は、誰もができることじゃあないだろう。僕の皇居初体験は、そんなレアな条件下で実現した。
 もう秋になってからの夕方6時は、意外としっかり暗くなっている。それでも皇居周辺にいる間は、ビル街の明かりで結構明るい。問題はいよいよ皇居に近づいてきた時。これは実際に行ってみないと気づかないことだが、皇居って驚くほど明かりがない。周囲はビルの照明や街灯などで結構明るいのだが、皇居に近づくといきなりブラックホールみたいにどっぷり暗くなるのだ。これには正直驚いた。
 坂下門まで行くと、警察の検問みたいなものがある。そこで受付をして宮内庁にアポを確認してもらって、いよいよ門をくぐることになる。ところが検問から門までが結構距離が離れていて、おまけに真っ暗だから心細いことおびただしい。この時は本当に緊張したよ。
 門をくぐってちょっと歩くと、すぐに写真で見た宮内庁の建物が見えてくる。そんなわけで宮内庁にたどり着くのは苦労しなかったし、すぐに用事を済ませることもできた。そこまでは何も問題はなかった。
 用事を済ませてホッとした僕は、何も考えずに宮内庁を後にした。単純に宮内庁を離れれば元の坂下門に近づけると思っていたのだが、その考えが甘かった。 何しろ皇居は真っ暗だ。中には街灯なんかない。周囲のビル街の明るさが妙に強烈に感じられるが、皇居の中はそれとは対照的にビックリするほど漆黒に包まれ ているのである。僕がこんなに真っ暗な場所にいたのは、小学生の時に母方の栃木県の田舎に行った時以来だろうか。いやぁ、本当に黒い色が塗ってあるほど暗 いのだ。
 自分の手足すら見えないほど暗いのに驚いて、慌てて周囲を見回す。そういえば宮内庁を出てから結構歩いたのに、まだ坂下門は見えてこない。そう改めて考えてみて初めて、自分が今どこにいるのか分からなくなっているのに気づいた。どうやら道を間違えたらしい。
 何度も繰り返すが、周囲は本当に真っ暗だ。遠くのビルの明かり以外は、マジで何も見えないほど暗い。大した距離でもないのに、何をどうやったらこんな所で道に迷うのか。本来ならあり得ない距離だが、皇居だけは特別。メチャクチャに暗いから、ついウッカリと妙なところに迷い込んでしまったのだ。僕はこの状況で初めて、汗をびっしょりかいて慌てだした。
 こんな所で迷ったら、元の場所に出られそうにない。それより皇居でどこかに迷い込んじゃったら、場所が場所だけにタダじゃ済まないんじゃないのか。極左 か極右のテロリスト認定されちゃうんじゃないか。さすがに世間並みの常識が戻ってきて、僕は焦りに焦りだす。しかしまったく目視が当てにならない状況だけ に、慌てて動いたらかえってマズそうだ。さすがに僕が困り果てて立ちすくんでいると…。
 「どうされましたか?」
 いきなり声をかけられ唖然呆然。気がついてみると、僕のすぐ脇に一台のパトカーが停まっているではないか。どうやらこのパトカー、ずっと今まで挙動不審の僕のことを監視して、ピッタリくっついて尾行していたらしい。なのに僕は、恐ろしいことにパトカーがそこにいることにまったく気づいていなかった。エンジン音もまったくしなかったし、ヘッドライトもすべて消して存在感ゼロだった。いやぁ、噂には聞いていたが…さすがに警察が本気を出すと怖いよ
 まぁ、さすがに警察も僕のことを極左か極右のテロリストとは思わなかったようで、単なるお上りさんのアホと分かってくれたからよかった。僕は戻りの道を教えてもらい、慌てて皇居の外に出られたわけだ。
 まぁ、お恥ずかしい話だ。
 そんなわけであの時にはさすがに慌てたものの、あの真っ暗な皇居での経験は忘れることができない。たぶん滅多にできる経験じゃないだろうし、今後も経験することはないだろう。
 たぶん僕はこれから一生、この日の真っ暗な皇居のことを忘れることはないんじゃないだろうか。

見る 前の予想

 この映画の予告編はかなり前から劇場で予告編がかかっていたので、ずっと気になってはいた。
 まぁ、日本人なら誰でも気になる題材ではあるだろう。敗戦直後の米軍が、天皇の戦争責任について調べていく話。ロシアのアレクサンドル・ソクーロフが作った太陽(2005) も戦争と天皇を真っ正面からとらえて秀逸だったが、これって日本人だとちょっと扱いかねる題材だ。右も左も騒ぎ出しちゃって、とてもじゃないが娯楽作品で 扱える題材ではないだろう。もちろんアメリカ側としては人の国の話だから出来るってことなんだろうが、そんな日本でも「アメリカ人が作った」ということな ら何の問題もなく公開できちゃうんだから、何だかよく分からない(笑)。
 それにしてもトミー・リー・ジョーンズマッカーサーっ てのは、言われると「なるほど!」と思いたくなるキャスティング。決して顔が似ているわけではないのだが、マッカーサーなんてガイジンがレイバンのサング ラスしてコーンパイプくわえたらみんな同じに見えてくるのだから(笑)、あとは「あの雰囲気」が出ればバッチリなのだろう。予告編でチラリと出てきたト ミー・リーのマッカーサーは、かなりのハマリ役に見えた。もうこれだけで映画の半分は成功したも同然。日本側からは西田敏行やら中村雅俊夏八木勲らが出てくるようだが、このあたりは安心して見ていられそうだ。
 問題はドラマの中心に、アメリカ側の実質主人公らしき人物と日本娘との恋愛を据えているらしき点。どうして毎度毎度これやるのかねぇ。「ミッドウェイ」(1976)でも取って付けたようなそういうロマンス場面があったし、作品自体は良心的に作られた「愛と哀しみの旅路」(1990)も、正直言ってデニス・クエイドタムリン・トミタの恋愛模様は少々寒かった。どうしたっていまだに「サヨナラ」(1957)とか「蝶々夫人」みたいにしかならないのだから、いいかげんこういうのやめてもらいたいのだが。
 そうは言っても、この題材ならやっぱり見たい。そんな訳で、公開早々に劇場に足を運んだわけだ。例によって感想文が大幅に遅れて申し訳ない。

あら すじ

 1945年8月、すでに太平洋戦争での敗色が濃厚となっていた日本に、2発の原子爆弾がとどめを刺した
 こうして日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏。そんな日本を目指して、一機の米軍機が飛んでいた。
 中に乗っていたのは、これから日本を占領・統治する連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)ご一行。降伏したとはいえ昨日までの「敵」のフトコロに飛び込んでいく瞬間を目前にして、さすがに彼らは緊張を隠せない。
 そんな中、マッカーサーは一人の若い部下を呼びつける。彼の名前はボナー・フェラーズ准将(マシュー・フォックス)。日本語を多少話せて日本文化にも精通しているフェラーズのことを、マッカーサーは今後の日本統治を進めるうえで頼りにしていた。
 いよいよ軍用機が厚木飛行場に降り立つ。外には多くの日本兵たちが待ち受けていた。緊張しまくる一同に向かってマッカーサーは、豪快な口調で一席ぶつ。
 「武器は見せるな、連中にオレたちの度胸の良さを見せつけるんだ!」
 マッカーサー一流の「らしい」パフォーマンスだ。こうして堂々たる風格で日本の地に降り立ったマッカーサーは、周囲を圧倒的に威圧。彼を乗せたクルマは、一路、東京を目指して走っていった。
 こうして帝都・東京へとやって来たマッカーサーは、皇居の真向かいに位置する「第一生命ビル」にGHQの総本部を構える。真っ先に手をつけたのは、戦争犯罪人たちの一斉逮捕。そしてマッカーサーは、フェラーズにひとつの難題を命じた。
 それは、「天皇の戦争責任の有無」に関する調査だ。
 ワシントンは天皇を「戦争責任者」として断罪したくてウズウズしていたが、もし天皇を裁けば日本人の国民感情が悪化して統治が難しいものになることは間 違いない。そのため、どうすべきか決断しかねていたマッカーサーは、日本通のフェラーズに「天皇の戦争責任はあるか?」「この戦争の真の責任者は誰か?」 を見極めるように命じたのだ。ただし、与えられた時間はわずか10日。自らも日本を愛していたフェラーズは、この任務の重要性をヒシヒシと感じていた。
 そんなフェラーズに、日本で自由に動けるように専属の運転手である高橋(羽田昌義)がつけられる。しかしフェラーズはそのどこか大げさな扱いを嫌がり、 彼の車に乗ろうとはしない。その代わりにフェラーズは、高橋にある役目を頼むのだった。それは、一人の日本人女性の捜索だった。
 その女性・島田あや(初音映莉子)とフェラーズの出会いは、開戦前に遡る。
 あやはフェラーズの通っていた大学にやって来た留学生。あやと出会ったフェラーズは、彼女をひと目見て気に入ってしまった。こうして親しさを増していくフェラーズに、あやはこう語るのだった。「私は日本の娘としては、積極的な女の子なの」
 一方、大勢のスタッフを動員して、「天皇の戦争犯罪」に迫ろうとするフェラーズ。黒板にさまざまな関係者の写真を貼り、「軍人」「宮中」「政治家」の3 種類に分類して相関図をつくる。そんな天皇を巡る相関図を見渡していくと、まず話を聞かないといけない人物はおのずと絞られてくる。
 戦時中の総理大臣だった東條英機(火野正平)だ。
 逮捕時の自殺未遂によって、東條は病院に閉じこめられていた。その病院に出向いたフェラーズだが、東條はまるで人が変わったように脂っ気が抜けていた。 フェラーズの質問にも、心ここにあらずのように何も答えない。しかし東條は無言のうちに、フェラーズの差し出したリストにある元首相「近衛文麿」の文字に マルをつけているではないか。この件については近衛に聞けというのか。
 こうして、開戦に関わる経緯を知っている元・首相の近衛文麿(中村雅俊)を訪ねたフェラーズ。しかし近衛は、ある意味で東條以上に難物だった。
 「物事は何でも白黒ハッキリしているほど単純なわけではない。そもそも侵略は本来は欧米のお家芸だったではないか
 弁舌が立ち、英語にも堪能な近衛は、彼なりの論理でフェラーズを圧倒的にやり込める。これにはさすがにシッポを巻いて退散するほかなかった。
 さらに天皇を補佐する立場の内大臣・木戸幸一(伊武雅刀)は、会見場所にある料亭を指定しながらスッポカシ。事ここに至っては、フェラーズも堪忍袋の緒が切れた。
 こうなれば宮内次官の関屋貞三郎に会うしかない。しかし、相手はこちらに出向いてくる人間ではない。ならば、こちらから皇居に行ってやろうではないか!
 完全に頭に来たフェラーズは、何人かの兵士を伴って皇居へと歩いていく。その容易ならざる事態に、運転手の高橋は必死に止めた。米兵の皇居乱入は大事に なる。皇居の入口を守る皇宮兵士たちも、近づいて来るフェラーズたちを見ていきり立った。一触即発。一計を案じた高橋はフェラーズの通訳役として、機転を 利かせて何とか危機を回避。フェラーズの「関屋に会いたい」というメッセージは、とにもかくにも皇居内に伝わった。やがて「フェラーズ一人で来い」という 指示が伝わり、彼は緊張がはしる中を一人で皇居内に入っていく。
 待ち受けていた関屋貞三郎(夏八木勲)は、沈黙していた東條、主張をぶつけてきた近衛、逃げた木戸…たちと異なり、温厚に丁重にフェラーズに接した。し かし、フェラーズにとって難物であることには変わりない。「天皇は開戦にあたって何を言ったのか?」というフェラーズの質問に対して、関屋は「陛下は明治 天皇の歌を詠まれたのです」と答え、いきなり大真面目な顔で詩を詠唱するではないか。呆気にとられるフェラーズに、「もう一度詠みましょうか?」と告げる 関屋。これにはフェラーズも、もはやついていくことが出来ない。
 さらに間の悪いことに、島田あやの消息についてもフェラーズが暗澹とせざるを得ない情報がもたらされたのだった…。

見た 後での感想

 まず、この映画を見ていて驚いたことがあった。
 主人公のフェラーズが皇居にズカズカ近づいていく場面で、「あれれ、これって皇居までセットで作ったのか?」と思わせるショットが登場。ビックリして見 ていたが、どうやらこれはホンモノの皇居の前で撮影したらしい。そして、これが皇居の敷地内で撮影された、初めての映画ってことになるらしいのだ。い やぁ、アレはやっぱりホンモノだったのか。そうなると、皇居内での迷子経験のある僕(笑)としては、いろいろ見ていて感慨深いものがある。
 冗談はさておき、まずは今回のこの映画、キャスティングの素晴らしさに驚かされる。
 マッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズは、想定通りの適役。「逃亡者」(1990)やリンカーン(2012)などでもお馴染みのあのたたみかけ るように言い倒すセリフ回しは今回も活かされていて、先にも述べたように顔は決して似ていないが雰囲気が絶妙。予告編である程度想像はついていたが、ズケ ズケズバズバしたところや結構俗物で清濁併せ呑んだ感じも含めて、マッカーサーという人物の人となりを見事に再現していた。そして驚いたことに、それ以外 の歴史上の有名人についても「雰囲気で似せた」キャスティングが行われているのだ。
 例えば火野正平の東條英機。若い頃の火野正平を知っている人間からすれば、彼が東條英機を演じるなんて考えられないくらい意外だ。しかしその結 果は、何とも雰囲気を掴んでいるから面白い。もっとスゴイのは中村雅俊の近衛文麿で、顔なんて全然似ていないはずなのに、出てきただけで「近衛文麿だ!」 と思わされてしまう。主人公のアメリカ軍将校に対して一歩も退かず、ガンガンと堂々たる英語で主張していくあたりの演技にも驚かされた。長い間、この人を テレビで見てきたけれど、改めて「中村雅俊ってこんなに出来る人だったっけ?」と思わされるほどの好演だ。すっかり見直してしまった。
 最後に出てくる片岡孝太郎の昭和天皇も、ソクー ロフの「太陽」でイッセー尾形が演じていたのとは全く異なってはいるが、見事にあの天皇の「浮世離れしたイメージ」を体現していて素晴らしい。このよう に、僕が今までそのビジュアルもよく知っていた「歴史上の有名人」は、みな文字通り「イメージ通り」でスクリーンに再現されていた。これらのキャスティン グの見事さは、改めて賞賛されるべきだろう。
 一方、こうした「有名人」に対して実質上の主人公として登場してくるのが、主人公ボナー・フェラーズ准将を演じるマシュー・フォックス。実はフェラーズ も実在する人物だが、残念ながらマッカーサーほどの「有名人」ではないので似ているかどうかか問題ない。実際、ホンモノのフェラーズが日本娘と恋に落ちた 事実はなさそう(!)ということで、ある程度の「脚色」を行える余地のある人物ということだろうか。演じるマシュー・フォックスはというとスピード・ レーサ」(2008)で主人公の兄レーサーXに扮した役者さんだが、その時と同様にどこか誠実そうなイメージが活かされた好演ぶりだ。
 そんなわけで本作は、キャスティングの見事さがまず目に付く。その「見事さ」とは、絶妙なバランス感覚とセンスの良さから来ているものなのだ。そして、実はそんな「絶妙なバランス感覚とセンスの良さ」は、この映画全体の出来栄えにも言えることなのである。

 

 

 


 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 



全編を貫く絶妙なバランス感覚
 正直言ってこの映画で描かれた「天皇の戦争責任はあるか?」「この戦争の真の責任者は誰か?」と いう問題に対する「答え」は、我々日本人にとって目新しいものではない。その多くの部分はさまざまな文章やドキュメンタリーでも語られて来たし、映画でも 「日本のいちばん長い日」(1967)などで描かれて来た。ひょっとしたらアメリカ人たちにとっては驚くべきことなのかもしれないが、実は僕としては 「あぁ、あれか」と思わされるネタではある。
 しかし、それが進駐軍側の視点で描かれるとなれば、ちょっと話は違 う。我々が自分のことを、しかもデリケートな部分も含めて見直す時には、どうしても変な遠慮がつきまとうものだ。あるいは「そこはお約束だから分かってる よね」的なはぐらかしというか…。しかしこちらは進駐軍でありハリウッド流だから、良くも悪くも土足でズカズカと入り込んでくる。それがかえって良かった りする点も少なからずあるのだ。
 そしてアメリカ映画として作ってもらったおかげで良かった…と最も思わされた点は、戦後間もなくの焼け野原となった東京の再現場面。CGも多用していた ようだが、何よりニュージーランドに建設した大セットが効いている。GHQの本部になった「第一生命ビル」の正面玄関も忠実に再現されていて、嬉しくなっ てしまった。これは、情けないが日本映画ではなかなか実現できない。
 驚かされたのは…ズカズカとは言いながらアメリカ側にはアメリカ側なりの遠慮や配慮があったのだろうか、奇妙なまでに日本側の立場を尊重した内容や描かれ方になっているところ。ある意味では占領者であるアメリカ軍に対して、占領される側の日本の連中が堂々とし過ぎ(笑)。我々日本人の方が、見ていて「オマエそんなにふんぞり返ってる立場じゃねえだろう(笑)」と言いたくなるような態度のデカさ。これってアメリカ人としては見ていて楽しいもんじゃないのではないか。
 もっとも、実際にはこの作品ってアメリカ映画の中でもメインストリームの娯楽大作ではなく、どっちかと言えば小規模公開の小品扱いのようだから、そういう描き方も出来たのかもしれない。おまけにプロデューサーとして日本人が多く関わっていたということも、この映画を「特殊」なものにしていたと言える。まぁ、アメリカ映画って言っても、作る側に日本人が回っていたのである。
 だが最終的にこの映画がアメリカ側の「勝者の論理」で描かれなかった最大の理由は、「真珠の首飾りの少女」(2002)や「ハンニバル・ライジング」(2007)を撮った
ピーター・ウェバー監督が「イギリス人」で あったからではないか。アメリカ人でも日本人でもないこの人だから、本作も「絶妙なバランス感覚」を獲得することができたように思う。おまけに後者の「ハ ンニバル・ライジング」では、チラリと日本への関心ものぞかせていた。そういう意味ではピッタリの人選だったように思われる。
 懸念されていた主人公と日本娘の恋愛模様も、決してベタベタなものになっていない。全編に登場するシーンも短いし、何より主人公が消えた日本娘の消息を 追う設定となっているから、「天皇の戦争責任の有無」を追求する本筋と相まってミステリー的な興味で引っ張られる。しかも彼女は最終的に死んでいることが 分かるので、本作の「現在進行形」の時系列の中では、最初から最後まで登場しない。主人公フェラーズがなぜ日本のために奔走するのか?…という理由付けを 一般観客のためにするための「設定」として、これは賢明な処理だろう。このあたりにも「絶妙なバランス感覚とセンスの良さ」が感じられる。
 ともかくさまざまな配慮や抑制がきいていることといい、「日本の映画ファンだったら必見の作品」と言ってもいいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

 

 

 

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