「バレット」

  Bullet to the Head

 (2012/06/24)



見る 前の予想

 ウォルター・ヒルの新作がやってくる!
 こんなニュースを聞いたら、1970〜80年代からアメリカ映画を見てきた人間としては興奮せざるを得ないはず。
 問答無用の男のアクション映画を撮らせたら、この人の右に出る者はいなかった。それがなぜか近年沈黙を守ってしまい、今度の作品はほぼ10年ぶりぐらいの新作ではないか。つい最近はジョン・カーペンターがやっぱり10年ぶりぐらいの新作ザ・ウォード/監禁病棟(2010)を発表して狂喜乱舞。その際も、僕は心密かにウォルター・ヒルの復活を祈ったものだ。それが、ついについに本当に実現するとは!
 ただし、そこに不安がないと言えばウソになる。
 今回の久々のウォルター・ヒル作品、何とシルベスター・スタローンが主演なのだ。
 ヒルとスタローンは、確か初顔合わせ。アクション映画の世界でそれぞれ名をはせた二人の顔合わせは、順当に考えれば豪華なアトラクションだと言える。ヒルの久々の復帰作に、ロッキー・ザ・ファイナル(2006)でまさかのカムバック後、進境著しいスタローンがタッグ…と来れば、長く映画を見てきたファンにはそれなりの感慨も湧く。だったら「いいことずくめ」じゃあないのか?
 しかし正直言って、ヒルとスタローンって相性はどうなんだろう? 
 ヒルが今まで関わって来た男性スターたちを考えた時、スタローンってどうもしっくり来ないのだ。そもそも個性がハッキリしていたり作家性がある監督とは、スタローンは一切組んで来なかったはず。それがウォルター・ヒルと組むとなると、一抹の不安を感じさせるではないか。
 監督として長い間現場を離れていてカンが取り戻せるのか?…というウォルター・ヒルの不安もぬぐい去れない。復帰は実に嬉しいのだが、今ひとつその気持ちがはじけきれないのである。
 それでもヒルの復帰作として、スタローンとの初顔合わせ作として、気にならない訳がない。正直見たいような見たくないような…というような気持ちを抱きながら、公開直後の映画館へとコワゴワ向かったのであった。

あら すじ

 人けのないガード下。若い東洋系の刑事テイラー・クォン(サン・カン)が、誰かを待って立っている。
 そこに一台のクルマが滑り込んできて停まり、テイラーは助手席に乗り込む。すると運転席に乗っていた人物は、テイラーの頭に銃を突きつけるではないか。 あわやテイラーが頭を撃ち抜かれるかと思ったちょうどその時…どこからともなく現れた別の何者かがテイラーに銃を突きつけていた人物を射殺! テイラーは 危うく命拾いする。そんな彼を救った人物こそ、本編の主人公たるジミー・ボノモ(シルベスター・スタローン)だ。「オレがデカを救うなんて、初めてのことだ」…。
 話はそれから少々過去に遡る。
 ここはニューオルリーンズの街。高級ホテルのスイートルームで、ハンク・グリーリー(ホルト・マッキャラニー)という男がシャワー中の女を待っている。 そんな高級ホテルにクルマでやって来たのは、例のジミー・ボボと相棒のルイス・ブランチャード(ジョン・セダ)の二人だ。二人は先ほどのスイートルームに やって来て、自らを警官と名乗って扉をノック。「令状あるのか」というハンクの言葉に実力行使で答えて、二人は部屋の中に突入した。これに文句を言おうと したハンクだが、次の瞬間、彼は2発の銃弾を浴びて倒れてしまう。ジミーとルイスの二人は、彼を殺しに来た「殺し屋」だったのだ。
 二人は物盗りに見せかけるため金目のモノを奪ったりしていたが、そのうちジミーは奥のシャワールームに近づいていった。中では裸の売春婦が怯えきって立ちすくんでいる。しかしジミーは売春婦の肩に入っているタトゥーを見ると、何を思ったか銃を空撃ちしてその場を離れた。
 そんな時、実は死んでいなかったハンクが起きあがり、ルイスにいきなりつかみかかる。しかしそれもジミーが戻ってきてハンクの頭を撃ち抜いたことで、事なきを得た。
 こうして二人は途中の川に盗んだモノを捨てた後、今日の仕事代を受け取るために約束のバーへと乗り込む。バーではジミーがお気に入りのバーボン「バレット」を 注文。しかしかなりの通でなければ知らないマイナーなバーボンだけに、この店には置いてなかった。こんなやりとりも実は毎度毎度のことらしく、ジミーはい かにも慣れている様子。とりあえず仕事の仲介人が来る前に…とトイレに入って行った。ところが、そんな二人の様子をじっと見ている男が一人。その男、キー ガン(ジェイソン・モモア)は、一人きりになったルイスに近づいていってナイフで刺殺。 次いでジミーを追ってトイレに入った。しかし、ジミーはすぐにキーガンの殺気を察知。乱闘の末、キーガンはトイレを脱出。ジミーもその後を追ってトイレを 飛び出した。そこには、刺されて事切れたルイスの姿があったのは言うまでもない。キーガンはとっくの昔に店を脱出して、夜の街に姿を消していた。
 そんなキーガンを雇っているのは、身体が不自由で杖をついて歩いている黒人の不動産王モレル(アドウェール・アキノエ=アグバエ)とモレルの弁護士マーカス・バプティスト(クリスチャン・スレイター)。モレルたちは政財界や警察を買収して黒い権力を築いていたが、その腐敗の証拠を例のハンクに押さえられていたのだった。
 その頃、ニューオルリーンズに一人の東洋人刑事がやって来る。それが冒頭に登場したテイラー・クォンだ。彼はワシントンから、ハンク殺しの件でわざわざ ここまでやって来た。実はハンクこそ、テイラーのかつての相棒だったのだ。しかしどうやらここニューオルリーンズでは、よそ者であるテイラーは歓迎されて はいないようだ。現地の担当刑事ルブルトン警部補(デイン・ローズ)から聞かされた話は、事件に何か裏があることを感じさせた。現場から生き延びた売春婦 が、ハンクの殺しが物盗りではないと証言しているのだ。さらにハンク殺しの数時間後に殺されたルイスの死体を見て、テイラーはこの二つの殺しが関係してい ると考える。そのルイスの相棒として、名前が浮上したジミー。ジミーとルイスがハンク殺しの犯人とにらんだテイラーは早速捜査を始めようとするが、ルブルトン警部補はテイラーの拳銃を取り上げてしまった。ここは、彼のシマではないのだ。
 しかし、テイラーも黙って引き下がるわけにはいかない。彼がとった次なる手段は、何と殺し屋ジミーにコンタクトをとることだった。
 テイラーは、あるバーでジミーと落ち合った。そこにジミー御用達のバーボン「バレット」を持参してきたのはお約束。テイラーはジミーにハンク殺しの事情を知っていることを告げたうえで、その黒幕探しに協力するように呼びかける。しかし、そもそも警察と手を組むようなジミーではない。お互いコワモテな意地の張り合いガンの飛ばし合いで終始し、話し合いはすぐに決裂した。
 ところが外に出たテイラーに、襲いかかってくる二人の男。何とこいつらはニューオルリーンズ署の刑事ではないか。あわやテイラーが命を落としかけたちょうどその時、一台のクルマが突っ込んできて刑事をはね飛ばす。さらにもう一人の刑事も銃弾に倒れた。何と、先ほど突っ張った態度を見せたばかりのジミーが、テイラーの命を救ったのである。ジミーは、テイラーをクルマに乗せてその場から離れる。しかしテイラーは、先ほどの襲撃で銃弾を体に受けていた。仕方なくジミーは、ある女の元へテイラーを送り届けることにする。それは、タトゥー店を営んでいるリサ(サラ・シャヒ)といいう女の店だ。
 いきなり押しかけてくるかと思えば、体に銃弾を食らった客を連れてくるとあって、リサはジミーに文句たれ放題。そうは言っても、いざとなったらやることはやるリサ。彼女は実はジミーの娘なのだ。
 テイラーとしては、こんな得体の知れない人物に体をいじられちゃ気が気ではない。どう見たってただの入れ墨屋にしか見えないし、自らの体にもでっかくタトゥーを入れてる彼女は、堅気であろうはずもない。しかしジミーいわく「医学部に一年いた」というリサに、今はどうしたって頼るしかない。仕方なく痛みに耐えて彼女の処置に身をゆだねるテイラーだった。
 こうなると、テイラーはどうしたってジミーと手を組むしかない。そしてジミーの方としても、ルイスの仇を取るためには背に腹は替えられない。こうして昔 気質の初老の殺し屋とハイテクを駆使して潔癖なまでに法を守る若い刑事は、図らずも手を組まざるを得なくなったのだが…。

「アクションの雄」ウォルター・ヒルの栄光と挫折
 ウォルター・ヒルといえば、1970年代からアメリカ映画を見続けて来た僕にとっては特別な監督だ。
 先にも述べたように、スピルバーグみたいに最初から「大物」然としていた人たちと違って、ヒルとかジョン・カーペンターとかはB級の臭いをプンプンさせながらも、地味〜に自分の持ち味を発揮させてきた人。実は映画好きとしては、本当は晴れがましい映画よりもこっちを好んでいたりする。
 そんなウォルター・ヒル映画に最初に出会ったのは、確か監督第2作の「ザ・ドライバー」(1978)でのこと。監督デビュー作のチャールズ・ブロンソン主演作「ストリートファイター」(1975)は戦前のアメリカを舞台にした文字通り「ストリートファイト」もの。さすがに地味過ぎて、まだ中学生の僕には少々敷居が高かった。「ザ・ドライバー」は当時まだ人気があったライアン・オニール主演。共演はブルース・ダーンと珍しくフランスから呼ばれたイザベル・アジャーニという布陣。現在ではみんな忘れられかけた存在になっちゃったが、当時としてはこれはかなり豪華な顔合わせと言える。しかも「異色」だ。ライアン・オニールと言えば何と言っても「ある愛の詩」(1970)の甘いハンサム・スターのイメージが強かった。それが寡黙で一匹狼のランナウェイ・ドライバーを演じていて素晴らしいのだ。映画全体もクールで無駄が一切ない問答無用の仕上がり。最近ではライアン・ゴズリング主演の「ドライヴ」(2011)がどうやらこの「ザ・ドライバー」を強烈に意識した出来栄えらしいが(残念ながら僕は見逃してしまった)、そういう意味でも今でも一見の価値がある引き締まった作品だ。
 これで僕も大いに注目することになったウォルター・ヒル。その後はストリート・ギャングの抗争を描く「ウォリアーズ」(1979) で大ヒットを飛ばす。これは現実にストリート・ギャングたちが大暴れした事件が起きたために当たった面もあったようで、僕は正直言って「ザ・ドライバー」 ほどはノレなかった。しかし「夜」を描かせたら天下一品、相変わらずクールなアクションには見るべきものがあった。
 さらに強盗団ジェシー・ジェームズ一味の顛末を描いた西部劇「ロング・ライダーズ」(1980)を発表。キーチ兄弟、キャラダイン兄弟、クエイド兄弟などハリウッドで活躍する兄弟俳優たちをそのまま兄弟役で起用するなど異色のキャスティングも興味深いが、ここから長年のコラボが続くことになるライ・クーダーの枯れた音楽の効果も絶大で、渋い味わいの西部劇となった。そういえばウォルター・ヒルは常に西部劇テイストのアクション映画を撮る映画作家として知られているが、実は真っ正面から西部劇を撮ったのはこの「ロング・ライダーズ」が初めて…という意味でも必見の作品だ。
 次の「ブラボー小隊・恐怖の脱出」(1981)は、南部の得体の知 れなさを描いたどんよりと気色の悪くなるサスペンス・アクション。僕は後年テレビで見たが、面白いけど劇場未公開になるのも不思議はない作品だった。…と いうわけで、ここまでは確かにウォルター・ヒルはどちらかと言えば地味な存在、よく言えば「通」好みの映画作家だった。それが、なぜか思わぬ大ブレイクを 果たすから世の中は分からない。
 「48時間」(1982)が公開された時、ニック・ノルティも日本ではあまり知られてない存在。エディ・マーフィーは これが日本デビュー作だった。いわば、誰にも期待されていない状況で公開されたわけだ。おそらくハリウッドでも、ソコソコに期待はされていてもここまでの 出来までは予想されてなかったのではないか。それが実に素晴らしいほどハマった! ニック・ノルティの刑事とエディ・マーフィーの犯罪者、この食えない二 人のやりとりが何とも絶妙。あまたあるバディ・ムービーのお手本とも 言える出来栄えで、見終わった後の爽快感がハンパない。蛇足ながら付け加えると、この作品は日本テレビの「水曜ロードショー」で1985年に放映された際 の、ニック・ノルティ=石田太郎、エディ・マーフィー=下條アトムによる日本語吹き替え版がこれまた絶妙。こんなこと言っちゃマズイかもしれないが、 ひょっとして本人よりいいかも(笑)と言えるレベルだ。とにかく、作品的にも大衆受けの点からもウォルター・ヒルが突然変異的に大ブレイクした作品といっ ていいだろう。
 これによって乗りに乗ったウォルター・ヒルは、次に異色の作品に取りかかる。何とロック・ミュージカル仕立てのアクション映画ストリート・オブ・ファイヤー(1984) だ。いつの時代、どこの場所ともつかない「ロックンロールの寓話」として、ストリートギャングによるロックスターの歌姫の略奪、彼女のかつての恋人だった 流れ者による奪還…が描かれる。楽曲がいずれも素晴らしい出来栄えで、しかもアクションはいつもながらクールなウォルター・ヒル仕様。まさに一粒で二度美 味しい映画だ。若い頃のダイアン・レインではこれが最高。そしてウォルター・ヒルがどこからか引っ張ってきた主役マイケル・パレは、この作品「限定」で見事に無骨なヒーローを演じきっている。実際、彼はこの作品以降は何をやってもパッとしない木偶の坊役者になり下がってしまったから、やはりこの作品での素晴らしさはヒル・マジックだったのだろう。さらに悪役で鮮烈に登場したウィレム・デフォーの、 若い頃の館ひろしかシーラカンスを思わせる容貌には強烈なインパクトがあった。ともかくクールなキャラクターとイカしたロックンロール、そこに熱いアク ションと三拍子揃って、映画ファンなら誰しも見ていて血圧が上がらざるを得ない作品に仕上がっているのである。女はどうか知らないが、少なくとも男の子で この映画を嫌いになる人はいないんじゃないかな(笑)?
 この大傑作2連発で「アクションはウォルター・ヒル」…と押しも押されもせぬ存在になった彼だが、好事魔多し。あるいはこの2作で一種の「燃え尽き症候群」になってしまったのか、この後、ウォルター・ヒルはなぜか迷走を始めて、そのフィルモグラフィーも長期低落傾向を描いていくのだ。
 その最初の兆しが「マイナー・ブラザース/史上最大の賭け」(1985)だ。パッとしないマイナーリーグの投手リチャード・プライアーがいきなり巨額の富を相続することになったが、その条件が一ヶ月で3000万ドルを使い切ること。そこで相棒のジョン・キャンディと 派手な無駄使いを始めることになるが…というお話。ウォルター・ヒル初のアクション抜きのコメディ映画だ。「48時間」でエディ・マーフィーを使いこなし たヒルだから、同じ黒人コメディアンのプライアーだって大丈夫…と思ったのかどうなのか。まぁ、正直言って悪くはない。予想外にじ〜んと来る場面もあり、 僕は嫌いではない。しかし、「ウォルター・ヒルじゃなくちゃ」という作品でもない。正直言って「異色」の作品以上でも以下でもない作品なのだ。
 さらに次に来たのは、ベストキッド(1984)で名を売ったラルフ・マッチオが、なぜかブルースのルーツを訪ねる旅に出る「クロスロード」(1986)。 南部を舞台にした話もお手の物だし、ブルースは音楽担当ライ・クーダーの十八番だし、企画した人はこれぞウォルター・ヒル向けと思っちゃったんだろう。と ころがこの映画、マッチオが自分探しブルースのルーツ探しをするリアルな青春編かと思えばさにあらず。何とラストはいきなりファンタジーに変貌して、ヘビ メタ野郎とステージで文字通りギター・バトルで戦うというクライマックスを迎えるからビックリ。「ストリート・オブ・ファイヤー」で「ロックンロールの寓 話」をやってるんだから、こっちもアリでしょ?…と言いたいんだろうが、見ているこっちはハッキリ言って心の準備が出来てないから「トンデモ」映画でしか ない。正直、やっちまったな…という印象でしかなかった。
 次に公開されたのは、現代西部劇とでも言うべき「ダブルボーダー」(1987)。メキシコとアメリカの国境近い町を舞台に、麻薬組織と対決するレンジャーのお話。主演がニック・ノルティと来た。これは見るしかないだろう。ニック・ノルティだよ。おまけにメキシコ臭が濃厚に漂うあたり、何となくサム・ペキンパーへのリスペクトが感じられるではないか。西部劇テイストのウォルター・ヒル独壇場の予感。今度こそいけるだろう…。ところが今となってはガッカリした印象しかない。一体何がいけなかったんだろう。
 そんな訳で「ありゃりゃ?」と思わされる作品が相次いだウォルター・ヒルだったが、次に控える作品はまさに「今度こそ」と思わされる好企画。ソ連の強面 カタブツ刑事とアメリカの清濁併せ呑むハミ出し刑事が、シカゴを舞台に大暴れ。これをアクション・スターとして急速に頭角を現してきたアーノルド・シュワルツェネッガーと、兄貴ジョン亡き後にグイグイ伸びてきたコミカルな芸達者ジム・ベルーシの顔合わせで描く。当然、僕らの脳裏に浮かぶのは、あの「48時間」の再来だ。役者も揃っているし、これぞ本領発揮してくれるに違いない。これは絶対見なくては!
 こうして劇場に勇んで駆けつけた「レッドブル」(1988)は、冒 頭かなりの尺が旧ソ連・モスクワの場面になっていて、ロシアや東欧の風景が好きな僕を喜ばせる。部分的にちゃんとモスクワでロケもしているようで、その本 格派ぶりが嬉しい。そこでシュワルツェネッガーのソ連刑事の人となり、なぜ彼がアメリカに行かねばならなくなったかが描かれて、いよいよアメリカに舞台が 移る。案の定、ジム・ベルーシとの掛け合いも快調で、こりゃ楽しみだと思い始めたその時…。
 あれっ、これでオシマイ?
 まるでウォーレン・ビーティ、ダスティン・ホフマン、イザベル・アジャーニ主演の「イシュタール」(1987) を見た時のような衝撃。これは面白くなりそう、面白くなるぞ、もうすぐ面白くなる、やったぞここから面白くなるに違いない…と思っていた矢先にストンとエ ンドマークが出てしまう残念ぶり。いやぁ、この「レッドブル」と「イシュタール」を見た時の失望感は、たぶん僕は一生忘れないだろう。この2本が日本公開 された1988年は、映画ファンの僕にとって最悪の年だったはず。
 さらに意気消沈するウォルター・ヒル・ファンに追い打ちをかけるように公開されたのが、ミッキー・ロークを主演に迎えた「ジョニー・ハンサム」(1989)。 醜い顔の犯罪者が整形手術をしてハンサムになり、昔の裏切り者に復讐するために帰ってくるというお話だが、まだミッキー・ローク人気が凋落する前とはい え、これはホントにつまらなかった。醜い顔の男が手術でハンサムになったらミッキー・ローク…ってところからして、ナルシストにも程がある企画。どうして こんなの撮っちゃったのかと思わされるほど退屈だった記憶しかない。正直言って、僕もこのあたりで「この人、もうダメかも」と思い始めたのだった。
 ついでに言うとこの「ダブルボーダー」、「レッドブル」、「ジョニー・ハンサム」の3作は、いずれも当時のハリウッドの新興勢力、マリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナカロルコ・ピクチャーズの製作によるものだった。あのスタローンも、こいつらの下で「ランボー」(1982)などを作ってすっかり大味化したように、こいつらとツルむとロクなことがない。カロルコと関わったことが、ウォルター・ヒルの低迷をさらに加速させたのは間違いないだろう。
 そんなわけでどんどん失速を続けるヒルも、さすがにこれはマズイと思い始めたのだろう。次に取り組んだのは文字通り「起死回生」を狙った一作、彼の名を一気に「アクションの巨匠」へと押し上げた傑作の続編、映画ファンなら誰もが待っていた「48時間PART2/帰って来たふたり」(1990) だ。あのニック・ノルティとエディ・マーフィーの名コンビが復活すれば、何かが変わるのではないかと僕もウッカリ思ってしまった。しかし、同じ状況を作れ ば同じ結果が生まれるとは限らない。そもそも、前作と違って今回の作品では主演のビリングがエディ・マーフィー、ニック・ノルティと逆転してしまっている ところからして、もう状況は前とは変わってしまっていたのだ。何となく面白くなりそうで…一向に面白くならない。そんな不完全燃焼のまま映画は終わってし まう。ちょうどマーフィー自体もマンネリになりかかっていたところで、結果的にこの作品の不調から長い低迷期に突入することになってしまう。ヒルは復活ど ころか、マーフィーを道連れに沈没するという最悪の結果に終わってしまったのだ。
 そんな低迷期のウォルター・ヒル作品の中では異彩を放っているのが、次の作品「トレスパス」(1992)。たまたま麻薬ディーラーの取引が行われていた廃墟のビルに、隠された黄金を探しにやって来た「宝探し」の消防士たちが迷い込んで…というちょっと不思議な映画。キャストもビル・パクストンが筆頭という地味さ加減。しかし、舞台となる廃墟のムードが捨てがたく、僕は結構この作品が気に入っている。何と、脚本と製作にロバート・ゼメキスが参加している異色作でもある。ひょっとすると、低迷期のヒルでは唯一の成功作かもしれない。しかしあまりに地味で小粒な作品のため、これでヒルの低迷に歯止めをかける程のパワーは到底期待できなかった。
 そこからはジーン・ハックマンなどの豪華キャストも空しい「ジェロニモ」(1993)、ブルース・ウィリスによる黒澤明「用心棒」(1961)のリメイクなのに残念な出来栄えの「ラストマン・スタンディング」(1996)…などなど、義理で見に行ってはみたものの、ただただヒルの凋落ぶりを確認するだけの状態。正直言って、しまいには見るのがツラくなっていたのが本音だ。
 しばしの沈黙の後に刑務所内のボクシング試合を描いたウェズリー・スナイプス主演デッドロック(2002) が公開された時にはまたまたすっ飛んで見に行ったが…それなりに見るべきものはあったし好意的に見れた部分はあったものの、今にして思えば往年のキレは失 われてしまっていたかもしれない。それが証拠に、今思い出そうにもこの作品の記憶は皆無だ。結果的に、僕がこのサイトを開設してから唯一新作として取り上 げたヒル作品がこの「デッドロック」となってしまった。その後、ウォルター・ヒルはまたまた長い沈黙を守ってしまうことになるのだ。
 そんなわけで、それからほぼ10年。正直言ってもう「過去の人」となってしまったウォルター・ヒルは、このまま引退してしまうのではないかと思っていた。
 そんな僕が久々に彼の名前を思い出したのは、何とリドリー・スコット久々のSF大作プロメテウス(2012)のオープニング・クレジットを見た時のこと。詳しい事情はともかく、そういえばヒルはなぜかあの「エイリアン」(1979)にもプロデューサーとして名を連ねていたのだった。そんなわけで久々にスクリーンに映し出された懐かしい名前を感慨深く見つめたものの、まさかそれが本人の監督としての「復活ののろし」でもあったとは! さすがに僕もその時には夢にも思わなかった。
 それにしても、されど10年…である。現場から長らく離れたカンの 鈍りは、多少なりともあるのではないか。ましてウォルター・ヒルはイングマル・ベルイマンのような映画作家ではない。商業映画…それもアクション映画の監 督である。キレの良さやイキの良さが身上の彼のような監督にとって、キャリア上のブランクは致命的なものになるのではないか。
 おまけに初顔合わせのスタローン。確かに同じアクション映画という土壌でやってきてはいるが、どう考えてもウォルター・ヒル映画の映像にハマったスタローンがイメージできない。これって果たしてどうなんだろう。
 そんな疑念を持ちながら、僕は久々のウォルター・ヒル作品のスクリーンに対峙したのだった。

見た 後での感想

 映画が始まってすぐ、製作会社のロゴがスクリーンに映し出されて、僕は思わずアッと驚いた。
 ダークキャッスルのロゴだ!
 僕はこの映画がダークキャッスルの作品だとは夢にも思わなかったので、ついついビックリしてしまった。それというのも、ダークキャッスルとは元々がホラー映画専門のレーベルだったからである。
 そもそもダークキャッスルは、ロバート・ゼメキスジョエル・シルバーという、まったく接点がないように思われた二人が組んで設立された製作会社だった。元々はB級ホラー監督だったウィリアム・キャッスルの旧作をリメイクするために設立された会社で、その第1作はやはりキャッスル作品のリメイクTATARI(1999)。その後はキャッスル作品から離れてオリジナル作品を作り始めたものの、ゴーストシップ(2002)、ゴシカ(2003)、リーピング(2007)…などなど、依然としてホラー作品一筋だった。それがホワイトアウト(2009)あたりから非ホラー映画にも進出して来て、今回はサスペンスでもない純粋なアクション映画を制作というわけだ。これは意外だった。
 しかし僕は、この作品がダークキャッスルによって制作されていることに気づくや、もうひとつの事実に思い当たったのだった。
 …ということは、この作品のプロデューサーはジョエル・シルバーではないか!
 ジョエル・シルバーといえばもちろん世界にセンセーションを呼んだ「マトリックス」(1999)のプロデューサーであり、リーサル・ウェポン(1987)のシリーズ、ダイ・ハード(1988)など良質なアクション映画の作り手として知られている。それだけでも見る側としては心強いのだが、そもそもジョエル・シルバーって…「48時間」「ストリート・オブ・ファイヤー」というウォルター・ヒルの最上傑作2作のプロデューサーではないか。
 あのヒルの頂点を極めた2作以来、早くも30年近く。
アクション映画の神髄を知り尽くし、最も彼の持ち味を知り尽くした最強の協力者が帰ってきた!
 これは今回の作品、久々に期待してもいいのではないか?

必要な時には、「彼」がいる
 結論から言うと、今回の作品は「久々に期待してもいい」映画だ。
 ウォルター・ヒルらしさ、彼のいい資質がかなり活かされている。さすがに「48時間」「ストリート・オブ・ファイヤー」のピーク時の素晴らしさを期待さ れると少々キツイが、彼の現場カンはまだまだなまっちゃいない。アクション映画の監督として、かなり良いセンをいってるのである。
 懸念されていたスタローンとの相性だが…これが意外にも悪くない
 スタローンの髪を思い切って短くし、イメージを一新させ精悍さを際立たせた。それだけでは飽きたらず、セリフを極端に低い声で短くしゃべらせてスタロー ン十八番の力み返った「ぬおおおお〜〜〜っ」という雄叫びを封印。同時にあの暑苦しさも払拭することで、夜の世界を描くのがうまいウォルター・ヒルの世界 に馴染ませることに成功した。これはなかなか巧みな作戦ではないか。
 しかも今回の作品、かつてのスタローンが得意としていたワンマンショーではない。見ているうちに気づかされるのだが、何と東洋系の若手刑事とのバディ・ムービーとなっているのである。この二人が殺し屋と刑事という立場や白人と東洋人という人種だけでなく、年齢から性格など何から何までが対照的なキャラであること、手を組んだ最初の頃は信頼感ゼロで対立してばかりなこと…などからもうお分かりなように、これは誰がどう考えてもあの大傑作「48時間」の再現を狙っているに違いない!
 もちろん、正直言ってスタローンにはあの軽妙さは望むべくもないし、ワイルドスピード MEGA MAX(2011)にも出ていた「ワイルドスピード」ファミリーの一人であるサン・カンも、 正直言ってそれほど「面白味」のある役者ではない。だからニック・ノルティとエディ・マーフィーの見ていて天にも舞い上がりそうなあの楽しいやりとりは、 とてもじゃないが期待できない。実際、ギャグがすべっている箇所もいくつか散見できる。しかしスタローン御大が手を焼かされているくだりといい、ソコソコ 楽しめることは評価していい。
 聞くところによれば、スタローンの「相棒」に東洋系のサン・カンを勧めたのは、プロデュース作品の主要キャストに必ずマイノリティーの俳優を起用するジョエル・シルバーだという。だとすると、これはグッド・ジョブと言わざるを得ない。サン・カンは役者としてはそれほど軽妙ではないかもしれないが、人種の違いによるミスマッチ感だけでもこの作品に一種の「うまみ」をもたらしているからである。
 そして映画のクライマックスは、広大な廃墟を舞台に展開するというのも正解。ウォルター・ヒル低迷期の唯一の救いだった「トレスパス」が廃墟を舞台にしていたし、何より「ストリート・オブ・ファイヤー」では廃墟が舞台だった。あの「ザ・ドライバー」でもクライマックスは廃墟だった。ウォルター・ヒルと廃墟は、極めて相性がいいのである。
 おまけに嬉しくなるのは、最後のスタローンと悪役ジェイソン・モモアとの斧を振り回しての対決。最近のアウトロー(2012)やラストスタンド(2012)、そしてL.A.ギャングストーリー(2012)の終盤と同様に、善と悪とのサシの勝負というクラシックなアクション映画のスタイルを貫いているのも嬉しいが、何よりこの場面の趣向って「ストリート・オブ・ファイヤー」での最後のヤマ場…マイケル・パレとウィレム・デフォーが大型ハンマーを振り回して戦うくだりの再現ではないか!
 なるほど、今回の作品が面白いわけだ。これはまるでウォルター・ヒル・グレーテスト・ヒッツというか、彼のベスト・アルバムみたいなものだと言っていい。一番得意でうまくいったことをやっているのだから、うまくいかない訳がないのだ。どうして彼はこれまでずっと、こんな簡単なことが出来なかったのだろう?
 考えてみれば、ウォルター・ヒルは良くも悪くもプロデューサーに左右されると ころがあったのではないだろうか。彼はソコソコ「通」好みのアクション監督ではあったが、アクション専門のプロデューサーであるジョエル・シルバーの下で 「48時間」「ストリート・オブ・ファイヤー」を放ってその才能を思い切り開花させた。ところがシルバーから離れるとたちまち低迷。おまけに業界でもいかがわしさ満点で知られたマリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナのカロルコ一派につかまってからは、完全に落ち目街道まっしぐらになってしまった。
 自分のことでも思い当たるフシがあるが、人生の浮き沈みなんてそんなものだ。全部オレ一人の手柄だし一人ですべて仕切れる…なんて思い上がっちゃいけなかったし、オベンチャラ言って近づいてくるハイエナどもに耳を貸してはいけなかったのだ。
 後になってみれば何でそんなことを…と思ってしまう選択を、人間はしばしば人生の絶頂でやってしまう。決して手放してはいけない人と、つまらないことで袂を分かってしまうものだ。きっとヒルには自分でも気づいていない自らの能力や適性を見いだしてくれるような、センスある理解者が必要だったのである。
 あの男の子にとっての大傑作(笑)「
ストリート・オブ・ファイヤー」の終盤、ヒーローのマイケル・パレがかつての恋人ダイアン・レインに投げかける無骨な一言が思い出されるではないか。
 「必要な時には、俺がいる」
 往年の本調子とまで期待したらちょっと無理があるが、それなりに及第点は与えたい今回の作品。実はダークキャッスルつながりで久々にウォルター・ヒルの元に帰ってきた、ジョエル・シルバーの功績が大ではないかと僕は密かに思っているのである。

 

 

 

 

 to : Review 2013

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME