「レッド・ライト」

  Red Lights

 (2012/03/18)


  

「万国びっくりショー」の衝撃
 僕が子供の頃、毎週欠かさず見ていたテレビ番組に、「万国びっくりショー」があった。
  今回ここで書くにあたってウィキペディアで調べてみたら、番組開始は1967年11月というから、僕が8歳の時ということになる。大阪で開かれた万国博覧 会が1970年のことだから、この番組タイトルの「万国」とはそれにちなんだものだろう。フジテレビの放送でロート製薬提供。
とにかくいろいろなスゴイ能力を持った人を紹介する番組だった。
 その出演者たちの半分ぐらいは、怪力男みたいな商売人…サーカス芸人などの類の「ショーマン」だった。しかし半分ぐらいは…すごい暗記のできる人みたいな、「その芸をメシのタネにしていない人」の出演もあったように記憶している。
 これが何を意味しているか…を説明するには、この「万国びっくりショー」を追いかけるかたちで放送が始まった、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「世界びっくりアワー」を 比較してみればよく分かる。「万国びっくりショー」に対して「世界びっくりアワー」というタイトルをつけるとは、何だかかつて明治製菓が「チョコバー」を 出してヒットさせたとたん森永製菓が「バーチョコ」を発売した(笑)時みたいな濃厚なバッタもん感が漂うが、まさにそういう趣向の番組。今となっては森永 で「バーチョコ」のことを語る人はいないだろうから文字通り黒歴史化しているんだろう(笑)が、「世界びっくりアワー」にもそんなムードが漂っているの だ。
 おまけに「万国」がNHKアナウンサー出身の八木治郎司会なのに対して、「世界」は風呂敷みたいな唐草模様のスーツが「売り」の「お笑い芸人」東京ぼん太司 会。「万国」がフジテレビのスタジオ収録に対して、「世界」は赤坂のキャバレー「ミカド」からの中継といった具合。たぶんキャバレーのショータイムを活用 しての苦肉の策だったのだろう。テーマ曲からして「世界」は、サーカスの音楽みたいな泥臭さと哀愁漂うメロディだった記憶がある。つまりは洗練とは程遠い シロモノだった。
 そんな「世界びっくりアワー」だから、出てくる連中もハッキリと奇術師、マジシャンの類が多かった。でなければ、ズバリとサーカス芸人。まぁ、実際のところはキャバレーのショータイムだったから仕方がない。飯坂温泉ホテル聚楽の「世界のショー」みたいなものだった。
 逆に言うと、それに対して「万国びっくりショー」は「見せ物」臭が少なかった…とも言えよう。確かに芸人たちも出てきてはいたが、半分ぐらい…少なくとも何組かの出場者たちは文字通り「超能力」の類の連中もいたのだ。
  それらは、すごい記憶力の持ち主やら計算能力の持ち主、あるいは怪力の持ち主やらといった我々の理解の範疇での「超能力者」が多かったが、中にはどうして も理屈のつかない「超自然的」パワーの持ち主もいた。それでもイマドキのテレビ番組みたいに俗悪さ丸出しの吉本芸人などではなく折り目正しい八木治郎の司 会進行で紹介されると、何となくリアリティが出てくるから不思議だ。逆に「世界びっくりアワー」があったからこそ、「万国」は「正当派」で「マトモ」な番組のイメージを醸成できたとも言える。少なくとも、僕は当時そう思っていたわけだ。
 その「万国びっくりショー」でも最大の衝撃というと、あれはいつ頃放送されたかは忘れたが(この番組自体は1971年9月まで放送されていたから、僕がまだ小学生だった頃であることは確かだろう)、海外取材場面も交えてスペシャル番組体制で放送された「心霊手術」の回ではないだろうか。
  今ではもう詳細については覚えていない。確か東南アジアかどこかから、「心霊手術」を行う超能力者を紹介する企画だった。まずはその取材フィルムから始ま り、心霊手術の実際を見せる。確かこの「超能力者」は、まず患者の腹部をゲンコツでぐいっと押して窪みをつくる。するとそこからゴボゴボと赤い血が噴き出 してきて、その血だまりみたいな中で忙しそうに手を動かすのだ。やがてこの男は血だまりの中から肉の塊みたいなモノを引っ張り出してくる。番組の触れ込み では、この肉塊がガンだか腫瘍だかということで、つまりこれで手術は終了というわけ。さらに血だまりを雑巾みたいな布きれで拭くと、傷跡もなくスッキリ。 メスも使わず縫合もせず、患者は患部を切除されているという具合だ。
 ところが番組はこれでは終わらなかった。何とスタジオにこの「超能力者」が 登場。番組のために特別に来日していたのだ。そこからの記憶は、正直僕も心許ない。ひょっとしてこの男がスタジオでもデモンストレーション的に手術をやっ たのではないか…というような気もするが、さすがにそれはアレだからそこについては記憶違いかもしれない。ともかくゴールデンタイムの東京キー局の人気番 組で、堂々と「心霊手術」を取り上げたからビックリだったのだ。それも、冷静で温厚な八木治郎司会で。
 当然、まだ小学生の僕はコーフンのるつぼ。こりゃあスゴイと夜も眠れない状態になったのを記憶している。しかし、本当の衝撃はこれにとどまらなかった。これには続きがあったのだ。
 何と翌朝のテレビニュースだか新聞の朝刊だかで、問題の「超能力者」が逮捕されたということが報道されたのである。
  実はこの男、詐欺師として札付きで、世界各国でインチキ心霊手術を施して告発されていた。あの噴き出してくる血だまりは、ゲンコツに仕込んだ血のりだっ た。取り出した肉塊も、動物の臓物か何かだった。だから患者はまったく治療なんてされていない。これを、法外な値段をとってやっていた。
 しか し、こいつが罪深いのはむしろそこではなかった。患者自身は「心霊手術」で治ったと思いこんでいたから、ダマされたと気づいた時には手の施しようもない状 態になっていた人もいた。こいつの「手術」さえなければ助かったかもしれないのに、手遅れになった人だっていたはずなのだ。これはいくら何でもシャレにな らんだろう。
 それがあちこちでバレて、ついにはインターポールによって国際指名手配されていたというのだからスゴイ。こいつはそうとう手広く、派手に荒稼ぎをしていたようなのだ。
 なのに逃亡中のこの男、東洋の果ての日本のテレビ局なら大丈夫とノコノコ出てきたというからお粗末だ。「万国びっくりショー」は生放送だったので、番組終了時にフジテレビの建物から出てきたところを、インターポールの捜査官に逮捕されてしまったと記憶している。いやぁ、これにはさすがに「心霊手術」よりもビックリだった。
  まぁ、いろいろビックリなことは多かったけど、何より「テレビ局が堂々と放送するようなものでも、結構いいかげんなんだなぁ」という教訓を得たのが大き かったかな。今ではみんなテレビ局なんかまるで信用もしていないだろうが、当時はもうちょっとみんなナイーブだったし、テレビ局も少しは誠実だったはず だ。だからあんなイカサマが、堂々と全国のお茶の間に流されたことがショックだった。今、「万国びっくりショー」のことを調べてもどこにもこの「心霊手 術」について触れていないのは不思議な気がするが、この事件ってまさに、フジテレビの中で森永「バーチョコ」並みに黒歴史化しちゃっているのかもしれな い。
 しかも何よりそのイカサマをやっている当人が、インターポールから国際指名手配されているにも関わらず、堂々と人前で「それ」をやってのけ たのに度肝を抜かされた。当時はまだ極東の島国とはいえ、全国にテレビで生中継されちゃっているんだよ。どんだけ大胆なんだこの男は。このツラの皮の厚さ というか肝の据わり方というか…そのこと自体の方が、よっぽど「超能力」じゃないかと思ったものだ。
 でも、これってテレビ番組としてはどうだったんだろう。番組で紹介された「超能力」より、事件の顛末の方がよっぽど「衝撃的」だったっていうのは…。

見る 前の予想

 この映画の存在は劇場に置いてあったチラシで知った。
 イマドキ、ロバート・デニーロの出演なんぞ別に豪華とも何とも思わないが、他にキリアン・マーフィやシガーニー・ウィーバーが出て、超能力者とその真偽を調べる者との攻防戦を描く話と来れば、映画ファンとしては気にならないわけはない。
 しかも宣伝コピーが、「この男を疑い続けろ」とくる。SFホラーとしてスゴイのか、それとも謎解きとしてスゴイのか。だから「監督が誰だ」ということはともかく、とりあえず見たいという気持ちにはなっていた。
 そこで公開早々に劇場へと足を運んだというわけ。

あら すじ

 もうどっぷり日も暮れた田舎の暗い夜道を、一台のクルマが疾走している。
 助手席で眠っている中年女性は、超常現象の調査研究に携 わっているマーガレット・マシスン博士(シガーニー・ウィーバー)。ハンドルを握っているのは、物理学者でありながらマシスン博士の助手もしているトム・ バックリー博士(キリアン・マーフィ)だ。二人は今まさに、超常現象の「現場」調査に赴くため、田舎道をひた走っている。やがて二人がたどり着いたのは。 寂しいド田舎の一軒家。いかにも「何か出そう」な家だ。玄関が開くと、家の主人が怯えきった表情で二人を出迎える。まさにこの家に「出た」ので、何とかし てほしいと頼んできたのだ。主人には二人の娘がいるが、上の娘は「これ」のために外に逃げ出したという。家には下の妹しか今はいない。
 ところが この家には、もう一人出迎える者がいた。彼女は霊媒者のトレイシー・ノースロップ(ジーニー・スパーク)。恐怖に耐えきれなくなったこの家の主人が、マー ガレットたちが到着する前にどこからか頼んだ「専門家」だ。人の良いトムはついつい愛想良く挨拶してしまうが、こういう事に我慢ならないマーガレットは冷 たく接する。
 そんな間にも、「超常現象」は起きていた。どこからともなく「ドンッ」という大きな物音。確かに「何かいる」気配。
 早速、家の主人、その次女、霊媒のトレイシー、そしてマーガレットも交えて、テーブルを囲んでの「降霊会」が始められる。助手であるトムはさまざまな計器を設置して、その状況を逐一記録・監視する役目だ。
 すると、どうやら「何か」がやって来たらしい。ところが完全に冷静さを欠いてしまう家の主人のせいで、中途半端なかたちで「降霊会」は中断してしまう。それでも一同が囲んだテーブルは何センチか空中に浮き、そこに「何か」がいることを臭わせた。
 しかし、マーガレットとトムは冷静そのものだった。
 翌朝、マーガレットはその家の次女に優しく話しかけ、物音が彼女の仕業だったことを突き止める。この家の二人の娘はこんな辺鄙な家に引っ越したのに耐えきれず、幽霊話をでっち上げたのだ…。
 ちょうどその頃、巷ではある「スター」のカムバックが大きな話題を呼んでいた。
  その男の名は、サイモン・シルバー(ロバート・デ・ニーロ)。盲目の超能力者として一世を風靡していたこの男は、かつてある事件を契機に、プッツリとメ ディアから姿を消した。それはシルバーを「八百長」だと糾弾していたジャーナリストが、彼の公開イベント中に突然命を落とすというアクシデントだった。以 来、30年を経過し、なぜかこのシルバーが再び公衆の面前に姿を現すことになった。これはたちまちホットな話題となった。
 一方、マーガレットは 大学の講堂で、インチキ超常現象についての講義を行っていた。そこでは早速、例の田舎家での一件もネタにされている。例の降霊会でテーブルが浮いた現象 も、霊媒師がクツでテーブルの脚を上げていたとすれば理屈がつく。このように、マーガレットはその実態についてかなり意地悪な見方をしていた。そこには多 少の悪意ある解釈も感じられるため、当然のことながら疑問や反論も呼ぶ。講義を聴いていた生徒たちの中の一人、女子大生のサリー・オーウェン(エリザベ ス・オルセン)が質問した。
 「先生は超常現象全部がインチキだとおっしゃるんですか?」
 さすがにマーガレットはそこまで直言をしな かったものの、かなり辛辣な見方をしているのは間違いない。講義が終わってマーガレットが大学の廊下を歩いていると、超常現象研究センター所長のポール・ シャクルトン博士(トビー・ジョーンズ)が彼女にアドバイスを求めてくる。どちらかというと超常現象に肯定的なシャクルトン博士は、いつも彼女の嘲笑の対 象にされてしまうのだ。この日もシャクルトン博士の実験方法の「穴」を指摘し、少々やりすぎなほどやりこめてしまうマーガレットだった。
 しかし そんなマーガレットの研究室は、大学からあまり予算ももらえずに貧しい一室。トムはそこで、例のシルバー復活のニュースをテレビで見ていた。そこにやって 来たのが、先ほどの講義で質問した女子学生のサリー。彼女はマーガレットの研究に関心を持って、研究に参加したいとやって来たのだ。
 トムはそんなサリーを連れて、夜更けのカフェへ。親しげに語らううちに、サリーは当然の疑問をトムにぶつける。「どうしてインチキ超能力者を告発する必要があるの?」
 トムはサリーに、まるで例え話か何かのようにひとつの例を語るのだった。「重病に冒された人が超能力で治癒されたと信じて結果的に手遅れになってしまったら、それは罪ではないかい?」
  その翌朝、マーガレットはアパートの自室で、例のシルバーの復活のニュースを見ていた。当然のことながら彼女も、シルバーの復活に関心がないわけがない。 そんな彼女のもとに電話がかかってくるが、受話器をとると無言。イヤ〜な気分になった彼女が置いていた飲みかけのコーヒーカップを取りに戻ると…。
 そのカップに入っていたスプーンが、見事に折れ曲がっているではないか!

 

見た 後での感想

 この出演者の顔ぶれ、この題材に惹かれてついつい見に行った僕だが、劇場でパンフを買って、映画が始まる前にじっくり読んで驚いた。どうやら この映画、純粋なアメリカ映画じゃないらしい。ほぼスペイン・アメリカ合作の映画の体裁をとっており、撮影もスペインのバルセロナやカナダのトロントで行 われたというのだ。
 それというのも、この映画の監督がスペインのロドリゴ・コルテスという男だから。僕はこの監督の名前を知らなかったが、こいつが撮った「リミット」(2010) という映画のタイトルだけは知っていた。気がついたら棺桶の中に閉じこめられて、地中に埋められていた男の恐怖を描いた作品…ということも、この映画のチ ラシを手にしたことがあるので知ってはいた。さすがに閉所恐怖症的な内容もイヤ〜な感じがしたし、たまたま忙しかったこともあって、実物は見ることができ なかったのだが…。
 だがスペインあたりの映画監督がキリアン・マーフィ、シガーニー・ウィーバー、さらには超大物ロバート・デニーロまで引っ張り出しての映画づくりが出来るまでに至ったということは、この男も「リミット」という作品もそれなりに高い評価を得ていたのだろう。これはなかなか期待ができそう。
 大体…そもそもスペインといえば、近年、ホラーやサスペンス畑の分野で気になる人材を数多く排出しているではないか。
 オープン・ユア・アイズ(1997)のアレハンドロ・アメナーバルがその中では一番目立つ活躍をしているが、その他にもダークネス(2002)のジャウマ・バラゲロとか10億分の1の男(2001)のフアン・カルロス・フレスナディージョとか、スペイン・ローカルの範囲を逸脱する作品を発表する連中が結構いた。今回の作品のロドリゴ・コルテスも、そんなスペインから登場したニュー・フェイスととらえた方がよさそうだ。
  そんなことを考えながらスクリーンと対峙した本作、見た目はまったくアメリカ映画といっていい。特にスペイン・テイストが入っているわけでもない無国籍映 画だ(それは上に挙げた連中の作品にも言えることだが)。錚々たる顔ぶれにまったく物怖じしていないコルテス監督、ここはさすがとホメるべきだろう。
 やがてデニーロが出てきていかにも胡散臭い雰囲気を発散し出すと、 見ているこっちも徐々にウキウキしてくる(笑)。近年、デニーロは何でもバンバン出るようになったので、その「無駄な大物感」にありがたみがなくなってい た。ところが本作は盲目の超能力者で、しかもインチキを疑われているという札付きの男。おまけに、もしインチキをやっているとしたら、多少手荒なマネをや らかしてて手も汚している可能性のある男。胡散臭さ満点でなかなかいいのだ。やたら大げさな超能力ショーのケレンも手伝って、デニーロ本来の味が戻ってき たのである。
 考えてみればデニーロは有名な「デニーロ・アプローチ」やアカデミー賞の候補常連の演技派というイメージもあったが、映画では危ない感じや胡散臭い感じが「売り」だったはず。大物は大物でも、正当派の大物ではあり得ない。「アンタッチャブル」(1987)で演じていた所詮は成り上がりのアル・カポネみたいな、インチキ臭さがあくまで身上だったはず。そして最近でこそニューイヤーズ・イブ(2011)みたいなフヤけた作品も増えたが、本来は一連のマーティン・スコセッシ映画で見せていた「そのスジ」のお兄さん的いかがわしさが持ち味だったではないか。今回はそんなデニーロの危うい感じを、久々に120パーセント活かしての出演なのだ。いやぁ、僕はすっかり嬉しくなってしまった。
 しかも本作のアメリカ映画と見せて実際にはスペイン映画という「バッタもん」感も、作品の隠し味としては適度にいい感じ(笑)。作品全体もインチキ臭くて、それがかえっていいのである。念のために言うと、これは僕はホメ言葉として言っている(笑)。
  そんなこの作品のこのデニーロは、インチキ疑惑を漂わせる超能力者を演じている。キリアン・マーフィら主人公たちも、デニーロがインチキだろうと踏んでそ の化けの皮をはがそうと躍起になる。そりゃああのデニーロならば本来からインチキ臭いし、しかも主人公たちは「インチキに決まっている」と決めてかかって いるのだから、どう考えてもインチキっぽいといえばインチキっぽい。しかしこれだけインチキっぽいとしてお話が進んでいるとなれば、実際「インチキでし た」ではお話にならないのではないか。
 僕はそんなこんなで、このお話がどう着地するのかが大いに気になってきた。これは超能力を駆使した対決の 映画になるのか、デニーロが真っ黒なインチキ臭いパワーといかがわしい連中の力を使って攻勢をかけて来る犯罪物語になるのか…見ていてまったく先が見えな くなってきたのである。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンパない「これじゃない」感

 そんなわけでワクワクして見ていたこの作品。先ほども述べたように…問題の超能力者をインチキ臭いデニーロが演じていて、主人公のキリアン・ マーフィたちも彼のことを疑い、映画の宣伝コピーも「この男を疑い続けろ」的なモノになっているとしたら、当然のことながら問題になってくるのはデニーロ が「インチキであるか否か」。そしてお話の帰結としては、当然のことながら「インチキでない」という落とし方はあり得ない。だってそうだったら、観客とし ては「この2時間は何だったのか?」ってことになっちゃうではないか(笑)。
 というわけで、結論としては…我々が期待していた結論へと落ち着くわけなのだが、これはこれで「アレレ?」という気になってしまう。「インチキ臭い」と疑われている奴をいろいろ調べていって、結論として「やっぱりインチキでした」というのでは、実は面白くも何ともないのだ(笑)。デニーロが「インチキ」なんてのは、彼が画面に登場する前から、誰の目にも明らかだった。僕らとしては、「だから何なのだ」ということになってしまう。
 その代わり…と言っては何だが、まったく思ってもいなかった「意外な事実」が提示される。映画としてはそっちが「サプライズ」であるということになっているようだ。なるほど、確かに「ビックリ」であることは確かだろう。うまいことミスディレクションしたなとも思う。
 しかし、見終わって何ともスッキリしない。「見事にやられたな」とアッと驚く爽快感は感じられない。これは一体どういうことだろう。
 結局、いろいろ考えてみたのだが…この「結論」がスッキリしない理由って、それがミスディレクションっていうより「反則」に近いものだからではないか。これって例えば算数の問題で「トラックが3台あります。では、ネズミは何匹いるでしょう?」と出題されるみたいな(笑)、それこそインチキ臭い提示の仕方のような気がしてしまう。そりゃ意外は意外だけど、「そっち関係ないだろ」って感じ。
 その「意外性」は、結局、観客の誰もが期待も何もしていなかったから(笑)に他ならない。僕らは別にそんなモノを見たいと思っていたわけではないのだ。それこそ、「だから何なのだ」というシロモノ。見ている側の「これじゃない」感がハンパないから、見終わってスッキリしないのである。
 そもそも「超能力」なのか何なのかを探る「謎解き」としてお話が進行するはずの展開なのに、そこに「超能力」でカタをつけちゃうのはマズイだろう。「超能力」を出してきたら「何でもアリ」になってしまう。いろいろな意味でズルいのである。
 おまけに終盤に主人公が延々と便所でボコボコにされる場面みたいな、無意味に執拗で力が入ったところもある。この映画って肝心の「詰め」の部分で、力の配分やバランスが明らかに狂ってしまっている。だから、見ている僕らはまるでスッキリしない。
 これだけの顔ぶれをそろえて、煽りに煽っておいてこの「結論」。この「尻すぼみ」感が、何とも残念でならないのである。

 

 

 

 

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