新作映画1000本ノック 2012年8月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「遊星からの物体X/ファーストコンタクト」 「ミッドナイト・イン・パリ」

 

「遊星からの物体X/ファーストコンタクト」

 The Thing

Date:2012 / 08 / 20

みるまえ

 ジョン・カーペンターの傑作SFホラー「遊星からの物体X」(1982)のリメイクだか続編が作られるというニュースは、ずいぶん前から耳に入っていた。「物体X」は大好きなカーペンター作品の中でも、特に気に入ってる作品のひとつ。だからこうしたニュースが飛び込んで来たら、気にならないわけがない。しかし、特に「お気に入り」作品なだけに、リメイクだか続編だかが出来たら「見たいか」と言えば微妙なところ。おまけに出演者や監督もあまり聞いたことがなさそうな名前ばかりとなると、ますます「どうしたものか」と思わされるばかりだった。そんなこんなしているうちに、いつの間にかその作品が公開されていたとは…。ここ何カ月かのムチャクチャな忙しさのなかで、ついつい見逃してしまっていた。先日うちのサイトの掲示板にあった書き込みで、かろうじてそのことに気づいた次第だ。なんでも今回の作品、例のカーペンター作品のリメイクでも続編でもなくて、正確にはあの作品の前日談にあたる…いわゆる「エピソード1」モノらしい。なるほどカーペンターの「物体X」は、南極ノルウェー基地から逃げてきた犬がアメリカ基地にやって来るところから始まっていたっけ。その前にノルウェー基地で何があったのか…という話なら、確かに面白そうではないか。こうなると、見ないわけにはいかない。僕は何とか時間をつくって、劇場へと駆けつけたわけだ。

ないよう

 1982年、南極。真っ白に広がる大氷原を、一台の雪上車が突っ走っていた。そこに乗っていたのは、ノルウェーの南極探検チームのメンバー3人。彼らのうち二人はエロ話に興じてバカ笑いしていたが、一人は計器にかじりついて、ある信号音を必死に追いかけていた。その信号音は、この氷原のどこかから発信されていた。そしていよいよ信号音が近付いてきたと思った瞬間…ズバ〜〜ンと氷が割れて、雪上車は真っ逆さま。割れ目の中を一気に下降していったが、ある時点で割れ目の間に挟まって止まった。肝を冷やした一同がその割れ目の奥に見たものは…金属らしきモノで作られた巨大な構造物ではないか! それから間もなくのこと、コロンビア大学の研究室で一人氷漬けの犬の死骸と格闘している考古生物学者ケイト・ロイド(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)のもとに、顔見知りの若い男が現れた。実は今日はこのアダム・フィンチという男(エリック・クリスチャン・オルセン)と面会の約束をしていたのに、研究に夢中でついつい忘れてしまったのだ。さてその面会の約束とは、ケイトにこの分野では有名な科学者であるハルバソン博士(ウルリク・トムセン)を引き合わせることだった。早速、この研究室に現れたハルバソン博士は、ケイトに奇妙な依頼をする。何を調査するかは言えないが、彼女に南極での発掘作業に協力してくれ…と頼み込むのだった。それだけでは何とも言えないケイトだったが、有名なハルバソン博士の仕事とあらば行かずにはいられない。そんなこんなで、すぐにハルバソン博士、アダムと一緒に南極に向かったケイトだった。そんな彼らを「現場」へと連れて行くヘリコプターの操縦士は、アメリカ人のカーター(ジョエル・エドガートン)とジャイムソン(アドウェール・アキノエ=アグバエ)の二人組。こうして一同は、南極の「例の地点」へと辿り着いた。氷原に開けた穴から中へと潜っていくと…そこにはまさに衝撃的なものが横たわっていた。大氷原の下に巨大な空洞が広がり、そこにこれまた巨大な円盤状の構造物が眠っているではないか。誰がどう見ても、これは「空飛ぶ円盤」にしか見えない。しかもこんな氷原の下に横たわっているとしたら、もう何万年も何十万年も前からここにあるのに違いない。これはまさに大発見ではないか。そんな彼らを、さらに衝撃的なモノが待ち受けていた。その円盤が眠っているそばの氷原の氷に、「何者か」が凍ったままで存在していたのだ。長いツメのようなモノを持った生き物らしき「それ」は、なぜか円盤から這い出したまま凍り付いてしまっていた。こいつを氷ごと切り出せば大発見だ。早速ケイトの指揮の下、「それ」が凍り付いた巨大な長方形の氷塊が切り出され、ノルウェー基地まで運ばれていった。早速、氷を部屋の中に収納し、状態を調べる一同。ところが功を急ぐハルバソン博士は何を思ったか、その場ですぐに検体を採取しようと言い出す。氷漬けの「それ」にドリルを突き刺して、生命組織を取ろうと言いだしたのだ。さすがにあまりに性急な話に抵抗を示すケイトだが、ハルバソン博士は言うことをきかない。結局、乱暴に氷にドリルを突き刺すと、目的のブツを手に入れてしまう。そしていきなりケイトを呼び出すと、「今後、私に口答えは許さない」とクギを刺すのだった。それでもこの「大発見」は、ノルウェー隊の士気を大いに高めた。ハルバソン博士の「アレは間違いなく地球外の生物であることが分かったぞ!」という宣言もあって、基地内の娯楽室でゴキゲンな一同。そんな中、ヘリ操縦士コンビのうちの一人ジャイムソンは、ちょっとばっかり好奇心を出して、例のでっかい氷塊が蔵置されている部屋へと入っていく。な〜んとなくイヤ〜な気配に緊張ビリビリの彼、それでも何もないか…半ば安心、半ばちょっぴり失望して部屋を出ようとしたその時…。ドバ〜〜〜〜ン!! いきなり氷塊をぶち破って何者かが飛び出し、部屋の天井も破って外へと逃げ出すではないか。慌てたジャイムソンは娯楽室の一同に「や、やつが逃げ出した!」と訴えるが、話が話だけに誰も信用しようとしない。それでもそのただならぬ雰囲気に、ようやくみんなも冗談じゃないと気づく。こうして基地の外に逃げ出した「エイリアン」を探すため、慌てて周囲を見て回りだした一同だったが…。

みたあと

 映画が始まると、まず舞台背景として「1982年、南極」であることが示される。言うまでもなく、カーペンターによる前作の時代設定だ。そしてメイン・タイトル文字が出てくるあたりも、背景から光が差してきて文字が浮き出してくるような前作の手法を踏襲。ただし、このメイン・タイトル文字の出し方については前作そのものが、ハワード・ホークス製作によるオリジナル版「遊星よりの物体X」(1951)を踏襲しているのだが…。そんなわけで、開巻から思いっ切りカーペンター作品とのつながりをアピールする本作。それだけで前作のファンである僕なんかはワクワクしてしまうのだが、原題は前作(とオリジナル版)と同じ「THE THING」っていうのはどういうことなんだろう? これは「エピソード1」モノではなくリメイク版ってことなんだろうか? …となると、「アサルト13/要塞警察」(2005)や「ザ・フォッグ」リメイク版(2005)などと同じく、カーペンター作品リメイク・ブームの一環と考えるべき作品なのかもしれない。

みどころ

 しかし内容そのものは、間違いなくカーペンター作品の前日談。前作では謎としてさらっと描かれていた、ノルウェー隊の顛末を描くものだ。だから、棺のようなかたちに穴の空いた巨大な氷塊など、前作に断片的に登場したアイテムがチラチラと出てきて前作ファンを楽しませてくれる。これがなかなか嬉しい。そして僕らはすでに前作でこのノルウェー隊がどんな運命を辿るか分かっているから、見ている間のハラハラ度合いがハンパない。出演者もあまり知られていない俳優ばかりだから、誰がどんな目に遭うか分かったもんじゃないのだ。おまけに今回の主人公は女性で、演じるメアリー・エリザベス・ウィンステッドも「ダイ・ハード4.0」(2007)、「デス・プルーフ in グラインドハウス」(2007)などでちょっと売れて来ているとはいえ、まだまだそれほど知名度がある役者とは言えない。だからいつ「物体X」に殺されるか分からない怖さがある。これはなかなかうまい作戦ではないか。前作カーペンター版の場合は、主人公としてカート・ラッセル演じるタフなパイロットが出てくるが、これが「ニューヨーク1997」(1981)の主人公スネークとほぼ同じようなキャラクター。不敵でニヒルなタフガイで、何が起きても動じない抜群の安定感。だから無敵の怪物が襲いかかってくる物語にも関わらず、「安心して見ていられるSFホラー」(笑)になっていた。今回は主人公にそれほどの安定感がないから、怖さや緊張感は尋常ではない。誰が死ぬか分からない。というか、結局みんなやられちゃうはずと思って見ているから、絶望感もハンパじゃないのだ。ある意味でSFホラーとしては、むしろ本作のほうが王道と言えるかもしれない。「くるぞくるぞ」と思って見ているとハズされて、ホッと気を抜いたとたんにド〜ンと来る脅かしの巧みさも楽しい。問題があるとすれば、基本的に前作と同じことしか起きていないので、映画としてのスケールがいやが上にも狭まってしまうことぐらいか。タイトル・クレジットの書体に至るまで前作に敬意を表して同じにしたり、本作のエンディングであのエンニオ・モリコーネによる前作の不気味なシンセ・サウンドが鳴り響いたり、前作ファンにとって嬉しい趣向も満載。ますますエスカレートしてほとんどマンガみたいな「物体X」の変身ぶりといい、なかなか楽しめる作品に仕上がっているのだ。

さいごのひとこと

 やってることはバカのひとつ覚えの宇宙人。

 

「ミッドナイト・イン・パリ」

 Midnight in Paris

Date:2012 / 08 / 20

みるまえ

 近年、ニューヨークからヨーロッパへと流れてきたウディ・アレン。ある意味、そのスノッブさにますます磨きがかかってきたような印象もあるが、いよいよ花のパリーを舞台にした作品が登場。現代パリにやって来たアメリカ人が、なぜか1920年代のパリにたむろしていたアメリカの文化人たちと出逢う…というようなお話。これが近年のウディ・アレン作品の中でも抜きんでた好成績を上げたらしい。ある意味、アメリカ人のヨーロッパ、パリへの憧れをむき出しにしたような作品。こうなるとますますスノッブでお高くとまった作品になっている可能性は大だ。唯一興味が持てるのは、アレンが主演に初めてオーウェン・ウィルソンという陽性のアメリカ俳優を起用している点か。そんなわけでオドロキもなさそうな「想定内の作品」として、「ともかく見ておくか」と劇場へと足を運んだ次第。感想文がこんなに遅れたのは、僕の怠慢のためである。

ないよう

 どんな時間にどんな天気の時に見ても「絵になる」街、それがパリ。念願のこの街を訪れることができたギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)は、もうそれだけで夢中だ。しかし同行の婚約者のイネズ(レイチェル・マクアダムス)は必ずしもそうではないらしい。ギルとイネズは、金持ちでガチガチに保守的な彼女の父ジョン(カート・フラー)、母ヘレン(ミミ・ケネディ)がパリを訪問するのに便乗して、婚前旅行にやって来た。しかしパリへのロマンティックな思いに夢中のギルに対して、イネズは現実主義者的なサメっぷりを見せてばかり。またハリウッドの脚本家であるギルはそんな自分に嫌気がさしていて、作家への転向を模索中なのだが、イネズはあくまで脚本家としての成功を維持してほしいと願っている。そんなある日、ギルとイネズはたまたまイネズの友人であるポール・ベイツ(マイケル・シーン)という男と彼の恋人の二人に出逢う。自分たちだけでパリを堪能したいと思っていたギルはサッサとポールとお別れしようとしたが、元からポールの「博識ぶり」に敬服していたイネズは彼らとの同行を希望。かくしてギルにとって憧れのパリ訪問は、ウンザリする毎日へと一変した。何しろこのポールという男、どれだけ博識なんだか知らないがウンチクが多い。それがまた何ともインチキ臭いのだが、女というものはそういう男の軽薄さが見抜けない。イネズは「さすが」「素晴らしい」の連発。ポールも調子に乗ってウンチクを垂れ流して、何とも鼻持ちならない状況になってきた。おまけにイネズが執筆中のギルの小説を話題に出すものだから、ここぞとばかりに上から目線でポールも辛辣に語ってくる。完全にさらし者にされたギルは、まるで針のむしろの上に座らされているようだ。そんなこんなで連中に辟易したポールは、したたかに酔っぱらって一人でパリの街を歩く。そのうち道に迷ったのか、ある街角に迷い込んでしまったギル。そんな呆然としているギルの前に、やたら時代がかったタクシーが一台通りかかるではないか。クルマはギルの前に停まって、ドアが開く。すると、中には昔の服装をした連中ばかり。何やらパーティー真っ盛りの様子で、「一緒に来いよ」とギルを誘う。ギルがついついそんな彼らについていったのは、やはり酔っぱらっていたからだろうか。やがて賑わっているバーへとやって来たギルは、そこで驚くべきことにアリス・B・トクラス(テレーズ・ブル=ルビンシュタイン)、コール・ポーター(イヴ・ヘック)、ジョセフィン・ベーカー(ソニア・ローランド)、ゼルダ・フィッツジェラルド(アリソン・ピル)とF・スコット・フィッツジェラルド(トム・ヒドルストン)らと遭遇。さらにアーネスト・ヘミングウェイ(コリー・ストール)とも出逢ってしまう。間違いなくギルは、アメリカの文化人たちが集っていた1920年代のパリへとタイムスリップしてしまったのだった!

みたあと

 映画の冒頭、さまざまなパリのスケッチ集を惚れ惚れと見せていくあたりは、アレン自身の傑作「マンハッタン」(1979)冒頭のニューヨーク・スケッチ集を想起させる。しかしニューヨークのスノッブ男の恋物語を描いた「マンハッタン」とは、今回の作品は大きく主旨が異なる。正直言って、こうした「タイムスリップ」ネタはイマドキ珍しくもない。その舞台がパリで、タイムスリップする時代がパリにアメリカ文化人たちが集っていた1920年代…というあたりがウディ・アレンらしいところ。いかにもアレンらしい「知的」な設定、「文化人」的な好み…って感じ。しかしアメリカ映画がこの時代のパリへの郷愁を描くのは、そんなに珍しいわけではない。アメリカ人にとってもこの時代のパリと、そこに豪華なメンバーが集まっていたことは忘れられないことのようで、決して数は多くないが何度か映画にも取り上げられているのだ。そのうちの1本が「月の出をまって」(1987)。女性監督ジル・ゴッドミローが作家のガートルード・スタインとその秘書のアリス・B・トクラスの関係を描いた作品で、本作ではキャシー・ベイツとテレーズ・ブル=ルビンシュタインが演じた二人を、リンダ・バセットとリンダ・ハントの主演で描いている。ここでは秘書のトクラスをアカデミー助演女優賞受賞者リンダ・ハントが演じていることからも分かる通り、あくまで秘書の方がメインの扱い。二人の周囲にピカソやらヘミングウェイが出てくるのはお約束だ。さらに1920年代のパリにおけるアメリカ文化人群像を真っ正面からとらえたのが、アラン・ルドルフ監督の「モダーンズ」(1988)。アメリカから流れてきたしがない画家を主人公にして、当時の文化人群像を描くというスタイルは、どこか今回のアレン作品と共通する部分を持っているように見える。主演のキース・キャラダインのほか、ジュヌビエーブ・ビジョルド、ジェラルディン・チャプリン、そして何と「ラストエンペラー」ことジョン・ローンまでが出演するこの作品にも、ヘミングウェイやスタイン、ピカソたちがチラつく。いかにもヨーロッパ志向、スノッブなテイストなのは、ロバート・アルトマンの弟子といわれたアラン・ルドルフらしいところだ。…ってなわけで、こういう趣向の作品は、別にウディ・アレンの専売特許ではない。ならばいつも同様、いや、いつも以上にウディ・アレンが自分の知的さをひけらかす、スノッブで鼻持ちならない作品になっちゃっているのだろうか?

みどころ

 ところがこの映画、のっけから主人公がウンザリするくらいのスノッブな「知ったかぶり男」を出してきて、その俗物ぶりを辛辣に描く。アレン自身が「スノッブな奴なんてウンザリ」と宣言しちゃってるのだ。そして今回アレンの分身として主人公を演じるのがオーウェン・ウィルソンと来る。インテリジェンスを感じさせる映画人ではあるものの、俳優としてのイメージは西部男であったり純朴であったりする彼が演じているから、アレン自身が演じているようなアタマでっかちなスノッブ感がない。演じているキャラはあの口調からして毎度お馴染みアレン・キャラなのに、これはなかなかうまい戦略ではないか。「セレブリティ」(1998)のケネス・ブラナー、「人生万歳!」 (2009)のラリー・デビッドに次いで、他人にアレン・キャラを演じさせた成功例だと言っていい。映画はそのうち主人公とピカソの愛人であるアドリアナ(マリオン・コティヤール)との恋愛模様へと発展していくが、そこで驚くべき発想の転換を見せていくからビックリ。主人公とアドリアナはさらにもうひとつ昔の階層にタイムスリップして、1890年代「ベルエポック」のパリに入り込む。そこでロートレック(ヴァンサン・モンジュー・コルテ)、ゴーギャン(オリヴィエ・ラブルダン)、ドガ(フランソワ・ロスタン)といった美術の超有名人と出逢ったアドリアナは、まるで21世紀から来た主人公が1920年代を「最高!」と感じるように「1890年代こそ素晴らしい、この時代に暮らしたい!」と言い出すのだ。しかし、それによって主人公は改めて理解する。結局、人にとって過去は美化されるものなのだ…と。それまでさんざ1920年代のパリの素晴らしさを強調して「後ろ向き」志向を前面に打ち出していたこの作品だが、ここでいきなり「昔は良かったというのはナンセンス」と180度違う主張を明らかにする。どうせアレンは「アメリカの文化人がひしめく1920年代のパリは良かった」とズブズブに後ろ向きでスノッブな主張を言いたいんだろうと思っていたら、アッと驚くほど健全でストレートなことを言い出すではないか。これには正直驚いた。それはまるで1960年代をオチョクりつつ懐かしさ一杯で肯定しているかに見えたのに、1960年代から現れた主人公が最後に「現代の方が素晴らしいじゃないか!」と宣言してすべてをひっくり返した、あの「オースティン・パワーズ」(1997)の結論にも似ていてちょっと嬉しかった。あと、「シャーロック・ホームズ」(2009)で悪女役を演じていたレイチェル・マクアダムスの俗物女ぶりも秀逸。この女が主演の「恋とニュースのつくり方」(2010)を、どうして僕が見たくならなかったのかがやっと分かった。こいつ役柄ではなくて、素でホントにイヤな女なんじゃないか(笑)? そのへんを見抜いての起用だったら、ウディ・アレンはさすが(笑)だと思う。

さいごのひとこと

 アレンもトシをとってエセ文化人ぶりを反省したか。

 

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