新作映画1000本ノック 2012年7月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「星の旅人たち」 「それでも、愛してる」

 

「星の旅人たち」

 The Way

Date:2012 / 07 / 30

みるまえ

 この映画のことは、映画館で予告編を見て知った。どうやら聖地巡礼みたいな話らしいが、つい先日見た「ルルドの泉で」(2011)みたいに高尚な映画ではないようだ。それもそのはず、こちらは単純明快なアメリカ映画だ。そういえば最近、うちのオフクロはお遍路に凝っていて、あちこちの寺を巡り歩いているようだが、この映画の物語もそんなお遍路のような聖地を目指して旅する話だ。正直言って地味な印象の映画だ。タイトルもタイトルだし、本来だったらパスしちゃおうと思ったかもしれないこの映画、ではなぜ見ようと思ったかといえば、監督がエミリオ・エステベスだったから。元々は俳優で、ジョン・ヒューズが華やかりし頃には若手スターのリーダー格として頑張っていた。元々はデミ・ムーアだってこの人の彼女だった。そんな彼は結構昔から監督指向が強くて、まだ若手有望株だった頃から監督主演作を発表してもいた。ところが最近はすっかり影が薄くなり、めっきりその姿を見ることがなくなってきていた。そんな彼が突然、本格的な映画監督として帰ってきたのが「ボビー」(2006)。その出来栄えは悪くないものだったし、そこに集められた豪華キャストにも目を見張った。なかなかやるじゃないか! それから再びエステベスは沈黙してしまったが、ようやく久々に発表した新作が今回のこの作品というわけだ。おまけに今回の作品で主役に選んだのは、彼の実の父親マーティン・シーン! これは見るしかないではないか。

ないよう

 日々を多忙に暮らす眼科医トム・エイブリー(マーティン・シーン)は、いわば成功した人物だ。そんな彼にも唯一気に病むことがあるとすれば、それは一人息子のダニエル(エミリオ・エステベス)のことだろうか。もういい歳こいてるのに、いまだに何がやりたいのかプラプラしてばかり。ついつい顔を見れば「何をやってるんだ」と説教のひとつもブチかましたくなる。またまた海外ぶらり旅なんて寝言いってるもんだから、空港までの道をクルマで送ってやるつもりが、トムもついつい小言がポロリ。「世界を見てみたい」とか甘ッチョロイんだよ。たちまち車内の空気は気まずいものになる。「私は自分の人生を選んだ」と毅然と語ったトムではあったが、ダニエルはそれに対して「人は人生を選べない、ただ生きていくだけ」などと分かったような分からないようなことを言っていたのだった。そんなある日、トムが悠々自適な友人たちとゴルフに興じていると、突然携帯に連絡が入るではないか。ダニエルが死んだ…。それはフランス国境の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの警察からかかってきた連絡だった。ダニエルはスペインにあるキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅に出発して間もなく、不慮の死を遂げたのだった。当惑し困惑しながら、現地へと飛ぶトム。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーではセバスチャン警部(チェッキー・カリョ)と、もはや呼べど答えぬ人となったダニエルの亡骸が待っていた。セバスチャン警部によれば、ダニエルは意気揚々と出発して間もなく、嵐に巻き込まれて帰らぬ人となったらしい。セバスチャン警部自身も3度も巡礼に参加したと語り、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの旅の意義深さを熱弁してくれたが、トムにはなぜダニエルがこの旅に出かけ、なぜこんなかたちで死んでしまったのかがまったく納得できない。ダニエルの遺灰と遺品となったリュックをもらって宿に帰っても、トムの胸中には説明できない感情が渦巻くばかり。今すぐにでも出発できるだけの装備と、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでのマップを見つめているうちに、いつもは分別臭いトムが、なぜかとんでもない考えに取り憑かれ始めた。彼はダニエルの装備を譲り受けて、いきなりサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅を引き継ごうと決意したのだ! 翌朝、ホテルを出たトムは、ゾロゾロと歩く他の巡礼者にくっついて、その長い行程をスタートさせることになった。しかし、その旅はもはや若いとはいえないトムにとって、決してラクなものではなかった…。

みたあと

 この映画の予告編を見たりチラシを読んだりした時に、「どこかで見たような話だなぁ」とボンヤリ感じていたのだが、実際の映画を見てハタと気づいた。そうだ、チャン・イーモウが高倉健を主役に迎えて撮った、「単騎、千里を走る。」(2005)のお話にそっくりではないか。中国の伝統芸能を見たいと熱望しながら不治の病に倒れた息子のため、その伝統芸能を演じる役者を訪ねて単身中国を訪ねる父親。その父と子は、長らく心を通わせることがなかった…完全に同じではないけれど、な〜んとなくテイストが似た話。正直言うと、エミリオ・エステベスはこのチャン・イーモウ作品を見ているんじゃないかと疑っちゃったんだが、それはともかく…この両者には少なからず共通するモノを感じる。それは単にお話が似ているだけでなく…「単騎、千里を走る。」もかなり無理がある設定になっているのだが、この「星の旅人たち」も結構そもそもの設定に無理を感じるあたりが似ているのだ。そもそもいくら突然の息子の死がショッキングだからといって、いきなりその息子の遺志を継ごうなんて考えるだろうか? それも旅先…しかも不案内な外国の話。結構なご老体だというのに、ヨーロッパ縦断みたいな旅を徒歩でしようというのだ。それまでアウトドア派だったわけでなく、どっちかといえば息子のライフスタイルには批判的だった。そんな男が、いきなり息子のリュック背負って旅立とうとするだろうか。そう考えると、この映画って出だしからちょっとヌルいところがあって、そもそもいい歳こいても「世界が見たい」とかヌカしてる息子ダニエルは、観客の目から見ても相当甘っちょろい気がする。むしろ小言を言いたくなる主人公マーティン・シーンの方がマトモに見えるんだから、これは設定上マズイだろう。誰がどう見ても作り手のエミリオ・エステベスはこの息子の生き方を肯定しているはずだし、彼の行き方を父親が見直す方に話を持って行きたがっているはずだ。それなのに、この息子は若くもないのにガキみたいな勘違い野郎に見えてしまうし、世の中ナメてるようにしか思えない。いや〜、こりゃ絶対マズイよな。こういうツメの甘さというかヌルさって、正直言ってエミリオ・エステベスという人の持ち味なんだろうか。

みどころ

 エミリオ・エステベスって人は良さそうだが、それがこの人のヌルさや甘さにつながっているようにも思える。考えてみると…この人って役者一本でやっている時から、人は良さそうだけど何となく「決定力不足」な感じではあった。「ウィズダム/夢のかけら」で監督稼業に進出した時も、一生懸命やってる意欲は買えたが、決して上手な感じには思えなかった。手堅く作ってはいるが、才気とかうまさというものはあまり感じられなかったのだ。それってクリエイターとしちゃ、ちょっとばっかり困ったところだよな。ところがそんなエステベスが、豪華キャストを揃えて久々に発表した力作「ボビー」には驚いた。堂々たる作品をガッチリ作っている馬力にも感心したのだが、彼ならではのマジメさ誠実さが、キッチリ作品に活かされているではないか。やっぱりちょっとヌルい点や甘い点も残ってはいたが、映画そのものは彼の「人の良さ」が美点としてキッチリ活かされた出来栄えだった。こういうことってあるんだねぇ。そういう意味ではこの映画の設定の弱さなどは「想定内」ともいえるのだが、見ているうちにそれがだんだん気にならなくなってくるから不思議なものだ。映画はマーティン・シーンが巡礼の旅に出発した後、やたら人懐こく擦り寄ってくるオランダ男(ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン)や、ヘビー・スモーカーのカナダ女(デボラ・カーラ・アンガー)、ゴチャゴチャごたくを並べるアイルランド人の作家(ジェームズ・ネスビット)などという人々と知り合って同行するようになり、いろいろな経験をする話が展開する。となれば…これはアメリカ映画の十八番「ロード・ムービー」ではないか。映画というモノはそもそも2時間の間、別の世界に出掛けて体験する一種の「旅」だ。だから「旅」は元々映画と相性がすこぶるいい。それにハリウッドが気づかないわけがない。この作品はそういったアメリカ映画王道の延長線上にある。そして待ち構えるモノが「聖地」であるせいか、どこかスピリチュアルなものを感じさせて、まるで1960〜70年代のヒッピーっぽさ…ニューシネマっぽいムードまで漂っている。偶然なのかどうかは定かではないが、「ボビー」に続いてまたしても「あの時代」への共感を感じさせるのである。お話としてはそれほど山があるわけでもなく、大した工夫や仕掛けがあるわけでもない。むしろひたすら黙々と歩いているだけみたいな映画だが、この作品に限ってはその一本調子なところがかえって効果を挙げた。そしてまたまた、エミリオ・エステベスの「人の良さ」が大いにモノをいう。こういうお話だけに、変なケレン味やクセを出したり、大向こうをうならせようなんてスケベ根性がないことが、作品的にはプラスに働いたのである。そして映画を見ている我々も、主人公たちと一緒に旅をしているような気になって来る。そんな疑似巡礼体験のうちに、我々も「聖地」を訪れる「心構え」が出来てくるわけだ。真っ当といえばすこぶる真っ当な作り方の勝利というか、エミリオ・エステベスの愚直とでも言いたくなるパーソナリティがそのまま映画になったような作品だ。名優ではありながらどちらかと言えば話題作の中の脇役的役柄が多く、パセリ的存在に甘んじていたマーティン・シーンが、今回はまさに真価を発揮した好演を見せているのも見逃せない。シーンの好感の持てる演技も相まって、決してうまいとか才気走ったとかいうモノは感じさせない演出ながら、作品全体が愛すべき作品に仕上がっている。やっぱりエステベスの映画は、見ていて気分がいい。思わず自分も旅に出たいと感じさせてくれるだけでも成功だろう。

さいごのひとこと

 向こうのお遍路はヒッピー感覚。

 

「それでも、愛してる」

 The Beaver

Date:2012 / 07 / 16

みるまえ

 ジョディ・フォスターが監督もやっているということは知っていたが、この映画は彼女が主演も兼ねて作った作品。さらに話題なのは、何とメル・ギブソンが共演者として起用されていることだ。最近何かとロクな話題がなくて、作品もパッタリと来なくなっていたメルギブだが、まさかジョディ・フォスターに拾われるとは。あの二人の共演作「マーヴェリック」(1994)以来の「友情」なんだろうか。映画自体はうつ病になった男とそれを支える家族の話らしく、手袋のように手にかぶせて動かせるビーバーのぬいぐるみに「別人格」を演じさせることによって、主人公はうつの危機を乗り越える…みたいな話らしい。そのうつの主人公がメルギブ、妻の役がジョディ・フォスターというわけだ。正直言ってジョディ・フォスター監督作なんて、題材がホームドラマだってだけでも食指がそそらない。それでも、こないだの久々のメル・ギブソン復活作「復讐捜査線」(2010)もパスしちゃったし、メルギブ見たさで今回のジョディ監督作は見るか。そんなこんなでしばらく悶々としたあげく、上映終了間際に映画館に駆けつけた次第。

ないよう

 ウォルター・ブラック(メル・ギブソン)はうつ病にかかってしまった。呆然と虚無的な表情で、自宅のプールにプカプカと浮かぶばかり。オモチャ会社の二代目社長として順風満帆な人生。エンジニアである妻メレディス(ジョディ・フォスター)や二人の子供たちとの家庭生活も円満だった。なのにウォルターは、突然ふさぎ込んでしまった。何に対しても無気力になり、日々自室で眠り込むばかり。どんな医者もどんな治療も効果がない。そんな父の姿に、小学生の次男ヘンリー(ライリー・トーマス・スチュワート)は精神的に不安定になって小学校で孤立。高校生の長男ポーター(アントン・イェルチン)は「父親みたいになりたくない」と激しく反発して、自分と父親との似た部分を列挙したメモを部屋に貼り付けたり、怒りのあまり壁に頭突きしたりしていた。こうなると、もはやメレディスも限界。さすがに家庭が崩壊してしまいそうだと考えたメレディスは、ウォルターと別居することを決意する。こうして失意のウォルターはクルマに身の回りのモノを積み込み、一人で家を出ていくのだった。家を追われ、どうすることもできないウォルターは、店で箱いっぱいの酒を買い求める。その酒の箱をクルマのトランクに積み込もうとしたものの、トランクはすでに荷物でいっぱい。仕方なくウォルターは、近くのゴミ箱にトランクの荷物を捨てることにする。そのままその場を立ち去りかけたウォルターだが、なぜか彼はそこで立ち止まってゴミ箱へと戻った。彼はそのゴミ箱に捨てられていた、手にかぶせるタイプのビーバーのぬいぐるみがどうしても気になったのだ。ウォルターはそのビーバーのぬいぐるみを拾って、当座の宿であるホテルにシケ込む。それからしこたま酒をくらうと、絶望のどん底に落ちて自殺を決意するのだった。しかし浴室でネクタイで首を絞めての自殺は、ネクタイを結んだ金属パイプが弱くてあえなく失敗。仕方なくバルコニーから飛び降りようと決意したウォルターだったが…。翌朝、部屋にぶっ倒れたまま目を覚ますウォルター。ところがそんなウォルターに、粗野なダミ声で話しかけてくる「誰か」がいるではないか。「おい、オレはオマエを救すためにやって来たんだぞ!」…何とそれは、ウォルターが腕にかぶせていたあのビーバーのぬいぐるみが話しかけていたのだった。もちろん、本当はビーバーが話しかけているはずもなく、ウォルターが自分で声を出していたにすぎない。しかし粗野でズケズケとモノを言うそのビーバーは、本当に「人格」があるようにウォルターには思えた。そしてビーバーは、「これからはオレに任せろ!」と自信たっぷりに言い放つのだった。そう断言されると妙に気分が軽くなったウォルターは、何と自宅に帰る。自分は口をきかずすべて「ビーバー」に代弁させるウォルターに、正直言ってメレディスは面食らってしまった。しかし、幼いヘンリーは陽気なビーバーに夢中。さっそくビーバー(とウォルター)と楽しく遊び始めた。その様子を見ていると、今までの殺伐とした暮らしよりはよっぽどマシ…と、メレディスも受け入れざるを得ない。さすがにポーターはますます反発して一緒にメシも食いたくないと態度を硬化させるものの、一旦はすべてが小康状態になったかのようなブラック家だった。翌日、手にビーバーをつけたまま会社に乗り込んでいったウォルターは、最初は社員を戸惑わせてしまうものの、ここでもビーバーの陽気でエネルギッシュなキャラクターで人心をつかむ。確かにいつも「ビーバー」を通して語るウォルターの様子は奇異ではあったが、活気溢れる彼の言動が功を奏して仕事も家庭も万事はうまく行き始めた。しかし、夫婦の間にもビーバーを介するウォルターの態度に、メレディスは少しずつ違和感を感じていた…。

みたあと

 正直言って、ジョディ・フォスターが監督作を発表していたのは知っていたが、これっぽっちも「見たい」と思ったことはなかった。あの、どこか押しつけがましいキャラクターから想像するに、自分が知性的な人間だということをアピールするようなインテリ受けする映画なんだろう思ったわけだ。だから彼女の監督作「リトルマン・テイト」(1991)も「ホーム・フォー・ザ・ホリデー/家に帰ろう」(1995)も未見だし、見たいと思ったこともなかった。僕が最も食指をそそらない、ホームドラマというジャンルであることもその理由の一つだ。今回もまたまたホームドラマ。しかも、うつ病がテーマ。見たくなるわけがない。どうせまた偉そうに上から目線でうつ病について「啓蒙」するような映画なんだろう…。これでメル・ギブソンが出ていなければ、絶対見るわけもない映画だったはずだ。それにしても、メル・ギブソン。今思えば、「パッション」(2004)や「アポカリプト」(2006)なんてどう見ても商業性の乏しい異色作を立て続けに作り、ソコソコ当ててしまったあたりから、実はこの人ちょっと変な方向に行き始めていたのかもしれぬ。その後はと言えば、嫁さんと離婚したり別な女とくっついては別れたり、差別発言があったりDVがあったりとロクな話がない。そのせいか、出演作もパッタリ途絶えてしまった。久しぶりに映画に出たかと思えば、「復讐捜査線」などというまさかのB級丸出しタイトル(笑)。見ていないので偉そうなことは言えないのだが、案の定当たったとは言い難いようだ。まさに四面楚歌。ジリ貧の崖っぷち。そんなメルギブに手をさしのべたのだから、ジョディ・フォスターは意外とイイ奴かも。しかも差別だDVだと悪名高いメルギブなのに、インテリで鳴らすジョディが手をさしのべるというところがビックリだ。この二人、「マーヴェリック」でよほど息が合ったのだろうか。それにしてもうつ病をテーマにしたホームドラマでメルギブなんて、どういう起用意図なのかと不思議な気になった。果たして映画が始まるや否や、いきなりもううつ病になっちゃってるメルギブが登場。だんだん悪くなるんじゃなくて、映画が始まったらすでにおかしい。一人で悶々として虚無的な表情をして…ややっ、オレはこの場面と同じようなメルギブを、すでにどこかで見たような気がするぞ? 果たしてどこで、いつ、何の時に見たのだ? トラウマに悩まされて虚ろな顔をして…映画がもうちょっと進むと自殺まで図ろうとして…。分かったぞ、分かったぞ。確かにこんなメルギブは前にも見た。これはもう間違いがない。過去のトラウマに苦しめられて狂気と正気のはざまを行ったり来たりして、夜中じゅう悶々と拳銃を口にくわえて自殺を図ろうとする…あの大ヒット作「リーサル・ウェポン」(1987)で主人公マーティン・リッグス役を演じた時のメル・ギブソンとそっくりではないか!

みどころ

 予告を見た時には、うつ病に悩まされる男がビーバーのぬいぐるみのお陰で救われ、家族の協力で何とか立ち直るお話…だと思った。実際に途中までは、そういう流れでお話は進んでいく。ビーバーの「声」も担当するメルギブは、さすが「ウォレスとグルミット」でお馴染みアードマン・アニメの声優も「チキンラン」(2000)で体験済みだけある。ビーバーがしゃべっている様子をイキイキと演じ分けて、なかなかの好演ぶりだ。ところがこの映画、うつ病男がビーバーのお陰で立ち直る映画…なんてシロモノではないから驚いた。徐々にこのビーバーが主人公を支配するようになり、お話はどんどん奇妙な方向へと急展開していくのである。それまで陽気で快活に見えたビーバーが、途中からモンスターのように恐ろしげに見えてくる。このあたりのメルギブの演技にはますます鬼気迫るものがあるのだが、映画は後半に至って良心的ホームドラマの域を遙かに飛び越え、一種のホラー映画の様相を呈してくる。そしてついに…物語はアッと驚く展開へと持ち込まれてしまう。見る前は退屈で良心的なホームドラマだとばかり思っていた物語が、一気にスリルとサスペンスと残酷味あふれる恐怖劇へと生まれ変わるのだ。これは掛け値なしに本当のことで、僕はまったく大げさに言っていない。実際に、誰も予想していなかったヤバイ話に変貌してしまうのである。ここでのメル・ギブソンの起用は、ちゃんと「ブレイブハート」(1995)の衝撃的なエンディングやいつ何時ナニをやらかすか分からない「マッドマックス」や「リーサル・ウェポン」の彼を意識したもの。これまでもちょくちょく変態マゾヒスティックな片鱗を覗かせていた、彼ならではのものだ。また、全編を通じてのちょっとイッちゃってるキャラは、メルギブその人が差別発言やDVで騒がれた今こそピタリとハマるという、監督としての冷徹な判断もあるだろう。何だかんだ言って、ここにメルギブを持ってきて「面白い」映画を作った、ジョディ・フォスターの監督としての腕前には感心。これは大したもんだと素直に驚いた。

おまけ

 もうひとつ感心したのは、主人公の次男の扱い方。それでなくても父親に反発したり敵視したり、あるいは軽蔑したりするこの年頃の男の子の心理が、実にリアルに描かれていて秀逸。演じているアントン・イェルチンも「フライトナイト/恐怖の夜」(2011)に続いて年頃の男の子の心理を見事に演じてなかなかだが、まずは脚本がピカイチだ。正直言って恥ずかしながらこの僕も、ガキの頃には父親に少なからず反発する感情を持っていたものだ。この映画でもこの次男が自分と父親との類似点をメモに書いて部屋に貼っている場面が出てくるが、大人になるに従ってあんなにイヤだった父親に自分が似てくるのが何より「恐怖」なのだ。ましてこの父親はうつ病にかかっているのだから、次男の悩みや怒りは半端なものではないだろう。そのリアリティも含めて、これが初めての作品だというカイル・キレンの脚本は絶妙。それを活かしきったジョディ・フォスターの演出も、素晴らしいの一言に尽きる。

さいごのひとこと

 ある意味ではメルギブ完全復活。

 

 to : Review 2012

 to : Classics Index 

 to : HOME