みるまえ
メリル・ストリープがサッチャーを演じるというニュースは、かなり前から耳にはしていた。その後、かなり「なりきってた」ストリープの写真が発表されたが、そんなもの見なくたってストリープなら「かなり」やるであろうことは想像がついた。案の定、今年のオスカーでは満を持しての受賞。さすがストリープと言いたいところだが、それはそれでちょっと疑問が残らないでもなかった。昔からキュリー夫人だとかグレン・ミラーだとか伝記映画は盛んに作られてきたが、近年それは、ついこの前まで活躍していた誰もが知っている芸能人やら政治家などの「有名人」にまで波及してきた。そうなると、彼ら有名人ってのは僕らがちょっと前までテレビ映像などで身近に目にしてきた存在だ。ハッキリ言って、似てないと「その人」とは認知しづらい。かくして近年の伝記映画は、人物の内面云々よりまず「そっくり」であるかどうかが問題になってきたように思える。それはそれで見事だとは思うものの、映画としてはどこか不毛な気がしていたのだ。そりゃあ「そっくりショー」で「芝居」じゃないだろう。「似てる」からいいってもんじゃないのではないか? そんなところにストリープのサッチャーだ。そりゃあ似てるだろうが、それっていかがなものだろう。うまいに決まっているストリープにどや顔でサッチャーを演じられても、今ひとつ見たいという気がしてこないのだった。そうは言っても、当代きっての名女優ストリープがサッチャーを演じるなら、映画ファンとしては見ておかなくてはいかんだろう。そんなこんなでオールナイトの映画館に滑り込んだ次第。
ないよう
街の騒々しい雑貨店に、一人でミルクを買いに来ている老婦人。彼女はトボトボと自宅まで歩いて戻ると、老いた夫とともに朝食の食卓を囲む。彼女の名はマーガレット・サッチャー(メリル・ストリープ)。かつて10年以上に渡って、首相としてイギリスを率いてきた女だ。だが、その首相の座から退いてからすでに久しい。その時、彼女の身の回りの世話をしている側近がキッチンに入ってくるが、そこにはマーガレットただ一人。先ほどまで彼女と語り合っていた、夫デニス(ジム・ブロードベント)の姿はそこにはなかった…。デニスを亡くして早や8年。周囲には彼の遺品をそろそろ整理するよう促されているマーガレットだが、彼女の心の中にはいまだデニスが生きている。というより、彼女には生きているとしか思えない。マーガレットは、いまだに亡き夫デニスと共に暮らしている気なのだ。そんなマーガレットは、イングランド中部の街グランサムの出身。小さな食料雑貨店の娘として生まれた。父親アルフレッド(イアン・グレン)は店を経営しながら市会議員として活動しており、娘時代のマーガレット(アレキサンドラ・ローチ)に絶大な影響を与えた。父が政治演説している姿は、彼女の政治思想の根幹を形作ったといって過言ではない。やがてマーガレット自身も大学卒業後に政治家を志すが、当時の英国社会は「まだ若く」「女性」である彼女が政治に乗り出すことを、必ずしも快く受け入れはしなかった。そんな冷ややかな視線の中で、一人の青年が彼女を暖かい目で見つめていた。彼の名はデニス・サッチャー(ハリー・ロイド)。やがてマーガレットは、下院議員選挙に立候補するが落選。さすがに落胆する彼女のもとへとやって来たデニスは、彼女にいきなりプロポーズする。「食器を洗って一生を終えるつもりはない」と言い放つマーガレットを、デニスは優しく受け入れるのだった。こうして子供にも恵まれ、幸せな家庭を築くマーガレット。しかし、彼女の政治への意欲は片時も静まることはなかった。ついに下院議員に当選したマーガレットは、幼い子供たちを振り切るようにロンドンの政界へ。圧倒的な男社会の中で、彼女はメキメキと頭角を現してくる。やがて時のヒース内閣で教育科学大臣に任命され、男たちの冷笑の中を孤軍奮闘する。さらに不甲斐ない党内の連中にカツを入れたいと、保守党の党首選に出馬を決意。しかしこれは、もし保守党が与党であり続ければ、英国の首相になるということを意味する。「当選しないとは思うが、刺激を与えたいのだ」と語るマーガレットだが、さすがにこれには夫デニスも娘キャロルも複雑な想いを隠そうとはしない。そんなマーガレットだが、党の同僚であるエアリー・ニーヴ(ニコラス・ファレル)らが彼女をバックアップ。髪型からアクセサリー、声の出し方までを変えて党首選に臨むことになる。しかしそんな矢先、盟友のニーヴはIRAの爆弾テロによって爆死。これから長く続くことになる彼女の政治家人生の前途に、わずかながら不吉な予感を残す。しかしマーガレットの奮戦は実を結び、見事に保守党の党首へと躍り出た。さらに1979年には総選挙で勝利して、マーガレットは首相の座に座ることになる。しかし、英国には難問が山積。高い失業率と長く続く不況に人々の怒りは爆発。IRAのテロ攻撃も収まる気配を見せない。首相に就任したマーガレットではあるが、その座は最初から大きく揺さぶられっぱなしだった。さらにそんな彼女に追い打ちをかけるように、とんでもない出来事が襲いかかる。英国領フォークランド諸島に、アルゼンチンが攻撃を仕掛けてきたというのだ…!
みたあと
サッチャーと言えばレーガン、ゴルバチョフなどと並んで、「僕らが若かった頃」の政治的アイコン。当時の日本では中曽根首相が代表的な政治家ということになるのだろう。これらからゴルバチョフを除いた西側諸国のリーダーたちはいずれも保守的な政治家ということになるのだろうが、個人的な感じではイマドキの「あっち側」な人々よりはまだまだナンボか健全なバランス感覚を持っていたような気がする。何だかんだ言っても、世の中に余裕があったと言うべきだろうか。物事万事世知辛くて何かとギスギスしているイマドキとは、ちょっと違った空気が流れていたように思える。長らく不況とグローバリズムとインターネットが、こんな世の中を作っちゃったんだろうか。とにかく、みんなの怒りの沸点がやたら低くて困ってしまう。…そんな戯れ言はともかく、希代の政治家を主人公にした伝記映画であるならば、当然のことながら政治についての言及をスルーするわけにはいくまい。しかも主に1980年代に活動していた政治家を描くならば、その時代が大きく作品に投影されなければウソだろう。だからそのあたりのことが描かれるに決まっている…と思ってスクリーンと対峙した僕だったのだが、見ていてそれらがほとんど描かれていなかったことに唖然としてしまった。これってちょっとどうなんだろう?
こうすれば
政治的なエピソードとしては、サッチャーが党首選に出馬するくだりとフォークランド紛争のくだり、さらに彼女が周囲の支持を失って失脚するくだり…の3つの部分がいわゆる「政治的」なエピソードということになるだろうが、それ以外はほとんど政治についての具体的な言及はない。これは一体どういうことなのだろうか? 英国を10年以上に渡って率いてきた政治家の映画に、これほど政治が描かれていないということはどうなんだろう? これが仮にミュージシャンの映画だったら、これでいいと思えるだろうか。絶対におかしいのではないだろうか。すでに「マンマ・ミーア!」(2008)でメリル・ストリープと組んだフィリダ・ロイド監督は「これは政治映画ではない」と発言しているし、僕もどちらかと言えばノンポリな方だから何かというと政治的発言をすればいいとも思わない。しかし政治家の映画を作っておきながら、政治にはまったく目を向けないというのはいかがなものだろう。彼女の人となりと結びついた政治思想や政治の世界の権謀術数、数々の決定の陰にあった苦渋の決断など、そういったモノを描かないで政治家サッチャーを描こうなんて意味がない。さらに彼女の生きた時代の政治が、現在の世界とどのように接点を持っているのかを語らなければ、今わざわざサッチャー伝を描く必要などないではないか。ボケ老人としての彼女を描く時間があったら、そういう事の方を描くべきではないか。実際には見ていないからあまりアレコレ言えないが、「マンマ・ミーア!」あたりの監督ではこんな程度しか描けないのだろうか。「女性としての大変さ」とかの方を描きたかったのだろうが、それって例えば「女たちの太平洋戦争」だとか「女たちの2・26事件」ってな感じの陳腐な日本のテレビドラマみたいな内容にしかなっていないので、少なからずガッカリしたというのが正直なところだ。僕はまったくフェミニズム的な立場に立つ人間ではないが、これって実は「フェミニズム」的に考えてもマズイんじゃないの? 国際政治なども背景にした壮大なスケールの物語になりそうなものなのに、すごくショボい話になってしまっているのが悲しい。
みどころ
そんなわけで大いに異議ありな映画だが、さすがにサッチャーを演じたメリル・ストリープはうまい。見ている間、彼女がサッチャーであることに一瞬たりとも違和感を感じなかったのだから、やっぱりうまかったと言うべきだろう。しかし先ほども述べたように、政治に触れないで政治家を描くというナンセンスさが、この映画からすべての価値を奪っている。これではストリープの熱演も、単なる「そっくりショー」と同じレベルになってしまう。若い頃に「食器を洗って一生を終えるつもりはない」と勇ましく語ったサッチャーが、映画のエンディングで食器を洗いながら人生のささやかな幸せを感じるあたりはなかなかシャレているが、やっぱり政治にノータッチだった内容が災いして残念な結果になってしまった。たぶん映画の作り手としては、「女性」としてはサッチャーを肯定したかったが、「政治家」としては賛同できなかったため、こんな内容になってしまったのではないか。しかし本人の業績には批判的な目を向けても、人間的に肯定する方法はいくらでもあったはずだと思う。そのへんの作り手の人間洞察力の浅さや政治的なセンスの薄っぺらさが、災いした内容になってしまったように思える。ハッキリと凡作と断定したい。
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