「ビッグ・ボーイズ/しあわせの鳥を探して」

  The Big Year

 (2012/09/10)


  

見る前の予想

 まったく前評判も聞いていない、そもそも題名そのものを聞いていない映画を、公開時に新聞の小さな広告で知る。そんなことも、長い映画ファン人生の中にはたまにある。

 そして、そういう映画がつまらないかというと、決してそういう訳ではない。むしろ、なぜかアッと驚く拾いモノだったことの方が多いのだ。

 今回「拾った」のは何とジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーブ・マーティン…という、アメリカのコメディ映画を見てきた人間にとってはヨダレものの顔合わせの作品。こんな顔ぶれ、今までなかったのではないか。しかもこの3人って実はそれぞれ微妙で、ジャック・ブラックは売れまくったのが災いしたか最近いささか食傷気味、オーウェン・ウィルソンはウディ・アレン作品で健在ぶりを示したものの例の自殺騒ぎの陰りを払拭しきれてない印象、スティーブ・マーティンは正直お久しぶりの感がかなり強い。ある意味豪華である意味微妙というこの顔合わせを、見ないという手はないだろう。ところがこれほどの作品が、まったく話題になっていない。話題にならないどころか、実は小さい新聞広告ひとつ出していないのではないか。

 僕の怠慢のせいで見てからかなり経ってしまっての感想文アップとなるが、決して無視できる作品ではないのだ。

 

あらすじ

 「ザ・ビッグ・イヤー」とは、北米を舞台に1年をかけて展開するアメリカ探鳥協会の競技会。1年間に北米大陸で目撃した野鳥の数を競う、愛鳥家にとってのビッグ・イベントだ。

 現在までのところ最大の記録は、ケニー・ボスティック(オーエン・ウィルソン)が打ち立てた732という驚異的な数。この記録は当分破られることはないだろうとまで言われ、ケニーは愛鳥家の間で伝説的な存在となっていた。しかしケニーはこの記録を打ち立てるために、家庭を疎かにして妻と離婚するという大きな代償を払っていた。

 今、ケニーと暮らしている新しい妻ジェシカ(ロザムンド・パイク)は彼が落ち着いて念願の子づくりに励んでくれることを願っているが、当のケニーは新たな挑戦者が自分の記録を打ち破ってしまうのではないかと気が気ではない。結局、ケニーは何だかんだ言いながら、妻の心配をよそに最高記録保持者のプライドを賭けた新たな挑戦に旅立ってしまう。

 一方、裕福な実業家のスチュ・プライスラー(スティーブ・マーティン)は、昔からの夢である「ビッグ・イヤー」挑戦のために事業から手を引こうとしていた。会社側はそんなスチュの引き留めに必死だが、妻のイーディス(ジョベス・ウィリアムズ)はそんなスチュの背中を強く押すのだった。

 そして原発の管理会社でコンピュータ・エンジニアとして勤めるブラッド・ハリス(ジャック・ブラック)。昔からの愛鳥家ぶりが高じていまだに恋人もつくらず、実家に親と一緒に暮らしている。そんな彼も、ついに今年「ビッグ・イヤー」参戦を決意した。父親のレイモンド(ブライアン・デネヒー)はそんなブラッドに呆れ顔だったが、母親ブレンダ(ダイアン・ウィースト)はそんなブラッドを優しく後押しするのだった。

 その他にも数多くの愛鳥家たちが、「ビッグ・イヤー」に参戦していた。その参加者たちは希少種が現れたという噂を追っては北米大陸を東奔西走。あらゆる交通手段を使ってアメリカ狭しと移動する。

 そんな冒険が始まってすぐ、男勝りのオバチャン船長アニー・オークレット(アンジェリカ・ヒューストン)の船に乗るために、全国から名うての愛鳥家が集まってくる。この船で沖に出ていくと、多くの珍しい鳥が一気に見ることができる。「ビッグ・イヤー」参加者にとっては「稼ぎどころ」のひとつなのだ。もちろんこの船に乗るために、あのブラッドもスチュも他の面々と一緒に桟橋に駆けつけた。

 すると船長のアニーとやたらモメてる男が一人。彼こそ例の732という記録を打ち立てた伝説の男、ケニー・ボスティックだった。しかし偉大な記録は、ぶっちゃけキレイごとだけで打ち立てられるものではない。船長アニーとケニーがモメているのも、どうやら前回に彼が手段を選ばないやり方をしたのが理由のようだ。

 そんなこんなで船は出航したが、今度はケニーはスチュに近付いて何やら船でのバード・ウォッチングの流儀のアドバイス。ところがこれが裏目に出て、スチュは具合が悪くなって船室で休むハメになってしまった。何のことはない、スチュはケニーにハメられたのである。偉大な記録はタダでは打ち立てられない。まずはライバルを蹴落とすのがケニーのやり方なのだ。

 そんなスチュに同情して、ついつい話しかけるブラッド。これがブラッドとスチュの出会いだった。

 こうして親しくなったブラッドとスチュ、そして神出鬼没に現れるケニーは、「ビッグ・イヤー」を通じて北米各地を転々とするのだったが…。

 

見た後での感想

 まるっきり期待しないでフラッと見に行った作品だったが…これが予想をはるかに超えた「拾いもの」。お目当てのジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーブ・マーティンの豪華共演も嬉しいが、脇を固める人々がまた凄いのだ。

 何しろジャック・ブラックの両親役でブライアン・デネヒーダイアン・ウィースト。オーウェン・ウィルソンの妻役に、007/ダイ・アナザー・デイ(2002)、ドゥーム(2005)、最近じゃリメイク版タイタンの戦い(2010)などに出ていたロザムンド・パイク、さらにスティーブ・マーティンの妻役でかなりお久し振りの登場…「ポルターガイスト」(1982)や「再会の時」(1983)に出ていたジョベス・ウィリアムズという豪華な布陣。おまけに、男勝りの女性船長役でアンジェリカ・ヒューストンまでがゲスト出演。これほどの役者たちが揃っているとは知らなかったから、物凄くトクした気分になったのは言うまでもない。

 しかし、素晴らしかったのはキャスティングだけではない。鳥に関心のない僕らにとって耳慣れない「ビッグ・イヤー」というイベントを興味深く面白いお話として見せてくれる、その見事な語り口と手腕にすっかり感心したのである。

 映画としては確実に「コメディ」にカテゴライズされるこの作品。芸達者な役者たちのおかげで、確かに見ている間アレコレとかなり笑わせてもらえる。しかしながら、この作品の狙いは「笑い」だけではない。ハタから(鳥などに無関心な立場で)見てみるとコッケイでおかしな「ビッグ・イヤー」参加者の振る舞いを描いてはいるが、そこに万人に共通する感情である人生の哀歓や実感をにじませているところがミソなのだ。

 詳しくは後述するとして、例えばオーウェン・ウィルソン扮するケニーが、雪の降るクリスマスに一人で中華料理店で食事をとっているくだり。他に客がいない店内で寂しさに耐えかねたケニーは、中国人の従業員たちを集めて一緒にメシを食い始める。その、おかしいけれどもペーソス漂う場面は、何とも心に残る。

 監督は誰かと思ったら、「プラダを着た悪魔」(2006)や「マーリー/世界一おバカな犬が教えてくれたこと」(2008)などのデビッド・フランケル。特に後者の作品は「おバカ」という言葉が虫酸が走るほどキライなこともあって見なかったし、その他の作品もどれも未見に終わっていた。そのため、過去のこの人の作品に対してどうこう言うことはない。しかし、この作品を見る限りはなかなか興味深い監督かもしれない。少なくとも、単なるコメディの作り手ではないように思われるのだ。

 主演の一人オーウェン・ウィルソンは、元々単なるコメディ俳優ではない。ウェス・アンダーソン作品などに出ていたように、知的で繊細な一面を持つ。今回はそんなこの人ならではの作品と言えるかもしれない。

 もう一人の主演スティーブ・マーティンは最近でもピンクパンサー」リメイク(2006)や恋するベーカリー(2009)があったものの、かつての勢いはちょっとなくなってきた感がある。だから今回の久々の復活は嬉しかった。

 しかし一番の注目は、三人目の主演ジャック・ブラックだ。正直言って、最近では本来のアクの強さや押しつけがましさがワンパターンになってきたきらいがあって、ガリバー旅行記(2010)などは無惨な結果に終わっていた。それがここでは、ホリデイ(2006)などでも見せていたデリケートさが復活してなかなかイイ味なのである。いやぁ、これは三人ともイイ感じでオトクな映画ではないか。

 もっともこの作品、実際には2010年の制作ということで、日本では公開タイミングがかなり遅れての登場だった。だから本当のところ、マーティンやブラックは決して「復活」したわけではないのがツライところなのだが…。

 ともかく、正直言って関心のない人間にはハッキリ言ってどうでもいい鳥の目撃記録だが、そんなくだらないモノに翻弄される人間模様を描いて、大いに笑わせ楽しませてくれるのは間違いない。その一方でちょっとした人生の実感が溢れる場面があったりして、見ている僕らにいろいろ考えさせてもくれるのだ。

 ところがせっかく見ることができたのに感想をアップするまで時間がかかりすぎて、劇場からはとっくに姿を消してしまった。まことに申し訳ない限りなのだが、まだ地方ではこれからの上映かもしれないし、今後DVDやテレビ放映で見ることができるかもしれない。その際には、ぜひお見逃しなく…と声を大にして言いたい作品だ。

 

勝とうが負けようが「幸せ」かどうかは分からない

 実際のところ何かに熱中している人ってのは、ハタで見ていてかなりコッケイだし、他人には理解しがたいモノがある。

 それは別に鳥の愛好家だけにとどまらない。ロック・ファンだって鉄道マニアだって、AKBファンだって園芸好きだって変態セックス好きだって同じようなものだ。そもそも僕のような映画ファンからして、一般の人々から見たら理解に苦しむ存在だろう。何かが好きで熱中してしまう人間は、どこか狂っていてオカシイものなのである。

 それでは何も夢中になるモノがない「マトモ」な人々になりたいかというと、申しわけないがこれっぽっちも羨ましいとは思わない。夢中になるモノがない人生なんて、生きている価値があるとは思えない。何かに夢中になるというのは、やっぱり幸せなことなのだ。いや、幸せ…なんて思ったこともないな。どっちかというと苦しいことの方が多いこともあるし。もはや夢中になるモノがある人にとって、「それ」は水や酸素のように「なしには生きていけない」モノなのである。

 この映画には、「それなしには生きていけない」連中ばかりが登場する。

 その中でも最も病が高じている人物として描かれているのは、最高記録保持者ケニーだろう。ただしこの男、もはや病が高じているというレベルを超えているかもしれない。記録を守り、自ら書き換えるためには手段を選ばない。かなり汚い手も使うし、人を裏切りもする。嫁さんも放ったらかしでウソもつき放題。さすがにそのやり口の汚さムチャクチャさには、同じ鳥好きの連中でもドン退きのレベルだ。

 ただしこのケニーのやり口、決してホメられないし好きにもならないものの、見ている僕は決してバッサリ切り捨てて裁く気にはなれなかった。実はこの僕だって、人のことは言えないところがあるのだ。

 別に人の足を引っ張ったことはないけれど、自分が1本でも多くいろいろな映画を見たいという欲求に突き動かされているのは事実だし、そのためには手段を選ばないと思いかねないのも分かっている。映画は本数じゃないと分かっているつもりだし、言葉の上ではそう言ってはいるが、それでも本数を稼ぎたいと思ってしまうのは理屈抜きの映画好きの性分だ。

 映画好きなら映画だけ一人で見ていればいいものを、なぜかホームページで駄文を垂れ流し。別にみんなに読んでもらえなくて結構と言いながら、一時はアクセス数を結構気にしていた。忙しくなってそんなことには構っていられなくなったけれど、それでも何だかんだいまだに続けているのはなぜだろう。本当にどうでもいいなら、とっくに止めていいはずではないか。やらなくたっていいのだ。それはもう、理屈では説明できないな。よくネット上で、自分はそういうことにこだわらないとか言っている人がいるが、それはハッキリ言ってウソだと思うよ。ええカッコしいも休み休み言っていただきたい。

 この映画では、最終的にケニーが再び記録を打ち立てることに成功し、不正を行わずに頑張ったブラッドやスチュが敗れてしまうという結果に終わる。頑張った奴が必ずしも成功しないという幕切れは、ある意味でリアルな結論とも言える

 しかしその一方で、ケニーは「それなりの代償」を払わされることになり、ブラッドはステキな伴侶、スチュは愛らしい孫…というプライベートの幸福を得たとも描かれている。何のことはない、「ホントに成功を得たのはどっち?」的な結論だ。そんなにアクセクしたって何になる、本当の幸せは人生の充実だよ…。

 それはいかにも「ありがち」な幕切れだろう。そういう結論にした方が、一般的には通りがいいだろう。多くの共感を得やすいだろうし、まぁ、ありきたりの普通の幕切れだ。偏った熱中よりも実人生が大事…って結論なら、正論過ぎて誰もケチのつけようがない。

 だけど、それってステレオ・タイプな結論ではないか。改めて言われなくても分かり切ってる。陳腐だし手垢のついた結論だよなぁ。

 しかし僕は、この映画の作り手はそんなありきたりな結論をめざしていないと思う。

 この映画で手を汚すことも辞さない「度を超した」熱中男ケニーを演じているのが、好感度の高いオーウェン・ウィルソンであることから見ても、それは間違いない。作り手はこの男を、観客の共感を呼ばないような人物に描こうとはしていないのだ。

 その一方で、ブラッドやスチュが一点の曇りもない人物かと言えば、果たしてそうとも言い切れない。ブラッドや雪山で鳥に夢中になるあまり、病気の父親を危機にさらしてしまう。この場面は、父親が長らく闘病生活を続けていた僕にとって人ごとではないリアルさがあった。僕もあの頃は、人にはとても言えない親不孝をしていたのだ。またスチュも自分が「ビッグ・イヤー」で勝ちたいために、自分を信じてくれるブラッドについついウソをついてしまう。自分に親切にしてくれたブラッドなのに、スケベ根性に負けてダマしてしまうのだ。彼らだってケニーと五十歩百歩なのである。

 そしてブラッドは最後に人生の幸せを得たが、実際にはこうもうまい話はそうそう転がっていない。同じ夢中になれる対象を持った理解者に巡り会える可能性など、実際にはそんなに高いとは言えない。しかも仮にそれが実現したとしても、それがうまくいくとは限らないのだ。むしろ夢中になる対象が同じだけに、タチが悪いかも知れない。そもそも実人生はハッピー・エンドでは終わってくれない。そこからが「始まり」なのである。

 転じて、たった一人中国に旅立ったケニーの表情はどうだろう。確かにどこか寂しそうだ。たぶん、寂しいに違いない。寂しいだろうとは思うけれど…どこかサバサバしたようにも見えないだろうか。

 これは、単に僕の偏見というわけではないと思う。

 この歳になると、何が成功で何が失敗か、何が勝利で何が敗北か、何が幸運で何が不運か…人間にはなかなか分からないものだと思うことが多い。これは本当にそうだ。実際にそうなのだ。例えばこの映画の結論で言えば、「ビッグ・イヤー」の記録を打ち立てたことが「勝利」と言い切れないのと同じように、記録保持者になる代わりにプライベートが充実したことが「勝利」とも言い切れない。勝とうが負けようが「幸せ」かどうかは分からない。結局、自分が満足したり納得できるかでしかない

 どれが「幸せ」かなんて、誰にも決めたり計ったりはできない。それは鳥やロックや変態セックスや映画や…その他いろいろの「夢中になれるモノ」を持っている人だけではない。たぶん、どこの誰にとっても同じことなのだろう。

 きっと「幸せ」は人の数だけあるのである。

 

 

 

 

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