「ドラゴン・タトゥーの女」

  The Girl with the Dragon Tatoo

 (2012/03/19)


  

見る前の予想

 この映画の原作が国際的なベストセラー小説で、しかもすでに本国スウェーデンで映画化もされているってことは、結構世間では知られてる話だと思う。

 その映画化作品については、確か2年くらい前に「ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女」(2009)というタイトルで公開されていた。ある島に住んでいる富豪一族に隠された秘密を探るお話で、雰囲気は何となく「犬神家の一族」など横溝正史ミステリーっぽい感じ。しかしそれよりも、ジャーナリストの主人公を助けるハッカーの女リスベットのイメージが強烈。龍のタトゥーを入れ、顔にあちこちピアスを入れた、ちょっとパンクでとりつくシマのなさそうなキャラクターなのだ。そのおかげか、スウェーデンのミステリー映画なんて地味な雰囲気を跳ね返して、ミニシアター系で地味にではあるが話題になっていた。残念なことに、僕は何だかんだと忙しかったので見逃してしまったのが悔やまれる。

 これには続編もあって「ミレニアム2/火と戯れる女」(2009)、「ミレニアム3/眠れる女と狂卓の騎士」(2009)…と合わせて三部作になっているとのことだが、1作目を見逃して2作目、3作目を見るわけにもいかず、僕は結局3作全部見る機会を逸してしまったのだった。

 ところがその後、ハリウッドがこの原作を再映画化、おまけに監督はデビッド・フィンチャーという素晴らしい話が持ち上がる。普段だったらハリウッド・リメイクなどつまらないと思うところだが、今アブラが乗り切っているあのフィンチャーが撮るとなれば話は別。おまけに主演は新ジェームズ・ボンドのダニエル・クレイグと来たら、これは見るしかないだろう。

 さらに劇場に予告編がかかり出すと、いきなりレッド・ツェッペリンの「移民の歌」のカバー曲がガンガン流れるではないか。これは興奮せざるを得ない。僕は公開早々、劇場に駆けつけたわけだ。

 

あらすじ

 いつもは責める側である者が、一旦守る側に回れば意外に弱いものだ。

 敏腕ジャーナリストとして知られているミカエル・ブルムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)は、著名な企業家であるハンス=エリック・ヴェネストラム(ウルフ・フライバーグ)の名誉を傷つける記事を書いたとして訴えられ、裁判所から賠償金の支払いを命じられてしまった。金額も痛かったが、本当に痛かったのは「名誉毀損」という不名誉を負ったこと。裁判所から出てきたミカエルは、いつもとは違ってマスコミに集中攻撃される側に回ることになる。おまけに敵に回したのは、絶大な権力を誇る企業家だ。そのダメージは計り知れない。

 一方、ある企業でそんなミカエルの情報を収集している人々がいた。その企業に情報収集の依頼をしたのは、弁護士ディアク・フロド(スティーヴン・バーコフ)。そして企業の命を受けて情報収集を受け持ったのは、こんな大企業のインテリジェント・ビルには似つかないパンクな外見の女、ハッカーのリスベット・サランデル(ルーニー・マーラ)だ。リスベットはその天才的なハッカーの腕を買われて、この企業の外部スタッフとして非公式に雇われている「訳アリ」の女だった。そんなリスベットは個人的にミカエルと彼が追求した企業家ヴェネストラムに秘かに関心を抱き、ヴェネストラムの住んでいるマンションに忍び込んでちょっとした「仕掛け」を施した…。

 さて、社会的な信用も失墜したミカエルは、進退窮まっていた。彼が拠点としている雑誌「ミレニアム」の経営者で彼の愛人でもあるエリカ(ロビン・ライト)にも、これ以上は迷惑をかけられない。そんな彼の前に現れたのが、例の弁護士フロドだった。フロドはミカエルに、辺鄙なヘゼビュー島に行って「ある事件」について調べて欲しいと頼んで来る。気乗りはしないミカエルだが、身動きのとれない状況と相手の提示した報酬によって、話だけでも聞こうと冬のヘゼビュー島へと出かけることにした。

 こうして凍てつくヘゼビュー島にやって来たミカエルを迎えたのは、大企業ヴァンゲル産業のかつての代表者で、今は引退しているヘンリック・ヴァンゲル(クリストファー・プラマー)。ここでミカエルは、ヘンリックからひとつの「仕事」を依頼される。オモテ向きは、同族企業であるヴァンゲル産業と一族に関する回顧録の執筆を手伝うこと。しかし実際には、「ある事件」の捜査の依頼だった。

 それは40年近く前の、ヘンリックの姪ハリエット・ヴァンゲル(モア・ガーペンダル)が行方不明になった事件だった。

 その日は島を本土とつなぐ橋で大事故が起きててんやわんやだった。ハリエットはヘンリックに何か相談事があったようだが、何だかんだと話に乗れず、そのうちハリエットは姿を消した。以来、彼女の姿はこの家から完全に消えてしまった…。それが現在老境に差し掛かったこヘンリックにとって、唯一の心残りだというのだ。

 事件の捜査という畑違いの仕事に腰が退けるミカエルだったが、ヘンリックはそんな彼に大きな報酬とヴェネストラムに関するヤバイ情報という「餌」をぶら下げた。

 憎っくきヴェネストラムに一矢報いるチャンスだ!

 そうなれば、ミカエルも無下にこの頼みを断れない。彼は即日ストックホルムに帰る予定を変更。屋敷の敷地内にある離れに急遽暮らすことになる。

 一方、ハッカーのリスベットは、法定後見人のホルガー・パルムグレン(ベント・C・W・カールソン)の家に会いに行く。彼女は精神的に社会に不適応であると判断され、パルムグレンが後見人として庇護している状況だった。ところが高齢のパルムグレンは病気で倒れたため、急遽、弁護士ニルス・ビャーマン(ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン)が新しい後見人になる。

 このビャーマンという後見人がクセモノだった。

 彼は初めての対面で高圧的な態度に出て、彼女の財政面をコントロール。しかも挙げ句の果てに、リスベットに性的「サービス」を強要した。吐き気のするような体験だったが、弱い立場のリスベットはじっと耐えるしかない。

 さてその頃、ヘゼビュー島のミカエルは本格的に調査を開始。島にいるヴァンゲル一族の面々について調べていくが、元ナチだったり人格に難があったり…とロクな奴がいない。結局はヘンリックと彼の甥でヴァンゲル産業の現・経営者であるマーティン・ヴァンゲル(ステラン・スカルスガルド)ぐらいしかマトモに話をできそうな奴はいなさそうだ。おまけに人間関係もゴチャゴチャ混み入っていて、それだけで訳が分からなくなりそうだ。

 そんな折り、ミカエルはハリエットが残したノートに、5人の女の名前とそれぞれに5桁の数字が書かれているのを見つける。当時の捜査に関わり、現在は退職している元刑事のグスタフ・モレル(ドナルド・サンプター)は、これらの5桁の数字は電話番号だが人名とはまったく関係がなかった…と教えてくれた。では、この数字は一体何を意味しているのか?

 そんな調子で捜査が煮詰まったミカエルの元に、彼の娘ペルニラ(ジョセフィン・アスプルンド)がやって来る。彼女は別れた妻の元に引き取られたのだが、最近は妙に宗教にどっぷりハマってしまい、ミカエルを辟易させていたのだ。ところが、皮肉なことにそれが捜査に風穴を開けた。たまたまハリエットのノートを見たペルニラは、例の5人の名前と一緒に書かれた5桁の数字について、聖書の中の節数と関係があると教えてくれたのだ。

 そんな折りもおり、いよいよ経営難に陥った「ミレニアム」を、マーティン率いるヴァンゲル産業がバックアップする話がまとまる。いつの間にかそんな話をまとめたエリカに、ミカエルは内心いい気分ではない。

 しかもそれから間もなく、ミカエルに捜査を依頼したヘンリックが発作を起こし、生と死の境をさまよう状態となった。これを機に集まったヴァンゲル一族の中には、ミカエルの捜査を打ち切るように言い出す者も出てくる始末だ。

 その頃、リスベットは生命線のパソコンを壊され、困り果てていた。仕方なく新たな後見人ビャーマンの家へ訪ねていくリスベット。しかしビャーマンは腐りきった男で、今度はカネと引き換えに彼女の手足を縛り上げ、屈辱的に犯すという暴挙に出た。心も体もボロボロのリスベット。

 しかし、彼女はこれで引き下がるようなタマではなかった。次にリスベットが訪ねてきた時にホイホイと家の中に引き入れたビャーマンは、それを徹底的に思い知らされることになる。

 縛り上げられて恐ろしげな「道具」で屈辱的に犯されるのは、今度はビャーマンの番だった。そしてカラダには、恥ずかしいタトゥーを彫られる。おまけに前回リスベットを犯した時の様子も、実はビデオに録画されていたと聞いたら、ビャーマンはもはやぐうの音も出ない。こうしてキッチリとビャーマンを脅したあげく、すべて落とし前をつけて自由を取り戻したリスベットだった。

 一方、ミカエルは例の聖書に関する情報を調べるために、調査能力に長けた助手が必要だと考え始める。その人選について弁護士のフロドに相談すると、彼はある「特殊」な人物を推薦した。

 それは、フロドたちがミカエルの身辺を調べた時に起用した人物、天才的ハッカーであるリスベットのことのだった…。

 

見た後での感想

 映画が始まってすぐ、問題の「移民の歌」のカバー・バージョンが流れる。僕はもう最初から、いきなり興奮しまくり。このあたりの感覚は、理屈じゃないんだよねぇ。

 お話が事件の核心に入っていくと、やはり予想通り「横溝正史ミステリー」的世界。閉じた世界に住むグロテスクな一族のドロドロに、「探偵」が分け入っていくお話だ。そして比較的早い段階でその一族のメンバーが次々紹介されるのだが、それこそどいつもこいつもロクな奴でなくて、ナチが多くて、しかもお互いを憎んでいるということぐらいしか頭に残らない。これでお話についていけるのか…と心配になるが、それは劇中でもダニエル・クレイグ扮する主人公ミカエルが「とても覚えられそうな気がしない」とボヤいていることでも分かる通り、正直言って僕ら観客は分からなくてもいい。

 実際には1〜2人しかお話に直接関わってくる人物はいないし、ちゃんと紹介もされない。それでもちゃんとお話にはついていける。逆に言うと、そんな調子だから「犯人」もすぐに割れてしまう。しかし、この映画はそれでいいのだ

 なぜなら「横溝正史」的ドロドロ家族の謎解きは、正直言ってどうでもいいからである。

 実際のところ、原作小説ではどうなっているのか分からない。しかし少なくともデビッド・フィンチャーによるハリウッド映画版では、「本筋」であるはずの謎解きは完全に刺身のツマだ。それはこの物語を語る「口実」としてあるだけで、本当に作り手が語りたいお話ではない。

 作り手が語りたいのは、この物語の実質上の「ヒロイン」であるリスベットだ。

 パンクで変わり者、ある意味でちょっとイッちゃってるアブない女リスベットは、その存在感だけでも特筆に値する。しかもこの映画では、彼女が積極的に「本筋」であるはずの「横溝正史ミステリー」物語に関わるまでのエピソードも、同じくらいの比重で登場してくる。彼女が後見人に性的蹂躙を受けながら、反撃に転じていくあたりのエピソードは、本来の「横溝正史ミステリー」とはまったく関係がない。にも関わらず、ここではリスベットの「人となり」をじっくり描くのが大事とばかりに、「本筋」とパラレルに語られていくのである。

 しかも…原作もそうなのかもしれないが、本作の物語はその「横溝正史ミステリー」が一件落着した後もまだまだ続く。正直言って僕なんか、この映画は一体どうなってるのかと怪訝に思い始めたくらいだ。しかしこの映画では、実はそこからが本題なのだ。

 デビッド・フィンチャーはリスベットにしか興味がないからだ。

 この映画で、リスベットは極めて印象的な登場の仕方をする。まずは眉毛はないわあっちこっちにピアスは入ってるわ、無愛想だわ龍のタトゥーは入ってるわ。どう見たって「マトモ」な人には見えない。実際、彼女は何かの問題を抱えているらしく、現在は後見人による「観察」を必要とする状況らしい。生計を建てているのも、ハッカーという裏街道の商売によってである。どこからどう考えても、「ヤバイ人」なのである。

 例えば、ミカエルがその腕を買って彼女を起用しようとすると、雇い主ですら「彼女はちょっと…」と言いよどんでしまう。友だちもいなさそうだし、社交性などあろうはずもない。普通に日常生活を送っている中で、関わりたくない類の人物であることは間違いない。実際、彼女が新任の後見人に「反撃」する際の容赦のなさを見ると、怒らせたら大変だし関わりたくない雰囲気がムンムンだ。

 ただし彼女が「反撃」するには、それなりの理由もある

 何らかの過去の問題やトラウマで、「要観察」扱いにされているリスベット。彼女はそういう意味では、社会のはぐれ者で「弱者」だ。少なくとも「勝ち組」ではない。

 例の新任後見人はそんな彼女につけ込んで、彼女の自由を奪っただけでなく性的蹂躙をした。後見人の承諾なしには何もできないという立場を悪用して、彼女を弄んだのである。これが彼女の堪忍袋の緒を切らせた

 重要なのは、リスベットが後見人に犯されている場面で、彼女がすぐに抵抗を諦めてしまうところ。彼女は抵抗してもムダなこと、なまじ抵抗するともっと痛い目に遭うことを、それまでの経験で知っているのだ。この場面だけで「それ」が伝えられているあたりが巧みな脚本・演出だが、彼女はずっと前から蹂躙され続け「弱者」であり続けた人なのだ。

 だから、彼女は「強くあろう」とした

 そもそも彼女が周囲から見てとりつくシマもない外見をしているというのは、彼女の領域に他者が入って来ないためのヨロイみたいな理由があるのだろう。社交性のなさも、「他者を入れない」という断固とした意志表明だ。ハッカーで身を立てているのも、他者と一緒にするような類の仕事をしたくないからだろう。

 そしてひとたびそんな彼女の領域が侵されたら、断固として反撃しなくてはならない

 「弱者」なのに、いや、「弱者」だからこそ徹底的に反撃しなくてはならない。それなりに周囲の人間や友人にも恵まれ、幸運な中で生きてきた加山雄三の「若大将」みたいな奴なら、こんなことはする必要もないし、そもそも最初からこんなことを考えない。これは恵まれた人生を歩めなかった奴だけが、やむにやまれぬ事情からとらねばならなかった社会への態度なのだ。

 そして…残念ながら我々が住む世界では、「若大将」側でいられる人間は決して多数派ではない。今この文章をお読みのあなたも、かつて理不尽なかたちで踏みにじられたことはないだろうか。悔しい思いを抱きながらどうすることも出来なかったことはないだろうか。社会的「強者」の力の前に、為す術もなく黙って引き下がったことはないだろうか。もしそういう経験をした覚えがあるのなら、あなたは少なからずリスベット側に立っている。

 そしてそれは同時に、「僕の側」に立っているということでもある。

 

僕らが実現できない「正義」を実行するリスベット

 そんなことは何の自慢にもならないが、僕もどちらかと言えば「勝ち組」の側の人間ではない

 僕は一時期、若気の至りで職場を転々としていたことがあったことは、このサイトで何度か語ってきたと思う。しかしそれらの職場を辞める時、僕は決していつも威勢良くカッコよくタンカを切って飛び出していったわけではない。中には人には言えない惨めな気分で去らなければならなかったこともあったし、石をもて追われたことだってあった。

 そして何より、人に裏切られて去るしかなかったことだってあった

 というか、僕はたぶん裏切られた人の数なら誰にも負けないかもしれない(笑)。それくらい、自分でも呆れるほど人に裏切られたし、気持ちよくダマされた。この手の人をダマす連中は自分のやった事を恥じないし、むしろ開き直って「オマエが悪い」と逆ギレすらする。中にはもっと上がいて、ウソでも自分がマコトと念じて何度も唱えているうちに、自分の脳内ではそれがマコトになるような奴までいた。とにかく子供の頃から大人になってからも、老若男女いろんな奴に顔に泥を塗られてきた

 一度など、自分のいる会社の社長にあからさまにやってもいない罪をデッチ上げられるところだった。その社長は、何が何でも僕に余計な報酬を払いたくなかったらしい。僕の態度次第では、「出るところに出たっていいんだぞ」的な脅し文句を吐いた。

 腹が立った。はらわたが煮えくり返った。しかし、この男がブラフを言っているとも思えなかった。それに社内はこいつのシンパがウヨウヨしていた。「出るところに出たら」どう考えても僕の方が不利になるだろう。そうでなければ、あれほど強気な態度には出られまい。絶対にオレは勝てない。

 そう思ったら、悔しくても引き下がるしかなかった

 あの時の勝ち誇ったような奴の顔を、僕は一生忘れない。むろん「復讐」は僕やいろいろシモジモの人間たちのやることではなく、たぶん天のずっと高いところにいる「あの人」の仕事なんだろう。だから、そこで引き下がって良かったんだと思うことだって出来るだろう。

 しかし、僕のこの気持ちは今になっても癒されない

 世の中理不尽なものだと分かってはいても、それでもどうしても我慢ならない。不当なことで屈服させられ、地面をナメさせられたような思いは、いつになっても消えないのだ。それに、それってやっぱり物事の道理として間違っているだろう。こんな奴が勝ってはいけない。世の中、本当はそれではよくないはずだ。

 人それぞれ意見はあるだろうが、僕もそれなりに生きてきた中で、手に入れた「真理」がひとつある。それは、人間はナメられっぱなしではダメだということだ。

 僕は非力な男だし、それほど知恵が回るわけでもない。コネも人脈もないし脅しもきかない。しかしそんな僕でも、人生にたった一度自分の持てる力を総動員して、自分を裏切った大先輩と戦ったことがある。その時にはその先輩の前では従順なふりをしてあちこち根回しをして、最後の最後にすべてをひっくり返したのだった。あれは間違いなく、文句なしに僕の完全勝利だった。これがあるといないとでは、その後の僕の人生はまったく違ったと思う。

 しかし、普通そんなことはめったにない。結局、そんな勝利は後にも先にもたったの一度だけ。そこまで頑張って戦おうとしなかったこともあるが、普通は僕らはそんなに戦うことなんて出来ない。おそらく大抵の人々は、裏切られようと踏みにじられようと、泣き寝入りで諦めるしかないのではないか。とても悔しいしやりきれない。あってはならないことだと思うが、そんな事の方がよくあるのが世の中というものなのだ。だから僕も含めた世の中の大半の人は、腹が立ってもジッとこらえて我慢する。そして忘れようと努力する。

 しかし、この映画のリスベットは違う

 彼女は長い間ツラい思いをしてきたらしい「弱者」だし、今もなお踏みつけられ続ける存在だ。悔しい思いも理不尽な思いも味わっている。しかし彼女が僕らと違うのは、耐えることに甘んじていないで徹底抗戦を試みることだ。

 そして戦うと決めたら、トコトンやり尽くす

 相手の息の根が止まり、草木が生えてこないところまで徹底的にやる。そこに何ら妥協の余地はない。なぜなら彼女には、「悪は叩きつぶすべし」という強い信念があるからだ。そこにわずかの迷いもない。良心の呵責もない。一瞬たりともためらわない。

 そんな彼女の態度は、とても潔い

 彼女は僕らができないことを、恐るべき徹底ぶりでやり遂げる。大抵の人が出来ずに断念していることを、アッと驚く大胆さと力強さで実行に移す。そこには「復讐」という陰湿さはない。なぜなら彼女は「私怨」という動機で行動していないからだ。

 リスベットは、正しいことをやろうとしているだけだ。

 それが証拠に彼女は、自分に屈辱を与えた後見人を痛めつけただけでなく、彼女には何の関わりもない企業家ブルムクヴィストの悪事を暴き、徹底的に翻弄して破滅へと追い込む。確かにそこには「共闘」する仲間になって愛し合うようにもなったミカエルのため…という気持ちもあったろうが、そもそも彼女がブルムクヴィストの秘密を暴こうと仕掛けを用意したのは、それよりもずっと前のこと。リスベットはそもそも、「不正を企む者」が我慢ならないのだ。

 そして彼女はそんな「悪」を根絶やしにする時に、まったく手加減をしない。見た目には陰惨なこともやるし、悪人を残酷でヒドイ目にも遭わせる。しかしその動機には純粋なものがあるから、彼女の戦いっぷりと勝ちっぷりはとても爽やかに見えるのだ。

 おっかない外見はしているが、リスベットの心意気と行動は実にピュアなのである

 だから見ている僕らも、彼女をついつい応援してしまう。彼女が悪をギッタンギッタンに叩きのめす姿を、胸のすく思いで見てしまう。

 リスベットは僕らがやりたくとも出来ないこと、本来はそうでなければならないこと…を実現してくれる存在だ。だから、僕らの心をとらえて放さないのである。

 

ふいに思い出されたジョン・ヒューズ青春映画

 そんな映画の終盤で、リスベットは悪漢を叩きのめす大活躍を見せるが、それと同時にそれまで見せなかった一面も見せてくれる。

 それは、調査の途中で男女の関係となった、ミカエルへの想いだ。

 最初はミカエルに素っ気ない態度しか見せなかったリスベットだが、一緒に調査を進めていくうちに相手を信頼できる人物と認めていく。そもそもミカエルが「巨悪」に食いついていくジャーナリストだったことも、「悪」を許さないリスベットにとっては好ましく見えただろう。

 そして、そんなミカエルが痛めつけられたのを見たとたん…彼女の感情は堰を切って溢れだす。それは自らも痛めつけられてきた存在だったから…というところもあったかもしれない。それ以降、リスベットとミカエルは男女の関係となっていく。

 そして、ミカエルの宿敵である企業家ブルムクヴィストを叩きのめしたリスベットは、たった一人心を許すかつての後見人にこう打ち明けるのだ。「いい人ができたんだ…」

 その姿と来たら…まるで初恋にふるえる乙女みたいじゃないか!

 そのあたりで、僕はハタと気づいた。こんなヒロインの出てくる映画を、確かに僕はどこかで見ていたはずだ…。最初はなかなか思い出せずにいたが、いろいろ考えているうちにやっと思い出した。それは、ジョン・ヒューズがプロデュースに回って製作した青春映画恋しくて(1987)だ。

 今の若い人たちはもう分からないかもしれないが、昔のジョン・ヒューズといえば文字通り「青春映画の巨匠」だった。「ブレックファスト・クラブ」(1985)、プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角(1986) …などなど、監督・プロデューサーとしてさまざまな作品を精力的に発表。それらの中で、モリー・リングウォルド、アンドリュー・マッカーシー、ジャド・ネルソン、エミリオ・エステベス、アリー・シーディー、アンソニー・マイケル・ホール…などといった「青春スター」を輩出。まさに一世を風靡した人物だ。ここ最近はウワサを聞いていなかったが、つい先日、突然に死去。その知らせを聞いて、僕などは愕然としたものだった。とにかく1980年代といえば、この人の映画を抜きでは語れない。それがジョン・ヒューズという人物だった。

 そのジョン・ヒューズの青春映画としては最末期の作品にあたるのが、「恋しくて」という作品なのである。

 お話は他愛もないものだ。金持ち男のガールフレンドに片思いする貧乏青年がいて、その青年に秘めた想いを抱く幼馴染みの貧乏娘がいる。この貧乏娘は自分の気持ちを隠して、貧乏青年の想いを叶えようと一肌脱ぐわけだ。

 そもそもこの貧乏娘、普段から頭は刈り上げでワカメちゃんカット。はいてるパンツもデカパンのトランクス。話し言葉もゴツい男言葉と来る。革ジャン着てドラム叩いている変わり者で、可愛く女らしいところは微塵もない。だから青年も、「まさかこの娘が…」と彼女の気持ちに気づかない。しかしガサツな言動しかしない彼女の胸の内は、乙女のように切なく揺れていたのだった…。

 このガサツな娘チャーリーの役を演じていたのは、メアリー・スチュワート・マスターソン。その後もいろいろ出てはいたが、最も輝いたのは出世作のこの映画だった。

 そしてこのチャーリーという娘こそが、今回のリスベットと共通するキャラクターだと思えるのだ。

 さすがに龍のタトゥーは入ってないし、ピアスも入れてない。しかし革ジャンを着てデカパンはいて必死にコワモテに見せているその様子には、どこか今回の映画のリスベットを思わせるところはないだろうか。そもそもリスベットの「正義」に対する考え方だって、今日びのカワイげのない日本のクソ小学生などよりずっとピュアだろう。おっかない格好をしていても、彼女の中身はイマドキ珍しいほど「純情一直線」なのである。

 今回、リスベットを演じたルーニー・マーラは、フィンチャーの前作ソーシャル・ネットワーク(2010)で主人公の「運命の女」を演じた女優さんである。しかし今の僕には、その時の彼女の面影が思い出せない。それくらい、今回のリスベットのキャラクターが強烈だ。

 しかし今回のリスベットに「いかにも」コワモテっぽい女優さんを持って来ないで、「ソーシャル・ネットワーク」で主人公が最後まで恋いこがれる娘を演じるような女優を持ってきたというところに、デビッド・フィンチャーの意図が伺える。

 この映画は「初恋映画」なのである。

 見てくれはコワモテだし怒らせたら怖い。どう見てもお近づきになりたくないタイプの女だが、その内面には切ないまでの恋心が揺れている。それを分かりやすく見せたいから、本当におっかない容貌の女優でなくてルーニー・マーラを持ってきたのだろう。実際のところ「恋しくて」だって、メアリー・スチュワート・マスターソンはガサツな娘タイプではなく、本来は清純派のお嬢さんタイプの女優だ。観客にキャラクターの本質を分かりやすくするために、あえて本来のタイプじゃない女優を持ってきたに違いない。

 そんなリスベットの恋は、しかし映画の最後にはかなく破れてしまう。

 初恋は、実らない。

 こんな強烈キャラを持ってきながらも、ドラゴン・タトゥーなんておっかないシロモノとは裏腹の「切ない片想い」を描いたからこそ、この映画は忘れがたい感慨を見る者の心に残すのである。

 

 

 

 

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