新作映画1000本ノック 2011年12月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ラブ・アゲイン」 「マネーボール」 「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」 「ザ・ビッグバン!!」 「第7鉱区」 「明りを灯す人」

 

「ラブ・アゲイン」

 Crazy, Stupid, Love

Date:2011 / 12 / 26

みるまえ

 この映画については、公開直前にちっちゃい広告が新聞に載っていたので、タイトルだけはその時に知った。「ラブ・アゲイン」…どうやったら、こんなつまんないタイトルを思いつけるのだろう。絶対つまらないに決まっている。雰囲気から言ったら「バレンタインデー」(2010)みたいな恋愛に関する群像劇みたいだが、スター級の人材が乏しい感じだ。せいぜいスティーブ・カレル、ジュリアン・ムーア、ライアン・ゴズリング、マリサ・トメイ、ケビン・ベーコンくらい。これはどう見てもパスでしょう…と思っていたら、ある知人から意外にも「面白い」と報告して来るではないか。これはやっぱり見ないわけにはいかないか。この手のちっちゃい作品にこそ、「拾いモノ」が隠されている可能性があるのだ。そんなわけで、ずっと前に公開も終わって感想文が書けないでいた作品だが、何とか今回アップにこぎ着けた次第。

ないよう

 レストランではさまざまなカップルが、ディナーのテーブルを囲んでいる。ここにもそんなカップルが一組。キャル(スティーブ・カレル)とエミリー(ジュリアン・ムーア)の中年夫婦だ。何も申し分のない夫婦に見えたこの二人だが…唐突に妻エミリーがキャルにとんでもない提案をしたことから話は始まる。「離婚して!」…まさに寝耳に水。唖然呆然となったまま、エミリーを連れ立ってわが家へ帰ってきた。その「わが家」では13歳の息子ロビー(ジョナ・ボボ)が17歳のベビーシッター、近所に住む友人の娘であるジェシカ(アナリー・ティプトン)にお熱を上げたりとそれなりに事件が起こっていたのだが、キャルとエミリーが帰宅するやいきなり「離婚する」だの何だのという話になったのに比べれば屁みたいなもの。おまけに妻の口から会社の同僚デビッド(ケビン・ベーコン)との不倫まで聞かされては、もはやキャルの立場はない。とにかくてんやわんやで、平凡な家庭の平和は一瞬にして崩れ去った。実はベビーシッターのジェシカはそんなキャルに片想い中なのだが、目もうつろなキャルにそんなことが分かろうはずもない。そんなわけでキャルは慣れ親しんだわが家を後にして、わびしい一人住まいの身となったわけだ。しかし、落ち込んだ気分はいつまでも治らない。夜な夜な近くのバーに出没しては、酔いどれて「女房に逃げられた」「寝取られた」のグチのオンパレード。何とも情けない醜態を毎夜毎夜さらす惨めさだ。さてそんなバーに、毎夜通いつめる男がもう一人。ただしこちらは若くてピカピカでモテそう。その男ジェイコブ(ライアン・ゴズリング)は友達と連れだってやって来たハンナ(エマ・ストーン)に、ミエミエな口説き文句で迫りに迫る。このハンナという娘は弁護士の卵らしいが、マジメで身持ちが堅くてこんな口説きも笑って相手にしないような女の子。結局ジェイコブの口説きにはなびかずに終わったが、ジェイコブはまるで気にしない。彼が口説く相手は、それこそゴマンといるのだ。毎夜のようにバーに通っては、これはと目に留めた女の子を口説く。ハンナこそ落とせなかったものの、大抵の女の子は彼の魅力にシビレて「お持ち帰り」となるわけだった。その夜もそんなジェイコブの独壇場になりそうだったが、彼はなぜかカウンターでクダまいていたキャルに目を留めた。何を考えたかジェイコブは、キャルを呼び止めて自分のテーブルへと誘った。そこでキャルのアリサマや服装に厳しいダメ出しを始めて、自分のアドバイスに従え…と説得し始めた。しかし、一体何でまた? それについては「あんたに似た人を知っていた」…とだけ言って言葉を濁したが、「女房を見返したくないのか」と言われてはアドバイスを拒む理由がない。かくして翌日のショッピングモールから、ジェイコブの特訓は開始。まずは見た目から…というわけで、着るモノから靴から一切合切を買わされる。そして連日のジェイコブの「口説き」をそばから観察。最初はなかなかうまくいかないが、徐々にジェイコブの「やり口」を覚え込む。かくして猛特訓の結果、ついには「やりたい」気分で爆発しそうなオールドミスのケイト(マリサ・トメイ)をゲット。見事に「お持ち帰り」にまでこぎ着けた。こうなると、もはや上から下まで別人のキャルが完成。毎夜例のバーに通い詰めては、充実したナイトライフを楽しむ日々となる。傍目にはスッカリ吹っ切れたように見えるキャルだったが…。

みたあと

 モテ男の「口説き指南」を受けて、まずは「見た目」から大幅変更させられる中年男…。僕も見た目にはあまり構わない男なので、これにはすっかり身につまされた。そういやかつて付き合った女に、いきなり上から下まで服を買い換えさせられた事もあったっけ(笑)。そんな「イタイ思い出」も蘇ってくる映画だが、だからと言って見ていてイヤな気分にはならない。何よりスティーブ・カレルとライアン・ゴズリングという主演二人が、絶妙の対照を見せて楽しませてくれるからだ。前半はライアン・ゴズリングによるスティーブ・カレル教育編。これだけでも十分楽しいのだが、後半にはこれが攻守逆転するという楽しさ2倍の内容になっているから贅沢だ。特に「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)で「全米一のプルースト学者」を自認するインテリを演じていたスティーブ・カレルが絶妙。あの作品でも、クライマックスには見事なお下品ダンスを見せて絶品だったが、今回も芸達者ぶりを見せつける。この人の作品は今後も目が離せそうにない。そして、一見すると「自立する女とグダグダになる男たち」…といった趣向で、毎度お馴染みな男をバカにした映画になりそうなところだが、この作品はそんな女に媚びた凡百のラブ・コメディには陥らないところがミソ。前半だけだと、男はボサッとした外見をしていないで常に女のためにエエカッコしろ…なんて映画にも見えかねないが、当然の事ながらそんな軽薄な作品でもないのだ(劇場パンフを読んでいると、誤解しちゃっている奴は結構いそうだが)。しかもこういう題材にも関わらず、断罪される人物はまったく出てこない。妻の不倫相手であるケビン・ベーコンですら、非難の対象になっていないところが素晴らしい。いわゆる「悪人」「仇役」が出てこないから、見終わった時の後味が爽快。「誰にでも運命の相手がいる」という結論には必ずしも賛成はしがたいが、娯楽映画としてはなかなかの出来栄えだ。

!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 この映画の素敵な後味は、もちろん演出と脚本によるものだろう。そういう意味では「フィリップ、きみを愛してる!」(2009)の監督グレン・フィカーラ、ジョン・レクアのお手柄と言いたいところだが、その前作を僕は見ていないのでここでは何とも比較のしようがない。ただ、この作品は先に述べたような二人の主人公のやりとりを楽しむだけでなく、物語の展開の妙を味わうものになっている。実は映画を見始めた時には気づかないが、脚本には微妙に伏線が張られたり、ちょっとしたドンデン返しがあったりして、事前の情報がないとかなり驚かされる。この手の作品にしてはかなり凝った内容だったので誰かと思えば、「カーズ」(2006)や「塔の上のラプンツェル」(2010)といったアニメ作品の脚本を書いてきたダン・フォーゲルマンという人の手になるものだという。そもそもピクサーのアニメ作品などは、CG技術などよりも「脚本が命」と言っていいので、やっぱり「さすが」の出来映えと言うべきだろう。

さいごのひとこと

 残念なのはタイトルだけ。

 

「マネーボール」

 Moneyball

Date:2011 / 12 / 26

みるまえ

 今年の後半はブラピ大活躍。そのうち1本は「怪作」と言っていい「ツリー・オブ・ライフ」(2011)だったが、もう一本は野球映画と聞いて合点がいった。野球とくればアメリカ人の心のふるさと。ブラピの師匠であるロバート・レッドフォードも、「ナチュラル」(1984)で野球映画に挑戦しているくらいだ。かなり趣味趣味の「ツリー・オブ・ライフ」を出す一方で、あくまでハリウッド・スターとしてのブラピとしては、アメリカ映画の王道たる「野球映画」に出ておこうということなのだろうか。ただこの映画でのブラピは、選手役でないというのが微妙。何でも球団のGM役だという。GMと来れば、昨今えらく注目を集めた某球団の元GMがいたが(笑)…それはともかく、どっちかと言えば縁の下の力持ちの役どころだ。そういう役職とブラピのイメージがなかなか結びつかない。さらにチラシを熟読してみると、お金もなく大物選手も獲得できないチームを、今までの常識を打ち破った野球理論で勝利に導いていった男のお話らしい。ならば前半は挫折あり失望あり、それが最後に奇跡の大逆転…負け犬が勝利を掴むというアメリカ映画王道のパターンになっていくのか。そういう映画も決してキライじゃないだけに、このブラピの「野球映画」に注目したいところだが…。

ないよう

 今年も終わった。弱小球団オークランド・アスレチックスが名門ニューヨーク・ヤンキースに負けて、2001年のシーズンは散々な幕切れとなった。しかもシーズン終了して早々、数少ないスター選手のジョニー・デイモン、ジェイソン・ジアンビ、ジェイソン・イズリングハウゼンがフリーエージェント宣言を行い、それでなくても地味なアスレチックスはスター皆無の球団となってしまった。さすがにこれにはアスレチックスのGMビリー・ビーン(ブラッド・ピット)も、いつもの強気を保っていられない。ビリーはかつて、将来を嘱望された野球選手だった。高校生として恵まれすぎている肉体と資質。各球団からのスカウトがひっきりなしにやって来て、ビリーは当初予定していた大学進学を断念し、プロへと進んだ。しかしプロでの成績は惨憺たるもの。結局、ビリーは芽が出ないままプロ選手を引退。それでも野球以外できることがないから、こうして弱小球団のGMにしがみついているわけだ。妻シャロン(ロビン・ライト)にも逃げられ、たまの休日に娘のケイシー(ケリス・ドーシー)と会うだけが楽しみのこの男。彼は明らかに深い挫折感を抱いてはいたが、まだまだすべてを諦めていた訳ではなかった。しかし、いかんせんアスレチックスは貧乏球団。

わずかなスター選手にも逃げられる始末だ。ともかく落ち込んでばかりもいられない。何とかして補強しなくては。ビリーはクリーブランド・インディアンスの事務所を訪れ、旧知のGMにトレード交渉を持ちかける。しかし交渉はうまくいかない。そんな交渉の最中、ビリーはインディアンスのスタッフの一人に目を付けた。その男は若いクセにまるまると太った、いかにもデスクワーク畑の男だが、たまたまチラリと耳にした言葉がビリーの心に残った。交渉決裂で立ち去りかけたビリーは、その男ピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)に声をかける。彼はこの球団で経理的な仕事をしており、選手の採用やらチーム編成にはまったく関係がない部署で働いていた。しかし彼は独自の野球理論を持っており、それがビリーの耳をとらえたのであった。もっともピーターに言わせると、その理論はすでにあるもので彼独自のモノではないということだが…。打率より出塁率を重視すべきだとか、盗塁や犠牲フライはあまり意味がないとか、従来からの野球のセオリーを覆す話に興奮するビリー。その中でも決定的だったのは、ビリーの「君ならオレをスカウトしたか?」という問いに対する答えだろう。ピーターは「あなたを指名しなかっただろう。その結果、あなたは大学に進学しただろう」…という指摘は、ビリーの心に響いた。かくしてビリーはピーターをインディアンスから引き抜き、自分のアシスタントに置くのだった。そんなピーターのアスレチックスへの出勤初日、ビリーはスカウトたちが推薦する「有望な選手」たちの提案を退け、既存のイメージではロートルだったりポンコツだったり難アリだったりする選手ばかりの名前を挙げる。それに対してスカウトたちから疑問と不満の声が挙がると、その都度、ピーターにその理由を説明させた。ベテランのスカウトたちとしては、見たこともない太った男が数字を例にとって説明するのが不愉快で仕方がない。そもそも、これまでの野球の常識を覆して、数字をタテに分かったようなことを言ってくるのが気にくわない。たちまち会議は紛糾。それをビリーが持論を押し通すかたちでお開きとなった。そんな選手の一人が、スコット・ハッテバーグ(クリス・プラット)だ。酷使した腕はいいかげんガタガタ。実は捕手としてはもう峠を越えているのは明らか。次の行き場所がないまま、不安なシーズン・オフを過ごしていた。そこにやって来たのがビリーだった。ビリーは驚くハッテバーグにアスレチックスへの移籍を打診。ハッテバーグにとってはむろん願ってもないことだが、肝心の腕がいうことを利かないことを打ち明けないではいられなかった。しかしビリーは事もなげにこう言うばかりだ。「いや、一塁にコンバートする。問題ない」…。しかし当然のことながら、こうしたビリーの「新機軸」は大きな反発を招く。ファンやスポーツ・ジャーナリストはあからさまに嘲笑を浴びせていたし、スカウトマンが反発するのも最初から。そして何より、現場で指揮をとるアート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)からも快く思われていないことが分かってくる。もはや四面楚歌。案の定、シーズンが始まってからもアスレチックスの成績は無惨な状況。ビリーの「新機軸」は「机上の空論」とバカにされ、現場の指揮も低迷する一方だった。娘のケイシーにすら心配されるアリサマに、あくまで強気を貫くビリー。しかし一人になった時には、さすがのビリーも弱音を吐かずにはいられなかった。「一体オレは何をやっているのだろう?」…。

みたあと

 既存の発想から脱したチームづくりを行い、「結果」を出した男の物語…まぁ、この映画のストーリーを簡単に言うとそういうことになるだろう。一般的に「常識」と思われているモノが決してそうではない…というようなことは、どこの世界でもよくある。僕自身、現在は本の編集者をやっているが、出版社に本の企画を提案しに行っても、大体どこでも相手にされず突っ返されるのがオチ。それらがちゃんと裏付けのある話なら納得もできるが、大体がつまんない既成概念でしかないことが多いのだ。実際のところ、平気で「テレビで取り上げているようなモノでなきゃダメ」とか言っちゃう「プロ」がいるんだから、出版の世界の人々もプライドをなくしたものだ。本当にイヤになるんだよねぇ。だからこの映画の中盤あたり、何とか猛反対を乗り越えて「マネーボール理論」を導入したチームづくりを始めたのに、やることなすことことごとく失敗…というあたりが、とてもじゃないが笑って見ていられない。引き合いに出すのもおこがましいというか恥ずかしいのだが、それでも一応はこの僕も仕事をしていく中で「どこか今までとは違うモノ」「違うこと」をしようと考えているわけだ。しかし、僕が試みる程度の大したことのない「既成概念破り」ですら、やろうとすればモノスゴイ抵抗にあったりする。だからブラッド・ピットの演じる主人公の四面楚歌な状況が理解できるし、それを何とか打ち破ろうという意欲や志、さらに抵抗に負けまいとする根性も理解できる。そしてなかなか実を結ばないことも理解できる。実際そういう試みは、実を結ばないケースの方が圧倒的に多いはずだ。それもたぶん、ちょっとした「運」によるものなのだろうが…。

みどころ

 だから途中から主人公の試みがうまくいき始めて来ると、見ているこっちも痛快になってくる。劇中で特に印象深いのは、主人公があちこちに連絡しまくって次々に複数のトレードを実現させていくくだり。あの「してやったり」の感じが何とも楽しげだ。ところがこれでイケイケの快進撃で最後まで突っ走るかと思いきや、ペナントレースは制することが出来たものの、その後が続かなかったことが描かれる。このあたりが凡百のハリウッド「野球映画」「スポーツ映画」の定石とは違うところ。現実のアスレチックスがそうだったからそのまま描いたと言えばそれまでだが、結局ここで挫折してしまうところが他のこの手の映画とひと味違うのだ。実際のところ、確かに現実はそうは甘くはない。僕らの人生でも、正しい方法をとったとしても成功するかしないかは運次第だ。だから、この映画の後半は苦いけれどリアルに感じられる。そして試合やペナントレースよりも、「その後」に焦点を合わせているところがこの映画の新しさだ。主人公は名門チームからカネを積まれて移籍を求められるが、この千載一遇のチャンスを蹴ってしまう。「もう二度とカネで人生を決めたくない」という理由から…。これによってこの映画は、既成概念に挑戦して新たな野球理論を実践したサクセス・ストーリーではなく、ある男のささやかな心の中の「勝利」の物語になっているのだ。僕も個人的には世俗的な成功ではなく、人生を懸けて追いかけている「ささやかな勝利」を得たいと思って頑張っている。それが生きているうちに実現するかどうかも怪しいが、子供の頃から何とかそれを手に入れたいと思っているのだ。だから僕には主人公に共感したし、「かくありたい」と思った。閑話休題、つまりこの映画は「既成概念」に挑戦する話ではある一方、映画の構成自体もカタルシスを追い求めがちな映画の「既成概念」に挑戦するスタイルをとっている。さらに劇中で「成功」や「勝利」の意味について再定義を行っているという意味で、結論においても「既成概念」に対して異議申し立てを行っている作品なのである。

こうすれば

 というわけで大いに共感したこの作品だが、それでは問題がないかと言えば…実は少々問題がないわけではない。この作品の監督であるベネット・ミラーは、前作「カポーティ」(2005)でもそうだったのだが、自分が思っていることが映画の観客にも当然のごとく伝わっていると過信し過ぎているようだ。この映画でも、新たな試みが惨めな失敗の繰り返しになっていたのに、ある一線を越えたところで成功に転じていく…というキッカケめいたモノを描いているようなのだが、それが観客には伝わって来ない。だからアスレチックスが最初は新機軸にも関わらずボロ負けしていて、途中から何だか分からないが勝ち始める…というダラダラとした構成になっているように見えてしまうのだ。「それ」らしきモノは描かれているのだが、観客に「それ」とは気づかれにくい。そのせいで…すでにありがちなカタルシスを拒絶している時点で大衆的な分かりやすい共感というものは得ようとしていないだろうが…この作品が今ひとつ広い層に共感を得られにくい作品になってしまっているきらいがあるように思う。世間的な「常識」の壁に妨げられて悔しい思いをしている多くの人にとって、それなりに「応援歌」となりそうな作品なのに残念だ。さらに、フィリップ・シーモア・ホフマンというボリューム感溢れる名優を手に入れているにも関わらず、ほとんど活かすことができなかったことも残念な点だろう。これがこの作品最大の誤算かも。

さいごのひとこと

 ナベツネ氏も原監督も必見。

 

「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」

 The Adventures of Tintin - The Secret of the Unicorn

Date:2011 / 12 / 19

みるまえ

 間違いなく今年のお正月映画の目玉のひとつ。スピルバーグ久々の新作というだけでなく、スピルバーグが初のフルCGアニメ、初の3D作品に挑戦している。おまけにスピルバーグがあの「ロード・オブ・ザ・リング」(2001)シリーズのピーター・ジャクソンと組んだ作品という派手な看板も付いている。これは確かにお正月映画随一の話題作だろう。しかし僕は、正直言ってまったく気持ちが乗らなかった。スピルバーグのシンパだし、3D映画もキライじゃない。ピーター・ジャクソンも「ロード・オブ・ザ・リング」三部作には大変恐れ入った。期待しなきゃウソだろう。それでも、これだけ「有力カード」が揃っていながら、僕はこの作品まったく食指がそそらなかったのだ。それはこの映画が、有名なベルギーの古いマンガ「タンタン」を映画化したものだから…だったのかもしれない。「タンタン」そのものは世界的にも有名なマンガで、その絵柄は誰もが一度は目にしたことがあるくらい有名だ。しかし、正直言って僕はそんなにこのマンガに詳しくないし、思い入れなどあろうはずもない。だからスピルバーグが「タンタン」を映画化!…などと言われてもピンとは来ない。しかも、スピルバーグ初のCGアニメというのがいけない。実はこれには僕なりの理由もあるのだ。そんなわけで全然見る気が起きない作品だったが、スピルバーグ作品となれば見ないわけにもいかない。本当に僕の予想通りだったかを確かめねばならない気もする。それなら後に残さないでサッサと見ちゃった方がいい…というわけで、劇場へと足を運んだ次第。

ないよう

 街角で似顔絵を描いてもらっている少年…彼は数々の特ダネをモノにしてきた有名な少年記者タンタン(ジェイミー・ベル)だ。その足下にいる白い犬は、タンタンの愛犬スノーウィ。しかしスノーウィはその場を荒らしまくっているスリに目をつけ、タンタンのそばからいつの間にかいなくなった。絵を描いてもらってからスノーウィがいないのに気づいたタンタンは、犬を探しているうちに骨董屋の出店で素晴らしい帆船「ユニコーン号」の模型を発見。虎の子をはたいて買い込んだところを、見知らぬ男にいきなり「売ってくれ!」と迫られる。しかし大のお気に入りで手に入れたばかりなのに、そうそう手放すわけにはいかない。しかし男は「この船を持っていると災いが降りかかるぞ」言い残して去って行く。さらにその男がいなくなった直後に、新たに人相の悪い男が現れて、またこの男も「船を買い取らせろ」と言ってくる。一体この船には何が隠されているのか。ともかく模型の船を自宅へ持ち帰り、タンスの上に飾る。ところがたまたま飛び込んできた猫とスノーウィが、大喧嘩を始めたもんだからたまらない。せっかくの模型は床の上に落ちて、大事なマストが折れてしまった。買ったばかりの模型が台無しになってボヤくタンタンだったが、実は折れたマストの部分から小さな金属の筒が飛び出して、転がり落ちてタンスの下に隠れてしまったことまでは気づかなかった。仕方なく図書館に出かけてユニコーン号の由来について調べてみるが、何者かが彼を見張っている気配で落ち着かない。そして家に戻ってみると、今度は模型そのものがなくなっている始末だ。「事件」のニオイをかぎつけたタンタンは、ユニコーン号の船長だったアドック卿の末裔が住んでいた城へと忍び込んでみる。するとそこには例の模型がちゃんと置いてあるではないか。ところがそこに現れたのが一人の男…それは昼間「船を買い取る」と持ちかけた2人目の男であり、現在はこの城の持ち主となっているサッカリン(ダニエル・クレイグ)だ。そして船の模型はよくよく見ると、まったく壊れた箇所のないキレイなシロモノ。どうやらタンタンの持っていたモノとは別物のようだ。そんなこんなでわが家へ戻ってみると、スノーウィがタンスの下から例の金属の筒を見つけてくれた。中には奇妙な詩が書いてある小さな羊皮紙が入っている。みんな、この羊皮紙を狙っていたのか? さらにいきなり家に押し掛けてきた男…街で模型を売ってくれと最初に言ってきた男…がそのまま家の前で銃撃されて死んだりとてんやわんや。国際警察から派遣されてきた双子のようにそっくりな二人組刑事デュポン&デュポン(ニック・フロスト、サイモン・ペッグ)が言うには、射殺された男は刑事だというではないか。ますますヤバイ感じだ。ところがそんなこんなしているうちに、タンタンはうっかり羊皮紙を入れた財布をスラれてしまう。おまけに何者かに捕らえられ、クルマに押し込まれて連れ去られてしまうではないか。ご主人様の危機に、スノーウィはクルマを必死に追跡。行き着いた先は波止場の貨物船の中。タンタンは船の貨物室に閉じ込められ、オリの中に入れられていた。案の定、彼を捕らえたのはサッカリンで、羊皮紙の行方を追っていたのだった。スノーウィの助けを借りて貨物室を脱出したタンタンは、サッカリンや彼に買収された船員たちの追跡をかわしながら、船内をあちこち逃げ回る。しかし船はすでに海の上。追いつめられて飛び込んだ船室には、この船を乗っ取られた哀れな船長がいた。この男こそ…かつてのユニコーン号の船長アドック卿の末裔、ハドック船長(アンディ・サーキス)ではないか!

みたあと

 冒険また冒険。先に書いたストーリーも、映画全体のほんの発端に過ぎない。そのくらい展開が早いのだ。だからある意味で「インディ」以上にスリリングな冒険アクションになっている。それだけで喜んでしまうお客さんもいるだろう。オリジナルの「タンタン」との比較ということでいえば、僕はまったくマンガの「タンタン」に思い入れがないし知らないので、違和感もヘッタクレもなかった。しかしオリジナルのファンからすれば、結構微妙なところではないだろうか。元々「タンタン」の絵柄はかなり単純なモノで、初期の手塚治虫にも多大な影響を与えたのは明らか。アトムがヒーロー化する以前の手塚作品のヒーロー・キャラである「ケン一少年」は、どう見たって「タンタン」の直接影響化にあることは間違いない。そんなキャラをここでは、リアル一歩手前のCG化によって、絵とも実写ともつかないテイストに変ぼうさせている。これはかなり見る人によって反応が異なってしまうタッチだろう。僕は先にも述べたように、オリジナル「タンタン」に思い入れがないので気にならなかったのだが…。

こうすれば

 僕は個人的に「タンタン」CG化には違和感を感じなかった。おまけに「インディ」真っ青の冒険アクションに仕上がっていて、お話の展開もスピーディー。ならば大いに楽しんで文句はないかと言えば…残念ながらこれが大ありと言わざるを得ない。そもそも論になってしまうが…僕が前々から言っているように、スピルバーグ作品の最大の魅力とは「実写映画をアニメ手法とタッチで描く」点にあった。その不自然さも含めて遮二無二実写で再現してしまうところが、スピルバーグ作品の真骨頂であったと言える。ところがそれをCGアニメで自由自在に作ってしまったら、確かにスピルバーグの意図を完璧に画面上に再現はできるだろうし、スピーディーでスゴイかもしれないが、言ってしまえば「単なるアニメ」でしかない。アニメで出来るようなムチャクチャなアクションやカメラワークを、ムリヤリ力づくで実写で再現してこそのスピルバーグ映画なのである。それがなければ、スピルバーグ映画って大して面白いモノじゃないのではないか? さらにこの映画、主人公たちのキャラクターがアホ過ぎる。映画の冒頭では、主人公タンタンの行動にはポカがありすぎ。船の模型を自宅に置いて外出。自宅に戻って模型が盗まれたことに気づくと「やっぱりな! 僕がバカだった」ってな台詞を吐くマヌケさ加減。台詞がまったくシャレになってない。主人公のドジを、すべて愛犬スノーウィが救ってやっている感じだ。ところがこれが途中でハドック船長が登場するや、アホ役はすべて船長に移行。これがまたやることなすことバカでドジ。笑わせるためにやっているのかもしれないが、程度が低くてまったく笑えない。ひょっとしたら原作のマンガでもそうなっているのかもしれないが、なまじっか中途半端にリアルCG化してしまったから、「これはマンガです」では片づけられない。ホントに見ていてイライラさせられるのだ。先日見た韓国のSF映画「第7鉱区」(2011)といい勝負のひどい脚本。3人がかりで書いている脚本は、確かに盛りだくさんな内容で見せ場もてんこ盛りだが、キャラクターの描き方はカスとしか思えない。正直言ってこんなに失望したスピルバーグ作品は初めてだ。こんなくだらない映画に何年もかけていたのか。これだけの映画人が本気で関わった作品で、これだけひどい結果というのはある意味で衝撃的だ。エンディングには露骨に続編制作を示唆しており、その続編はピーター・ジャクソンが監督するらしいが、悪いが完成しても見たい気が起きそうにない。やめたほうが身のためだと思う。

さいごのひとこと

 実写かマンガかハッキリしろ。

 

「ザ・ビッグバン!!」

 The Big Bang

Date:2011 / 12 / 12

みるまえ

 アルモドバル作品の大成功に乗ってアントニオ・バンデラスがハリウッドに上陸してからは、まさに破竹の勢いと言ってよかった。近年英語圏以外の外国出身俳優で、これほどハリウッドに根付いた役者もいないだろう。しかし、それもいつしか勢いが落ちて、最近ではまったくその名を聞かなくなってしまうアリサマ。一体どうしてるのか…と思っていた矢先に上陸したのがこの作品だ。映画館で見つけたチラシのタイトルは「ザ・ビッグバン!!」。明らかに昔のパルプ・フィクション系のイメージのビジュアルで、誰がどう見たってハードボイルド探偵映画だろうな…と思える雰囲気。案の定、バンデラスは私立探偵で、あるストリッパーの行方を探す仕事を頼まれたものの、いつしか事件に巻き込まれていた…というお話らしい。「ビッグバン」と探偵モノとが結びつかないが、おそらくはチャンドラーの「大いなる眠り」のタイトルのもじりだろうと察しはつく。チラシ全体に漂う安っぽい雰囲気と今のバンデラスが置かれた崖っぷちな雰囲気、元々彼が持っていたラテン男のフェロモンも相まって、イイ感じを出してそうな予感がするではないか。どうせA級大作でも傑作でもないだろうが、確実に楽しめそうな気がする。僕は結構それなりに期待して、劇場へと足を運んだのだった。

ないよう

 ここは警察の取調室なのだろうか。額から血を流しながら、私立探偵ネッド(アントニオ・バンデラス)が3人の刑事たちに尋問されている。その3人とは、クールなフライザー(トーマス・クレッチマン)、キレやすいポーリー(ウィリアム・フィクトナー)、温厚そうなスキアーズ(デルロイ・リンドー)といった面々。どうもネッドはポーリーにしたたかブチのめされたらしく、その時の影響で一時的に目が見えなくなっているらしい。しかしネッドは一向に不適な態度をやめず、ポーリーをイラ立たせ続けている。3人はネッドを盛んに問いつめているが、逆にネッドは「女は無事か? どこにいるんだ?」と尋ねるばかり。そんなネッドの問いに、3人の刑事は答える様子がなかった。仕方なくネッドは、彼らに事の発端から語り始めることにする。「それは、みなさんご存じの映画スターの事件から始まるのさ」…それは、スキャンダルに巻き込まれた映画スターから依頼された仕事だった。ところがネッドの捜査報告を聞いたスターは、逆上してとんだ大暴れをしでかした。当然の事ながら、スターのお屋敷に警察が押し掛ける。ネッドは嫌々ながら、警察の事情聴取に応じないわけにはいかなくなった。そんなこんなで徒労感でクタクタになりながら、自らの事務所に戻ってくるネッド。するとそこに、何となくオツムがニブそうな大男がやって来るではないか。この男は、元ボクサーのロシア人アントン(ロバート・メイレット)。この男はマフィアの仕組んだ八百長試合を引き受けたものの、頭の軽さから狂言を打つことを忘れ、倒されることになっていた相手を逆にブチのめしてしまった。そのためマフィアに散々な目に遭わされたという男。その「借り」はキッチリ返したことで、刑務所にブチ込まれる羽目となった。で、ここからがアントンのネッドへの依頼だ。刑務所に入ってから、彼はシャバの女と文通で交際を始めたという。そのストリッパーのレクシー(シエンナ・ギロリー)という女と本気で愛し合っていたのだが、彼が釈放になって出てみたら居場所が分からなくなっていた。そこで居所を探してほしい…というのが、アントンからネッドへの頼みだった。疲れ切っている真夜中にこんな依頼は、御免被りたいのが正直なところ。しかし今すぐにでも動き出さないことには、黙ってなさそうな大男アントンの剣幕だ。仕方なくアントンを伴い、まずはレクシーが働いていたという店へ。ところがここでアントンが大暴れしてブチ壊し。さすがにここからは自分単独で捜査する…と、アントンを帰すネッドだった。翌日、気を取り直してレクシーの身辺を洗い直すネッド。ポルノ映画を自作自演する監督(スヌープ・ドッグ)に、彼女のことを聞きに行ったりする。しかし後日、このポルノ映画監督は命を落とすことになるのだが…。捜査の過程で浮かび上がってきたのは、とんだお宝の存在。アントンは例のマフィアがらみの一件で3000万ドル相当のダイヤを手に入れていたが、その在りかを例のレクシーに打ち明けていたのだという。…となると、色恋沙汰よりもカネがらみか。とりあえずレクシーの住所に足を運んでみるネッドだが、そこにはレクシーの家などはなかった。ネッドはたまたまそこに通りかかった郵便配達人を拝み倒して、ここに来た郵便物が転送される先を聞き出す。転送先はニュー・メキシコ州のひなびた街、サンセレリタスだ。背後に常にぴったりとつきまとう謎のクルマの存在を感じながら、ネッドは一路サンセレリタスへとクルマを走らせる。するとその街には、問題の女だけでなく巨万の富を未知の化学実験に費やそうとする大富豪ケストラル(サム・エリオット)や、その実験に関わっていた科学者など、多彩な人間たちが絡む予想外の事態が待ちかまえていた…。

みたあと

 映画が始まると、いきなり取調室みたいなところでバンデラスが刑事たちにしぼられている。いかにも…な展開だ。対するバンデラスの不適な態度やセリフも、やりすぎな感じもするがハードボイルド映画らしいムード。バンデラスが醸し出す「安さ」も相まって、なかなか期待できる展開だ。その後はバンデラスの独白が流れながらの回想シーンという展開も定石ながらいい感じ。予想していた通りの滑り出しに、僕としては「当たり」の手応えを感じていた。正直なところ、少々バンデラスがカッコつけすぎ、キメすぎでわざとらしい気もするし、これ以上やったらハードボイルド映画の「パロディ」になりかねない…という気もするが、「ジャンル映画」をやってるぞというハッタリとしてはこれでもいいような気もする。まずはその後の展開に大いに期待だ。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ところがお話がニュー・メキシコに移って、風変わりな大富豪(サム・エリオット)が出てくるあたりになって、お話は妙な方向へと進んでいく。いきなりこの富豪が道楽で作った地下の研究施設へと連れて行かれた主人公は、そこで物理学がどうの…とかの訳の分からない珍問答を繰り広げることになる。それまでハードボイルドの定石と見せていたこの映画だったが、正直言ってこのあたりで僕はストーリーを見失ってしまい、体調不良もあって意識が飛びそうになった。仮に体調が万全だったとしても、このくだりではかなり退屈を覚えたんじゃないだろうか。そのくらい、この中盤は死ぬほど退屈な中だるみ状態だ。ところがそんな科学だ物理学だという珍問答に割って入るかのように、話の発端となったロシア人ボクサーが乱入。大暴れしたところで真相が判明して…というところで冒頭の「取調室」のくだりへと円環状に話が戻っていくあたり、なかなか脚本の構成は鮮やか。…ってなわけで、何だかホメたい部分とダメ出ししたい部分が交互に訪れるような不思議な展開となる。最後はちゃんと主人公が悪漢たちを出し抜いてやっつけることになるわけだが…問題はこの後。例の大富豪が地下で自前のプチ・ビッグ・バン(笑)を起こそうとしている(これがタイトルの由来)という、見ていて心配になるくらい得体の知れない設定になっているのだが、実は本当に問題なのはこの後の展開。最後はこのビッグ・バンが伏線になって、これを逆手にとって主人公が悪漢に勝利を収めるのでは…と思いきや、何とビッグ・バンは主人公の逆転大勝利にまったく貢献していないではないか(笑)。これには唖然呆然。ビッグ・バンまったく要らないじゃん。最後にこのビッグ・バンがとんでもない事態を引き起こすのにはビックリだし、そもそもハードボイルド映画だと思っていたらビッグ・バン…と来るから正直度肝を抜かれたのは確かだが、まるっきり取って付けたような要素に終わってるというのはいかがなものだろうか。ある意味で「ツリー・オブ・ライフ」(2011)みたいな衝撃(笑)だとも言えるが、これが事件解決に何ら貢献していないという時点で、完全に「トンデモ映画」と認定できるのではないか。無茶苦茶と言えば無茶苦茶だよな、この幕切れは(笑)。見ていた人も「何じゃこりゃ?」とたまげたのではないか?

みどころ

 バンデラスを取り巻くキャストが、トーマス・クレッチマンやらデルロイ・リンドー、シエンナ・ギロリーやらサム・エリオット…などなど、なかなか地味〜に豪華なのが見どころと言えば見どころ。前半のハードボイルドなハッタリ感もキライじゃないし、終盤のドンデン返しなどの仕掛けもなかなか楽しい。だから悪い映画だとは思えないのだが、わざわざ奇をてらったとしか思えない「ビッグ・バン」なんて出してきたことや、それが結局事件解決にまったく機能していないというのはいささか問題。SFでもあるまいしこんな素っ頓狂な設定持ち出してきて、しかもそれが事件解決や悪漢を倒すことと絡むわけでもないというなら、一体何でこんなモノを出してきたのか分からない。大体、ロシアン・マフィアやボクサーやストリッパーが出てくる話なのに、どうして最後に「ビッグ・バン」になっちゃうのか(笑)。あまり無茶過ぎて笑っちゃったけどね。「トンデモ映画」ファンとしては一件の価値はあったけれども…。

さいごのひとこと

 CGを使う映画になると思ってなかった。

 

「第7鉱区」

 Sector 7

Date:2011 / 12 / 05

みるまえ

 韓国のSF映画である。そう聞くと、韓国映画好きでSF映画好きの僕なら大喜びする…と、このサイトをずっと見てこられたような方ならそう思われるかもしれない。しかしねぇ…実は韓国映画とSF映画って、あまり相性がよくない感じなのだ。大昔の怪獣映画「大怪獣ヨンガリ」(1967)はともかくとして、「ブレードランナー」もろパクりの未来SF「ナチュラル・シティ」(2003)とか、CGは大健闘していたがアメリカ映画もどきの「D-WARS/ディー・ウォーズ」(2007)とかロクでもない映画ばかり。その中では…日本人としては作中で描かれる歴史観にいささか違和感を感じないわけにはいかないが…タイム・パラドックスSFの「ロスト・メモリーズ」(2001)が例外的に出来のいい作品ということになるだろうか。そもそも韓国映画自体が最近はヌルいイケメン映画やクサいラブコメ映画が主流になって、ソン・ガンホあたりが主演する一部の作品以外はスッカリ出来の怪しい作品ばかりになってしまった。だからイマドキの韓国映画じゃ、SF映画に限らずいい映画を探すのに一苦労なのだ。おまけにこの作品のイメージたるや…海底油田の採掘所に出現する怪獣と、それと戦うコワモテのヒロイン…予告編を見た限りでは、何だか「エイリアン2」(1986)と「アビス」(1989)を混ぜたような感じではないか。一体何なんだ、名画座のジェームズ・キャメロン特集みたいなその組み合わせは? おまけに、ジェームズ・キャメロンと来れば「アバター」(2009)、「アバター」と来れば「3D」…という安易な連想でもないのだろうが、この作品は韓国映画として珍しい3D作品だという。ますます出来映えが不安になってくるではないか。では、この作品見たくないのかって? SF、怪獣、3D…と来れば、このオレが見たくない訳がないだろう(笑)? おまけに今回、久々に韓国映画の大スター、アン・ソンギが出演しているというではないか。これはもう見るしかない!

ないよう

 東シナ海の海底深く、海底油田の採掘現場。潜水服に身を包んだ一人の男が、異変に気づいて調査に向かった。深海潜行艇の中では、彼の相棒が待機中。潜水服の男はそこでシーモンキーのような小さく美しい生物を見つけ、その美しさについ見とれていたのだが…。それから20年、同じ海域には「エクリプス号」という石油採掘基地が設けられ、職員たちが日夜石油の試掘に携わっていた。ここで働いているのは、隊長のインヒョク(パク・ジョンハク)率いるチームのメンバーは、愉快な男だがすぐにカッとするサング(パク・チョルミン)、その後輩のジョンユン(ソン・セビョク)、新入りのヒョヌ(ミンソク)、弱虫でオツムの軽いチスン(パク・ヨンス)、二枚目のドンス(オ・ジホ)、基地のドクターであるムンヒョン(イ・ハンウィ)、女性科学者ヒョンジョン(チャ・イェリョン)、そして男勝りの勝ち気な女性作業員ヘジュン(ハ・ジウォン)…などの人々。このヘジュンの恋人がドンスだったが、ヘジュンは彼に対して常に一歩も譲らないコワモテぶり。そしてチスンはどう考えても身の丈に合わないヒョンジョンに、懲りない求愛活動を続けていた。そんなある日、いくら掘っても石油を探り当てることができないまま、「エクリプス号」に本社から撤退命令が届く。ところがヘジュンは撤退を不服として、隊長を腰抜け呼ばわりしてまでここに居残ろうとする。それというのも…彼女の父親が20年前にここで石油を探して、事故にあって亡くなっていたから。彼女は意地でもここで石油を見つけて、亡き父の遺志を実現させたかったのだった。そんなこんなで多くの他のメンバーたちを撤退させるために飛んできたヘリコプターに乗って、ベテラン・キャプテンのジョンマン(アン・ソンギ)がやって来る。彼はヘジュンの父の友人で、問題の事故の時もここで一緒に働いていた。その当時から、ヘジュンを実の娘のように可愛がってきたのだった。さて、このジョンマンはオモテ向きは撤退をスムーズに実現するためにやって来たことになっていたが、実はその本音は違っていた。彼はこの基地に残ったわずかなメンバーで、最後まで石油を掘ろうと考えていたのだった。むろんへジョンは狂喜乱舞だ。根回しのあげく会社の許諾を得たジョンマンは、ここに残ったメンバーだけで石油採掘を再開。再び一同は精力的に動き始めた。ところがそんなある日、ヘジュンと共にボーリングの鋼管を見に行った新入りのヒョヌが、命綱の不具合で深海深く転落してしまうという事故が発生。基地内に設置された命綱のリールが何者かによって動かされ、止めていた命綱が緩んで落ちてしまったことが原因だと分かったが、では一体誰がこのリールを動かしたのか? 目の前の事故にどうすることもできなかったヘジュンは落胆。そんな彼女を慰めにやって来た科学者のヒョンジョンは、何かを彼女に語ろうとして口ごもった。ところがその夜、基地の高い鉄塔からヒョンジョンが転落死。たまたま例のチスンがヒョンジョンを追い回していたのを目撃されていたので、サングやジョンユンは犯人はチスンではないかと疑い出す。おまけにドクターのムンヒョンがヒョンジョンの遺体に精液のような粘液が付着していることを指摘したため、サングやジョンユンはチスンが犯人だと決めつけてしまう。いきり立ったサングとジョンユンは、チスンを捕まえると身柄を拘束。ところが今度はドクターのムンヒョンがいなくなり、後に壊れたメガネと血痕が残される。一体この基地では、何が起きようとしているのだろうか…?

みたあと

 映画が始まってすぐに、僕はちょっとイヤ〜なことに気づいた。この映画の舞台になっている海域って、ひょっとしてあの国とこちらの国との間でモメている、あのデリケートな海域に当たるのではないか? あんまりこういう事で映画を云々したくはないのだが、実際のところはどうなんだろう。しかし…それがこの映画の出来映えに影響したかと言えば、それはまったく関係ない。まったく関係ないくらい、この映画の出来映えは惨憺たるものだった。3D映画としては、それなりに飛び出して見えるから及第点と言っていい。そして怪獣のCGについても、なかなか見事と言っていい。初めての韓国純国産CGとのことだが、見た感じまったく遜色はない。しかしそんな事だけでイイ映画が出来るかといえば、それとこれとは話が別だ。「エイリアン2」と「アビス」のパクりかと言えば、ズバリまったくその通り。それに「ザ・グリード」(1998)だとか「ディープ・ブルー」(1999)だとかを部分的にイタダキ。加えてもうひとつオマケに言わせてもらえば、海上に浮かぶ石油採掘基地という設定は日本の「THE LAST MESSAGE 海猿」(2010)からいただいたんじゃないだろうか。3Dってのはそこからの発想もあるんじゃないか(笑)。そんなこんなで、あっちこっちのツギハギみたいな映画ではあるが、それでもちゃんと面白く作ってくれれば問題ない。問題なのは、映画としてまるで面白くなってないということだ。面白くなりそうなネタを散りばめていながら、一向に楽しませてくれない。3DやらCGやらというテクノロジーがいかに申し分なくとも、脚本と演出がダメなら映画ってのは面白くならないのだ。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 では、何がどう悪いかと言えば、やっぱり出てくる登場人物の造形が悪すぎる…ということに尽きる。出てくるヤツ出てくるヤツ、どいつもこいつもロクでもない連中ばかり。バカ過ぎてイライラさせる奴か、イヤな奴かのどちらかしかほとんど出てこないのである。新入りイジメをネチネチする性格の悪い先輩、考えもナシに瞬間湯沸かし器みたいに怒り出す単純バカ、ヒロインの恋人である二枚目は利口そうに見えて全く役立たずで、女性学者に片想いしていた男はちょっとオツムが足らないんじゃないかと思うくらい愚かだ。そしてヒロインに卑怯者だの腰抜けだのと罵倒される隊長はというと、実は頼りがいのある立派な男だったと思いきや、やっぱり卑怯者でした(笑)…というどうしようもないオチ。よくもまぁ、こんなにクズみたいなキャラクターばかり集めたものだと呆れ果ててしまう。だが、こいつらはまだいい。一番困ってしまうのが、ヒロインの魅力のなさ。「男勝りのパワフルな戦うヒロイン」を作りだそうとしたのだろうが、それってやたら気に入らない奴にキャンキャン吠えたり、自分の思い通りにならないとギャーギャー騒いだり、コワモテなツラしてフンぞり返ることで描けると思っていたのだろうか。明らかに狙いは「エイリアン2」のリプリーだと思われるが、一緒にしてもらっては困る。リプリーはオトナだがこちらはただのワガママなガキ。オモチャが買ってもらえないと店の前で転がって泣きわめくジャリと何ら変わりない。全然強くも何ともないクソ女なのだ。おまけに…すべての災厄を招いた張本人とはいえ、旧知の「おじさん」が怪物に足を取られて引っぱりこまれているのを、アッサリ無視して見捨てる後味の悪さ。演じるハ・ジウォンという女優の演技が方向性を間違えている…というより大根であることも含めて、このヒロインはタイの怪獣映画「ガルーダ」(2004)のヒロインとイイ勝負の映画史上2大最低ヒロインと言っていい。そんな奴らが怪物に痛めつけられようと殺されようと、見ていてヒヤヒヤしたり心配したり出来るか? ハッキリ言ってまったく心配などできない。早く死ねとしか思えない。それどころか、最もムカつくヒロインをだらしない怪物が殺せずにいるのに腹が立ってくる(笑)。もう何から何まで頭に来る映画なのである。やっつけてもやっつけても悪夢のように追いかけてくる怪物…となれば、本来この手のモンスター映画ならサービス精神のカタマリのような印象を受けるはずだ。あの手この手で観客を楽しませるショーマンシップとして、好ましく思えるのが本来だろう。ところがこの映画の場合、ヒロインはじめとする登場人物たちが愚か過ぎて、やっつけたと安心してはやられる…の繰り返しなのでイライラさせられる。主人公たちがあまりに学習しないので、「いいかげんにしろ」と怒りたくなってくるのだ。こっちはいいかげんウンザリして、「もうたくさんだ」と言いたくなってしまうのである。しかし、見ていてハラハラドキドキするより「頭に来る」ってのは、一体どんなSFホラーなのだ。ヒロインがアホなおかげで犬死にした奴までいるのだから、なおさら頭に来る。さんざっぱらデカい口叩いて偉そうな態度だったのに、このバカ女はまるで役に立たないからムカムカしてくるのである。このエラソーなヒロインさえ殺されれば、もっとスッキリして映画館を出られたのに…まったく残念だ。その他にも、何で単なる石油採掘基地に自爆装置システムが装備されているのか(笑)…とか、何で最初に死んだ女性科学者に「精液」もどきの粘液が付着していたのか(彼女は怪物によって殺された訳でもない)…とかお話は穴だらけで支離滅裂。脚本書いた奴は一体何を考えてるんだろうねえ。監督は実際の事件の映画化「光州5・18」(2007)を撮ってヒットを飛ばしたというキム・ジフンなる人物だが、こういうフィクションは苦手なのだろうか。いやぁ、そんな問題じゃない。それ以前の出来映えだろう。

みどころ

 そんなこの映画で見るべきモノがあるとすれば、素晴らしい出来映えのCG…と言いたいところだが、実はそこではない。もしあなたが古くからの韓国映画贔屓であった場合ならもちろん、最近見始めた方だったとしても注目していただきたいのが、ベテラン作業員役で出演している大ベテラン、アン・ソンギだ。韓国映画のニューウェーブが盛り上がった1980年代にバンバン主役を張って、韓国映画史に残る傑作「ディープ・ブルー・ナイト」(1984)をはじめとするこの時代の代表的な作品はすべてアン・ソンギ主演だったと言っても過言ではないほど。抜群の演技力と他を圧するカリスマ性で、韓国映画きってのスーパースターとして君臨していた。それが韓国映画がようやくメジャー化するや、いつの間にか主役の座から後退。「MUSA/武士」(2001)、「黒水仙」(2002)、「酔画仙」(2002)、「シルミド」(2003)…などで後輩に花を持たせながら援護射撃するようになった。中には久々に主演を張った「ピアノを弾く大統領」(2002)みたいな作品もないわけではないが、 ほぼ「重鎮」的な存在に徹していた今日この頃。特にここ何年かは出演作そのものが日本に来ないという寂しさで、僕も含めて長年のファンとしては非常に残念な思いを抱いていたのだった。そんなアン・ソンギが久々に日本のスクリーンに復活。やっぱり抜群の安定感で、本来だったらこの映画の一種の「悪役」でもあるはずの彼が…他の登場人物にロクな奴がいないこともあって、まるで善良で頼りがいのある男に見えてくる。内面の品格やら圧倒的な人間的魅力によるものだろうが、これを見るとやっぱり「大御所」扱いや「半引退」状態はもったいない。ぜひぜひまたまた映画にバリバリ出て、その勇姿を我々に見せてほしいものだ。そして、できればこんな映画には出ないでほしい。ホントにもったいないよ。

さいごのひとこと

 CG技術がまったくのムダ。

 

「明りを灯す人」

 Svet-Ake (The Light Thief)

Date:2011 / 12 / 05

みるまえ

 この映画のことは、劇場に置いてあるチラシで知った。最初はどこか知らない国の知らない映画作家が撮った、地味〜な映画だろうとしか思っていなかったが、よくよくチラシを読んでみてビックリ。何とキルギス映画の快作「あの娘と自転車に乗って」(1998)の監督の最新作ではないか! あの映画のことは、今でも強烈な印象がある。このサイトを始めた年に見た作品で、「大豊作」の印象が強かったあの年の作品の中でも注目すべき作品。何とこの年は「25年目のキス」(1999)、「ラン・ローラ・ラン」(1998)、「ノッティング・ヒルの恋人」(1999)、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998)、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(1997)、「ファイト・クラブ」(1999)…なんて作品が次から次へと公開されたんだからねぇ。そんな中で僕がこの年のベスト10の第2位に選んだ作品だったのだから、いかに高い評価を与えていたか分かる。だから今回新作がやって来たと知って、大いに注目せずにはいられなかったのだ。しかしながら僕は新作に期待しながらも、少々不安も抱いていた。それと言うのも…「あの娘と自転車に乗って」はこの監督の長編第1作だが、続く第2作もすでに僕は見ていたのだった。それは2001年の第14回東京国際映画祭に「The Chimp」という英語題のままで上映された「旅立ちの汽笛」(2001)という作品。当時付き合っていた女に「きっと面白いぞ」と断言して一緒に見に行ったのだが、これが何ともいけなかった。今となっては作品の記憶はカケラもないが、割と凡庸な青春物語だった上にメリハリのない展開で退屈。女にすっかりバカにされたようなことしか覚えていない。イタリアのトニーノ・グエッラが脚本に参加していたのもマズかったのだろうか。ともかく期待を裏切る出来映えだったのだ。そんなわけで、この作品は同じ監督の第3作。名前もロシア名のアクタン・アブディカリコフからキルギス名のアクタン・アリム・クバトに変えて心機一転。何となく今回は「いける」んじゃないかという予感がしながらも、前作の失敗もあって不安半分。何とか劇場まで足を運んだ次第。実はもっと前に映画は見ていたのだが、何だかんだと感想文を書けずにここまで遅れてしまった。どうも忙しくてねぇ…。

ないよう

 キルギスのある小さな村でのこと。手作りの小さな風車をいじくっている一人の男がいる。この男は「明かり屋」(アクタン・アリム・クバト)と呼ばれていた。電気のケーブルや電柱のメンテナンス、民家の電気修理まで手がける、いわば村の電気の「なんでも屋」だ。今日も今日とてある老人の家で、電気のメーターをいじくっている。しかし、これが実はマズかった。彼は電気代を払えない村人の家でメーターに細工をして、電気代をタダにしていたのだった。それがバレたら旧知のエセン村長(アサン・アマノフ)とて助けてはやれない。妻のベルメット(タアライカン・アバゾバ)の必死の抗弁も空しく、明かり屋は警察に連行されてしまった。ところが、時はキルギスの動乱の時代。首都では政権がひっくり返り、すべての状況が変わった。そんなわけで明かり屋も釈放。たらいで湯につかる明かり屋の身体を、妻のベルメットはいとおしげに洗うのだった。そんな明かり屋は4人の娘のお父さんであり、仕事をしていない時は女房に逃げられた親友マンスール(スタンベック・トイチュバエフ)とツルんでいる平凡な男だ。彼のささやかな楽しみは、自宅に立てた手作りのオンボロ風車。モノになるものやらどうやら分からぬ頼りなげな風車だが、これで風力発電を実現するというのが彼の秘かな野望なのだ。そんなある日、都会からテッカテカのスーツ姿で、ベクザットという男(アスカット・スライマノフ)がやって来る。この男、マンスールの親戚ということだが、成金臭がプンプン。胡散臭い側近の連中を連れて、国会議員に立候補すると意気盛んだ。そのための票欲しさにやって来たわけだが、エセン村長はそんなベクザットの動向にピリピリ。集会場に長老たちを集めて、「彼の口車には乗せられないように」と熱弁をふるう。明かり屋はそんなエセン村長のグチを聞きつつ、その健康を気遣うのだった。そんなある夜、マンスールと飲んだくれた明かり屋は、そのあげくにとんでもない事を言い出す。「オレには息子がどうしても出来ない。女房を抱いて、息子を作ってくれ」…いくら何でもそんな話には乗れない。マンスールは苦し紛れにいいかげんな事を口走る。「感電すれば、ホルモンの働きで息子が出来るよ」…するとそんなヨタ話を真に受けた明かり屋は、猛然と電柱によじ登って感電するではないか。大騒ぎになって村人たちも集まってきた。地上に降ろされた明かり屋は、毒抜きならぬ「電気抜き」のためか首以外の全身を地面に埋められる。そんな夢うつつの明かり屋の目に、やたら着飾った美女の姿が見え隠れするではないか…。その「美女」は、明かり屋が時折りおめかししてヒッチハイクで街へと向かう姿を目撃していた娘だった。そんな相変わらずの村の日々だったが、ベクザットの村詣では続く。エセン村長にも「オレが当選したらこの貧しい村を豊かにしてやる」と吹きまくる。しかし村長はそんなベクザットの魂胆などお見通しだ。「オマエはここを略奪するだけだ。ここは不毛の土地じゃない。人々が暮らしている土地だ!」と激怒する。ところがベクザットは、今度は明かり屋に目を付ける。彼が前々から抱いている風力発電の夢を聞き出し、彼の計画に力を貸そう…と一席ぶった。おまけにカネまでくれた。大喜びで家に帰った明かり屋は、妻のベルメットからカネの出どころを聞かれる。「ベクザットだ、いい人らしい」と無邪気に答える明かり屋のおめでたさに、ベルメットは呆れるばかり。そんな明かり屋はある老婆の家に電気工事にやって来て、例の「美女」の写真を見つける。彼女は老婆の孫娘で、貧しさから大学進学を諦めカネを稼いでいると言う…。それから間もなくのこと、エセン村長が亡くなった。彼がいなくなったことで邪魔者がいなくなったベクザットは、後任の村長に親戚のマンスールを推す。長老たちもそれを退ける理由もなく、マンスールはそのまま村長になった。そんな「村長」マンスールが、明かり屋に頼み事を持ってくる。中国の投資家を迎えるため、接待用のテントに照明をセットしてくれというのだ。手慣れた様子でセットを終えた明かり屋は、その接待の場所に同席させられる。ところがそれは単なる酒宴ではなく、「下半身の接待」も込みのもの。愕然とする明かり屋の前に現れたのは、エキゾチックなコスプレに身を包んだ、あの老婆の孫娘の「美女」ではないか…!

みたあと

 イイ映画の感想はみんなそうだが、この映画についても一言で済ませたい。素晴らしい! 僕は大好きだ。12年前の、「あの娘と自転車に乗って」の感激がすっかり戻ってきた。分かりやすい。ストレートで回りくどくない。シンプルだ。しかし、面白い。「あの娘と自転車に乗って」の時は監督の息子さんが主役で、なかなかみずみずしい演技を見せてくれた。しかし今回はアクタン・アリム・クバト監督自身が主役を演じて、これまた見事。どこかやんちゃで素直で子供みたいなところがある男を、魅力たっぷりに演じているのだ。彼を見れただけでも、この映画には価値がある。…というか、この映画を見る喜びの多くの部分は、彼の演技に負うところ大だ。この映画は見て良かった! もっと早く感想文をアップできればもっと良かった。もうほとんどの場所で上映が終わった今頃感想を出したところで、どうにもならないんだよねぇ。みなさんにこの映画の素晴らしさを早くお伝えできなくて、何とも申し訳ない気分だ。

みどころ

 …というだけで話を終わらせてもいいのだが、一応映画サイトなので余計な事をいくつか述べさせていただく。この手の珍しい国の映画は、欧米映画とは違う独特の風俗習慣、そして純朴さを味わう映画と相場が決まっている。確かにこの作品にもそういう点がない訳ではないが、そればっかりではない。この作品はシンプルな語り口ではあるが、この作品の最大の美点が「素朴さ」かというと、僕はちょっと違うのではないかと思うのだ。それは警察から釈放された主人公が、風呂で妻に身体を洗われているくだりを見ればすぐに分かる。他愛のないやりとりが交わされたすぐ後、主人公が入っていたたらいには誰もいなくなり、そこから濡れた足跡が寝室へと伸びている…。セリフひとつないのに、映像が何より雄弁に物語っている夫婦のラブシーン。この「洗練」ぶりはどうだ。これは、素朴なだけが売り物の「発展途上国映画」の「それ」ではない。物語巧者、映画テクニシャンだけが見せることのできる、計算され尽くした熟達の語り口なのだ。そして、終盤はさらに秀逸。主人公が都会から来た成金男の手下にボコボコにされるというアンハッピーな幕切れになるところを、彼が作った風車がクルクルと回り出して、細々ながら電球の灯がともるという鮮やかなエンディングへと転換される。いずれは新しい風も吹く、希望の灯もともる…という言葉にすれば陳腐な意味合いを、さりげない映像だけで語りきる。これぞまさに映画の醍醐味。これはハンパな映画作家には絶対にできない芸当だ。まだまだこの監督さんには、これからも傑作を期待していいようだ。

さいごのひとこと

 次の新作はもっと早く撮って欲しい。

 

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