新作映画1000本ノック 2011年11月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ヤクザガール/二代目は10歳」 「ワイルド・スピード MEGA MAX」 「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」

 

「ヤクザガール/二代目は10歳」

 

 (Yakuza Girl/A Yakuza's Daughter Never Cries)

Date:2011 / 11 / 28

みるまえ

 この映画の存在はチラシで知った。今、最も面白い映画を撮るロシアの監督として、セルゲイ・ボドロフのことは前々から注目していた。「コーカサスの虜」(1996)も素晴らしかったし「モンゴル」(2007)で浅野忠信を起用したのも驚いた。何よりこの2本でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたことも含めて、アートシアター系映画にとどまらない「ハリウッド」的な娯楽性を持っているのも気に入っていた。実際にこの人、アメリカ映画界にも関わりを持っているらしいし…。しかし…確かにアートシアター系映画にとどまらない…とは思っていたものの、まさか「ヤクザガール」なんて映画を撮ろうとは。主役の女の子をはじめ、日本から役者も連れてきての「ヤクザガール」。何となくチラシからは「トンデモ系」映画の匂いがプンプンしてくるのだが、大丈夫なんだろうか。そこは腐ってもセルゲイ・ボドロフだから、まさかどうにもならない映画は撮るわけないと思うが…。そんなわけで、期待半分、不安半分で見に行った次第。

ないよう

 まだ10歳のユリコ(荒川ちか)は、ヤクザ組織・山田組の跡取り。両親はヤクザ同士の抗争で命を落とし、今は山田組組長である祖父(六平直政)が大切に育てている。ロシア人の音楽の先生のおかげで歌とロシア語に秀でているだけでなく、祖父の仕込んだ武道でもオトナ顔負けの腕前を見せる。そんな彼女はある晩、祖父たちの前で敵方の男が切腹するのを目撃する。その光景に、ユリコは何やら不吉なモノを感じずにはいられなかった…。一方、遠く離れたロシアでは、何の因果かリョーハ(ヴァディム・ドロフェーエフ)という青年が刑務所にくすぶっていた。同じ刑務所には「大物」らしきヤクート(セルゲイ・ガザロフ)も入っていて、刑務所の所長はリューハに盛んにヤクートのことで密告するようけしかけていた。しかし、それはリョーハの流儀に反する。所長への協力を断ったリョーハは、まずい立場に追い込まれていった。おまけに、シャバに残して来た恋人への想いは絶ちがたい。ヤクートはそんなリョーハに恩義を感じて、脱走への道筋をつけてくれていた。途中まで掘り抜いたトンネルに入り、続きを掘り始めるリョーハ…。その頃、日本では、例の切腹の一件が災いして、山田組長の身に危険が迫っていた。ユリコを守ることを考えた山田組長は、彼女に部下をつけて飛行機に乗せてイタリアへと送り出す。その足で山田組長は、警察の取り調べを受けるのだった。ユリコはと言えば、悪天候で彼女の乗った飛行機がロシアに不時着。空港で出発を待っていると、どうも彼女の命を狙っているらしき追っ手がやって来るではないか。ユリコのボディガードとしてついてきた組員も、空港のトイレで殺された。危険を察知したユリコは、一人で空港から脱出する。しかし、どこにも行くアテはない。たまたま目についた日本食の店にやって来たユリコは、日本文化に憧れるイワノビッチという男の存在を知り、彼の力を借りようと決意。イワノビッチの住む海岸へとやって来る。ところがそこで出会ったのが、海岸に打ち上げられていた青年リョーハ。彼は脱出用トンネルを掘り進んで下水道に出たあげく、海に放り出されて溺れかかっていたのだった。ユリコの尽力と掘っ建て小屋から飛び出してきたイワノビッチ(ヴィクトル・スホルコフ)のおかげで、リョーハは息を吹き返す。イワノビッチはウワサの通り、武士道に心酔しているちょっと変な男。彼の導きでユリコはリョーハと行動を共にすることになる。まずはリョーハは例の恋人の元へ舞い戻るが、彼女は何とインド人の男と結婚していた。あんまりな展開に自殺まで考えるリョーハだが、ユリコの言葉に諭され、何とか思いとどまる。とりあえず落ち着く先としてやって来たのは、警察署長リョーハの叔父アントン(セルゲイ・ガルマシュ)の家。最初はいきなりやって来た厄介者のリョーハとユリコに、アントンの妻マルファ(イリーナ・ロザノヴァ)も不機嫌そのもの。しかしユリコの可愛さと礼儀正しさに、徐々に心を許していく。ところがその頃、ユリコの命を狙う敵の中田組の組長(山神佳誉)と部下たちが、ロシアの地で彼女の後を必死に追っていた…。

みたあと

 正直驚いた。2度もアカデミー外国語映画賞にノミネートされたセルゲイ・ボドロフが、こんな隙だらけのユルユルなコメディを作るとは。日本人を題材に映画を撮ったのは、てっきり「モンゴル」に浅野忠信を起用したことが引き金になったのかと思っていたのに…。ここに出てくる日本ならびにヤクザの描き方は、到底きっちりした日本理解をしようというモノではあり得ない。武士道とヤクザを混同しているのも、毎度お馴染みの「ガイジンの日本観」。見ていてとにかく唖然呆然。特にそれまでのセルゲイ・ボドロフ作品を知っている身としては、なおさらビックリせざるを得ない。セルゲイ・ボドロフが…セルゲイ・ボドロフともあろう者が、何でこんな映画を撮らねばならなかったのか。

みどころ

 ただしこの映画の日本理解がかなり「トンデモ」なのは、あえてやっている結果であることは明白。劇中に出てくる日本びいきのロシア人の描き方がかなりイッちゃってる設定であることからも、そのあたりは伺える。日本を茶化しているというよりは、日本をそういう風に理解しているロシア人を茶化しているというのが正しい。その上で、何でセルゲイ・ボドロフがこんな映画を撮ったのか…を深読みしてみると、まぁ、ボドロフなりの「キル・ビルVol.1」(2003)でも作りたかったのだろうかと思ってみるしかない。考えてみればボドロフが脚本に協力したアメリカ映画「サムバディ・トゥ・ラブ」(1994)には、タランティーノその人がゲスト出演したりしていた。だからボドロフもタランティーノと交流があっただろう。となると、彼なりの「キル・ビル」制作という発想もあったかもしれない…などと無理矢理考えてみたことはみたのだが、やっぱりこれも無理があるかなぁ。たぶん違うだろうな(笑)。

こうすれば

 そんな訳で、日本絡みの描き方に唖然としてしまうこの映画。しかしながら「トンデモ日本」描写以前の段階で、コメディというにはあまりにお寒いお笑いの連発に冷え冷えしてしまう。スベってるというレベルではない。ドタバタというかハチャメチャというか、泥臭いやら寒いやらで正直まったく笑えないのである。笑いのレベルは田舎芝居レベルでかなり低い。しかしこれを堂々とやっているということと、どこまでも「ロシア人から見た日本」の描写であることから、たぶんこの映画の笑いも「ロシア国内仕様」なんだろう。だから、外国人である僕には面白くもおかしくもないのか。このあたり、どちらかと言うと「国際派」だったセルゲイ・ボドロフが何でこんな国内仕様のコメディを撮ったのか、かなり疑問が残る。どうやら拝金主義や物欲ばかりが横行するイマドキのロシアに、日本的精神をぶつけて批判しようという意図は分かるのだが、逆にそんな意図がミエミエなあたりが興ざめとも言える。これも、これまでキッチリとした娯楽性ある映画を作ってきたボドロフらしくないのだ。…と思ってスタッフを見たら、この映画はボドロフ単独ではなくグカ・オマローヴァなる女性監督との共同監督ではないか。一体いかなる理由からこのようなコラボを行ったのか。作品の成立過程や作るに至ったモチベーションまで、ともかくナゾばかりが残る作品だった。

さいごのひとこと

 そんなに日本を買いかぶられても困る。

 

「ワイルド・スピード MEGA MAX」

 Fast Five (Fast & Furious Five)

Date:2011 / 11 / 21

みるまえ

 「ワイルド・スピード」(2001)を最初に見た時には、まさかこれが5作も続くシリーズ化されるなんて、思ってもみなかった。好評に応えての続編「ワイルド・スピードX2」(2003)は、何と問題作「ボーイズ’ン・ザ・フッド」(1991)でアカデミー監督賞候補にまでなったジョン・シングルトンの監督。これを「ワイルド・スピード」の格が上がったと見るべきか、ジョン・シングルトンの格が落ちたと言うべきなのか。まして第3作「ワイルド・スピードX3/TOKYO DRIFT」(2006)なんてのが製作されるに至っては、これでこのシリーズもさすがに終わりだろうと思わされたものだ。何しろ主人公が代わってしまった「外伝」モノになっちゃっていると聞いていたし、そもそも「がんばれ!ベアーズ大旋風」(1978)の例を見ても、シリーズものが日本に行っちゃったらシリーズ終了というのがお約束(笑)。ところがどっこい、「ワイルド・スピード」は終わってなかったから驚いた。第4作「ワイルド・スピード MAX」(2009)は、何と2作目から戦列を離れていたヴィン・ディーゼルまで復帰しての「軌道修正」。これはこれでこのシリーズのファンには歓迎すべきことだったんだろう。確かにそうなんだろうが…正直いって僕にはどうでも良かったというのが本音。1作目こそわがごひいきロブ・コーエン監督の作品だから見に行ったものの、別にクルマをすっ飛ばす映画にさほどの興味もなし。ヴィン・ディーゼルにしても「ワイルド・スピード」1作目や「トリプルX」(2002)あたりは上げ潮だったけど、「リディック」(2004)で足踏みしちゃったあたりで少々勢いが落ちていた。そこで焦って出世作「ワイルド・スピード」に戻ってきたんかい?…と、ちょっと冷ややかに見ていたのだ。そんなわけで僕は1作目だけは見ていたものの、その後の「シリーズ」作品はまったく見ていなかった。では…なぜ僕は今回、「MAX」の好評に乗って製作された「MEGA MAX」を劇場まで見に行ったのか? それはたったひとつの理由で片づけられる。「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソン! 僕にとって今一番ホットなアクション・ヒーローが、このシリーズに参戦したからに他ならない。僕がいかに彼に熱い視線を送っているかは「ファースター/怒りの銃弾」(2010)感想文をご参照いただきたいが、とにかくドウェイン・ジョンソンが出ていることが、僕がこの映画を見に行った最大の理由なのだ。

ないよう

 クルマを使った強盗団の首領ドミニク(ヴィン・ディーゼル)がついに逮捕され、護送バスで刑務所まで連行されることになった。ところが、護送中のバスが2台のクルマに襲われる。乗っているのは、FBI捜査官でドミニクとは因縁の深いブライアン(ポール・ウォーカー)とその恋人でドミニクの妹であるミア(ジョーダナ・ブリュースター)。アッという間にひっくり返るバスからドミニクを救出したブライアンとミアは、そのままハイウェイの彼方へと逃走した。それからしばらくのこと、ブラジルはリオデジャネイロの街にブライアンとミアが現れる。彼らが訪れた先は、ドミニクのダチの一人ヴィンス(マット・シュルツ)の隠れ家。ここでドミニクと落ち合おうというわけだ。そんなブライアンとミアは、逃亡生活でカネに困っていた。ヴィンスは彼らのフトコロ具合を察して、オイシイ仕事を提案する。それは走行中の列車から、運搬中のクルマ3台を頂戴するという仕事だ。そんなヤバイ仕事の話が進行する傍ら、ミアは自らの体内に新しい命が宿ったことを悟るのだった。さて「仕事」の当日、ブライアンたちは爆走する列車にトラックを併走させ、列車の側面をバーナーで焼き切って貨物室に侵入。そこにはグラマラスな名車が3台鎮座していた。これらはすべて麻薬取締局の押収したクルマで、当然のことながら列車には捜査官が同乗。早いとこ仕事を片づけないと、面倒な揉め事が起きることは必至だ。そこに、待ってましたのドミニクたちが合流。しかしドミニクは、事の成り行きが気に入らない。強盗団メンバーの一人ジジ(マイケル・アービー)の言動に不信感を抱く。ジジはクルマの中のフォード GT40に関心があるようで、ドミニクがそれをミアに委ねたことが気に入らない。そんなこんなで揉めているうちに車中の捜査官が駆けつけたが、ジジは彼らをその場で皆殺しにしてしまう。ますますもってこいつが気に入らないドミニクであった。そんなこんなで揉めている間に、ジジたちはトンヅラ。しまいにドミニクとブライアンは、列車から逃げる手段がなくなってしまう。間一髪で盗んだクルマで列車から逃れた二人だが、その直後、クルマは谷底に真っ逆さま。何とか川に落ちて事なきを得た彼らだが、岸にはおっかないお兄さんたちが待ちかまえていた。彼らが連れて行かれたのは、リオの裏社会を牛耳る「大物」のお屋敷。ジジはその大物ことエルナン・レイエス(ヨアキム・デ・アルメイダ)の手下だったのだ。レイエスは、二人から盗んだクルマの在処を聞き出そうとする。しかし彼らは隙を見て脱出、何とかヴィンスの隠れ家に辿り着く。それにしても、あの「大物」レイエスがクルマごときに必死になるのはなぜか? ドミニク、ブライアンとミアがクルマを調べてみるが、その理由が分からない。ところがその理由は、思わぬことで発覚した。何とヴィンスが、クルマからコンピュータチップをはずしていたのだ。これで一同の信頼を失ったヴィンスは、隠れ家から追い出される。彼がいなくなった後、このコンピュータチップを調べてみたらビックリ。何とレイエスの犯罪組織の全データが記録されている「ヤバいブツ」ではないか。道理でヤツが必死になるわけだ。これを持っているということは、レイエスの犯罪組織と全面戦争になることを意味する。さぁ、どうする? 一方その頃、列車での派手な大立ち回りが災いして、ドミニクやブライアンたちを捕らえようとアメリカから特別捜査官のルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)一行がやって来る。獲物には情け容赦ないホブスは、特別仕様の装甲車まで持ち込んでの「本気」ぶりだ。地元警察は「全面協力」を申し出るが、ホブスは南米警察の「協力」なんぞ信用していない。ただ腐敗しきった警察の中で唯一クリーンな新人女性警官エレナ・ネヴィス(エルサ・パタキ)には信頼を置いて、自らの片腕に起用する。そんなこんなで完全武装でドミニクやブライアンたちの隠れ家へと乗り込むホブスのチームだが、ちょうどその時…レイエスの部下たちがドミニクやブライアンたちのもとに襲撃をかけてきたではないか。そんなこんなで、敵味方入り乱れての激しい戦いの火蓋が切られたのであった…。

みたあと

 ハッキリ言って大味って言えば大味。しかしこういう映画に、キメの細かさを求めるのはヤボというものだろう。ぶっちゃけこの映画の出来はどうだと言えば、スカッと爽快で面白かったの一語に尽きる。何しろ映画が始まって数分も経たないのに、もうバス一台が派手に横転している始末(笑)。列車からクルマを盗み出すくだりのムチャクチャぶりといい、見せ場のひとつひとつが大げさで笑っちゃう。しかも「ワイルド・スピード」というタイトルにふさわしく大概がクルマが絡んだ見せ場でありながら、ただクルマが爆走するだけでない工夫が散りばめられているのが素晴らしいのだ。列車とクルマという前半の見せ場もそうだが、クライマックスの金庫をクルマで引きずりながらのアクションの豪快さたるや! でっかく重い金庫を街のあっちこっちにぶつけ、周辺を破壊しながら突っ走る。これって映像として画面に映されている状況はかなり大味ながら、実はただクルマで逃げているだけでないという点でなかなか細かい工夫だ。このあたりクリス・モーガンの脚本と台湾出身ジャスティン・リンの監督は、なかなか頑張っていると評価したいところだ。

みどころ

 この映画の後半で「一丁やったろうか!」とばかりに悪党の鼻をあかす作戦を展開することになって、主人公たちがお仲間たちをかき集めてガヤガヤやり出すあたりは、まるでジャン=ピエール・ジュネ監督のフランス映画「ミックマック」(2009)みたいに痛快。見ていて何となくワクワクしてしまった。僕はこのシリーズにずっと付き合って来たわけではないが、彼らがシリーズの過去の作品に出ていたらしい…ということは何となく分かるので、「チーム映画」としての面白みが感じられて楽しいのである。ところがそんなチームの前に立ちふさがるのが、最強ドウェイン・ジョンソン。主人公たちは悪党を相手にしつつ、このドウェイン・ジョンソンをも警戒しなければならない。これがこの映画を何倍にも面白くした。お話の構造がより強固になっただけでなく、そもそもドウェイン・ジョンソンという「したたかな個性」が主人公たちと対立する関係で登場するから、見た目の迫力も違う。これくらいおっかないヤツが出てこないと、とてもじゃないがヴィン・ディーゼルは止められないのである。そんな一触即発のディーゼルとジョンソンだが、映画の後半に素晴らしい場面がやって来る。悪党どもの罠にハマって部下がどんどん殺され、為す術もない状態のジョンソンのもとに、銃を撃ちまくって援護するディーゼルたちがやって来る。そのディーゼルがジョンソンの手をガッシと掴む瞬間たるや…映画ファンとしてはまさに至福の時。コワモテの二人だからこその、オレの目を見ろ何も言うな…的な名場面。その後、それまでの経緯は一時棚上げして、ジョンソンがディーゼル一味とコラボしての悪党撲滅作戦の痛快さもひとしお。このあたりの展開で、この作品は格がグッと上がった。これがあるから、単にクルマをバンバン走らせたり壊したりするバカ映画とは言えないのである。ラストにまるでマーベル製作のアメコミ映画みたいなエピローグが付いてくるが、これを見るとまだまだ「ワイルド・スピード」は続きそうだし、ドウェイン・ジョンソンの登場もありそうだ。これは楽しみだ。

さいごのひとこと

 馬鹿力映画に見えて頭を使ってる。

 

「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」

 Captain America - the First Avenger

Date:2011 / 11 / 14

みるまえ

 何度も何度も繰り返すようで気が引けるのだが、僕は正直言ってアメコミ映画が次から次へと生産される昨今の風潮にはいささか食傷気味である。そりゃ1本か2本時々製作されるならいい。しかし毎度毎度年に何本もやって来るとなると、ウンザリもしようというものだろう。アメコミでお馴染みマーベル・コミックスが自前の映画製作会社をつくってガンガン映画づくりに乗り出すなんて、僕には悪ノリとしか思えない。「アイアンマン」(2008)は面白くて好きだが、それ以外のマーベル原作の映画化まで付き合うなんてまっぴらゴメンだ。ところが「インクレディブル・ハルク」(2008)、「アイアンマン2」(2010)、「マイティ・ソー」(2011)などのマーベル原作映画は、エンディングにオマケみたいに「それぞれがつながってますよ」と言いたげな妙なエピソードを付けていた。いずれはこれらのヒーローが大集合する映画をつくる予定らしいが、「いいかげんにしてくれよ」と言いたくもなる。そして、その中に組み込まれる予定…と聞かされていたのが「キャプテン・アメリカ」なる「もう一人のヒーロー」だ。残念ながら僕はアメコミ界には詳しくないが、これぞ「元祖」アメコミ・ヒーローの一人らしい。コスチュームに星条旗をあしらったあげくに「キャプテン・アメリカ」なんてネーミングからして、どれだけ自惚れがひどいアメリカ人でもイマドキはさすがに鼻白んでしまうだろう。そんなわけで…この「キャプテン・アメリカ」は他のマーベル映画とは異なり、現代ではなく第二次大戦中を舞台に制作されると聞いていた。最初は超アナクロな映画かと辟易していたが、この映画の情報がいろいろ伝わって来るうちにだんだん気が変わってきた。何しろイマドキは、第二次大戦を舞台にした戦争映画そのものが少ない。だからこの映画には、ちょっとソソられるものがあったのだ。そんなわけで、期待するようなしないような気分で、僕はこの新作を見に行ったわけだ。

ないよう

 現代の北極。激しい吹雪の中で何人かの男たちが、氷に埋もれた「何か」を発見して興奮している。それは巨大な「乗り物」のようだった。その壁にバーナーで注意深く穴を開け、中に入っていく男たち。するとそこには…。さて、それから何十年も遡った1940年代のアメリカ。第二次大戦の戦火が全世界を覆っている中、アメリカもまた軍事色一色であった。街には若者が新兵を集めるべく、あちこちに審査所が設けられていたが、そんな中に何とも場違いな青年が一人。見るからにひ弱で小柄なその青年スティーブ・ロジャース(クリス・エバンス)は、「みんなと一緒に僕も戦いたい!」という志やよし。しかしその身体の弱さでは入隊許可のハンコをもらえるわけもない。今日も今日とて裏町に連れて行かれては、荒くれ者にブン殴られるアリサマ。それでも彼は一歩も退かず、かえって余計に殴られるようなハメになっていた。たまたまそこに親友バッキー・バーンズ(セバスチャン・スタン)が通りかかり、ようやく難を逃れたスティーブ。それでも彼はバッキーが近々前線に向かうと聞くと、自分も戦いたいと意気軒昂だ。そんな彼らは、ニューヨークで開かれている「スターク・エキスポ」へ。軍需産業で知られるスターク社が音頭をとって開かれた、最新技術を集めてのこの大博覧会に、バッキーとスティーブは女の子二人と連れだってやって来る。しかしながら女の子はひ弱なスティーブなんか眼中にない。スティーブもまた遊んでいるより「戦いたい」という気持ちを抑えることができない。そんなスティーブの様子を、たまたま通りかかった一人の男がじっと見つめていたのだが…。そしてスティーブは、エキスポ会場に設けられた新兵の審査所に足を運ぶ。結果はやっぱりダメ…と思いきや、いきなり部屋に先ほどスティーブを見つめていた男がやって来るではないか。この男アースキン博士(スタンリー・トゥッチ)は、スティーブに「チャンスをやる」と言った。アースキン博士の申し出に同意したことで、スティーブは晴れて入隊できることになったわけだが…。やはりというか案の定というか、とてもじゃないが他の新米兵士たちとのキツイ訓練についていけないスティーブ。そんな彼の様子を、アースキン博士の片腕として「特殊任務」に就いていた女性将校ペギー・カーター(ヘイリー・アトウェル)もハラハラして見守っていた。訓練の指揮をとっていたフィリップス大佐(トミー・リー・ジョーンズ)はまるっきりスティーブのことを買っていなかったが、アースキン博士は彼の心根の良さを高く評価。しかも思わぬところから度胸の良さも証明されて、彼は「特殊任務」の第1号の大役を仰せつかることになる。それはアメリカ軍が極秘に進めていた、「スーパーソルジャー」計画の第1号として実験の検体となること。その目的は、並はずれた体力・能力・生命力を備えた、超人兵士を作り出すことにある。その実験前夜、アースキン博士はスティーブを訪ねて、その真情を吐露した。博士は元々ドイツにいたが、ナチスの化学部門「ヒドラ」のリーダーであるシュミット(ヒューゴ・ウィービング)に目を付けられ、超人兵士をつくる研究をやらされるハメになった。その際にできた血清を奪ったシュミットは、自らにその血清を投与。その結果、超人になったことはなったが、恐ろしい副作用も出てしまった。その後、博士は何とかアメリカに亡命。そして新たな超人兵士計画にあたって決心したのが、「健全な心の持ち主を超人にすること」だった。博士は歪んだ心の持ち主だったシュミットが、血清によってさらに心を歪ませたことを教訓としたのだった…。そんなこんなで実験当日。骨董屋の地下に隠された秘密基地にて、アースキン博士の指揮、フィリップス大佐やペギーが見守る中、スティーブの超人兵士化の実験が始まる。ここで使われるさまざまな機器は、軍に協力してさまざまな装置を開発しているハワード・スターク(ドミニク・クーパー)が作り出したものだ。かくして実験スタート。モノモノしい装置にくくりつけられ、全身に血清を注射されたスティーブは、その直後に凄まじいエネルギーを照射される。実験室の装置から激しい火花が散り、処置は終了。装置から解放されたスティーブの肉体は…身長が伸びただけでなく筋骨隆々。見違えるような見事な肉体に変身しているではないか! ところがスティーブが感激に浸る間もなく、いきなりアースキン博士が何者かの銃弾に倒れた。見学者として基地に招かれていた者の一人が、敵のスパイだったのだ。この男は残された血清のアンプル1本を抜き取ると、慌ててその場を立ち去った。目の前で「恩人」を殺されたスティーブは怒り心頭。スパイを追いかけて地上へと飛び出す。スパイは今まさに、クルマに乗って走り去っていくところ。しかしスティーブには、いまや誰よりも強靱な肉体がある。おもむろに走り出したスティーブは、たちまちスパイのクルマを追い上げていく。スパイは港近くでクルマを乗り捨てると、隠してあった小型潜行艇に乗って脱出を図る。しかしスティーブはその潜行艇に追いすがり、スパイを捕まえて引きずり出してしまう。しかし岸に上げられたスパイは、持っていた血清のアンプルを破壊。自らも、奥歯に仕込んであった毒を噛んで自害した。こうしてスティーブは超人的な肉体を手にして「スーパーソルジャー」の実験は成功したものの、博士が死んで血清が失われてしまった今となっては、計画の存続は不可能になってしまう。しかしスティーブの大活躍は世間に知られることとなり、彼は思わぬかたちで軍に協力することとなった。すなわち、スーパーヒーロー「キャプテン・アメリカ」となって全国を回り、軍への入隊や協力を呼びかけるPRマンとしての活動である。連日連夜ショーガールたちと舞台に立ち、派手派手なコスチュームに身を包んでのショー三昧。世間はそんな彼に拍手喝采。さすがのスティーブも世間からヒーローと崇められ、まんざらでもない気分になりつつあった。そんな頃、前線に慰安巡業にやって来たスティーブのもとに、あのペギー・カーターがやって来るのだった。「あなたはそんなことのために志願したわけじゃないでしょう?」…。

みたあと

 単なるアメコミ映画…とバカにしながらも、結局何だかんだと毎回楽しまされてしまうマーベルのヒーロー映画。先日もあまり面白そうに思えなかった「マイティ・ソー」に、あのケネス・ブラナーを投入という予想外の荒技を使って来たから油断できない。しかしそれでも、いかんせん「キャプテン・アメリカ」だからなぁ。アメリカ人ならまだしも、我々外国人ではこれってシラケざるを得ないんじゃないだろうか。おまけにベトナムや湾岸戦争、イラク戦争を通過しての今日、こんな「世界の警察」を地でいくネーミングのヒーローについていけるのか。たかがアメコミ・ヒーローにいちいち目くじら立てても仕方ないとはいえ、さすがにこれはちょっとツライんじゃないのかと思った。コスチュームだって、星条旗が服着て歩いてる感じ。だから原作が最初に発表された当時…第二次大戦あたりを時代設定にしたんだろうが、それだってかなりキツイんじゃないのか。そんなこんなの懸念材料ばかりが頭をチラついて、この映画は難しいだろうと思わざるを得なかった。僕としては最初は単純に、イマドキ少なくなった第二次大戦中を扱った戦争映画の気分で見れたら…ってなことを思いながら見始めたわけだ。確かに「第二次大戦もの戦争映画」の気分はそれなりに味わえた。そういう意味では僕はソコソコ満足できたのだが、それ以上に…「キャプテン・アメリカ」という存在の醸し出すアナクロ感が、意外にうまく中和されるように出来ていたのが驚きだった。これはほとんど奇跡に近い脱臭ぶりだといえる。

みどころ

 この作品は、主人公が超人の肉体を獲得するくだりまでは、想像していた通りのどうってことのない展開だ。ところが主人公が「超人」化してから、物語はちょっと意外な方向に進んでいく。いきなりその肉体を武器に活躍していくのかと思いきや、実はそうはならない。彼は軍の広告塔というか一種のチンドン屋として担ぎ出されるのである。そのあたりの描写は、まるでイーストウッドの「硫黄島二部作」の前編「父親たちの星条旗」(2006)のようで、かなり当時の時代色も出していてリアル。あの時代のセンスと「総天然色」的な安ピカ感、ケバケバ感が充満。ショービジネス的な軽薄さも含め、いかにもアメリカらしい俗悪さの産物として、「キャプテン・アメリカ」というネーミングもあのコスチュームも描かれているのである。そして主人公自身も、その悪趣味さにいささか辟易しているように描かれている。これはなかなか巧みな作戦ではないか。この映画の作り手は、「キャプテン・アメリカ」という存在がアナクロで悪趣味なものであるということを、ちゃんと承知した上で作っている。このあたりのクールさに目を見張らされて脚本家の名前に目を向けると、何と「ライフ・イズ・コメディ!/ピーター・セラーズの愛し方」(2004)を手がけてあの「ナルニア国物語」シリーズに起用された脚本家チーム、クリストファー・マルクスとスティーヴン・マクフィーリーが書いているではないか。なるほどこのセンス…アメリカ人ではないから、このキャラをクールに見つめられる。多くのファンを抱える「ナルニア国」を映画に叩き直した手腕も、この作品を書くにはピッタリだ。そう言えば「ナルニア」の第3作め「アスラン王と魔法の島」(2010)の冒頭、エドマンドが年齢を偽って徴兵検査を受けようとして失敗するくだりは、何となく今回の作品における主人公の徴兵検査の場面に相通じるものがあるではないか。あるいは「キャプテン・アメリカ」脚本の執筆が、「ナルニア」の「アスラン王と魔法の島」脚本に何らかの影響かヒントを与えた可能性もある(「アスラン王〜」冒頭の徴兵検査のくだりは、原作にはない映画のオリジナル)。このあたりは非常に興味深い。また、敵をナチスドイツそのものではなく、ナチスの科学部門である「ヒドラ」にしたことも、物語のアナクロさを減退させた一因だと言える。いくらナチスが永遠の「悪」として認定されているからといえ、超人「キャプテン・アメリカ」がドイツ兵をギッタンギッタンにやっつけたりブチ殺したりしたら、さすがに見ていて退いちゃうのではないだろうか。その点、ここでの敵はナチスではなく「ヒドラ」だ。連中はすでに改造人間化していて、いくらやっつけても構わない。おまけに連中はすでにナチスそのものにも反旗を翻していて、地図にはベルリン攻撃の計画まで描かれているといった具合。挨拶ですら「ハイル・ヒトラー!」ではなく「ハイル・ヒドラ!」と、一貫してナチスドイツと「ヒドラ」が別物であることが強調される。これによって、お話が実際の現代史から離れることになり、「キャプテン・アメリカ」の持つ「アメリカの正義」的押しつけがましさや胡散臭さを薄れさせることにも成功しているのである。さらには「キャプテン・アメリカ」その人にクリス・エバンスという好感度抜群の俳優を得たことも、このキャラが俗悪なアナクロ・ヒーローにならずに済む原因になったかもしれない。「セルラー」(2004)で彼が見せた根っからの善良さは、今回も十二分に発揮されている。そんな二重三重の保険をかけることで、今回の「キャプテン・アメリカ」は現代に通用するキャラクターたり得ているのである。実にうまい作戦だ。そして監督が「遠い空の向こうに」(1999)、「ジュラシック・パーク III」(2001)、「オーシャン・オブ・ファイヤー」(2004)のジョー・ジョンストンというのもいい。キッチリと娯楽映画として楽しませるサービス精神もさることながら、この人の映画はいつもキャラクターに血が通う。そのあたりも、この作品が好感の持てるものになった理由だろう。「キャプテン・アメリカ」なんてアホなタイトルの割に、意外なくらい楽しめた。

さいごのひとこと

 フセインをやっつけなくて良かった。

 

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