新作映画1000本ノック 2011年8月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「シャンハイ」 「この愛のために撃て」 「モンスターズ/地球外生命体」 「ふたりのヌーヴェルヴァーグ/ゴダールとトリュフォー」 「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」

 

「シャンハイ」

 Shanghai

Date:2011 / 08 / 29

みるまえ

日本を抜いて今やGDP世界第2位、オリンピックも万博も成功させた中国だから、ハリウッド映画にもあの手この手で中国ネタが出てくる。アニメの「カンフー・パンダ」(2008)なんてのもその一変形だろうが、そんなアメリカ人の注目ぶりをカタチにしたような映画がこの「シャンハイ」。この映画が制作されていたことはニュースで知っていたし、そこに日本からも渡辺謙、菊池凛子という「国際派」俳優たちが参加していたことも知っていた。主演はジョン・キューザックだが、そこに絡むのはコン・リーとチョウ・ユンファという「中華圏」の2大スター。映画ファンとしては興味ある顔ぶれ…というべきなんだろうが、何となく僕は「見たい」という気持ちにはあまりなれないままだった。それでも公開1週間で劇場に足を運んだのは、長年のジョン・キューザック・ファンだったからだろうか。

ないよう

 暗い取調室で、日本軍兵士たちにいたぶられている一人のアメリカ男性がいた。彼の名前はポール・ソームズ(ジョン・キューザック)。ソームズは拷問された後、ある部屋へと連れて来られる。そこには日本軍のタナカ大佐(渡辺謙)がいた。「女の居場所はどこだ?」と執拗に尋ねるタナカ大佐。それに対して知らぬ存ぜぬを繰り返すソームズの脳裏に、すべての発端となった出来事が蘇ってくる…。それは1941年のこと。欧州ではドイツが各地を侵略し、アジアでは日本が覇権の魔の手を広げている時代。さまざまな国の人々がそれぞれの「租界」を形成しながら危うい均衡を保って共存していた街、それが上海だった。もちろんその中でも羽振りがいいのは、中国大陸を徐々に支配下に置き始めていた日本だった。そんな一触即発な雰囲気の上海に、ソームズがやって来る。彼はむろん「ただ者」ではなく海軍の諜報員。その前にはベルリンで活動していた時と同じく、新聞記者という肩書きでこの街にやって来た。やって来て早々、「ベルリン人脈」であるドイツ領事館付きの技師の妻レニ(フランカ・ポテンテ)とお近づき。しかしそんなソームズの目の前で、早速、日本軍によって行われる中国人レジスタンス狩り。これにはソームズもいきなり緊張せざるを得ない。そんなソームズはまず、前からこの街に潜入していた諜報員で親友のコナー(ジェフリー・ディーン・モーガン)と会う約束をしていた。そのコナーは日本人租界の片隅で愛人と密会。しかしその愛人スミコ(菊池凛子)と別れてすぐに、彼女の見ている前で何者かに殺されてしまう。そうとは知らぬソームズは、コナーと約束していたカジノにやって来る。するとそこに、人目を惹くひときわゴージャスな美女がやって来るではないか。その女アンナ(コン・リー)とポーカーで対決したソームズは、見事に完敗。一勝負してサッと引き揚げてしまう彼女に、ソームズは大いに興味をそそられる。それは彼女の女としての魅力もさることながら、彼女が不審な人物と密かに接触していたことに気づいたからだった。さて、その足でアメリカ領事館へと向かったソームズは、その場で海軍情報部のアスター(デビッド・モース)と初顔合わせする。しかし、そこでソームズを待っていたのはアスターだけではなかった。こうしてコナーの亡骸と対面することになったソームズは、親友の敵を討とうと心に決める。そして、コナーが日本軍に協力する暗黒街のボス、アンソニー・ランティンの身辺を調べていたと聞かされるのだった。そんな折りもおり、あのレニからドイツ領事館でのパーティーに招待され、早速出かけるソームズ。そこでソームズは、問題の大ボスであるランティン(チョウ・ユンファ)と親しげに語り合う日本軍情報部のタナカ大佐と対面し、さらにあのカジノで出会ったアンナという女と再会する。しかしアンナは、実はランティンの妻だったのだ…。

みたあと

 まぁ、現代史を背景に異国を舞台にしたスパイ活動と男女の愛を描いたこの手の作品といえば、あの「カサブランカ」(1942)あたりを筆頭に枚挙にいとまがない。中にはグレアム・グリーン原作の映画化である「愛の落日」(2002)みたいな優れた作品もいくつかあるが、今回の作品はズバリいって中国版の「カサブランカ」的メロドラマ…そんな作品以上の何者をも狙ってはいないだろう。ジョン・キューザックの衣装などを見てもそんなイメージを強く感じる。例えば題材的に類似の作品としては、日本占領下の上海を舞台に、対日協力者の中国人とスパイ活動を描いた「ラスト、コーション」(2007)とか、この映画にも出ているチョウ・ユンファ主演で上海陥落を背景にしたアン・ホイ監督作品「傾城之恋」(1984)などという作品もある。それどころか、テーマ的にも完全にモロかぶりと言っていいジェームズ・アイヴォリーの「上海の伯爵夫人」(2005)なんて作品まである(この作品には真田広之演じる、怪しげな日本の諜報員まで出てくる)。しかし…こう言っては申し訳ないが、今回の作品はそこまで「志」が高くない(笑)。あくまで大メロドラマとして描こうとしている。退屈はしないガッチリした大作にはなっているものの、正直言ってハッと驚かされる部分はまったくない。そして狙いが「カサブランカ」あたりにあるせいか、どうしてもどこか「古色蒼然」とまでは言わなくても、鮮度の低さを感じさせる映画になってしまった観は否めないところ。上映時間は105分と2時間を切っているのに、なぜか印象は長く鈍重な感じなのである。

こうすれば

 確かにジョン・キューザックを取り囲む面々はアジアを中心にした豪華キャストではあるが、例えば「SAYURI」(2005)あたりからハリウッド出演を重ねて来たコン・リーであったり、ハリウッドで主演作もいくつかこなしてきたチョウ・ユンファだったり、「インセプション」(2010)あたりでは堂々たる押し出しでハリウッド映画に出てきた渡辺謙、「バベル」(2006)以後は海外出演相次ぐ菊池凛子、さらには「ラン・ローラ・ラン」(1998)で世界的に知られてハリウッド出演も数多いドイツのフランカ・ポテンテとか…いずれもハリウッドでお馴染みの非アメリカ人俳優「どまり」であるあたりが「限界」といえば限界かも。そんな意味でもこの作品は、当然ながら「ハリウッド大作」の「メロドラマ」の域を出ていかない。出ていかないなら出ていかないで構わないのだが、そういう「ジャンル映画」の形骸化して陳腐化したルーティンをなぞっているだけの範囲に留まり、驚きも新たな活力も感じられないのはマズイのではないか。やはりジョン・キューザック主演で恐怖映画「1408号室」(2007)にいい味出していたミカエル・ハフストローム監督、今回はちょっと勝手が違ったようである。おまけにディティールは意外に雑で、劇中で主人公ジョン・キューザックはフランカ・ポテンテ扮するドイツ人の人妻に正体を見破られるが、それが物語の中でサスペンスや伏線としては全く活かされず、そのまま放置され切り捨てられてしまう。このあたりの大味さ加減も含めて、今回の作品はかなりセットなどにもお金がかかっていながら、全身に血が回りかねているようなニブい感じ、元気のなさを感じる。元気がないと言えば菊池凛子で、出番が極端に少ない上に、出てきたら出てきたでロクにセリフもなくグッタリ具合が悪くなっているだけ…という情けない役。あの顔色悪そうな個性だけを買われての出演なんだろうか。いくら「国際派」といっても、海外の仕事でももうちょっと選んだ方がいいんじゃないだろうか。

みどころ

 先にも触れたようにおそらく「カサブランカ」系の作品を狙っていたはずなので、キューザックもコン・リーもあくまでカッコよく描かれている。特にキューザックはなかなかダンディに撮られているので、彼のファンである僕としては、個人的には満足。コン・リーも「マイアミ・バイス」(2006)やこの作品あたりでは完全にハリウッドのゴージャスなスターって感じで、その堂々とした雰囲気に驚かされた。笑っちゃったのはチョウ・ユンファで、全体的には作品の中でのパセリみたいな役どころだったのに、終盤になっていきなり拳銃を持ち出したらとたんにイキイキ(笑)。それまでのヌルさとの落差の大きさに唖然としたが、撃ち合いがすぐ終わっちゃって残念だった。チョウ・ユンファも今回の作品といい「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」(2007)といい、近年はハリウッド大作の中での「重鎮」的…と言えば聞こえがいいが、実際にはパセリやナルトみたいな役割を担わされることが多い。しかしいくら大作でもそんなつまんない役を演じるより、小粒でもいいからイキのいい映画での主役でも演じた方がいいんじゃないだろうか。役者としてすごく残念な気がするのだが…。

さいごのひとこと

 チョウ・ユンファに二丁拳銃を持たせたかった。

 

「この愛のために撃て」

 A bout portant (Point Blank)

Date:2011 / 08 /29

みるまえ

 この映画のことは、タイトルだけでなく存在そのものを知らなかった。最近思うように映画館に足が運べてないこともあり、チラシなんぞも見ていなかった。そもそもチラシもあちこちに置いてなかったんじゃないか。仮にあったとしても、知らない出演者、知らない監督、そこへ来てタイトルが「この愛のために撃て」…これじゃあ注目したくたって注目しようがない。だから僕はこの映画があるってことすら知らなかった。そんなある日、新聞の映画上映時間が載っているページに、ちっこいちっこいこの映画の広告が載っていたのだ。僕もたまたま目に留めたものの、見落としていたって不思議じゃない。それだけならすぐに忘れてしまったはずだが、たまたまウチのサイトの掲示板にこの映画をホメた書き込みがあったため、一気に僕は関心を寄せたわけ。偶然にあのちっこい広告を目にしてすぐにこんな書き込みがあるってのも、これはこれで何かの縁というものだろう。そんなわけで、こんなタイトルの映画にはまったく似つかわしくない渋谷ユーロスペースまで、この映画を見に行った次第。

ないよう

 それはある晩のことだった。慌ててビルから飛び出してくる男…サルテ(ロシュディ・ゼム)を、二人の男が追いかけてくる。サルテは必死に逃げているが、どうやら腹を撃たれているようだ。携帯で待機中の仲間を呼びだし、クルマを近くまで寄せて欲しいと頼むサルテ。しかし追っ手の二人はすぐそばまで迫ってきた。トンネル内でいよいよ危ない…という瞬間に思いもかけないことが起きる。何とサルテは追っ手二人の目の前で突っ込んできたバイクにはね飛ばされ、アッという間に周囲は人だかり。これでは追っ手もヘタに手出しが出来ない。サルテの仲間もクルマでそのすぐ前まで来ていたが、その光景に引き返さざるを得なかった…。さてその頃、自宅で幸せを噛みしめているカップルが一組。ずんぐりむっくりな人の良さが取り柄のサミュエル(ジル・ルルーシュ)とスペイン人の妻ナディア(エレナ・アナヤ)。ナディアのお腹には二人の赤ちゃんがいて、今にも飛び出してきそう。それでなくても優しいサミュエルは何かと心配してナディアにアレコレ言うので、ナディアは苦笑しながら持て余し気味だ。そんなこんなで出産の時を心待ちにしながら、今日もサミュエルはご出勤だ。サミュエルの職場は病院。彼はそこで看護士助手として働いている。もちろん子供が産まれるのに備えて、正規の看護士になるための勉強も怠らない。今日の「お客」はといえば、つい先ほど運ばれてきたバイク事故の被害者。しかも腹を撃たれているというオマケつきだ。そう…先ほどのサルテがこの病院に担ぎ込まれてきたのだ。さて、サミュエルはこの夜当直だったのだが、ちょっと目を離した隙に病室に怪しい男が入っているではないか。「何をやってるんだ?」と叫んで駆け寄ると、男は慌てて病室から飛び出す。見るとベッドのサルテの鼻と口にくくりつけられていた酸素マスクの管が、刃物で切り裂かれているではないか。慌ててサミュエルはサルテに応急処置を施し、同僚の応援を呼ぶのだった。やがてその場に警察がやって来る。捜査チーム率いる女刑事ファーブル(ミレーユ・ペリエ)は、朝っぱらからゴキゲン斜め。というのも、大物実業家が殺された事件でベテラン刑事ヴェルネール(ジェラール・ランヴァン)が捜査に乗り出した…と聞いたから。「大事件」と来るといつも独り占めみたいにヴェルネールがシャシャり出るというお約束のパターンに、ファーブルは苛立ちを隠さない。それはともかく、サルテ殺害未遂の捜査にやって来たファーブルは、サミュエルに男の人相特徴を尋ねる。とっさの事で覚えていなかったサミュエルだが、「何か思い出したら連絡を」…と、ファーブルは自分の名刺を渡して去っていった。ところがそんなサミュエルが自宅に戻った時、事件が起きた。部屋に入ると荒らされたような形跡があり、慌てて中に入っていくと何者かがサミュエルの頭を殴って気絶させてしまう。それからしばらく意識を失っていたサミュエルだが、携帯電話の着信音で目が覚めた。電話に出てみると、「オマエの女房をさらった」という男の声と背後では妻ナディアの泣き声が聞こえる。そして男は、サミュエルに例のサルテを連れ出せ…と指示を出してくるではないか。ナディアを押さえられている以上、この脅しに逆らえるわけがない。もはや選択の余地がないサミュエルは、慌てて病院にとって返す。ところが例の一件以来、サルテのベッドには刑事の見張りつき。そこをレントゲンを撮らねば…とベッドごと連れだそうとウソをつくサミュエル。すると刑事もついてきて、サミュエルは絶体絶命だ。ここで知恵を絞ったサミュエルは、サルテの横たわるベッドをエレベーターに入れて、刑事と一緒に乗り込んだ。そしてサミュエルが向かったのは、この病院の最上階。到着してドアが開いてみると、そこはまだ改修工事中ではないか。刑事が異変に気づいた時にはサミュエル大暴れ。何とか刑事を気絶させたと思いきや、今度は寝ていたはずのサルテが起き出してサミュエルに抵抗してくる。そこを刑事から奪ったばかりの拳銃で脅して、何とかサルテに言うことをきかせるサミュエルだった。こうして苦心惨憺、何とか病院を抜け出したサミュエルとサルテだったが…。

みたあと

 これには正直驚いた。「この愛のために撃て」なんてヌルいタイトルがついているのに、知らない連中がつくったパッとしないフランス映画だったはずなのに、お高くとまった渋谷ユーロ・スペースで上映されている作品なのに…この映画は何と驚くなかれ、ストレートなアクションサスペンス映画だったのである。確かにウチの掲示板でオススメしてくださった人も「アクション」だとは言ってたが、ここまで純粋に娯楽アクション映画だったとは。もうちょっとタルいフランス映画を想像していた僕は、このムダのないアクション映画ぶりにビックリ。イマドキ、アメリカ映画だってもっと贅肉ついてるよ。この映画はほとんどタメの部分とか味の部分とかを削ぎ落とし、ひたすらアクションで話を展開させていく。上映時間は1時間半さえ切っている85分と聞けば、そのムダのなさがお分かりいただけるだろうか。おフランス映画だと思って上映した渋谷ユーロスペース、完全にダマされたな(笑)。

みどころ

 題材的には同じフランスでも大味派の代表リュック・ベッソンの「96時間」(2008)を彷彿とさせるノンストップ・アクション、孤立無援サスペンスだが、その印象は大きく異なる。「96時間」のリーアム・ニーソン扮する主人公は、元々が特殊工作員上がりで捜査と戦闘のプロ。だから孤立無援と言っても危なげない。どっちかと言えばシュワの「コマンドー」(1985)みたいなものである。それに対してこちらはと言えば、何も特殊技能を持っていない、人の良さだけが取り柄みたいな男が主人公。体力も知力も人並みで何のスキルもない。そんな男が何とかかんとか生き残って、奪われた妻を取り戻すまでが描かれているのが新鮮味だ。彼が事件に巻き込まれてから解決に至るまで、何ら特別なことや不自然なことを起こさずに話を運んでいるところが優れているのである。これは大変だったんじゃないだろうか。何カ所か「アッと驚く」趣向を盛り込んでいる工夫も含めて、これはなかなか巧みな脚本ではないか。監督・脚本のフレッド・カヴァイエのことはまったく知らなかったっし、デビュー作「すべて彼女のために」(2008)で脚光を浴びた…などと劇場パンフには書いてあったが、そんな作品の存在すら知らない(笑)。しかしながら、この人の娯楽映画作家としての腕前はかなりのものだ。早くも次回作が楽しみだと言える。驚いたのは、女刑事役の女優さんをどこかで見た…と思っていたら、レオス・カラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」(1983)やエリック・ロシャンの「愛さずにいられない」(1998)に出ていたミレーユ・ペリエだったこと。かなり老けて見えたのがショックだったのだが、考えてみればそれだけこっちもトシくっていたわけだ。彼女が老けているのも当然なのである。

さいごのひとこと

 フツーの奴を勝たせる方が大変。

 

「モンスターズ/地球外生命体」

 Monsters

Date:2011 / 08 / 29

みるまえ

 「モンスターズ」である。まさにミもフタもないタイトルだ。だが、僕はこのジャンルの作品が死ぬほど好きと来ている。だからこの映画のチラシを目にした時、瞬間的に「絶対見る!」と思ってしまったのだ。駄作でも何でもいいから見たいのだ。しかもチラシを見る限りでは、低予算だが素晴らしい出来栄えで、映画祭などでの受賞も数知れずという。おまけに監督のギャレス・エドワーズが、ハリウッドが性懲りもなくまたリメイクする「ゴジラ」の監督に抜擢されたというではないか。「ゴジラ」リメイクの件は「またかよ?」とウンザリもさせられるが、これほどの大抜擢はかなりの注目株だということだろう。おまけにこの手のジャンルの作品はカネよりアイディアの部分が大きいから、低予算で面白い映画をモノにしたというのはポイントが高い。今年は「スーパーエイト」(2011)、 「スカイライン/征服」(2010)、「世界侵略ロサンゼルス決戦」(2011)…と宇宙から物騒な連中が次々やって来るが、この「モンスターズ」もその仲間か。ここはやっぱり見ておかねばならないところだ。

ないよう

  何年か前のこと。NASAが地球外生命体の存在を確認。無人探査船を打ちあげて、生命体の捕獲を試みた。その結果は成功だったが、探査船が大気圏内に突入する際にトラブル発生。メキシコ上空で消息を絶って墜落してしまった。メキシコで問題の地球外生命体が大発生したのは、それからまもなくのことである。こうしてメキシコの約半分の地域は「制限区域」として一般人の居住や通行を制限。アメリカとの国境も巨大な壁を構築して、完全にシャットアウトされるようになってしまった…。そんなある日の真夜中、人けのない街並みを1台の米軍の装甲車が駆け抜ける。民間人男女1組と彼らを守るための兵士たちを乗せて、装甲車はひた走る。気分がハイになった兵士はワーグナーの「ワルキューレの騎行」を口ずさみ、「これが俺のテーマソングだ」とわめく。同僚兵士もそんな興奮状態の中で、「誰でもテーマソングが必要だよな」などとつぶやく。ところが、そんな一団を乗せた装甲車が何者かの攻撃を受けて横転。乗っていた兵士たちは路上に散らばり、アッという間に臨戦態勢だ。彼らに攻撃を仕掛けてきたのは…近くのビルの上にフワフワと漂う、まるで巨大なタコのような異様な生き物。それはこの世のものとも思えない光景だった…。さて、ここで話変わって…危険な潜入ルポをモノにしようとメキシコを訪ねていたアメリカ人カメラマンのコールダー(スクート・マクネイリー)は、雇われている新聞社から突然連絡を受ける。それは何とも面倒くさい話だった。なぜか新聞社社長の令嬢がこの地を訪れてケガをしてしまったらしいので、病院で引き取って帰国の手はずをつけろというのだ。そんな話を電話で受けてウンザリしたコールダーではあるが、上からの命令とあらば仕方がない。言われた通り街の病院に行って、治療を受けている問題の娘さんサマンサ(ホイットニー・エイブル)と落ち合う。このお嬢さん、なぜか手をケガして入院していたのだが、一体何のためにこんな街くんだりまでやって来たのが一切不明。ただ、コールダーも事をサッサと済ませたいので、彼女を連れてサッサと街を離れることにする。駅ではサマンサがアメリカの父親に電話を入れるが、この親父はコールダーを電話に出せ…と指示。こんなテンヤワンヤの状況下なのに上から目線の命令口調に、コールダーはウンザリする始末だ。こうして無事に何とか列車に乗れた二人。長い道中ともなれば、初対面でも話をしないわけにいかない。ポツリポツリと重い口を開いたサマンサの言うことには、彼女には本国アメリカに彼女の帰りを待つ婚約者がいるとのこと。そんな婚約者がいながら、なぜ彼女はこんな危険な場所にやって来たのか? 二人には一体何があったのか? しかし、そこからは野暮な話なので深入りはしないコールダーだった。しかし突然列車は停車。なにやらトラブルがあったらしく、列車は目的地を前に引き返すことになってしまう。仕方なく列車から降りた二人は、そこからは徒歩でウロウロ。途中である民家にお邪魔して、夕食と一夜の宿をお願いしたりする。ところでその家のオバサンに後二日で港が閉鎖されると聞いて、コールダーはびっくり。例の生命体が海に大発生するので、半年は海路を使えないというのだ。これは何としても明日中に港に着かなければならない。翌日は早々にこの家をおいとますると、二人は何とか問題の港町にやって来る。幸いなことに船の切符はまだ残っていて、翌日の船でサマンサは帰国できることになった。ホッとした二人はこの港町に宿をとり、街に繰り出して一杯やることにした。何日か行動を共にしたことでお互い情もわく。そんなこんなで酒の力も借りてホテルの部屋の前でサマンサを口説くコールダーだったが、彼女の返事はつれない。持って行き場のない気持ちを抱えたコールダーは、また夜の街へと出かけて深酒をした。さて、翌朝のこと。コールダーの部屋にサマンサが迎えに来る。しかしコールダーは、昨夜、街の女を部屋に引っ張り込んでいた。これに軽いショックを受けたサマンサはホテルを飛び出す。慌てて追いかけるコールダー。しかし、部屋の中に街の女一人を残していたのはマズかった。案の定戻ってきた時には、チケットもパスポートもなくなっていた。チケット売り場のオッサンに二人は詰め寄るが、どうにもならないものはならない。港はもう閉鎖された。その代わりにオッサンが提案したのは、現地の奥の手を使い金を積んでの秘密の脱出ルート。何と「制限区域」のまっただ中を突っ切っての脱出となるという。しかしもはや選択の余地はない。早速なけなしの金を積んで、この話に乗ることにした。オッサンのお仲間の車に乗って制限区域の入口まで到着。そこはそれ、裏で話をつけてもらって、広大な川を行くボートに乗り込むコールダーとサマンサ。行く手には、地球外生命体が住み着いている果てしない森林と川が待ち受けていた…。

みたあと

 確かにこれは「モンスターズ」という名の通り怪獣映画ではある。しかし、作り方は日本での「それ」とはかなり違う。発想としては怪獣映画を「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)的コンセプトで作った「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)に近いとも言えるが、そういうドキュメント的フェイク映画なのかというとこれもまた違う。今までにない発想の、まったく新しい怪獣映画だというしかない。しかも、これをハンパない低予算で作りあげたというアイディアの素晴らしさ。僕はこの作品について「買い」だと思ったのだが、みなさんはいかがだろうか?

みどころ

 全体の印象としては、「制限区域」となってしまったメキシコの荒野を突破する、一種の「秘境探検もの」というか「紀行」映画になっているのがうまい。ただメキシコの川や山の中を旅するだけだから、確かにカネはかからない。しかし、そこがいつモンスターが登場するか分からない奥地である…となれば、当然ながら観客からの見え方は変わるのだ。この目のつけどころが非凡である。またメキシコの田舎の廃墟などが、そのままモンスターに荒らされた後のように見えるから不思議。船が高い場所に持って行かれて放置されたりしている光景など、見ていて妙に心に残る。そんなこんなの場面が延々続くあたり…川をどんどん進んでいくということもあってか、何となく「アギーレ/神の怒り」(1972)や「フィツカラルド」(1982)などのヴェルナー・ヘルツォーク作品のようなテイストさえ感じられる。実際、ヘルツォークがSF怪獣映画を撮ったらこんな風になるんじゃないだろうか。そして、難民問題でアメリカと常にトラブルが起きているメキシコが舞台ということ、アメリカ軍の空爆や毒ガス攻撃で街が荒廃し人的被害が出ていることなど、アメリカ文明批判とも思える側面もあるのは、監督のギャレス・エドワーズがイギリス人だからだろうか。最後まで見ていくと主人公の男女の心の動きを描いたロードムービーになっている点もミソで、最後に二人の心をグッと近づける役割を果たすのが、他でもない「モンスターズ」であるというのもビックリ。こんな視点で撮られた怪獣映画が今までなかったから、これは新鮮な驚きだった。それってまるで、日本軍による上海陥落を主人公男女の縁結びの要因のように描いた、アン・ホイ監督作品「傾城之恋」(1984)を想起させる軽い衝撃だ。ただ一方で、問題の怪獣は終始「出そうで出ない」状態であるあたりが、この手の作品を好む観客に受け入れられるかどうか。僕はSF映画もモンスター映画も大好きだが、この映画の斬新な描き方にはかなり好感を持った。だから、うまくやったなとアッパレに思ったが、「もっとモンスターを出せ」だの「気取っている」だの「つまらない」だのという風に思う向きがあってもおかしくはないだろう。怪獣とのガチの対決や戦いなどを期待していたならば、ひょっとして失望してしまうかもしれない。そのあたりで、この映画は賛否が大きく分かれる可能性はある。僕は、先ほど書いたように全面的に肯定派だ。新鮮で面白く、驚きがあるからである。とりあえず、見る価値はあると断言したい。

さいごのひとこと

 ただ、このタッチで「ゴジラ」は無理だろ。

 

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ/ゴダールとトリュフォー」

 Deux de la Vague (Two in the Wave)

Date:2011 / 08 / 15

みるまえ

 僕がフランソワ・トリュフォーの映画やその人物そのものに、単に「好き」という以上の何かを感じていることは、常々このサイトでも繰り返しブツブツ言ってきた通りだ。だからトリュフォーに関する本もあれこれ読んで来たし、その作品も全作品とまではいかないが、ある程度の本数は見てきた。それに引き替え…トリュフォーの盟友であり、ライバルでもあったジャン=リュック・ゴダールについては、僕は昔から冷淡な態度をとり続けてきたように思う。それはなぜか…と言われても理由はないのだが、単に映画がつまらなかったからかもしれない(笑)。確か映画見始めのウブな頃に「パッション」(1982)を見て、何だか分からなくてひどく退屈したあたりから、ずっとゴダール映画には近づかなかったような気がする。…っていうか、今でも近づかないけどね(笑)。ゴダール信奉者がこれまた決まったように「この素晴らしさが分からなければバカ」的な態度で人を見下しつつ…よくよくその感想を見てみると、実は信奉者自身もよく分かっていなかったりして(笑)…なおさら不毛な気分にさせられた。偏見を承知で言わせてもらえれば、大体ゴダール好きな奴って傲慢でイヤな奴しかいない気がする(笑)。だから作品もほんの何本かしか見ていない。これで一番最初に見たゴダール映画が「はなればなれに」(1964)あたりだったら、全然変わっていた可能性もあるんだろうけどね。そんな二人がフランスのいわゆるヌーヴェルヴァーグと称する映画運動の中心人物だったことは有名だが、一体どういうタイミングかしらないが、今になってそんな二人をクローズアップしたドキュメンタリー映画が来るとはビックリ。正直言ってこの二人の関係って、イマイチ僕としては分かっているようで分かっていない。そんなわけでイソイソ映画館に足を運んだわけだ。

ないよう

 1959年のカンヌ映画祭で、一人の若き映画作家の作品がセンセーションを巻き起こした。その作品の名は「大人は判ってくれない」(1959)。すでに映画批評家として過激な発言をして注目され、このカンヌ映画祭に対しても批判的な目を向けていたフランソワ・トリュフォーの作品だ。このあたりを契機に、フランス映画の新しい波「ヌーヴェルヴァーグ」という映画運動が台風の目となるのだが、その中心人物といえるのがこのトリュフォーと、同じく「カイエ・デュ・シネマ」誌で批評活動を行っていた盟友ジャン=リュック・ゴダールだ。10代の頃にパリで出会ったトリュフォーとゴダールは、若き映画批評家として活動しながら、映画作家としてのデビューを模索する。実はゴダールの長編映画デビュー作「勝手にしやがれ」(1959)は、トリュフォーのバックアップとシナリオ原案によって実現したものだった。二人は鮮烈なデビューの後も、ヌーヴェルヴァーグ作品が興行的苦戦を強いられながら精力的に作品を発表。名声を高めていく。そして「大人は判ってくれない」で14歳にしてデビュー、以来、トリュフォーの分身として「アントワーヌ・ドワネル・シリーズ」に出演していくジャン=ピエール・レオは、そんなトリュフォー作品出演の傍ら、一連のゴダール作品にも出演していく。ところがそんな二人に、映画づくり以外の問題が絡んでくる。当時起きていた「五月革命」なる政治状況と歩調を合わせて、過激な活動に身を投じていくトリュフォーとゴダール。しかし、それが1968年のカンヌ映画祭粉砕事件に発展するに至って、まずます政治的アジテーションをエスカレートするゴダールに対して、トリュフォーは徐々に付いていけないものを感じ始めてしまう。こうして長年の盟友だった二人は、その後、進む道が大きく分かれてしまうことになる。さらに「アメリカの夜」(1973)を見たゴダールからのトリュフォーへの罵倒の手紙が、二人の関係を決定的に隔ててしまうことになった…。

みたあと

 話には聞いていたエピソードの数々。だから目新しい内容は何一つないと言っていい。それでも、当時の写真や記事、何より懐かしい作品の断片が見れたのは嬉しい限り。さらにはトリュフォーが撮影して放り出したフィルムをゴダールが編集して作り上げた、事実上唯一の二人のコラボ作品である「水の話」(1958)の断片が見れたことも、前々から映画のタイトルだけは聞いていた僕としては喜ばしい。しかも僕はトリュフォー側の情報はある程度知っていたが、ゴダール側の情報についてはほとんど知らなかったから、分かりやすく簡潔にまとめてくれて助かった…という感じ。当時のヌーヴェルヴァーグという映画運動がどういうものだったのか、この1本を見れば一通り分かるようになっている。冗談抜きでこのドキュメンタリー映画とベルナルド・ベルトルッチの「ドリーマーズ」(2005)を見れば、当時の「五月革命」を含めた雰囲気や空気は伝わって来るような気がする。個人的にはあの傑作「アメリカの夜」を見たゴダールが、トリュフォーを罵倒する手紙をシコシコ書いて送りつけた…というくだりを見て、やっぱりこいつはイヤな野郎だったんだな!…と納得(笑)。本作の冒頭からして、カンヌでモテはやされているトリュフォーを横目に、パリで「どうせオレはお呼びでないからな」とヒガミ根性丸出しのケツの穴の小ささを披露するゴダール…という具合(笑)。「革命」だ「政治」だとケタタマしい言動を繰り返し、そういう動きからは一線を画したトリュフォーを罵倒したゴダールではあったが、いつの間にかコソコソと旧来の映画界に戻っての「大家」ヅラ。「姑息」「卑怯」「セコい」とはこういう男のことを言うのだ。大体、エエカッコしいな言動をする奴に限って大したことがないのが世の常。僕がどうして本能的にトリュフォーを支持してゴダールを受け付けなかったか、このドキュメンタリーを見てまたまた再確認したわ。こいつのこういうところが動物的なカンで分かったから、僕はイヤな奴だと思ったんだな(笑)。ファンには悪いが、こいつどうにも好きになれそうもないわ。

こうすれば

 昔は仲間で途中から決裂…という話は聞いていたけれど、どういう経緯でどのようにそうなったのかは知らなかった。だからこの映画でそれが分かると張り切って見に行ったのだが…実はこの映画でもそれは分からなかったからビックリ。確かにカンヌでのトリュフォーとゴダールのアジ演説の様子と、そのニュアンスが微妙に違うことぐらいはこの映画で見てとれるけど、具体的にどんな葛藤や行き違いがあったのかは不明。お互いにどんな形で距離が離れていったのかという周囲の人々の証言もなく、ただナレーションで「二人はこの後、距離が離れていった」と語られるだけっていうのは、いくら何でも手抜きじゃないだろうか。「アメリカの夜」を見た後でゴダールがトリュフォーを罵倒した手紙を送ったという、ハタから見ると「バカじゃなかろか」と思わされるエピソードも、ただそういう事があったということだけが語られるから面白くも何ともない。こういう宿命の二人…例えば中国映画のチェン・カイコーとチャン・イーモウとか、ビートルズのレノン=マッカートニー、ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズとか…の友情と決別のドラマはどれもこれも興味深いのに、この映画ではそのせっかくの素材を生かし切れていない。というか、ちゃんと映像でもコメントでも出していないのだ。やる気があるのか監督のエマニュエル・ローラン。文句のつけついでに言えば、途中で昔の新聞切り抜きやら雑誌やらを見たり、現在の事件の現場を訪ねたりする変な女(イジルド・ル・ベスコ)がチョロチョロ出てくるが、これも気取ってる趣向の割には意味がないし邪魔だった。そんな女なんかどうでもいいから、オレたちが見たいところをちゃんと見せてくれ。

さいごのひとこと

 いいとこDVDの特典映像どまりか。

 

「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」

 Transformers - Dark of the Moon

Date:2011 / 08 / 15

みるまえ

 ジェリー・ブラッカイマーと袂を分かった後もマイケル・ベイが映画を撮っていられるとは、正直言って僕はこれっぽっちも思っていなかった。大味映画の代表選手みたいなベイは、大プロデューサーあってのヘボ監督…僕は彼の腕前を、そのくらいにしか考えていなかったのだ。ところが、事もあろうにあのスピルバーグと組んで映画を撮るとは思わなかった。ただしその作品が日本の玩具メーカーが出したロボットおもちゃが元ネタと聞いて…こりゃ子供だましでロクなもんじゃないなとタカをくくった。それでもその作品「トランスフォーマー」(2007)を劇場に見に行ったのは、やっぱりスピルバーグ・プロデュースということが気になったからか。ところが、これが意外に面白かったからビックリ。中東カタールに始まり、次にペンタゴンが出てくる…というスケールでっかいハッタリ感。最初はガキのおもちゃ映画と思ってバカにして見ていたら、マイケル・ベイすっかり本気なのだ。さすがに巨大ロボットたち(金属生命体とかいう設定だったが)が出てきて戦い始めると、どう頑張っても子供っぽく感じられてワクワク感は半減。まぁ、それでも映画後半の市街戦の描き方は、あまりの激しさに唖然呆然。こんなジャリ向け題材をあてがわれた割には、マイケル・ベイなかなか善戦したんじゃないかと素直に感心したのだった。しかしそれだからといって、続編にまで付き合うかといえば答えはノーだ。「あの題材にしては善戦した」という評価が正直なところ。だから僕は「トランスフォーマー/リベンジ」(2009)は見ようと思わなかった。あのネタで2作はキツイと思ったからだ。ところがところが、「トランスフォーマー」に3作目まで登場しようとは思わなんだ。2作目も見なかったのに、3作目なんて見るわけがないだろう。そんなこんなでタカをくくっていた僕が、この作品の予告編を劇場で見てから気持ちが変わってきた。何と今回の作品、1969年のアポロ11号の月面到達が出てくる。そこにちょっとした陰謀論をチラつかせて、なかなか面白そうな雰囲気が漂っているのだ。しかも、イマドキのハリウッド大作には欠かせない「3D」。今日び3Dといってもその名前に偽りアリの3D作品もあまたある中で、予告編で見る限りではこの作品かなり期待できそうではないか。そうなると、元々が3D好きの僕としてはどうしたって見たくなる。これは2作目を飛ばしていたとしても、何としても見なければ。

ないよう

 それは遠い宇宙の彼方での、今から何十年も前のこと。惑星サイバトロンで大戦争が起きた。それは、この惑星を支配する知的生物…金属生命体の2大勢力オートボットとディセプティコンとの戦い。悪しき野望を抱いたディセプティコンの勢力がこの惑星を制圧しつつある時、1隻のオートボット側の宇宙船がサイバトロンから脱出した。しかしディセプティコン側もそれを見逃しはしない。かくして追撃ミサイルがオートボット宇宙船を捉えて破壊。これにてオートボット側の「最後の希望」は潰え去ったかのよに見えた。しかしこの宇宙船は満身創痍になりながらも何とかこの太陽系にまでやって来て、何と月の表面に不時着。そして地球外の宇宙船が月面に不時着したという事態を、NASAは観測データから察知していたのだ。それは米ソ冷戦が激しさを増す1961年のこと。時のアメリカ大統領ケネディは、月への有人探査船の開発を急がせる。それが実現したのは1969年、アポロ11号においてであった。着陸船から月面に降りる宇宙飛行士たち。その通信とナマ映像に地球は沸いたが、彼らが秘密のミッションを帯びていたことは誰も知らない。果たして地球とアポロ11号との間の通信は突然途絶えるが、それは彼らにとって想定内の出来事だった。限られた時間の中で、月面を移動する宇宙飛行士たち。彼らが見たものは、月面に不時着して半ば埋もれた未知の宇宙船の姿だった! しかし、そのミッションは地球の人々には知られることなく、当時のニクソン大統領がお祝いのスピーチをした中にも、その事が触れられることはなかった。それから幾年月…。オートボットの仲間たちと共に二度に渡って地球を救ってきた青年サム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)は大学を出たというのにまだ無職。恋人のヒモ状態で、日々、面接を重ねるアリサマ。その恋人は、彼がオバマ大統領から勲章をもらった時に、たまたまホワイトハウスで知り合った美女カーリー・スペンサー(ロージー=ハンティントン・ホワイトリー)。女もいるのに仕事はない。最近はオートボットたちも世界を救う仕事で忙しく、サムとはすっかりご無沙汰。そんなこんなで情けない状態のサムではあった。さて、そのオートボットたちはといえば、世界に散らばるディセプティコンを掃討する精鋭部隊「NEST」と協力して戦う毎日。今日も今日とてトラックなどに身を変えて、やって来たのはウクライナのチェルノブイリ。何とこの忌み嫌われる場所に、とんでもないモノがあるとのタレコミがあった。そこでレノックス(ジョシュ・デュアメル)率いる特殊部隊の連中とともに、いまだ高濃度の放射能が立ちこめるこの場所へとやって来た。するとそこには、地球のモノとは思えぬ妙な装置があるではないか。ところが驚く間もなく彼らのもとに、凶暴な鳥型の金属生命体と巨大なミミズ状のロボット平気が襲いかかってくる。大混乱のあげくに何とか逃げおおせるレノックスやオートボットたちではあったが、この一件でオートボットたちのリーダーであるオプティマス・プライムにはひとつの疑念が生まれた…。その頃、プータロー脱出がなかなか実現しないで焦るサムは、恋人カーリーの仕事場へと招かれる。そこで会ったカーリーの上司であり青年実業家のディラン・グールド(パトリック・デンプシー)が、露骨にカーリーに目を付けているのを目の当たりにして、サムはますます焦らざるを得ない。そんなこんなでアキュレッタ・システムズという会社に面接を受けにやって来たサムは、そこの人事担当ブルース・ブラゾス(ジョン・マルコビッチ)という男の傲慢で奇妙な言動に嫌気がさすが、なぜか結果は採用。それもこれも、例のディランからのプッシュがあったからだと聞いて、ますますもってクサらざるを得ない。さて、ワシントンにある「NEST」の本拠地に戻ってきたオプティマス・プライムは、例のチェルノブイリで見た装置の一件で国家情報局長官のミアリング(フランシス・マクドーマンド)を問いつめる。例の装置こそ、サイバトロンから出発した宇宙船のエンジン部分だ。人類はその存在を知っていながら、今までオートボットに隠していたのか。しかしながら傲慢なミアリングは悪びれもせず、今まで極秘とされてきたアポロ11号からの一連の出来事をやっと説明した。それを聞いたオプティマス・プライムは、怒りとともに脅威を感じていた。なぜなら例の宇宙船には、敵側であるディセプティコンに渡してはならない、ある重要な「品」が搭載されていたのだ。こうしてオプティマス・プライムたちは、急遽スペースシャトルで月面へとやって来る。そこで問題の宇宙船の残骸を発見し、しかもその中に…オートボット陣営のかつてのリーダーだったセンチネル・プライムが、長い長い眠りについていたのだ…。

みたあと

 まずは何から言えばいいのか…ともかく「面白かった」ということは白状しなくてはならないだろう。特に映画が始まっての冒頭10分ぐらいは、こりゃあすごい傑作になるんじゃないかと思うくらいのワクワク度。実写ニュース映像とCGをうまく絡めて、アポロ計画にとんでもない裏があったという大風呂敷を広げて見せてくれる。その時代色やリアリティ、ケネディやニクソン(現代に移ってからがオバマまで)出してくるあたり、往年のアメリカの宇宙開発競争を映画にした「ライトスタッフ」(1983)を思わせる展開でドキドキせざるを得ない。まさかこの巨大ロボットおもちゃから出来た映画作品でこんなにドキドキさせられるとは思わなかった。今回はやっぱりちょっと違うかも。そして現代に舞台が移ってお話が本題に入ってからも、チェルノブイリが出てきたり…と大風呂敷はますます広がる一方。これまで大味映画の作り手としてバカにしてきたマイケル・ベイではあるが、「トランスフォーマー」第1作からは結構頑張っている印象があった。そんなマイケル・ベイの一番いい資質…いい意味でのハッタリ感が、今回は最大限に発揮されているのが素晴らしい。映画後半のシカゴでのバトルに至るまで、本当に手に汗握る内容で驚いた。正直言って、見終わった時にはグッタリ疲れたよ。

こうすれば

 ただ、見終わった時に疲れたのはマイケル・ベイのド派手演出のせいもあるが、何よりこの映画が2時間半を超える「巨編」であることも原因だろう。その上映時間の大半が常に何かがブチ壊れている破壊シーンなんだから、確かに見ていてかなりの消耗度だ。そしてこれほどの長い上映時間があるにも関わらず、映画は終始展開が早くて、見ている側はついていくのが精一杯。ゴチャゴチャして複雑なストーリーも何とかならなかったのか。悪漢どもが惑星サイバトロンをワープさせて地球を征服しようとするのだが、「やるぞやるぞ」とさんざっぱら言いながら、とっくにワープ装置は起動しているにも関わらず、そこからがダラダラ長くてもったいつけた展開ってのもいかがなものだろう。あと、悪漢側の親玉らしきメガトロンが小娘の口車に乗せられてまんまとダマされてしまうあたりも、「所詮はロボットおもちゃ映画だわな」と思い出してしまいそうな幼稚な設定。これはちょっと残念な展開だった。ついでに言えばその小娘…新ヒロインのロージー=ハンティントン・ホワイトリーっていうのが、どうにも中身空疎、頭空っぽな感じの典型的白痴美女だったのも興ざめ。モデル出身らしいから仕方ないのかもしれないが、こんなに魅力のないヒロインってのも珍しい。どうしても前のヒロインを降板させなきゃならなかったのかねぇ。そして、どうしてもこの女じゃなきゃならなかったのかい。

みどころ

 しかしやっぱり見応えはあるし、特に前半のアポロ「陰謀説」設定は面白い。チャチで安っぽくなりそうなところを大げさにグレードアップさせる手口は、さすがマイケル・ベイのハッタリ話術。そして後半のシカゴでの戦闘のくだりも、一体どうやって撮ったのか。どこまでが実写でどこまでがCGかと驚く限り。確かに大味は大味だが、このスケール感は無視できない。さらにお話の面でも、アッと驚く意外な仕掛けが劇中に何度も登場して、見る者を退屈させないのは大したものだ。こうしたサプライズをいくつも用意した努力の跡は認めてあげたいし、実際にも効果を挙げている。ジョン・マルコビッチ、フランシス・マクドーマンド、ジョン・タトゥーロなど、まるでコーエン兄弟の作品じゃないかと思わせるような重量級役者のキャスティングといい、この作品は「たかが巨大ロボットおもちゃの幼稚な映画」であるはずのものを、徹底的に物量とアイディアを積み重ねて何とかバカ映画なりに大人の鑑賞に耐えうる作品へとグレードアアップさせている。ここまでやってくれたら、僕はやっぱり評価せざるを得ない。そして問題の3Dも、「アバター」(2009)以降の3D映画の中では文句なしの素晴らしい立体効果ぶり。大味であるにはあるが、大味もここまでやるなら評価に値すると言いたい。間違いなく一見の価値はある。

さいごのひとこと

 チェルノブイリまで出すとはタイムリーすぎる。

 

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