新作映画1000本ノック 2011年7月

Knocking on Movie Heven's Door


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「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」

 

「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」

 Harry Potter and the Deadly Hallows Part 2

Date:2011 / 07 / 25

みるまえ

 いよいよ…の最終編である。いやはや、それにしても僕がこのシリーズを最後まで付き合うことになるとは、とてもじゃないが思わなかった。そもそも最初の2作、「賢者の石」(2001)と「秘密の部屋」(2002)を見る限りでは、このシリーズ先行き大丈夫なのかと心配になった。監督がクリス・コロンバスじゃ仕方ないのかもしれないが、ガキ向けの甘っちょろさ全開。主人公が子供なんだから仕方ないとはいえ、少々僕としては付き合いかねる気がしてしまったのだ。それがいささか様相を異にしてきたのは、第3作「アズカバンの囚人」(2004)あたりからだろうか。何とこの作品では、監督がアルフォンソ・キュアロンに交代。そりゃ長いシリーズなら監督交代もあるだろうが、メキシコのキュアロンはどう見たって子供や魔法の出てくる映画を撮るタマじゃない。これには驚いた。しかし映画の出来栄えとしては、この作品あたりからひと味違って来た。主人公たちの年齢も徐々に上がって来たってこともあるんだろうが、ガキンチョ映画ではなくなってきたのだ。そして、おまけに暗くなってきた。お話に暗さが出てきたということもあるが、実際に画面も暗くなって来たのだ。最初の2作が鮮やかなカラーなら、この3作めあたりから徐々に画面が暗くなり、色合いも徐々に華やぎがなくなって来た。シリーズの途中あたりからは、まるで近年のクリント・イーストウッド監督作品みたいに、ほぼモノクロといっていいほど色が落とされた。おまけにマイク・ニューウェル監督による第4作「炎のゴブレット」(2005)では、シリーズで初めて犠牲者が出てしまう。明らかにこのシリーズは、ガキ向けの砂糖菓子みたいな映画ではなくなっていったのだ。さらに第5作「不死鳥の騎士団」(2007)から登場のデビッド・イエーツ監督が、その後一貫してこのシリーズの監督を務めるようになる。このシリーズの監督としては最も無名なイエーツではあるが、そんな彼がずっと監督することによって、シリーズの安定感はいやが上にも増していった。というわけで、いよいよ最終編となる「死の秘宝」の前後編に分けられたうちの前編「PART 1」(2010)はといえば、このシリーズの舞台だったホグワーツの魔法学校がほとんど出てこない。ハリーたち三人組はあっちへフラフラこっちへフラフラと放浪の旅へ。このくだりが「長すぎる」「退屈だ」と言う向きもあったようだが、そういう方々は深作欣二監督の角川映画「復活の日」(1980)終盤の、草刈正雄が南米大陸をフラフラ放浪する、見ていて死にそうなほど長くて退屈なくだりを知らないのだろう(笑)。それは冗談だが、ともかくアレは意味のある長さだったと僕には思える。まるで「世界の終わり」みたいな展開に驚かされたわけだ。さて、そんな「PART1」を受け継いでの「PART 2」。「PART 1」は昨今大流行の3Dで制作するはずが、途中で方向転換。しかし今回の「PART 2」では最初から3D前提で制作するという。何はともあれ、これだけ長い間続いたヒット・シリーズが終焉を迎えるのだ。見届けないわけにはいくまい。

ないよう

 悪の権化ヴォルデモート卿(レイフ・ファインズ)が、いざという時のために自らの魂を分けて保存しているいくつかの「分霊箱」。それを破壊してヴォルデモート卿のパワーを減退させるために、敵の目をくぐり抜けながら手がかりを探していたハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)、ロン・ウィーズリー(ルパート・グリント)、ハーマイオニー・グレンジャー(エマ・ワトソン)の3人。しかし彼らの冒険は大きな代償を払わねばならず、ハリーの忠実なしもべだったドビーをも犠牲にしてしまう結果となった。海辺の隠れ家に潜んでいるハリーたちの気分はすぐれない。それでも助け出したオリバンダー(ジョン・ハート)やグリップフック(ワーウィック・デイビス)らに話を聞きながら、「次の一手」を考えていた。例の「分霊箱」探しである。そしてその「分霊箱」のうちのひとつが、グリンゴッツ銀行のベラトリックス・レストレンジ(ヘレナ・ボナム=カーター)の金庫の中に収められていると知ったハリーたちは、何とか金庫の中に入る算段をつけるべくグリップフックと交渉。「分霊箱」が手に入ったら、ハリーが持っている「グリフィンドールの剣」を譲るという条件で「商談」は成立した。しかし、「分霊箱」は「グリフィンドールの剣」がなければ破壊できない。果たしてハリーは、これをどう解決するつもりなのか? ともかくハーマイオニーがベラトリックスに変装し、ロンはそのお付きの者に化けた。さらにハリーはグリップフックを肩に担いで透明マントをかぶり、敵の牙城であるグリンゴッツ銀行へとやって来る。冷や冷やな瞬間もあったが、何とか地下の貸金庫へと潜入。それは果てしない地下の洞窟にあるため、一同はスリル一杯のトロッコに乗って暗闇へと降りていく。突然、彼らはトロッコから放り出されるが、そこが問題の金庫の場所だった。金庫番としてつながれた巨大な竜を横目に、一同は宝物蔵へと入っていく。すると、そこには山のように宝物が積まれていた。しかしハリーは目指す「分霊箱」を発見。それは1個の黄金のカップだったが、宝物蔵の天井近くに置かれていた。しかし、たまたまそこに置かれた宝物を下に落とすと、いきなりそれが2つに分裂して増えるではないか。ここの宝物は「双子の呪文」をかけられて、下に落とすとアッという間に2倍になるように仕掛けられていたのだった。こうして宝物は「ネズミ算」ではないが増えに増え、やっとこハリーは「分霊箱」のカップを手に入れることができた。しかし、ここでグリップフックは「グリフィンドールの剣」を渡すことを要求。渋々ハリーが剣を渡すと、グリップフックは彼らを裏切って「グリフィンドールの剣」を持ったままその場を逃げ出すではないか。さらに異変に気づいた銀行の警備員たちが到着して、ハリーたちは危機一髪。そこを何とかハーマイオニーの機転に助けられ、3人は竜の背中につかまってその場を逃走。地底から一気に地上の銀行の建物まで駆け上った竜は、あたりを破壊して空へ舞い上がった。こうしてハリーたちは、辛くも危機を脱出することができたのだ。しかし「分霊箱」は手に入れたものの、「グリフィンドールの剣」がないので破壊できない。さらにもうひとつ別の「分霊箱」の存在場所を知った3人は、グリンゴッツ銀行潜入よりさらに危険な賭けをしなくてはならなくなった。それはダンブルドア(マイケル・ガンボン)亡き後、セルブス・スネイプ(アラン・リックマン)新校長の管理下ですっかり変わり果ててしまった、懐かしい「ホグワーツ魔法学校」への潜入だった…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 前作「PART1」もかなり重苦しい作品だったが、今回もかなりヘビー。とにかく暗いのである。しかも「前作までのあらすじ」ぐらいあるだろうと思っていたら、そんなものまったくなし。いきなりさりげなく本題に入ってしまい、後はあれよあれよ。正直言って悪の権化ヴォルデモート卿を倒すためにはいくつかある「分霊箱」を破壊しなくちゃならなくて、それを破壊するためには何が必要で…云々かんぬんと、何だかんだ約束事が多い。しかもお話が「PART1」と「PART2」にまたがっているから、なおさら分かりにくい。っていうか、もう忘れちゃっている(笑)。原作ファンだったら「原作には書いてある」だの「原作を読んでおけ」だのガタガタぬかしやがるだろうが、何で映画を楽しみに行くのにいちいち予習なんかしなくちゃならないんだ。このあたり、やはり約束事がゴテゴテと出てきて興ざめさせられた、「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」(2007)の二の舞になりそうな気配もあったが…さすがにハリー・ポッターはひと味違う。他の観客はどうか分からないが…僕は途中から分からない約束事を放ったらかして見たが、別に分からないものは分からないままでも一向によかった。正直言うと「分霊箱」を壊すには「グリフィンドールの剣」が必要…のはずだったのに、「ナントカの牙」があれば大丈夫…ってことになっちゃったり、ハリー・ポッターは死を覚悟して敵地に乗り込んだのに結局助かっちゃったり、結構よくよく考えてみると「ご都合主義」と思える設定が散見される。これは原作を読めば理屈が通っているのかもしれないが、「映画」としてスジが通らねば意味がない。だから、大いにストーリー的には不満が出てくるところなのかもしれない。しかし僕としては、なぜか見ていてそんなことは気にならなかったから不思議。いつの間にかそんなディティールよりもお話の太い流れの方が気になって、細かいところはどうでも良くなる。これはシリーズ後半をずっと手がけてきた、デビッド・イエーツ監督の演出力のおかげなのだろうか。とにかく今回は、全編にわたってパワフルな力業が目立つのである。それと、今まで語られなかった裏エピソードが、ここで改めて語られたことも大きかったのではないか。それまで敵か味方か正体不明だったスネイプの生涯が語られるくだりは、やっぱりこのシリーズを見てきた人間からすると味わい深いものがある。正直言って原作を読んでいなくても、スネイプが単なる悪漢でないことぐらいは何となく分かる。演じるのがクセモノ役者アラン・リックマンということもあって、第5作「不死鳥の騎士団」あたりから何となく察してはいたが、それでも改めてちゃんと見せてもらえた今回は圧巻だった。このシリーズの裏テーマが今回明かされたことも、細かいチマチマしたことを気にする気分がなくなった一因だといえる。

みどころ

 今回は、シリーズを通じての主な舞台となっていたホグワーツ魔法学校で後半の物語が展開する。しかも、ここで派手な戦闘が行われ、建物も激しく破壊される。これはシリーズをずっと見てきた者としては、少なからず衝撃だ。ちょっと不思議な気分になるのは、良い先生たちと生徒たちが学校に立てこもって応戦する様子が、どこか1960年代頃の「学園紛争」を思い出させるあたり。ただし、この「学園紛争」気分は作者たちの意図したところではないだろうが(笑)。ハリー・ポッターとヴォルデモート卿とのガチンコ勝負も、今回は濃厚な対決が何度もあってなかなかの見もの。「僕らで始まったんだから僕らで終わらせようじゃないか」とハリーがヴォルデモート卿に抱きついての「心中」的な場面など、なかなかハードでやってくれるではないか。戦闘場面の派手さといい、結構興奮させてもらった。ただし3D効果はかなり控えめ。それでも、エンディング近くのヴォルデモート卿が灰となる場面では、空に舞う灰のかけらにかなりの立体感が出ていた。そんなこんなで戦いが終わった後、エピローグとして主人公たちの19年後が出てくるのは、ずっとこのシリーズと付き合ってきた人間からするとこれまたなかなかに感慨深い。僕なんかとても「ファン」とは言えないが、それでもずっと見てくれば情がわく。あの子供たちがこんなに大きくなって…といろいろ考えさせられる。おまけにその「19年後」まで見せてもらえるのである。特殊メイクの力は借りているが、あの子供たちがみんな子供もいるような歳の設定まで演じられるようになったのである。ハリーを演じるダニエル・ラドクリフなんてもう眼鏡のオッサンである(笑)。オレも歳をとったんだよなと痛感させられた。このエピローグには泣かされたよ。考えてみれば、リチャード・ハリスが途中で死んじゃったダンブルドア役以外は、ほとんどのキャストが1作目から継続して演じ続けたはず。これは、映画史にも希なんじゃないだろうか。「ロッキー・ザ・ファイナル」(2008)感想文にも書いたが、こんなシリーズは「ロッキー」シリーズとフランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネル・シリーズぐらいしかないだろう。しかもこんな子供たちの集団を抱えて、それを8作も継続させてきたなんて空前絶後。まずはお疲れさまでしたと言いたい。

さいごのひとこと

 エマ・トンプソンが1カットだけ出たのにビックリ。

 

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