新作映画1000本ノック 2011年6月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「アジャストメント」 「ファースター/怒りの銃弾」 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」 「アンノウン」

 

「アジャストメント」

 The Adjustment Bureau

Date:2011 / 06 / 27

みるまえ

 「ヒアアフター」(2010)、「トゥルー・グリット」(2010)と今年も絶好調のマット・デイモンに、早くも新作登場。今回のデイモンはスーツ姿でビシッと決めてる。そして予告編によれば、かけたい時につながらない携帯電話、つかまえたい時につかまらないタクシー、それは偶然ではない…という意味深なナレーションが流れ、何だか陰謀に巻き込まれたらしいデイモンが街を走り回る。そんなデイモンに襲いかかるのは、帽子を被った怪しげな男たちの集団。そこに、「原作:フィリップ・K・ディック」と出れば、もうこれはSFであることが決定したも同然。この「ブレードランナー」(1982)の原作でおなじみのSF作家の名前がど〜んと全面に出ているなら、これはSF映画に間違いない。何やら人間の運命を操作するだのコントロールするだのって話からすると、デイモンはヴァーチャル・リアリティの世界に生きていて、それを管理したり支配する連中と戦う話のようだ。ってことは、まるっきり「マトリックス」(1999)のようなお話ってことじゃないのか。しかし、イマドキそれを堂々と映画にされてもねぇ…。というわけで、SF映画と言えば目がない僕なのに、この作品にはなかなか食いつく気がしなかった。公開からかなり経ってから、ようやく劇場に足を運んだというわけ。

ないよう

 若手サワヤカ系の上院議員候補デビッド・ノリス(マット・デイモン)は、ブルックリンの庶民の出。その新鮮さで売っている彼は、側近のチャーリー(マイケル・ケリー)たちの努力もあって最有力候補として上昇気流に乗っていた。ところが、これはもはや当選確実…と誰もが思った投票日直前、タブロイド紙上にスキャンダラスな記事が掲載される。デビッドが酔ってパーティーで見せた、いささかヤンチャ過ぎる下半身むき出しの写真。これが災いしてか、デビッドの支持率は急落。肝心の開票結果も惨憺たる結果が続々報告される始末。気が重いながらも、デビッドは沈痛な面もちでホテルの「敗北宣言」の記者会見場へと足を運ぶこととなる。その前にデビッドはトイレに立ち寄り、中に誰もいないことを見定めてからスピーチの練習を始める。こんなスピーチの内容など、誰にも事前に聞かれたくはない。ところが何やら物音がしたため、デビッドはビックリしてあたりを見回した。すると男性用トイレにも関わらず、正装した若い女性が出てくるではないか。彼女の名前はエリース(エミリー・ブラント)。ちょっとした悪ふざけでホテルでの結婚披露宴に紛れ込み、飲み食いして逃げ出そうとやって来た。今は警備員をやり過ごすため、こうしてトイレに隠れていたところ。そこにデビッドが抜き差しならないスピーチの練習を始めたため、出るに出られない状況になったのだという。ざっくばらんな彼女ともはや一番恥ずかしいスピーチを聞かれた彼との間には、何の遠慮もためらいもない。エリースは率直にデビッドのことを誠実な人だと感じて、彼を「頑張って」と応援した。こうして特異な状況で出会った二人は、思わずキスを交わしてしまう。そこにたまたまチャーリーがやって来たことで、エリースはトイレから立ち去ってしまう。しかしデビッドの心の中には、エリースのさわやかな印象が残った。それが証拠に直後の記者会見では、デビッドはお仕着せの「敗北宣言」スピーチではなく、本音をズバズバ話す誠実なスピーチを行った。そしてこれが功を奏したのか、デビッドは落選したものの世間からは好印象で受け入れられることとなった。しかも、とあるベンチャー企業に役員として迎えられるという好待遇も得た。そんなわけで新生活を踏み出したデビッドだったのだが…。そんな彼を遠目から見つめている不思議な集団がいたことを、誰もが気づいていなかった。キチッとしたスーツに帽子。一昔前の政府の役人風の服装の男たち。その一人であるハリーという男(アンソニー・マッキー)は、公園で何やら他の者から指図を受けていた。何でも「コーヒーをこぼすタイミング」が云々…とかいう話だったが、彼はデビッドの出勤のタイミングを見計らっていて、何かやらかそうとしているようだった。そのタイミングは7時5分。ところがハリーの手違いから、デビッドがコーヒーをこぼしてバスに乗り遅れる手はずが狂った。デビッドにバスに乗り込まれてしまい、ハリーは大慌てでバスを走って追跡。しかしながら、それで間に合うはずもなかった。バスを追って追ってひた走るハリーは、ついには道のど真ん中でクルマにはねられる始末。それでもムクリと起きあがる彼は、何やらi-Padみたいなシロモノを引っ張り出して見つめるではないか。ピカピカ点滅する画面を持つ「それ」は一体何なのか? 一方、バスに乗ったデビッドの方はといえば、何とこのバスに偶然にもエリースが乗り込んでいるではないか。意外な偶然に狂喜するデビッド。早速、彼女の隣の席に座って、楽しい会話が始まった。喜んでいたのはデビッドばかりではなくて、エリースの方もまんざらでもない様子。こうして彼女の携帯ナンバーをもらい、嬉々としてバスを降りるデビッドだった。こうして、彼が役員を務める会社のオフィスに出勤してきたデビッド。彼はいつもの調子で受け付けの女性に挨拶しながら、ズカズカと中へ入っていく。しかしデビッドは、受付嬢が微動だにしなかったことに気づかなかった。そのまま会議室に入った彼は、いきなりとんでもない光景を見せられることになる。会議室には例の帽子にスーツの男たちがウロウロして、何やら大掃除でもしている様子。そこにいるチャーリーらは虚空を見たまま、まるでカチンと瞬間に凍り付いたような状態だ。さらに驚いたことには…帽子男の一人がチャーリーの頭の一部をペロリと引っぺがして、まるで頭の中をいじっているかのように見えるではないか。帽子軍団はデビッドが入ってきたのに気づいてハッと驚いたが、デビッドの方だってビックリ仰天。そのただならぬ気配に慌ててその場を逃げ出した。マズイことになったと焦った帽子軍団は、オフィス内でデビッドを追いかける。そしてデビッドが逃げても逃げても、帽子軍団はなぜか先回りして迫ってくるのだ。こうして孤軍奮闘も空しく、デビッドは帽子軍団に捕まって意識を失うことになる。次にデビッドが意識を取り戻したのは、巨大な地下駐車場。気づくとデビッドは椅子に縛り付けられ、周囲には例の帽子軍団が取り囲んでいた。そこにはあのハリーも…。そして帽子軍団のリーダー格であるリチャードソン(ジョン・スラッテリー)は、デビッドに驚くべき事実を語り始めるのだった…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 ビックリ仰天。フィリップ・K・ディックが原作となっている以上、おそらくはSFだろうと勝手に思っていた。おまけに予告編の作り方からして、「マトリックス」タイプのアンチ・ユートピア、近未来の管理社会を描いたモノだと勝手に決めつけていたのだ。ところが二度ビックリ! これってSFじゃないじゃん! 例えば古くはマイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー監督の「天国への階段」(1946)だとか、ウォーレン・ベイティが監督・主演した「天国から来たチャンピオン」(1978)だとか、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョンが共演した「セカンド・チャンス」(1983)だとか…そういった類の、天国だとか神様だとか天使だとかが出てくる、一種のファンタジー映画の部類の作品ではないか。普通それらの作品はコメディのジャンルで描かれることが多かったのだが、この作品の場合はリアルなタッチのサスペンス映画のコロモを着せて映画化した。それでSFサスペンス映画だと錯覚してしまったのだ。いや〜、これには「やられた!」という驚きが大きい。それもどっちかと言えば「うまくやったな」という驚きだ。それにしたって、これってフィリップ・K・ディックの原作とはかなり違うモノなんじゃないだろうか? とは言っても、「ブレードランナー」、「トータル・リコール」(1990)、「マイノリティ・リポート」(2002)…と、映画化されたこの人の作品っていつも原作とは大違いらしいから、今始まったことじゃないんだろうが(笑)。

みどころ

 誰がどう見たって管理社会の恐怖を描いた作品だと思っちゃうから、「いかにも」な作品で鮮度ゼロの作品だと思ってしまう。そんなの、もう「マトリックス」でやっちゃってるネタじゃないかと思ってしまう。そんな予告編などもすべて本編のための「引っかけ」になっているというのがスゴイが、逆にそれって作品にとっては損なんじゃないかと心配してしまう(笑)。ともかくこの「一発芸」のサプライズだけで僕は満足してしまったので、この時点で映画として十分満足してしまった。ただし、エンディングだけはそれまでサスペンスSF風で押し通してきただけに、主人公の勇気と愛に免じてお許しが出る…ってのは、少々甘い気がしちゃったのだが…。これが本来のファンタジーとしてコメディ・タッチで描かれていたのなら、この違和感もなかったんだろうけどねぇ。ともかく「ボーン・アルティメイタム」(2007)や「ザ・センチネル/陰謀の星条旗」(2006)の脚本家でこれが監督デビューのジョージ・ノルフィの腕前には、なかなかやってくれるわいとちょっと感心した。あとヒロインを演じたエミリー・ブラントが、「ガリバー旅行記」(2010)と打って変わっての魅力を見せていたのにも驚いた。

さいごのひとこと

 マット・デイモンって最近は天国とかあの世づいてるな。

 

「ファースター/怒りの銃弾」

 Faster

Date:2011 / 06 / 20

みるまえ

 元プロレスラーのザ・ロックことドウェイン・ジョンソンが僕のご贔屓ってことは、このサイトでも何度か書いたような気がする。ゲイジュツ派映画サロンの人たちはこういう人をバカにしてるだろうが、僕はこの人の大ファン。ただしレスラーとしてではなく映画俳優として、だ。何しろタフガイだし、そして元レスラーなのに芸達者。そして出演する映画も名作・傑作・話題作の類ではないが、「ランダウン/ロッキング・イン・アマゾン」(2003)や「ドゥーム」(2005)など、それぞれに小粒ながら面白いのである。ってことは、彼にはどうも脚本の選択眼もあるってことじゃないか? 自分の身の丈を分かった上で、最善の選択をしているような気がするのである。そんな彼の新作が、僕の前に唐突にやって来た。まぁ、彼の主演作は前々から話題になるような作品じゃないから、新作が公開されるたびに唐突っちゃあ唐突だったんだが…。前作「ウィッチマウンテン/地図から消された山」(2009)はすごく楽しい映画だったが、ドウェイン・ジョンソンとディズニー映画という落差が面白かったところも大きい。それと比べると、どうやら今回の映画はど真ん中のアクション映画のようだ。それはそれでやっぱり期待してしまう。絶対に見なければ。

ないよう

 ゴツイ身体にニコリともしない顔。その男ドライバー(ドウェイン・ジョンソン)は、10年の刑期を終えてムショから出るところ。刑務所長(トム・ベレンジャー)はドライバーに「今までのことは忘れて真っ当に暮らせ」と声をかけるが、彼の耳にはそんな言葉は届いていない。待ちきれない様子で刑務所から出るが、彼を待っている人などいない。するとドライバーはいきなり全力疾走。着いたところは廃車置き場。そこでドライバーはとあるカバーのかかったクルマを発見。そのカバーを一気にはぎ取った。現れたのは思い切り燃費が悪そうな黒光りするアメ車。運転席にはデカい拳銃と何やら意味ありげな書類が置いてある。ドライバーはそのクルマに乗りこむと、市内のとあるオフィス・ビルへと乗りこんでいった。いきなりズカズカと乗りこむドライバーにオフィス内は騒然。そんなドライバーは、ある男を見つけるや一瞬の迷いもなく射殺。サッサとその場から立ち去るではないか。そんな騒然とした殺人現場に、ヨレヨレの中年男がやって来る。ヤク中の刑事で周囲から煙たがられているコップ(ビリー・ボブ・ソーントン)だ。彼は現場にやって来ると、女刑事シセロ(カーラ・グギーノ)に「オレも一緒にこのヤマを担当する」と告げる。いかにも危なっかしいコップとの組合せに困惑するシセロだったが、上司の命令とあらば仕方がない。二人はモニター映像をチェックして、ドライバーと被害者が旧知の間柄らしいことを見破る。同時にシセロは、ドライバーの顔に見覚えがあることを思い出した。かつて押収した地下殺人ビデオに、このドライバーの顔が写っていたのを覚えていたのだ。それは10年前の銀行襲撃犯が、ワナにかかって別のグループに捕らえられ、残虐に皆殺しにされる様子の映像だった。ドライバーはその中で、いたぶられていた銀行襲撃犯の一人だった。…もちろん、ドライバーはその日のことを片時も忘れたことはなかった。あの日、兄が首謀の銀行強盗に参加したドライバー。彼の役割は文字通りドライバー。その場から警察を振りきって逃げるための、的確なドライビング・テクニックを持った逃走用ドライバーだった。銀行襲撃に成功して隠れ家へと戻ってきた一味だったが、何者かが先回りしていて襲撃犯は次々に殺された。残ったのはドライバーと兄の二人だけ。そんな陰惨な状況を、ビデオで録画している変態野郎までいた。さんざいたぶられ、必死で盗み出した金を奪われたあげく、兄は惨殺される。そしてドライバーも、頭に銃弾を受けて瀕死の重傷を負った。しかし奇跡的に生還。刑務所で10年の刑に服しながら、じっと復讐のチャンスを狙っていたのだ。クルマの中にあった書類は、私立探偵に調べさせた彼の復讐の相手だった。こうしてドライバーは、次のターゲットに向けてクルマを走らせたのだったが…。一方、豪華でセンスのいい邸宅で、黙々とトレーニングに励む男が一人。彼はプロの暗殺者キラー(オリバー・ジャクソン=コーエン)。彼は幼い頃に難病に取り憑かれたが、これを努力で克服。以来、挑戦に次ぐ挑戦をテーマに人生を生きてきた。事業でも成功してカネは有り余るほどあるが、人生のスリルと挑戦の快感のために、暗殺者としての仕事をしている。キラーの恋人リリー(マギー・グレース)も、そんなキラーの「仕事」のパートナーだ。そんなキラーのもとに、あるひとつの指令が下る。それは、ドライバーの抹殺だった…。

みたあと

 ゴツイ映画である。ここ何作かのザ・ロックことドウェイン・ジョンソン主演作は、アクション映画であってもどこかユーモラスなものが多かった。僕は未見だが「ゲット・スマート」(2008)は完全にコメディだったし、前作「ウィッチマウンテン/地図から消された山」はディズニー映画だけに、子役とのやりとりが楽しい映画だった。そう考えてみると、冒頭からこんなに重苦しくニコリともしないドウェイン・ジョンソン映画というのは、本当に珍しいのではないだろうか。テーマもズッシリと重たい「復讐」である。何となくセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンみたいな雰囲気がたちこめる。こんなドウェイン・ジョンソンもなかなか悪くないではないか。

みどころ

 復讐の鬼となってターゲットを一人ひとり仕留めていくドウェイン・ジョンソンは、実はその性根に意外に優しい心を秘めている。そして兄思いの優しい男からこそ、兄を罠にかけて惨殺した連中が許せない。昔の自分の恋人で、今は別の男の妻となり子まで成した女に会いに行くくだりは、失ってしまったモノの重さを思い知らされてやりきれなさもつのる。そんな彼の「善性」がかいま見えるのが、今は伝道師となったターゲットの一人を殺しに行く終盤のヤマ場だ。例の事件でショックを受けて、今ではすっかり改心した復讐相手。それでも初志貫徹しなくてはいけないのか。あるいは昔の話と許すことができるのか。この場面でのドウェイン・ジョンソンの演技が、お世辞抜きで本当に素晴らしいのである。スキルとしては決してうまくはないのだろうが、映画というメディアは演技の技術よりも本人のパーソナリティーを映し出すものでもある。ここでのドウェイン・ジョンソンの演技は、こう言っちゃ失礼だが、とてもレスラー上がりとは思えない好演だ。ここまで見ている僕らはジョンソンの復讐に荷担し応援しているから、殺すべきか殺さざるべきかで苦悩する彼に大いに同情してしまう。これを真っ向から引き受けているジョンソンも、役者として大変な成長を遂げたのではあるまいか。そして、そんな主人公ドライバーの苦悩に比べると、「何でも克服できるし征服できる」という思い上がりにも近い発想で殺しを手がけてきた、キラーなる男が辿る末路もうなずける。さらには鬱屈とした毎日を送っているコップ…この男の正体にも驚かされるが…などなど、この映画の脚本の妙にはビックリ。もっと単純明快なB級アクションだと思いこんでいたので、意外に歯ごたえのあるお話なのに正直感嘆させられた。ドライバー、コップ、キラーなどという一般名詞みたいな主人公3人が三つどもえで絡む話なのは、「続・夕陽のガンマン」(1966)の英語題「The Good, the Bad and the Ugly」あたりが下敷きだろう。つまりは、前述したマカロニ・ウエスタンの影響だ。最後まで見ると分かる「因果話」的作り方も、マカロニから持ってきたのに違いない。トニー・ゲイトンとジョー・ゲイトの脚本は、この手の脚本としてはなかなか手が込んでいるのである。そして脇を固めているお久しぶりビリー・ボブ・ソーントン、オリバー・ジャクソン=コーエン、カーラ・グギーノらの好演も嬉しい。意外にも渋いながらも豪華キャストなのである。ドウェイン・ジョンソン主演作といえども…という言い方をしたら申し訳ないかもしれないが、作り側はまったく手を抜いていない。監督のジョージ・ティルマン・ジュニアも含めて、かなり本気でつくっているのが分かる映画なのだ。

さいごのひとこと

 もうザ・ロックの看板いらないかも。

 

「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」

 Pirates of the Caribbean - On Stranger Tides

Date:2011 / 06 / 20

みるまえ

 「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(2003)が初めて公開された時には、僕は結構ワクワクして劇場に駆けつけたような気がする。そして映画そのものもかなり楽しんだ記憶がある。何しろ衰退して久しい海賊映画の復権だ。それだけで嬉しくなった。元ネタがディズニーランドのアトラクションだと言っても、映画になっちまえばそんな事は関係ない。そしていつも難しい顔をして陰気くさい映画に出ていたジョニー・デップが、ここでスッコ〜ンと抜けた娯楽映画のヒーローぶりを見せていたのも嬉しかった。やっぱりアメリカ映画でスターというのなら、これくらいやってもらわないと困るのだ。脇に控えていたキーラ・ナイトレイやオーランド・ブルーム、ジェフリー・ラッシュも楽しそう。そんなわけで、こういう映画もたまには結構と、大いにホメたんじゃなかっただろうか。…そう、「たまには」。まさかその後、このネタで2本も引っ張ろうとは思いもよらなかったよ。第2作「デッドマンズ・チェスト」(2006)、第3作「ワールド・エンド」(2007)…と続く頃には前のお話がどうなっていたかすっかり思い出せなくて困った。何だかこのシリーズのストーリーは、見た後すぐに頭から飛んでしまうようだ。それに何だかゴチャゴチャと約束事が多いために、今見ているお話もイマイチ飲み込めない。見ていてノンビリと楽しめるシリーズではあったが、正直言って3本目にはゲップが出そう。もう結構ってな気分になったもんだ。実際、お話としても三部作構成をとっていたので、どうやらアレでオシマイらしい。やれやれ…とホッとしたのもつかの間、海の向こうから伝え聞くニュースでは、どうやら新たに4作目が作られるというではないか。今さら4作目で何をやるのか…と思ったが、確かに新しくこのシリーズを立ち上げる意義はあったようだ。「3D」である。いかにも立体映画がお似合いな題材。イマドキ大流行の3Dでこのお話を語り直すとなれば、新たに作る意味もあろうというもの。なるほど…とさすがに僕まで妙に納得しちまった。ただ、もうキーラ・ナイトレイとオーランド・ブルームは出てこない。彼らが「これ以上付き合いきれない」…と降板したのは、ハッキリ言って賢明な判断だっただろう。おまけに監督も替わっている。ただ前の三部作を手掛けたゴア・ヴァービンスキーから「格オチ」ならぬ「格上げ」のロブ・マーシャル…というのは、一体どうしたことだろうか? これを「格上げ」というのか…と疑問に感じるムキもあるかもしれないが、正直言ってガッカリ映画の「ザ・メキシカン」(2001)を撮った監督と、「シカゴ」(2002)で自身の監督賞はミスったものの作品賞はゲットした監督では、やっぱり「格上げ」と考えるのが自然というものだろう。例えその後の作品歴が「SAYURI」(2005)、「NINE/ナイン」(2009)…とビミョ〜なものになってきているとはいえ…である。そもそも何でミュージカルやショービズ映画専門監督みたいなマーシャルが、何が悲しくて「パイレーツ」のしかも「4作目」を撮るのか? カネでも困っているのか? しかしやっぱりこのシリーズの3Dの導入は見ものだとは思うし、しかも今回、新たにスペインのペネロペ・クルスが加入するというのは大きな魅力だろう。別に僕はペネロペが好きでも何でもないが、このシリーズには彼女はピッタリだという気がする。少なくともチョウ・ユンファよりは合ってるはずだ(笑)。そんなわけで、この4作目を改めて見てみたくなったわけだ。

ないよう

 スペイン沖で一人の男が溺れているところを船に助けられる。死んだかと思われた男は生きていて、助けた船乗りたちに驚くべきことを語った。それから間もなく、この船乗りたちは瀕死の男を連れて、とあるお偉いさんのお屋敷へとやって来る。このお偉いさんは瀕死の男が「生命の泉」について語るや、たちまち目の色を変えるのだった…。さて、それから間もなくのこと、ここは大英帝国の首都ロンドン。法廷でかの有名な海賊が裁かれ、あわよくば処刑されるかも…とあって、庶民たちはみんな大喜び。法廷が開かれるのを今や遅しと待ち構えていた。裁かれようとしていたのは、何を隠そうジャック・スパロウ。しかし法廷に引きずり出されてきたのは、どう見てもジャックではなかった。本人もジャックであることを否定しているその男は、ジャックの右腕であったギブス(ケヴィン・マクナリー)。そのギブスに何とも名ばかりの裁判を行って、縛り首ではなく無期懲役とした裁判長こそ…実はまんまと裁判所に忍び込んだジャック・スパロウその人(ジョニー・デップ)。こうしてギブスを刑務所へと運ぶ馬車に大胆不敵に乗りこむと、御者を抱き込んでいたジャックはそのまま脱出を図ろうとする。その馬車の中で、ジャックはギブスから奇妙な話を聞いた。何でもこのロンドンで、ジャック・スパロウが「生命の泉」を探しに行く旅のため、船乗りを募集している…というのだ。しかしその話はジャック本人には寝耳に水。もっともそのジャック、「生命の泉」の在りかを描いた地図は持っているぞとギブスにそのブツをチラつかせはした。ところがそのうちに、馬車はロンドン脱出どころか宮殿に向かっていたからビックリ。その場でジャックもギブスもとっつかまり、ジャックは宮殿内部の立派な部屋へと通される。手錠につながれ絶体絶命のジャックだが、テーブルの上の豪華な菓子にしか関心がないみたい。相変わらずスットボケた態度のジャックだった。そのうちジャックの前に現れたのが、お付きの者を従えた英国王ジョージ二世(リチャード・グリフィス)。その国王の口から語られたのが、またしても「生命の泉」と来るからお立ち会い。その地図をジャックから譲り受けて、部下に「生命の泉」の水を採りに行かせようということらしい。そこで登場したのが、まるで高貴な人物のようにお化粧までしたあのジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)。ただしその片足はなぜか義足で、そこだけが元は海賊という正体を彷彿とさせていた。ジャックの「ブラックパール号」を盗んだバルボッサは、その後、船を奪われ片足も失った。そしてどこをどう立ち回ったのかは知らないが、いまや英国王の下で海賊ならぬ「公賊」となったとうそぶく。しかし、そこはジャックのこと。まんまとそんな王宮から逃げ出し、ロンドンの街中で派手に逃げ回った。最後は忽然と現れた父ティーグ(キース・リチャーズ)に助けられて事なきを得たジャック。気づいてみると、例の偽ジャックが船乗りたちを探しているという問題の酒場に来ているではないか。早速乗りこんで偽ジャックとチャンチャンバラバラとやり合ってみると…偽ジャックとは女…それもかつてのジャックの女だったアンジェリカ(ペネロペ・クルス)ではないか。かつては清らかな乙女だったアンジェリカを自分のオンナにしたジャック。そして間もなくジャックは彼女を捨てた。そんなジャックを、彼女は今も根に持っているらしい。それはともかく、アンジェリカもまた「生命の泉」を狙っていた。そこでジャックの名を騙り、船乗りたちを集めていたのだ。そんなところに、ジャックがいる…と聞きつけて兵士たちが乗りこんでくる。またしても大立ち回りの末、何とか逃げ出したジャックとアンジェリカ。だが、突然の吹き矢が首に刺さって、ジャックはたちまち意識を失ってしまう…。気づいた時には、ジャックは奇妙な船に乗せられ海の上。それは呪術を巧みに操る悪名高き海賊、「黒ひげ」(イアン・マクシェーン)の船だった…。

みたあと

 どう考えても三部作でピッタリ終わらせるつもりだったものを、ムリヤリ4作目まで引っ張った観が濃厚。それは今回の作品の場合、誰の目から見ても明らかだろう。主演者たちのうち2人がいなくなり、それまでの3作を撮っていた監督も消えた。いくら3Dブームが来たから「こいつでも一稼ぎ」…と思ったにしても、こいつは少々マズイよなと感じてはいた。しかも肝心要の最初の3作にしても、最後の「ワールド・エンド」あたりはもうグダグダ。いいかげん出涸らし感満載なシリーズにはなっていたのだ。しかしその一方で、この題材で3Dなら面白いかも…という気も少々あって、「見世物」映画に目がない僕としては気になるところ。しかもキーラ・ナイトレイやオーランド・ブルームが抜けた穴にペネロペ・クルスを入れたというのは、実にうまい作戦だったんじゃないだろうか。海賊活劇とペネロペはいかにも相性が良さそう。僕は正直言って女優としての彼女が大して好きでもないが、こういう映画にピッタリという点には同意せざるを得ない。となると、ナイトレイやブルームの脱退ぶんは何とか相殺されているような気もする。そして「黒ひげ」なる悪玉海賊として、イアン・マクシェーンが加入しているのも実は地味〜に注目すべき点かもしれない。といっても、僕はこの人を詳しく知っているわけではない。結構キャリアは古いはずだが、実はそれまでの代表作が何か、昔はどんな役者さんだったのか…はまったく知らない。ただ、名前だけは妙に聞いたことがあるという役者さんだった。それがなぜか、ここ数年いきなりの狂い咲き。最初に目に付き出したのはウディ・アレンの「タロットカード殺人事件」(2006)あたりからだろうか。それからは「光の六つのしるし」(2007)、「ライラの冒険/黄金の羅針盤」(2007)、「デス・レース」(2008)、「カンフー・パンダ」(2008)…などなど、何がどうしたのか出演作ラッシュ。契約していたエージェントを変わったのかなぁ。今回も本作の悪役というオイシイ役を嬉々として演じている。しかし、イアン・マクシェーンを見たくてこの映画を見に来る人はあんまりいないだろう(笑)。現に僕もあまり期待しないで期待する…という姿勢で見に行ったのが正直なところだ。結果として、こうした気分で見に行ったのは正解だった。

みどころ

 ズバリ申し上げると、僕がすっかり辟易した3作目「ワールド・エンド」よりは確実にマシ。「ワールド・エンド」は前にも何度かこのサイトで語ったように、アレコレと3作通じての約束事ばかり多くて、見ているこっちはそんなの覚えていられなくてウンザリ。単純バカな娯楽映画の割には、話が分かりにくくてイヤになった。ところが今回は三部作で一度、話がプッツリ断ち切られ、登場人物も一新したことから、そういうくだらない約束事から解放された。以前よりも無責任に見ていられる環境が整ったというべきか。大したお話ではないが、のんびり見ているには退屈しない作品として仕上がっている。そしてナイトレイやブルームが退場してしまうと、この映画はなおさらアクションやスペクタクルというより、C調海賊を楽しげに演じるジョニー・デップのバカ芝居を楽しむべき映画だということがハッキリしてきた。そのくらいここでのデップのハマり具合はハンパではないのだ。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ただし、新メンバー(?)のつもりで出てきたらしい若き宣教師フィリップ(サム・クラフリン)と人魚シレーナ(アストリッド・ベルジュ=フリスベ)の二人は、あんまり魅力を感じない役者さんたちだった。なのに、それが後につながりそうな幕切れを迎えるというのもいかがなものか。エンディングのペネロペのオマケ・シークエンスなどを見る限りでも、制作者側はまたまたここから話を続けていきたいらしい。しかし、いつまでやってるんだよ…という気もするし、何よりまたまた約束事だらけの「ワールド・エンド」化しそうでイヤな予感がする。「パイレーツ・オブ・カリビアン」はもうお腹一杯だ。そしてこの4作目ではまるで「インディ・ジョーンズ」化してしまって、ほとんど海賊は関係なくなってきたのはマズイんじゃないの? しかも売りだったはずの3Dも、映画全体に暗い場面が多かったせいでほとんど効果を挙げていない。これなら3Dにしない方がよかったかも。ロブ・マーシャルがこれを撮りたかった意味も、撮って変わった部分も特に見受けられない。

さいごのひとこと

 シリーズを続けるなら、毎回ヒロインを変えたらどうか。

 

「アンノウン」

 Unknown

Date:2011 / 06 / 06

みるまえ

 リーアム・ニーソン主演でサスペンスもの。予告編でチラリと見た限りでは、ちょっとした隙に「自分の居場所」がなくなっちゃった男のお話らしい。ただし、居場所がなくなっちゃった…と言ってもリストラされたとか、嫁と子供にイビリまくられるお父さんとかじゃなくて(笑)、どうやらホントに「いなかった」ことにされちゃうらしい。戻ってきたら嫁さんが「あんた誰?」と言ったり、その横に別の男が自分の名前を騙り、亭主面してふんぞり返ってるとか。まぁ、自分が付き合っていたはずの女がある日突然「あんた誰?」と言ったり、隣に別の男が亭主面してふんぞり返ってる…なんざオレの人生じゃあ日常茶飯事なみにあることだから驚くには当たらない(笑)。女ってのは普通そんなものだ。そうなると、オレの人生体験の方がサスペンス映画よりコワイのか(笑)? まぁ、それはともかく…こういうサスペンス映画は僕にとってはごちそうだ。正直こんなあり得ないシチュエーションのお話をどう着地させるのかは難しい。これがSFやらホラーなら、実は宇宙人にすり替えられたとか実は主人公はすでに死んで幽霊だったとか…いろいろやり方はあるだろう。しかしどうやらこの映画はサスペンス映画らしい。すると、現実的な設定で解決しなくてはならないわけだ。これはかなり難しいんじゃないだろうか。正直言ってこういうスゴイ設定で始まるサスペンス映画は、大概がガッカリする幕切れとなることが多い。それでも途中のワクワクドキドキ感で、僕は結構楽しく見れちゃうのだ。おまけに最近のリーアム・ニーソンは、「96時間」(2008)、「特攻野郎AチームTHE MOVIE」(2010)に今回の作品と、何だかやけにアクションっぽい作品に立て続けに出ているではないか。今回もニーソンの狂い咲きアクション俳優ぶりが楽しめそうだ。ところがどうも巡り合わせが悪く、なかなか劇場に見に行けない。こうして銀座の地下にある小さい劇場で、2本立て興行にまで落ちたところでようやくキャッチできた次第。

ないよう

 ベルリンの空港に降り立ったのは、科学者のマーティン・ハリス(リーアム・ニーソン)とその妻ベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)。ハリスがベルリンで行われるバイオテクノロジーの学会に出席するため、雪の降る中をやって来たのだ。タクシーで宿であるホテル・アドロンにやって来る二人。ところがベスをチェックインのためにホテルの中に行かせたマーティンは、 空港にカバンをひとつ忘れてきたのに気づく。ベスに事情を説明するのももどかしく、そのままマーティンはタクシーを拾って空港へと逆戻りだ。ところが運の悪いことは重なるもの。たまたま拾ったタクシーの前方を走るトラックから、荷台の冷蔵庫が落っこちて来るではないか。とっさの事にタクシーの運転手は慌ててハンドルを切ったが、クルマはそのまま橋の欄干を突破して川の中に落下。その瞬間、マーティンは頭を打って意識を失った。タクシーを運転していた女の運転手(ダイアン・クルーガー)は、窓ガラスを破って車外へと飛び出す。しかし後部座席のマーティンが気を失っていると見るや、外から窓を割って彼を救い出した。こうして何とか水面へと顔を出すことが出来たマーティンと女運転手。救急隊もやって来て人工呼吸が行われるが、マーティンの意識は戻らない。そんなこんなのドサクサに紛れて、女運転手はコソコソとその場から消えていった…。やがておぼろげに意識が戻ってくる。ここは病院だ。マーティンの意識が戻って、担当医も看護師も大慌て。しかし意識は戻ったものの、自分がどうしてこうなったのかが分からない。妻は心配しているはず…と思ったが、なぜか誰も警察に捜索願を出していない。さすがに意気消沈するマーティンだった。そんなある日、マーティンがテレビを見ていると、例のバイオテクノロジーの学会についてニュースで報じているではないか。そこに出てきた学会の開催場所…ホテル・アドロンを見て、マーティンもついにピンと来た。あそこだ、あそこが宿だった! こうして医師が「まだ記憶が完全じゃない」などと止めるのも聞かず、ホテル・アドロンに駆けつけるマーティン。しかし手元には免許証もなければパスポートもない。身元を証明するものはひとつもない。ならば妻に会わせるわけにも部屋に行かせるわけにもいかない…と、ホテルのフロントで押し問答。これはどうにもならん…と煮詰まったマーティンの目の前に、あの妻のベスがドレス姿で歩いていく姿が見える。ホテルの宴会場で行われている、学会のパーティに出席しようというわけだ。しめた、これなら身元証明ができる…と駆け寄るマーティンに、待ったをかけたのはホテルの警備員だ。しかし妻と会えば分かるはず…と押し切ったマーティンは、警備員を伴ってベスに近づいていく。ところが振り向いたベスは…「あなたどなた?」とばかりに剣もホロロ。突然いなくなったことを責めているのかと言い訳するマーティンだが、そもそもの話が噛み合っていない。そのうち彼女が「夫」と呼ぶ男まで現れるから、マーティンはますます訳が分からない。マーティン・ハリスと自称するこの男(アイダン・クイン)の方がどう見てもリアリティがあるから、なおさらマーティンの頭に血がのぼる。逆上すればするほど頭のおかしい男に見られ、結局その場からつまみ出される羽目になるマーティンだった。そこを何とか「医者から記憶が完全じゃないと言われた」とか何とか取り繕って、警察に引き渡されることだけは免れたマーティン。おとなしく病院に戻るフリをして、またまたホテルの前へと舞い戻った。しかしレストランでの妻ベスの様子を見ていると、どう見てもあのマーティンもどきの男を「夫」として扱っているようだ。一体何がどうしたのか? しかもマーティンは、途中から自分を尾行している不審な男の存在に気づく。これはもはや自分の記憶障害やら思い過ごしではない。そんなマーティンは、事故当日に自分を助けた運転手なら何かを覚えているのではないかと考え、タクシー会社へと足を運ぶ。例の事故後に彼女はタクシー会社を辞めていたが、当時の同僚がその居場所を教えてくれた。今ではしがない軽食屋でウエイトレスをしている彼女。しかしジーナというその女はボスニアからの不法移民で、厄介事に巻き込まれるのをイヤがった。仕方なくマーティンは、電話とメールだけとはいえ、多少はやりとりをしていた学者仲間ブレスラー教授を大学に訪ねる。しかし、そこにはすでにあのマーティンと名乗る別の男が先回りしていた。しかもこの男、ブレスラー教授との電話でのやりとりなどをすべて熟知しているではないか。おまけに妻との思い出写真やら免許証まであるとなるともはやどうしようもない。あまりの事に茫然自失したマーティンは、その場で思わず意識を失ってしまうのだった…。

みたあと

 映画を見るまで知らなかったのだが、オープニング・クレジットが始まってすぐに、僕はこの映画があの「ダーク・キャッスル」の新作だと気づいた。「ダーク・キャッスル」といえば「TATARI」(1999)を第1作としてB級ホラーの題材をA級スターを使って製作するホラー専門会社ではないか。ありゃりゃ…この映画ってサスペンスかと思っていたけど、やっぱり最後には宇宙人だの幽霊だののせいってオチになっちゃうんだろうか…? と、コワゴワ見始めたものの、やっぱりこれはサスペンス。そういや「ダーク・キャッスル」もケイト・ベッキンセール主演の南極を舞台にした「ホワイトアウト」(2009)あたりから、ホラー映画ではなくサスペンス映画をつくるようにはなっていたっけ。そんなわけで、この映画はやっぱり超自然的なモノが出てくるような映画ではなく、純粋なサスペンス作品としてつくられていた。で、サスペンスの中でも一番人気の高い、いわゆる「巻き込まれ型サスペンス」の作品としてつくられていたのだ。

みどころ

 「巻き込まれ型サスペンス」と言えば、その原点はヒッチコックの「北北西に進路を取れ」(1959)…な〜んてことは、今までこのサイトで耳にタコが出来るほど書いてきた。このジャンルの作品としては、つい最近でもジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーの「ツーリスト」(2010)なんて好例がある。この「ツーリスト」やオードリー・ヘプバーンが出た「シャレード」(1963)なんてのは、「巻き込まれ型サスペンス」でもユーモアたっぷりにつくっている方。逆に深刻に怖くつくっている方としては、ハリソン・フォード主演のロマン・ポランスキー監督作品「フランティック」(1988)が代表例だ。実は今回のこの作品、内容としてはかなり「フランティック」を参考にした形跡がある。「フランティック」はやはりパリで開かれる学会に出席するために、アメリカ人の学者夫婦がホテルにやって来るところから始まる。ついでに言えば、空港からタクシーに乗るというイントロまで同じだ。ところが突然この妻がさらわれてしまい、主人公である学者は慌てふためく。しかし周囲の者は単なる失踪だの、夫に愛想づかししただのと相手にしない。かくして主人公は不案内なパリの街で、妻を捜すための孤独な戦いを繰り広げることになる。途中で主人公に加勢する若い女が登場するあたりも含めて、「フランティック」は今回の作品に極めて酷似しているのだ。実際のところ、今回の作品の原作では舞台はパリだそうで、映画の作り手たちがあえて舞台をベルリンに変更したとか。そりゃそうだろう、それではまったく「フランティック」の亜流作品になってしまう。しかしいずれにせよ、作品全体に流れる雰囲気は「フランティック」と非常に似ているといえるのだ。間違いなく、今回の作品は「フランティック」に多大な影響を受けているだろう。ただ、僕もこの手のサスペンス映画のフォーマットは大好きだから、それだけで嬉しくなる。そして近年、アクション開眼したリーアム・ニーソンも頑張っていて、これまた見ていて楽しい。さらに途中で主人公の相棒となる女に、ダイアン・クルーガーが扮しているのがいい。この女優さんって最初はただのクール・ビューティーと思っていたのだが、「ナショナル・トレジャー」(2004)あたりから妙に活劇との相性の良さを見せるようになってきた。近作「ミスター・ノーバディ」(2009)もなかなか良かった。今回も主人公を助ける不法移民の女を演じて、なかなかいい味を出しているのである。さらに元東独秘密警察官で現在は探偵業を営んでいる男の役に、ドイツと来ればこの人、ブルーノ・ガンツ。おそらくは「ベルリン・天使の詩」(1987)のイメージがあって、「ヒトラー/最期の12日間」(2004)の大成功があっての起用だろう。「愛を読むひと」(2008)あたりから、この人の顔を頻繁にアメリカ映画で見かけるようになってきた。しかしこれもちょっと前のアメリカ映画だったら、ドイツを舞台にするといえば、女だったらエルケ・ソマーかゼンタ・ベルガー、男だったらハーディー・クリューガーかマクシミリアン・シェル、あるいはゲルト・フレーベあたりが起用されたところか。いやいや、それはちょいと古すぎるだろうが、少なくともユルゲン・プロホノフあたりは起用されたんじゃないだろうか。そのあたりのアメリカ映画におけるドイツ俳優の起用の変遷に、隔世の感を感じてちょっと感慨深かった。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 というわけで、アクションづいてるニーソンの暴れっぷりと「巻き込まれ型サスペンス」の典型ともいうべきストーリーを安心して楽しめるはずの作品だったはずだが、見ているうちにいささかお話にあまりに破綻があるのでビックリ。暗殺集団による暗殺計画がお話の「真相」ということになるのだが、それにしたってそのためにこんな事までするか?…という手の込みよう。というか、それがアダとなって計画が破綻するのだから、何をか言わんや。そんな余計なプランを練らずに、ただ単純に暗殺だけしてりゃあうまくいったんじゃないのか…というバカバカしさなのである。何だかわざと計画を難しく面倒臭くこねくり回しているようにしか思えない(笑)。まぁ、ハッキリ言うと極端にあり得ないはずのビックリ設定を映画の最初に持ってこようとしたがため、無理矢理に設定をこじつけたからこうなってしまったのだが…。この「真相」の無理矢理感は、ジョディ・フォスターがこれまた奇怪なシチュエーションに巻き込まれるサスペンス映画「フライトプラン」(2005)以来の強引さ加減ではないか? オリバー・ブッチャーとスティーブン・コーンウェルの脚本…のせいなのか、それとも本来の原作のせいなのか、とにかく設定があまりに不自然なので笑ってしまう。これはもうトンデモ映画の域に達しているよ。その他にも、終盤に登場してくるフランク・ランジェラが見るからに胡散臭いとか、爆弾の爆発を止めようと深追いして自滅するバカ過ぎる暗殺者とか…いちいち挙げだしたらキリがない穴だらけのお話なのだ。それでもソコソコ楽しめる作品になったのは、ニーソンはじめ俳優陣の魅力と、「蝋人形の館」(2005)や「エスター」(2009)でも「ダーク・キャッスル」作品を手がけたジャウム・コレット=セラ監督の腕前か。それにしても、それまで暗殺者として生計を建ててきた男が、あっけらかんと何もなかったかのごとく笑顔で人生再出発…なんて「ハッピーエンド」、果たしてアリなんだろうか? あまりの屈託のない明るさに、さすがにちょっと唖然としたよ。このエンディングも、トンデモ映画としての資格十分だ。

さいごのひとこと

 巻き込まれ型ではなく巻き込み型でした。

 

 to : Review 2011

 to : Classics Index 

 to : HOME