新作映画1000本ノック 2011年4月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ブンミおじさんの森」 「台北の朝、僕は恋をする」

 

「ブンミおじさんの森」

 Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives

Date:2011 / 04 / 18

みるまえ

 カンヌ映画祭のパルムドールをタイ映画がとった…ってなニュースぐらいは、さすがに話題に疎くなった僕でも耳にしていた。その年のカンヌのコンペティションの審査委員長がティム・バートンだったこともあってか、この作品の印象はすこぶる不可思議なモノだとも聞いていたし、だからといってCGなどを駆使したような作品ではなく、極めて素朴な作りの作品だということも伝え聞いていた。もっともアジアの「不思議」な映画とくれば、欧米のファンタジー映画みたいな作りではなく。単純素朴に作られることは最初から想像がつく。不思議だけど素朴なアジアの作品といえば、昔、ホール上映で見たインドのG・アラヴィンダンの作品「魔法使いのおじいさん」(1979)などを真っ先に想起してしまう。ともかくどんな映画か目撃するべく、僕は映画館に足を運んだ。

ないよう

 1頭の牛が、縄で木につながれている。ところがその縄がほどけて、牛はその場から逃げ出す。やがて森の中へと入っていく牛。しかし飼い主が牛のもとへやって来て、牛はおとなしくついていく。その牛の様子を、じっと見つめているひとつの影。その姿は毛むくじゃらで、目は赤い光を放っていた…。さて、ある日のこと、ジェン(ジェンチラー・ボンパス)というオバチャンとトン(サックダー・ケァウブアディー)という若い男が、クルマを飛ばして田舎へとひた走る。そこで待っていたのはブンミおじさん(タナパット・サーイセイマー)。ジェンはブンミおじさんの死んだ妻の妹だった。ブンミおじさんは農場を経営していて、多くの男たちを使っている。その中の一人ジャーイ(サムット・クウカサン)は、ブンミおじさんの透析の手伝いまでする。ブンミおじさんは腎臓病を患っていた。そんなブンミおじさんと夕食をとるジェンとトン。そんな食卓に、だしぬけに女の姿が現れる。それは昔亡くなったブンミの妻フエイ(ナッタカーン・アパイウォン)。食卓に一同と同席しているのは、そのフエイの亡霊なのだ。彼女はブンミのことが心配で、あの世からやって来た。そしてそんな食卓にもう一人「珍客」が…。階段を上って現れたのは、毛むくじゃらの黒い影。その黒い影は、自分のことをブンミの息子ブンソンだと名乗った。ブンソンはかつて写真に凝っていたが、森で撮った写真に不思議な生き物が写っていたのを見つけ、興味を惹かれて森に入った。そこで出逢ったのは「猿の精霊」たち。いつしかブンソンもこの「精霊」たちの仲間となり、行方知れずになっていたのだった。そんな不思議な食卓だったが、ブンミはいなくなっていた親しい者たちが戻ってきたので嬉しそう。しかし彼らがやって来たわけは、ブンミに死期が迫っているからだった…。

みたあと

 どんな映画か…については前述のあらすじだけで十分だろう。ほとんど説明らしきものもなく、いわゆる饒舌なストーリーテリングとも無縁だ。映画が始まってしばらくは、この登場人物たちの人間関係すら分からない。実は「トン」という名の若い男とブンミやジャンとの関係に至っては、見終わった今でもよく分からないままだ。このぶっきらぼうさ加減には驚かされる。そして少々体調が悪かったこともあって、お話が終盤に入って主人公ブンミが亡くなった後になると、さすがに僕も睡魔に襲われ始めた。というのは、情けない話だが何だかお話がよく分からなくなってきたからで、ラストなどはどう解釈すればいいのか…。ホテルの部屋を出てメシを食いに行こうとすると、別の自分たちがベッドの上に寝っ転がってテレビを見ている…という、まるで幽体離脱みたいな場面が出てくる始末だ。かといって、たぶんアレは幽体離脱ではないんだろうが。正直言うとこのあたりになると、この映画は僕には理解不能になっているのであった。この映画はタイ映画だが、昨今ようやく作品が何本か日本にやってくるようになった、いわゆるイマドキのタイ映画とはかなり違う。その違いを例えて言えば、韓国映画がニューウェーブ作品の登場で盛り上がりつつあった頃に突然変異的に現れた、「達磨はなぜ東へ行ったのか」(1989)みたいなもんだと言えばお分かりいただけるだろうか。その国の映画のメインストリームともニューウェーブとも一線を画する、どこか「孤高」のような雰囲気を漂わせる映画なのである。

みどころ

 とはいえ、そこに至るまでのお話…特に映画の中盤ぐらいまでは、不思議に惹きつけられるムードを持っている。まずは夕食の食卓に、いきなり死んだ主人公の亡霊が現れるくだり。何の前触れも脅かしもなく、いつの間にかそこにボワ〜ンと現れる。そういえば誰かいるな…という感じの、何ともさりげない現れ方なのだ。周囲の人々も別に驚きも怖がりもしない。こんなさりげない幽霊の出現場面は、映画史の中でも初めてではないだろうか。おまけにその後には毛むくじゃらのチューバッカだかビッグフットみたいな奴がやって来て、食卓に加わってしまうから、不思議さはさらに増すばかりだ。しかしみんなは普通に振る舞っているので、僕もついつい「そういうものか」と思ってしまう。このあたりの奇妙なムードは、他の映画にはまったく見られないものだ。実際のところ、後になって使用人の男がやって来てビックリしていたから、やっぱりアレは「普通なこと」ではあるまい。よくよく考えると、映画の中では使用人は外国人という設定になっているので、タイの人たちにしてみたら幽霊や「猿の精霊」などと同居・共生することなど、ちっとも不思議ではないのかもしれない。実はたまたま今週同時に「SF映画秘宝館」にアップするタイの怪獣映画「ガルーダ」(2004)を見た時にも、タイの人々が神々の存在を当たり前のこととして受けとめているような描写があって、非常に不思議に感じたものだった。そのあたりも含めて、分からないなりにこの映画には強く惹かれた。途中、唐突に出てくる醜い顔の王女とナマズのお話なども、すごく興味深いのだ。ただ、何であんな話がいきなり出てきたのか…映画として僕にはまったく理解はできない(笑)。終盤もあまりに分からなくて、さすがに眠くてまいってしまったことは告白しなくちゃならないだろう。それにしても、中盤までの不思議な雰囲気は捨てがたいのだ。

さいごのひとこと

 まぁ、ハッキリ言ってよく分からない映画だったけどね(笑)。

 

「台北の朝、僕は恋をする」

 一頁台北 (Au revoir Taipei)

Date:2011 / 04 / 11

みるまえ

 台湾の青春恋愛映画…と来ると、ちょっと見たくなる。なぜなら台湾には青春映画の傑作がゴロゴロしてる。ホウ・シャオシェンの「恋恋風塵」(1987)とかエドワード・ヤンの何作かもそうだし、あまり知られてはいないがチェン・クォフー監督の「宝島/トレジャー・アイランド」(1993)という突然変異的佳作もあった。だから昨年公開の「海角七号/君想う、国境の南」 (2008)には大いに期待したのだが、これはかなりガッカリな作品で意気消沈してしまった。…それはともかく、台湾には時々素晴らしい青春映画の傑作が出現するから侮れない。それで、かなり前から劇場でチラシを見かけたり予告編を見たりしていたこの作品が、僕としてはずっと気になっていたのだった。パリに行っちゃった彼女を追いかけたくて、お金を作るために「あるブツ」を運ぶ仕事を引き受けた主人公と、たぶん何らかの偶然で一緒に行動することになった女の子の、ちょっとオシャレでドキドキする一夜の物語…という話っぽい。やたらフランス、フランス…とチラつかせるのはダサい気がするし、ひとつ間違えばキザで空回りするウォン・カーウァイ映画みたいになりかねない気もするのだが、ヒロインになっている女の子が可愛かったりするのでやっぱり見たい。そんなわけで、時間をやり繰りして上映も終了間際の映画館に駆けつけた。

ないよう

 ある夜、平凡な青年カイ(ジャック・ヤオ)の恋人がパリへと発った。彼女はカイが見送る中、タクシーで彼の前から姿を消した。彼女がいなくなってから、カイにとって台北は何の魅力もない街になってしまう。両親の営む食い物屋を手伝うカイは、毎晩彼女に電話をするがいつも不在。仕方なく留守電にフランス語のメッセージを残す日々だ。しかし、彼女からの返事はない。そんなカイは彼女とフランス語で会話することを夢見つつ、今日も今日とて本屋でフランス語の本を立ち読み。そこに毎日やって来るのが、本屋の店員スージー(アンバー・クォ)だった。毎日立ち読みしているカイに興味を持ったスージーは、彼にアレコレと話しかける。あげくフランス語教室を紹介したりもするが、カイの頭の中は「彼女」のことで一杯。親しげに話しかけるスージーにも、大した関心を払わなかった。ところがそんなある夜のこと、待ちに待った彼女からの電話が、カイを絶望のどん底に突き落とす。彼女はカイと別れるというのだ。そんなことを急に言われても、ハイそうですかというわけにいかない。カイはともかくパリへ行き、彼女の気持ちを取り戻さねば…と焦る。しかし、カイにそんなカネを作れるわけがない。ところがカイの両親の店には、時折、不動産屋のパオ(カオ・リンフェン)がメシを食いに来ていた。この男、なかなかの有力者らしく、店に来た時にはカイに「仕事がほしけりゃ連絡しろ」と声をかけていた。かくしてカイはパオに旅費を頼み込み、早速パリ行きが実現する。「恋ってのはいいもんだよ」…今までアレコレとヤバい橋も渡ってきたパオは、今ちょうど老いらくの恋に溺れている最中。だからこそカイの頼みに、二つ返事で答えたわけだ。一方、パオの下で働く若造ホン(クー・ユールン)は、手下の若造連中と一緒にケチな宝くじ泥棒を働く手癖の悪いワルガキ。こいつらが盗みを働いたおかげで、周辺を警察が張り込むことになる。張り込みのチーヨン刑事(ジョセフ・チャン)は恋人に自信満々強気の態度で出ていたら、いきなり逃げられて意気消沈している最中だ。そんなチーヨン刑事と相棒の前に、怪しげな人影がチラつく。実はこの男、例の訳アリ有力者パオの古い仲間で、今回もパオの頼みで何やら「ブツ」を運んできたところ。そこに張り込み刑事たちが現れたので、「ブツ」を無造作に隠すとその場から逃げ出した。さぁ、困ったパオは丁度「貸し」をつくったばかりのカイに、この「ブツ」を運ぶ役を頼み込む。パリ行きは翌朝。その前の「一仕事」だ。ところがそんなパオの電話をホンが聞きつけて、例によっての悪だくみ。パオがカイに運ばせようとしている「ブツ」を、横からかっさらってしまおうと考えた。そうとは知らぬカイは事情をまったく分からないまま、言われるがままにパオの古馴染みから「ブツ」を手渡される。それを目撃したチーヨン刑事はカイを追いかけるが、カイはファミマで働く親友のカオ(ポール・チャン)と共に、バイクでその場を立ち去ってしまう。カイはカオとともに、これから台北で最後のメシを食おうというわけだ。そんなこんなで夜の繁華街の店先を散策していたカイとカオは、偶然にも一人でメシを食うスージーと出くわす。ここで妙に気を利かせたのか気が利いてないのか、カオはスージーも加えて3人でメシを食おうと提案。そのままカオは、食い物を買いに二人の前から姿を消してしまう。何となくバツの悪い気分のカイとスージーが食い物を買うため列に並んでいると、あのホンの手下連中が突然二人の前に現れた。しかもこの連中、どこで手に入れたか拳銃を持っているではないか!

みたあと

 いきなり主人公の恋人がパリへと去り、主人公はフランス語で留守電に話しかける。このへんの「おフランス」「西欧」への傾倒ぶりや映画の雰囲気から、な〜んとなくウォン・カーウァイの「恋する惑星」(1994)あたりの作品群を思い出す。個人的には僕は「恋する惑星」はキライじゃないし、むしろ評価するほうだが、その後のウォン・カーウァイが辿った道を考えてみると、こういう欧米かぶれみたいな趣向はいいとばかりも思えない。早速、大丈夫かなぁ…と心配になってきちゃうのだが、この映画はウォン・カーウァイ作品ほど気取ってもいないしお高くとまってもいない。イイ意味で人なつっこくて敷居が低いのが身上。何しろ出てくるキャラクターがどれもこれも大してカッコよくない(笑)。というか、愛すべき存在ばかりなのがいいではないか。

みどころ

 お話の中心はたった一夜の物語で、そこで主人公たちが思わぬ「事件」に巻き込まれてしまう。これが拳銃まで出てくるし刑事も登場する物騒な設定のはずなのに、まったく「悪人」が出てこないというのは…何ともユニークで素晴らしい趣向ではないか。この中で最も「悪人」らしいのは、エドワード・ヤン作品や「ラスト、コーション」(2007)への出演でもお馴染みのクー・ユールン。しかし彼でさえも、捕虜として捕らえているはずの主人公の友人カオに「恋愛指南」をするような男。その手下と来たら、捕らえてきたカオと一緒にマージャンをやったり餃子を食ったりしているんだから恐れ入る。「事件」も何ともスットボケた幕切れとなり、血も流れなければ弾丸ひとつ飛び交わないのだ。それがまず素晴らしい。カオを演じるポール・チャンの、芝居がうまいんだかヘタなんだか分からない表情も絶品。こういうキャラひとつひとつが、どれもこれも親しみの湧く設定になっているから、見ていて素直に楽しめるのである。肝心要の主人公カイは何となくパッとしないキャラで、友人カオをさらわれているのにただ手をこまねいている…など、ちょっと困った設定になっている。しかしこれも、考えようによっては意味がある。このパッとしないところが親しみとなって、作品全体を気取ったウォン・カーウァイ作品みたいになることから救っているのだ。そして何よりヒロインのスージーを演じるアンバー・クォのキュートなこと! 正直言って、この作品を見る喜びの半分は彼女の魅力と言ってイイ。そのくらいステキだ。そんなキュートな彼女と夜の街を逃げ回り、追跡し、そして時にはダンスする…このパッとしない主人公だからこそ、僕ら観客は彼に成り代わってヒロインとのやりとりを追体験できる。これはまさに至福の時だ。中でも最も素晴らしいのが…逃亡中に広場で踊っている人々の中に紛れ込んで、主人公二人も一緒に踊るダンス・シーンだ。実はこの素晴らしい趣向はラスト・シーンでも繰り返され、本屋で繰り広げられるなかなかゴキゲンなミュージカル・シーンとなっている。まるで「(500)日のサマー」(2009)に登場する素晴らしいミュージカル・シーンを彷彿とさせる場面が、それと同時にゴダールの瑞々しい初期作品「はなればなれに」(1964)でのダンス・シーンなども想起させて感慨深い。そのくらい、この映画での主人公たちのダンス・シーンは見ていて嬉しくなる瞬間だ。エンディングもどうなるか見ていて大体想像はつくが、それこそが観客の望んでいることだからこれでいい。見ている僕らも幸福感を共有できる、素晴らしい幕切れなのである。それもこれも、これが長編映画デビューとなるアーヴィン・チェン監督のお手柄だろう。この監督がアメリカ出身の中国人であることが、この作品にはプラスに働いた。アメリカ出身だからこそ乾いた感覚の作品になったのだろうし、アメリカ出身だからこそ一見欧米かぶれみたいな趣向の作品でありながら、それらとは一線を画した愛すべき作品になった。アーヴィン・チェン監督には、そもそもウォン・カーウァイみたいな欧米コンプレックスがないからだ。全編気取りのない可愛らしい作品に仕上がったのは、そのためなのだ。

さいごのひとこと

 劇中に出てくる食い物もうまそう。

 

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