「50/50(フィフティ・フィフティ)」

  50/50

 (2011/12/26)


  

見る前の予想

 「(500)日のサマー」(2009)を見た人なら、誰しも主役を演じたジョゼフ・ゴードン=レヴィットに注目せずにはいられないだろう。

 あのフレッシュな映画の中でも特にフレッシュ。男だったら誰でも身に覚えがある感情を演じてみせて、観客の圧倒的な支持を得た。あの身につまされ方っていったらなかった。

 そんなナイス・ガイの新作が、突然、難病にかかっていると知った青年のお話…と聞けば、これはまたまた見たくなって来るではないか。絶対に面白いに決まっている。多くの情報を得てはいなかったものの、何となく作品周辺から、「(500)日のサマー」に相通じる雰囲気も感じ取っていた。

 正直言って「ジョゼフ・ゴードン=レヴィットの難病モノ」ということしか知らないまま、僕は劇場に駆けつけた。実はこれを見たのは公開直後のことだったが、ここ何ヶ月かの仕事の忙しさから感想文が遅くなった次第。こんなに遅くなってから書いても仕方ないのだが、もしDVDなどで接する方がいるとしたら…と思って、何とか年内に感想文をアップした。これについてはまことに申し訳ない…。

 

あらすじ

 今日も今日とて、iPodでロックを聴きながらジョギングしている青年アダム(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)。地方のラジオ局のスタッフとして働く彼は、ごくごくありふれた男だ。

 前衛画家のレイチェル(ブライス・ダラス・ハワード)みたいな女の子を恋人にしている割には、妙に保守的なところもある。そのマブダチが同じラジオ局に勤める太めのカイル(セス・ローゲン)。ガサツでデリカシーなし、口を開けば女とセックスの話ばかり。しかしアダムにとっては最高に気の置けないダチだ。この日も腰の痛みをおぼえたアダムに、「彼女と変な体位でヤッてるからじゃないか」などと言わずもがなのセリフ。しかし実際にはアダムはレイチェルの振り回されて、恋人であるはずなのに満足に「やらせてもらってない」状態だったのだが…。

 ともかく内心いささか不安になっていたので、病院に検査を受けに行った次第。その結果は…。

 神経繊維肉腫だの何だのと訳の分からない名前を並べられたが、とどのつまりが要するに「ガン」。しかも5年後の生存率が50パーセントという難病。まったく想像もしてなかった事態に、アダムのこれまでの世界は一瞬にして音を立てて崩れていった。

 早速、翌日にカイルに話してみると、意外にもアッサリとした反応。「大丈夫だ、治るって。パトリック・スウェイジだって生還しただろ?」「スウェイジは死んだよ」…といった大ボケなやりとりをするアリサマ。しかしカイルみたいなのはマレだ。

 例えばレイチェルは…あれほどマイペースな女だったのに、いきなりアダムを支えると言い出す。思わずどうしちゃったのかと心配になる。

 大事になるので母親には告げたくなかったのだが、黙っている訳にもいかず母(アンジェリカ・ヒューストン)とアルツハイマーの父を自宅に招待。レイチェルと二人で出迎えて、食事の後におもむろに真相を打ち明けた。

 「母さんは『愛と追憶の日々』(1984)って映画を知ってるよね?」

 案の定大騒ぎになったが、これは予想通りの展開だった。母がアダムの部屋に越してくると言い出したのも想定内。ただし、この申し出は丁重にお断りしたが…。

 職場ではカイルのおせっかいから、アダムを励ますパーティーが開催される。職場のみんなが優しくアダムに接してくれて…あまりに優しすぎる! まるで「もう死んじゃった」みたいな扱いに、余計に孤独を感じずにはいられない。

 そんなアダムは病院での治療の傍ら、カウンセリングを受けることになる。だがセラピストのキャサリン(アナ・ケンドリック)はいかにも新人丸出しで、アダムを不安にしかしない。こんな奴で大丈夫なのか?

 そんな闘病生活で、アダムは「仲間」ができた。抗ガン治療薬を一緒に点滴されながら、アラン(フィリップ・ベイカー・ホール)、ミッチ(マット・フルーワー)とバカ話に興じるようになったのだ。

 しかし抗ガン剤は想像以上にキツかった。体調不良に襲われ、常に具合が悪くなる。おまけに彼の世話を見ると言っていたレイチェルが、なかなか彼のもとに帰って来なかったりする。

 ちょうどそんな時だった、カイルがアダムをダシに使ったナンパで手に入れた彼女と美術展に行って、レイチェルとある男がキスしている現場を見つけたのは…。

 怒り心頭のカイルはアダムの家に急行。ちょうど帰って来たレイチェルと鉢合わせして罵倒大会になった。

 「このクソ女めが!」

 結局、大騒ぎのあげく、レイチェルは家を出ていった。だが、カイルに言わせれば「これでいい」。カイルはアダムと一緒にレイチェルが置いていった絵をボロボロにして、しまいには火までつけて憂さ晴らしだ。まぁ、これくらい「健全なお楽しみ」だろう。

 こうして「独り者」になったアダムを、カイルが盛んにナンパに誘い出す。ガンはナンパの「ネタ」になるというのだ。実際、カイルの睨んだ通りに、自分が「ガン患者」であると名乗ったとたん女が寄ってくる。しかしいよいよとなった時には抗ガン剤で身体が言うことをきかない。結局、空疎な気持ちを抱えるだけのアダムだった。

 そのうち「患者仲間」のミッチが亡くなり、自分のガンも抗ガン剤では小さくなっていないと聞かされ、いやが上にも現実と向き合わざるを得なくなるアダム。

 こうして早期の摘出手術が必要になってきたのだが…。

 

見た後での感想

 先にも述べたように…見る前から予感はあったのだが、この映画はどこか「(500)日のサマー」の続編というか「難病版」といった趣がある。

 ジョゼフ・ゴードン=レヴィットの演じるキャラクターもどこか似ているし、それが見事なまでに等身大の「男の子」ってところが共通している。お話にも一貫して圧倒的なリアリティと「実感」が漂っているところまでそっくりだ。

 もちろん、僕らが全員とも難病に取り憑かれて死に直面するようなことはない。しかしそこに至るまでのお話や、そうなってからのディティールには、たぶん現実にもこうなんだろうな…と僕らに思わせるような、日常と地続きのリアリティがある。

 何より難病に冒されたら、毎日深刻な顔をしたりメソメソ泣いたり、絶叫したり哲学的な思考を巡らせてなければならないなどという、バカげた決めつけがないところがいい。こういう映画だけは、「余命一ヶ月のナントカ」なんてくだらないシロモノをつくっちゃう日本ではたぶん無理だろう。主人公が恋人と別れた後で、彼女が残していった絵をムチャクチャにしてバカ笑いしながら憂さ晴らしする場面など、男らしくない「ささやかな復讐」ではあるがバカバカしくも痛快だ。まぁ、そうしたって別にバチは当たらんだろう。

 監督のジョナサン・レヴィンも脚本のウィル・レイサーもお手柄。正直言ってストレートに気持ちのいい映画だから、ゴチャゴチャほめるための言葉が浮かんで来ない。この映画については、僕はあまり「映画評」的に書けることが少ないなぁ。情けない話だが、白状するとそういうことだ。「良かった」というくらいしかやることがない。

 まぁ、ひとつだけ難を挙げるとするならば…正直に言って主人公とセラピストが仲良くなっちゃうのはちょっとどうなのか…と思わないでもないが、そこはこの映画全体の気分の良さに免じて目をつぶりたい。

 さらにこの作品は、ある意味で新しい時代、新しい世代のための「生きる」(1952)になっているところが素晴らしい(実際に「生きる」を意識した演出を見せている部分もある)。それを黒澤よりもいかめしくなく、さりげなく実現しているところがニクイのである。

 

主人公を囲む芸達者な役者たち

 そういう訳で大変気に入っている作品だし大いに楽しんで見たが、どこがどう素晴らしいとテクニック的に挙げるのは、「さりげない」良さを持っている作品だけに極めて難しい。だから先にホメたところでも、月並みなことしか言えなかった。そこで…ここではとりあえずこの作品に集結した、昨今注目の役者さんたちに注目したい。ジョゼフ・ゴードン=レヴィットがいいのは今さら言ったところでしょうがないが、彼を取り巻くキャラクターたちにも素晴らしい役者たちがキャスティングされているのだ。

 例えばセラピストを演じたアナ・ケンドリックマイレージ、マイライフ(2009)に引き続き、またまた「背伸びする新米」を演じて楽しい。ゴードン=レヴィットといい彼女といい、こういう旬の若い人をちゃんとキャスティングしているあたりが、作り手の嗅覚の素晴らしさを感じさせる。

 押しつけがましくも愛情溢れる母親役アンジェリカ・ヒューストンにもまいった。あれってうちのオフクロそっくりだ。主人公と別れる恋人役のブライス・ダラス・ハワードも好演しているが、役どころとしてはM・ナイト・シャマランのミューズとして出てきたヴィレッジ(2004)の頃と比べると、スパイダーマン3(2007)やヒアアフター(2010)、そして今回の作品と、ちょっとお気の毒な役が続いているのがかわいそう。いい女優さんなんだけど、何だか脇で出てくる幸薄系の役柄が指定席になっちゃったマリサ・トメイみたいになりそうだ。

 そんな中でもダントツに素晴らしいのが、何と僕が見る前に危惧していたセス・ローゲン。正直言って、僕は元々この手の「がんばれタブチくん」体型のデブ白人役者は苦手。案の定、脚本まで手がけたグリーン・ホーネット(2010)は最悪の出来だった。この男が演じる主人公のデリカシーのなさに、心底ウンザリさせられたのだった。

 では、今回はどうだったのかと言えば…実は今回もデリカシーのなさという点では五十歩百歩で、最初の頃には主人公をダシにしてナンパするばかりのこの男のキャラに辟易。ところが終盤、主人公が酔いつぶれたこの男の家を訪れると、便所にコッソリ「ガン患者と接する方法」などという本が置いてあるではないか。これを見ちゃうと、それまでのデリカシーのなさが一気にオセロ・ゲームのようにバタバタッと逆転。好感度キャラに変貌するから不思議だ。ただし…セス・ローゲンがエライのか、ローゲンのキャラをうまく活かした演出・脚本がエライのか、結論は次回に持ち越しとしたい。

 

僕の個人的な共感

 そんなわけで、大いに気に入ったしホメたいこの作品…ただし僕が本当に気に入った部分は、純粋に映画として優れている点だけでないかもしれない。

 妙な言い方をして大変申し訳ないが、作品としての出来の良さ以外の部分で、僕の心の琴線にかなり触れた部分があったような気がしたのだ。

 それを詳しく語る前に…ここから先は僕のくだらない戯言であると聞き流していただきたい。

 で、くだらない戯言だということを前提に話を進めさせていただくと…僕は先に、アンジェリカ・ヒューストン演じる主人公の母親を評して、「うちのオフクロそっくり」と語った。それはまったくその通りで、常に息子である僕が持て余しているのも同じなら、そうは言ってもその母親の愛に守られているのも同じ。さらにそんな母親を常に邪険に扱って来たのも同じだ。だからこの映画を見ていて、僕はかなり胸が痛くなった。

 しかし、実は似ているのは母親だけではない。

 もっとハッキリ言おう。主人公その人も、僕とかなり似た人物なのだ。

 いや、「共感した」「身につまされた」という話をしたいわけではない。そんなことはすでに何度も語っている。そうではなくて、この主人公が本当に僕に似ている…と言いたいのだ。

 まずは、月並みではあるが置かれた状況が似ている。この主人公はラジオ局のスタッフだが、単に「お仕事」としてやらされているのではなくて、彼なりにやりたいことがあってやっているようだ。僕も何だかんだ言って、今の編集の仕事を好きでやっている。時には仕事度外視して、自分の趣味みたいに打ち込むことだってある。ここでの主人公のライフワークは火山の番組らしく、上司にブーブー言われながら納得行くまで時間をかけているようだ。さすがに僕は思う存分時間をかけられはしないが、このへんの気持ちはよく分かる。もうひとつついでに言えば、ラジオなのに視覚的な要素の強い火山の番組…ってあたりのピントのはずれ方も、どこかオレに似てる気がする(笑)。

 クルマを運転しないという変なこだわりも、同じように運転しない僕と共通だ。もっとも僕の場合、こだわりというより本当に危ないのだが…。付き合う女の好みも、どこか共通するモノがある。実際、僕はこの映画のブライス・ダラス・ハワードっぽい女と付き合ったことがある。残念なことに、その女はキャラクターも似通っていた。散々振り回されたこともまったく同じ。

 しかし、そんな点はまだ生やさしい。まだ普通に「共感」とか言う類のレベルでしかない。実はズバリ申し上げると、みなさんには笑われるかもしれないが…僕はここでジョゼフ・ゴードン=レヴィットが演じている主人公に、外見上もかなり似ているのだ。

 いや、これは冗談ではない。正確に言うと…当然のことながら現在の僕ではなく、まだ20代の僕ということになるのだが…ここでの主人公の服装、髪型、体つき…などなどが、当時の僕の外見をモロに彷彿とさせるものばかりなのだ。今でこそ太って髪も薄くなってしまったが、かつての僕は痩せて頼りなさそうで、どこか堅苦しくてヤボっちい、そんな感じの男だった。しかもそんなヤボ臭さやダサさは、分かった上でやっているんだと言いたげな神経質さもどこかチラつかせていた。そのあたりの雰囲気が、外見的にもこの映画の主人公とよく似ていたのだ。

 ここでハッキリ言っておくと、僕は決してジョゼフ・ゴードン=レヴィットには似ていない。しかしこの映画でジョゼフ・ゴードン=レヴィットが演じている、主人公のムードと共通するモノを持っていたのである。さすがにこれには、僕も映画を見ていて愕然としてしまった。

 何をバカなことを言っているのだ…とおっしゃるであろうみなさんに、証拠の写真を突きつけたいと探してみたのだが、ちょうどバッチリの服装のモノとか髪型のモノが見つからない。その中で、比較的近いと思われるものをここに挙げてみた。

(1984年12月撮影)

 

 どうです? 何となく似た感じでしょう? …似ていないか(笑)。

 本当は、もっとドンピシャ、そっくりの服を着た写真とかがあったんだけどねぇ。それを見せてあげられなくて残念だ。まるで僕の伝記映画でも作っているみたいに、あまりにもそっくりな服装だったからね。こいつらどこかでオレの昔の写真を見たんじゃないかと思ったよ(笑)。

 他のみなさんはこれを読んでドン引きドッチラケだったかもしれないが、そんなわけでこの僕にとっては、この映画はまさしく人ごとには思えない映画になったのである。

 

 

 

 

 to : Review 2011

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME