「ゴーストライター」

  The Ghost Writer

 (2011/12/12)


  

見る前の予想

 この映画のことはだいぶ前から知っていたのに、公開されてからもしばらく見に行けなかった。

 巨匠ロマン・ポランスキーの新作、主演はユアン・マクレガー、ジャンルはどうやらサスペンス映画らしい…映画ファンとしては何としても見たいところだ。ポランスキーのサスペンス映画と言えば、大好きな「フランティック」(1988)もあるではないか。これは絶対に見なくては!

 しかしちょうど仕事が忙しくなっていった矢先だったし、この作品もかなりな評判みたいで、足を運んでも簡単に見に行けなそうだ。実際、一度劇場まで行ってはみたものの、ほぼ満席状態だったので断念したこともあった。後で聞いたら原作も有名なベストセラーらしく、そんなこんなでオッサンたちが押し掛けているのだとか。そんなわけでスッカリ恐れ入った僕は、しばらく遠目に見ていることにしたのだった。

 実際に作品に触れたのは10月も末の頃。ところが感想はなかなか書けず、今頃アップすることになった次第。こんなに遅れて大変申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

 降りしきる雨の中、そのフェリーは夜の港に着いた。

 続々とクルマが船から下りていくが、その中に一台だけ、ピクリとも動かないクルマが…。どうやら車内には、人がいないらしい。それではこのクルマを運転していた人物はどこへ?

 一方その翌朝、とある海岸に一人の男の死体が打ち上げられていた…。

 話変わってここはロンドン。作家(ユアン・マクレガー)はエージェントのリック(ジョン・バーンサル)から新しい仕事の話をもらった。それは、元イギリス首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自叙伝を書く「ゴーストライター」の仕事だ。

 アダム・ラングは在任中は圧倒的支持率を誇った首相で、政治家というより「スター」といったほうが近いかもしれない。そんな華やかなカリスマを持っていた男だ。

 ところでその自叙伝、すでにラングの元補佐官が書いた原稿はあるにはあるのだが、どうもその出来は芳しくないらしい。しかもこの補佐官、その後ですぐに死んだという。

 作家は正直なところ、それを聞いて直感的にイヤなものを感じた。その時に感じたイヤな予感を信じて、手を引いていればよかったものを…。

 とりあえず関係者と面接をすることになり、出版社まで出向く。出版社のニューヨーク支社から来たマドックス(ジェームズ・ベルーシ)やラングの弁護士クロール(ティモシー・ハットン)にあれこれ質問されて、「政治には関心がない」と率直に語った作家。しかし「大事なのはハートだ」とブチあげたあげく、1か月で執筆すること、ラングが滞在中の米国の島で執筆すること…という2つの条件をのんだら即決。おまけに「これを読んでおけ」と分厚い原稿の束を渡される。

 ところが…やはりイヤな予感は的中か。その原稿を抱えて自宅に戻って来たところを、いきなり強盗に襲われる始末。それはどうも大したブツではなかったようだが…。

 おまけに作家がアメリカに向うため空港にやって来ると、テレビでは元首相ラングがイスラム過激派を不当に拷問したあげく、CIAに引き渡した疑いがあるとのニュー報道。まだ何も始まらないうちから、早くも仕事の前途に暗雲がたれ込める。

 こうして寒空の下、やって来たのはアメリカの小さな島。ラングはその島に構えた邸宅に、側近たちとともに暮らしていた。ただし作家が到着した時にはラングは不在で、専属秘書のアメリア(キム・キャトラル)が彼を出迎える。

 ここで問題の元補佐官が書いた原稿と対面。持ち出し厳禁と念を押されてから一気呵成に読み始めた作家だが、とにかく長ったらしいやら退屈やらでウンザリ。ゲッソリして読み終えた彼の前に立っていたのは、ラングの妻ルース(オリヴィア・ウィリアムズ)だ。

 その夜、ルースやアメリアと一緒に、空港に行ってラングの到着を出迎える作家。初めて対面したラングに作家は、ちょっと気の利いた挨拶をしたつもりだった。

 「僕はあなたのゴーストです」

 これが見事にスベってしまったのには、作家もさすがに意気消沈。妻ルースと秘書アメリアの関係をはじめ、ラングを巡る人々の人間関係はいつもどこかピリピリしていたのだ。

 その日はそれで邸宅から引き揚げ、島の小さなホテルへ。すると、作家に近づいてくる初老の男がいるではないか。この男は作家にこの島に来た理由を詮索するが、作家はのらりくらりとはぐらかす。すると男は悪態をついて去っていくのだった。ますますイヤ〜な気分。

 そんなこんなで、翌日からラングへのインタビューが始まる。語らせれば元々が「スター」気質のラング、聞く者の心を惹き付けずにはおかない。そもそもが政治などに関心のなかったラング。政界入りのキッカケは、妻のルースだと語る。彼女が選挙活動の手伝いをやっていたので、その気を惹きたくて同じ政党に入ったのだ…。

 ところが昼頃、とんでもないニュースが飛び込んで来る。ラング政権で元外相を務めていたライカート(ロバート・パフ)が、戦争犯罪人として国際刑事裁判所にラングを訴えるというのだ。これにはアメリアはじめラングのスタッフたちも騒然。何かラングのコメントを出さねばならない…と言ったアメリアは、作家にそのコメント原稿を書かせる。いまや作家は、ラング・ファミリーの「身内」となったのだ。

 邸宅の周囲にはデモ隊や群衆、警官たちが取り巻く異常な状況。作家はホテルに泊まっているわけにいかなくなり、この邸宅で寝泊まりすることになる。あてがわれたのが、死んだ元補佐官の部屋だった…。

 ラングは急用でアメリカ本土に渡り、また留守となった。ぽっかりと空いた時間に部屋の片付けを始めた作家は、そこで元補佐官が隠していたラングの資料を発見する。ところがそこにあったラングの党員証の日付は、彼がルースと知り合ったというよりもっと前のもの。さらに若き日のラングが何者かと撮影した写真には、「ポール・エメット」という知らない男の名前と電話番号が書いてあった。作家がついつい好奇心にかられてその番号に電話してみると、何と電話の向こう側からは「ライカートです」と名乗る男が出てくるではないか!

 今、ラングを告発している当人の、元外相のライカートなのだろうか?

 ラング周辺に渦巻くナゾの解明と気晴らしに、自転車を借りて邸宅の外に出てみる作家。まず向かったのは、元補佐官の死体が発見されたという場所。彼はこの島の海岸に、死体となって打ち上げられていたというのだ。

 しかし途中で雨が降り出し、作家は海岸近くの家で雨宿り。ここで出会った一人の老人(イーライ・ウォーラック)は、作家に気になることを告げた。もしフェリーから人が落ちたら、海流の関係でこの海岸には漂着しないというのだ。しかも事件前夜にここで人影を見たと証言した女が、その直後に事故で昏睡状態になっているとも…。

 そんな作家は、たまたま外出中だったというルースとバッタリ出会う。天気も悪いためルースと邸宅に戻った作家は、彼女に様々な疑問をぶつけてしまう。すると、動揺を隠さないルースは雨の中を外に出ていってしまうが、真夜中に作家の部屋へとやって来る。ズブ濡れの服を脱ぎ捨て、彼のベッドの中へ…。

 マズイ、あまりにマズ過ぎる展開だ。しかし作家も男。据え膳を食わないわけにはいかなかった…。

 その翌日、さすがにこのままではいけない…とホテルへ戻る決心をした作家は、例の原稿をコッソリ持ち出し、元補佐官が使っていたクルマを借りて邸宅を出る。ところがクルマのカーナビには以前の記録が残っていたらしく、彼をいずこかへと導いていくではないか。

 こうなれば乗りかかった船。これは元補佐官が辿ったコースなのかもしれぬ。

 腹をくくってカーナビに身を委ね、フェリーに乗って本土に上陸する。こうして長旅の末に導かれたのは、とある邸宅の前。そこは大学教授でありCIAのエージェントであると疑いのある人物…「ポール・エメット」(トム・ウィルキンソン)の邸宅であった…。

 

見た後での感想

 何と言えばいいのだろう。毎度毎度のことではあるが、こういう映画の場合には本当に語る言葉に苦労する。あるいは、自分の凡庸なボキャブラリーにウンザリするとでも言うべきか。

 面白いとしか言いようがないのだ。

 冒頭のフェリーからいつまで経っても降りて来ない一台のクルマ…という思わせぶりな場面から、一気にグイグイ引っ張り込まれてしまう。これぞ映画だとでも言いたくなる滑り出しだ。

 原作はベストセラーとのことでかなり面白いのだろうが、その原作者ロバート・ハリスがポランスキーと一緒に書いた脚本が極上の出来映え。それもそのはず。僕は無知で知らなかったのだが、ロバート・ハリスってナチスが勝利した第二次大戦後のドイツという設定の、パラレル・ワールドもののSFミステリー「ファーザーランド」を書いている人ではないか。いやぁ、そりゃ面白い訳だよ。

 そんなわけで元から原作も面白ければ脚本も面白いのだが、冒頭のフェリーでの場面を例にとってみても分かる通り、映画としての語り口も何とも見事だ。後半のカーナビに導かれて主人公が核心に深入りしていくあたりも、よく考えるととてつもない事が起きている訳でもないのに目が離せない。ポランスキーってこんなに「うまい」人だったんだ。

 正直言って、僕はロマン・ポランスキーの熱心な観客ではなかった。中学時代から映画を本格的に見始めているのだから、本当だったら「マクベス」(1971)あたりからリアルタイムで見るチャンスはあった。しかし、やっぱり中学生だったらポセイドン・アドベンチャー(1972)とかを見に行っちゃうよねぇ。傑作「チャイナタウン」(1974)や「ローズマリーの赤ちゃん」(1968)はテレビで、出世作「水の中のナイフ」(1962)は大学の無料上映会で見て、それぞれ感心はしたけれど…まぁ、「名作をお勉強させてもらった」という感じ。劇場で初めて公開時に見たポランスキー作品は「テス」(1979)だが、ナスターシャ・キンスキーに大女優の出現を「予感」したものの、作品そのものの価値はあまりよく分からなかった。結局、ポランスキー作品を心から「面白い」と楽しんだのは、1988年の「フランティック」が最初ということになる。たぶん年齢的なこともあったのだろうし、元々ヒッチコック風の「巻き込まれ型サスペンス」の作品が好きということもあったが、この作品にはハマったしポランスキーの新作が楽しみになったのだ。

 以降、「赤い航路」(1992)も「死と処女」(1995)もそれなりに楽しんだ(個人的に今回の作品は、どこかこの「死と処女」の感触に似たものを感じている)。「ナインスゲート」(1999)は正直言って失敗作だと思うが、ポランスキー流サスペンス映画のテイストは味わえた。そしてオスカーを受賞した戦場のピアニスト(2002)は…正直言ってこの手の題材の映画はお説教を聞かされているようであまり面白くないものだが、それなりにキチンと「楽しめる」映画にしているあたりに感銘を受けた。僕にとってポランスキーとは、作家だとかシャロン・テート事件などの受難を受けた人だとか、少女強姦でアメリカから逃げた人とかユダヤ人だとか…そんなことの前にまず「サスペンスの巨匠」であり、スリルあふれる映画を作らせたら右に出る者のいないエンターテイナーなのだ。今回の作品は、まさにそんな「僕にとってのポランスキー作品」らしい作品に仕上がっている。

 派手でケレン味たっぷりの演出やらチャカチャカした映像など、「これ見よがし」なことは何一つしていない。演出タッチは今日びの映画としては控えめ過ぎるくらいなのに、見始めたらスクリーンから目が離せない。これはまさに名人芸としか言えないだろう。これのどこがどう「いい」のか、言葉で語るのは難しい。というか、実は僕もどこがどう「いい」のかよく分かっていないのだ。

 だからまことにお恥ずかしい話ではあるが、「うまい」という言葉しか見当たらない。そんなこと僕でなくても他の連中がすでにウンザリするほどこの映画を形容するために言ってるんだろうが、どうせ彼らだってしたり顔はしているが「どこがどう」いいのか分かってやしないだろう。でなけりゃどこかの誰かが、この映画の「この部分」の「この描き方」が「このように」いいと具体的に言えるはずだ。彼らみたいな偽善はイヤだからハッキリ言っておこう。僕はこの映画が「いい」とは思うが、どこが「いい」のかは具体的に全く分からない。

 だから僕も、「うまい」という手垢の付いた言葉を改めて使わずにはいられないのだ。

 

隅々まで気の配られた豪華な配役

 そんな中で僕があえて挙げるべき点といえば、その充実しすぎな配役陣だろうか。脇の配役の豪華さがハンパじゃないのである。

 まずは主人公を出版社で待ちかまえるのが、もはや懐かしいという言葉が当てはまるジェームズ・ベルーシ「きのうの夜は…」(1986)でロブ・ロウのダチ、「サルバドル/遙かなる日々」(1986)でジェームズ・ウッズのダチを演じた彼は一時期はアーノルド・シュワルツェネッガーと二枚看板で「レッドブル」(1988)の主演を張ったりもしたのだが、その後急速に低迷。映画には出ていたらしいのだが、僕はまったくその存在を忘れていた。今回はスキンヘッドですごい貫禄がついていたが、久々に会えたのは嬉しかった。そしてティモシー・ハットン! オスカーをとった「普通の人々」(1980)の好青年ぶりが仇となったか、シドニー・ルメットの「Q&A」(1990)あたりまでは良かったのだが、その後急速に劣化。最近では安っぽい中年男ぶりをさらして惨めな限り。でも、こうしてポランスキー作品に呼んでもらえたのだから、オスカー受賞はダテじゃない。

 彼らは出版社の場面1シーンにしか出てこないが、その他にも、最近ではウォール・ストリート(2010)に出ていた老優イーライ・ウォーラックがやはり1シーン出演。さらにはイギリスの名優トム・ウィルキンソンも2シーン出演という豪華さ。こうした俳優たちの贅沢な使いっぷりには驚かされる。

 助演級でも…「マネキン」(1987)、「マスカレード/甘い罠」(1987)あたりでスターダムに乗るかと思いきや失速。最近じゃテレビと映画版の「セックス・アンド・ザ・シティ」で浮かび上がって来たものの色ボケオバチャンぶりが気の毒だったキム・キャトラルが、グッといい女ぶりを見せていてビックリ。本人としても本領発揮できる作品に恵まれず不本意だろうなぁ…と可哀相に思っていたので、僕としてはわが事のように嬉しい。さらにオリヴィア・ウィリアムズ。地味ながら「ポストマン」(1997)、抹殺者(2000)、ビロウ(2002)…といい味出しているのに作品がイマイチなためかブレークできなかった。今回こんな大役をもらって魅力全開していたのは、贔屓の僕としてはこれまた狂喜乱舞だ。これを機会に一花咲かせてもらいたい。

 そしてそして、誰よりもアッと驚かされる素晴らしいキャスティングがピアース・ブロスナンだ。イギリスの元首相ブレアを思わせる「スター」性のある政治家という役をこの元007役者に演じさせるというのは、一体誰が考えついた配役なのだろう。お見事としか言いようがない。あのカリスマ性、魅力、堂々とした物腰、それでいて…どこか空疎さを感じさせる「テカテカな輝き」をさりげなく見せるあたり、余人をもって代え難い役と言うべきだろう。もちろん主演のユアン・マクレガーも、「普通の男」「凡人」ぶりを演じきってお見事。所詮は「ゴースト」でしかない男の悲哀といおうか、まるでジョゼと虎と魚たち(2004)で妻夫木聡が見せていたのとイイ勝負の尋常ならざる「凡庸さ」ではないだろうか。「凡庸さ」「無名ぶり」…つまりは「ゴーストらしさ」を、しかも魅力的に演じるのは、かなり難しいことなのだ。

 そんなわけで、隅々まで気の配られた素晴らしい配役は、それだけでも映画ファンにとってご馳走だ。これだけの豪華なメンバーが、例えば1シーンのためだけにでも馳せ参じるというのは、さすがロマン・ポランスキーの御威光というべきだろうか。やっぱり大変な人なんだねぇ。

 

こみ上げてくる「ホンモノ」の怖さ

 というわけで、エンターテイナーの至芸を思う存分楽しませてもらった今回の作品。僕自身は劇場のイスに絶対安全な状態で腰掛けて、スクリーン上の主人公の危機をスリル満点に味わって楽しませてもらった…と言いたいところだが、実は見終わった後の印象はそれとちょっと異なる。

 この恐ろしさは、とても人ごととは思えない

 もちろん僕が仕事で「ゴーストライター」をやったことがあるから…というわけではない。国際政治の怖さは僕ら庶民とも無関係ではない…なんてことを分かったような顔で言うつもりもない。もちろん、ちゃんとスクリーンと現実というカタチで区切られている以上、僕自身の安全は間違いなく確保されている。僕ら観客は、常に火の見櫓に上がって、対岸の火事として主人公を見ていられるのだ。

 それでも、僕にはこの怖さが身に覚えのあるものと感じられた。

 実際には、僕らは宇宙や地底や海底からやって来た化け物に食われそうになることはない。殺人鬼に刃物で刺されたり切られたりすることも…めったにあることではない。クレーンが倒れてきたりテロリストに撃たれたりすることも、たぶんマレだろう。与えられるダメージの大小を問わず…おそらく我々が現実に出会う「怖さ」というのは、お化け屋敷的なモノでなければそういう直接的な「危機」ではなく、ジワジワと忍び寄ってくるカタチの見えない何かであることが多いはずだ。

 この作品でも、実は主人公に訪れる実際の危機はアッという間のことだ。それまでは何かカタチにならない、モヤモヤした不吉な予感が彼の回りにヒタヒタ押し寄せているだけだ。あの「イヤ〜な感じ」…。

 アレは確かに僕も味わったことがある。

 僕がいくつも会社を転々としていた10年間…いや、社会人となってからずっと…いやいや、実は子供の頃から、僕は「あの感じ」を何度も味わってきたのだった。別に「怪物」や「悪人」は、宇宙怪獣や殺人鬼や政府の要人などでなくても身近にたくさんいる。年齢性別は関係ない。人間というモノは、自分のちっぽけな利害のためなら冷酷になれる。その時、彼らは自分を悪人とは思っていない。それが「正しいこと」と考えて、冷酷なことを実行するモノなのだ。人は物事を、何でも自分に都合良く受け取れる能力がある。

 人にダメージを与えるにも、別に刃物や銃や牙は要らない。殺したり手足をチョン切ったりする必要もない。その人の居場所をなくしたりするだけで、十分ダメージは与えられるのだ。

 元々、人間は恐ろしいものだ。人間は有害で凶暴で危険だ。人間ほど「人間らしさ」のない生き物はいない。いや、それこそが「人間らしさ」なのか。だから人間のいるところには、必ずいつも恐ろしさが存在する。僕はそれを何度も何度も味わって来た。

 知ってはいけない会社の人事に関する杜撰な実体に触れた時とか、会社の代表者ともあろう者が自分に濡れ衣を着せて追い出そうとした時、自分の上司が会社の仕事を乗っ取って独立しようと画策した時、自分の知らない間に圧倒的に自分が不利な立場に追い込まれた時、仲間だ味方だ身内だ恋人だと思っていた人間がアッケラカンと裏切った時…他にもいろいろあるが、何かヤバイことがまさに起きようとしていて、自分がそれに巻き込まれそうだと感じた時…あの「イヤ〜な感じ」がいつも胸にこみ上げてきていた。

 この映画には、その「イヤ〜な感じ」が確実にある。

 見ていてずっと、胸の奥に何かこみ上げてくる感じを、僕はずっと感じていたのだ。これは凡百のサスペンス映画では味わえない。僕だってめったに感じたことはない。そしてこういうヤバイ目にあったことのない幸せな人なら、これを感じ取れることもないだろう。そんな人たちにとっては、この映画は単なる面白い映画だ。しかし、僕には分かる。この映画には「ホンモノ」の怖さがあるのだ。

 それが何かということも、残念ながら僕は具体的に語ることはできない。しかし、これだけは間違いなく断言できる。

 それは本当に骨の髄まで「イヤな思い」を味わった人だけが描き出せる、正真正銘の「怖さ」なのだ。

 

 

 

 

 to : Review 2011

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME