「ジョージ・ハリスン
 /リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」

  George Harrison - Living in the Material World

 (2011/11/21)


  

見る前の予想

 マーティン・スコセッシジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画を撮るという話は、例のストーンズのコンサート映画シャイン・ア・ライト(2008)の頃から聞いていた。

 何しろスコセッシの「ロック音楽通」ぶりには定評がある。ドラマの時代背景さえ許せば、作品を発表するたびに素晴らしい選曲センスでロックの名曲をガンガン流す。どこかでも書いたかと思うが、「グッドフェローズ」(1990)でデレク&ドミノスの「レイラ」の後半だけを使いこなすあたりの鮮やかさは、余人を持って代え難い。やたらロック通ぶってミュージシャンとの交流をひけらかし、毎度毎度自分の作品にU2などからもらった曲を流しながら、結果は良くて床屋のBGM以下という「ロック音痴」ヴィム・ヴェンダースのセンスのなさと比べれば、スコセッシのロックセンスの確かさが伺える。

 何より伝説のロック・コンサート映画「ウッドストック」(1970)の編集に携わり、ザ・バンドの解散コンサート映画「ラスト・ワルツ」(1978)、ボブ・ディランの「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)、そして前述のローリング・ストーンズ「シャイン・ア・ライト」を発表。その都度、ロック・ドキュメンタリーというジャンルで前人未踏の実績を作ってきたスコセッシだ。今またジョージ・ハリスンを取り上げたって何らおかしくはない。

 しかし…何でまたジョージ・ハリスンなんだろうという疑問も沸いてくる。ロック・ミュージシャンとして、ジョージ・ハリスンは微妙なアーティストだ。同じ元ビートルズのメンバーというなら、ジョン・レノンやポール・マッカートニーなどの方が彼が取り上げるべきアーティストではないのか。なぜジョージ・ハリスンなのか。

 正直言ってビートルズが好きだったこの僕でも、特にジョージ・ハリスンにシンパシーがあるかと言われれば、甚だ怪しいと言わざるを得ない。ちょうどジョージが亡くなった時に書いたハリー・ポッターと賢者の石(2001)の感想文には思わずアレコレと書いてしまったが、実際のところジョン・レノン暗殺ほどの衝撃はなかった。またビートルズが死んじゃったなぁ…という感慨はあったのだが…。

 しかし僕は最近、ジョージの晩年のあるエピソードを知って愕然とすると共に、ジョージ・ハリスンという人に新たな関心を抱いたのだった。それについては後述したいと思うが、僕にとってはかなり意外なエピソードだった。ひょっとして、この映画の中でそれについて触れているのかどうか…。

 そんなスコセッシのジョージ・ハリスン伝は、シネコンで短期の限定公開。何と上映時間は3時間半もあるというではないか。正直言って歳をとってからは、長い上映時間の映画は体にキツイ。しかし小学校6年の時にビートルズ映画と出会って映画とロック音楽に夢中になった僕としては、ここでこの映画を見ないわけにはいかない。

 僕は公開2日目、新宿のシネコンへ出かけていった。

 

あらすじ

<第1部>

 美しい庭園で花々に囲まれる一人の男、ジョージ・ハリスン。

 「行けよジョージ、自由になれ。もうすぐオレも行くから」…そう語りかけるのは、彼の長年の友人の一人、セッション・ドラマーのジム・ケルトナーだ。

 第二次大戦が猛威をふるっていた1943年、ジョージはリバプールで産声を上げた。やがて戦争は終わり、自由で奔放な時代が幕を開ける。音楽に関心を持った少年ジョージは、やがていっぱしの不良になってギターをかき鳴らすようになる。同じ学校のポール・マッカートニーにそのギターの腕を買われ、ジョン・レノン率いるバンドに加わることに。一緒にハンブルクの場末のクラブで演奏活動を繰り広げたりして、どんどん腕を上げていく。当時彼らと知り合い、後にベーシスト兼イラストレーターとして交流することになるクラウス・フォアマンは、その頃からジョージのことを、「ジョンとポールの間に入った、一種の触媒の働きをしていた」と回想する。

 やがてメンバーの変動を経て、リンゴ・スターの加入とほぼ同時にザ・ビートルズがレコード・デビュー。みるみるうちに大成功を収めていく。最初の頃は若いこともあってその成功を楽しんでいた彼らも、あまりに度を超した成功にどんどんスポイルされていく。

 またこの頃、ジョージはバンドのソングライター・チームであるレノン=マッカートニーに対抗して、一人で曲作りに挑戦し始めた。しかし、無類のヒットメイカーであるジョンとポールを向こうに回しての曲作りは、孤軍奮闘でなかなか実を結ばない。

 そんな彼のビートルズでのプレゼンスを一気に引き揚げたのが、シタールとインド音楽への傾倒。ラヴィ・シャンカールに師事しての本気ぶり。この分野に関しては、他のメンバーの追随を許さない。

 さらに偶然経験したLSDの衝撃が引き金になったのか、精神世界への探求も始まった。ここでもインドに傾倒するジョージはイニシアティブを発揮。ビートルズのメンバー全員でマハリシに会いに行くなど、新たな活動に活路を見いだす。

 エリック・クラプトンとの交友の始まりもこの頃。ビートルズの持つインパクトの大きさには一目置かざるを得なかったクラプトンは、同じギタリストということもあってジョージと親密になっていく。「ホワイト・アルバム」のレコーディングの際には、ジョージに誘われて「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のセッションで語りぐさとなったリード・ギターを演奏した。

 

<第2部>

 インドに傾倒していたジョージだが、ある時、ラヴィ・シャンカールに「自らのルーツを探せ」と言われてハタとすべきことに気づく。

 「それ以来、シタールは弾いていない」

 しかし自らのルーツたるロック・ミュージックに戻ろうにも、この頃のビートルズはガタガタ。「レット・イット・ビー」セッションでは、映画カメラの前でポールと言い争う羽目になったりした。

 こうして、ついにビートルズは解散。しかしジョージは、むしろ解放されたような気分だった。

 ジョージは満を持してソロ・アルバムを制作することになる。パートナーは有名プロデューサーのフィル・スペクター。ビートルズ時代に発表したくとも出来なかった、溜まりにたまった曲と意欲をブチまけまくって、何とLPレコード3枚組。このアルバム「オール・シングス・マスト・パス」と、カットされたシングル「マイ・スウィート・ロード」は大ヒットとなった。彼はビートルズ時代と比べものにならない成功を勝ち取ったのである。

 しかし、好事魔多し。親友エリック・クラプトンが彼の妻パティと恋に落ちるという事態が発生。それでも、ジョージとクラプトンの友情は壊れなかった。

 1971年にはラヴィ・シャンカールからの頼みを聞いて、空前のロック・チャリティ・イベント「バングラデシュのコンサート」を企画・開催。ジョージの他にクラプトン、ボブ・ディラン、リンゴ・スター、レオン・ラッセルなどのスーパースターが集まってのコンサートは大成功。後年の「バンド・エイド」や「ライブ・エイド」、さらに「USAフォー・アフリカ」などオールスターのチャリティー・イベントのはしりとなった。

 こうして破竹の勢いだったジョージだが、1974年末の全米ツアーは賛否両論。微妙な評価を受けることになる。

 そんなジョージだが、その関心は音楽だけに向けられていた訳ではない。「モンティ・パイソン」が好きで、しまいには映画会社まで運営するようになるほど。テリー・ギリアムの初期の作品「バンデットQ」(1981)はジョージのプロデュースによる作品だ。

 さらに彼は自らが買った「フライアー・パーク」と呼ばれる屋敷の庭園を、丹誠込めて整えていた。彼は何をやるのも「本気」だった。

 ジェフ・リン、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、トム・ペティらと組んだ「トラヴェリング・ウィルベリーズ」など、ジョージの交友は広がっていった。そしてついに、「アンソロジー」プロジェクトの一環として、元ビートルズの面々とレコーディングするに至る。

 「ひとつの人間関係を全うせよ…と言っていました」

 ジョージが後半生を共にした再婚相手オリヴィアは、ジョージのメッセージを語る。

 しかし、そんなジョージを病魔が襲う。ガンが彼の体を徐々に侵していき、ある時には暴漢に襲われて刺されたりもした。

 こうしてジョージは多くの友人に惜しまれつつ、2001年11月29日にこの世を去った…。

 

僕にとってのジョージ・ハリスン

 僕がまだガキの頃にビートルズに出会って、たちまち夢中になったことは今までもこのサイトで何度か語ってきたように思う。

 むろんビートルズと来ればジョンとポールが双璧だ。そして僕は映画でビートルズを知ったから、その中で大活躍したリンゴの存在も大きかった。楽器としてのドラムスにも興味があったし、キャラクター的にも何となく自分と共通するものを勝手に感じて、リンゴにシンパシーを持っていた。そんなわけで、ビートルズの中では一番興味のない存在が、実はジョージ・ハリスンだったのだ。

 おまけにインド音楽や宗教などに傾倒。やたら哲学的で思索型のイメージなのがジョージ。超然としたキャラクターとして扱われることが多いが、世間でそう言われれば言われるほど、僕は「何だかつまんなそうな奴」としか思えなかった。ちょっと偉そうな感じだし、とりつくシマのない共感しにくい雰囲気があったからだ。「ビートルズ・アンソロジー」の中のインタビュー部分でも、ポールやリンゴが「またやろうか?」とか言ったら即座に「ノー!」と剣もほろろに言い放つあたり、何となくイヤな奴だなぁと思ってしまっていたのである。

 大体、いちいち神だ精神世界だと偉そうに言ってるのが、何だか好きになれなくてねぇ。「世俗の一般大衆に喝!」みたいな「上から目線」に、どうしてもイラッと来ちゃうのだ。「上からジョージ」(笑)。

 ところが世間では、ビートルズ解散直後にロック・ファンの中で一番注目を浴びたのがジョージだった。とは言っても、僕の場合はロック雑誌で間接的にそのあたりの空気を感じていただけだったのだが…。

 彼が1971年に開催したロック・チャリティ・イベントのはしり「バングラデシュのコンサート」は、張り切って映画(1972)を見に行った。これはコンサートをただフィルムに撮影しただけの、何の工夫もない映画だったが、それでもジョージの颯爽とした姿は印象に残った。好きでも何でもないけど、「スゴイんだな」とは思っていたのだ(笑)。

 当時は僕もまだまだ子供だから、お小遣いではシングル盤を買うのがやっとだった。ようやくアルバムを買うようになっても、その時点で出ていたジョージのソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」は3枚組で5000円。「バングラデシュのコンサート」のライブ・アルバムも3枚組で、これまたそれなりのお値段だった。とてもじゃないが手が出ない。やっと買ったジョージのソロ・アルバムは、今回の映画がタイトルを借りた「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」というセカンド・アルバムだった。ところがこれがねぇ…ハッキリ言って2〜3曲しかいい曲がない(笑)。大半が退屈な曲ばかりだったのだ。

 その次のアルバム「ダーク・ホース」はと言うと、曲数も9曲とグッと減っただけでなく、何だかジョージの声もガラガラで妙な感じ。アルバム制作とツアーが重なって声を痛めたらしいが、タンが絡んだようなしわがれ声になっている。元々歌がうまい人ではなかったから、何とも聞きづらいことおびただしい。おまけにクラプトンに奪われたパティのことをオチョくる「バイ・バイ・ラブ」の替え歌なんかも入っていて、どうにも負け犬の遠吠え感ムンムンな印象。シングル・カットした「ディン・ドン」という曲がトップ10に入らなかったというニュースも入ってきたり、アルバムと前後してスタートした彼初めての単独全米ツアーが不評さくさくだったりと、「アレレ?」と思わされることが多かった。ますます僕の中のジョージのイメージはビミョ〜になっていった。

 そんな頃に、ようやくジョージの初ソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」を入手。さすがにこれはいい曲も多く力作だと思ったが、何しろ発表から時間が経ちすぎていて、僕にはすでに鮮度が感じられなかった。これは何とも残念な話。

 その後、「ジョージ・ハリスン帝国」「33 1/3」などのアルバムも買ったけど、後者のアルバムなどはほとんど聞かなかった。そしてそれを最後に彼のアルバムを買うことはなかったのだ。

 1991年12月には、エリック・クラプトンと彼のバンドを従えての日本公演が突如実現。実は僕はこれを見に行っているのだ。やっぱりビートルズ・ファンとしては見ないわけにはいかない。見ても別にどうってことのない普通のコンサートだったが、かつての全米ツアーの評判がボロボロだっただけに、ちょっと安心したりしたものだった。

 そんなこんなで、僕にとってジョージ・ハリスンは、常にイマイチなイメージが強かった。だからスコセッシも何でジョージを選んだの?…と不思議に感じたわけなのだ。

 

見た後での感想

 正直言って、この映画を見ても「衝撃の新事実」なんて期待できないだろうとは思っていた。

 僕もビートルズに関する本などはイヤになるほど読んだし、解散後の彼らの動向はリアルタイムで知っていた。だからビックリするようなことはないはずだと思っていた。

 実際に驚くような話は出てこなかったものの、それでも休憩を挟んで3時間半という長丁場を飽きずに見れたのは、僕が昔からビートルズに傾倒していたからだけではないだろう。

 話だけなら目新しいモノのない話。おまけに最後は死んでしまうと分かっている話だ。それをここまで見せたのは、やはりマーティン・スコセッシの話術の確かさに他ならない。

 実は僕は個人的に、今回ジョージ・ハリスンの生涯を見せてもらえるなら、それなりに「見ていなかった」映像や「知らなかった」エピソードなどを見せてもらえるのではないか…と秘かに願っていたのだ。こういうドキュメンタリーが作られるなら、誰だってそう思うことだろう。その願いは半ば叶ったとも言えるし、半ばはぐらかされたというところだろうか。

 実は訴訟問題となった「マイ・スウィート・ロード」の「盗作問題」やその時のジョージの反応を知りたかったのだが、これには全く触れられていなかった。彼が単独で立ち上げたレコード・レーベル「ダーク・ホース」の配給元が、A&Mレコードからワーナー・ブラザース・レコードに移籍した時のゴタゴタもスルーだったし、しばらく「落ち目」となっていたジョージが、いきなり10数年ぶりにヒット・チャートに返り咲いたシングル「セット・オン・ユー」やアルバム「クラウドナイン」の大ヒット前後のことにも触れていなかった。例の「ビートルズ・アンソロジー」参加へのいきさつなども知りたかったのだが、こちらもワンショットくらいしか出てこなかった。3時間半もの尺数がありながら、これには軽い失望を感じたのが正直なところだ。

 この感想文冒頭で触れた、僕が最近知った「ジョージの晩年のあるエピソード」についても、残念ながら触れられてはいなかった。これは他のどの要素よりも入れてほしかったのだが…。

 それは、例のガン闘病期におけるエピソードで…ジョージ・ハリスンがかつてビートルズのメンバーだったピート・ベストと会って、その時のことを謝罪したという話。1962年のレコード・デビュー直前、プレイも今ひとつだしメンバーたちともしっくりいってなかったドラマーのピートを、ジョン、ポール、ジョージが辞めさせたというのは有名な話。そのこと自体もいかがなものかと思わされるが、自分たちで言わずに汚れ仕事をマネジャーのブライアン・エプスタインに押しつけたというのも陰険な感じ。栄光に満ちた初期ビートルズの物語の中でも、このくだりだけはちょっとした汚点になっていた。ところがジョージは、晩年にこのベストに「例の一件」以来初めて会い、直接謝っていたというのだ。

 おそらくジョージは自らの死期を悟り、死ぬまでにすべてを精算しようと、気がかりだったピートへの謝罪を実現させたのだろう。そのあたりのことを考えると、最近自分の「これから」を考えることが多い僕には、共感するところが多かった。

 人生は短い。そんな中で悔いのないかたちで人生まとめにかかっていくために、人は何をすべきなのか…人生の残り時間が少なくなってきた僕にとって、ちょっとしたヒントを与えられた気がしたのだった。

 たぶん、初めてジョージに共感した話がこれだった。

 だから、このエピソードについて全く扱われてなかったのは、正直言って残念だった。さすがに他のビートルズの面々の手前、大っぴらに取り上げられなかったのだろうか。これはちょっとガッカリだったよ。

 

スコセッシがジョージを取り上げた理由とは

 そんな失望も少しあったことはあったが、それでも面白く見れたのは、懐かしい曲や人々に再び出会えたから。それに、やっぱりちょっとした驚きがあったからだろう。

 面白かったのは、ジョージの親友クラプトンのズケズケしたしゃべりっぷり。出会った頃のビートルズについて、「インパクトは感じたが、どこか胡散臭かった」と言ってるあたりは笑った。そしてビートルズの末期にジョージが脱退すると言い出した際にジョンが「クラプトンを雇おう」と言ったというウワサは聞いていたが、それが本当だったというのもちょっとした驚きだった。おまけにクラプトンは、「オレもちょっと考えたよ」と赤裸々に話すからビックリ。ジョージの妻パティを略奪したことも含めて、かなり正直に語っているのが印象的だ。

 また初期のビートルズがテレビ番組で「ジス・ボーイ」を演奏するフィルムを、笑顔で口ずさみながらムビオラで見ている後年のジョージ…なんて興味深い映像もある。一体これはどのような状況で撮影されたのか知りたいものだ。

 だが、僕にとって最大の見どころだったのは、不評と聞いていた1974年末の全米ツアーの映像。当時、日本版「ローリング・ストーン」誌の特集でクソミソに叩いていたのを読んでいたから、どれほど悲惨な状況だったのか知りたかったのだが…う〜ん、確かにねぇ。まずジョージのステージ衣装はセンスない(笑)。そして声は予想通り出ていない。楽屋のトイレで必死にうがいしている映像も出てくるが、かなりひどい状況だったのだろう。元々ショーマンシップがあるわけじゃないから、これじゃライブはキツイわなぁ。

 まぁ、そんなわけで僕なりにツボな部分もあったこの作品、ではマーティン・スコセッシの興味はどこにあったのかと言えば、それは見ていてすぐに分かった。

 それは、ジョージを取り巻く「宗教的」な状況だ。

 まずは彼が在籍していたビートルズが爆発的人気を獲得するあたりで、それはチラつき始める。まるで宗教の教祖と信者のような状況と世間では言われるが、当然当人たちにはそんな自覚はない。そもそも彼らの陥ったカネと欲と大人の事情が絡んだ状況は、もっとも宗教とは遠い状況だろう。近いとしたら、それはインチキ臭い「新興宗教」だ。そんなビートルズが、ジョンの「キリストより有名」発言で「宗教的状況」に飲み込まれてしまう皮肉。しかしあの無条件の興奮には、確かに「宗教的」何かがあったようにも見える。

 一方、そんな底抜けの熱狂から脱したジョージやビートルズが目指したのは、それとは裏腹な心の平安を求めての「宗教的」状況。こちらの方は、ジョージの生涯を通じての追究となっていく。

 しかしそもそも、それが世間で言われているほど純粋なモノかどうかというと、実は疑わしいのではないだろうか。「精神世界の探求」の発端としてジョージが最初に体験したのは、化学物質で作り出されたLSDだ。その後、ジョージはクスリによる意識の覚醒はやらないと決めたようだが、発端が「これ」というのは象徴的ではないか。ジョージが多くの識者を交えての宗教論議に臨むテレビ番組の映像らしきモノでは、みんなが口からツバを飛ばして語り合っている言葉が空しい。申し訳ないけど、僕が見ている限りではどれもこれも語るに落ちた話に聞こえる。ジョージ、オマエ本当に分かってるのかよ。ビートルズが作り出した「宗教的状況」が世俗にドップリ浸かったものであったのと、あんまり変わらないんじゃないかと思えるのだ。

 映画の中ではジョージのことを「他の男たちが好むものを、同じように好んだ」と、暗に彼がかなりセックスに溺れていたように示唆している。実際にクラプトンとパティなどの話も含めて、スワッピングみたいなことは楽しんでいたようだ。奔放で開放的なセックス観が開花していたロンドンのロック・シーンの状況をさっ引いてみても、とてもじゃないが「哲学的で思索型」「超然としたキャラクター」とは程遠い。解脱どころか欲にズブズブではないか。パティとの別れの一幕についても、クラプトンは「彼は冷静に受け止めていた」などとキレイにまとめたが、パティは「彼は激怒して、どっちを取るんだ!と言った」などと白状しちゃってる(笑)。実際、人間ってそんな悟りきれるわけじゃないだろう。男のホンネとしちゃあ「どっちを取るんだ!」の方がピンと来る。これが真実だと思うよ。

 後の嫁さんオリヴィアは、「彼は精神世界をずっと追究したいと思っていたのに、何かが邪魔をした」と盛んに言っていた。「ビートルズのこと」だったり世俗のアレコレが彼の足を引っ張ったと言いたいようだが、それはちょっと違うんじゃないのか?

 この映画の証言インタビューに出てきた人物の大半…そこにはポール・マッカートニーやリンゴ・スター、クラプトンなども含まれるが…彼らはみんな一様に、ジョージに「二面性」があったと主張する。それらはそれぞれ表現の違いこそあれ、大体は「優しく柔和で悟った」ような面と「辛辣で怒りを抱えた」ような面があったと言っているのである。この矛盾した性格こそ、マーティン・スコセッシの描きたかったことではないか。

 自ら神学校に行っていたか行こうとしていたか…スコセッシには確かそんなような経歴があったと聞いている。そのためか、彼の映画の主人公は「宗教的」な葛藤を持っていることが多い。あるいは作品世界に宗教的なテーマをダブらせたりもする。その反面、映画のスタイルや描写は極めて暴力的だ。扱う題材もマフィアや犯罪組織など、エゴと欲得づくのズブズブな連中の話が多い。この矛盾した要素と宗教的バックボーンこそ、今回の映画におけるジョージ・ハリスンの描かれ方と共通していないだろうか。

 だからこの映画のタイトル、「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」は非常に象徴的だ。ジョージは「精神世界」を極めたいと願っているし、本人も周囲もそれを追究しているはずと思っているが、実は当の本人は「マテリアル・ワールド(物質的世界)」にズブズブで縁が切れない。元々、彼を世に出したのはビートルズによる世俗の成功だったわけだし、それから脱出したのも別に世俗との決別って訳じゃない。いいかげんジョンとポールという兄貴たちに頭を押さえつけられたくない…という、これまた結構平凡で卑俗な感情的理由からだ。全然悟ってなんかいない。おまけに、誰が頼んだわけでもないのに全米ツアーなどに乗り出してしまう。後になって「もうツアーはイヤだ」とか思っていたのかもしれないが、そうなったのは誰のせいでもないのだ。この男、言ってることとやってることが矛盾しているのである。誰も彼の足を引っ張って、「マテリアル・ワールド」に引き戻したりはしていない。彼自身が「マテリアル・ワールド」を欲していたし、何より根が「マテリアル・ワールド」の住人なのである

 そうなると「ルーツを探せ」という師匠ラヴィ・シャンカールの言葉も言い得て妙だ。道を指し示したと言えば聞こえがいいが、「オマエ元々が精神世界ってタマじゃねえだろう」と突き放したと見る方が自然じゃないのか。シャンカールの方が一枚も二枚もウワテなのである。

 そう考えてみると、この映画のポスターもなかなかに意味ありげである。1965年頃のものと思われるが、ジョージ・ハリスンが肩まで水に浸かった写真。「世俗の一般大衆に喝!」と上から目線で言ってる割には、肩までどっぷり「世俗」に浸かってるって意味じゃないのか。

 「哲学的で思索型」「超然としたキャラクター」だから立派そうに見えているけど、中身はグダグダ。実は結構いいかげん。本人どや顔だけど、実はトホホな腰の退けっぷり。

 でも、それが人間ってものなのである

 そして、だから人間というものは、どうしようもなく愛すべきものだとも言える。

 さらに重ねて言えば、それがマーティン・スコセッシが…少なくともロバート・デニーロと組んでいた頃には描いていた人間像なのだ。「ミーン・ストリート」(1973)に始まる作品群には、登場人物に必ずと言っていいほどこうした矛盾と葛藤があった。この映画には、久々にそれが戻ってきたように思える。

 だから僕も、今まで以上にジョージ・ハリソンに共感できる気がしたのである。

 

 

 

 

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