「ミッション:8ミニッツ」

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 (2011/11/14)


  

この道はいつか来た道

 それこそデジャヴというヤツだろうか、これって確かに前に見た気がする…と思うことが、最近やけに多い。

 自分が今、在籍している職場の状況が…である。

 そもそもここ数年というもの、出版不況で市場は縮む一方。当然仕事の数もお金の額も減るばかりで、会社の状況もよくなるわけがない。実際のところは苦しんでいるのはわが社ばかりでもこの業界ばかりでもないから、自分たちだけがシンドイみたいなことを言うべきでもないのだが、ぶっちゃけ社内の空気が澱んでいるのは間違いない。

 そんなここ数年の間に、僕は何度も「こんなこと前にあったよな」と思わされることに出くわした。

 それが実際にはどんなことなのかを明かしてしまうと、いろいろ差し障りがあるので具体的には語らないが、妙な人物がどこからともなく現れては消えたり、妙な動きをする人物がいたり、妙な出来事が起きたり…まぁ、そんなような類のことである。僕は確かに、そんなような状況を過去この目で見てきた。

 それは、あのバブル崩壊直後のことだ。

 それまでの好景気が、一転して冷め始めると早い。アッという間に景気は悪くなり、当時、僕がいた会社の状況は一気に悪くなった。社内の空気が澱み、人々は世知辛くなった。社内モラルが低下し、けしからん振る舞いに及ぶ人間が現れ始めた。そういう時にいかにも怪しげな人間がどこからともなく現れ、みんなを煙に巻いては去っていった…。

 今、自分の周囲の状況を見ていて、僕はどうしてもあのバブル崩壊直後の右往左往ぶりを思い出す。非常によく似ているのだ。起きているおかしな出来事もそうだし、現れるおかしな人物もそうだし、マトモだった人物がおかしな思惑に翻弄される様子までそっくり。

 だから誰かの言動やちょっとした事件を見るや、これから何が起きてどうなっていくのか…僕には何となく想像がついてしまう。別に僕に予知能力があるわけではない。もうそれは通過して見てきたことだから、僕には次に何が起きるのか何となく想像がつくのである。

 この道はいつか来た道なのだ。

 だから僕は、「次はこうなるから気をつけたほうがいい」と社内の人に忠告したい気になる。いや、実際にはすでにそういうことを言ったこともある。僕なりに危険を察知して、他人に忠告したこともあるのだ。

 しかし大抵の場合、それはうまくいかない。誰もがハンで押したように「僕の思い過ごし」だと一笑に付してしまい、結局耳を貸さない。ひどい時には逆ギレされたり、バカにされてしまう。一生懸命知らせてやっても僕のためにならないばかりか、そのことがまったく活かされもしない。

 社内でのポジションが上の人間なら、まぁ聞く耳持たないのも仕方ないかもしれない。しかし、まだ若い連中や下っ端の連中までが、「そんなことは分かっている」的なことを言ってちっとも分かっちゃいないのに助言を聞かないのはどうしたもんだろう。どうもこの職場、「頭脳労働者」とやらを集めたばっかりに、上から下までヤケにプライドばっかり高い連中が集まっている。しかし、プライドが中味を伴っていないから困ったもの。案の定、「だから言わんこっちゃない」ということになる。

 結果として予想通り最悪の事態になるのだが、その時には誰も僕の「予言」などは覚えていない。あれほど僕の言うことを笑っていたのに、そのことを誰も謝罪しない。だから最近は、もう誰にもそんな忠告をしなくなった。そんなことをしてやる価値もないよ。

 だが、これから何が起きるか分かっているのに、黙っているのはツライ。

 失敗に向かってまっしぐらに進んでいると明らかに分かっているのに、それを黙っているのは結構シンドイものだ。何とか自分の身は守れるかもしれないが、やっぱり気持ちは晴れない。みんなの心が澱んでいくのが分かっていながら、何も手を打てないのがやりきれない。

 自分一人だけが「それ」を見ることができるというのは、決して「特権」なんかじゃない。それはまさに苦痛以外の何者でもないのである。

 

見る前の予想

 実はこの映画のことは、まったくと言っていいほど知らなかった。

 ところがある日、新聞のにこの映画の広告が載っているではないか。どうやらジェイク・ギレンホール主演のSFサスペンスらしい。好感ジェイク・ギレンホール主演なら見たい気もするが、広告も小さく凡作風の扱い。映画会社の「当てよう」という気迫がまったく感じられない。

 な〜んとなくジョン・ウーのヘンテコSFアクションペイチェック/消された記憶(2003)みたいな映画なのでは…と、あまり食指がそそらなかった。

 ところがとある知人からかなり強烈なプッシュがあり、一気に興味がわいてきた。しかもこの映画、何とあの月に囚われた男(2009)を撮ったダンカン・ジョーンズの新作だというではないか!

 あいつ、いつの間にか新作撮っていたのか。これはもう見るしかないだろう。そんなわけで、ある週末のシネコンのオールナイトに駆けつけたわけだ。

 

あらすじ

 彼(ジェイク・ギレンホール)はふと目覚めると、ある列車の中にいた。

 目の前には親しげに微笑む若い女(ミシェル・モナハン)が一人。彼に「あなたの言ったようにしようと思うの」と語りかけるが、彼はこの女にそんな人生再出発とか自分探しみたいなアドバイスをした覚えがない。ちょうど彼女の携帯に元カレから電話がかかってきたようだが、彼女に元カレとの仲をふっきれとか言った覚えもない。

 というか、そもそも彼女を知らないのだ。

 近くには列車が遅れていることで文句を言う乗客がいたり、何だか不満をため込んでいるらしき太った男がいたり。車掌が乗客たちの切符を見に来たが、彼は例の女に指摘されて、やっとこポケットに切符が入っていることに気づくようなテイタラクだ。女がフラつきながら歩いてきて、彼の真新しい靴にコーラをこぼしていった。普段なら舌打ちでもするところだろうが、彼にはそんな余裕もない。

 一体、これはどうなっているのか?

 オレはコルター・スティーブンス大尉。ヘリを操縦している。なのに、なぜオレはこの列車に乗っているのだ?

 列車は途中の駅で停車。そこで降りる客もいる。財布を落とした客がいたらしく、親切にそれを拾って手渡す学生などもいる。ごくごく日常の風景だ。

 しかしスティーブンスには何が何だか分からない。

 おまけに窓ガラスを見つめているうちに、彼は唖然とする事実に気がついた。慌ててトイレに入って鏡をのぞくと…確かに変だ。そこに映っている顔は、彼の顔ではない。ポケットからカード入れを取り出して身分証を見てみると…「ショーン・フェントレス 教員」と書いてあるではないか。彼は他人になってしまったのか?

 トイレを出た彼のもとに、前の座席の例の女が話しかけてくる。先ほどからの彼の様子を見て、心配になって駆け寄ってきたのだという。「一体どうしたの、ショーン?」

 さすがに混乱したスティーブンスは、自分の身に起きていることを説明しようとした。その時…。

 ドド〜〜〜〜〜ン!

 大爆発が起きて熱風が吹きつけ、列車はアッという間に大破。スティーブンスも女も、列車にいたすべての人々が吹っ飛んだ。

 

 激しい衝撃の中、スティーブンスの意識が混濁する。次の瞬間に気がついた時には、彼は薄暗いコックピットのような場所に閉じこめられていた。何が何だか分からず混乱するスティーブンスに、目の前のディスプレイから軍服を着た女が何かを呼びかけていた。

 「スティーブンス大尉、応答願います。犯人は見つかった?」

 何のことだか分からない。しかしそんな彼にはお構いなしに、ディスプレイの中の軍服女は何やら一方的に指示を出すばかり。

 「一体これは何の任務なんだ? オレはどこにいるんだ?」

 しかし軍服女はそれには一向に答えず、「爆弾を仕掛けたのは誰? 犯人は?」と聞いてくるばかり。爆弾?…確かにあの時、最後に爆発があったが…。

 軍服を着た女グッドウィン(ヴェラ・ファーミガ)の隣には、どうも上司らしい杖をついた男が控えているようだ。しかし、どちらもスティーブンスに答える気などないらしい。有無を言わさぬ口調で、グッドウィンはスティーブンスにこう言い放った。

 「もう一度、あの列車に戻って! 時間は8分間。何とか爆破犯を見つけて!」

 

 またしても激しい衝撃。気づいたら、また列車の中だった。向かいの座席には例の女。「あなたの言ったようにしようと思うの」と先ほどと同じセリフ。

 「そうか、分かったぞ」とニヤリと笑うスティーブンス。「君は目をそらすための美人キャラってわけだ」

 スティーブンスは何かのシミュレーション訓練だと思って、周囲を見回し始めた。犯人は?爆弾は?

 トイレに入って、あちこち手を突っ込み始めるスティーブンス。天井の通気口をはずして覗いてみると…案の定、そこには手作りらしい爆弾が仕掛けてあるではないか。しかし、爆破装置の解除方法を知らない。グッドウィンも何も言ってくるわけではない。仕方なくスティーブンスは、教員のIDを何かの許可証のように掲げて、乗客たちに大声で呼びかけた。

 「交通保安員です! 安全のため電子機器の使用をやめてください!」

 こうしてパソコンや携帯、デジカメなどを使っていた乗客たちに、その使用を中止させていくスティーブンス。しかし一人だけ、パソコンの使用をやめない男がいた。そのパソコンを無理矢理閉じさせると、抵抗する男を殴りつけるスティーブンス。しかし、またしても爆発!

 

 衝撃を受けた直後、スティーブンスは再び「現実」に戻る。

 しかし彼が閉じこめられているコックピット風の場所は、油漏れが始まり何となく不吉な雰囲気だ。

 「爆弾は? 犯人は?」と例によってせっかちに聞いてくるグッドウィン。それに対してスティーブンスは「親父に電話させてくれ」と頼むが、相変わらず無視一辺倒だ。

 「どうなってるんだ、オレはアフガンに赴任して、昨日は2度も出撃したんだぞ」

 「あなたはここへ来て、もう2ヶ月になるわ」

 これには唖然とするスティーブンス。さすがに動揺を隠せない彼は、激しくグッドウィンに詰め寄った。「一体何がどうなっているんだ? あの列車は何なんだ? 教えろ!」

 一歩も退かない様子のスティーブンスに、グッドウィンも観念したのか。隣の上司であるラトレッジ博士(ジェフリー・ライト)に相談して、事の次第をスティーブンスに知らせることにした。

 「今朝、シカゴ行きの列車が爆破され、乗客全員が死亡したの。でも、これは連続テロの第1弾に過ぎないの。すぐに次のテロが起きるはずよ。こうしている間にも、その危機は迫っているの」

 愕然とするスティーブンス。それでグッドウィンたちは、「犯人を捜せ」と躍起になっているのか。しかし、スティーブンスが事情を説明されたのはそこまで。次の瞬間、彼はまた列車内に移動させられていた…。

 

見た後での感想

 結論から手っ取り早く言おう。

 面白い!

 これ以上、実はゴチャゴチャ言うのは興ざめなのだが、ここは映画のサイトだ。そのゴチャゴチャを言わないわけにいかない(笑)。だから映画を見る前、見た後に関わらず余計なことを耳に入れたくない方は、ここから引き返していただきたい。ホント、みんなにそうしてもらいたいくらいだ。だって、この映画って面白すぎるからねぇ

 お話としては、大惨事の真相を探るべくすでに起きてしまった過去を観察していくという、トニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演のデジャヴ(2006)あたりに似ているような気がする。いや、何度も何度も「死」に向かってリフレインさせられる主人公…ってな趣向の作品を、他にも僕はどこかで見ているような記憶もある。そういやラン・ローラ・ラン(1998)も失敗するたびリプレイする、リフレイン映画だったよな。ただ、これ以外にもっと似たような趣向の作品はあったような気がするのだ。なぜか「これ」と特定することができず、何とももどかしい限り。確かに何かあるはずなんだけどなぁ。

 ただ、僕の記憶が正しければ…例えその手の作品を過去僕が見ていたとしても、こんなに鮮やかな出来だったとは思えない。こんなに「やられたぁ!」と爽快な驚きを味わった記憶がないからだ。そういう記憶があったら、おそらくその類似作品の名などすぐに思い出しているはずだからねぇ。

 低予算、最小限のキャスト、セット、特撮で、最大限の効果を上げた「月に囚われた男」は素晴らしい作品だったし、監督のダンカン・ジョーンズの非凡な才気を感じさせる映画だった。そして今回の作品は、主人公が袋小路というかドン詰まりの状況に陥って、なおかつ自分のアイデンティティーが脅かされているという点も含め、この「月に囚われた男」と極めて似た部分を持っている。間違いなくこの作品は、「月に囚われた男」の監督の作品だと分かるのである。

 しかも今回は、それよりもさらにスケールアップ、グレードアップしたモノを感じる。ここで言うスケールアップは、スターを使っているとか制作費が上がったとか、そういう類のことを言っているのではない。もちろん低予算映画「月に囚われた男」と比べれば、制作規模や環境は格段に改善しているだろう。しかし、僕はそんなことを言いたいわけではない。作品世界や作品の格そのものが、明らかにひとまわり大きくなったと感じるのである。

 お話は先に「さわり」の部分を書いたが、わずか8分間だけ過去にさかのぼれる…というプログラムを活用して、主人公が事件の真相や犯人に迫っていくというアイディアがまず面白い。周囲の人々や状況は毎度同じなのに、少しずつ微妙に変化しているあたりの芸の細かさがこれまた面白い。回を重ねるごとに「学習」して、向かいに座っている女性の気持ちを言い当てたり、車掌に促される前に切符を差し出したり、コーヒーを靴にかけられる前に注意したりする…というあたりの、リフレイン効果をうまく使ったユーモアもなかなか楽しい。そう、この映画はスリルもハッタリもあるが、ユーモラスな味もたっぷりある映画なのである。

 ユーモアと言えば、主人公の正面に座る女性が携帯電話の着メロに使っているのが…何とチェズニー・ホークスが歌っていた「The One And Only」という歌! これは元々はマイケル・J・フォックス主演の「ドク・ハリウッド」(1991)の主題歌だったが、「月に囚われた男」の中で主人公の目覚まし時計のアラーム代わりに使われていた曲だ。主人公は毎朝この曲で目覚めるわけだが、「僕は唯一無二の存在だよ」という曲の内容が、何度も何度も聞かされているうちに映画全体の中で皮肉に響いてくる何ともコワ〜い設定になっていた。今回も携帯着メロで何度も何度も聞かされるうち、この微妙な皮肉が効いてくる。単に監督から観客への目配せとしても何ともおかしく、僕はこの曲に気づいて嬉しくなってしまった。できればダンカン・ジョーンズには、第3作でもこの曲を使ってもらいたいものだ(笑)

 この映画には、事件のナゾを8分間だけの逆行という制約の中で探っていく…というサスペンス・ミステリーのお楽しみの一方で、ロクに情報も与えられず奇妙な任務をさせられている主人公の境遇についてのミステリーもある。主人公はわずか8分間の自由の中で列車爆破事件の真相・真犯人を探りながら、今、自分がどんな状況に陥っているのかも同時に探っていく。当然見ている我々も、その両方のナゾが小出しに解決されていく楽しみを味わえるわけだ。これはなかなか欲張りな構成ではないか。

 そういう意味でベン・リプリーという人の脚本は非常に巧みなものだが、それと同時に何度も何度もリフレインされる列車のシークエンスを、クドくもなく飽きさせずに毎回フレッシュに描いたダンカン・ジョーンズの腕前にはホトホト感心した。先ほども言ったように、毎回同じ事の繰り返しながら主人公の「学習」に伴って徐々に微妙な変化が生じてくるあたりが、見ていて何とも心憎い点なのだ。

 一方で主人公は、「現実」に戻るとコックピットのような空間に終始閉じこめられっぱなしだ。こちらもヘタをすると単調になりがちなところを、見事に興味を持続させることに成功している。ダンカン・ジョーンズ、やはり尋常ならざる才能の持ち主だと言わざるを得ない。見ていて僕は興奮しっぱなしだったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見た後でお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンディングで際立つダンカン・ジョーンズの姿勢

 というわけで、わずか8分間の逆行を繰り返して真相に迫るというアイディアをはじめ、さまざまな面白い仕掛けに満ちた面白さのこの作品。しかし僕が本当にこの作品に感心したのは、そんなトリッキーな部分ではない。実はこの作品、そういう発想の面白さが目立ってしまう内容ではあるが、それとは裏腹に実はキャラクターの魅力こそを重視した作品として作られているのである。

 主演のジェイク・ギレンホールは本来はどこかナイーブな持ち味の俳優だが、プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂(2010)でヒーローを演じてからは、タフな男臭さも出すようになってきた。今回も元々は兵士という設定の役なので、ヒゲを生やして男臭さを充満させて登場する。しかし自分の運命を知るに従って、彼本来のナイーブさが十二分に活かされるという、一粒で二度オイシイ役どころなのである。

 そして彼に指令を下す女兵士グッドウィン役を演じるのが、マイレージ、マイライフ(2009)でいい味出していたヴェラ・ファーミガ。ジョージ・クルーニー演じるクールな主人公を「その気」させるいい女。今回もそんな「いい女」ぶりを遺憾なく発揮して、またまた注目だ。

 だがそんな彼らをブッちぎって素晴らしい魅力を振りまくのが、主人公の正面に座っている女性の乗客を演じたミシェル・モナハン。今までM:I:III(2006)ではトム・クルーズの嫁さん役、イーグル・アイ(2008)ではシャイア・ラブーフと行動を共にすることになるシングル・マザー役を演じていた彼女だが、正直言ってそれらの役は今回の役を見たらまったく頭に浮かんで来なくなる。この映画を見ていて、僕は終始「この女優さんって誰?」と気になって仕方なかった。それくらい今回の彼女は群を抜いて素晴らしい。今までの役など頭に浮かばないほど、ダントツに素晴らしいのだ。いやぁ、こんなチャーミングな女優さんがいたんだねぇ。

 彼女がこれほど素晴らしくなければ、主人公が何とか彼女を助けたいと思うことにリアリティや共感がなくなる。彼女がこんなに素晴らしいから、僕らも主人公同様「何とか助けたい」と思うのだ。いやホント、近年こんなに女優さんをチャーミングだと思ったことはないよ。こっちはいいかげん映画ファン何十年もやってるから、ちょっとやそっとじゃそんな事思わないんだけどねぇ。真面目な話、彼女を見るだけでもこの映画の価値はある。ホントにホントに素晴らしい。イイ言葉が見つけられなくてもどかしいほどだ。

 さらに脇には、今回珍しく憎まれ役のジェフリー・ライト。こういう役をやっても達者だ。そんな訳で、主役陣はいずれも充実しているのだが、実は先に「キャラクターの魅力こそを重視した作品」と書いたのは、そのあたりの主要キャストにとどまる話ではないのだ。

 何度も何度も列車の中で8分間のリフレインを繰り返す主人公。こうも何度も何度も繰り返して顔を突き合わせると、人間って不思議なことに相手に情が湧いてくる。主人公は徐々にこれらの乗客たちに、奇妙な情を感じ始めるのだ。この感情は、僕にも理解できる。チラッと自分の人生を横切っていくだけの存在なら、その後、死のうとどうなろうと知ったことではない。しかし何度も付き合って見慣れてみると、これらの人物が「どうでもいい人」でなくなるのだ。死なれちゃ困ると思うし、もし死ぬとしても「生きている今」は幸せになって欲しいと思うだろう。

 それは主人公が、自分も「生きている」状態ではないと徐々に気づいてきたからだ。

 イマドキの映画ファンには知られていないかもしれないが、砲撃によって手足や顔を失った兵士を描いた「ジョニーは戦場に行った」(1971)という映画がかつてあった。まさにその「ジョニー」状態の主人公。しかも軍によって「対テロ」捜査のための道具にされている彼は、もはや「生きている」とは言えない。だから彼は、「避けがたい死に向かって進んでいる」列車の乗客たちに共感せざるを得ない。

 映画の終盤近く…主人公はある覚悟を決めて、例の列車に舞い戻る。そこでやるべきことをやって事件にケリをつけると、彼は残りの時間を自分と乗客たちのために使おうとする。たまたま乗り合わせていたコメディアンの卵を焚きつけて、乗客たちを爆笑の渦に巻き込み、自分は例の女性と甘い口づけを交わすのだ。この場面にはさすがに泣かされた!

 イライラしたり仏頂面を見せていた乗客たちも、このときにはみんなそんなことは忘れて涙を流さんばかりに爆笑している。もし後わずかで死ぬと分かっていたら、せめてその時にはみんなも自分も幸せでいたい。これはホントに本音だと思う。

 そして実はこの乗客たちと主人公の状況は、僕らにとって決して人ごとではないのだ。我々だっていつ死ぬかは分からない。そして、いつか必ず死ぬ。ウソじゃない。本当に死んじゃうんだよ。

 我々もみな、死に向かって爆走している列車の乗客なのである。

 ならば、イライラしたり仏頂面している時間なんてないんじゃないだろうか? そんなことに時間を費やしていないで、幸せになろうとするべきではないのか? 大げさなことを言ってるように思われるだろうが、この場面には実にさりげなく、「人生の真理」が描かれているのである。

 これはホントに身につまされた。いやぁ、シャレにならなかったよねぇ。

 しかもダンカン・ジョーンズは、これで映画を終わらせなかった。何とアッと驚くウルトラCを用いて、主人公を救出してしまうから驚いた。

 正直言ってこれで主人公を助けてしまうという結末が、理屈として合っているかどうかは怪しい。明らかにタイム・パラドックスが起きているような気もするし、いろいろ矛盾も感じてしまう。そもそも主人公が「教員」である他人の人生に乗っかって、その後うまくやっていけるのかも疑わしい。

 そういったいささか乱暴な手段を使ってでも、あえて主人公を力業で救い出してしまった…そのことにむしろ、僕は大いに共感した。

 この題材でテーマなら、ペシミスティックだったりメランコリックだったりする結末だってあり得たし、むしろそうなることの方が可能性としては多かったはずだ。そっちの方がリアルで、もっともらしく見えたかもしれない。作品としてもリッパに見えたかもしれない。

 しかしあえて多少の難に目をつぶってでも、主人公を救出することのほうに舵を切った…そこにダンカン・ジョーンズの作家としての姿勢が伺えるのだ。

 クリストファー・ノーランやらダーレン・アロノフスキー、コーエン兄弟…などなど、異論反論はいろいろあるだろうが、現代ハリウッドに才気溢れる映画作家と言われる人はたくさんいる。彼らは華麗な映画テクニックやメソッド、カッコいい映像スキルも持ち合わせている。才能のきらめきという点では、ダンカン・ジョーンズもまさにそういう作家の一人に数えられるのだろう。確かにみんな、それぞれ優れた映像テクニシャン揃いではある。

 だが力づくで主人公を救出したこの映画の強引なエンディングは、そんな才気走った映画づくり以上のものを僕に感じさせてくれた。

 それは、血の通ったホンモノの作家だけが見せられるものだ。

 そしてそれこそ、僕が「よく出来た映画」よりもずっとスクリーンで見たいものなのである。

 

 

 

 

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