「ザ・ウォード/監禁病棟」

  The Ward

 (2011/10/17)


  

マッサージ屋の兄ちゃんとAKB48

 ここ十年来、僕は毎週マッサージ屋に通うことを欠かせないでいる。

 元々、腰が悪いところに来て、年がら年中座りっぱなしの仕事だ。腰が痛むのは当たり前。それに目に悪いことばかりやっていてキーボードをしょっちゅう叩いているから、肩もバリバリ凝っている。そんなこんなで、僕はマッサージなしには生きられない人間になってしまったのだ。

 ただ、マッサージしてくれる人との相性というのは難しいもので、ある意味じゃ嫁さんよりも合っている人に出会うのはマレかも。そんなこんなであっちこっちのマッサージ屋を試したあげく、何年か前から家の近所のマッサージ屋に居着いたようなわけ。そこでは身体がデカいが気は優しそうなお兄ちゃんが、僕の身体を揉みほぐしてくれていた。

 そのお兄ちゃんはアメリカン・プロレス好きで、店に一人きりの時にはよく向こうのプロレスDVDを流していた。そしてマッサージの最中に、延々プロレスの話を聞かされたものだった。格闘技もプロレスもまるっきり興味がない僕がそんな話についていけた唯一の理由は、僕が映画俳優業に進出したアメリカン・プロレスのスター、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンのファンだったから。彼、なかなかの役者なのだが、プロレスの世界でもかなりのスーパースターだったらしい。どうやらプロレス時代にあの芝居っけを身につけたらしいのだが…まぁ、ともかくいろいろ彼から情報を仕入れたりもした。

 そもそも僕はいろいろな人の話を聞くのが好きで、夜にタクシーなどに乗った時でも、運ちゃんの世間話などを熱心に聞いている。いろいろな知らない世界の話は面白い。ネタになる。こっちも利口になるよ。

 それに、僕は僕で身体を揉みほぐされている間、このお兄ちゃんにアレコレとグチを聞いてもらってもいた。だからと言って、何か相談に乗ってもらったわけではない。何か解決策をもらったわけでもない。しかし人間って大抵の悩みや不満は、誰かに話を聞いてもらうだけでかなりな部分が解決しちゃったりするものだ。ある意味で、彼は僕の精神科医みたいな役割を果たしていたのかもしれない。

 しかし、そんなマッサージ屋の兄ちゃんがある日、意外なことをカミングアウトしたから驚いた。

 「実はAKBにハマってるんスよ」

 えっ? AKBってあのAKB48のこと? そうである。イマドキは雑誌やらテレビやら広告で、やたら目にするあの女の子たちの集団である。これにはさすがに僕も面食らっちゃった。

 正直言って僕もAKBのファンっていわゆるオタクだろうと思っていた。だから到底オタクとは思えないこのお兄ちゃんが、AKBにハマるなんて想像もできなかったのだ。

 また、そういうオタクの男たちがCDをオトナ買いして売り上げを買い支えているから、CDが売れないこのご時世にとてつもない売り上げを記録するんだろうと思っていた。だから本音を言えば、彼女たちにあまりいいイメージは抱いていなかった。またどうせ秋元康がアコギな金儲けツールを開発したんだろうとしか思っていなかったのだ。

 ただ、「ハマってる」と言ってる男の子の前で、AKB批判をしたところで仕方がない。誰が誰やら分からないとか歌なんて聴いたこともないとかってのが本音だが、それは腹の底にグッとしまいこんでお兄ちゃんのマッサージに身を任せていたと思いねえ。

 ところがお兄ちゃんのAKB熱は増すばかり。毎週毎週マッサージを受けるたびに、AKBの話ばかり聞かされるハメになってしまった。そうなると、こちらも話を無視するわけにはいかない。ちゃんと耳を傾けないわけにはいかなくなったのだ。

 すると怖いことに、この僕もだんだんAKB48に詳しくなっていくではないか。恥ずかしながら彼女たちの歌なんて2〜3曲しか耳にしたことはない。しかも通しで聴いた曲など1曲ぐらいしかないのだ。それなのに、メンバーの名前を頻繁に聞かされていくうちに、例の「総選挙」とやらの上位10位ぐらいの子たちの名前を何となく覚えてしまったから驚きだ。そうなってくると、誰が誰やら…とはならなくなって、妙に各人がキャラ立ちしてくるから不思議なものである。

 そして街を歩いていてもネットを見ていても、自然と今まで目に入らなかった彼女たちの情報が入って来てしまうから、人間というのは面白いものだ。そういや昔、自分が若い頃はそうだった。知ろうとしなくても芸能人やロックスターなどの情報は、ガンガン向こうの方から入ってきたものだった。それがオトナになって歳をくってみると、全く情報音痴になっていたのだった。そうなると、関心のあったことすら耳に入らなくなる。これが老いるということなのか。

 僕自身は相変わらずAKBに関心は持っていないはずなのに、なぜか情報は入ってきてしまう。それは僕の中に、確固としたAKBのキャラクターが確立されつつあったからだろう。お兄ちゃんの芸能情報なのかファンの妄想なのか分からない話で、誰と誰が仲良しで、誰がどんなヤツで、誰が何を得意で、誰が何を好きか…などと繰り返し聞かされていくと、僕までそいつらがどんな連中なのか昔から知っているような気になってしまう。そうなると僕の方でも、自然と自分の持っているモノサシに彼女たちを当てはめようとしていくのだった。センターの前田って奴はミックで、それに対抗している大島って奴はキースみたいな存在なのか…とか、「会いたかった」って曲はサビしか聴いたことないが、どうやらビートルズにとっての「ツイスト・アンド・シャウト」みたいなテーマ曲的ポジションらしいぞ…とか、何となく僕なりのイメージが勝手にできあっていくのである。ただ、しまいに彼がマッサージ中にAKBのCDをかけたいと言い出した時には、さすがに勘弁してくれと言ったけれど(笑)。

 しかし僕は、不思議と彼のAKB熱をイヤだとは思わなかった。握手会に行ったと聞いた時にはさすがに目を丸くしてしまったが、彼の握手会体験話はなかなか興味津々で楽しかった。握手会でも列が出来ないメンバーとかいるらしくて、結構シビアだな〜と驚かされもした。

 僕は何かに夢中になっている人をバカにする気にはなれない。どんなものでも、どんなことでも、何かに夢中になるというのはこういうモノだろう。興味のない人にはバカバカしいものだ。ベロのマーク入りTシャツを着てローリング・ストーンズのコンサートに乗り込む時の僕は、AKB握手会に出かける彼とどこも違わない。同じくらいバカだ(笑)。

 そして何かに夢中になれる人の方が、何もない人より何百倍も人生を楽しんでいる。さすがにCDを何百枚も箱で買っている連中はいかがなものかと思わざるを得ないし、秋葉原の劇場でいいオトナが青筋立てて踊ってる姿を見るのは痛々しいが、普通にCDを1枚2枚買って楽しむぶんにはいいじゃないか。AKBを応援している彼はすごく楽しいんだろうなと、さすがにイイ歳してそんな気持ちにはならない僕は、ちょっと羨ましくなった。そりゃあ若い女の子を追っかけていたほうが、絶対楽しいよな。

 それと同時に、彼のAKB話によってその楽しさをほんのちょっぴりお裾分けしてもらっていた僕は、その楽しさの秘密が分かるような気もしていた。確かにキャラが立って、メンバー同士の力関係やら人間関係までが…例えファンの妄想かマネージメントによって作られたものであったとしても…分かるようになってみると、そこにはまた別の「カワイイ女の子に入れ込む」以上の楽しさが出てくるのではないか。

 例えば、ビートルズが全世界的人気を掴んでから主演した「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(1964)を思い起こしていただきたい。そこではメンバー4人のキャラがハッキリと打ち出されていて、あいつはこんな奴でそいつはこんな奴…とファンにクッキリと焼き付けられた。すでに世界的人気のビートルズだったが、その人気がかくも絶大なまま長く続いた秘密は、ここで4人のキャラが確立され、それが映画というメディアで世界に拡散したからではないだろうか。結局ヒゲを生やしたり、麻薬をやったり、解散したりしても、基本的にビートルズはあの「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」で出来上がったキャラのままファンに認識されていたように思える。「一山いくら」で扱えなくなって来ることで、見ている側としてはもう特別な存在に思えてくるものだ。

 ただ、お兄ちゃんの話すAKBのアレコレを聞いている限りでは、そこにはもうちょっと違う要素があるような気もする。つまりごく若い女の子であること、そして何しろやたら数多い集団であることが重要なのかもしれないのだ。…そこには何となく「女子校」のような、甘酸っぱい香りが漂うのである。

 男子校の生徒は、たぶん共学の「やることやってそう(笑)」な油断ならない女の子には手も足も出ない。しかし女子校の女の子たちがキャッキャとハシャいでいるのを、ハタから見るのは楽しいだろう。そんなような気分があるのではないだろうか。残念ながらそんな気分にはノレない僕だが、そう考えてみれば理解できなくはないような気もしたわけだ。

 しかし、僕がそれ以上AKB48に関する考察を深めることはなかった。

 実はお兄ちゃんの母親は、もう長いこと病気にかかっていたらしい。そんな気持ちのやり場を求めて、彼はAKBに夢中になっていたのか。そんな母親がついに亡くなってしまい、彼はいろいろな身辺の事情からそのマッサージ屋を辞めてしまった。それ以来、僕にAKBの話を一生懸命語ってくれる人はいなくなってしまった。

 そうなると、何だか心にポッカリと穴が開いてしまったような気がするのだった。

 考えてみれば、彼には身体の疲れを揉みほぐしてもらいながら、僕の心の中のしこりもほぐしてもらっていたのだろう。彼にグチを聞いてもらい、彼の楽しそうな話を聞いているうちに、僕は心のわだかまりを随分小さくしてもらっていた気がする。

 今頃、あのお兄ちゃんはどうしているのだろう。また握手会とかに行ってるのだろうか。今は誰がイチオシなんだろう。まだ大島優子オシなのかな。元気にやっているのかなぁ。でっかいクマみたいなお兄ちゃん、イイ奴だったよな。

 会いたかった…じゃなくて、今でも会いたいよ、君に…。

 

見る前の予想

 ジョン・カーペンターの新作である。

 この作品を紹介するのに、これほどありふれた言葉もない。しかしある種の人々にとっては、「カーペンターの新作」というだけで特別な意味を持つんじゃないか。

 もちろん僕にとってもそうだ。今から30年近く前にジョン・カーペンターの作品にシビれて以来、この男の作品を心待ちにしてきた。そのあたりのことは、うちのサイトの初期コンテンツMy Favorite Directorsジョン・カーペンターの巻をお読みいただければ、お分かりいただけるかもしれない。そういう映画ファンって、決して少なくないんじゃないだろうか。

 そんなカーペンターだったが、実は皮肉なことに、僕がこのサイトを開設したあたりでグッと作品発表の頻度を落とした。一番最後に見たのがゴースト・オブ・マーズ(2001)で、この素晴らしさには思わず熱狂。このサイトにも、大いにトチ狂った感想文が載っている。正直言って、僕は感激で涙まで流しちゃったからねぇ。

 しかし、それが最後の大花火だったのか。

 その後、ジョン・カーペンターの名前はめっきり聞かなくなった。パッタリと消息も途絶えた。たまにその名前を聞くと思えば、過去のカーペンター作品リメイクアサルト13/要塞警察(2005)やザ・フォッグ(2005)だという始末。もうとっくに現役を退いちゃった「過去の人」って感じが漂っていたわけだ。

 そのカーペンターが復活する。

 9年か10年ぶりの復活だから、感激もひとしお。正直言ってもう新作は撮らないだろうと思っていたから、これは大事件だ。本当だったらカネやタイコの大興奮で、みんなに「見ろ見ろ」と吹聴したいところだ。

 しかし、僕は今回そんな風に無条件に大喜びはできない

 なぜなら、チラシなどでその作品内容を見て、少なからず当惑を覚えたからだ。錯乱して家に放火したヒロインが、精神障害者の女の子ばかりを収容する精神病院に閉じこめられる。ところがそこにはナゾの「存在」がいて、時々どこからともなく出没しては収容されている女の子たちを一人また一人となぶり殺していた。ヒロインは「こんなところにはいられない」と脱走を試みるのだが…。

 どう見てもホラーである。ホラーと来ればカーペンターの十八番。みんなが一番見たいカーペンターではないか。…いやいや、ちょっと待っていただきたい。

 確かにカーペンターはホラー映画の名手だったが、ホラー映画と一言で言ってもいささか広うござんす。で、カーペンターの過去の作品を振り返ってみても、若い女の子が主役で「精神病院」内の恐怖を描くなんてスタイルの映画は、今までなかったんじゃないか。

 そしてカーペンターの作品と言えば、大体が監督・脚本・音楽を一人でやるワンマン体制。脚本を書く監督ってのは結構いるが、音楽までシャシャリ出るってのはクリント・イーストウッド以外あまりいない。しかもその音楽ってのが、シンセサイザーを駆使した独特なものだ。実はカーペンター映画の魅力の大きな部分は、このシンセ音楽が占めていたりする。ハリウッド・メジャーに進出しての「遊星からの物体X」(1982)では巨匠エンニオ・モリコーネを起用しながらも、シンセを使ったほとんどいつものカーペンター節だったのにビックリかつ狂喜したものだ。

 ところが時々、カーペンターは「請負仕事」丸出しの作品を作ったりもする。「スターマン」(1984)や「透明人間」(1992)といった作品がそうだ。それらの作品は決して出来は悪くはないが、僕らファンがカーペンター作品に期待する「何か」が欠けている。そしてその手の作品に限って、なぜかカーペンターは音楽を担当していない。つまり音楽を担当しているかどうかは、その作品に対するカーペンターの「本気度」を示すバロメーターだった。果たして今回の作品はどうなのか。何だか音楽まではやってなさそうな気がするんだよなぁ。

 おまけにこの作品の日本公開に先立って、ネット上にアップされたカーペンターのメッセージ・ビデオが、何とも不可解なモノだった。どうも自宅で撮影されたらしいそのビデオでは、カーペンターが「ニホンノミナサン、コンニチワ」などと片言の日本語で語りかけてきて、まぁ「いかにも」の内容ではある。ところがその言葉に続くコメントが「アレレ?」と思わされるシロモノ。「日本はゴジラ、ラドン、キングギドラ…そしてAKB48の生まれた国です」…な、な、な、なんですと?

 AKBファンには申し訳ないが、長年のカーペンター・ファンとしちゃあ困惑するばかり。何でカーペンターがAKBを知っているんだ?…ってなことも含めて、こりゃどういうことなんだ。日本じゃみんなに大人気のアイドルだと思い込んで、リップサービスで名前を出したのか。怪獣たちと並んで名前を出してるところがビミョーっちゃあビミョーだが(笑)、こりゃ何かの冗談なのか。いやぁ、そう片づけてしまえるならそれでいいが、カーペンターには「ゴースト・ハンターズ」(1986)なんてキテレツ作品があったりしてシャレにならない。それも音楽まで担当して主演はカート・ラッセルと来るから、この作品は本人乗り気でやったに違いない。こういう作品が時々織り込まれるから、カーペンターは油断ならない。AKB発言も意外に本気で言ってる可能性が否定できない。大丈夫なのかこのオッサン。

 そもそも問題行動を起こしたヒロインが精神病院に閉じこめられ、そこでいろいろな境遇の女の子たちと出会い、脱走を図ろうとする…というシチュエーションって、何となくつい先日見たトンデモ映画エンジェル・ウォーズ(2011)を連想させはしないか。そこに出てくるヒロインがセーラー服でヘソ出しで日本刀持っているオタク臭プンプンなあたり、カーペンターのAKB発言と妙に絡まってたらどうする(笑)?

 そんなわけで久々も久々、もう見られないんじゃないかと思ったカーペンター作品が見られるのはいいが、その出来映えについてはいささか「???」な予感。果たしてその結果はどうなのか。僕はいても立ってもいられず、公開劇場へと走って行ったのだった。

 

あらすじ

 その夜も、監禁病棟は異様な緊張した空気が流れていた。

 個室で何かの気配に気づいていた女の子が、恐怖におののいたまま立ちすくんでいる。とてもベッドで寝ている場合ではない。怯えきった彼女は次の瞬間、何者かが部屋に入り込み、彼女の首を絞めていることに気づいた。監禁病棟に悲鳴が響き渡る…。

 一人の金髪の若い娘が、フラフラと下着姿で森の中を走り回っている。彼女の名はクリステン(アンバー・ハード)。その目は錯乱状態で、挙動も不審。彼女はとある一軒家へと辿り着くと、その窓から火を放って家に放火。激しく燃えさかる家を前に、クリステンはただただ立ちすくんでいた。そこに彼女を探していた警官たちが到着。たちまち取り押さえられるクリステンだったが…。

 彼女はそのまま精神病院に連れて来られ、特定の患者たちを収容する監禁病棟へと運ばれる。そこには彼女のような、若い娘たち4人が収容されていた。いかめしい顔をした看護婦長は、情け容赦なく彼女たちを監視している。自分はマトモだと自負しているクリステンは、何とも言えない忌まわしさが漂うこの場所から、出来るだけ早く逃れたいと思い始める。

 昼間は広間で他の4人と一緒にいられるが、夜は個室に監禁される。クリステンもその夜、個室のベッドで眠った。ところがいつの間にか、何者かが彼女の毛布をはぎ取り、ベッドの下へと持ち去っていくではないか。寒さに目覚めたクリステンは、徐々にこの病棟に何らかの「異変」が起きていることを察知する。

 翌朝、他の4人と顔を合わせるクリステン。どこか尊大でリーダーのような態度をとっているサラ(ダニエル・パナベイカー)、絵を描くのを趣味とするメガネのアイリス(リンジー・フォンセカ)、歌が好きなエミリー(メイミー・ガマー)、そして縫いぐるみを肌身離さず持っているゾーイ(ローラ=リー)…彼女たちの関係には、どこか緊張感が漂っている。そしてクリステンがこの病棟のことについて尋ねても、どこかよそよそしく詳しくは語ってくれない。

 クリステンをカウンセリングする担当医ストリンガー(ジャレッド・ハリス)は丁寧な物腰で接してくるが、決して彼女を「マトモ」な相手とは扱ってくれない。それが彼女を大いに苛立たせるのだった。

 そんなクリステンは、早速「脱走」を実行に移す。しかし、アッという間に見つかって看護士たちに捕まり、両手足を拘束されて個室に閉じこめられてしまう。そんな彼女は、個室の窓から廊下を通過する「何者か」の存在を発見。自分たち以外に「誰か」が存在することに愕然とする。

 「あれ」は誰なのか?

 しかし、クリステンが尋ねても、相変わらずみんなはのらりくらりだ。そのくせ、妙に「何か」に怯えているようでもある。ここでは過去、一体何があったのだろうか?

 そんな疑問は、すぐにクリステンの前に「カタチ」となって現れることになる。それはシャワー室でのこと。みんなと一緒にシャワーを浴びていたクリステンは、いつの間にかその場から一人去り二人去りして、自分一人になっていたことに気づかなかった。

 そんなシャワー中の彼女に、いきなり何者かが襲いかかって来る!

 それは…まるでゾンビかミイラのように崩れた、おぞましい姿になった女ではないか。首を絞められてパニックになった彼女は、慌てふためいて悲鳴を上げる。その声に気づいて看護士たちがやって来た時には、すでにそこに他の存在はなかった。

 こうして錯乱状態と判断されたクリステンは、看護士たちに電気ショック療法を受けさせられるハメになってしまう。ボロボロクタクタになったクリステンだが、ここには「何かいる」…という「感覚」はもはや「確信」の域に達しようとしていたのだった…。

 

見た後での感想

 まず、重要なことから申し上げなければならない。

 今回の作品、やっぱりジョン・カーペンターは音楽を担当してはいない。劇中にあの独特のシンセ音楽は一切鳴らず、割とありきたりなホラー映画風の音楽が流れるだけ。そういう意味では映画が始まって早々、僕としては軽い失望を覚えることとなった。何しろ今までの経験では、音楽を担当しないカーペンター映画、イコール、作り手としての「本気度」が低い映画…というのが定番だったからだ。つまりこのまま考えていくと、経済的事情か他の理由かで、「職人的」なポジションで制作したと考えるのが順当だということになる。

 それにしても、およそ10年ぶりで取り組んだ作品が「職人仕事」だなんて、そんなことあるんだろうか?

 「ゴースト・オブ・マーズ」があまり当たらなかったのではないか…とは思っていたものの、「ハロウィン」の新作やらリメイク、その他にもリメイク作品が次々作られていたカーペンターだ。彼の作品をリスペクトする映画人も少なからずいただろう。元々、彼の作る映画が低予算ばかりなことを考えても、例えば「天国の門」(1981)のマイケル・チミノが復権するよりはずっと容易だったはずだ。多少出来はイマイチだったとしても、「あの」ジョン・カーペンターの復帰作ということで元は取れたはずだろう。なぜこんなに復帰が遅れたのか。そして、なぜ今回いきなり復帰したのか?

 …などとウダウダ言ってしまうのも、僕としては致し方ない。そもそも映画を見ての感想が、事前に予想していた通りだったのだ。正直言って、「らしく」ないんだよねぇ。

 あのシンセ音楽が鳴らないだけで「らしく」ないとも言えるのだが、そもそも題材が「らしく」ない。精神病院に閉じこめられる女の子の話だからねぇ。

 ヒロインが精神病院に連れて来られて、そこには何人かの女の子たちが待ちかまえている。おまけにヒロインは、絶対に脱走してやろうと反骨心を燃やし続けているのだ。思った通りだよ、「エンジェル・ウォーズ」をマトモな映画話法で描いたら、たぶんこんな感じだろう。やたらロボトミーがチラつくあたりもそうだ。どうしちゃったのかな、これは。

 最後にオチというかドンデン返しがあるが、そのドンデン返しの持っていき方も「らしく」ない。すでに何かの映画で見たようなオチ(どの作品と指摘するとネタが割れてしまうので黙っておくが)だが、そのオチ自体は悪くない。しかし何とも…そんなサプライズの作り方がカーペンターらしくないのである。

 そう、この映画全体を通しても、決して退屈したりつまらない映画ではないのだ。ちょっと主人公たちに襲いかかってくる「モンスター」は怖くないかもしれないが、ソコソコ楽しませてはくれる。カーペンター映画だと思わなければ、別にそんなに不満は抱かないかもしれないのだ。

 しかし、カーペンターという映画作家が極めて個性的だっただけに、その10年ぶりの復帰作として、ファンは何となく物足りなく感じてしまう。例のメッセージ・ビデオにおける「AKB」発言については、どうやらカーペンターの息子がつい最近まで東京(それも高円寺というウワサも!)に住んでいたとかで、この息子がCDやDVDを買って親父に送っていたことからついつい口走ったらしいが…(笑)。それはともかく、今回の作品の「らしく」なさに、僕はいささか寂しいモノを感じずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見た後でお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わずかながら散見されるカーペンター「らしさ」

 では、カーペンターはこの作品を「職人仕事」として割り切って作ったのだろうか?

 音楽を担当していない…という点を見てみると、今までの例ではそういうことになる。実際、映画を見た直後には、僕もほとんどそう決めつけていた。しかし、どうしてもどこか引っかかる

 すでに功成り名を遂げた人物が、今さら長い沈黙を破ってまで、頼まれた「職人仕事」を割り切って引き受けるだろうか。いやぁ、そんな必要があるわけないだろう。

 この映画にもカーペンターなりのモチベーションをくすぐる部分があり、彼なりにやりたいことを反映させて作っているのではないだろうか。僕がそれを受け止めていないだけではないか。

 そう考えてみるのが自然ってもんだろう。

 そんなこんなを考えて振り返ってみると、確かに当初は気づかなかったそんなカーペンター「らしさ」に、徐々に気づかないでもない。一見するとそうは見えない作品だが、わずかながらも…ところどころにカーペンター映画の意匠みたいなものが隠されているのだ。

 ぶっちゃけ白状すると、そのうちのひとつは映画を見ている間にも気づいてはいた。病棟の大広間で女の子たちがラジオで流れるオールディーズのポップスに夢中になり、踊り出すくだりである。

 何となくよそよそしくてまとまりのない女の子たちが、珍しく一体感を見せて踊りまくるこのくだり…しかしホットになっていく彼女たちとは対照的に、見ている僕らは何となく不安になっていく。それはカメラがずっとそんな彼女たちを引いて凝視したまま、じ〜〜〜〜っと静かに緩やかに近づいていくからではないか。

 僕はこれに似たカメラワークと編集を、カーペンター作品で見ている。

 それは「遊星からの物体X」の劇中でのこと。全滅したノルウェー隊から逃げて来た犬を匿っている基地内で、料理番の男の子がラジカセをかけているという場面。ラジカセから流れているのは、スティービー・ワンダーのノリノリのヒット曲「迷信」だが、そのノリのいい曲とは裏腹に、見ている側には何とも言えない不安感がよぎってくる。カメラは人けがない無防備な基地内をじ〜〜〜〜っと静かに移動。そして犬を閉じこめている檻の中では、その犬の身体におぞましい異変が起こりつつある。ここから先は、当時のSFXや特殊メイク技術で、たっぷりグロテスク趣味な見せ場がつるべ打ち。あまりその変身ぶりがスゴいので笑っちゃうほどのハメのはずしっぷりを見せてくれる。

 しかしここで観客を不安にさせるのは、あくまでノリのいいスティービー・ワンダーの音楽と、それと対照的に静かに動いていくカメラ視線だ。このコンビネーションが、観客を何ともイヤ〜な気分にしていく。そのあたりの気分の持っていき方が、久々に往年のカーペンター・タッチだなと思わされたのだ。

 そもそもどこかに閉じこめられた雑多な集団が、迫り来る恐怖と闘っていく…という設定は、「要塞警察」(1976)以来、「ザ・フォッグ」(1980)、「遊星からの物体X」「ヴァンパイア/最期の聖戦」(1998)、「ゴースト・オブ・マーズ」…と続くカーペンター十八番の設定ではないか。今回は女の子ばかりということがあって気づかなかったが、確かにこれはカーペンターの定番だ。その割に襲ってくる相手がショボいのが難点だが、それも「オチ」を考えてみるとあまり強大で残虐な敵にはできなかったのだろう。

 そして、確かにドンデン返しは「らしく」ないものの、これについても考える余地がないわけではない。

 あのドンデン返しは、ドラマの途中で「主人公がズレる」ということと考えることもできる。そういう点やヒロインがシャワールームで襲われる場面があることを考えると、これは微妙にヒッチコックのサイコ(1960)からのイタダキをやらかしているのではないか。

 そういう「サイコ」からのイタダキ精神なら、「ハロウィン」(1978)でジャネット・リーの娘ジェイミー・リー・カーティスを起用。さらに「ザ・フォッグ」ではそのカーティスに加え、ジャネット・リー本人まで起用したカーペンターも旺盛だ。なるほど、今回だって意識しなかったはずがない。

 さらに主人公も性別は女ではあるが、まったく妥協しないし周囲にも迎合しないあたりが、カーペンター作品でずっとカート・ラッセルが演じてきたヒーローと変わりない。

 こう考えていくと、主人公をはじめ中心人物が若い女の子の集団であること、そして本人が音楽を担当していないことを除けば、意外に本来のカーペンター・タッチに近づいていくような気もしてくるから、人間なんていいかげんなものだ(笑)。実際、カーペンター作品を最も「それらしく」盛り上げていたのは、カーペンター自身による単調なリズムが繰り返すシンセ音楽。だから、それがなかっただけで「まったく違う」と思えてしまったかもしれないのだ。

 問題はやっぱり「若い女の子の集団」をお話の中心に据えたことだが…確かにこれだけは今までのカーペンター映画とは違う。例えばヒロイン映画はあったけれど、どっちかというと男臭さが身上のカーペンター映画だった。何しろ「物体X」など、男だけしか出てこない集団ドラマがあるくらいだ。

 しかしこれについても、「物体X」で描かれた男だけの集団が閉ざされた場所にいる緊迫感を今度は女だけの集団でやってみた…と考えてみたらどうだろう。確かにそういう発想は「アリ」かもしれない。

 ひょっとしたら今、カーペンターが描きたいのは、こうした若い女の子たちなのかもしれないのだ。それゆえ10年ぶりに創作欲がかき立てられたとして、何の不思議があろう。確かにそういう心境の変化は、ないとは言えないのである。

 メッセージ・ビデオで「AKB48」の名前なんぞを挙げていたカーペンター。一体どうしちゃったのかと驚かされたが、実はこのあたりのことに微妙に結びついていないとも限らない。今ではそれが、あながち冗談とは言えない気分なのである。

 

 

 

 

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