「ブラック・スワン」

  Black Swan

 (2011/05/23)


  

見る前の予想

 この映画の予告編は、だいぶ前から劇場で何度も目にしていた。

 「白鳥の湖」を演じるバレリーナを主人公にしたサスペンスかホラー。自分より魅力的な若手の登場に動揺して、ヒロインはどんどん心理的に追いつめられていく……その予告編を見る限りでは、どう見てもその作品はそんな内容であるように思えた。そして「白鳥の湖」を題材にしている時点で、これはぜひとも見たいものだ…と僕は強く思っていた。

 実は僕は昔から、「白鳥の湖」はホラーに似合うと思っていたのだ。

 恥ずかしながら、大昔に拙い8ミリ映画を自主制作していた僕は、「白鳥の湖」をネタにしたホラー映画の企画を立てたことがあった。あるデザイン事務所に女のグラフィック・デザイナーが入社するが、それ以来、社内で奇妙な出来事が起きる。実は彼女は精神を病んだ人物で、今までも周辺の人物を次々殺害していたのだった。それを知ったコピーライターの主人公に、ある夜、女の魔の手が伸びる…。確かそんなようなお話で、女がかつてバレエを志しながら挫折したという設定から、「白鳥の湖」がテーマ的に使われることになっていたはずだ。クライマックスではモンスターのような正体を現した女が襲いかかってきて、そこにチャイコフスキーのあの有名すぎるメロディーが大音響で流れることになっていた。

 まぁ、バレエというと「白鳥の湖」というのは、クラシック音楽といえばベートーベンの「運命」…というくらい凡庸な発想だ。僕もバレエなんか詳しくないし、まったく教養もない。しかし一般に向けて発信する娯楽映画としては、正直言ってオバアチャンでも分かるようなこのくらいのレベルのイメージでないと高尚すぎてついていけなくなるかもしれない。

 それと…ちょっと偉そうに今から回想してみると、僕も「白鳥の湖」に漂う「優等生」イメージと、それとは裏腹な「不安定さ」「危うさ」を、教養がないなりに本能的に察知していたのではないか…と思う。この僕が企画したホラー映画のヒロインは、シャレが通じない神経質で硬直した考え方の人物として登場するのだった。

 かといって、ナタリー・ポートマンが今年のアカデミー主演女優賞を見事受賞し、作品賞もノミネートされていたという「ブラック・スワン」が、僕が昔考えていた素人映画と似たような発想を持っていたということで、「オレってスゲエだろ?」と鼻高々に自慢したい…というわけではない。第一、「白鳥の湖」とホラーという発想だって、すでに「エトワール」(1988)ってジェニファー・コネリー主演のイタリアのホラー映画があったみたいで、結構凡庸なモノのようだ。ま、誰でも思い付くんだよ、この程度なら。

 そうなのである。正直言って、実はこの映画って凡庸な発想なのではないかと心配になったのである。

 面白そうとまずは思いながら、予告を見たらどんな映画か一発了解。そう考えてみると、オスカー・レースなどでの高評価がありながら、どうも発想としては単純で月並みな映画じゃないのかと心配になる。

 そもそも、自分より実力がありそうで魅力的な後進の登場に、心理的に追いつめられていくバレリーナ…なんて、まるで昔の少女マンガみたいと言えなくもないしねぇ。

 おまけに…この映画の予告編は何バージョンかあるみたいだが…僕がごく初期に見たバージョンでは、「アレレ?」と思ってしまう映像もチラリと見せてしまっていた。この予告編は見ている方も多いだろうからぶっちゃけ白状すると、「これってホントにモンスター映画になっちゃうの?」とビックリしたのだった。

 まさか…とは思ったものの、まるっきり否定もできない。何しろ監督はあのクセモノ、ダーレン・アロノフスキーではないか。

 出世作(1998)やらレクイエム・フォー・ドリーム(2000)など、強迫観念に囚われたり真理的に追いつめられたりするお話には強いから、こっちにいったらかなりのデキの気もするが、この人にはファウンテン/永遠につづく愛(2006)という「トンデモ映画」もあるからなぁ(笑)。今度の作品がそっちに転ばない保証はどこにもない。正直言ってオスカーなんて何の品質保証にもならないことは、長年映画ファンをやっている人間なら何となく分かっている。現に熱演が買われてかポートマンの主演女優賞は取れたものの、作品賞や監督賞はミスっているではないか。例の予告編での「アレ」から考えても、この作品ひょっとしたらまたまた「トンデモ映画」じゃないのか。

 そうは言っても、いろいろな意味で一見の価値がある映画だ。こういう映画は巷に評価が出揃う前に見るに限る。僕は公開間もないある日曜日の真夜中、オールナイト上映に滑り込んだわけだ。

 

あらすじ

 「白鳥の湖」を演じる主役のバレリーナ。彼女は劇中で悪魔に魅入られて…。

 夢から覚めた。

 たった今、目を覚ましたばかりのニナ・セイヤーズ(ナタリー・ポートマン)は、ニューヨークの有名なバレエ団の若手ダンサーの一人。このバレエ団では次の演目を有名な「白鳥の湖」と決定していた。その主役は誰になるのか…。もちろんニナも主役の座をずっと願っていた。だから夢の中に「白鳥の湖」が出てきたことは吉兆と喜ぶ。悪魔に呪いをかけられる場面だったことが気にはなったが…。

 ニナは母親のエリカ(バーバラ・ハーシー)と二人暮らし。エリカも元バレエ・ダンサーだけに、ニナを熱烈にバックアップしていた。時としてそれを暑苦しく思う時がない訳ではないが、ニナはそんなエリカの思いをありがたく受け取ってはいた。

 バレエ団の監督はフランス人のルロワ(ヴァンサン・カッセル)だ。彼は練習している若手ダンサーの前にやって来て、熱く宣言する。

 「これまでこのバレエ団のスターだったダンサー、ベス(ウィノナ・ライダー)は引退する。今度の「白鳥の湖」では、君たちの中から新しいスターを生み出すつもりだ!」

 それは、彼ら若手ダンサーたちの間で、熾烈な競争が始まることを意味していた。

 ルロワの宣言とともに、早くも主役候補から脱落する者が続出。ニナは幸いにも、主役候補に生き残れた。

 こうして主役オーディションまでの短い時間を惜しむように、廊下でも練習を続けるニナ。そんな彼女は、あのスター・プリマのベスが、大声を上げて自分の楽屋から飛び出すところを見てしまった。どうやら彼女の引退は、納得づくの円満なモノではなかったようだ。そのベスの楽屋の扉が開いているのを見つけたニナは、周囲を窺うとコッソリその中に入っていった。

 大スターとして特別扱いのベスの楽屋に入ったニナは、かねてより抱いていた憧れの気持ちからウットリと彼女のメイク道具や小物を見つめていた。「これがあのベスの…」と思うと、手に取っただけで胸がときめく。しかも今は、例えどんなちっぽけな力でも欲しいところだ。ニナがその場に置いてあったベスの口紅をつい盗んでしまったのは、大スターである彼女のパワーのいくらかでも、味方につけたいと思ったからだろうか。

 こうしてオーディションで、ルロワの前で踊りに踊るニナ。可憐な白鳥の踊りは、ニナも自信を持って踊れた。ルロワも思わず太鼓判だ。「白鳥だけだったら、君に決まりだな!」

 しかし続いて踊らされた黒鳥の舞いは、そうはいかなかった。ルロワは先ほどの満足げな表情とは一点、不満そうな顔を露骨に見せていた。そんな反応をモロに感じて、踊るニナも焦りに焦る。せっかく掴みかけたチャンスがフイになってしまう…。そんなあがきにも似た感情の中で踊るニナは、たまたま遅れて部屋に入ってきたダンサーに気を散らされて、思わずカラダのバランスを崩してしまう。

 たまたま部屋に入ってきたダンサーは、新入りのリリー(ミラ・クニス)。どこか奔放で大胆な娘だ。実は今朝、ニナはたまたま彼女を地下鉄で見かけて、強烈な印象を受けたのだった。そんなリリーの出現により立場を脅かされたニナは、激しく動揺して落ち込んでしまう。

 そんなガックリ落ち込む帰り道、ニナは正面から黒い服の女が歩いてくるのに気付く。ニナが気付くと、それは彼女に瓜二つの、しかしどこか大胆で強烈な印象の女ではないか!

 しかしニナは諦めきれなかった。彼女は「勝負」とばかりにベスの口紅を塗って、勇気を振り絞ってルロワのオフィスへと乗りこむ。極めて単刀直入に、ニナはルロワに直訴した。「私を主役に抜擢して!」

 この意外な率直さに、オドロキを隠さないルロワ。しかし彼のニナへの言葉は手厳しかった。いわく、これまでのニナのイメージは不感症だ、まるで官能性がない、もう別のダンサーを主役に決めている…。

 あげく、ニナへの挑発なのか、官能性を引き出そうとするのか、果ては単に誘惑しているだけなのか、ルロワはニナににじり寄っていく。ところが激しく口づけを求められると、ニナ本来の潔癖性が顔を出してしまった。唇を噛まれて悲鳴をあげるルロワ。結局ニナはルロワを口説き落とすつもりが、醜態をさらして逃げ出すハメになってしまったのだった。

 さすがに自己嫌悪のニナ。ついに廊下に「白鳥の湖」の配役表が貼り出されると聞いても、まるで見る気がしない。ルロワが主役に決めた…と言っていた女の前で、「おめでとう」と言うのがやっとだった。ところがその女が配役表を見に行って戻ってくるや、「バカにしないでよ!」と烈火のごとくニナを罵り出したではないか。まさか…と思って自分も配役表を見に行ってみると…。

 自分が主役…?

 呆然とした後で、嬉し涙がこみ上げてくるニナ。どうしてかは分からないが、ついに長年の夢が叶った。興奮したニナはトイレへと駆け込み、そこから心配していた母のエリカに携帯で連絡。むろんエリカも喜んでくれた。しばし歓喜にむせぶニナ。

 しかし彼女が電話を切って個室から出てくると、トイレの鏡いっぱいに口紅でこう書き殴られているではないか。

 「淫売!」

 慌ててその口紅の文字を消そうとするニナ。しかしそれは、「白鳥の湖」ヒロインを演じる彼女に降りかかる苦難と恐怖の、ほんの序曲に過ぎなかったのだ…。

 

見た後での感想

 正直言って甘くみていた。

 いかに過去、ダーレン・アロノフスキーが狂気に追い込まれる話を強烈に描いてきたとはいえ、まさかこの作品がここまでインパクトのある映画に仕上がっているとは思っていなかったのだ。

 ズバリ言おう。強烈な映画だ。本当に衝撃を受けた。

 こちとら、もう50過ぎだ。映画ファンになってからも40年近い。だから今さら、何を見せられたってそうそう驚くわけもない。ましてお話のあらかたのところは、予告編を見ていれば大体想像はつく。今さらビックリすることもない。おまけにお話はといえば、前述したように少女マンガにでもありそうなもの。それも「ガラスの仮面」とか、ちょっと前の昭和テイストのマンガにありがちなモノではないか。今さらそんなものに、何が驚かされるものか。

 ところが、ショックを受けてしまったから映画ってのは分からない。

 そもそも…ファンの方には申し訳ないが…ナタリー・ポートマンがヒロインの映画なんて、正直言ってあまり見たいとは思っていなかった。別にキライじゃないが、面白みも魅力も感じない…それが僕にとってのナタリー・ポートマン像だったからだ。

 確かに「レオン」(1994)で出てきた時には、それなりにインパクトがあった。子役大成せず…と言われている中でここまで生き残ってきたのは、並大抵のことではないと感心もする。しかし大人の女優になってからの彼女に感心したことは一度もないし、彼女が出ているから見たいと思った作品もない。スター・ウォーズ/エピソード1:ファントム・メナス(1999)に起用された時も、これっぽっちも嬉しいとは思わなかった。

 そういう意味では僕にとってナタリー・ポートマンって、やはり子役上がりで大人になっても活躍しているジョディ・フォスターと相通ずるところがあるような気がする。あれほど「偉そう」なイメージはないものの、やはりジョディもナタリーも、女優として「面白み」に欠けているのである。

 ところがこの映画では、そのポートマンがスゴイ。

 何がスゴイって…この映画では、彼女の「面白み」のないところが120パーセント活かされている(笑)。体当たりでバレエを演じたとか、強烈にイッちゃってる演技を見せたとか、オスカー受賞の理由はいろいろあるだろうが、何より元々の自分のキャラクターを演じているんだから、うまく演じられないはずがない。…ってのはいささかあんまりな言い草だが、ダーレン・アロノフスキーも人が悪い。

 しかも「面白み」のないポートマンに「面白み」のないヒロインを演じさせるだけでなく、自分に「面白み」が欠けていると気づかせ、大いに苦悩させる…というあまりに意地悪な趣向。つまりは演じてる本人と役が、まったくシャレになっていない状況なのだ。

 そんなヒロインがそこから狂気に堕ちて脱皮する様子を演じていくポートマンが、自らも「面白み」のない女優から脱皮していく。どこまで虚構なんだか真実なんだか…そんな虚実スレスレ感や、ともに肉体をもってパフォーマンスを見せていくというあたりも含めて、これはまったく別の作品に見える前作レスラー(2008)とかなり共通する点を持った映画ではないだろうか。あちらも落日のミッキー・ロークに落ちぶれレスラーを演じさせて、まるでシャレにならない映画だった。このあたりはアロノフスキーって、ホントに「ようやるわ」と言いたくなる「確信犯」ぶりである。

 脇の配役もなかなか充実していて、ヴァンサン・カッセルがアメリカ映画でこんな大役を堂々と演じているのには驚いた。だが最も驚いたのは、引退プリマ役のウィノナ・ライダー。正直言ってかなり後の方になるまで、この役を彼女が演じているとは気付かなかった。それくらい落ちぶれ感もイッちゃった感も凄くて、これは見ていて複雑な気分になった。これまたアロノフスキー一流の、シャレにならないキャスティングというべきだろうか。ホントに身も心もズタボロになってしまう残酷さなのである。

 またヒロインの母親役を演じたバーバラ・ハーシーのオバハンぶりにも驚かされたが、確かに彼女はもう結構なトシになっているだろうから、これは想定内と言えば想定内(笑)。だが、愛情深く娘に接していると見えながら、どこかちょっと「変」というのがミソだ。自分もかつては同じバレエ・ダンサーだっただけに、娘の成功を応援している…と自分も思っているしハタからもそう見えながら、実は隠しきれない嫉妬心。自分が娘を妊娠したことでバレエのキャリアを断念しただけに、その思いは屈折しまくり。それを一身に受けとめさせられてきた娘もまた、屈折に屈折を重ねるという結果になってしまう。そんな災いのタネの一端ともなっている、母親の愛情深さとちょっと「変」なところ…おまけに自覚がないだけに罪深いところ…を、ハーシーは絶妙に演じてみせていた。これはある意味で、この映画の一番恐かった点かもしれない。

 そして予告編でチラリと見せていた、僕が「これってホントにモンスター映画になっちゃうの?」と思ってしまった映像…。それはまるでデビッド・クローネンバーグの「ザ・フライ」(1986)の一場面みたいに、ポートマンの背中に黒い羽毛が生えてきてしまう…というショットだった。まさかホントにモンスター映画にしちゃうんじゃないだろうね?…とヒヤヒヤしていたが、さすがにそれはなかったので安心していただきたい(笑)。

 ともかくサスペンス映画、スリラー映画としても圧巻。やっぱり昔から思っていた通り、「白鳥の湖」は恐怖演出にピタリとマッチしていた。まさしく、僕の予想通り!

 これだけは、僕にも大いに自慢させていただきたい

 

見た後の付け足し

 しかしながら、実はこの映画の恐かったところ…僕が強烈なインパクトを受けたところは、そんな恐怖演出の「うまさ」なんかじゃないような気がする。

 ナタリー・ポートマンがシャレになっていなかった…と、ついつい笑い話にしてしまったが、ホントは笑っている場合じゃなかった。シャレになっていないのは、むしろ見ていたこの僕の方なのだ。

 それに気づいたのは、ナタリー・ポートマン演じるヒロインが奔放な新入り娘リリー(ミラ・クニス)に引っ張り出されて、夜の街に飲みに出掛けるくだりを見ていた時だ。

 こういうくだけた場というモノをあまり知らず、何を見てもやってもおっかなびっくり。ついつい明日があるから…的なヤボな言動を繰り返す。しかしそれにも実は大した信念も理由もあるわけではないから、ダサさもひときわだ。まぁ、映画の中ではクスリまで出てくるから、それがいいことだとは思わないものの…ヒロインのいい歳こいての世慣れのなさは尋常ではない。つまりは「面白み」のない人物…しかも自分で頑なになっているだけで、世間も何も知らない人物なのだ。

 これって、オレじゃないのか?

 確かに僕はすでに50を過ぎていて、しかも男だ。これほどウブでもないし世慣れしていないとも言わない。それなりに遊びもしたし、好き勝手もやらなかったわけではない。しかし世間相場の中ではどうかと言えば、正直あまり自信がないというのが本当のところだ。飲み屋に行ってもいまだに酒の銘柄を口にするのが不自由なほど、そういう類のことは知らない。

 しかも知らないからといって関係ないと笑い飛ばせるわけではなく、心のどこかでそれを恥じてもいる。何となく堅物っぽくてイヤだなとは思っているのだ。そして実際に「堅物」になるほどの信念があってそうしているわけでもない。ただ、臆病で恥をかきたくないと思っているだけなのだ。奔放にハメをはずしたり遊んだりしたことはほとんどないし、そういう場からも遠ざかっている。自分はそういうことに親しむ人間ではないと思っているが、同時にそれを人から悟られたくはないとも思っているのだ。

 いや、実は普通に外食する時や買い物をする時でも、僕はひどく怯えてしまう。なぜか激しく緊張を覚えてしまうのである。

 普段はそんな人間とは思われないように、言動には注意している。陽気で奔放で開放的で…ちょっと下品。そして他の男たちと同じように、男のお楽しみを好むようなふりをしている。いや、実際にもキライじゃないよ。だが、それに親しんでいるのかといえば…それは違う。では、なぜそんなふりをしているのかといえば、これは男たちの世界や日本の社会や…広く言えば人間社会に順応してやっていくために、頭で考えてやっているところが大きい。話の分かる楽しい奴と思われるように、無理して装っているというのが本当のところだ。

 僕にとって世間は、いくつになっても住みにくい場所なのである。

 本当の僕はすごく臆病で、そして頑なで視野が狭い。何かにすごくこだわるが、そのこだわりは…例えば職人や芸術家のこだわりなどとは違って、すごくチマチマしたことに終始する。単に融通が利かずに偏狭なだけなのだ。

 そして視野が狭いから、すぐに精神的に追いつめられる。平静を装っているのに、強迫観念のトリコになってしまう。

 そしてすぐに思ってしまうのだ…周りの人間すべてが敵だと。

 自分に自信もないし不安だし、広い視野も心も持っていない。おまけに気持ちに余裕がなくていっぱいいっぱいだから、すぐに精神的に不安定な状態になる。時にキレておかしな言動を披露してしまい、後で取り繕うのが大変…という情けない事態になる。

 これすべて、ヒロインの言動と一致するではないか。

 今まで何度も人間関係で苦しい立場に追い込まれたし、仲違いや決別も数多く経験した。針のムシロみたいな思いも味わってきた。その都度、僕がいつも直面してきたのは、対立した相手の意味不明、ムチャクチャな言動だった。

 とにかく理屈が合ってない。おまけに悪いのは相手なのに開き直って、逆にこちらを糾弾。まるで説教強盗みたいな理不尽な捨て台詞を吐いてくる。これが毎度毎度、まるで判で押したように同じように起きる。特に女との揉め事になると、間違いなくこれが起きるのだ。その時には、「また来たな」と肌で感じる。どこからともなく「いつものアレ」という感じで、まるで同じ匂いを嗅ぐような思いを味わうのだ。

 しかし、相手もシチュエーションも違うのに毎度毎度同じ事が起きるなんて、そんなことホントにあるんだろうか。

 いや、それはあり得ない

 例えばどこかの店で同じ店員にばかりクレームがついたとすると、いくらその店員が「客がみんなクレーマーだったんです」と訴えたところで、それを鵜呑みにすることはできない。逆にその店員の方に問題があると思うのが、マトモな判断というものだろう。僕だって経験上そう思う。

 だとすると、今まで僕の身に降りかかってきた理不尽なこと不可解なこと、それらすべては…実は僕の方にこそ問題があったのではないか

 相手がムチャクチャな主張をぶつけてきて、しかも僕に対して怒ってくるということは…僕の理解力や判断力がおかしくなっているのではないか。少なくとも一時的に、僕が妄想に取り憑かれているか錯乱しているという可能性はないか。

 10年ほど前に付き合った女も、言っていたことがかなりおかしかった。それはほとんど発狂したと言ってもよかったが、本当に彼女はそんなことを言っていたのだろうか?

 実はふと思い出したのだ、彼女と別れたその翌日のことを。

 それは彼女から誕生日プレゼントにもらって、ずっと腕につけていた時計だった。その時計を朝起きて見てみたら、ガラスにパッキリと真ん中からヒビが入っていたのだ。

 しかし、僕には前の晩に何かした覚えはない。別に暴れたわけもなく(彼女は遠くに住んでいたので、その時も電話での別れとなった)、酒を飲んだわけでもなかった。転んでぶつけた記憶もないし、踏んづけたこともない。それなのに時計のガラスは…ゴツい時計だったのでガラスも分厚かったのに…ほぼ真っ二つの状態に割れていたのだ。

 奇妙なのは、時計のガラスがいつ割れたかということを覚えていないことだ。夜寝る前に時計を腕からはずした時にはそんな風になっていたとは思えない。しかし朝起きて時計をはめようとした時には、もうガラスにはヒビが入っていた。さては夜中に泥棒でも忍び込んで、時計を叩き割って去って行ったのか。それとも瞬間的に超音波でも発生したのか…。

 当時はそれを不思議なものだと思いながら、やっぱり彼女とは縁がなかったんだな…などと呑気に考えていた。しかし、今になって考えてみるとおかしな話だ。そんなことをだしぬけに思い出してしまった。

 あれは、僕が何らかの方法で叩き割ったのではないか?

 本当は逆上して怒りにまかせて、あの時計をどこかにぶつけて割ったのではないだろうか。しかし僕はそれを記憶から抹消した。あるいは妄想の中に逃げ込んで、何もなかったことにした。もしくは自分で自覚しないまま、夢遊病者のように時計を叩き割ったのか。そうでなければ、確かに理屈が通らないではないか。

 だとすると、僕は今の今までそんな自分の危うさに気づかず、ここまで生きてきたのかもしれない。

 この映画を見ていて、ヒロインの気持ちは手に取るように分かったし、見ていてツラくなるほど身につまされた。指のささくれを切ろうと思って引っ張り、キズを深くして血を出したことも何度もある。あまりに僕との符合がありすぎる。

 僕は時として人の言動や自分の言動を曲げて受け取り、マトモに認識できなくなるんじゃないのか。それを自分ではまったく気づかず、これまでずっと普通の人間として生きてきたのではないか。だとしたら、それは「白鳥の湖」のホラー・テイストなんかよりずっと怖ろしい。

 僕の精神は、どこか著しく病んでいるのかもしれないのである。

 

 

 

 

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