「MAD探偵/7人の容疑者」

  神探 (Mad Detective)

 (2011/04/11)


  

見る前の予想

 ジョニー・トーといえば、最近でもフランスからジョニー・アリディを招いた冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(2009)が好評な、今では香港映画随一の映画作家である。その新作が早くも日本にやって来た。

 ただし、今回は彼の単独作品ではない。これまでも何度かジョニー・トーと共同監督を務めてきた、ワイ・カーファイとの共同作品である。

 過去のジョニー・トーとワイ・カーファイの共同作品を考えると、痩身男女(2001)やターンレフト・ターンライト(2002)など職人的な仕事ぶりに徹した娯楽作品という印象が強い。だとすると、ザ・ミッション/非情の掟(1999)以降のストイックでスタイリッシュなジョニー・トー単独演出によるアクション映画とは、だいぶ雰囲気が異なる作品だと察しはつく。何となくマヌケなタイトルも、そんな印象を倍加させる。このタイトルって、どう見てもコメディだよな。

 ところが…この作品、どうもかなり異色な作品に仕上がっているらしいのだ。特に主人公の設定が、かなりキテレツなモノになっているとか。

 そんなこんなで気になった僕は、時間をつくって劇場へ足を運んだのだった。

 

あらすじ

 そのベテラン刑事の捜査方法に、新人刑事ホー(アンディ・オン)は驚くばかりだった。

 数々のお手柄で知られるバン(ラウ・チンワン)は、とにかく「のめり込み」タイプの刑事。狂気のごとくブタの生肉を刃物で突き刺したかと思えば、自分から旅行カバンの中に入って階段から落とされてみる。自分で殺人者や被害者の状況を追体験することで、その気持ちになりきろうという独自の捜査方法で、バン刑事は次々と犯人を捕らえていた。しかし、それは狂気と紙一重の道…。

 定年退職する上司に向かって、バンは自分の耳をその場で切り落として渡した。すでにバンの精神状態は、ある「一線」を超えていたのだった。こうしてバンは、警察の仕事から足を洗うことになる。

 さて、それからしばらく後のこと。夜中にクルマの中で犯罪者の張り込みをしていたコウ刑事(ラム・カートン)とウォン刑事との間に、何とも微妙な感情の行き違いが起きる。しかし二人は任務の途中。事が起きればアレコレ言っていられない。

 そのうち森の中に逃げ込んだ犯罪者を追って、コウとウォンの両刑事も森の中へ。コウ刑事はもうちょっとまで犯罪者に肉迫したが、結局は取り逃がしてしまう。しかし一緒に森には行ったはずのウォン刑事は、そのままいずこかへ姿を消してしまった…。

 またまたそれからしばらくして…あの鬼刑事だったバンは、妻(ケリー・リン)と買い物をしているところ。そんなバンはたまたま非行に走ろうとする少女を見つけ、すんでのところでそれを阻止した。それというのも、バン刑事の目に少女のグレて堕落した果ての姿が見えたからだ。

 彼には、他の人に見えない人間の真実の姿が見えるのだ。

 そんなこんなで妻と自宅に帰ってきたバンだが、そこに思わぬ来客が…。それはかつてバンの下で働いていたホー刑事だった。

 ホー刑事が訪ねてきたのは、例のウォン刑事失踪事件に関連してのこと。実はその後、拳銃を使った強盗事件が立て続けに起きたが、そこでウォン刑事が持って いたはずの拳銃が使われた。そこでホー刑事はこの謎めいた事件を解決するために、今は警察の職を退いたバンの力を借りたいとやって来たわけだ。あまりの奇行が祟って警察を追われるように辞めたバン。しかしホー刑事は、今でもバンの腕を買っていたのだ。

 しかしそんなホー刑事の話が進むにつれて、食事の用意をしていたバンの妻がどんどん苛立ちを見せてくる。しまいに捜査協力の話にバンが乗り気な発言をするや、ついにバンの妻の堪忍袋の緒が切れた。

 「またあんなことをするのはやめて!」

 バンの捜査へののめり込みがハンパじゃないのを知っているだけに、やっと落ち着いた生活をムチャクチャにして欲しくない…そんな思いからか、妻は思い切りバンに食ってかかる。それにバンもああだこうだと反論。そんな様子を見て、ホー刑事は困惑するばかり。

 ただしホー刑事が困惑したのは、夫婦ゲンカに巻き込まれたからではない

 実はバンの部屋には、今、バンとホー刑事以外の人間はいない。バン刑事は何者かと口論しているが、その口論の相手はどこにもいない。バンに食ってかかっている妻の姿は、バンの目にしか見えない幻なのだ。そんな様子を見るにつけ、ホー刑事は自分でバンに白羽の矢を立てたものの、本当にこれで大丈夫か…と早くも一抹の不安を持たずにはいられなかった。

 ともかく、バンを古巣の警察署へと連れて行くホー刑事。そこには伝説の刑事と組みたい…と、何人もの刑事が出迎えていた。しかし、そのうちの一人をいきなりぶん殴るバン。彼の目にはオベンチャラを言う刑事の姿が、バンを蔑みバカにするババアの姿に見えていた。バンはその研ぎ澄まされた感覚によって、相手の本当の姿を見ることができるのである。

 そんなこんなで前途多難ではあったが、ホー刑事はバンを連れて捜査に乗り出す。当然、まずはウォン刑事失踪時に一緒にいたコウ刑事をマークだ。するとバンはコウ刑事を尾行するうちに、驚くべきことを指摘するではないか。

 「あいつには7人の異なる人格がある」

 バンの目には、ふとっちょのオッサン(ラム・シュー)やら冷静な女(ラウ・カムリン)など、全部で7人の別人格が、常にコウ刑事と一緒にゾロゾロ歩いているように見えていたのである…。

 

見た後での感想

 「MAD探偵」なんてフザけた題名のせいで、まるでコメディみたいに思えちゃうこの作品。

 しかしながら、聞くと見るとでは大違い。「キ×ガイ探偵」という意味そのまんまに、かなり歪んでイッちゃってる探偵のお話なのだ。

 そもそも開巻まもなく、いきなり耳をチョン切るなんて場面が出てきたからビビってしまう。僕は痛いのが大嫌い。大した描写でなくてもイヤだ。だから大いに気が滅入ってしまった。

 若いうちはそれでも「痛い」映画を何とか見ることができたが、近年トシをとってからはまったく耐性がなくなった。いいトシをこいてくると、無理をしてまで映画を見たいとは思わないんだな。だから韓国のキム・ギドクの映画なんかあまり見ていないし、ラース・フォン・トリヤーの近作「アンチクライスト」もウワサで聞いて見る気をなくした。どんなにイイ映画だとか面白いとか見るべき映画だと言われても、見たくないモノは見たくない。僕は職業として映画を見ているわけではない。自分の楽しみのため、わざわざお金を払って時間を割いて見に行っているのだ。そんなモノを無理して見る義理などない。

 なのに今回は事前情報ナシだったから、そんな場面をいきなり見せられてしまった。いやぁ、アレはまいってしまったよ。

 そもそもジョニー・トーがワイ・カーファイと組んだ時は、商業性を重視した職人仕事をするものと決めてかかっていたから、コレには意表を突かれて驚いてしまった。どうやら元々この二人には、こういう指向も時々あったらしい。しかし、そこまでこの二人にも香港映画にも詳しくない僕はまんまと一杯食わされてしまった。ただし、それは映画を見る側としてはちょっとした興味深いサプライズでもあったわけだ。「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」にまで至るスタイリッシュなジョニー・トー単独作にもいいかげん食傷気味になりつつあったし、ワイ・カーファイとのコラボにも大きな期待は持っていなかった僕としては、これはある意味でちょっとした刺激ではあった。

 ともかく「つきせぬ想い」(1993)から僕にもお馴染みのラウ・チンワン演じる特殊能力を持った捜査官バンのキャラクターが強烈。捜査方法が度を超してムチャだから、誰もついていけない。「異能」を通り越して「異常」の領域にいっている。実際にその場に居もしない妻を一緒にいると錯覚するなど、本当にアッチの世界にいっちゃってる人物なのだ。

 しかも言動が異常というよりひどい。捜査のためと称して相棒刑事を土の中に埋めたまま放置。預かった銃を持って勝手に捜査するというアリサマ。これで相手に「信用しろ」と言っても無理な相談だろう。主人公の異常ぶりを強調するための設定なんだろうが、変というより愚かというべきか、結果的に破滅する幕切れも「そりゃそうだろ」としか見えないのは失敗ではないのか。あまりに異常ぶりを強調しすぎた結果、まったく共感できない主人公となってしまったのはマズかったと思う。

 しかもそんなバンを捜査に駆り出しておきながら、途中から信用できなくなる若手刑事ホーも「身から出たサビ」としか見えない。正直言って映画の主人公二人のうちどっちもが共感できない人物に見えちゃったら、もう見ていて楽しめる映画にはならない。その点、ちょっとやりすぎちゃったんじゃないかな…と思えるバランスの悪さなのだ。

 しかも主人公バンの特殊能力がどんなモノなのか、分かったようで分からない。被害者の境遇を追体験することで犯罪の全貌を把握し、犯人を割り出す…という能力なのか、それとも人の本当の姿を目で見ることができる…という能力なのか、そのあたりが曖昧なので「何でもあり」にしか見えない。しかし、そんなに「何でも分かっちゃう」能力の持ち主にしては、マヌケな結末だなとも思える。ちょっとこのあたりは、ご都合主義的な設定じゃなかったかと思えるのだ。

 だからバランスの悪さや収まりの悪さをあちこちに感じるし、正直言って「よく出来た映画」とも見えない。カタルシスもなければ鮮やかな展開だとも思えない。主人公のキャラよりも映画の出来栄えのほうがイビツだと思う。

 それでもスキなくつくられた近年のジョニー・トー単独作なんかより、ある意味で興味深く見ることができた。それは他の彼の監督作とは違い、バランスの悪さゆえのサプライズがあったからだ。何よりも「新鮮さ」があったのは事実なのである。

 そして僕には、この映画に心惹かれるもうひとつの要素があった…。

 

「MAD探偵」とは私のことである

 実はこのサイトをご愛読のみなさんに、とっておきの話を教えよう。

 これは今まであまり多くの人に話したことではないし、そもそも自分でそれに気付いたのもごく最近のことだ。あまり公言するのもどうかと思ってもいた。実際のところ、それを人が信じてくれるとも思わないし、信じてもらえたらもらえたで、もっと面倒くさいことになるような気がする。

 しかし僕ももういいトシだ。もう人生も残りが長くない。それに僕がここで言ったことを、みんなが信じてくれるとも思えない。だからこの機会に、本当のことを話してもいいかという気になったわけだ。

 実は、僕には人の本当の姿が見える

 いや、これは正確な表現ではないな。別に本当の姿が見えるわけではないし、すべての「それ」が見えるわけでもない。しかし僕には確かに「何か」が見える。人間が隠し持っている「悪」の要素が見えるのだ。

 それが見えるから、僕はみんなに好かれている人物でも好きになれないことが結構あった。子供の頃や若い頃はそれを不用意に知り合いに告げて、「あんないい人を悪く言うなんて…」と、かえって僕が悪く思われることが多かった。僕はみんなにもそう見えていると思ったからそれを口にしたのだが、どうやら他人には同じようには見えていないらしい。若い頃の僕には、それが分かっていなかったのだ。

 だからそのうち僕は自分の感じるそういう感覚を人に語らなくなったし、そんな感覚を押し殺そうとしたこともあった。

 だが、僕がイヤな奴だと思った人間は、どんなに一見好人物に見えてもやっぱり悪人だった。この手の人間は他人にそれを見破らせない名人だったから、結果的に最悪の結果を引き起こすまでそれは発覚しない。しかし、僕が「こいつは悪人だ」と感じた人間は、一人の例外もなく確実に悪人だった。

 この世に悪人は間違いなくいる。僕にはその悪人が見えるのである。

 しかし、それは他の人々にはまったく見えないらしい。だから先に感じ取ってしまった僕の方が、かえって悪く言われてしまう。結果、後になってそいつが悪人だったと分かっても、僕を非難した人間は決して僕に謝ることはなかった。だから僕も、他人に「誰が悪人か」を教えてやるつもりがなくなった。破滅したい奴は勝手に破滅すればいいのだ。誰にだって自滅する権利はあるだろう。その権利を奪ってやることはない。僕にだってその程度の小さい悪の芽ぐらいはある。

 こんな非力な僕でも人生の荒波を渡って来れたのは、「誰が悪人か」を事前に察知することができたからだ。

 そのおかげで僕は危険を回避できたし、ちょっとは先回りして出し抜くこともできた。悪人をまんまとつまずかせて、少しは世の中に役立つこともできた。

 たぶん、僕のこの能力は生まれた時から備わっていたものなのだろう。子供の頃はそれが災いしてか…それとも悪人も子供の頃は感覚が研ぎ澄まされていて、僕がそれを察知していることを悟られてしまったのか…子供の頃は悪人に目の仇にされてひどい目に遭った。ちなみに、悪人とは子供の頃から悪人である。子供だからって天使なんかじゃない。悪人は骨の髄まで悪人なのである。決して改心などはしないのだ。油断することも許してやることも、もってのほかだ。手加減などしてはいけない。

 しかしそれのおかげで、僕が孤独な人間になったのは確かだ。人のイヤな面が見えるから、結局孤立せざるを得ない。人というものは醜いものなのだと、あまり幼い頃から知るもんじゃない。

 だから、僕はこの映画の主人公の孤独が分かる。「見えてしまう」人間は、常に孤独なのである。

 

 

 

 

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