「ツーリスト」

  The Tourist

 (2011/03/28)


  

日本のある地方都市 2008年11月半ば

 雪と氷に埋もれたその街で、僕は文字通りツーリスト(旅行者)だった。

 実はこの街と僕との縁は、この時点でもうかれこれ9年になる。その当初、3年に渡って僕は東京とこの街との間を行き来したが、その話は今までもこのサイトで何度か語ってきたから、もういいだろう。それでも僕はここでいつまでも「よそ者」だったし、いつまでも慣れることはなかった。

 ただしそれだけ訪問すれば、この街で不便を感じることもない。そんなこともあって、僕は2年ほど前から忙しい仕事が一段落すると、11月の末に長期休暇をとってこの街に避難することにしているのだ。何しろこの街には映画館がたくさんある。それが僕にとっては最大の魅力だった。また、僕が個人的に進めていた本の企画に、この街が微妙に関係があったということもある。そこで映画を見る傍ら、この街の古本屋を訪ねて歩いたりもしていたのだ。

 もちろんこの年の11月にも、僕はこの街を訪れていた。

 そして、酒の香りとタバコの煙の中で「彼女」と出会った。

 その時、僕は一人になりたくてこの街に来たのに、急に人恋しさに襲われて酒を飲みに出かけたのだった。正直言って、僕は東京でもどこでも、一人で酒を飲みに行くようなことはほとんどない。いや、皆無だ。それがこの時だけはあまりに寂しくて、よせばいいのに出かけて行ったわけだ。案の定、僕は余計心が寒くなるような目に遭ってしまう。普段ならそれでサッサと引き上げてしまっただろうが、この時だけはちょっぴり事情が違った。それは単なる偶然だったのか、それとも運命か

 そこで、僕は彼女と初めて会ったのだった。

 もちろんとびきりの笑顔だった。女として魅力的だったのは言うまでもない。しかしそれより僕を引きつけたのは、彼女の飾り気のない人柄とおしゃべりだった。短い時間だったが、久しぶりに心から笑った。宿に戻った僕の心には、いつまでもぬくもりが残った

 だから僕は、当然のように翌日もその店に足を伸ばした。しかし、残念ながら彼女はいなかった。生憎とその日はお休み。会えないと分かると、余計残念な思いがつのった。

 そして僕は、そのまま東京に帰る日を迎えたのだった。

 

東京 2011年3月5日

 この映画については、かなり前から情報を得ていた。

 いくつかの映画館やシネコンでは早くからこの映画のチラシを置き、予告編を流していたからだ。いわく、「世界が夢見た豪華共演、ついに実現!」

 そりゃそうだろう。この作品の最大の売りは、ジョニー・デップアンジェリーナ・ジョリーという当代2大スターの初共演にある。ちなみにアメリカ本国での順列ではこれがジョリー、デップの順となる。あちらではスターの格としてはアンジェリーナ・ジョリーの方が上ってことになるのだろう。

 お話としてはヨーロッパの旅先で謎の美女アンジェリーナ・ジョリーに出会ったジョニー・デップが、何やら陰謀に巻き込まれてヤバイ目に遭う…というお話。監督は「善き人のためのソナタ」でアカデミー外国語映画賞をとったドイツのフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。ただし、僕自身はこの映画を残念ながら見ていないので、この監督名は何ら判断材料にはならない。

 それより、どうなんだろうか、この「豪華共演」は。

 正直言って、この手の作品は結構期待倒れに終わるケースの方が高い。例えばすぐに頭に浮かんで来るのがジュリア・ロバーツブラピの「豪華共演」で騒がれた「ザ・メキシカン」(2001)。今じゃこの作品の存在を覚えている人もいないくらい。共演した二人だって、「なかったこと」にしたい過去じゃないの? ちょい古いところでは、メル・ギブソンゴールディー・ホーンが「豪華共演」した「バード・オン・ワイヤー」(1990)なんてのもあった。こっちもこのお二人にしては少々寂しい出来栄えだった気がする。そうなると、最近じゃソルト(2010)でもサスペンス映画で達者なところを見せたアンジーと、かつではクセ球一本槍だったがパイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)以降は娯楽映画にも開眼したジョニデの「豪華共演」だって、少々先行き不安な気がする。いくら2大スター「豪華共演」だって、いや、「豪華共演」だからこそ、こっちとしてはかなり不安になってしまうのだ。

 しかも、監督がハリウッド映画初挑戦の外国人監督。いや、何も「トラ!トラ!トラ!」制作に関わってボロボロにされた黒澤明を今更引き合いに出そうとは思っていない。第一、クロサワと違って欧米人のドイツ人なら、少しは「壁」を感じずに仕事が出来るだろう。しかし外国人監督が金満ハリウッドで、いきなり実力発揮できるんだろうか。どう考えても思ったような仕事が出来なそうで、イヤな予感がする。

 だから、こりゃダメなんじゃないの?…と内心思っていた。

 しかし、たまたまこの映画の公開日3月5日には、僕はある事情から精神的に疲れていた。

 ある意味では、それまで続いていた長い旅が終わった直後というか…そんな脱力感が漂っていた。そんな時にギチギチに作り込んだ映画や感動を強いる作品など、見たくもなかったのだ。ならばお話もたぶんお約束の範囲内、2大スター共演でユルユルに作った作品の方が、「逃避」のための作品としてはもってこいだろう。

 それに僕は、映画のジャンルとしてヒッチコックの「北北西に進路を取れ」(1959)に代表される「巻き込まれ型サスペンス」の作品が好きだった。この手のジャンルの映画は、残念な出来栄えでもそれなりに楽しめてしまう気がするのだ。

 そんなわけであまり期待もないまま、公開初日の劇場に足を運んだ次第。

 

日本のある地方都市 2008年12月半ば

 たまたま飲みに行って出会った、よその土地の女。本来ならその時だけのちょっとしたお楽しみだろうし、その後思い出すこともないだろう。今までだってそんなことがなかったわけではなかった。

 なのにどうしても、彼女を忘れることができない

 それまでの何年か、その地方都市行きは僕への年に1度のご褒美だった。だから、その街に次に行くのは翌年の11月と決まっていた。それなのに、僕は東京に戻ってすぐ、翌12月もその街を訪れることを決めていた。確かに、新企画のための資料探しという名目はあった。しかし、それはハッキリ言って言い訳でしかない。僕は彼女に会いたかった。また彼女と会って、楽しく話して笑いたかったのだ。

 そして、やっと彼女に会えた

 まさか再会するとは思っていなかった彼女は、わざわざ訪ねてきた「旅行者」の僕を暖かく迎えてくれた。それだけじゃない。店を後にする前に、僕にコッソリ小さなメモを渡してくれたのだ。そこには、彼女の携帯電話のナンバーが記されていた。「店を出たら、すぐにかけてみて!」

 何だかいつもの自分ではないような気がした。こういうシチュエーションの出来事もなかったし、こういうひとからこんな風に声をかけてもらうこともなかった。何だかちょっとした「冒険」のような、胸のときめきを感じた。今までのつまらない僕の日常が、どこか変わっていくような気がした。

 それが、僕にとっての「彼女という人」だった。

 店を出て、慌てて電話をかける。電話に出た彼女は、「これでアンタの番号が分かった。アンタがまだこっちにいるうちに飲みに行こう!」と僕を誘うのだった。

 その翌日だった、彼女から誘いがあったのは

 ホテルを出て、待ち合わせのシッピング・アーケードの一角へと駆けつける。その時に見た彼女のチャーミングだったこと! 彼女は僕を馴染みの飲み屋に連れて行き、お勧めの食い物を頼んだ。僕は酒も料理も詳しくない。そもそも夜の世界に疎い。すべては彼女の方が上手だったから、僕は何もかもお任せだった。

 そこで話したことは、まぁいろいろだった。アレコレと無茶ややんちゃを繰り返してきたらしい彼女の武勇伝は、昔だったら僕が目を回してしまうに十分なハチャメチャさだっただろう。しかし淡々と生きてきた僕ももう50過ぎ。淡々は淡々なりにいろいろ見ても来たから、もう驚くこともない。人生何でもありだと思うところもある。ある意味ではこんな僕のつまらない人生でさえも、一般の人々からはビックリされてしまうことだってある。ならば彼女の武勇伝も、聞いているだけなら十分僕の許容範囲だろう。

 それに、何より彼女は輝いていた!

 女として魅力的だったし、それ以上に開けっぴろげな正直さに溢れていた。こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、僕は女がよく漂わせているインチキ臭さが好きではなかった。このトシになると「それが女というもの」だと分かっているし、それを責めようなどという青臭いことも思わない、女と関わるということは「それも込み」であるということもわきまえてはいる。それが女の魅力の一部でもあると思う。

 しかし時として、サッと一瞬漂う女のそんな「匂い」が耐え難い腐臭のように思えてくるのも、これまた否定しがたい事実なのだ。まぁ、そんなことを考えているから、僕はいつまで経っても独り者なんだろうが(笑)。

 ところが彼女には、そんな「女の匂い」が感じられなかった。酒と紫煙の世界に身を置いているひとなのにも関わらず、彼女は恐るべき開けっぴろげさで僕に接していた。そのあまりの無防備さに、僕はいつになくドキドキした。そこには旅先の気楽さからの、アバンチュールへの期待がなかったと言えばウソになるだろう。言ってみれば、それこそが大人の「冒険」だ。しかし、そんな気持ちは長くは続かなかったのだが…。

 普通、初対面の男には言わないだろうという話も、彼女は何の屈託もなく話した。

 そして夜もいいかげん更けてきた頃、それまでの自然な流れで彼女は男にだまされ裏切られてきた過去について語り始め、酔いが回っていたこともあってか涙を流した。そんな血を吐くような告白を聞いているうちに、僕はいつの間にか男としてのムシのいい考えが持てなくなってきていた。ちょっとしたお楽しみ…なんて気持ちは雲散霧消していたのだった。いや、果たしてそれだけだったのだろうか…。

 翌朝、いいかげん明るくなりつつある街を、彼女は一人帰っていった。

 

パリ ある日の朝

 あるアパートメントの外に停められたワゴン車の中で、男たちが電子機器を駆使して何者かを監視している。その監視されている対象は、アパートメントの一室に潜む一人の女だ。しかし女の方ではすでに「監視」を先刻御承知。まるで監視者たちに開き直るかのように、美しくドレスアップしてアパートメントを出てくる。

 彼女の名はエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)。

 彼女を監視している面々は、パリ警察の刑事たちだ。その刑事たちは、衛星回線でロンドン警視庁のアチソン警部(ポール・ベタニー)へ連絡。実は彼女への監視は、このアチソン警部からの依頼だったのだ。

 エリーズは悠然と歩いてカフェへとやって来ると、お茶を注文。その様子を、固唾を飲んで刑事たちは監視している。そんな彼女のもとへ、宅配便の配達員がやって来る。何者かから手紙が届いたのだ。

 その手紙は、次のようなことが書かれていた。

 「8時22分リヨン発、ヴェネチア行きの列車に乗れ。僕に似た体格の男を見つけて、そいつを僕だと思わせろ。アレクサンダーより」

 カフェから離れた宅配便の配達員が、刑事たちによって身柄を拘束されたのは言うまでもない。しかし、彼が何も事情を知らなかったのも、これまたお約束通り。手紙を読んだエリーズは周囲を見回すと、その手紙に火を付けてその場を離れた。

 「手紙を確保しろ!」

 カフェに向かって駈け寄る刑事たち。しかし一瞬遅く、カフェの店員が燃え始めた手紙に水をぶっかけてしまう。おまけにドサクサに紛れて、エリーズは姿をくらませてしまった。落胆する刑事たちだが、ロンドンのアチソン警部は慌てず騒がず。パリの刑事たちに、手紙の燃えかすを集めてくれと頼む。

 そんな意欲満々のアチソン警部だが、上司のジョーンズ(ティモシー・ダルトン)は少々意見を異にしていた。彼らが追っているのは、国際指名手配の金融犯アレクサンダー・ピアース。エリーズはそのピアースの恋人であり、そのためアチソンはその動向を監視していたのだ。しかしピアース捜査には、これまでも巨額の費用をかけながらも成果が上がらなかった。おまけにピアースは整形手術を施し、容貌が変わっているとの情報も入ってきていた。これでは、これ以上の費用をかけても逮捕できる見込みがない。上司ジョーンズは、アチソン警部に捜査中止の命令を下したのだった。

 しかしピアース逮捕に執念を燃やすアチソン警部は、そんなことにはへこたれない。上司の前では頭を下げながら、ひそかに捜査を続行させていた。まずはパリの刑事たちが集めてきた手紙の燃えかす…これに特殊な薬品を加えてスキャナーに通し、ネットでロンドンにいるアチソン警部のコンピュータへ。そこでアチソンは、コンピュータ・ディスプレイ上で粉々になった手紙のパズルを開始した。目ざといアチソン警部は、早速ディスプレイ上で「8時22分」「リヨン駅」などの文字を発見。早速、パリの刑事たちに新たな指示を出すのだった。

 

日本のある地方都市 2009年1月末

 こんな頻度でまたこの街にやって来るとは、自分でもまったく思いも寄らなかった。

 たぶんあんな出来事がなければ、それっきりになっただろう。この月の11日、父親が突然亡くなったのだ。

 それからの2週間ほどは、まるで台風のど真ん中にいるようだった。とにかく慌ただしく、何が起きているのか自分でも分からないほど。実は「悲しい」という気持ちにひたることもできず、ただただ周囲に追い立てられるだけだった。そんな状況に一段落がついた時、僕は何となく一人になりたくなって、あの街にフラリと足を運ぶ気になったのだ。

 むろん、「彼女」の存在も気にならなかったと言えばウソになる

 彼女に会いたい、彼女に会うためにわざわざその街へ行く…そんなことを彼女に思わせるつもりはなかったし、何より自分も思いたくはなかった。僕はもういい歳をした男だったし、分別もあった。ただ父の死と、それにまつわるアレコレがあって、ちょっと一人になりたかっただけだ。そのためにあの街に出掛けるだけだし、彼女に連絡するのもたまたま…だ。僕はそんな風に自分に言い聞かせたかったのだろう。

 だからその街を訪れることを、事前に彼女に連絡することもなかった。その街に着いてもすぐに連絡はとらず、宿で落ち着いてからメールを入れてみた。

 しかし彼女は何の屈託もなく、私に会いにやって来てくれたのだ。

 相変わらず彼女は開けっぴろげだったし、無防備なままだった。彼女の青春時代から現在に至る人生の物語は、どれもこれも平々凡々と生きてきた僕にとっては波瀾万丈。僕と彼女では、生きてきた人生の道筋があまりに違う…と痛感せざるを得なかった。もっと突っ込んで言えば、彼女の生きてきた人生は、僕にはちょっとヤバすぎた

 そう思いながらも、事もなげにカラカラと笑いながらそんな事を話す彼女を前にすると、そんなことなど大したことがないように思えてくる。そして、何をやらせても語らせても僕より「ウワテ」な彼女だが、だからと言って僕を微塵も身構えさせないところも不思議だった。今までなら、そして普段だったら、僕はそんな武勇伝を平気で語る相手にはドン引きしただろうし、ヤバイと思って深入りしなかっただろう。なのに、なぜ僕は彼女に何度も会おうとしたのだろうか。

 無防備で開けっぴろげな彼女の態度が、僕自身をも無防備にさせていたのか。

 いや、それだけではない。こんなにかけ離れた僕と彼女だが、なぜか不思議と…彼女といると心が安らいだ。正直に言うと、僕は今まで女と一緒にいて、これほどの安らぎを覚えたことはなかった。男とだって、数えるほどでしかないだろう。僕は元々他人には心を許せなかったし、他人は苦手だった。そんな僕がこんなにくつろげるなんて、一体彼女は他の人とどう違うのだろうか?

 彼女は何となく、他人でないような気がした

 最初から、すでにどこかで会っていたような気がした。それどころか、ずっと前から知っていたし、親しくしていたような気がしたのだ。いやいや、もっと親密なものを感じていた。

 彼女は、最初から「身内」のような気がした。

 しかし親しみを感じれば感じるほど、その隔たりも意識せずにはいられない。僕の暮らしている世界と彼女の生きている世界は違う。このまま無責任に彼女の人生に深入りしていって、僕は本当にいいのだろうか。僕がもうちょっと若くて無分別なら違ったかもしれないが、すでに多くのモノを抱えている今となっては、何も考えずに飛び込むわけにはいかない。最初の頃でこそ「冒険」は楽しかったが、情が湧いてしまった今となっては、もはや「冒険」では済まないだろう。

 それは自分のことよりも、むしろ彼女のことを考えれば余計に感じられることだった。このまま彼女の人生に土足で上がり込んでいいのか。それはあまりに男として無責任だとは言えないか。

 その夜もまた楽しい一夜だったが、別れ際のちょっとした出来事が、僕に改めてそんなことを感じさせた。僕は彼女をタクシーに乗せた後、素早く背を向けて宿へと急いだ。

 もう彼女と会うのは最後、「冒険」は終わりだと思いながら…。

 

リオン〜ヴェネチア 朝から昼ごろ

 パリのカフェから逃げ出したエリーズは、問題の列車に乗りこむ。しかしそんな彼女には、アチソン警部の指示を受けた捜査員たちの監視の目が取り巻いていた。

 そんな監視の目を知ってか知らずか、エリーズは列車の乗客たちに目をはしらせる。

 僕に似た体格の男を見つけて、そいつを僕だと思わせろ…。

 ヤセ・デブ・チビ・ノッポ…なかなか彼女のお眼鏡にかなう男はいない。一瞬「これは」と思う男を見つけたものの、彼にはしっかり妻が付き添っていた。これでは今回の「作戦」には使えない。

 そんなこんなでエリーズのお眼鏡にかなったのは、一人で本を読んでいたヒゲの小男。エリーズはこの男の前にいきなり座ると、ドギマギする彼に唐突に話しかける。あんまりパッとしない平凡なこの男にすれば、突然現れたゴージャス感溢れる美女が、どうして自分に親しげに話しかけて来たのか分からない。

 「あなたの名は? フランク? 月並みな名で残念」

 しかしそんなエリーズをつけ回していた捜査員としては、彼女が親しげに話している相手が、まったくの無関係な人物だとは思えない。彼らはコッソリとこのフランク(ジョニー・デップ)なる男の写真を撮り、その身辺を慌てて探り始める。むろんロンドンのアチソン警部も、この男がピアースではないかと大いに注目した。そしてヴェネチア駅では、アチソン警部からの指示を受けたイタリア警察が張り込んでいたのは言うまでもない。

 しかしながら、このフランクなる男の顔を検索した結果はアチソン警部を失望させた。フランク・トゥーペロ、アメリカの数学教師、3年前に妻を亡くした男…。パッとしない平凡な男のプロフィール・データが浮かび上がる。これにはアチソン警部も落胆を隠しきれない。ところがそんなフランクのデータが映ったコンピュータ・ディスプレイを盗み見て、「これが例のアレクサンダー・ピアースか」と早とちりしたあげく、慌てて何者かと連絡をとる者が一人…。

 そいつが連絡をとったのは、大物犯罪者のショー(スティーブン・バーコフ)。彼はピアースに大金を持ち去られ、怒り心頭で追いかけていたのだ。ちょうど自家用ジェットでとある場所へと移動中だったショーは、ロシア人ギャングの子分たちを引き連れ、ヴェネチアへと行き先を変更する。

 アチソン警部からの連絡を受け、ヴェネチア駅で待ち構えていたイタリア警察はすべて退散。フランクはヴェネチア駅に着く前に、「僕はここで降りなきゃ」とエリーズに別れを告げた。

 何もかもが謎で、自分とは住んでいる世界が違うとしか思えない美女…フランクの心には、エリーズの面影が鮮烈に残った。しかし、所詮は別の世界の住人。しかも、あまりに話がうますぎる。あれは一瞬の夢だったんだろうと思いながら、フランクは彼の「現実」へと戻っていった。

 ところが、フランクの思いが叶ったのか…ヴェネチア駅に降り立って街を歩き始めたフランクに、聞いたことのある声が呼びかけてくるではないか。

 「フランク!」

 何とあのエリーズが、ボートに乗れと誘って来るではないか。何をどうしろと言うのか。いや、そんな事を問うのもヤボというものだろう。ここで乗らなかったら男じゃない。何が何だか分からないものの、フランクは彼女に言われるまま、汚い旅行カバンごとモーターボートに乗りこむのだった。

 

東京 2009年2月半ば

 その意外な連絡が入ったのは、およそ一週間前。もう会うこともないと思っていた例の彼女から、突然メールが届いたのだ。

 「来週、東京へ遊びに行く予定。都合良ければ飲みに行きませんか?」

 正直言って「これきり」だろうと思っていたし、まさかこちらに来るなんてことを考えていなかったので、僕はちょっと戸惑った。それでも、一旦は忘れようと思っていた彼女のことを思いだしたとたん、僕の中には甘酸っぱい気持ちが甦ってきた。

 そしてツーリスト(旅行者)としてでなく日常生活の中で、改めて彼女と会うのはどんな感じだろう…と考えた。意地悪い言い方をすれば、もしそこで彼女が色褪せて見えるとしたら、今までの魅力的な彼女は一種の「旅先マジック」だったのだろう。「僕の街」である東京で会うことは、そのあたりをハッキリさせるに違いない。そんなこんなの言い訳をつけて、僕は彼女を忘れようとしたことなどスッカリ棚上げにして、ノコノコ待ち合わせ場所の新宿に出掛けていった。

 待ち合わせ場所の勘違いから何度もすれ違いを演じて、待ち遠しい気持ちはつのりにつのる。よぅやく彼女に会えた時、もう僕の中の気持ちは彼女に一番最初に会った時の状態に戻っていた。

 そして、彼女は当然のように「あの街」での彼女とどこも変わらなかった

 僕の日常にいても、彼女は彼女だ。同じように魅力的だし、イキイキしていた。驚いたことにネットを使っていろいろ調べたのか、ここ新宿でも彼女はまったく不自由なく行動していた。僕よりいろいろな店を知っていたし、酒と煙草の世界なら彼女のホームグラウンドだ。僕なんかより、夜の新宿にずっと慣れ親しんでいるように思えた。

 そして「旅先マジック」がないのに彼女の魅力が損なわれなかったことで、僕は以前にも増して彼女に惹かれることになる。

 むろん彼女は僕の世界にやって来たからといって、ちっともおとなしくなんかならなかったし、相変わらずやんちゃで刺激的だった。今度は彼女がツーリスト(旅行者)だったが、彼女がいるところ常に「冒険」の香りがした

 だとすると、彼女がずっと僕の生活の中にいたって、何の不都合があるだろう。東京で会った彼女は、僕の心のバリケードをまたひとつ崩して去っていった。

 そしてこの後も…「これでお別れだ」と何度も思いながら、彼女との不思議な縁が何だかんだといつまでも切れない状態で続いていくのである。

 

ヴェネチア その日の午後

 エリーズに誘われるまま、モーターボートに乗りこんだフランク。そのボートは、とある高級ホテルへと横付けされた。カウンターで「夫婦」としてチェックインするエリーズ。思わぬ展開に、ドキマギしながら平静を装うフランクだった。

 そりゃそうだろう。普通の男だったらこの状況に、ついつい何かを期待せずにはいられない。

 通されたのは、超高級なスイートルーム。そこに用意されているドレスや宝石からは、エリーズの「男」の存在がいやが上にも伝わってきた。しかもそこに花束と舞踏会への招待状まで届くに至って、さすがにフランクの気持ちは複雑なものになってくる。

 一体、今の自分の立ち位置はどこで、自分は今何をやっているんだ。彼女は何を考えているのか。

 そんな疑念が渦巻きながらも、エリーズの魅力を無視できないフランク。すると…いきなり窓辺でフランクに迫ったエリーズが、ブチュ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!

 当然、ホテルに入った二人を注目していた捜査員たちは、そんな親密さに注目だ。こりゃあどう考えてもヤツはピアースとしか思えない。

 そんなことになっているとはツユ知らず、フランクはますます頭がクラクラ。ところがエリーズはベッドルームに引き上げ、フランクはソファに寝ることに。ここはフランク、男としてエリーズに挑発されたと思うべきか? ここは受けて立つのが男というものではないのか? 悶々として当惑するフランクは、かろうじて理性で踏みとどまった。いや…それとも度胸が足りなくて、一歩踏み出せなかったと言うべきか。う〜む、ここは微妙で何とも言えないところ。結局フランクは、ヤボっちいパジャマに手を通してフテ寝するしかなかった。

 そんなこんなで悶々の夜を過ごしたフランク。彼は突然、ルームサービスに起こされた。そして驚いたことに、あのエリーズは一人でチェックアウトして姿を消していた。あのオレの一夜の悶々…は一体何だったのだろうか?

 しかしフランクには、逃した魚を嘆いているヒマはあまりなかった。

 ルームサービスとほとんど入れ替わりに、あのギャングのショーの手下たちであるロシアン・マフィアたちが襲って来たからだ。その時、マフィアたちが「アレクサンダー・ピアース」の名前を持ち出したということは、フランクがこのピアースと間違えられたということなのだろう。フランクは凡人なりに機転を利かしてホテルの部屋を逃げ出し、パジャマ姿で建物の屋根の上を歩いたり、隣の建物に飛び移ったりと大健闘。すると下では警官たちが、そんなフランクの姿を見て大騒ぎだ。

 結局そんなこんなでロシアン・マフィアたちは引き返したものの、慌てふためいたフランクは勢いでやって来たお巡りさんを突き飛ばして海に突き落としてしまう始末。その結果、その場で速攻逮捕されてしまうというオチがついたのだった。

 

日本のある地方都市 2009年4月はじめ

 冬の間は凍てついたこの地方もそろそろ暖かくなってきた頃、僕は仕事が忙しくなってきたにも関わらず、またまたこの街へフラリと訪れたのだった。

 そんな僕の携帯に1通のメールが届く。

 「JR○○駅発19:54『快速△△ライナー』で一つ目の駅、××駅に20時でイイですか?」

 何だか誘拐犯からの身代金の受け渡しの連絡みたいなメールだ。彼女なりに、この土地に不慣れな僕を気遣ったのだろう。それでなくても、僕らが行く店を事前にちゃんと調べ、予約までとっている彼女だった。そういう段取りや準備には、ガサツ風に振る舞っている彼女の意外なまでの細やかな心配りが感じられた。

 そんなこんなで、辿り着いたのはいつもの街からちょいとはずれた隣町。駅にはいつものように彼女が待っていた。それから彼女が気に入っているお店で、一杯やろうというわけだ。

 僕らはこの時点で、もうかなり親しくなっているといえた。それなりに機を見るに敏な男だったなら、すでに「なるようになって」いたのだろう。しかし僕は、どうしても今ひとつ彼女の世界に踏み込んでいけなかった。それは彼女の暮らしているアルコールと煙草の世界が、僕の住んでいる世界とあまりに隔たっていることもあるだろう。しかし、決してそれだけではなかった…。

 やがて彼女は唐突に、これから場所を移動しようと言い出した。わざわざ電車にまで乗って彼女が僕を連れて行きたいと言っていた店に入りながら、まだ1時間も経っていない。それなのに、なぜすぐにも店を変えようと言い出したのか。不思議に思っている僕に、彼女はさらに畳みかけるように言い出した。

 「友だちがやっているスナックがXXにあるの。これから、そこに行かない?」

 XXといえばあの地方都市の歓楽街であり、飲み屋、スナック、風俗店がひしめく「夜の街」としてわが国でも有数のプレイスポットだ。正直いってイイ歳しながらそういうスジのことはまったく疎い僕のような男は、よく知らないこんなエリアなんてほっつき歩かない方がいい。知らない奴がウロウロしたら痛い目をみるだけだ。むろん、彼女のこんな誘いに、いつもだったら僕は決して乗らなかっただろう。

 「いいね、行こう!」

 結局、僕が彼女の誘いに乗ったのは、一体なぜだったのだろう。彼女だったら安心だ…と信じ切っていたからか。それとも、乗り掛かった船だと腹をくくったのか。たぶん彼女と会っている時点で、これは度胸も世間ずれもない僕なりの「冒険」なんだと割り切っていたのかもしれない。「冒険」ならば、途中で引き返す手はない。行くならトコトン行くしかないのだ。

 そしてそれ以上に、彼女が一緒ならそれはいつだって楽しいはずだという確信もあった。

 こうして乗りこんだ大歓楽街の片隅にあるスナック。たぶんこんな事でもなければ、僕は一生足を運ぶこともなかった場所だ。そこで待っていたのは、彼女とは20年以上の付き合いの「マブダチ」だ。

 他の客はすでに帰って、僕と彼女と「マブダチ」だけ。狭いお店は、まるで誰かの家のようだ。途中、店のマスターがやって来てちょいと緊張がはしったが、それも短い間のことだった。

 そこでの彼女と「マブダチ」とのやりとりを見ていて、僕はつくづく彼女がこういう場に馴染んできたんだなと思わずにいられなかった。まさに、水を得た魚。その点、僕は…といえば、おそらくハタで見ていてヤボテンを絵に描いたようなものだったのではないか。気持ちよさそうにカラオケを歌う彼女に対して、僕なんてうたう歌もないし、歌っても何とも四角四面な感じでつまらない。ここはどう見ても、僕の出る幕ではないように思えた。

 それに、会話の話題にもついていけたかと言えば…かなり疑問だった。

 彼女はその魅力ゆえに、周囲に崇拝者を多く抱えているようだった。その男たちは…言い方が悪ければ利用されている者が多かったように思う。良くも悪くも、多かれ少なかれ、彼女(と「マブダチ」たち)はそうした男たちを何らかのカタチで「暮らしの糧」としてきたと言わざるを得ない。彼女の話を真に受ければ、夢中になった男たちは、みな競って「貢ぎ物」を献上していたことになる。それはメシ代や飲み代であることが多いが、時には航空機のチケットだったりパソコンだったりもした。そういう「貢ぎ物」があることに対して、彼女たちにはあまり大きな抵抗はないように見えた。

 だとすれば、僕もまた単に彼女のサポーターやパトロンのような存在として扱われていてもおかしくはない。そのはずなのだが…なぜか僕は、自分が彼らと「同列」であるとは思えなかった。実際に、僕は彼女に大金を使わされていたわけではない。しかし、そんなことだけではない「何か」が、僕と彼らの間にあるような気がしていた。

 僕は彼女の周りを取り巻く男たちの行列の最後尾に並んだばかりなのに、なぜか自分だけは「特別扱い」されている気がしていたのだ。

 しかしこの店に連れてこられた時点で、そんな「確信」もだいぶ危うくなっていく。やっぱりオレは単に丸め込まれたバカな男だったのかもしれない。それらの男たちも、僕と同じで自分は「特別扱い」だと思っていたのかも知れない。オレは愚か者だったのだ…。

 それでも…マイクを握って熱唱する彼女の可愛かったこと!

 情けない話だが、僕は子供のようにすっかり見とれてしまった。彼女のちょっと鼻にかかった声も、とてもセクシーだった。このまま彼女を抱きしめてしまいたい。だからそんな「世界の隔たり」を感じていても、僕はどうしてもその場に溶け込みたいと願った。バカだなぁオレは。でも、もうバカでも何でもいいや。

 途中で、唐突に彼女がこう話しかけてきたのを覚えている。

 「ね、子供つくろうか?」

 どういう話の展開でそうなったか覚えていないし、冗談だか何だかも分からないが、予想外の言葉に僕はすっかりドギマギしてしまった。それと同時に、これが彼女にとって必ずしも冗談とは言い切れない言葉だということも、僕には分かっていた。「子供」という言葉が彼女にとって特別なモノだということを、僕はこれまでの彼女との会話の中で再三再四聞かされていたのだった。この言葉を、そんなに軽い気持ちで彼女が語るはずはない。

 「悪くないね」

 何でこんな箸にも帽にもかからない言葉を吐いたのか、今となっては分からない。僕なりに重く受けとめたところもあるだろうし、たぶんいろいろな意味で度胸がなかったのだろう。だが後々考えてみると、これはあまりに間抜けな言葉だったように思う。

 それより何より、こんなので調子に乗っちゃうなんて、オレの方がナンボか「子供」だよな。

 そんなこんなで、まるで僕としては浮きまくっていた何時間かだったのだが、彼女も「マブダチ」もそれほど違和感を感じていなかったみたいに見えた。だとすると、彼女らは僕に「及第点」を与えていたのだろうか。

 ともかく夜もいいかげん更けてきた。そろそろお開きか。そこで「マブダチ」が出してきたお勘定を見て、僕は「アッ」と息を呑んだ。

 実はこの日、僕は銀行でお金を下ろすのを忘れていた。だからサイフの中味はスッカラカンだったのだ。肝心のお勘定が高いか安いかは、僕には判断できない。こういうお店の「相場」というものが分かっていなかったからだ。そもそも、概してこういう店は割高なものだろう。それは、それなりに覚悟していた。しかしそれ以前の問題として、そもそもサイフの中味がかなり軽かったのだ。こりゃ一体どうすりゃいいだろう…。

 しかし僕がそんなふうに一瞬躊躇している間に、彼女がサッとその勘定書をかっさらった。

 「なんだよ、この値段は!」

 何と彼女はその勘定書が「高い」と指摘し、「マブダチ」に文句を言い出した。あれれ、この値段はやっぱり高かったのか? 

 何でも先に顔を出したマスターの厳命で、それなりに割高にしろ…と言われたらしい。彼女は「あたしに恥をかかせるなよ」と吐き捨てたあげく、僕がグズグズしている間にパッとカネを払ってしまったではないか。僕は思わず唖然呆然。アッという間に店の外に引っ張り出されていた。

 「ったく、あたしが連れてきた友だちに何てことするんだ」

 そう言うと、しきりに僕に謝る彼女。そんなに謝られても、僕はほとんどカネを使っていない。僕は何が何だか事情を飲み込めず、ただただボケッとしているだけだった。

 ただひとつ、僕はようやく何とか確信した。

 彼女との関係において、僕は他の男たちとは違う「特別扱い」なのだと。

 

ヴェネチア 午後から夜、そして翌朝

 結局、フランクは警察のご厄介になってしまう。取り調べに出てきたのは、イタリアのベテラン刑事(クリスチャン・デ・シーカ)だ。

 最初はフランクの話を荒唐無稽な与太話と相手にしなかったベテラン刑事だが、話を聞いているうちにこれがただならない事態であると分かってくる。中でも彼が注目したのは、フランクが「アレクサンダー・ピアース」と間違われているらしいということ。それに気付くや、刑事の目の色が変わる。

 これは助けてもらえるか…と淡い期待を抱くフランク。しかし刑事はそんな期待を打ち砕き、フランクを留置場へ放り込んでしまう。そして待つこと数時間。

 真夜中にいきなり例のベテラン刑事が留置場へとやって来ると、フランクを外へと連れ出す。これでようやくと自由の身…と思いきや、それはどうやら甘かった。モーターボートに乗せられ、どこに連れて行かれるのかと思えば…フランクはいきなり手錠でボートにつながれ、刑事はボートから下りて一人の男と落ち合うではないか。…何と、フランクはロシアン・マフィアに売り飛ばされたのだ!

 ところがそんな危機一髪の瞬間に、1台のモーターボートが突っ込んでくる。

 運転しているのはエリーズだ!

 何とエリーズはこの事態を予期して、モーターボートでフランクを救いにやって来たのだ。エリーズはフランク目がけてロープを投げる。そのロープを受け取ったフランクは、自分がつながれているボートにロープを縛り付けた。こうして、フランクがつながれたボートはエリーズのボートに引っ張られて動き出す。

 しかしロシアン・マフィアたちもその様子を見て、手をこまねいているわけがない。たちまち始まる激しいデッド・ヒート。しかし最終的にはエリーズが一枚ウワテ。かなり危ない場面もあったが、見事にロシアン・マフィアを振りきって、フランクを奪還することに成功した。

 こうして再び出逢ったフランクとエリーズ。ここで彼女はフランクに、彼をピアースに見せかけるために接近したことを告白した。しかしフランクは、きっぱりとエリーズにこう語るのだった。

 「君とキスしたことを、僕は決して後悔していない」

 そんなフランクの言葉を聞いて、エリーズの表情は複雑だった。船着き場にボートを着けると、彼女はフランクにカバンを渡してこう告げるのだった。

 「来世で会いましょう。あなたはもう帰国したほうがいいわ」

 こうしてすでに太陽が高く上るなか、船着き場に置き去りにされたフランク。そのカバンの中には、ギッシリと札束が入っていた。

 こうして再びフランクのもとから去っていったエリーズ。しかし彼女は、知られざる「もう一つの顔」を持っているのだった…。

 

東京 2010年9月半ば

 それから彼女と僕の仲は、どんどん急展開に深まっていった。

 ある時は空港までクルマで迎えに来てくれた。「こんなサービスするのは最初だけだよ」と照れ臭そうに言う彼女の言葉は、当然「最初」の後に長い長い本編があることを期待させた。そして彼女は僕を自分の実家の近所に連れてきて、愛犬の散歩に使っている公園なども見せてくれたのだった。

 こうして僕が向こうに行ったり彼女がこっちに来たり、行ったり来たりが続く。確かにカネはかかったが、それをいうなら僕より彼女のほうが何かと多く使っていたのではないだろうか。彼女はいつも、僕に無理をさせないように気を遣っていた。今までこんなに腹を割ってつき合えた女はいなかったし、何より一緒にいてつらくなかった。当然そうなってくると、僕もそろそろ「覚悟」を決めなければならないと思い始める…。

 もう僕は50歳を超えていた。いいかげんそんなことも諦めていたし、そもそも考えたこともなかった。それが、突然僕の視野に入ってきたのだ。

 まぁ、イイ歳してバカなことを…と笑いたい奴は笑ってくれて結構。僕だってこんな事がなければ考えやしなかった。それに、父の死がなければ、きっと思いもしなかっただろう。

 父のピカピカ新品の墓が出来た時、母とそれを見に行って、僕は決定的に思い知らされてしまった。僕の代で血を絶やしてしまうのは、究極の親不孝なんだと。せっかく新しくわが家の墓を作ったのに、この情けない息子がバカなおかげでそれもすぐに無駄になる。…そう思った時、やはり僕も家族をつくるべきだったと思わずにはいられなかったのだ。そういう考え方がいいとか悪いとか、他人はアレコレいつも簡単に言うだろう。しかし、それは僕の偽らざる気持ちだった。

 そんな絶妙のタイミングの最中に、彼女は僕の前に現れたのだった。

 そして彼女は、それまで僕の人生に現れた女とは決定的に違っていた。確かに暮らしていた世界は違うかもしれないが、それを除けば彼女の善悪の考え方は僕と一致する。それまでの女たちは僕と同じ世界に生きてはいたが、人を人とも思わない連中ばかりだった。あまりのデリカシーのなさに辟易させられる奴らばかりだった。そいつらと比べれば雲泥の差だ。彼女はまるで、黄金のハートを持った女のように思えた。

 それは2009年の、ある夏の夜のことだった。

 その時、彼女はまたまた東京へと飛んできて、僕と一晩飲み明かしていたのだった。僕らはなぜか僕の自宅の近所で飲み、たまたま母親が留守だったこともあって、彼女を自宅に迎えたわけだ。

 我が家に上がり込んだ彼女は、真っ先に僕の父の仏壇へと歩み寄った。

 線香をあげている彼女の背中を見つめた時、僕もいよいよ「覚悟」を決める時だと悟った。それから間もなくして、僕は彼女に家庭を持とうと告げたのだった。

 彼女の答えは、その場では保留だった

 しかし年末年始にまたその地方都市に僕が訪れた時には、彼女はついにオーケーと言ってくれた。それからすべてが一気に新生活の実現へと、ドラマティックに動き出すはずだった。

 ところが…それまで明快だった彼女の言動に、妙な陰りや曇りが出てきたのはそのあたりからだろうか。

 考えてみると、彼女の住所もまだちゃんと聞いていない。彼女は個人的な問題をアレコレ抱えていたはずだが、そのへんの事情もちゃんと教えてくれない。新生活をスタートさせるのには当然クリアしておかねばならないことなのに、そこに触れると初めて怒りをあらわにした。結局、彼女は心の底までは僕を信用していなかったのか。

 そんな頃だろうか、彼女の言動の中に一瞬サッと…あの忌々しい「女の匂い」みたいなものが漂い始めたのは。

 それまで彼女には、そんな匂いなど微塵もなかった。女独特の訳の分からない言い訳もなければインチキく臭さもない。ムキになって自分を正当化させるようなゴリ押しもなかった。それなのに…。

 夏の僕の誕生日に合わせて、彼女は東京に来ることになっていた。その時こそ…僕は心の底で、彼女を自分の母親に会わせる日だと思っていた。それはたぶん、彼女もどこかで意識していたと思う。

 それに先立つ6月、僕は彼女の街に行って、少しでも僕らの関係を強固なものにしておこうと思っていた。それは僕自身、どこか僕らの関係が危うくなってきたと思い始めていたからだろうか。

 ところが、それがすべての終わりになってしまうとは。

 本来だったら起きないはずのことが起きて、僕はアッという間に天国から地獄へと叩き落とされた。まったく理不尽この上ない状況だったが、僕にはどうすることもできなかった。一旦は僕の滞在中に元に戻るかと思ったが、結局、東京に戻ってからの携帯メールのやりとりは最悪なものとなった。僕は何が何だか分からないまま、一方的に閉め出されるかたちとなったわけだ。あんなに親切で気さくで優しかった彼女の最後の連絡は、身も蓋もないとしか言いようのないものだった。

 「もう連絡よこすな」

 何か悪いことをしてこうなったのなら納得せざるを得ないだろうが、僕は何も悪いことはしていない。それどころか…どう考えても善かれと思ってやったことだ。それが彼女には気に入らなかったのか。それは改めて思い知らされる、彼女と僕の住んでいる世界の違いだった。

 僕の誕生日、彼女はついに来なかった。

 それから時折、1週間に1度ぐらいメールを入れてはみたが、彼女からの返事は来なかった。僕としては別れようでも何でもなく、しかも何だか分からない理由で閉め出されたということもあり、そのまま放置する気にはどうしてもなれなかった。まして一度は一緒に家庭を持とうと思った相手だ。そもそも彼女と家庭を持とうと思ったこと自体がバカげていたのかもしれないが、その時にはとてもそうは思えなかった。

 そんなこんなで、僕がすっかり諦めかけていた9月の半ばすぎ。それはすでに時刻も午前3時半を回った真夜中のことだった。いきなり携帯メールに彼女からメッセージが入ってきたのだ。

 「今すぐ電話くれ」

 すったもんだで電話を入れてみると、そこには相変わらずの懐かしい声があった。酔っぱらってゴキゲンだが、どこか悲しげにも聞こえた。そんな彼女は、おそらく僕が知っている限りでは女で初めて、僕に謝ってきたのだった。おそらく彼女は、人類史上初めて男に謝った女ではないだろうか(笑)。それを聞いていたら…僕は甘っちょろい男かもしれないが、もう彼女を責める気がなくなってしまった。そう、この僕だって、彼女と関わったことを決して後悔なんかしちゃいない。

 「あれは私が悪かった。ホントに申し訳なくって…」

 

東京 2011年3月26日

 この文章の各項目を見ていただければお分かりの通り、実はこの映画を見て感想文を書き始めた時からここまでの内容を書いている間に、例の「あの地震」があった。それが多少なりとも…この文章の内容を変えているかもしれない。さすがにあんなことがあると、僕のような人間でも人生を考えざるを得ないよ。

 さてこの作品、実はこの感想文の冒頭で白状したように、僕はハッキリ言ってまったく期待などしていなかった。ジョニー・デップアンジェリーナ・ジョリーのビッグ・スターの顔合わせ。しかしこんな映画に限って、大味でガッカリな内容になりがちだ。おまけに僕は、アンジェリーナ・ジョリーのどこがいいのかサッパリ分からない。だからこの二人の共演に、サッパリ興味が湧かないのだった。

 しかも監督には、アカデミー外国語映画賞受賞の「善き人のためのソナタ」を撮ったフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。この映画がいかに素晴らしい作品なのかは見ていないので知らないが、そもそもこの監督ってハリウッド・スター映画なんか撮れるタマなのか。どう考えたってうまくいくはずがないだろう。

 だいぶ前から話題作として煽ってはいるが、この手の作品が期待通り出来上がったためしがない。まずは典型的大味ハリウッド大作になるだけだろう。僕はそう決め付けていたし、実は大多数の映画ファンだってそうだったんじゃないか? 今までの経験からいって、この映画はスベるしかない作品のはずだった。劇場に足を運んだ時でもそう思っていた。

 ところが…これが面白くできちゃったから世の中分からない

 まったくの想定外だったのだが、面白かったのだから仕方がない。いや、ホントに楽しいのである。面白いのである。

 息もつかせぬ面白さかと言えば、決してそんな映画じゃない。ハラハラドキドキするほどのサスペンスはないし、テンポもだいぶゆったり加減だ。しかし、この映画の場合はそれでいい。何もどんな映画だって「ボーンなんとかかんとか」みたいに目を酷使するスピード感で作られなきゃならないわけもあるまい。

 それにこの映画のゆったり感は、どこか品の良さやおっとりしたコクみたいなものを感じさせる。それはイマドキちょっと珍しいエレガンスだ。

 まぁ、遠回しに思わせぶりなことを書いても、みなさんにはピンとは来ないかもしれない。この映画には、どこか懐かしいハリウッド娯楽映画の味があるのだ。

 …と言っても、どんな作品かあまりイメージが湧かないかもしれない。

 お話の基本的構造は、「北北西に進路を取れ」(1959)などのヒッチコック風「巻き込まれ型」サスペンスであることは間違いない。

 しかしどちらかと言うと本家「北北西」よりも、そのフォーマットを頂戴した同じ「巻き込まれ型」サスペンスであるシャレード(1963)などの雰囲気により近い気がする。

 「シャレード」はオードリー・ヘプバーンケイリー・グラントというオシャレで品のいい2大スターが共演した作品。一応は「巻き込まれ型」サスペンスのカタチをとっているが、雨に唄えば(1952)などミュージカル映画の演出で知られるスタンリー・ドーネンが監督にあたっていることで分かるように、決して「純正」サスペンス映画ではない。むしろヒッチコック映画のユーモアの部分を拡大したような、コメディ・タッチの作品だ。そこに流れるヘンリー・マンシーニの音楽もあくまでオシャレ。

 そして大きなポイントとして見逃せないのが、この作品があくまでヨーロッパ・テイストで制作されたということだ。

 フランスの雪山からパリへ。舞台は終始フランスから離れない。そもそも主演のオードリーはベルギー生まれのヨーロッパ人。徹頭徹尾、ヨーロッパの空気を漂わせた映画なのだ。とは言っても、これはこの作品がヨーロッパ映画みたいだ…ということを意味してはいない。この映画のどこを見ても、決してフランス映画みたいには見えない、ヨーロッパ・テイストではあるが、あくまでウェルメイドなハリウッド映画なのだ。

 そしてこの作品は、この当時のハリウッド映画の傾向を表していた。

 1950年代後半から1970年あたりにかけて、ハリウッドはテレビの猛攻撃に息も絶え絶えだった。そのためハリウッドがとった手段は2つ。製作費の削減とテレビでは見れないものを見せるという制作方針だ。

 テレビでは見れないものを見せるとなると、まずは豪華な超大作…スペクタクルが見せ場の史劇などが企画に上がってくる。しかし超大作には当然カネがかかるから、できるだけ人件費や諸経費が安く済む場所で撮影するに限る。しかもそんなスペクタクルが展開できる、巨大なオープンセットが組める撮影所が要る。こんな理由から、例えば「ベン・ハー」(1959)はイタリア・ローマのチネチッタ撮影所で制作された。このような超大作は、ほとんどハリウッドを離れてヨーロッパで制作されたのだ。

 さらにテレビで見れないもの…となると、別にスペクタクルに限らない。当然の事ながら、初期のテレビドラマではそうそう海外ロケなどやれるはずもなかった。となれば、ヨーロッパ・ロケ作品も立派にテレビでは見れないものではないか。そしてヨーロッパで撮影される作品が多くなればなるほど、そこにヨーロッパの俳優たちが出てくることも多くなっていくのだ。

 こうした映画人の交流は俳優だけにとどまらず、そのうちにフランソワ・トリュフォーがアメリカ資本のイギリス映画華氏451(1966)を、ミケランジェロ・アントニオーニが同じくイギリス映画欲望(1966)を撮った後でアメリカ映画「砂丘」(1970)を、ロジェ・バディムが「課外教授」(1971)を撮るというような事態が生まれてくる。今では信じがたいことだが、あのイングマール・ベルイマンですらアメリカ資本のイギリス映画、エリオット・グールド主演の「ザ・タッチ 愛のさすらい」(1971)なんて作品を撮っているのだ。

 閑話休題…ちょっと話が行き過ぎたが、そんなわけでこの時代には、ヨーロッパで撮影されたアメリカ娯楽映画がゴマンとあった。ブレーク・エドワーズ監督の「ピンクの豹」(1963)、ジョン・フランケンハイマー監督の「グラン・プリ」(1966)なんて作品はみんなそうだ。あの有名な「史上最大の作戦」(1962)だって、今考えてみればこうした潮流をモロに体現した作品だった。先に挙げた「シャレード」も、この手の作品のひとつだったのだ。

 今回の「ツーリスト」には、そんな時代のハリウッド映画の匂いがプンプンしている。

 例えば「ピンクの豹」のクラウディア・カルディナーレや「グランプリ」のイブ・モンタン、「シャレード」のオードリーみたいなヨーロッパ出身俳優こそ主演していないが、ジョニー・デップは現在フランス在住で、嫁さんはフランス人のヴァネッサ・パラディだ。そのせいか、どこか彼の雰囲気はヨーロッパに溶け込んでいる。

 そして意外にもビックリだったのは、アンジェリーナ・ジョリーのヨーロッパ風エレガンスだ。

 正直言って先にも述べたように、僕は彼女をあまり買っていない。というか、彼女の魅力というのが分かっていなかった。あの顔のメリハリの付きすぎな感じも抵抗があった。ところが今回はそんな彼女が、見事に品のあるヨーロッパ風美女になっていたから驚いた。

 そこで血の巡りの悪い僕も、ようやく気付いたのだ。この映画のアンジェリーナ・ジョリーは、かつてのハリウッド映画でのソフィア・ローレンの再来を狙っているのではないか?

 ソフィア・ローレンはイタリアが生んだ大スターだが、1960年代はハリウッド映画でもバンバン主役を張っていた。そこでは本国での庶民派イメージとはちょっと違って、ヨーロッパのゴージャスな美女の役割をふられていたことも多かったはずだ。本作のアンジェリーナ・ジョリーは、そんなかつてのローレンのイメージを彷彿とさせる。ちょっとトゥーマッチでメリハリありすぎな顔の造作も、ローレンと共通性がある。

 しかも「シャレード」の姉妹編としてスタンリー・ドーネンが撮ったもう一本のサスペンス・コメディ「アラベスク」(1966)のヒロインが、誰あろうソフィア・ローレンではないか。なるほど、イメージ的には完全に合致するのである。それと同時に、アンジェリーナ・ジョリーをこういう風に使えるのか…と思わず膝を打ちたくなった。

 実はこの感想文を書いている途中で、僕はこの映画がフランス映画「アントニー・ジマー」(2005)のハリウッド・リメイクだと知った。ソフィー・マルソーイヴァン・アタルの主演ということは、マルソーの役がアンジー、アタルの役がデップということなのだろうか。なるほど…と思わされたが、だからといってそれは今回の「ツーリスト」がヨーロッパ・テイストの作品に仕上がった説明にはならない。というのは、「ツーリスト」は前述した「シャレード」のように、あくまでヨーロッパ・テイストの「ハリウッド娯楽映画」であるからだ。誰が何と言おうと、この作品はどこから見ても「ハリウッド映画」なのである。むしろこれほどストレートなハリウッド映画らしいハリウッド映画は、イマドキ珍しいくらいかもしれない。

 驚いたのは、懸念されていたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが意外や意外の大健闘をしていること。これほどハリウッド娯楽映画をキッチリつくれるとは、さすがにビックリした。おそらく「善き人のためのソナタ」ってこういう映画じゃないはずだろうが、こんなに堂々たる娯楽映画をこんなに上品につくれるとは驚いた。全体としてはユル〜い作り方なのだが、それがこの作品には合っている。イマドキこんな品のいい娯楽作は、ハリウッドの映画人では逆に作れないだろう。これはドナースマルクを起用したというアンジェリーナ・ジョリーのお手柄。…というか、よくドナースマルクにこの作品が撮れると見抜けたものだ。大したプロデュース感覚である。

 ラストのオチはうまくやったな…と思ったが、勘のいい方なら早々に割れていたかもしれない。それでも、それは別に作品のキズにはならないはずだ。この作品はそんな「ドンデン返し」に面白みがあるのではなく、おっとりした品の良さにこそうま味があるのである。

 あとはポール・ベタニーの、今にも青筋立てて「ル〜パ〜ン!」とわめきそうな見事な銭形警部ぶり(笑)を堪能すべきだろうか。

 そうそう、見ていてアッと驚いたのは…デップをロシアン・マフィアに売り渡そうとしたイタリアの刑事役に、久々にお目にかかったクリスチャン・デ・シーカが起用されていたこと。かつて「SEX発電」(1975)とかラウラ・アントネッリ共演の「禁断のインモラル」(1982)とか、東京12チャンネルもといテレビ東京で放映されるしょーもないイタリアお下劣艶笑コメディで、何ともいやらしくて助平そうな顔を見せていた彼。これでも名匠ヴィットリオ・デ・シーカの息子だというからビックリだが、そんな彼に今ごろスクリーンでお目にかかれるとは…いろいろ感慨深かった(笑)。

 それはともかく…この作品、最近マレにみる、アッパレな娯楽映画として仕上がっているのである。

 

日本のある地方都市 2011年1月半ば

 僕がこの街にやって来たのは、彼女と「あんな事」になってから2度目。実は、本来だったら来るつもりはなかった。

 実は昨年9月に彼女から久々に連絡があった時点で、彼女には早くも別の「男」がいた。そうなってしまうかもしれないとは思っていたし、そうなるだろうと予測もしていたが、あまりにも早い立ち直りぶりにいささか唖然としたのも正直な話。

 しかし、それならなぜ彼女は僕に電話してきたのか?

 謝罪だけなら別に1回連絡すれば済む。しかし彼女は、それから毎週のように電話をかけてきた。それも必ず深夜で、おまけに酔っぱらった状態で…だ。聞くところによれば彼女は今までの酒と煙草の日々から足を洗い、昼間の商売に転身するとのこと。僕と暮らす話はなくなったが、それだけは実現するつもりになったのか。それはそれでよかった…と、僕は素直に喜んだ。

 しかし毎週毎週なぜ電話をかけてくるのか。いつも酔ってゴキゲンな様子だが、本当に上機嫌で愉快なのだろうか。本当は何か言いたいことがあるんじゃないか?

 彼女の語る「彼」の話が、何とも実体が希薄な感じなのも気になった。「素晴らしくて、優しくて、いい人」という「彼」とやらのポートレイトは、いくらボキャ貧でも表現がチープすぎる。まるで「オス」の匂いがしない。本当に生きている人間なのか? まるでネルソン・マンデラとかダライ・ラマみたいな男なのか。これでは嫉妬すらできない。

 本当にそいつとうまくいっているのだろうか?

 何となく心配になった僕は、例によって11月に彼女の街に飛んだ。お人好しにも程があると言われるかもしれないが、僕はやっぱり気になったのだ。

 久々にやって来た僕を、彼女は暖かく迎えてくれた。連日よく付き合ってくれたし、お互い楽しく飲んだ。しかし結局のところ…これ以上、僕が彼女に関わるまでもないと改めて思わされた訪問だった。本来なら、それですべてが終わるところだったろう。

 ところが翌月の12月、彼女はまたまた東京にやって来た。それも古くからの友人という女を連れて…。一体すでに別れた男を、古い友人に引き合わせてどんなメリットがあるというのか? しかも帰り際に、彼女はこうも言ったのだった。「今度はいつこっちに来るの?」

 やっぱり、何かあるんじゃないのか?

 そんな合間にも、彼女からの電話は途切れなくかかってきた。酔っぱらっているのはいつものこと。時にはひどく荒れた様子だったこともあったし、例の友だちのスナックからかかてきて、友だちが扱いかねて困っていることもあった。何でこんな事になっているんだ…。そんなこんなで僕は翌年の1月、本当は行く気もなかったのにあの街に出掛けることにしたわけだ。

 しかし今度は、彼女はそれほど僕を「歓迎」してくれたわけではなかった

 最初の晩は途中で例の「男」に携帯で呼び出され、その場でサッサとお開き。これにはさすがにシラけた。しかも翌日の夜に彼女がやって来た時、あれから男の部屋へ行って云々…と延々と聞きたくもない話を聞かされたのには、さすがの僕も呆れ果てざるを得なかった。まぁ、普通の男ならもっと早く気付くはずだっただろうけどね。オレはお人好しだった、しかもバカが付く。

 もう彼女とはこれっきりにしよう…と、その瞬間、僕は心に誓ったのだった。

 そうと決めたら、僕はこの晩をお互いのために最高に楽しい夜にしようと決めた。だから大いに語ったし大いに笑った。「これが最後」「これでお別れ」だ。ならば、せめて笑って別れようではないか。もう生きて会うこともないだろう。その最後の記憶が「怒り」や「涙」では寂しすぎる…。ここ最近、身内の死に立て続けに遭遇している僕は、すっかりそんな気持ちになっていた。

 それにしても、この晩は本当に爆笑の渦だった。僕は全力でその場を楽しいモノにしようとした。おそらく僕の秘めた胸の内は、彼女には分からなかっただろう。あまり笑って僕のノドはつぶれかかっていたし、彼女もいいかげん笑い疲れで眠くなりかけていた。そのタイミングを見計らって、僕は「もうお開きにしよう」と言ったのだった。

 店から出て別れ際、僕は彼女にハッキリと「さようなら」と言って手を振った。まるでアナウンサーの訓練か何かのように、一音一音明快に聞こえるようにゆっくり「さ・よ・う・な・ら」と発音した。すると彼女は唐突に、「近いうちに東京に行きたいけど、新たな仕事が決まったら行けないかもしれない」…と、言わずもがなのことを言い出した。僕は「仕事を最優先にしろ」と告げると、再び彼女にあの「魔法の言葉」を唱えて、大きく手を振った。

 「さ・よ・う・な・ら」

 そして、そのまま彼女に背を向けて、その場を足早に立ち去ったのだった。

 これだけ言えば、さすがに彼女も察しただろう。もう二度と彼女の顔を見ることもないだろうが、これでよかったんだ…。そう思いながら、僕は凍てついた道を転びそうになりながら、おっかなびっくり歩いていった…。

 

東京 2011年3月26日

 1960年代に数多く制作されたヨーロッパ・テイストあふれるハリウッド娯楽作。今回の作品は、そんなおとりした品の良い雰囲気を今に活かして、かえって新鮮味を発散させている。

 だが、僕がこの作品に惹かれたのは、そんな「ハリウッド映画史」的な側面の興味ばかりではなかった。

 列車内でいきなりゴージャス美女に声をかけられ、ドキマギしながらもついつい期待しちゃうジョニー・デップ。その彼女と列車内で別れて…「ま、そんなうまい話はないわな」と思いながら駅から出てくると、またまたこの美女から声をかけられ、たちまち彼女ペースに巻き込まれてしまうジョニー・デップ。そのままホテルにチェックインするだけでなく、なぜか「夫婦」名義で記帳するに至るや、さすがにあらぬ期待に胸もアソコもパンパンにならざるを得ないジョニー・デップ…。パジャマ姿でドタバタと屋根の上を逃げ回る場面のコッケイ味といい、この映画のジョニー・デップはなかなか絶品だ。

 確かに「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」から一皮むけたコメディ演技で一気にスター・バリューを増したデップだが、この映画の場合は単に「面白い」「笑える」だけじゃない。普通の男が普通にゴージャス美女に声をかけられた時の反応…ドキドキ、あわよくば、でもまさか…の感じが実によく演じ切れてる。日頃モテモテでも何でもない「凡人」男性観客なら、この映画のジョニー・デップに思わず共感しちゃうんじゃないだろうか。そのくらいこの映画のジョニー・デップは、「偉大なる凡人」ぶりを発揮している。いや、単に「凡人」ではないな。あくまでフツーで「最大公約数的男」の姿を演じきっているのである。

 美女から声をかけられりゃ素直に嬉しい、でもなぜだか分からないから不安、まさか自分なんかに…と凡人たる自分の身の丈が分かっているだけに一歩踏み出せない、おまけに遊び慣れてないからアバンチュールも軽々しくできない、でも相手にさらに一歩二歩と踏み込まれて来ると、どうしても期待とスケベ根性をふくらませないわけにいかない、そして彼女に情が移ってしまえば、男たるモノ何とか力になりたいと微力を最大限に振り絞る。

 ズバリ言って、こいつオレみたい…って思ってしまう。

 僕ら男は…いやいや、他人まで巻き添えにしちゃ申し訳ないから、ここは「僕は」と言い切ってもいいが…どうしたって魅力的な女には弱い。自分あたりじゃなかなか手に入らないと分かっていても、ひょっとしてそんなことがあるんじゃないかと思いたい。もし機会さえあれば欲しいのはもちろんだし、もちろん相手にも好かれたい。男たるもの、いざとなったら他の男たちには絶対に負けないと思っているし、その心の準備も覚悟もとっくの昔に出来ているのだ。そう思っていない男なんていないんじゃないか。確かにバカと言えばバカ。しかし女たちが勝手に侮ってナメているほど、男はダメでも使えないわけでもないかもしれない。

 酷な言い方をすれば…男には、それを発揮するほどの価値のない女には、決して見せない素顔があるのだ。

 実はこの後、映画の中では「結局なるほどジョニー・デップ」…な幕切れとなってしまう。残念ながら僕あたりでは、とてもじゃないが「ジョニー・デップにはなれなかったよ」的な結末なのだが、そこに至るまでの彼の「最大公約数的男」ぶりは…実は物語の設定上そうなっているのだとはいえ…何とも凡人男にはリアルで身につまされて素晴らしい。見ていていちいち、身につまされて「こうだよな」って合いの手を入れたくなったよ(笑)。

 そしてひどい目に遭いながらも「懲りない」デップの奮闘ぶりに、大いに拍手を送りたくなった。一人の男としての共感から…。

 

東京 2011年3月11日

 本当に、それでオシマイになるはずだったのだ。

 ところが運命のいたずらから、断ち切ったはずの糸がまたまたつながってしまう。最初は僕がノドを痛めて東京に帰った直後、事もあろうにインフルエンザにかかったのが発端だった。

 あまりに全力で楽しくしようとしたのが裏目。ノドがつぶれただけかと思っていたらインフルエンザに感染し、結局1週間ウンウンうなって床に就くことになってしまったのだ。

 その結果、僕はまたまた彼女に連絡をすることになる。

 もし彼女にもインフルエンザが感染していたらマズイではないか。さすがにこうなると、僕は彼女に連絡せざるを得なくなった。それに、彼女からも心配して見舞いの連絡が来るといった具合。結局、元の木阿弥だ。

 しかもそんなことをしているうちに、彼女から「また会おう」というお誘いの連絡が来るではないか。一体これはどうなっているのか?

 詳しくはここでは語れないが、その「また会う」シチュエーションは、どうしたって男に何かを期待させる状況だった。一体何でそんな事を言ってきたのか…ここはとにかく、乗ってみなけりゃ男がすたる。

 そこでは、僕らは初めて二人ともツーリスト(旅行者)同士だった。

 しかしこの彼女との「再会」は、必ずしも「サイコー」という雰囲気では終わらなかった。さすがにちょっと重苦しい空気になって、今度こそオシマイ…というムードのまま東京で別れた。

 今度こそ、普通はここで終わるはずだろう。僕もそう思っていた。

 ところが…今度は大雪で、彼女を乗せた飛行機が東京にとんぼ返り。結局その夜も、彼女と飲み明かすことになる。その夜の楽しさは、直前の重苦しさをかき消して余りあった。結局はまた元通りか。それでも…いよいよこれで関わりがなくなるだろうと思っていたら…。

 まるで狙い定めたように、例のあの地震だ。

 あの地震では多くの方々が被害に遭われているし、くだらない僕の人生のひとコマなど語るに落ちたつまらない話に過ぎない。だからこんなところに引き合いに出して大変申し訳ないとは思うが、これは本当にあった話だから仕方がない。

 あの日、震災直後はまるでダメだった携帯での通信だが、なぜか真っ先に飛び込んできたのは彼女からのメールだった。これにはさすがに驚いた。その晩に、彼女からの電話がかかってきたのは言うまでもない。

 これって一体どんな巡り合わせなんだろうか。何か奇妙な因縁が働いているのだろうか。それとも、単にオレがお人好しでバカなだけか。

 いわゆる「最大公約数的男」である僕の、「懲りない」資質のせいなのだろうか…。

 

 

 

 

 

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