「幸せの始まりは」

  How Do You Know

 (2011/03/07)


  

見る前の予想

 この映画のことは、まったく知らなかった。

 いや…正確に言うと、公開日前日の金曜日の夕刊に、大きいとは言えない新聞広告が出ていたのを見ただけだった。

 リーズ・ウェザースプーンオーウェン・ウィルスン、それにもう一人知らない役者とジャック・ニコルソンという顔合わせ。どうやら恋愛映画らしい。漂う雰囲気から何となく、恋愛適齢期(2003)などナンシー・マイヤーズの映画っぽい感じがする…といっても、脇にジャック・ニコルソンがキャスティングされていることからの連想でしかない気もするが(笑)。それでも顔ぶれはちょっと気になるではないか。

 ただ、それだけではものすごく見たくなるというわけでもなく、「幸せの始まりは」…という恐ろしくパッとしない邦題のせいもあって、軽くスルーしてしまったという次第。

 それなのに何でそんな作品を見ることになったかと言えば、この日も某新宿ピカデリーシネコンに足を運んだからに他ならない。ただし、最初に見ようと思っていた映画は、この作品ではなかった。そして案の定、せっかくの祝日に見たい映画が軒並み満席という事態。結構自分じゃ余裕を見て来たつもりなのにあわや無駄足になりそうな気配で、チケット売り場のカウンターを前にして、僕はすっかり涙目状態だった。すると、何とかちょうどよさそうな時間帯にひとつだけ席に余裕がある映画が…。

 この日が初日だった「幸せの始まりは」だ。

 何だこの映画は?…何だかパッとしないけど、まぁ他には見れる映画もないし、ジャック・ニコルソンも出てるし…と、チケットは買ったものの期待値はゼロ。とりあえず劇場パンフだけ買ってボケッと開場を待っていた。

 すると…劇場パンフをチラリとのぞいてみてビックリ。

 何とまぁ驚いたことに、まったくそんなこと予想も期待もしていなかったが…この作品はジェームズ・L・ブルックスの最新作ではないか!

 

あらすじ

 リサ(リーズ・ウェザースプーン)は、長年の間アメリカの女子ソフトボール・チームを牽引する存在だった。そのプレイもさることながら、キャプテンとしての人望と統率力もピカイチ。だからいつだってアメリカ代表チームにその名が出ないことがなかった。

 しかし、そんな彼女も31歳。進行中の代表チーム選考にも、チームメイトたちとは別に蚊帳の外にされている。実は新監督のチーム構想から完全にはずれていて、それを聞かされたチームメイトはみんな憤慨。しかし新監督の怒りに触れるわけにもいかず、じっと黙っているしかなかったのだ。

 そんな微妙な空気は、リサ本人だって分かっている。な〜んとなくイヤな予感はしていたのだ。そんな彼女の練習中に、突然妙な電話が携帯にかかってくるではないか。電話の相手はジョージ(ポール・ラッド)という男。何でも共通の知人からデート相手として電話番号をもらったが、自分には恋人がいるので会えない…という変な電話。律儀と言えば律儀な連絡ではあったが、何しろリサ自身はそんな話になっていると知らなかったから、変テコな奴としか記憶に残らなかった。

 そのジョージは…というと、ある会社のお偉いさんという申し分ない立場ながら、リサへの電話を切ったとたんにとんでもない知らせを受け取る。何と不正行為を働いたとして、国から訴えられる羽目になってしまったのだ。まったく身に覚えがないジョージは目を白黒。慌てて会社の社長であり実父でもあるチャールズ(ジャック・ニコルソン)に相談に行く。ところがチャールズはジョージの無能ゆえ…とでも言いたげな悪口雑言。それを聞いていた妊娠中の秘書アニー(キャスリン・ハーン)が、日頃は温厚な性格にも関わらず思わずチャールズを殴りそうになるほどの言いぐさ。これにはさすがにジョージも唖然呆然。結局ジョージは訳が分からないまま、責任をすべてかぶせられたあげく会社から放り出されるテイタラクと相成った。

 そのころ、リサはプロ野球選手のマティ(オーウェン・ウィルソン)の誘いを受けて、結局彼の超高級マンションへ。明るくて楽しいマティとは「あっち」の相性も抜群。リサは楽しい一夜を満喫することになる。人生何でも楽しむのが一番…に徹しているマティの人生哲学には、戸惑わされたり笑わされたりしながらも何となく可愛げのようなものを感じるリサだった。

 ところが翌朝、リサはマティが「お持ち帰り」した女性のための万全すぎる用意に気づいて爆発。いきなりキレてマティの部屋を飛び出そうとする。これでオシマイかと思いきや、リサは途中で引き返して戻ってくるではないか。そして意外な一言。「どんな理由でも、一方的に責めて悪かったわ」

 最近はっきりしないことが続いてまいっていたリサは、そのせいで彼に必要以上にキツく当たったと感じ、戻ってきて謝るのだった。

 しかし、これにはマティの方が驚いた。そして「謝ってくる女なんて初めてだ!」と感激。リサもそんなマティの素朴な好意に、憎めないものを感じるのだった。

 一方、会社から追い出されたジョージは恋人からも愛想を尽かされ、飲んだくれてボロボロ。それでもジョージを心配して電話をかけてきたアニーの優しさに、何とか踏みとどまって立ち直るのだった。そんなアニーのアドバイスは、「他の女性と誘ってみたら?」というもの。ここのところ「いいことナシ」のジョージは、ふと奇妙な電話をかけた相手リサのことを思い出す。

 むろんリサも、あの変な電話のことを忘れてはいなかった。失業して失恋もした…というジョージの話で事情を了解した彼女は、軽い気持ちでデートの誘いを受けることにする。

 ところがリサがネットを調べてみると、発表された新代表チームから彼女の名前がはずされていた。事ここに至って状況が分かった彼女は、改めて衝撃を受ける。そんな彼女を慰めようとチームメイトたちが集まってはくれたが、今の彼女にはむしろ同情こそが最もツライ。リサは「デートがあるから」とチームメイトたちを置いて、その場を立ち去るしかなかった。

 そんな微妙な気持ちのリサが約束のレストランへとやって来ると、先に着いていたジョージはガックリ落ち込んだ様子で待っていた。しかも口から出る言葉は最悪な方向に空回り。見かねたリサは「何も話さないで、黙って食事をしましょう」と切り出す。こうして無言で料理を食べるだけの、世にも不思議なデートが始まる。しかし黙りこくって食べているうち、ジョージの気持ちは徐々に落ち着いていく。こうして二人が別れる頃には、すっかりリサに魅せられていたジョージだった。

 さて、チームからはずされてさすがに落ち込むリサは、こういう時こそ…と脳天気なマティのもとへ。またまた楽しい一夜を過ごしたリサは、マティに好意以上のものを感じていた。片や人生享楽派のマティの方も、リサには今までの他の女にない何かを感じ、「一緒に住もう」と提案。こうしてリサは、マティの家に転がり込んで来る。

 実はこのマティの住むマンションには、ジョージの父チャールズも住んでいた。ある日、チャールズに今後の事の相談をしにやって来たジョージは、エレベーター内で偶然買い物帰りのリサと再会することになる。彼女の買い物袋を持ってあげながら家に通されたジョージだが、そこにちょうどマティが帰宅。リサに恋人がいて同棲しているという事実は、ジョージの再会の喜びを一気に失望へと変えた。

 ところが当然この状況を見て面白くないマティは、「オレの家に知らない男を上げるな」と言わなくてもいい一言をいってしまう。これにまたまたリサはブチギレ、いきなり荷物を持ってマンションの外へと飛び出した。

 すわ、これこそ千編一隅のチャンス!

 慌ててリサの後を追ってマンションを飛び出したジョージは、さりげなく彼女を引っ越したばかりの自分の部屋へと誘う。ちょうど携帯電話の電源が切れたリサは、充電させてもらうためジョージの部屋へとやって来た。

 さぁ、この3人の恋の行方は、これからどのように進んでいくのか?

 

平凡かつ非凡な人間性を描き続けるジェームズ・L・ブルックス

 何とまぁ驚いたことに、もうこのサイトで大抵の映画作家は紹介してきたんじゃないかと思っていたが、まだこんな人を紹介していなかったとは。

 アメリカ映画界で特異なポジションを占めている、ジェームズ・L・ブルックスだ。

 といっても、僕はこの映画作家とそれほどジックリ付き合ったとは言えない。というか、ジックリ付き合えなかった理由は、必ずしも僕のせいではない。この男、この30年足らずの間に、わずか6本しか監督作品を発表していないのだ。

 しかもそのうち1本は劇場未公開、そしてこの「幸せの始まりは」の前作にあたる作品は、公開されているらしいがいつどこでやったかも知らない。僕がこのサイトを始めてからのことだから、普通に上映されていれば覚えているはずだ。たぶんどマイナーな公開のされ方をしたに違いない。これでは親しみを持って付き合おうったって無理だ。

 しかしそれでも、寡作家である彼の作品は…少なくとも僕が見ている作品に限って言えばどれもこれも粒揃い。めったに打席に立たないくせに、出てくれば間違いなくホームラン。まさに尋常でない打率の高さだ。

 そんなブルックスとの付き合いは、「愛と追憶の日々」(1983)に始まる。

 この人って元々はテレビから来た人らしいが、当然のことながらその当時のことは知るわけもない。だから僕にとっては、この作品で突然出てきたって印象が強い。実際これが劇場映画監督デビュー作というから、すごい大抜擢だと言える。いきなりシャーリー・マクレーン、デブラ・ウィンガー、ジャック・ニコルソンの3大スター共演作。長い期間に及ぶ母と娘の愛と葛藤を描いた物語で、「ラスト・ショー」(1971)の原作やブロークバック・マウンテン(2005)の脚本を書いた僕のご贔屓ラリー・マクマートリーの原作を映画化したものだけに、デリケートな人間の感情を描いて秀逸だった。これでオスカー作品賞と監督賞、脚色賞までかっさらうという鮮やかな登場ぶりも、最初から大物感ムンムン。ただ、確かにイイ映画だとは思ったものの、まだ若かった僕にとっては「母と娘」のお話に今ひとつ共感が湧かなかったのか、ぶっちゃけ「イイ映画を見させてもらいました」的な感じしか受けなかったのだが…。

 そんな僕がジェームズ・L・ブルックス映画に本当に開眼したのは、次の「ブロードキャスト・ニュース」(1987)からだろうか。

 見た目の魅力に溢れているが、実は中味は空疎なニュースキャスター(ウィリアム・ハート)、才女で頑張り屋でファイトの固まりみたいな女だが、実はそんな自分をどこか持て余しているテレビ・プロデューサー(ホリー・ハンター)、頭が良くて人柄も悪くはないが、決定的に人間的な魅力と「華」に欠けているテレビ・レポーター(アルバート・ブルックス)…という、どこかにいそうでいてなかなかいない、平凡のようで非凡な3人のキャラクターが、テレビ・ニュースの世界で繰り広げる三角関係と友情のドラマ。この映画自体もよくありそうでなかなかない、極めてユニークな作品に仕上がっている。特に非凡なのは、ウィリアム・ハート演じる見た目は知的でハンサムながら、実際は内面が空疎なニュース・キャスター。これをステレオ・タイプ的に「くだらない男」と描くなら簡単だろうが、その人間的至らなさまで描きながら、あくまで愛情あるまなざしで見つめているあたりは他の追随を許さない。このデリカシーこそが、ジェームズ・L・ブルックスの真骨頂なのだ。しかもテレビ・ニュースの世界と来れば、この人の古巣。エピソードの一つひとつにも、そんな知り尽くした人ならではの実感が漂う。そして前作でブルックスに惚れ込んだのか、大物キャスター役でジャック・ニコルソンがさりげなくゲスト出演しているのも注目だ。

 ところがこの後、ジェームズ・L・ブルックスはしばしの沈黙を守ってしまう。その次の作品は日本では未公開となってしまったので、ますますブランクが長引いた。

 ところが、そんなこんなで久々に登場した「恋愛小説家」(1997)が、これまた素晴らしい出来栄えだから大したものだ。

 お話は、ハーレクイン・ロマンスみたいな恋愛小説で知られる売れっ子作家の物語。この作家が、その作風とは裏腹に偏屈で神経質で偏執狂的な男。いつも決まった時間に決まった近所のレストランへ行き、同じメニューしか食わない。おまけに使うナイフ・フォークは自ら持参のプラスティック製使い捨て食器…というテイタラク。ところがそんな男が、このレストランのもう若くはないウエイトレスと恋に落ちる…。この作家をまたしてもジャック・ニコルソンが演じて傑作。ウエイトレス役のヘレン・ハントも素晴らしい。彼女の場合、これでオスカー受賞の後は伸び悩んでいるのが残念だ。

 それはともかく、ここでも平凡でいて非凡、ユニークでいて普遍的なキャラクターばかりが登場。正直言ってどこか偏屈で神経質でワガママで性格の悪い僕は、主人公をまったく人ごとには思えない。実は「ブロードキャスト・ニュース」の時点でも、主人公たちに秘かにいろいろ共感を寄せていたのだ。ハッキリ言うとジェームズ・L・ブルックスの創り上げるキャラクターは、みんなどこか自分と共通する痛さを感じさせるのだった。だから僕としては、映画を見ていて身につまされてしまうのだろう。

 ところがまたまたこの後、ジェームズ・L・ブルックスは長い沈黙に入ってしまう。2004年には「スパングリッシュ/太陽の国から来たママのこと」という作品が公開されているはずなのだが、なぜか僕はこの作品の存在そのものも知らなかった。

 てなわけで、今回10年以上のブランクを経ての新作お目見えとなったわけだ。僕が監督名を知らずにまったく期待値ゼロで劇場に飛び込み、そこで偶然にジェームズ・L・ブルックスの最新作にブチ当たったと知った時の驚きと戸惑いを、みなさんにもこれでお分かりいただけただろうか?

 

見た後での感想

 実はまったくこの作品の情報を入れてなかったから、当然のことながらリーズ・ウェザースプーンの役柄がソフトボール選手だなんて知らなかった。

 「ブロードキャスト・ニュース」ではテレビ・ニュースの世界を描いたジェームズ・L・ブルックスだが、あれは彼の古巣だから描いても不思議はなかった。しかし今度はヒロインだけでなくオーウェン・ウィルソンはプロ野球選手と、珍しやアスリートの世界を描いている。それでいて…決してスポーツ映画にもなっていないという不思議さ。こんなにスポーツ選手を主役にしていながら、スポーツ映画になっていない作品も珍しい。しかし、仮に主人公が証券マンだったとしても、必ずしも経済に関する映画にはなるまい。だったら、アスリートが主人公の恋愛映画があってもいい。そういう発想からして、ジェームズ・L・ブルックスは平凡なようで非凡、非凡なようで奇をてらっていないオーソドックスなドラマ作家なのだ。

 そんなこの作品の中で非常に面白いなと思ったのは、ヒロインが2人の男の間で気持ちを行ったり来たりさせること

 別にヒロインが2人の男の間で揺れ動く話なんて、映画でも小説でも珍しくなんかない…と、この文章を読んでいるみなさんに言われてしまいそうだ。確かにそんな設定は、むしろありふれていると言える。

 しかしここでのヒロインは、そんな恋の駆け引きに長けた女ではない。そもそもそんな器用なマネはしようとも思わないし、できたところで望まないような女だ。そして、どちらかと言えば平凡な女でもある。

 何しろ自宅の鏡の周りには、スポーツウーマンらしく「為せばなる」みたいな座右の銘を貼っているような女。チャラチャラしているわけでなく、どっちかと言えばオシャレとも無縁。むしろ実直で正直にバカが付きそうな女だ。それが、別に望んでいるわけでもないのに結果として揺れ動いてしまう。

 そのあたり…中国のロウ・イエのスプリング・フィーバー(2009)ではないが、自分が好きでそうしているわけではないが、どうしようもなく移ろってしまうとでも言おうか。むろんこの作品は「スプリング・フィーバー」みたいにシリアスでシビアな作品ではない。しかし、本人は別にいいかげんな人間でもないし、そもそもそうしようと思っているわけではないのに、なぜか流されてしまうという点において何となく似たものを感じる。

 いやぁ、さすがに「スプリング・フィーバー」を引き合いに出すのはやりすぎだったかな。

 しかし、何となくそんなことまで思わせるくらい、「軽いタッチの恋愛コメディ」の域を逸脱するようなリアルな実感が漂っている。そのあたり、さすがジェームズ・L・ブルックスの作品なのだ。

 ただし…実は見ていてちょっと気になる点がないわけではなかった。例えば、リーズ・ウェザースプーンが遠征に出るオーウェン・ウィルソンに「遠征中に別の女と会うのでは?」と詰め寄る場面。こう言っちゃ何だが、ウェザースプーン演じるヒロインは彼を「こういう男」と分かった上で付き合ったんじゃないのか。その前にもすったもんだがあったが、彼がサッパリとした「人生享楽派」だと分かっていたはずだし、そういう彼だからこそ付き合っていて救われる場面もあると知ってもいた。だったら、またまたゴテゴテとここで難癖つけるのはおかしくないか? 実際、彼女が怒って出て行くというシチュエーションはこの段階で2度目となるので、いささかクドい感じは否めない。

 それと…これは少々些細な点だとは思うが、映画の終盤、ポール・ラッドがリーズ・ウェザースプーンの誕生パーティーでプレゼントを渡す際の、ウンチクがあれこれ長すぎてクドい。言いたいことは分かるのだが、あれほど理に落ちた説明をされてしまっては、見ているこっちもちょっと退くし、そもそも聞かされるウェザースプーンのヒロインの気持ちが冷めやしないか? 非常に回りくどいかたちで、オレは君をこんなに理解できる男なんだぞ…と言いたいのがミエミエ。さすがにここでは、「オレオレ」アピールのすきま風が感じられないでもなかった。

 しかしそれもこれも、この映画の出来栄えの前には大した点ではない。この映画で描かれたキャラクターがどれもこれもイキイキとしていること…僕が先の文章から繰り返し「平凡なようで非凡、非凡なようで平凡」と語っていたのはそれなのだ…は、やはり尋常なレベルではない。

 例えば、ジャック・ニコルソンが演じた会社社長。またまたブルックス作品に出演のニコルソンが、重量感たっぷりに演じているこの男は、主役の一人ポール・ラッドの父親でもある。私腹を肥やすあまり、息子に罪をかぶせることになってしまった彼は、ある意味で「悪役」だと言える。しかも彼は後になってこの息子に、「自分が捕まったら何十年も刑に服さなくてはならない、もしオマエがかぶってくれたらわずかで済む」などと、とんでもないことを言い出すのだ。真面目な息子のポール・ラッドはこれを真に受けてしまうのだが、そんな言葉を弱り切った表情で息子に切り出すニコルソンのタヌキ親父ぶりが実に傑作! いやぁ、何とも食えないオッサンなのである。

 しかしそれでいて、ラストでビルの外で息子とヒロインが向き合っている様子を見るや、ふとその表情に笑みが浮かぶではないか。彼も人の子、息子の幸せを祈らずにはいられない。しかしそれは同時に、自分が刑に服することにつながる。それに気付くや否や、彼の表情は困惑したそれに変わるのだ。そのあたりの「人間臭さ」がたまらない。これはニコルソンの演技が絶妙ってことでもあるだろうが、そもそもそういうキャラの描き込みをした、ブルックスの脚本・演出が優れていたともいえるはずだ。

 その意味でいけば、最も興味深いのはオーウェン・ウィルソン扮する快楽主義者の野球選手だろう。彼は物事すべてを非常に単純に考えており、人生楽しむのが最高と思っている。シリアスであることが人生の楽しさを阻害するなら、そんなシリアスさなど要らないと思っている。ある意味で、「ブロードキャスト・ニュース」でウィリアム・ハートが演じたニュースキャスターの発展形というか変形版だ。

 これが凡百の映画なら、こういう人物をくだらない男とか中味カラッポのバカとして片づけてしまうだろう。あるいは否定すべき人間像としてバッサリやられたかもしれない。

 しかしこの作品では、作品自体もヒロインもこの野球選手を断罪したりしない。むしろヒロインなど、別れ際に彼の美点を並べ立てるほどだ。なるほど確かに彼は中味は空疎かもしれない。しかし決して悪い人間ではない。それどころか、愛すべき人間でさえある。こういう人間がいてもいい。いちゃいけない理由はないだろう。人の価値観はそれぞれだ。ただこのヒロインの「それ」とは合わなかっただけだ。

 このあたりの、人間を見つめるにあたっての偏狭さのない視点こそ、ジェームズ・L・ブルックスの真骨頂なのだ。

 この世に平凡な人間などいない、みんなどこか非凡なものだ。それと同時に特別な人間もいない、みんなどこか普遍的なありふれた存在でもある…。

 実は僕ら自身が誰しもどこか「困った」人であるだけに、ブルックス映画に出てくる人物はシャレにならない。そして彼らを決して断罪したりしないブルックスの姿勢が、僕らをちょっと安心させたり励ましてくれるのである。

 

見た後の付け足し

 そんなわけで何も考えずに飛び込んだら意外なまでの収穫だったこの作品、実は2月11日の公開初日に劇場に見に行ったのだが、感想文はこんなに書くのが遅れてしまった。

 実は途中までは書けていたのだが、最後に何と書くかは決まらなかった。ちょうど今書いている、この部分をどうまとめようかが決まらなかったのだ。

 それと言うのも、実はこのヒロインなりその相手の男なりの状況が、何となく人ごとに感じられなかったのである

 正直に言うと…僕もまたそんな移ろう心、揺れ動く気持ちの渦中にいる

 そして他者の気持ちも自分の気持ちも、同じくらいつかみかねてもいる。

 だから僕もどう書いていいか分からず、自分のことに結論も見いだせていないのにこの映画に結論を付ける気にもなれず…ここまでズルズル持ってきてしまった。

 でも、そこに無理に結論をつけなくてもいいのかもしれない

 結局はこの映画のヒロインの選択も、一応は理由らしきモノが提示されはするけれど、そんなもんどうにでもなるようなモノでしかない。

 だから「たまたま」その時の流れで向いた方向に、進んでいくしかない。

 そんなわけで、今回の感想文も尻切れトンボ、あえて結論づけたりしないで終わることにする。それが現在のところ、僕にとって一番正直な気持ちだからである。

 

 

 

 

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