「ネスト」

  (ケビン・コスナー主演)

  The New Daughter

 (2011/01/31)


  

見る前の予想

 この映画の存在は、昨年末、銀座のある映画館でチラシあさりをしていて知った。単館上映のアート系作品のチラシなどに紛れて、その作品のチラシは実に地味〜に置いてあったのだ。

 「ケビン・コスナー デビュー30周年記念作品」

 正直言って、イマドキ「ケビン・コスナー」の名前で「おおっ」と思う映画ファンなんて、この日本にいるのだろうか。おそらく、この僕自身ぐらいしかいないんじゃないだろうか(笑)。

 しかもそのコスナーの「デビュー30周年」。昔のアイドルか演歌歌手ぐらいしか、イマドキ自分の作品やイベントなどにこんな「デビュー××周年」なんて冠を付けたりはしまい。まして腐ってもハリウッド・スターだ。ブラッド・ピットが、ジョージ・クルーニーが、こんな「デビュー××周年記念」なんて冠を自分の作品に付けられるわけもない。もちろんアメリカ本国でこんな冠を作品に付けるわけもなく、これは日本の配給会社が勝手に付けたに違いない。本国ではこの作品は「デビュー××周年記念」であるはずもなく、そんなことは制作者側も考えているはずはあるまい。

 だからケビン・コスナー本人にはまったく関係のない話といえばそれまでだが、そもそもそんな「デビュー××周年記念」なんて冠を日本の配給会社に付けられてしまう、あるいは配給担当者に付けさせてしまう何かが、当のコスナーにあるということなのだろう。そうでもしないことにはこの作品に、何らかの「付加価値」のひとつも付けられない…と踏んでのことに違いない。

 残念ながら、日本では現在ケビン・コスナーのスターバリューはそのくらい下落している

 いやいや、日本だけでなくアメリカ本国ですらそうだろう。コスナーがマネーメイキング・スターだった時代は遠く過ぎ去った。一時は「オレ様」で「やりたい放題」と言われた大スターのコスナーだが、その威光が凋落してからすでにかなりの年月が経つ。

 そして「落ち目」になってからのコスナーはその興業力を復活できないまま、ジリ貧でここまで来ているようだ。

 そしてついにはその主演作が東京でも1館か2館だけでの上映。それもごくごく小さい映画館での、ほとんどビデオ・スルー同然の扱いで公開というアリサマだ。それがこの「デビュー30周年記念作品」の実際のところの扱いである。往年のコスナーを知っている者としては、そぞろ哀れを誘う佇まいでの公開だ。

 そもそも、その「デビュー30周年記念作品」がどのようなものかというと…。

 「それは“奴ら”の巣窟<ネスト>だった…。」という少々おどろおどろしい宣伝コピーに、暗い森を背景にしたケビン・コスナーの姿。その暗い森には、髪の長い少女のシルエットが不気味に浮かんでいる。どこをどう見てもホラー作品…それも「B級ホラー」の「それ」だ。そのタイトルは「ネスト」。しかしチラシの下の方の英文クレジットをよく見れば、「ネスト」がこの作品の原題名でないことはすぐに分かる。ズバリ言ってしまえば、全体からチープ感がムンムンに立ちこめてくるチラシだ。

 これが「アンタッチャブル」(1987)でスターダムにのし上がり、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)でオスカー作品賞や監督賞をさらった男の、輝かしい「デビュー30周年記念作品」なのか。「フィールド・オブ・ドリームス」(1989)、「JFK」(1991)など記憶に残る作品やヒット作に数多く出演した男が、何が悲しくてこのあからさまなB級ホラーで「デビュー30周年記念」を祝わなくてはならないのか。

 たぶん大方の映画ファンなら、もうこの時点で「あのコスナーも落ちたな」とチラシを手放し、すぐにこんな作品のことは記憶の片隅からも追いやることだろう。

 しかし、この僕は違うんだな

 実は「落ち目」になってからのコスナーの作品は、結構面白いものが多いのだ。世間じゃ話題になってないし誰にも知られていないが、どれもこれもなかなか楽しめる。

 おまけに彼の出演作の傾向がかつてほど「晴れがましい」モノでなくなってきたことで、僕にとっては好みの傾向の作品群に変わってきた。正直言って僕は格調高い文芸作や女性が好むような恋愛映画より、SF映画やホラーやミステリーが好き。ラブシーンより破壊や殺しがお好みだ(笑)。それで…これは「大スター」コスナーとしては良いことじゃないのだろうが…「そっち」系の作品が多くなったおかげで、僕の食指をそそる作品が多くなってきた。

 だから、いかにもB級ホラーの佇まいがムンムンする「ネスト」は、バッチリ僕の射程距離内にジャストミートしているわけだ(笑)。

 おまけによくよくチラシをむさぼり読むと、今回コスナーの娘の役として、あのパンズ・ラビリンス(2006)のヒロイン少女を演じたイバナ・バケロが出演しているというではないか! ややややっ? これはかなりポイントが高いのではないか?

 ま、正直言って作家性の高い映画で注目を集めた「子役」というものは、その次に別の作品に出てくると無惨なまでに色褪せていたりする。例えば「ブリキの太鼓」(1979)の主役を務めたダヴィッド・ベネントが、その後「レジェンド/光と闇の伝説」(1985)に出てきた時には結構フツーになっちゃってて愕然としたものだ。だから今回の映画でのイバナ・バケロにも安心は禁物。

 しかしコスナー、ホラー、イバナ・バケロ…と「ご馳走」が並んでいて、おまけに「それは“奴ら”の巣窟<ネスト>だった…。」とまで煽られて、僕に「食うな」と言うのは無理な相談だ。

 それまで行ったこともない池袋の小さな映画館に、僕が初日に飛び込んだのは言うまでもない。

 

あらすじ

 アメリカ南部のサウスカロライナ、その豊かな自然の中に、彼らがめざす家は建っていた。

 三階建ての白い家。

 思わず「豪邸」という言葉が出てしまうほど、それは堂々たる佇まいを見せていた。そんな家にワゴン車でやって来たのは、父親ジョン・ジェームズ(ケビン・コスナー)、その娘ルイーサ(イバナ・バケロ)、まだ幼い弟サム(ガトリン・グリフィス)の3人。「豪邸」ぶりに無邪気に喜ぶサムと対照的に、難しい年頃の娘ルイーサはあからさまにフテ腐れた様子を隠そうとしない。そこには都会の便利な暮らしと友だちを手放さざるを得なくなった憤懣もあるだろうし、あるいは…。

 サッサの三階にある「自分の部屋」へとやって来るルイーサだが、彼女はキレイに磨き上げてある床に、なぜか泥だらけの足跡がペタペタと残されていることに気付いた。奇妙なことに、それは「自分の部屋」にまで延びているのだったが…。

 ふと家の外に出て、周囲にある森の中を散策してみようと思い立ったルイーサ。彼女は森の中で何かを発見し、興奮して家に戻ってきた。「面白いモノがあるわよ、来て来て!」

 こうしてルイーサに引っ張られて森にやって来たジョンとサム。そこにはちょっとした小高い「塚」が出来上がっていた。これは何かの遺跡か、それとも自然の産物か。

 ゴキゲンで塚のてっぺんに登るルイーサ。「ここからなら、私の部屋の窓が見えるわよ!」

 しかし弟のサムは、何かを感じたのか登ろうとはしない。同じようにジョンも、その塚に近寄る気がしなかった。こうしてイマイチ盛り上がらずに家に戻っていくジョンとサムに、ルイーサは失望したような表情を見せるのだった。

 まだ引っ越し荷物も解かぬままでの夕食は、父親の男手だけでは至らぬ点も多く貧寒としたもの。実はジョンの妻は彼と子供たちを捨てて別の男のもとへと走ってしまい、彼らだけが残されてしまった。こうして彼ら父子は再出発をするために、ここサウスカロライナへとやって来たわけだ。作家であるジョンとしては、この静かな環境が創作にプラスになると考えたわけだが…相変わらずルイーサは何から何まで気に入らない様子。これでは先が思いやられるばかりだ。

 そんなルイーサはルイーサで、自分の部屋に戻ってくるとどこからともなく鳴き声とも物音ともつかない音が聞こえてきて、どうにも落ち着かない。実は窓の外で何やらうごめくモノがあったのだが、ルイーサがそんなことに気付くはずもなかった。

 やがてジョンは、ルイーサとサムを近所の学校へと連れて行く。彼らを迎えてくれたのは、ジョンの作品のファンだという女教師カサンドラ(サマンサ・マシス)。しかしルイーサは、早速「転校生」として田舎の生徒の洗礼を受けることになる。

 何から何までイヤなことばかり。学校から帰って来ても、ルイーサの気分が晴れるわけもない。相談する相手もいない彼女は、一人で例の塚へと出掛けていった

 塚のてっぺんで大の字になって寝そべるルイーサ。一人きりで開放感に浸っていたはずの彼女だったが、いつの間にか周囲に何やら気配を感じるではないか。奇妙な鳴き声や物音やらが聞こえて、どうやら得体の知れない何者かに取り囲まれた雰囲気。今さらながらに怯え始めたルイーサだったが…。

 しばらくして、ジョンは家の中に泥靴の足跡があるのに気付く。いつの間にかルイーサが帰ってきたのか。様子がおかしいと彼女の部屋をノックするジョンだが、中から返答があったので一応は安心した。しかし、そのルイーサは…。

 一体全体何をしたのかされたのか、髪の毛から顔から体中泥だらけの姿で、呆然としたままシャワーを浴びていたのだった…。

 

ケビン・コスナー凋落の軌跡

 それにしても、ケビン・コスナーっていつからこんなに「落ち目」になっちゃったんだろう?

 考えてみると、その凋落の兆しは「ボディガード」(1992)あたりからあったような気がする。あれはホイットニー・ヒューストン初主演映画としても話題になって、歌もヒットして大いに盛り上がった。しかし作品としちゃどうだったんだろう。ちょっと甘っちょろくはなかったか。

 元々あの映画って、ローレンス・カスダンがまだ売れる前に書いた脚本が基になっている。その時にはスティーブ・マックイーン主演の予定で、コスナーも往年のマックイーンみたいに髪を刈り込んで頑張った。しかし、作品としては何となくユル〜い出来栄えだったと思う。商売にはなったけど、ホイットニー・ヒューストンのプロモーション・ビデオみたい。当時のハリウッドのハヤリだった「MTV風演出」とでも言うべきだろうか、天下のケビン・コスナーがこれじゃマズイだろ。

 その次の作品は、何とクリント・イーストウッド監督・共演による「パーフェクト・ワールド」(1993)。これは期待するなという方が無理だ。当然誰もが期待するだろう。

 しかし、今となってはこの映画の記憶は極めて曖昧なものだし、そもそもこの映画のことを覚えている人があまりいないだろう。どうも今ひとつ…な結果に終わったのは間違いない。

 そしてお次が「盟友」ローレンス・カスダンの西部劇「ワイアット・アープ」(1994)。しかし肝心のカスダンがこの頃凋落傾向にあった。この映画にもいい印象は残っていない。ただただ長かったイメージしかない。

 そしてやってしまったのだ…あの「ウォーターワールド」(1995)を。

 大陸が水没してしまった近未来の地球を舞台にした、SFサバイバルアクション映画。しかし制作には長い長い時間と莫大な費用がかかり、その割に…これまた凡庸で面白くない。コスナーはこの作品でかなり言いたいことを言いまくったらしく、巷には全編CGでハゲ隠しを行ったというウソかマコトか分からない評判が立ったが、とにかくかなりの発言力を行使したことは間違いないようだ。

 ところが結果は無惨な大コケ。「言いたい放題」という評判も相まって、ケビン・コスナーの人気には陰りが見え始めた。そこでやめときゃよかったのに…。

 さらに「ポストマン」(1997)で追い打ちをかけた。

 オスカーまで獲得した「ダンス・ウィズ・ウルブズ」以来初めて、再び自ら監督。コスナー自身がこの手の話を好きなのか、またしても世界が壊滅した後のSF近未来ドラマ。これまた多額の制作費をかけて、上映時間もバカ長かった。

 ところが、これがまた芳しい出来栄えではなかった

 今回は監督までしているのだから、当然コスナーの責任は逃れようがない。自己満足が裏目に出ての、冗長な作品。前作に引き続き、言いたい放題やりたい放題が祟ったとしか思えない。まさにダメ押し。

 興行的な失敗とオレ様イメージ、これはさすがに致命的だ。

 この後、一気にコスナー作品が小粒になった…というわけではないのだが、これ以降は緩やかなカーブを描いて下降線と辿っていることは間違いない。そして新作が発表されるたびに、何となく「オレ様」とか「ハゲ隠し」とか揶揄されるようになったのもこのあたりからだ。こうして大スターとしてのコスナーはアッという間に凋落していった。

 しかし、そういうコスナーの苦闘が始まったあたりから…実は僕にとって彼の出演作が好ましい作品群となっていった気がする

 まずはサム・ライミによるラブ・オブ・ザ・ゲーム(1999)。コスナーといえば「野球」というほど野球イメージが強いことから、まずは自らの原点に戻って復活を期したものと思われる。そこにサム・ライミという異能の監督を持ってきたあたりも、意欲の現れだろう。そしてこの作品、かなり好感の持てる映画なのである。

 さらにキューバ危機を描いた13デイズ(2000)。ここでは主役はあくまでケネディ兄弟で、コスナーの位置づけは一応「脇」なのだ。明らかにスターバリュー的には「格下」の役者たちを立てるコスナーが、またまた何とも好ましい。映画自体も面白い出来栄えだった。

 実際にこれらの作品を見た人たちも、当時はこれらの作品を好ましく思ってくれていた。僕の周囲でも「結構いいじゃん」と言っている人は多かった。しかし、あくまで「オレ様コスナーにしては」「オレ様コスナーのくせに」…という「但し書き」付き。一旦貼り付いたレッテルはなかなか剥がれない。折角の「13デイズ」の控えめな好演も、「コスナーがどうした風の吹き回し?」ぐらいにしか思われなかった。瞬間最大風速的に好感は得られても、逆風を跳ね返し、追い風にするところまでは至らなかったのである。

 次の「スコーピオン」(2001)は見ていないが、悪役にイメチェンという意欲作らしい。しかし、それ自体がスターとしては得な作戦だったのかどうなのか。低迷期ならではの迷いだったのだろうか。

 僕がコスナーにさらに注目したのは、その次のコーリング(2002)から。最初見ていた時には亡き妻に愛を捧げる男の「感動作」あたりだろう…とタカをくくっていたが、実はお話はどんどん思わぬ方向に進んでいってしまう。おそらくは大スター時代にはこんな作品には出なかっただろうが、だからこそ「トンデモ」感溢れる面白さの作品に仕上がった。驚いたことに、SFやホラー、ファンタジー系の路線に果敢に踏み込んで、かなりの異色作に仕上がったのである。巷では完全に黙殺されたが、これは隠れた佳作だと言っていい。

 そして次に撮ったのが、何と主演作にして3作目の監督作。それも西部劇ワイルド・レンジ/最後の銃撃(2003)だ。これがなかなかの本格西部劇で素晴らしい出来映え。ハッキリ言って傑作だ。注目すべきは、主演者としては筆頭に名優ロバート・デュバルを立てており、自らはその脇を固める役どころに引っ込んでいること。このあたりも実に身の丈を分かっていて、イイ味出しているのである。この作品はもっともっと注目されるべきではないだろうか。

 さらに驚くなかれ、先天的な殺人鬼の苦悩を描くMr.ブルックス/完璧なる殺人鬼(2007)に主演。「スコーピオン」で悪役を演じたとはいえ、「殺人鬼」役とは思い切ったものだ。映画そのものもなかなか面白かったのだが、いかんせんすでに作品のスケールや佇まいがかなり小粒になっていた。

 コスナー自身やコスナー作品に、かつての華やかさやスケールがなくなっていたのである。

 実は「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」以降のコスナー作品は、なかなか粒揃いといっていい。しかもかなりのクセ球や変化球が多く、意外なオドロキもあって楽しめる。それだけに、あまりに世間から無視されているのが気の毒に思えてならない。どんどん彼の作品がジリ貧になってきちゃってるイメージが、僕は残念で仕方がなかったのだ。

 今回の「デビュー30周年記念作品」もしかり。これはあまりな仕打ちじゃないのか。

 

見た後での感想

 実際の話、あの地味そのもののチラシを見て、こんな映画を見に来る奴なんているんだろうか…と思ってしまったのは事実。そういう自分が見に行っているんだから世話はないのだが(笑)。

 そんなわけで半ば「コワイもの見たさ」で足を運んだ池袋の劇場は、意外にもそれなりに客が入っていたから驚いた(笑)! イマドキ、「ケビン・コスナー主演のホラー」で来る客もいるんだ。…もっとも、その映画館はシートの数が143と相当小さいシロモノだったから、客が入っていたと言っても知れているのだが。

 そもそも、予想していたことではあるがパンフを発売していないという時点でこの映画への期待度が窺えるではないか。これは、やっぱりその程度の入り…と判断されてしまうような作品なのだ。

 しかし、映画ってやつは実物を見てみないと分からない。

 開巻まもなく、アメリカ南部の自然が画面に広がる。沼やら森といった、どんよりしたイメージ。虫の音やらカエルの鳴き声が聞こえる。いかにもどんよりとした、アメリカ南部のど田舎イメージだ。

 アメリカのど田舎といえば、ワニがウヨウヨしている沼だとかチェンソー持ってる頭のオカシイ奴だとか、とにかく何がいてもおかしくない不気味さがある。イントロから、つかみはオッケーだ。

 そして、一家が再出発のために田舎の家に引っ越してくる

 ズバリ言って、ホラー映画で家族が田舎の家に越してくると、絶対にロクな事にはならない。最近リメイクもされた作品で、実話との触れ込みのマーゴット・キダー主演「悪魔の棲む家」(1979)、幽霊よりもオリバー・リードカレン・ブラックなど引っ越してきた家族の顔の方が恐い(1976)、スケート選手上がりのリン=ホリー・ジョンソン主演の「呪われた森」(1980)、そしてあまりにも有名なスタンリー・キューブリック作品「シャイニング」(1985)…。近年ではロバート・デニーロダコタ・ファニングというある意味で「悪夢」なキャスティングのハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ(2005)、あのパン・ブラザースクリステン・スチュワート主演で撮ったハリウッド・デビュー作ゴースト・ハウス(2007)…などなど、とにかく映画界の鉄則としては、一家が田舎家に引っ越したとたんに災いが次から次へと降りかかってくるものなのである。そうでなきゃいけない。

 この作品も、そういう意味で非常に分かりやすい。変わったことなどひとつもやっていないが、オーソドックスに怖い趣向を設定して見せてくれる。だから、安心して見ていられるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で!

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 で、この手の「お化け屋敷」モノだと定石となるのが、屋敷に住み着いた悪霊や怨霊やらが、新たな住民となった家族に襲いかかってくる設定だ。

 しかし今回の作品では、恐るべき敵は「悪霊」ではない。

 見ていて途中から分かったのだが、先住民族のつくったものと言われている「塚」に住む、何やら得体の知れない生き物が「それ」だと分かってくる。後々になってその正体が登場するが、ディセント(2005)や地獄の変異(2005)に出てくる地底人みたいな連中だ。これらの設定に少々伝説めいたエピソードは絡んでくるが、あくまで描き方としては「超自然的な存在」とは描いていない。「そこに確実に存在している」もの、得体が知れないものだが「生き物」として描いている。つまり、ややSF的な設定だといえる。

 そこに、「奴ら」に取り込まれる存在としてイバナ・バケロの「少女」を置いてあるのがミソと言えようか。映画では描写として暗示的にしか描いていないが、彼女が「奴ら」に「犯された」設定になっているのが、少々グロテスクでスキャンダラスな趣向となっている。

 このあたりの雰囲気は、いわゆる純正ハリウッドのホラー映画とはちょっと違う味わいかもしれない。

 この作品の監督は、スペインのルイス・ベルデホという人物。僕は見ていないが、ゾンビ病が蔓延したアパート内の恐怖を「ビデオ映像」というカタチで見せた、いわゆるクローバーフィールド/HAKAISHA(2008)風の恐怖映画「REC/レック」(2007)の脚本に関わった人らしい。スペインといえば何年か前にはオープン・ユア・アイズ(1997)のアレハンドロ・アメナーバルとかダークネス(2002)のジャウマ・バラゲロ10億分の1の男(2001)のフアン・カルロス・フレスナディージョなどの人材を輩出して、一時期ちょっとだけスパニッシュ・ホラー大流行の雰囲気もあったように思う。それらは意外に短命で、いまだに残っている人はいなくなっちゃったと思っていたが、ドッコイまだまだ生き残ってる奴がいたのか。

 この映画、ビックリするような趣向や破天荒な展開はないけれど、キッチリ手堅くつくられているあたりには好感が持てる。問題のイバナ・バケロ嬢は単に「パンズ・ラビリンス」の中の穴の中に入っていく場面や泥だらけになる場面からの連想による安易なキャスティング(笑)に思えなくもないが、思春期の女の子の不安定な怖さみたいなモノを醸し出していて悪くない。

 映画の前半部分からミエミエな感じで弟サムの理科の授業にアリンコの生態観察を出してきて、お話の絵解きをあからさまにしちゃってるのはちょっと興ざめな感じもするが、どうせ分かることならサッサと説明しちゃえという腹の括り方ならそれも結構。ちゃんと終盤に、狭っ苦しく暗い「奴ら」の巣の中に入っていくイヤ〜な場面をお約束として出しているあたり、「やるべき事をやって」いて好感が持てる。

 少々ビミョーな点といえば、妙な「隠しテーマ」を探ろうと思えば探れることか。この作品ではまず主人公の妻が別の男に走るという不幸があって、それが家庭崩壊の発端となり、長女が「彼ら」のワナにはまる隙を与えることにもつながっている。そしてその長女が「女」になることで、家庭崩壊が決定的なものになっていくのだ。女王アリについてのウンチクも含めて、この映画では深読みすると「女がセックスの主導権を握ることは健全な家庭の崩壊へとつながる」…というメッセージを発しているようにも受け取れるのである。

 実は、これは必ずしも「深読み」とも言えないところで…例えば終盤に差しかかって、弟のサムはわざわざ幸福だった頃の家族の写真を持ち出し、何かのセレモニーかのようにその写真をかざしながら家族の最終的な崩壊の「現場」を目撃する。ハッキリ言ってそんな時に家族の写真など持ち出す理由もないし、写真に映る「幸福な家族」たちに「終焉現場」を見せるかのように、わざわざ写真をそちら側にかざす必要もない。つまりこれらの描写は、作り手の何らかの意図があって描かれているのである。ならば「家族の崩壊」がこの映画の「隠しテーマ」なのは、おそらく間違いないだろう。しかもその写真に映っている「幸福な家族」に、最初から母親が入っていないのも意味ありげだ。

 そんな「女がセックスに目覚めるとロクなことがない」というメッセージと受け取れなくもない描き方に、退いちゃう人は退いちゃうかもしれない。引っかかる人はどうしても引っかかっちゃうかも。ここらへんは評価が分かれるところだろう。

 しかしながら、「ケビン・コスナー デビュー30周年記念作品」という晴れがましさ(笑)やスケール感は期待すべくもないものの、映画としてはキッチリとつくってあってなかなか面白いのである。救いのないお先真っ暗なエンディングもグー。

 おっと、コスナー自身についてまったく言及していなかった(笑)。正直言ってこの手の映画では演技力もスターとしての魅力も云々されるようなものではないが、ともかく「過去の栄光」にすがりつくわけでなく、この手のジャンルに果敢に挑戦した「心意気」は買いたい。

 コスナーはデビュー30周年を経過しても、まだまだ僕らを楽しませてくれそうだ。

 

 

 

 

 

 

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