新作映画1000本ノック 2010年4月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「シャッターアイランド」 「噂のモーガン夫妻」 「シャーロック・ホームズ」

 

「シャッターアイランド」

 Shutter Island

Date:2010 / 04 / 26

みるまえ

 「ディパーテッド」(2006)オスカー受賞で意気上がる、マーティン・スコセッシの最新作がやってきた。間にストーンズのライブ映画「シャイン・ア・ライト」(2008)を挟んでのこの作品が、またまたレオナルド・ディカプリオとのコラボになるのも「お約束」。しかも今回は、かなり凝った内容のミステリー・サスペンスになっているらしいところが、ファンとしては大いに期待される点だ。リアルなギャングたちや暴力を描いてきたスコセッシだが、彼にはサスペンス映画のリメイク「ケープ・フィアー」(1991)という希有な例もあった。しかもそこでは無類の映画マニアぶりを全開にして、過去のサスペンス映画へのオマージュたっぷりにコテコテの映像感覚を見せ付けていた。となると、今回もそっちの系統の作品ではないか。これはこれで、スコセッシの映画ファンぶりを堪能できそう。宣伝でも「人間の脳はだまされやすい」だの何だのと「脳トレ」みたいに煽っていて、あっちこっちに伏線があるとか騒いでいる。これは相当すごいオチなのか。ナゾ解き映画としても楽しめそうではないか。こういう映画はサッサと見るに限る。僕は公開2日目の夜中に、慌てて劇場に駆け込んだ次第。

ないよう

 濃厚な霧を抜けて現れたのは、海を行く小型船。そのトイレではテディ・ダニエルズという男(レオナルド・ディカプリオ)が船酔いに苦しんでいた。彼の仕事は連邦保安官。ようやく船酔いが一段落して甲板に上がってみると、今回の捜査にテディの「相棒」として参加することになったという連邦捜査官チャック(マーク・ラファロ)が待っていた。彼らが向かおうとしているのは、ボストンの沖合に浮かぶ孤島、人呼んで「シャッターアイランド」。精神病患者の犯罪者を収容する施設であるこの島で、一人の女性患者が行方不明になったというのだ。他愛のない会話を交わすテディとチャックだが、その中でテディは妻を亡くしていることを打ち明けた。しかもその理由がいわくありげな様子だったが…。さて、早速島に上陸した二人は、施設に通されることになる。二人を迎えたのは、病院の医長コーリー(ベン・キングズレー)。彼から告げられた事件の全貌は、何とも奇妙なものだった。行方不明になった女性は、3人の我が子を手にかけたレイチェル。絶対に出ることもできない病室から、突如忽然と姿を消してしまったというのだ。後に残されたのは「誰が67か?」と書かれたメモ一片のみ。これはどうしたことなのだろう? 危険人物であるこの女が外に出たとしたら重大問題だ。しかも、なぜ出られたのか不可解極まる。しかしコーリーは妙に落ち着き払っているし、病院の職員たちも平静な態度だ。さらに彼女を診察していたシーハン医師が、テディとチャックの上陸とほぼ同時に休暇で島を離れたというではないか。何かがおかしい、実に奇妙だ。テディはこの状況に、徐々に苛立ちを覚えてくる。さらに彼を苛むいくつかのイメージ…ある時は、放火によって焼死したテディの妻ドロレス(ミシェル・ウィリアムズ)が現れる。ある時は、彼が従軍した時に訪れたナチのユダヤ人収容所のことが脳裏をよぎる。それらは回想なのか、幻想なのか。コーリーも幹部の医師ネーリング(マックス・フォン・シドー)も、協力するという口ぶりとは裏腹に、どこか腹にイチモツ持っているように見える。状況を打開するため、入院患者たちへの聞き取り調査を開始するテディたち。しかし聞き取り中、どんどん神経を高ぶらせるテディは、患者たちにそれぞれ「アンドリュー・レディスという患者を知らないか?」という質問を投げかけた。しかし「アンドリュー・レディス」なる人物は誰なのか? この一件と関係があるのか? 初めて聞く耳慣れない名に、チャックは当惑を隠せない。その衝撃的な理由を、テディはチャックと二人きりになった時に初めて打ち明けた。実はテディの妻ドロレスが焼死した理由は、放火魔のアンドリュー・レディスによる犯行が原因だった。その後、レディスがこの「シャッターアイランド」に収容されていることを突き止めたテディは、何とかしてこの島に潜入する機会を狙っていたのだった。しかもテディには、もうひとつ野望があった。どうやらこの島では、恐ろしい「実験」が行われているらしい。その証拠を押さえて白日の下にさらすのが、彼の目的だったのだ。しかし、そんなテディに驚くべき知らせが届けられる。何と、行方不明だったレイチェルが見つかったというではないか。早速、問題のレイチェル(エミリー・モーティマー)と面会したテディとチャック。するとレイチェルは、なぜかテディを夫だと思いこむ始末。ウンザリするような結末ではあったが、とりあえず「事件」は解決した。しかしテディたちが島に上陸してからこのかた、どんどん嵐が激しくなって船が行き来できなくなってきた。こうして文字通り「孤島」と化した「シャッターアイランド」に閉じこめられたテディたちは、秘かにレディスの捜索を始めたのだった…。

みたあと

 映画が始まるや否や、何だか人工着色みたいなカラーの映像に大げさでケレン味たっぷりなオーケストラ音楽。カメラワークも不安定さを助長するようなショットが多く、最初っから見ている側は「やってるやってる」と楽しい気分になってくる。言うまでもなく、これはいわゆる普通のマーティン・スコセッシ作品ではない。しかしスコセッシは広く知られているように生粋の映画マニアで、すでに「恐怖の岬」(1962)というサスペンス映画をリメイクした「ケープ・フィアー」を発表している。そこでもクラシックなハリウッド製サスペンス・スリラーへのオマージュを堂々と披露して、カメラワークから音楽の使い方に至るまで、古典的といってもいいケレン味たっぷりな演出を見せていた(ことに音楽はオリジナルのバーナード・ハーマンの曲をエルマー・バーンスタインにアレンジさせて、イマドキ珍しいドラマティックなオーケストレーションを響かせていた)。だから映画が始まってすぐの印象としては、マーティン・スコセッシはまたまた「ケープ・フィアー」に続いて「ジャンル映画」に挑戦している…と思ったわけだ。「やってるやってる」というのはそのことである。わざとらしい人工着色みたいなカラーも、昔のテクニカラー・チックに見せるためのものかもしれない…。しかし一方で、「いや、ホントにそうかな?」という疑念もわき上がってくる。何しろこの映画、事前の宣伝ではまるで「脳トレ」みたいな売り方をしたではないか。ということは、あのわざとらしい色、カメラワーク、音楽も「引っかけ」の一種なのだろうか? そういやディカプリオも、今回はいつになく眉間にしわを寄せておっかない顔をしている。近年のディカプリオは、何かといえばヒゲと難しい顔。そうやらないと演技が出来ないみたいだ。それが今回はまた一際おっかない顔で、終始眉間にしわを寄せ、時間が経つにつれてそれは深まるばかり。このディカプリオの「怪しいぞ怪しいぞ」と言わんばかりの顔も、これはひとつの「引っかけ」ではないだろうか。例えば全部が虚構だとか、とんでもないオチが待っているのではないか。いやいや、むしろそれじゃいかにも「ありふれた」ドンデン返しじゃないか。イマドキそんなのはドンデン返しとは言えない。「怪しい」と思わせて、それらが全部…とか何とか疑いだしたらキリがない。いかにも「意外」な結末なんてのは、M・ナイト・シャマランと韓流映画が「映画のオチ」をさんざ荒らしちゃった今となっては、むしろかえって「意外」とはいえない。あれだけ宣伝で「脳トレ」よろしく煽っておいて、さすがにソレじゃ済まないだろう。

!!!映画を見てから読んで!!!

 

こうすれば

 ところが、「ソレで済んじゃう」んである(笑)。ズバリは書かないが、この映画の「ドンデン返し」は、おそらくほとんどの人が想像していたモノだろう。まさか「そのまんま」なわけはあるまいと思って見ていたら、「まんま」だったのに唖然呆然だ。「予想の付かない衝撃のオチ」を期待していた僕は、かなり意表を突かれた。正直言って、「ホントにこれでオシマイ?」と思ってしまったよ。この残念な結果を招いた理由はたぶん2つある。ひとつは、まず事前の宣伝の方向性が間違っていたこと。「人間の脳は事実を都合良く曲げて受け取る」だの何だのと大げさに煽り立てたから、見る側があちこちにそんな伏線が緻密に張り巡らされた作品と思ってしまったのだ。残念ながら、これはそんな緻密な構成の作品でもないし、一瞬でも画面の隅々まで見逃せない…類の作品でもない。割と普通のサスペンス・スリラーで、結末もそのまんまだ。あんな「脳トレ」で「衝撃の結末必至」な煽り方さえしなければ、これはこれで結末はインパクトがあったのではないだろうか。「この話はすごく笑えるんだ」と散々期待を盛り上げて、話し手が自分でも笑いながらしゃべった結果、聞いてる奴が誰も笑えなくなっちゃった笑い話…みたいな感じと言えばお分かりいただけるだろうか。そして残念な結果の理由その2は、やっぱり主役のディカプリオのせいではないだろうか。とにかく最初から力みかえって凄みまくり。登場したシーンから眉間にしわ。深刻極まりない顔をして、しかも度を超して言動がイッちゃってるのだ。誰がどう見たっておかしい。しかも、どんどんおかしくなる。アレで「意外」な結末に持っていこうというなら、むしろ「実はディカプリオはおかしくなかった」という結末にするしかないだろう。つまり、見たまんま、みんなが受け取ったまんまの「順当な結末」になっちゃったのである。でも最初からヘンに見せていて、「やっぱりヘンでした」って終わり方はないんじゃないの(笑)。これはディカプリオの演技設計ミスか、スコセッシの演出・演技指導ミスではないのか。特に近年のディカプリオは、甘っちょろいアイドルじゃないぞ、辛口でハードだぞ…と言いたい気持ちは分かるのだが、スクリーンに出てくると常にムサい顔に苦り切った表情。「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002)の頃は背伸びが過ぎた感じで、それがここんとこようやく地に足がついた感じに落ち着いてきた印象もあったのだが、それでも正直な話、たまにはもっと楽しげで肩の力を抜いた軽い役はできないのかね。

みどころ

 そんなこんなでケチを付けてしまったこの映画だが、あの「衝撃の結末」に至るまでは…いや、アレも宣伝の勇み足でしかなくて、そもそも「衝撃の結末」を売りにする映画なんかじゃなかったと考えるなら…なかなかムードが出ていて楽しめる。気持ちの悪い施設内の雰囲気、何があるか分からない島の様子、みんな何考えているのか分からない施設の人間たち…何とも気色悪くていいムードなのだ。出てくるのがベン・キングズレーやマックス・フォン・シドーという、いかにも「何をするか分からない」連中ばかりというのが効いている。悪いが彼らと比べると、ディカプリオはいささか演技が一本調子だと言われても仕方がない。ケレン味たっぷりで過剰なスコセッシ演出も、大いに楽しそうで結構結構。僕は大いに楽しんだ。そして例の「衝撃の結末」にはケチをつけたものの、その後にやって来る本当のエンディングは…いろいろ考えさせられる「哀しみ色」した幕切れで、これはこれでなかなか悪くないのだ。こういうところ、やっぱりマーティン・スコセッシは侮れないんだよなぁ。アレコレ言ったけど、この映画はこれだけ楽しませてくれたんだから上等だ。それだけにデカプーの力みかえった芝居とあの煽りきった売り方が、残念でならないのである。

さいごのひとこと

 このタイトルは地方の商店街のことかと思いました。

 

「噂のモーガン夫妻」

 Did You Hear about the Morgans ?

Date:2010 / 04 / 05

みるまえ

 ヒュー・グラントものである。この一言で片づけてもいいくらい。映画ファンなら「ヒュー・グラントもの」と言えばほぼ説明の要はないだろう。もはやジャンル化していると言えるヒュー・グラント主演作。今回は「セックス・アンド・ザ・シティ」のサラ・ジェシカ・パーカーを相手役に迎えての登場。これだけで、作品の大半の説明は済んだ。夫の浮気で夫婦の絆が危うくなっていた夫婦が、たまたま殺人事件を目撃したことから「証人保護制度」によって一緒に西部の田舎町に放り出されることになる。ちょっと面白そうな趣向だ。西部とヒュー・グラントというミス・マッチも楽しそう。ただ相手役がサラ・ジェシカ・パーカーってあたり、今ひとつ豪華さに欠ける感じがしちゃうのだが。それにそもそもヒュー・グラント主演作自体が、昨今いささか元気がなくなっている感じがする。今回は果たしてどうだろう。

ないよう

 ポール(ヒュー・グラント)とメリル(サラ・ジェシカ・パーカー)のモーガン夫妻は、現在、「夫婦の危機」に直面していた。それというのも、モテモテの弁護士ポールの浮気がバレたから。それ以来、二人はずっと別居状態。ポールは終始平身低頭で、プレゼント攻勢をかけて何とかゴキゲンとろうと必死。しかし常に剣もホロロ、まったくとりあおうとしないメリルなのだった。業を煮やしたポールは、自分の秘書アダム(ジェシー・リーブマン)と彼女の秘書ジャッキー(エリザベス・モス)を介して何とかメリルとのディナーの約束をとりつける。しかし楽しかるべきディナーの席も、会話が今ひとつ噛み合わない。ポールの謝罪も受け入れてもらえない。もはや万事窮すと思われたその時、二人の前に予想外の事件が持ち上がった。帰り道にポールがメリルを送って行こうとすると、何と頭上から人が降ってきたではないか。それはメリルの顧客の一人だった。ベランダにはその人物を突き落とした犯人(マイケル・ケリー)が仁王立ち。そしてポールとメリルは、そんな犯人の顔をバッチリ見てしまった。ということは、犯人も二人をバッチリ見てしまったということだ。たちまち現場は騒然となり、二人は警察に事情を聞かれる。殺されたメリルの顧客は国際的兵器ディーラーで、どうやら商売のトラブルで殺し屋に消されたらしい。となると、その殺し屋の顔を見た二人も危ないではないか。FBIは二人に24時間警護をつけるというが、自宅に荷物を取りに帰ったメリルは、早速殺し屋に命を狙われるハメになった。これは思ったよりも深刻な事態だ! こうしてFBIは、二人を「証人保護プログラム」の下で保護することになる。二人は慣れ親しんだニューヨークや自分の仕事を離れ、まったく知らない場所で違う人間として過ごさねばならない。しかも…二人一緒に! ポールはともかくメリルは、街や仕事から離れること、特に「ポールと一緒」であることをに激しく抵抗。しかし「命の保証ができない」とFBIに押し切られ、ポールとメリルはジェット機に乗り込んで見知らぬ土地へ。そこはワイオミング州の小さな町。二人を警護する役割の保安官クレイ(サム・エリオット)とその妻エマ(メアリー・スティーンバーゲン)が待っていた。しかし、西部の田舎町の流儀は二人にはまったく分からなかったし、クレイとエマの無骨な夫婦とのやりとりもトンチンカン。根っからのニューヨーカーの二人は、陸に上がった魚同然の日々を送ることに…。

みたあと

 「セックス・アンド・ザ・シティ」のサラ・ジェシカ・パーカーが相手役ねえ。ここだけの話、ファンには申し訳ないが、正直言ってコレにはゲッソリしている。だって、「セックス・アンド・ザ・シティ」だぜ。ニューヨークのセレブで高飛車でイヤミなオンナどもが、男出入りであーでもないこーでもないなんてドラマ、男が見ていて面白いはずがない。したがって、僕は見ていない。見ていないのにケナすのかとお叱りをいただいちゃうかもしれないが、本当にまるっきり見たくないドラマなんだから仕方がない。偏見と言われれば偏見だが、正直そう思ってるんだから仕方がない。偏見で結構。人生は短いのだ(笑)。サラ・ジェシカ・パーカーに対しても、そのドラマの主役の馬ヅラ女という認識しかないのだから、ますますトホホな感じがしてしまう。せっかく久々のヒュー・グラント映画なのに、相手役はこいつかよと文句のひとつも言いたくなる。実はそんな「ヒュー・グラントもの」も、ここ最近は少々低迷気味。だから「セックス・アンド・ザ・シティ」なんて所詮テレビ番組の主演女優でしかないサラ・ジェシカ・パーカーを相手役に迎えるようになってる時点で、僕にとっては何だかイマイチ感が漂っているのだ。そもそも、これはサラ・ジェシカ・パーカーのレベルアップなのか、それともヒュー・グラントにとってのレベルダウンなのか。僕から言わせれば、まるで紳士服の青木が銀座に店を出したようなもの。ズバリ言えば、青木がレベルアップしたわけじゃない、銀座のレベルが落ちたのだ。申し訳ないけど、青木には身の程をわきまえてほしかった(笑)。それはさておき、ヒュー・グラントがC調ぶりを発揮して浮気男として出てくるのはお約束。それに対して馬ヅラのパーカーは「成功した不動産屋」と来る。それだけでもイヤミな設定(笑)なのに、この女が映画冒頭から終始ヒュー・グラントをコキ下ろし罵倒しまくってるから、見ているこちら(女は別かもしれないが)はウンザリしてくるのだ。楽しいコメディを見たいと思っていたのに、この映画はイヤミな女しか楽しめない映画なのかよ。

こうすれば

 ヒュー・グラントなら「浮気男」なのは当たり前(笑)…と、本人のイメージからもそう見えるキャスティング。しかしヒュー・グラントは、それでも愛嬌があるから悪い人物に見えない。そこに映画冒頭から馬ヅラ女パーカーの一方的な主張がぶつけられるという展開。ハッキリ言って、これは見ていて不愉快だ。男の浮気など大目に見ろ…などと言いたいわけでは決してない。まずは「裏切り」の現場は映画に描かれず、最初からすでに浮気が起きてしまった設定。故に、浮気の事実はセリフで伝えられるだけ。これでは「浮気した」ことにリアリティがない。そしてヒュー・グラントは元々「浮気男」が売りみたいな人だから、あまり罪悪感が感じられないし愛嬌もある。おまけに相手はテレビ上がりの「馬ヅラ」(笑)。これではどう見たって、よっぽど根性曲がりの女でもなければ、ヒュー・グラントが気の毒に見えてしまうではないか。まず脚本の設定やキャスティングから言って、この描き方は正解だったのだろうか。おまけに馬ヅラ女パーカーの秘書の女がこれまた上から目線のムカつく女。どちらかと言うとオドオドしたグラントの秘書男を、何の権利があってか頭から「バカ」呼ばわりする非常識ぶりも笑えない。この口のきき方を知らないクソ女秘書の登場で、馬ヅラ女パーカーへの嫌悪感は2倍3倍に増量せざるを得ない。しかも後にはこのクソ女秘書のおかげで主人公夫妻が危機に直面するのだから、苛立ちもイヤが上にも増すばかり。実は後になってパーカーがイヤミなのも「じゃじゃ馬馴らし」的に西部で鍛え直すため…と分かるし、クソ女秘書もグラントの秘書にコロリと惚れたりするという趣向があるから、その落差を見せるためにわざとイヤな女にしたという意図は分かる。しかし、どちらもあまりに無茶なクソ女ぶりなので、ちょっとやそっとじゃイメージが好転しない。むしろ、こんな女なんか捨てちゃって別の女を探せば…と言いたくなってしまう。これじゃそもそもこの映画そのものが成立しなくなってしまうのだが(笑)。本当だったらもっと楽しくなりそうなものなのに、どうしてもイマイチ笑いがはずんでいかない。何だか奥歯でジャリッと砂を噛んだような感じと言えばいいだろうか、映画の終わりまでイヤ〜な後味みたいなものが残ってしまうというのは、脚本・監督のマーク・ローレンスの誤算ではなかったか。そういえばヒュー・グラントの「低迷」は、このマーク・ローレンスにつかまってからではないか。まずは「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2002)が、サンドラ・ブロックとの共演とグッと面白くなりそうなのにソコソコどまり。次の「ラブソングができるまで」(2007)はといえば、全編に流れる歌と冒頭のMTVもどき場面が素晴らしいので好感が持てたものの、映画そのものとしては好感度高いドリュー・バリモア共演にも関わらず今ひとつ。どうもヒュー・グラントの良さをつかみかねているような感じなのだ。やっぱりこいつか、ヒュー・グラントを空回りさせているのは。

みどころ

 それでもヒュー・グラントと大西部というミスマッチは、それだけで何となく笑える。彼がカウボーイ・ハットをかぶっているだけでおかしい。クライマックスのバカバカしさも、ヒュー・グラントならではの楽しさだ。サム・エリオットとメアリー・スティーンバーゲンという素敵な脇役陣も見逃せない。だが、それがどこまでも貫けたかというと、何となく中途半端なのは不思議。エンディングもウエスタンの曲でも流すのかと思えば、ビートルズの「恋を抱きしめよう」のスティービー・ワンダー・バージョンという不可解さ。何がやりたいのか、今ひとつ分からない映画なのだ。だから、もっともっと楽しくなるはずなのに、この程度で終わっちゃってるのか。ヒュー・グラント自身も、そろそろ年齢的にキツくなっているのが伺えるから悲しい。

さいごのひとこと

 馬ヅラ女だから「西部」の話というわけでもあるまい。

 

「シャーロック・ホームズ」

 Sherlock Holmes

Date:2010 / 04 / 05

みるまえ

 「アイアンマン」(2008)で大ヒットを叩きだした後のロバート・ダウニー・ジュニアは、それまでの低迷がウソのような快進撃ぶり。さらに娯楽大作にまたしても堂々主演の本作「シャーロック・ホームズ」も見事にヒットしたというからおめでたい。ようやく彼も、ちゃんと映画スターとしてのキャリアを歩み始めた感じがする。そんな「シャーロック・ホームズ」だが、実はここに「復活」組がもう一人。この映画の監督、何とこれまたお久しぶりねのイギリスのクセモノ、ガイ・リッチーだというから驚いた。単に「マドンナの元夫」ぐらいにしか認知されなくなってしまい、これまで何をしていたのか分からない(笑)くらいにキャリアがかすんじゃったリッチーだが、こんなところで復活を遂げるとはビックリ。さらにさらに、ダウニー・ジュニアが主演と来れば彼がホームズなんだろうが、相棒ワトソン役にジュード・ロウとは何とも豪華版ではないか。しかもダウニー・ジュニアとジュード・ロウって何となく相性も良さそうだ。こりゃあ見ずにはいられないだろう。

ないよう

 1890年、ロンドン。真夜中の街を、警官たちを乗せた馬車が突っ走る。そんな馬車よりも先に目的地に潜入していたのは、われらが名探偵シャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)だ。彼が今忍び込んだのは、真っ暗で不気味な屋敷。ホームズは見張りの男を注意深く観察し、どうやったらその男を倒せるかを冷静に判断していた。次の瞬間には、その計算通りに男を倒していたホームズ。彼は知的な計算と鍛え上げられた肉体の、まさに「文武両道」を行く男だった。さて、屋敷の地下に降りていったホームズは、そこで進行中の怪しげな儀式を目の当たりにする。呪文のような言葉を唱えるマントの男が、石の祭壇の前に立っている。その祭壇には、一人の若い女が「生け贄」よろしく眠らされていた。さて、どうやってこの状況を打開するか。そんなホームズの前に現れた男は…ご安心あれ、彼の相棒にして逞しい軍医のジョン・ワトソン(ジュード・ロウ)。彼もまたホームズの後を追って、現場に駆けつけたというわけだ。こうして二人合わせれば百人力。手下どもを次々と倒し、危うく寝かされていた女に刃を突き立てようとしていたマント男を取り押さえたホームズ。こうして、すべて片づいてからノコノコ現れたスコットランドヤードの警官たちを横目に、ホームズたちは問題のマント男をレストレード警部(エディ・マーサン)に引き渡した。実はこのマント男、単なる犯罪者ではなかった。この男こそ、高貴な家柄に生まれながら、オカルトに傾倒して猟奇殺人を繰り返していたブラックウッド卿(マーク・ストロング)。5人の若い女を次々殺して、ロンドンを恐怖のどん底にたたき落とした。しかし、それも今日までのことだ。事件は無事解決。これでホームズもスッキリ晴れやか…とはいかないのが世の中難しいところ。まず、ホームズは事件がないとイキイキしない男だ。それでなくても汚い部屋に閉じこもり、何日も風呂すら入らないで平気という変人だ。しかも今回は、そんな「引きこもり」ぶりがエスカレートする要素があった。今までホームズのルームメイトで彼と苦楽を共にしてきた盟友ワトソンが、結婚してこの部屋を出るというではないか。これには皮肉屋でひねくれ者のホームズも、さすがにこたえたと見えて元気がない。それでもワトソンにせっつかれて彼の婚約者メアリー(ケリー・ライリー)とレストランで顔合わせすれば、得意の観察眼で彼女の「過去」…かつて存在した「別の婚約者」のことを辛辣に暴き立てる。思わず顔をゆがめてその場を立ち去るメアリー。ところがワトソンによれば、メアリーがかつて婚約者を亡くしていたというではないか。真相を知るに及んで、さすがに少なからず自己嫌悪に陥るホームズではあった。そんな折りもおり、例のブラックウッド卿がいよいよ処刑される日が迫ってくる。ブラックウッド卿が呪術をかけるといって、刑務所の囚人や看守はみなおびえていた。いよいよ処刑の前日、ブラックウッド卿はホームズとの面会を希望。ホームズもそれに応えて刑務所を訪問した。するとブラックウッド卿は余裕綽々で、「あと3人死ぬ」と宣言。おまけに自らの復活をも断言してホームズをせせら笑った。これには内心穏やかでないホームズ。やがてブラックウッド卿は絞首刑となり、ワトソンがその死を確認。ブラックウッド卿は墓地に埋葬されて、すべては終わった…はずだった。そんなある日、ホームズの部屋に思わぬ訪問客が現れる。それはかつてホームズの鼻を明かした犯罪者であり、かつホームズが愛した唯一の女…アイリーン・アドラー(レイチェル・マクアダムス)。彼女はなぜかホームズに、ある失踪した男を探すように頼みに来たのだ。そんな奇妙な頼み事を済ますと、サッサとその場を立ち去るアイリーン。ホームズがすかさずアイリーンの後を尾行すると、そこには無類の鉄火女である彼女でも怯えるほどの、不気味な「依頼人」の存在があった。ところがそんなホームズの元に、驚くべき知らせが舞い込む。あのブラックウッド卿が甦り、墓石を粉砕して外に出ていったというのだ…。

みたあと

 何と言ってもこの作品の「売り」は、「アイアンマン」で一気に注目を浴びたロバート・ダウニー・ジュニアの新たな主演作ということだろう。元々は若い頃から名優扱いされていた人だが、いつの頃からかドラッグやアルコールに溺れてズブズブ。そんな彼の荒みっぷりは役柄にも反映されて、「レス・ザン・ゼロ」(1987)あたりから「ゾディアック」(2007)あたりまでそんな調子だったわけ。特に、ここに挙げた2作「レス・ザン・ゼロ」と「ゾディアック」でのズブズブぶりは、まったくシャレにならない。実に「アイアンマン」で「復活」する寸前までそんな案配だったわけだ。そして「復活」後も活躍目覚ましく、脇に回っての「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(2008)での怪演ぶりはみなさんご存じのはず。ちょっと皮肉っぽく斜に構えた感じが、イマドキのヒーロー気分にピタリとマッチするとは。こういう日が来るとは、僕はまったく夢にも思わなかったよ。しかも、こんなダウニー・ジュニアがシャーロック・ホームズ役とは二度ビックリ。確かにどこかひねくれた知性を感じさせてくれるから、ホームズ役がハマってないでもない。そういや、昔どこかでホームズってホントはヤク中って聞いた覚えもあるし(笑)。この映画では意外にもホームズがガンガン戦うアクション編となっているが、実際には原作でもホームズは武術の達人となっているらしいから、これはこれで原作の精神に忠実な映画らしい。全編に漂うオカルト的な臭いも、元々、原作者コナン・ドイルがオカルト好きなことからして、あり得ない設定ではないのだ。このへんもホームズ・ファンには楽しいところなんだろう。しかも相手役のワトソンが天下の二枚目ジュード・ロウと来る。実は僕は子供心に、ホームズの相棒であるワトソンが世間ではまるでつまらない人物扱いされているのに不満を感じていた。原作を読んでいて、確かに控えめではあるが、どうしてもそんなつまんない男には思えなかったのだ。だから、今回の「新解釈」には大いに賛成。これもおそらくは、原作本来のモノ…いつの間にか世間で定着したイメージではなく、原作そのものの精神を反映したものということなんだろう。そんな制作者側の主張がどれほどホントなのかは分からない(笑)が、ともかくこの映画においては成功している。そしてジュード・ロウがこの映画のイギリス臭を高める(何しろ主役ホームズがアメリカ人なので、誰かが強いイギリス臭を注入しなくてはならなかったはず)と共に、ダウニー・ジュニアとの抜群の相性の良さで「男の子同士」の楽しさを満喫させる。それも、どうしても切れない「腐れ縁」の楽しさというところがいいのだ。ダウニー・ジュニアの意外かつ正当派ホームズを見せながら、ジュード・ロウ=ワトソンとのコンビネーションと、ふんだんなアクションと謎解きとオカルティズムで楽しませるという作戦。イマドキ贅沢で嬉しい娯楽作品として仕上がっているので言うことナシなのだ。こういう映画って感想を書いたり読んだりしてどうの…ってもんじゃないよな(笑)。

みどころ

 それにしても、ガイ・リッチーがこんな堂々たる活動大写真、それもシャーロック・ホームズなんて撮るとは思わなかった。今さら「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998)あたりを引き合いに出されても困るだろうが、それにしたって全然違う世界に思えたからねぇ。ところが実物の映画はといえば、これがお見事なほどこの人らしい映画になっていたから驚いた。映画が始まってまもなく、ホームズが物陰に隠れながら、敵側の手下をどうやって倒そうか考えている場面が出てくる。そこで「ロック、ストック〜」以来すっかり世界の映画界でおなじみになった例の技法…フィルム・スピードを早くしたり遅くしたりと自在に変化させて、アクションをダイナミックに見せる…というテクニックを見せてくれる。しかも、それが次の瞬間にそのまま再現されるという可笑しさ。しかも、それはガイ・リッチーのテクニックひけらかしではなくて、ちゃんとホームズの優れた洞察力と頭の回転の早さを表現する描写になっているから感心した。いつの間にかガイ・リッチーも成熟していたのだろうか。そしてもうひとつ感心したのが、イマドキ当たり前となったCGの使い方。この映画でも船のドックでの大活劇などで,CGをバンバン使った派手な見せ場をつくり上げている。しかしここでのCGの使い方は、凡百のハリウッド大作などとはちょっと違う。建設中のロンドン橋を活劇の舞台にするなど、産業革命後のロンドン…というシャーロック・ホームズの時代をイキイキと描くために、ちゃんと「道具」として使いこなしているのだ。このあたりも、ガイ・リッチーのメンコの数の違いをキッチリ感じさせた。

おまけ

 面白かったのは終盤のくだり。建造中のロンドン橋でホームズが悪漢ブラックウッド卿を追いつめながら、今までのトリックをいちいち説明していくという趣向。これを見ていて、何かこれに似たものをどこかで見たことがある…と思っていたら、これって日本のテレビ2時間サスペンスもののお約束ではないか(笑)! 探偵(刑事)が犯人を水辺の高台に追いつめて、そこで延々とセリフで謎解きが行われたあげく、最後に犯人は命を落とす…という「火曜サスペンス劇場」ばりのスタイルが、なぜかバッチリ再現されているのだ。ガイ・リッチーは日本の2時間サスペンス・ドラマを見ていたのか? これはホームズにも解けないナゾだ。

さいごのひとこと

 「2時間サスペンスの帝王」船越英一郎が出なくてよかった。

 

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