「義兄弟」

  Secret Reunion

 (2010/11/29)


  

見る前の予想

 「韓流」アイドル大流行の昨今のようだが、その言葉の火付け役だったはずの「韓流映画」そのものは、すっかり風化しきってしまっていて見る影もない。しかしそんな中で、この人の映画だけは唯一精彩を放っているから不思議だ。

 言うまでもなく韓国のエース・スターであるソン・ガンホのことである。

 大体ここんとこの韓国映画で見るべきものがあったのって、どれもこれもこの人の主演作じゃないの? 殺人の追憶(2003)、大統領の理髪師(2004)、グエムル/漢江の怪物(2006)、渇き(2009)…その粒揃いさ加減にも驚かされるが、作品世界や役柄の幅の広さも超一流。

 もちろん彼とて「し損じなし」とはいかず、時として南極日誌(2005)やグッド・バッド・ウィアード(2008)などの微妙な作品にも出てしまうものの、打率の良さはピカイチと言わざるを得まい。そのハズした作品群にしても、話題性においてはそれなりのモノだったのだから、ソン・ガンホというスターの重みは大変なものだ。

 ところが、そんな彼がまたまた「南北分断」を題材にした新作を撮ったとなれば、正直言って首をかしげざるを得ない。なぜか?

 そこでまずは頭に浮かぶのは、これまたソン・ガンホが出ていて現在の韓国映画世界的認知の基礎をつくったと言える、シュリ(1999)、JSA(2000)などの作品群。当時はジェリー・ブラッカイマー的娯楽大作指向に南北分断テーマを盛り込むことで、他の国にないリアリティをもたらした…なんてモテはやされたものだ。さすが、こういう「テーマ」を持った国はアクション映画をつくってもリアル感が違う…な〜んてことも言われていた。

 しかし、それから早くも10年。今になってみると、この手のテーマはやり尽くされてる観もある。しかも、作劇的にはその悲劇を深刻に見せるしかないから、毎度おなじみドツボ・エンディング。不謹慎ながら、やればやるほど新鮮味が失せる。非情な宿命に引き裂かれる男たちやら愛やら…という題材が、結局「どうしようもない悲劇」という形でしか料理されないから、毎度毎度同じような結末ということになってしまう。後味が悪い上に鮮度も落ちるとなれば、さすがにこの題材を繰り返すのもいかがなものかってことになってしまうのだ。

 むろん、実際には依然シリアスな問題であることは間違いない。先日も韓国の島に北朝鮮の砲撃が加えられ、一転緊迫した空気が流れたりもした。そういう事があるたびに改めてこの問題のシビアさが再認識されるのだが、誤解を恐れず言えば…娯楽映画の題材としてはそう何度も繰り返せない手ではある。だって、結局毎回結論が同じようなところに落ち着かざるを得ないのだから。

 最近、韓国映画でこの手のテーマがめっきり扱われなくなった理由は、たぶんこのあたりにあるのだろう。「シュリ」や「JSA」などの作品的価値については信じて疑わない僕だが、これも何度も繰り返されると、早い話が「またかよ」感が強いのである。ゴメン、申し訳ないけどコレはホンネです。

 となると、何でまたエース級のスターであるソン・ガンホが、今になって「南北分断」映画に出ちゃうのか?

 お話は、韓国に潜入していた北の工作員と韓国の国家情報院のスタッフがひょんな事から出会って、お互いを警戒し合いながら一緒に暮らしていくうちに、友情が芽生え始めるのだが…というストーリーらしい。ハッキリ言って陳腐になりかねない。結末も最初から見えてる気がする。正直言って今年ホントに良いことなくてクサってる僕としては、あまりウンザリする結末にはお目にかかりたくない。

 しかし、そこは腐ってもソン・ガンホ。この韓国最高の演技派スターの名に免じて、若干の心配はあるものの見に行くことにする。まさか予想通りの陳腐な作品に、この男が出るはずはないだろう。

 

あらすじ

 韓国に潜入していた北朝鮮工作員ソン・ジウォン(カン・ドンウォン)のもとに、新しい指令がネットを通じてもたらされる。

 早速、彼は前々から韓国社会に溶け込んでいた工作員ソン・テスン(ユン・ヒソク)と合流。さらにそこに、北朝鮮から送り込まれてきた名うての暗殺者「影」(チョン・グックァン)が加わり、この「影」の指令によって計画が実行されることになる。その計画とは、「はとこ」を暗殺すること…。

 今回の計画は、ジウォンにとって特別な意味を持っていた。ミッション終了となれば、ジウォンは晴れて祖国に帰れる。国に残して来た妻子と会えるのだ。

 一方、そんな工作員たちの動きを、韓国国家情報院のスタッフたちも掴んでいた。

 一連の作戦を仕切っていたのは、少々強引なやり口で知られるイ・ハンギュ(ソン・ガンホ)。彼は後輩コ・ギョンナム(パク・ヒョックォン)が上司への報告を進言したにも関わらず、「手柄を横取りされてたまるか!」と自らの独断で作戦を進める。

 こうして迎えた運命の日。ジウォンたちの不穏な動きは掴んでいたものの、ハンギュたちは問題のターゲットが何なのか?…についてはいまだに把握していなかった。それでもクルマで移動するジウォンたちの後をフォローしていくうちに、彼らの目的が徐々に明らかになって来る。ジウォンたちは、ソウル市内の高層住宅へとやって来た。慌ててクルマで駆けつけるハンギュたちは、今こそそのターゲットが分かった。

 「あそこには金正日の“はとこ”、キム・ソンハクがいる!」

 その頃、ジウォンと「影」は高層住宅の一室に入っていった。まず応対に出てきたオバサンを「影」が消音銃で殺害。さらにジウォンがためらっていると、「影」はキム・ソンハクの妻も冷酷に殺害した。

 「ふん、脱北者に惚れるからこんな事になるんだ」

 そこに帰宅してきたキム・ソンハクと幼い息子。たちまちキム・ソンハクは「影」の毒牙に倒れたが、ジウォンには幼い息子まで殺させることは出来なかった。

 そんな折りもおり、国家情報院のメンバーが駆けつけたことに気づいた「影」は、それがジウォンのタレ込みによるものと思い込んで彼を罵る。ジウォンは慌てふためいて「自分じゃない」と主張するが、すぐに激しい銃撃戦が始まって、それどころではなくなった。

 意外に手強い北の工作員たちに、手こずるばかりの国家情報院メンバー。銃声が飛び交う中、高層住宅の敷地内ではパニックが起きて、あっちこっちで大騒ぎだ。

 その騒ぎに乗じてジウォンは現場から脱出。その後ろ姿をハンギュは目撃しながら、どうすることも出来なかった。

 さらに「影」まで、まんまとバイクに乗って現場から逃走。こいつは逃がすわけにはいかない。たちまち住宅街を舞台に始まる、狭っ苦しい道を突っ走ってのカーチェース。ギョンナムの運転するクルマに乗ってどこまでも執念深く追いかけるハンギュだったが、結局もう少しのところで逃げられるハメになった。

 結局、ターゲットは消され、犯人には逃げられ、周辺住民にはとばっちりで多くの負傷者が出る始末。当然の事ながら暴走したハンギュに上司(チェ・ジョンウ)から厳しい処分が言い渡されることになる。

 そして逃げおおせたジウォンも北への逃走手段を失い、そのまま韓国に潜入し続けるしかなくなった。

 そんなこんなしているうちに、時代は微妙に変わってきた。

 金大中がピョンヤンに乗り込んで金正日と会談を行うなんて、まったく隔世の感もいいとこ。それは喜ばしい事ではあったが、当然のことながら国家情報院による対北工作は時代の要請に合わなくなってくる。そんな中、問題児ハンギュは体よくリストラされても仕方ない状況だった。むろんテレビでこの会談を見ていたジウォンにとっても、「自分は一体何のために戦っていたのか?」と複雑な思いを噛みしめざるを得ない出来事だっただろう。

 こうして、問題の事件から6年の歳月が過ぎ去っていった…。

 国家情報院をクビになったハンギュは、逃げられた女房を探すしがない探偵稼業に明け暮れる日々。しかも、テメエの妻子にも逃げられているからシャレにならない。やる気もないし出来も悪い2人の部下を引き連れて、ショボい仕事で何とか食いつなぐ情けなさだ。

 ある時、警察の懸賞金欲しさにベトナム人暴力団の親玉を探すことになったハンギュたち。早速この親玉がたむろしている工場へとやって来ると、一同はテレビの前でサッカー観戦に興奮だ。しかし手下が揃いも揃ってヘマをするため、親玉たちに正体がバレる。おまけにサッサと手下二人は逃げ出したからたまらない。

 こうなりゃヤケだ。

 大勢のベトナム人ヤクザに取り囲まれながら、シャニムニ無茶苦茶戦法で大暴れするハンギュ。それでも多勢に無勢。たちまちピンチに追い込まれるハンギュだったが…。

 どこからともなく現れた背の高い男が、ハンギュとベトナム人たちの間に割って入るではないか。

 この男、流ちょうにベトナム語を話すかと思えば、どこで習ったか素晴らしい戦闘能力を持っていて、襲いかかってくる男たちをバッタバッタとなぎ倒す。こうしてベトナム人たちは退散。命拾いしたハンギュは助けてくれた男に礼を言おうとして、ハタとその男の正体に気づいた。

 間違いない、どこかへ雲隠れしてしまったソン・ジウォンだ。

 後ろ姿だけしか見たことはないが、確かに見覚えがある。この工場ではパク・ギジュンと偽名を使っているが、こいつはあのソン・ジウォンだ。

 むろんジウォンも、相手が国家情報院で自分を追いかけていた男だと、すぐに気づいていた。

 あまりの偶然、あまりの巡り合わせに衝撃を受けていたハンギュだったが、彼は気を取り直すといつもの抜け目のなさを発揮しながら、ジウォンに話しかけていた。

 「どうです。私のところで一緒に働いてみませんか?」

 

見た後での感想

 まずはこの映画を見て、僕がどう思ったかをズバッと一言でいってしまおう。

 「面白い!」

 理屈抜きで面白いのである。楽しいのである。やってくれるのである。アクション映画として一本スジが通っているのである。

 お話は…少なくともクライマックスまでは…僕が冒頭で「こんなストーリーらしい」と書いた通りのもの。まったくの想定内である。想定内ではあるが…。

 実は見ているうちに、意外な味わいがにじみ出てくる。それはユーモアであり、軽さであり、スカッとした爽やかさだ。つまりはこの手の「悲劇的」シチュエーションをとる韓国映画に最も欠けているはずの要素が、ここにはちゃんとあるのである。

 そして…ここまでお読みになったみなさんならすでにお察しの通り、そんなユーモア、軽さ、爽やかさが生まれた最大の理由は、主演のソン・ガンホにある。

 むろんソン・ガンホの好演ぶりは、これもまた見る前から大体想像がついた通りだ。これも、言ってしまえば想定内の要素である。で、これまた確かに想定内ではあるが…。

 素晴らしすぎる!

 毎回毎回自分でも言っていることなんで、いいかげんみなさんも耳にタコだろうとは思うが…ソン・ガンホの芸のフトコロの広さに驚かされる。コッケイさ、みっともなさも含め、人間味溢れる演技が何とも魅力的。しかも、シリアスな味もいける。そして常にそれがチマチマした「うまい」芝居にとどまっていなくて、ドカッとスケールの大きさを感じさせるスター性。現在、こんな役者は世界的にも珍しいんじゃないだろうか。

 今回も北朝鮮工作員を捕らえる気になって妄想の大立ち回りを演じているうちに、自分で自分に手錠をかけてしまう一幕が何とも笑っちゃう絶妙ぶり。この一人芝居を初めとして、全編ソン・ガンホならではの「至芸」を展開しているのである。映画ファンとしては、この人の芝居が見れるだけで喜びだ。

 さらに相手役のカン・ドンウォンの予想以上の好演ぶり。

 妙にひんやりした体温の低そうな個性で、最初はこいつで大丈夫か?…と心配になる登場ぶり。何となくソン・ガンホとも相性悪そうなイヤな予感がしていたのだが、この若い役者が意外にいい。最初のミスマッチ感は役柄にも合っているから問題ないし、そのミスマッチ感をちゃんとソン・ガンホが受けとめているから、危うい感じにならない。ソン・ガンホがカン・ドンウォンの正体を知っていたことを明かしたくだりの彼の芝居は、見ているこちらも思わずグッと来た。それまで体温低そうに抑えて演じていたから、この感情爆発が圧倒的なのである。

 そしてアクション映画としての腕の確かさ

 映画冒頭にいきなり出てくる、ソバ屋のスーパーカブみたいなバイク(笑)と自動車の壮絶な追っかけ場面を見よ。狭っ苦しい住宅街の道をぶっ飛ばしての、障害物競走みたいなカーアクションの素晴らしさ。これひとつとっても、この映画のアクション演出の確かさが見てとれるのだ。

 例えば昨今のアクション映画…「ボーン・なんとか(笑)」シリーズ連作を撮ったポール・グリーングラスのカー・アクションなどは、ドキュメンタリー効果を出すつもりか何だか知らないが、やたらスピード感ばかり煽ってカメラがブレるわピントはボケるわ、とにかく見えにくくて仕方がない。最初はこっちが年取ったからか、動体視力が落ちてるからか…などと思ってみたものの、追う者・追われる者の位置関係やら背景の状況、アクションがどちらによって起こされ、どのように作用していくのか…がキチンと見極められないアクション映画ってのは、やっぱり何かうまくないように思う。というか、ズバリ言ってしまえばヘタだ。言い方を変えれば、それはアクション映画以外の何か別のモノだ。チャカチャカしていれば迫力が出る、カメラがブレたらリアル…なんてだけの発想では、本当のアクションは撮れないのである。

 この映画では、そういった位置関係その他について、見ている観客がちゃんと把握できるように撮られている。それでいて、すごいスピード感があるし迫力もある。「ボーン・なんとか(笑)」シリーズによってアクション映画の基準が変わった…などと、分かったような事は言って欲しくない。 アレはドキュメンタリー的リアリティを追求していると言っても、カメラのブレっぷりにも程がある。それはアクションをキッチリ見せるということとは無関係だ。その点、この作品はメンコの数が違うのである。

 このアクション演出だけで、この映画の監督チャン・フンの腕前の確かさが窺える。

 正直言ってこのチャン・フン監督の前作「映画は映画だ」(2008)は、そのタイトルにゴダール映画に影響受けてます…的なメッセージ(笑)を何とも下手クソかつモロ出しにしていたあたりや、いかにも「韓流」的にイケメン男優二人を主役に組み合わせたかのようなあたりが何となくイヤで、結局見に行かずに終わってしまった。本来は「映画中映画」を描いた作品や「映画製作を描いた映画」が好きな僕だから真っ先に飛びついたはずなのに、そんなこんなでドン引きしてしまった。しかし今回の作品については、本当に素晴らしいとしか言いようがない。

 それは僕にとって、ここまで語られて来たさまざまな要素だけでなく、映画終盤に提示される要素で決定的なものとなった。

 

凡百韓国映画とは一線を画するエンディング

 「シュリ」だの「JSA」だのといった「南北分断」ネタの韓国娯楽映画の結末は、ハッキリ言ってもう見なくても分かってる

 悲壮感タップリで泣かせるエンディング。個人ではどうにもならないツラさ。「南北分断」の現実は非情だ…とダメ押しする結論…。

 さよう、現実は厳しい。まったくおっしゃる通り。その通り過ぎてグウの音も出ない。出ないけれども…。

 失礼ながら、本当に失礼ながら、そんな事は誰だって言われなくても分かっている

 いや…分かってはいないのかもしれないが、娯楽映画を見るときにそこまでの襟を正した姿勢や熟考を要求されても、観客としては正直言って困ってしまうだろう。

 とにかく結末は毎度お馴染みの気の滅入るモノにしかならないし、それしかない。だからこれらの韓国映画は判で押したみたいに「非情な幕切れ」を迎えたし、僕ら外国の観客だって「そうだよなぁ」と納得してそれらを見てきた。実際に現実問題として考えてみたところで、そうにしかならないだろう。それは仕方がない。

 ただ、大変不謹慎ながら一観客としてこれらの作品群を見る立場からすると、毎度毎度泣かせるエンディングで毎度毎度気が滅入ってくる落としどころで毎度毎度予想される結末…というのでは、付き合っていくのもツライものがある。正直言って「シュリ」「JSA」の2本ぐらいまでが限界で、一応娯楽アクション映画という体裁をとっている以上、それ以上はカンベンというのがホンネじゃないかと思う。

 それは「暗いエンディングがイヤだ」ということではない。そうなるしかない…と分かっているものを、好きこのんで何度も何度も見たいわけがない。オマケに、すでに誰にとっても分かり切っていると思われることを、何度も大上段から振りかぶってクドクド言われたくもないのである。

 今回の「義兄弟」を見るのに一瞬躊躇したというのも、まさにそこに理由がある。

 ところが驚いたことにこの「義兄弟」は、韓国映画のこの題材の映画がどうしたって超えられなかった一線を、軽々と、しかもハッキリと超えちゃっている。実はここがこの映画の最大の特徴であり美点なのだ。

 北朝鮮の殺し屋「影」を挟んで、ビルの屋上で対峙することになる問題の二人の男。周囲は国家情報院のスタッフたちに包囲されている。誰がどう考えたって、物語は確実に悲劇へのカウントダウンを始めている。どうしたって悲劇からは逃れられない。結末は…となるに違いない。そうに決まっている。そうなるしかないだろう。

 ところが、そうはならないからビックリなのだ。

 何とこの作品ではアッケラカンと、堂々たるハッピー・エンディングで幕切れを迎える。それまでどう見たって悲しい結末を迎えるもの…と観客は覚悟を決めているから、これは驚愕の…しかし嬉しい不意打ちだ。観客が一番精神的に無防備になったところに、この映画のエンディングが突然襲いかかってくるのである。

 これはある意味でショックだ。

 よくよく考えれば設定上無理もある。ちゃんと事情や段取りが説明されているとは言い難い。結構乱暴に片付けちゃっているのだが、とにかく力業でこの幕切れに持っていってしまう。これはなかなか出来ないことだ。

 よく「ハッピーエンド」に持っていくことをご都合主義でヘタクソな作劇法だと思い違いしている人がいるが、これはまったく当たらない。というか、そういう人はドラマというものがまるで分かっていない。

 むしろ今日びの映画では、物語の結末で主人公を突き放してアンハッピーな状況に叩き落としたり殺したりする方が、作劇的には安易でラクだ。何の工夫も要らない。なぜなら、現実ってのは元々厳しいから。人生がハードでシビアだということぐらいガキでも分かっている。主人公を何とか救出しようとする方が、ストーリーテリング的に力業を必要とするし、何かと大変なのである。

 そういう意味で、この「義兄弟」は手垢のつきまくった他の凡百韓国映画とは一線を画している

 しかも僕はそれ以上に…このエンディングの一歩手前で描かれていた「ある設定」に大いに感心した。これがあるから、エンディングも単なる思いつきや奇をてらったモノでないことが分かる。

 子供に会いに行け…とイギリス行きの航空券をもらうソン・ガンホ演じる主人公。彼は空港で、自分の探偵社の部下に後を頼むのだが、その部下とは…。

 彼が捕らえようとしていた、お尋ね者のベトナム人ギャングのボスではないか。

 実はこのベトナム人とはいろいろあったのだが、主人公ソン・ガンホが映画の中盤あたりで結局捕らえられるのに見逃がしてやっていた。当然、僕ら観客もこの登場人物はこれで物語から退場するものと思っていたから、これはこれでちょっとした驚きだ。主人公にとって単に「獲物」というだけの存在だった男が、いつの間にか主人公の部下として嬉々として働いているのである。

 ハッキリ言って、これはまったくのファンタジーだろう。エンディングのダメ押しハッピーエンディングもそうだし、何よりこのベトナム人ボスのオチなんか完全に絵空事だ。絵空事だが…そこにはハッキリと「善意が善意を生むはず」だという、作り手のストレートなメッセージが見て取れる。まるでフランク・キャプラ映画のような、明快な理想主義だ。それは単にハッピーな終わりにしとけばいい…などという、安易な発想とは違うだろう。

 その直後のハッピーエンドも、だから素直に受けとめられる。映画の作り手たちの人生を肯定する思いが、決して「付け焼き刃」のものではないと分かるからなのである。

 

 

 

 

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