「瞳の奥の秘密」

  El secreto de sus ojos (The Secret in Their Eyes)

 (2010/08/30)


  

見る前の予想

 今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した、珍しやアルゼンチン映画である。

 かつて…と言ってもホンの15年か20年ぐらい前のことだが、東京は世界で最も映画が見れる都市だと言われた。それ以前にはニューヨークやパリが同じように言われたが、当時は圧倒的に…数だけでなくその制作国の国籍や質的なことも含めて…東京こそが映画を見る最高の環境だと言われた。ビデオ・ソフトの全盛期とバブル経済の恩恵がたまたま重なって、日本は世界に映画ソフトを買いあさりに出向いた。結果、東京には世界の玉石混交な作品群が溢れかえったわけだ。

 ところがいつの間にか、そんな映画バブルも沈静化した。世界中のどんな映画も買い叩くほどの経済力もなくなったし、受け入れる一般ファンもそれほどの体力がなくなった。そこで、何となくアメリカ映画以外の外国映画は、中国語圏の映画や韓国映画以外入ってくる数が少なくなってきたわけだ。当然、この映画みたいに珍しい国の作品は、あまり入ってこなくなってしまった。オスカーというハクでもつかない限り、公開が難しくなったのは間違いない。

 それにしても、あの世界中の映画が見れるような環境は、一体どこへ行ってしまったんだろうか?

 ともかくミヒャエル・ハネケ作品などの強豪をはね除けてオスカーを受賞したこの作品、過去の殺人事件を振り返る内容で、そこにかつてのアルゼンチンの暗黒政治が絡んできて、しかも終盤にちょっとした衝撃的結末が待っているという。ならば、ただただ「良心的」内容というわけでなく、ある種のケレン味もあるに違いない。

 知人からのお薦めもあって「これは面白いかも」…と劇場に駆けつけると、大混雑でとてもじゃないが入れない。ますます見たくてたまらなくなった僕は、平日に休みをとった時を見計らって劇場に再度足を運んだ次第。

 

あらすじ

 それは回想か、はたまた創作か。駅のプラットホームで別れる男と女。男が乗り込んだ列車がゆっくり動き出すと、女は列車を追ってホームを走り出した…。

 初老のヒゲ男エスポシト(リカルド・ダリン)がノートに書きとめた過去の記憶。しかしエスポシトは何か気に入らないらしく、その内容をペンで書きツブしてしまった。次に彼が書き始めたのは、若い新婚の男女の楽しげな朝食。しかし、それも気に入らない。書き直してエスポシトが改めて語り始めたのは、今度は先ほど描かれた新婚の新妻が、むごい状態で犯されている様子だった…。

 書けない、どう書いてもうまくない。

 そんな鬱屈とした気持ちによるものだろうか、夜中に何かインスピレーションを得て彼がメモに書き留めた言葉を、翌朝改めて読んでみたら驚いた。

 「恐い」

 一体、オレは何を書いているのだ…。そんな気持ちを整理するためか、それともそれを口実に旧交を温めるつもりか、エスポシトは旧知の建物に旧知の人物を訪ねてやって来た。

 ブエノスアイレスの刑事裁判所、そこはエスポシトのかつての職場であり、彼の元上司である女性検事イレーネ(ソレダ・ビジャミル)が今も勤めていた。

 それは、まだ若い頃に駅にエスポシトを見送りに来た「彼女」だった。

 当時は判事補だった彼女もすっかり貫禄だったが、今でも美しい。二人は再会を喜び合い、懐かしそうに語り合う。ただし、エスポシトが訪れた用件を口にするまで…の話だが。

 「今、小説を書こうとしてるんだ、昔のモラレスの事件についてだけど」

 モラレスの事件…その事になると、今でも口が重くなる。イレーネも思わず表情をこわばらせた。しかし、過去25年というもの、この事件のことが頭を離れたことはなかった。今こそそれに決着をつける時だとエスポシトは熱く語る。

 そんな彼を励ますかのように、イレーネは使わなくなった古いタイプを彼に差しだした。そして小説の書き出しについて、彼女なりのアドバイスを与えようとしてくれた。「当時で一番印象深いことから書き始めたら?」

 一番印象深いこと…それはイレーネが刑事裁判所の書記官であるエスポシトの上司として、初めて紹介された時のことだ。アメリカの大学を出たばかりの彼女は、若く美しかった。エスポシトは初対面ながら彼女の目をマジマジと見つめていたし、彼女もまた…。しかし、これは「事件」とは直接関係ない。

 「では、時系列で書いてみてはどう?」

 そうだ、あれは1974年のことだった。殺人事件の現場に立ち会うように言われたエスポシトは、同じ書記官のロマーノ(マリアーノ・アルジェント)から仕事を押し付けられて文句タラタラ。そもそもこのロマーノという男は、立ち回りだけはヤケにうまい男。面倒な仕事を押し付けられたエスポシトは、ウンザリしながら殺人現場へとやって来る。ところがそんな彼の不平不満も、現場の様子を目にするや一変した。

 まだ若く美しい女が、酷い全裸死体でベッドから床に倒れている。その顔といい全身といい、激しい暴行を加えられて血まみれだ。殺された女は教師のリリアナ・コロト(カルラ・クエイド)。夫は銀行員のリカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)で、妻の死を伝えるや激しく落ち込んだ。あまりに悲惨な事件に、エスポシトは襟を正して捜査に当たろうと決意する。

 ところが例のロマーノはセコく立ち回ったあげく、現場のある建物の修理に来ていた職人二人を逮捕。手柄を立てたと自慢するではないか。当日の聞き込みで職人たちはちょうど休みだったと聞いていたエスポシトは怒り爆発。留置されている二人に強引に面会した。案の定、二人はボコボコに暴行されているではないか。エスポシトは自白の強要でロマーノを告発。二人を釈放に漕ぎ着けた。

 では、真犯人はどこに?

 ワラにもすがる思いで、被害者の夫モラレスを訪ねるエスポシト。冷静に振る舞いながらも激しい落胆と怒りをにじませるモラレスに、エスポシトは同情を隠せない。

 「犯人が捕まったら、罪はどのくらいに?」

 「この国に死刑はありません」

 「死刑なんて望んでいません。むしろ長く虚しい人生を生きてほしい

 そしてモラレスは、エスポシトに殺された妻コロトのアルバムを見せる。エスポシトはそれらを延々見せられているうちに、古い写真で必ず彼女の周囲に写っていて、常に視線を彼女に向けている男がいることに気づく。それはコロトの幼なじみであるイシドロ・ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)という男だった。その暗いまなざしに、エスポシトは男としての直感で「何か」を感じ取る。

 そんなエスポシトの示唆に触発されたモラレスは、身分を偽ってゴメスの実家に電話をかけてしまう。これが警戒させたのか、ゴメスは勤め先の建築現場から突如姿を消してしまった。

 ますますもって怪しい。いよいよ確信を強めるエスポシトだがゴメスの実家をガサ入れしようにも、判事は面倒がって許可を出さない。

 一計を案じたエスポシトは、大胆な行動に出た…。

 

見た後での感想

 正直言って今日びそんなに僕も暇じゃない。おまけに仕事で疲れていて、小難しい話や人生に関する講釈など聞きたくもない。昔の僕なら時間も有り余っていたし元気もあった。若かったからどんな映画でもむさぼるように見れたし、それらを楽しむ気持ちの余裕もあった。

 今はそんな「余裕」がないのがツライ。

 となると、あまり縁のない国の知らない役者が出ている映画など、どうしたって見たいという気がしなくなるのが人情だ。

 それでなくても敷居が高いアートシアター系映画なら、尚のこと見たい気がしない。映画サイトの管理人がこんな事言っちゃマズイのかもしれないが、これはぶっちゃけ本音だから仕方がない。いかにオスカーのお墨付き、ハリウッドが認めたとはいえ、知らない奴ばかり出ているアルゼンチン映画などなかなか見たくはならないのだ。

 だがこの映画、冒頭にも書いたように「殺人事件」が絡む話と来るではないか。そこに何らかの「ケレン味」みたいなモノを感じた僕は、この映画にちょっと関心を抱いたわけだ。こりゃちょいと面白いんじゃないかい?

 で、見てみると…これが正解だった!

 結論から言うと、この映画は面白かったし僕はかなり気に入った。良く出来てるなと感心もしたのだが、実はどこがどういいのか…と言われると困ってしまう。

 この感想文を書き始めた時も、実はとっかかりがなくて困ってしまったのだ。面白いのは確かだ。でも、どこがどう面白くて、それがどんな意味を持っているのかが分からない。今までだったらそのへんのところを系統だって書けただろうが、なぜか今回はそんな妙案も浮かばない。結局、「あそこが良かった」「あそこが面白かった」…などと、そこらへんの凡百の映画ブログが書くような感想しか書けそうにない。

 そんなわけで…ここから先、映画の内容をアレコレほめても、どうせ他のサイトや映画雑誌などで書いているような、どこかで聞いたようなホメ言葉の羅列に過ぎなくなってしまうだろう。僕もそんなに人と違った感想を持ったわけではない。よくよく考えた末、整った感想を書いてみたところで、どうせそのへんの感想と同じつまんないものになってしまうだろう。

 そこで僕は思いついたことを、とりとめもなくダラダラと並べてみることにする。そうすりゃ面白くなるというわけでもないだろうが、少なくともウソはつかなくて済むだろう(笑)。しばしご勘弁いただき、僕のつぶやきにおつき合いいただければありがたい。

 まずはこの映画を見ていて脳裏に浮かんだのは、どこかで見た別の映画の連想だ。ただし、それは国も違えばお話も全然違う。

 それは韓国の俊英ポン・ジュノ監督の作品殺人の追憶(2003)だ。

 過去の殺人事件についての「追想」の映画である…という点で、確かに共通点はある。しかし、それ以外は全然違う映画ではないか…と言われればそれまでだ。それでも僕は、何となくこの両者に共通する何かを嗅ぎ取った

 例えば、その結果が混沌とした終わり方をしてしまうこと。両者における「事件」の結末ぶりは全然違うが、スッキリ終わっていない点で後味の悪さは変わらない。

 さらにその事件の背後に漂う空気が、映画の原産国の「現代史」と深く絡んでいること。もっとズバリ言うと、アルゼンチンと韓国それぞれの、過去の軍政時代の暗黒が映画の背景に横たわっていることだ。実は、これが「事件」そのものよりも「黒い」。

 そのダークさは、見ている僕らに何とも言えない気色悪さと、それでいて見る者を捕らえて放さない邪悪な誘惑を放っている。こういう話って…イヤなスケベ根性丸出しで言わせてもらえば、どうしたって見ずにはいられないよねぇ。軍政やら独裁の暗黒ってのは、まるで新東宝のゲテモノ映画みたいな妖しい光を放っている。それがこの映画の絶妙なスパイスになっている。

 実際のところミニシアター的な興味から言えば、多くの映画ファンにとっての今回の映画の「キモ」も、同様に「過去の軍政時代の暗黒」ってことになるのだろう。ただし、これはあくまで良心的な興味であって、僕のようにドス黒い悪趣味な興味ではないだろうが。僕は不謹慎にもけしからんことに、新東宝的興味で覗いて見てるわけで、みなさんのような高尚な気持ちで見ているわけではないのだ。

 ともかく現実に存在していた「邪悪」が、「事件」をさらに美味しく味付けしてくれているのだ。別に政治映画ではないし、「事件」とそうした背景が直接関わっているわけではないが、それでもその「邪悪」さが、何とも言えない怖さとイヤ〜な感じを出しているのである。

 そういや、ある意味で深刻でシリアスな話であるにも関わらず、ところどころに不思議なユーモアが漂う点でも「殺人の追憶」とこの作品は共通している。

 例えば主人公がどうしても容疑者の手紙を入手したいと思い詰め、同僚と一緒に容疑者の自宅に忍び込むくだり。この同僚がまったく頼りない男で、いざ忍び込もうという時になると小便をしに行ってしまうというマヌケぶり。何ともしまらない探偵場面を展開して、結構笑わせてくれるのである。

 そしてこういう絶妙な味付けが、この映画の厚みを確実に増している。単に一本調子な怖さや社会派じみたマジメさに陥っていないのは、こうした「コク」があるからである。

 あとは…何だろう。「映画としての見事さ」かな?

 ウダウダと重苦しい裁判所の周辺で、あまり実りのない捜査を続けている描写が続く。融通の利かないシステムに何となく「モノが言えない」雰囲気。捜査は遅々として進まない。苛立つ主人公。

 ところが酔いどれの同僚が、思わぬところから状況打開の糸口を引っ張り出す。その次の瞬間…。

 いきなりバーン!…と、画面一杯に開放感あふれる空撮で、サッカー・スタジアムの全景が写し出される。

 それまで鬱屈した描写や感情でウダウダと話が展開していたから、このスコ〜ンと一気に抜けた空撮ショットは、見ていて物凄い快感がある。

 これこそ、映画的な快感だ。

 この映画には、そんな映画ならではの楽しさ、味わいがある。先に挙げたユーモアもそうなら、背後にチラつく軍政の怖さの描写もそうだろう。

 そういや、かつてアルゼンチンは「オフィシャル・ストーリー」(1985)というオスカー外国語映画賞受賞作も放っていた。これもまた軍政の時代の話が、物語の下敷きになっていた。しかし「オフィシャル・ストーリー」はあくまでマジメなアプローチ。こちらはそこにケレン味がチラつくあたりが、あくまで「娯楽映画」風味なのだ。

 さらに僕は、このいきなりスコ〜ンと抜ける空撮のスタジアム場面を見ていて、こんな開放感どこかで味わったな…と感じていた。

 そうそう、確かに忘れもしない。誘拐事件に巻き込まれてニッチもサッチもいかず、主人公ともども観客も息詰まる思いに押し込められる。映像としても延々と室内場面が続いて息詰まる一方。ところがそれが一転、身代金引き渡しの舞台として指定された特急「こだま」がシネマスコープ画面一杯に写し出されて、見ている観客の気分はスコ〜ンと開放感に満たされる。

 この快感…黒澤明の傑作天国と地獄(1963)の「あの場面」とそっくりな効果ではないか!

 実はこの連想、僕にはまったくの偶然とは思えない。実はこのスコ〜ンと抜けた空撮からカメラがどんどん地上に降りてくるや、映画はスタジアムの中へと入って行く。つまり…スタジアムでの捜査といえば、やっぱり黒澤明の刑事サスペンス「野良犬」(1949)の野球場シーンが目に浮かぶではないか。「天国と地獄」の後に「野良犬」…と来ると、これはもう偶然とは思えない。しかも、両方とも黒澤作品の中でも犯罪サスペンスのジャンルに入る作品…となると、これは間違いなく狙っているに違いない。もうこのあたりで、見ている僕はニヤニヤが止まらなくなってきた。

 さらにこのスタジアム場面では、手持ちカメラをブン回しての長回しのアクションシーンなどもあって、なかなか「やってくれる」のだ。こういう映画にしてこの大がかりさ、この大げささ。まるでブライアン・デパーマの映画みたいじゃないか! いやぁ、もう最高だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見た後で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらにラストに待っている「衝撃の結末」に至っては…とてもじゃないが、軍政を告発する社会派映画とかではお目にかかれないシロモノ。まるで猟奇ホラーでもあるかのようなおぞましさが、何ともケレン味たっぷり。このあたり…絶対この映画をつくった奴は、すごい映画ファンであるに違いない。映画ファンが面白がる道具立てや設定、テイストを、これでもか…とアレコレ嬉しそうに持ち出してくるんだもの。監督のファン・ホセ・カンパネラって、絶対かなりの映画好きだね!

 そんなわけで、僕はこの映画を大いに楽しんだ。ホントに楽しかった。何より映画らしい映画、映画の醍醐味が詰まった映画だから、この作品はこんなに面白かったのだ。

 そして実はイマドキ、そういう映画らしい映画にはあまりお目にかかれないのである。

 

見た後の付け足し

 ただこの映画には、もっと別の要素があることを語らないわけにはいくまい。

 若妻を殺された夫の、亡き妻への一途な思い。それが上司でありながら魅力的な女性への、主人公の一途な思いと重なる。そして切なく思っても成就しない思いを抱えているから、主人公は犯人が被害者の女性に抱いた暗い情熱をも察してしまう。このあたりの話の持っていき方は何ともうまい。

 そして犯人がその暗い情熱を断ち切れず、主人公が上司への思いを何だかんだ言って忘れられないように、妻を殺された男も無念を忘れられるワケがない。

 …ってな風に、追う者と追われる者、犯人と被害者遺族…それぞれ立場の違いがあり、行いの善し悪しはあれど、「思いはそう簡単には断ち切れない」という一点において、共通する暗いパワーで不可分に絡まり合っている。このあたりのお話の作り方が何とも巧みなのだ。

 しかしそんなことはたぶん誰かが…いや、みんなが散々指摘して語り尽くしていることだろうから、僕があえてここで云々しても仕方がない。結局同じことを言うだけなので、ここではアッサリ片付けたいと思う。

 僕が指摘したいのは、この映画の最後の最後…主人公の落とし前のつけ方だ。

 明らかに思いは同じだった主人公と上司。しかし男と女は思いっきり「格差」な仲だから、その思いは成就しないで終わってしまう。というか、明らかに女は一歩踏み出そうと迫ったが、男は腰が退けていた。劇中でも主人公は、その女上司にズバリそこを「腰抜け」と指摘されていた。それが、主人公が事件を回想して小説にしようとすることから、またまた何十年かの時を越えてくすぶってくる

 そして事件の思わぬ「結末」を見届けた主人公は、成就出来ない情熱に囚われる悲惨を思い知る。彼はかつての上司の前に取って返し、今こそ落とし前をつけようと決意するのだ。

 その時の、女上司のセリフがいい。部屋の扉を閉めて相手と自らの退路を断った上で、こう言うのである。

 「簡単じゃないわよ」

 お恥ずかしい話だが、僕はこの年でも独り者である。その経緯については何度もこのサイトで書いて来たし、みなさんも耳にタコ状態になっているとは思う。女に逃げられたり関係がポシャッたり…情けない結末を迎えて現在に至っているわけだ。

 だがその原因は、僕が腰抜けだったからに他ならない。

 明らかに僕が仕掛けて来るのを、待ち構えていた女もいた。挑発してきたのもいたし、じっとこらえていた女もいた。しかし結局、僕は一歩を踏み出すのが怖くて逃げていたのだ。口ではアレコレ言っていても、実は実行に移さずにいられたらいい、現実にならなければいい…と思っていたのは事実だ。終わってしまった後、失望したような顔をしながら、実はホッと胸をなで下ろしていたのも事実なのである。

 僕は臆病者だ。

 一歩を踏み出したらとんでもない事になってしまう。先に何があるか分からない。いい時はいいが、事がこじれたら何が起きるか分からない。この映画の主人公の場合は「格差」だったが、そもそも男と女の間にハンデがないことなどない。収入、職業、家柄、教育水準、ジェネレーション・ギャップ、生きて来た世界、人生観、セックス観、トラウマ、金銭感覚…ありとあらゆることがハンデだ。それがまったくなくて、「価値観も同じ」なんてあり得ない。一緒に生まれ育った兄妹の近親相姦でもなきゃ、そんなことはたぶんないだろう。って、近親相姦そのものがハンデか(笑)。

 所帯を持った友人などを見ると、どうしてそんな度胸があるのか不思議だ。一つ間違えてとんでもない女と関わったら、人生メチャクチャではないか。女が信用できるのか。女の豹変はイヤになるほど見てきた。よくそんな勇気のある事が出来るな。というか、無謀としか思えない。

 だからうまくいかなかった時も、重大な決意や選択をしなくて済んだ…と、実は本音ではホッとしていたことを否定できないのである。

 だが、それはやっぱり臆病者のやることだろう。

 あるいは女にすべてを選択させて、失敗しても自分のせいにならないようにしていたに違いない。あるいは何らかの譲歩を引き出したかったのかもしれない。少しでも自分に有利に事を進めたかったのかもしれない。最後の逃げ場を確保しておきたかったに違いない。僕はズルかったしセコかったのだ。

 でも…いつまでオレは、すべてを女任せにするつもりなのか。どこまで他力本願なのか。いつかは僕が、男として何かを決めねばならないんじゃないか。

 「簡単じゃないわよ」

 そうなのだ。男と女の間には、棚からボタモチのように都合のいい展開などありはしないのである。

 

 

 

 

 

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