「ソルト」

  Salt

 (2010/08/23)


  

見る前の予想

 この映画のことは、だいぶ前から劇場でかかっていた予告編で見ていた。アンジェリーナ・ジョリーが主演のアクションものらしい。

 正直言って、僕はそもそもアンジェリーナ・ジョリーがあまり好きではない。彼女の主演作にもさほど興味が持てないし、世間で彼女をアレコレとモテはやす理由もよく分からない。それほどのスターさんかい?…てなもんだ。

 しかもアンジェリーナ・ジョリーは、やたらアクション映画に出演する。実は彼女のその手の作品にまったく見る気が起きないので、僕はほとんど見ていないのだ。最初期のトゥームレイダー(2001)ぐらいだろうか、彼女のアクションで見てるのは。最近の「ウォンテッド」(2008)なんてのも、「またかよ」…ぐらいにしか思っていなかったし、当然見てもいない。だから、この予告編にもまったく興味が湧かなかったのだ。

 ところがこの予告編には、僕を注目させる「何か」があった。

 場面はどこかの取調室みたいなところで、アンジェリーナ・ジョリー扮する主人公イヴリン・ソルトが、どうやらロシアからの亡命者を取り調べている様子。彼は何かの情報を持っているようで、ロシアのダブル・スパイの名前を知っていると持ちかける。アンジェリーナ・ジョリーのソルトは相手にしないで立ち去ろうとするが、ロシア人はそんな彼女に構わずダブル・スパイの名前を明かす。

 「スパイの名前はイヴリン・ソルト」

 というわけで、そこから主人公の名前は急転していくのはご想像通り。しかし、僕が注目した「何か」は、そんなことではなかった。この予告編を見ているうちに、僕は亡命ロシア人を演じている役者に見覚えがあることに気付いたのだ。

 ダニエル・オルブリフスキー!

 間違いない。あれはポーランドの生んだ大スター、ダニエル・オルブリフスキーその人だ。いやぁ、最近めっきりお目にかかる機会が減っていたが、まさかこんなハリウッド娯楽アクション映画でお目にかかるとは…。

 ダニエル・オリブリフスキーがどんな役者なのかは後ほど詳しく語るとして、この時点で僕は、この新作に興味津々。絶対に見てやろうと180度態度を変えていた。公開されるや否や、劇場に走ったのは言うまでもない。

 

あらすじ

 ここは北朝鮮。金髪のアメリカ女性イヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)がスパイ容疑で捕らえられ、日夜厳しい取り調べを受ける。

 「私はスパイじゃない!」

 民間企業リンク石油に勤めるビジネスウーマンだという彼女。しかし北朝鮮の官憲がそんな言い分を聞き入れるわけもない。

 しかしある日のこと、彼女は出し抜けに解放されることになる。国境の橋で、向こうのスパイと交換条件での釈放。出迎えたのは彼女の「上司」テッド(リーヴ・シュレイバー)。ソルトは思わずテッドに、なぜ彼女を見捨てなかったのか尋ねた。捕らえられたスパイは、「自己責任」で切り捨てられるのが鉄則ではなかったか。そう、ビジネスウーマンは世を忍ぶ仮の姿。やっぱり彼女はアメリカのスパイだったのである。

 「彼のおかげさ。あっちこっちに働きかけて、国防省も放っておけなくなった」

 その橋の向こうには、ソルトを待つ「彼」マイク(オーガスト・ディール)の姿が見える。そのマイクの必死な姿に、思わずソルトの涙腺も弛んだ…。

 それから数年後。

 帰国してマイクと結婚したソルトは、幸せな日々を送っていた。この日は二人の結婚記念日。リンク石油の事務所に出勤した彼女は、今夜マイクと記念すべき夜をどう過ごそうかということで頭が一杯だった。帰宅まぎわに上司テッドと二人で呼び止められるまでは…。

 それは突然のことだった。ロシアからの亡命者が情報提供を申し出たというのだ。ロシア関連に詳しいのは、あいにくとソルトとテッドしかいない。二人は仕方なく、すぐに済ませることを条件に取り調べに臨むことにする。

 取り調べ室には、初老のロシア男が座っていた。早速、ソルトが事情聴取にあたることにする。そのロシア男は、自らをオルロフ(ダニエル・オリブリフスキー)と名乗った。

 この男、どうやら古くからアメリカに対する諜報活動に関わっていたようで、何とケネディ暗殺を実行したオズワルドも、この男の指示に従ったのだという。しかし話が大袈裟になればなるほど、何となく大風呂敷のように聞こえなくもない。ソルトが半ば呆れながら話を聞いていると、オルロフの話はさらに昔のことに遡った。

 1975年のこと、旧ソ連のレスリング選手の男とチェス・チャンピオンの女が結婚。めでたく女の子が生まれる。その幼い娘は間もなく病気で亡くなったが、本当はまだ生きていた。赤ん坊は病院から密かに運び出され、とある施設へと送られたのだ。そこでは各地からそんな子供たちをさらってきて、アメリカ人になりすます「訓練」を行っていたのだ。目的は、アメリカに潜入して破壊活動を行うこと。やがてその女の子は両親を亡くしたアメリカ人としてアメリカに「帰国」し、「Xデー」が訪れるのを待っていた。そして、今日こそがその「Xデー」のはじまりの日。折しも渡米するロシア大統領を暗殺する計画が、着々と進行しているというのだ。

 しかし、ソルトは「バカバカしい」と取り合わない。これで取り調べを切り上げ、部屋から出ていこうとする。そんな立ち去りぎわの彼女の背中に、オルロフは衝撃的な言葉を投げかける。

 「スパイの名前はイヴリン・ソルト」

 「ソルトは私よ」

 「ならば、オマエがダブル・スパイだ

 何をバカな…と一笑に付すソルトだったが、取調室のマジックミラーの向こう側では様子が一変していた。取り調べに立ち会うためにやってきたCIA防諜部のピーボディ(キウェテル・イジョフォー)は、このオルロフ発言を重視。彼女の身柄を拘束しろと言い出したのだ。これにはテッドが反対するが、ピーボディは譲らない。ソルトは罠だと主張するが、結局、取調室の隣の部屋に軟禁されることになる。

 彼女はそんな自分の陥った状況よりも、夫マイクの方が心配だった。自分に災いが降りかかるということは、自分と深い関わりを持つ人物…マイクにも危害が及ぶ可能性があるからだ。

 さて一方、取り調べを終えたオルロフはといえば…別の場所に移送される途中、建物内のエレベーター内で職員二人をあっという間に殺し、まんまと建物から逃走を図る。

 そんな予想外の事態にテッドとピーボディが気をとられているうちに、今度はソルトが取調室から抜け出した。これにはピーボディも慌てる。建物内のモニターカメラと防犯設備を駆使してソルトの逃亡を阻止しようとするが、ソルトはあの手この手で何とか切り抜ける。ついにはテッドが避けたかった狙撃部隊投入まで発展するが、ソルトは部屋にあった薬品類や家具などを使って即席のバズーカ砲を製作。パニックの騒ぎに乗じて、これまた見事に建物から脱出してしまう

 果たしてソルトは罠にはめられたのだろうか、それとも本当にダブル・スパイなのか?

 

見た後での感想

 実は映画の発端部分は、すっかり予告編で見せられた通りだ。あれってほとんど導入部のダイジェスト版に近い。だからそのあたりは予告編をなぞっているような印象で、正直いって予告編で「見せすぎ」てる印象がある。

 しかし、実はこの映画の真価はアレ以降にある

 アンジェリーナ・ジョリーがアクションで大活躍…だの、捨て身のアクション…だのって宣伝文句は、たぶんみんな何度もお目にかかって、今さらオドロキもしないだろう。実際、ここんとこの彼女はアクションが売りだったことが多いから、それも当たり前って言えば当たり前。

 しかしこの作品での彼女は、マジメな話、本当に捨て身のアクションを見せる。

 一番ビックリしたのが、走っているクルマからクルマへと飛び移る場面。もちろんワイヤーとか使ってるんだろうし、CGだって補正のために使っているんだろう。カット割りやアングルでごまかしてもいるんだろうが、それにしたってほぼ実写の凄味が出ている。ホントによくやってるのだ。

 また、そこに至るまでの彼女の活躍ぶりも素晴らしい。

 戦いのプロらしく、その場にあるモノで対処していく。職場に置いてある救急箱のクスリやら家具の脚などで、即席のバズーカ砲みたいなものをこしらえるあたりは笑える。そしてあの手この手で追撃してくる追っ手を撃退。まんまと逃げおおすあたりの鮮やかさ。何だかコマンドー(1985)のシュワとか96時間(2008)のリーアム・ニーソンみたいに、めったらたらにマンガみたいに強くて嬉しくなる。ホントに骨身惜しまぬ運動量なんで、ただただ応援するしかないのだ。

 僕は元々、アンジェリーナ・ジョリーが好きではない。中でも一際興味がなかったのが、彼女がアクションを演じた映画だった…というのは、先に語っていた通りだ。では、なぜ僕は彼女のそういう映画が好きじゃなかったのか? 今回の作品を見て、僕はようやくそのナゾが解けた。

 今までのアンジェリーナ・ジョリーだと、どうも「アタシ、カッコイイでしょ?」「アタシ、いい女でしょ?」的な雰囲気が先に立ってしまって、正直言ってそれで退いていたところが多かった。それはそれでファンにとってはいいのかもしれないけど、何だか見ていて「愛嬌」を感じなかったのだ。

 それは別に「女」だから…ということではなくて、男のスターだって「愛嬌」は必要だ。それはユーモアでもあるし、人間味でもある。親しみでもある。それがなくて、いつもカッコイイだろって一方的に見せられるのは、正直言ってシラケちゃうわけだ。人じゃないみたいなのだ。

 僕は今まで、アンジェリーナ・ジョリーにはそういう丸みというかうま味というか、人間らしい味を感じたことがなかった。

 だから生きようが死のうが、どうなろうと知ったこっちゃない。出演作だって見たくもなかったわけだ。まぁ、共感も何にもわかない人間を見たいという気はしないわな。

 ところが、今回の彼女にはそれを感じた

 あまりにも骨身惜しまぬアクションなので、いつもの余裕たっぷり、カッコイイでしょいい女でしょ的アクションには見えない。そんなポーズつけてる余裕がない。次から次へとやって来る危機に、ただただ対処していくしかない。だから、いつもチラつく「ええカッコしい」のイヤミも感じられない。確かにやたらに強いことは強いが、そのテンポもスピードも速すぎるので、大見得切るヒマさえないのだ。

 それが功を奏している。

 とにかく目一杯頑張ってる彼女を見て、見ていてついつい応援したくなる。僕は初めて、アンジェリーナ・ジョリーがイイ…と映画を見て思ったよ。

 そのあたり、この作品を誰が撮ったんだろう?…と気になって見てみたら、なるほど〜。監督名を見て、僕は妙に納得しちゃった。

 何とこの映画、久々のフィリップ・ノイス監督作品ではないか。

 

紆余曲折、酸いも甘いも噛みしめたフィリップ・ノイス

 フィリップ・ノイス…という名前を聞いて「おおっ?」と来る人は、たぶんそう多くないかもしれない。

 実際に素晴らしいヒット作や傑作が、フィルモグラフィーにゴロゴロしているわけではない。どっちかというと日本にはハリウッドの凡百職人監督として入ってきたようなところがある。

 たぶん、初めて日本に紹介された監督作品は「パトリオット・ゲーム」(1992)だろう。このハリソン・フォード主演のジャック・ライアン・シリーズでは、もう一本「今そこにある危機」(1994)も撮っている。これらはそれぞれヒットしたようだが、正直言って僕には大して面白い映画に思えなかった。

 そして僕には致命的な一本、シャロン・ストーン主演のエロ・サスペンス「硝子の塔」(1993)もあった。「のぞき」が題材の下卑た内容で、ハッキリ言ってシャロン・ストーンのエロ場面だけが売りの作品。この時点で、僕にとってフィリップ・ノイスは典型的ダメ監督という印象。その後の「セイント」(1997)も今ひとつな感じで、凡作連発のまま消え去る人と思っていた。

 ところが、この人はそれで終わらなかったから世の中分からない。突然、サイコ・サスペンスボーン・コレクター(1999)で意外なまでにイイ味を出して、僕をビックリさせたのである。

 この作品、結構知っている方も多いのではないだろうか。連続猟奇殺人犯に立ち向かうため、事故で首から下が動かなくなった元・刑事が知恵の限りを尽くして推理する。その手足になって現場に出掛ける若手婦人警官と、電話回線だけで犯人に迫っていくお話。これがサスペンス映画としても出色なら、猟奇殺人…という題材にも関わらずエンディングの後味も爽やか。何とも味わい深い一編となった。

 で、この映画の主演が寝たきり元・刑事にデンゼル・ワシントン、そして婦人警官に…今回好演ぶりを見せていたアンジェリーナ・ジョリーという布陣。すでにこの時から、アンジェリーナ・ジョリーとフィリップ・ノイスは抜群の相性の良さを見せていたのだ。

 僕はこの「ボーン・コレクター」の出来栄えに、すっかりフィリップ・ノイスの腕前を見直した。やりゃあできるじゃないか…と思ったわけだ。

 しかしながらフィリップ・ノイスは、決して僕ごときにそんな事を言われなければならない監督ではなかったようだ。この人は元々オーストラリアの出身で、向こうでそれなりの実績を積んでハリウッドに招かれたという経緯があるらしい。

 確かに一時ハリウッドは、ジョージ・ミラーやらピーター・ウィアージリアン・アームストロングロジャー・ドナルドソンなど、オーストラリアやニュージーランドの監督をどんどん輸入して作品を撮らせた(その潮流は、最近のピーター・ジャクソンあたりにまでつながっていく)。この人もそういう波に乗っかって、ハリウッドまで流れ着いた人の一人なんだろう。しかし、決して一発屋やマグレなどでは、ここまでやってこれたはずもないのだ。ニコール・キッドマン主演の「デッド・カーム」(1988)という評価の高い作品もある。腕は確かなはずなのである。

 それが証拠に、フィリップ・ノイスは次に思いがけない作品を引っ提げ、僕らの前に現れた。それが母国オーストラリアで久々に撮った裸足の1500マイル(2002)である。

 白人たちの手で母親から引き離されたアビリジニの少女たちが、白人の追撃をかわしながらオーストラリアの大陸を縦断する形で故郷を目指す。オーストラリアの人ノイスならではの、オーストラリアのドラマ。これには正直驚いた。あの「硝子の塔」みたいな大味映画をつくっていた人がねぇ…。

 さらに決定打となったのが、マイケル・ケイン、ブレンダン・フレーザー主演の愛の落日(2002)だ。これはハリウッド資本の作品ながら、制作主体はやはりオーストラリア。グレアム・グリーン原作の映画化作品で、ベトナム戦争前夜のベトナムを舞台にした作品。それは、どこか同じオーストラリア出身のピーター・ウィアーが1965年のインドネシア動乱を描いた「危険な年」(1983)と同じような感触を持っていた。つまりは、アジアと地続きであるオーストラリアの「環太平洋」的視点で描いた作品だったのだ。

 そしてこの2作は、ノイスのオーストラリア人としてのアイデンティティーがうまく活かされただけでなく、人間を描く手つきのデリケートさでも傑出していた。とても…何度も引き合いに出して気が退けるが…「硝子の塔」の監督の作品とは思えない繊細さを見せていたのだ。

 そんなわけで今回の「ソルト」は、フィリップ・ノイスが久々にアメリカに再上陸して撮った作品ということになる。その前のハリウッドでの一連の仕事は、ハッキリ言って「ボーン・コレクター」以外は見るべきモノがなかった。そして母国オーストラリアで「仕切直し」をしての再上陸…。

 それなりに辛酸をなめ、紆余曲折を経て来たノイスのこれまでの経緯を考えてみると、本作の出来栄えには何とも感慨深いものが感じられるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見た後で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デリカシー溢れる語り口が活かされたスパイ映画

 そんなフィリップ・ノイスの新作「ソルト」は、過去の彼のハリウッド作品群と比べて、ドラマづくりの厚みに格段の違いが感じられる。

 作品の印象は…というと、身に覚えのない濡れ衣を着せられ、窮地に追い込まれながら真相に迫る…ぶっちゃけ言うと実は微妙にそれとは違うのだが…という展開が、どこかケビン・コスナー主演の「追いつめられて」(1987)と似たような印象を抱かせる。

 あわや世界的規模の核戦争勃発…というところまで大風呂敷を広げ、その中心にはアンジェリーナ・ジョリーの派手なアクションを持っていきながら…どこか妙にオールド・ファッションなスパイ映画の味も漂わせているあたりが、僕あたりの年季の入った映画ファンには嬉しいところだ。

 正直言って途中でトリックがミエミエになっちゃう部分もあって、脚本はいささか弱い部分もある。それでも「オーストラリア復帰時代」を経たフィリップ・ノイスのデリカシー溢れる語り口が、この映画を大味アクションになるところから救っている。

 中でもそれが顕著なのが、この映画の幕切れだ。

 テンヤワンヤの末に米大統領は救われ、核戦争も回避できた。すべてはソルトのおかげなのだが、皮肉にもそれを証言できる人物はすべて彼女の手によって殺された。真相はヤブの中だ。そしてソルトは「犯人」として捕らえられた。もはや彼女は無実を証明する術がない。

 それまで彼女がすべての元凶だとばかり思い込んでいたCIAのピーボディは、やっと真相に思い至って愕然とする。しかしソルトは平然とこう語るのだ。「でも、誰かがやらねば」

 ところがそれを聞いたピーボディはいきなり彼女の手錠をはずし、黙って護送中のヘリコプターから脱出させるのだ。

 このあたり、イマドキ映画ファンなら「甘い」とおっしゃるかもしれない。リアリティに欠けるとおっしゃるかもしれない。あるいはもっとひねた発想で、シリーズ化を狙いやがったと思うかもしれない。いやはや、まったくごもっとも。

 それでも僕は、このエンディングが気に入っている

 例えばジョン・フォードの駅馬車(1939)を思いだしていただきたい。この作品では、悪党を片づけて自首してきた無法者リンゴー・キッドと酒場女を、何と保安官が公然と馬車に乗せて逃がしてやる…というのが幕切れだ。あまりにアッケラカンとした、唖然とさせられるほどのハッピーエンド。

 本来、法律より何より「正しいこと」を優先するのが、アメリカ映画の伝統だった。

 この作品には、そんなアメリカ映画の良質な部分が生きている。これを甘っちょろいとおっしゃる方は、申し訳ないがアメリカ映画を分かっていない。これが、これこそがアメリカ映画なのである。

 そして、全身マヒの元・刑事を絶望の淵から救ったり、か弱い少女たちを故郷に無事に帰還させたりしてきたフィリップ・ノイスならではの…人情味と思いやりに溢れた結末だとも思うのだ。

 

見た後の付け足し

 すっかり言いそびれてしまったが…感想文の冒頭にも述べたように、この映画ではポーランドが生んだ国際スター、ダニエル・オルブリフスキーの勇姿が久々に見られる。

 かつてアンジェイ・ワイダとの名コンビで売ったオルブリフスキー。その魅力の一端は、僕も本サイトの「Time Machine」ダニエル・オルブリフスキーの巻語っているのでご一読いただきたい。

 この人ってだいぶ昔から国際的に活躍していたが、アメリカ映画はフィリップ・カウフマンの「存在の耐えられない軽さ」(1988)以来わずか2作目。アメリカ本土で撮影したいわゆるハリウッド映画としては今回が初めてだ。

 こんな名優を久々に見ることができるのも、この作品の大きな魅力のひとつだろう。ぜひこの点でもご注目いただきたい。

 

 

 

 

 

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