「インセプション」

  Inception

 (2010/08/02)


  

見る前の予想

 この夏随一の大作…日本映画なら「踊る大捜査線」の3作目あたりになるんだろうが、洋画だったら断然この作品だろう。だいぶ前から予告編もバンバン劇場で流れているし、テレビでだって宣伝している。

 主演はレオナルド・ディカプリオ。それだけで、昨今のハリウッド映画なら「大作感」が漂う。おまけに今回は彼を取り巻くメンツもかなりの豪華さで、な、何と(500)日のサマー(2009)の好青年ジョゼフ・ゴードン=レヴィットジュノ(2007)で一躍注目を集めたエレン・ペイジ「エディット・ピアフ/愛の讃歌」(2007)でアッと驚くオスカー受賞以来ハリウッドづくマリオン・コティヤールといった「旬」の俳優たちから、プルートで朝食を(2005)などでいい味出してるキリアン・マーフィ、いまや重鎮めいた雰囲気さえ漂うマイケル・ケインに、お懐かしやトム・ベレンジャーなんてところも出ている。何よりここ日本では、渡辺謙の出演が話題となるところなんだろう。

 広告の宣伝コピーでも「この夏、ディカプリオと渡辺謙がお前の頭へ侵入する」と来る。お客を「お前」呼ばわりってどうなんだ…とか、じゃあジョゼフ・ゴードン=レヴィットやエレン・ペイジは侵入しないのか…とか言いたいことはいろいろあるが(笑)、ともかくこの映画の日本での「売り」は、レオ様とケン・ワタナベの共演ということらしい。

 ケン・ワタナベねえ、ケン・ワタナベかい…。沈まぬ太陽(2009)でも英語題名が付いているわけでもなく、他の出演者に英語表記がされているわけでもないのに、ポスターのてっぺんには「KEN WATANABE」と書いてある「ハリウッド・スター」ぶり(笑)。アレは端で見てても恥ずかしかった。この人、日本で言われているほどハリウッド・スターなのかい。

 今回も何とレオ様に次いでビリング2番目というすごいポジションに名前が出ているが、これって実は「日本仕様」で、本国じゃ違うんじゃないのか? 何しろこの映画の監督クリストファー・ノーランとはバットマン・ビギンズ(2005)でも組んでいるけど、その時のケン・ワタナベの役柄たるやひどかった。おまけに出演時間もほんの数分間(涙)。とてもじゃないが、「ディカプリオと渡辺謙がお前の頭へ侵入する」…を額面通り信用できない。どうなんだろねぇ?

 そうそう、この映画の監督はクリストファー・ノーランなのだった!

 うへ〜。クリストファー・ノーラン。クリストファー・ノーランと来れば、あの大ヒット作ダークナイト(2008)の名を挙げなくてはなるまい。ヒットしただけではなく、世間でも大いに評価されたあの作品…しかし僕はどうしても、あの映画を好きになれなかったのだ。好きになれなかっただけではない。むしろ実にイヤ〜なモノを感じた。

 そしてそれは、クリストファー・ノーラン作品にある程度共通するものではないかとも思われるのだ。

 何がイヤかというのは詳しくは後述するが、その作品の持つ「インチキ臭さ」「胡散臭さ」と、にも関わらずうまいこと見る者を丸め込んでしまう「もっともらしさ」だろうか。

 いや、映画だからインチキやウソで結構なのだが、それをシリアスで深刻な顔をして「もっともらしく」「大げさに」見せかける手口がいやらしいのだ。

 だとすると今回のこの作品、ますますそんなノーラン節が冴え渡ってしまいそうではないか。何でもディカプリオが他人の夢の中に入って、アレコレやらかす話らしい。おそらく夢と現実、虚実入り乱れる話になるに決まっている。時制をバラバラに解体してユニークなドラマを創り上げた、出世作のメメント(2000)にも通じる題材ではないか。

 いかにもノーランらしい。つまり、ヤバイ。

 しかしその一方で、僕は予告編のトンデモ映像にどうしようもなく惹かれているのだった。何だか街が途中から折れ曲がって、空中に向かってグワ〜ッと持ち上がっていく映像。アレは一体何だ?

 かと思うと、みんなが空中にプカプカ浮いている変な場面もある。コレも一体何だろう?

 ディカプリオがパリのカフェみたいな所で平然と座っているが、周囲ではドッカンドッカンと派手な爆発が起きている…という、何とも妙な場面もある。

 海辺スレスレまで広がっている高層ビル群が、ガラガラと瓦礫になって崩れ落ちている場面もある。

 クリストファー・ノーランだのインチキ臭さだのって要素には嫌悪感を感じながら、あの予告編映像には、問答無用に映画ファンとして惹き付けられる。もちろんディカプリオを筆頭にした超豪華キャストも魅力だ。

 「きっとコケおどしさ」「インチキに決まってる」…。

 しかも「メメント」っぽく虚実入り乱れた構成になるのなら、ゴチャゴチャして見ていて混乱してくる映画に違いない。そしてゴチャゴチャな構成のドサクサに紛れて、見ている者をいつものように騙すのだろう。実際は大した話でもないくせに…。

 でも、どうせ見たらガッカリ…に決まっているのに、それでもこの映画は見たい!

 そして見るならネタバレなんか問題外。世間でみんな見ちゃってからではなく、誰よりも真っ先に見てみたい。

 ところが現在の僕はムチャクチャな忙しさで、連日なかなか映画館に行けない…という状況。見たくても見れない映画が目白押しという中、当然この作品もなかなか見れるわけがない。

 そんな金曜日の夜、ぐったり疲れて映画なんか見たら寝ちゃいそう…という悪条件下、大いに迷いに迷った挙げ句、僕はあるシネコンのオールナイトに足を運んだ

 結局、見るのを決断したのは、この日を逃したら当分見れないかも…という懸念から。しかし、正直言って眠いし全身がけだるい。頭も重いし目も疲れてる。いかにもゴチャゴチャした内容で、それでなくてもシンドそうな映画だ。これで愚作だったら目も当てられない。他にも見たい映画はあるのに、時間の無駄だけじゃ済まされない。

 そんな重たい身体と気持ちを引きずって、無理矢理この作品を見に行ったわけだ。

 

あらすじ

 海岸に打ち上げられた一人の男…コブ(レオナルド・ディカプリオ)。見付けた男たちは、コブが銃を身につけているのに目を留める。男たちの言語は日本語だ。

 豪華な日本風の御殿の中、一人の老人の前に引きずり出されるコブ。コブの所持品として出されたモノの中には、一個の小さいコマがあった。

 「私はかつて、オマエのような男とこのようなモノを見たことがある…」とつぶやく老人。その老人を前にして、コブは何か重要なことを言いたげな表情だ…。

 それからどれだけ長い時間が経ったのか、それともどれだけ長い時間を遡ったのか。コブは同じ日本風の御殿の一室で、ある日本人の「大物」と向き合っていた。その男の名はサイトー(渡辺謙)。コブは相棒のアーサー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)と共にテーブルを囲み、サイトーに彼らの「ビジネス」のプレゼンテーションを行っていた。

 「オレたちは、アイディアを盗む」

 まだカタチになる前のアイディアを、他人の頭の中に入って盗む。それがコブとアーサーの仕事だ。超大物企業家であるサイトーに、彼らは自分たちの実力を売り込んでいるのだ。しかし、今ひとつ色よい返事がもらえない。

 それでも、コブもアーサーもめげていなかった。

 サイトーの御殿には数多くのゲストが招かれ、時あたかもパーティーの真っ盛り。コブとアーサーはそのパーティを楽しんでいるようなフリをしながら、実は目的はまったく別のところにあった。ところが、そんな二人が思わずギクリとする瞬間が…。

 パーティーの招待客に混じって、二人の馴染みの美女モル(マリオン・コティヤール)の姿が見えたのだ。しかし、なぜコブとアーサーは彼女の姿を見て動揺したのか?

 その場でアーサーと別れたコブは、モルに近付いて話しかける。いかにも古なじみで…どうも過去にワケありだったようなコブとモルの会話。コブの表情に苦悩と当惑の色がにじむ。

 そんな夜も更けた頃、コブは御殿の一室に忍び込み、金庫を開けて中の封筒を盗み出す。そう…先ほどサイトーに語った「アイディアを盗む」話は本当だった。ただし、盗む相手はそのサイトーだったのだ。

 ここは夢の中。そして夢の中でサイトーの秘密の情報は、彼の御殿にある金庫の中にしまい込まれていたのだ。コブはそこから情報を盗み出し、まんまと逃げおおせるかと思ったその時…。

 サイトーが銃を持って現れた!

 その傍らには先ほどのモル。彼女がコブの犯行をサイトーに教えたのだ。このモルという女、コブに恨みでもあるのだろうか? そもそも二人の関係とは?

 そんなこんなしているうちに相棒のアーサーも捕まり、二人の運命は風前の灯…。モルはアーサーに銃を向ける。

 「情報を渡しなさい! さもないと」

 「殺してみろ。夢の中なら、ただ目が覚めるだけさ

 「でも、苦痛は感じるわよね?」

 モルはアーサーの脚を撃ち抜く。だが次の瞬間、コブはためらいなくアーサーの眉間を撃ち抜いた!

 アーサーはいきなり目覚める。ここは南米の某都市とおぼしき場所。今まさに暴動が起きようとしているらしく、あちこちで火の手が上がりつつある。そんな街のある一室で、アーサーは腕に細いチューブを付けて椅子に座っていた。同様に腕にチューブを付けたコブとサイトーが、まだ眠ったままの状態で椅子に座っている。部屋にはもう一人、コブやアーサーの仲間らしき若い男もいた。

 一方、夢の中のコブはといえば、まんまとサイトーたちの手から逃れて、御殿の中を走っていた。まんまと手に入れたはずのサイトーの情報。しかしコブが封筒を破って中を見ると…入っていた書類は、すべて肝心な部分が塗りつぶされているではないか。

 失敗だ!

 しかもターゲットのサイトーに「夢の中である」と気取られてしまったことから、夢が徐々に崩れ始めた。天井から壁から御殿が崩壊していく。このままではマズイ。

 椅子に座ったまま眠っているコブを、座ったままひっくり返して水を溜めたバスタブに落とす

 巨大な御殿の中を逃げ回るコブ。その御殿の壁から天井から水が噴き出し、あたりは一気に水浸しだ!

 水の中に落ちたコブは、ようやくそのショックで目が覚める。目覚めて抵抗したサイトーを何とか抑えつけたコブは、今度こそ情報を手に入れようとするが…。

 「これは、夢のまた夢か?」

 何とサイトーに、この南米の街も夢の中の出来事だ…と気づかれてしまった。そうなると、これ以上長引かせても仕方がない。コブとアーサーとその仲間の若い男は、さっさと夢から覚めてしまった。

 現在、コブ、アーサーと仲間の男、そして眠っているサイトーの4人は、日本が誇る新幹線の爆走する車内にいる。残念ながら、サイトーから情報を盗み出すのは失敗だった。コブとアーサーは、慌てて新幹線車内から立ち去り姿をくらます。

 今回のミッションは徒労に帰した。東京都内の高層ホテルの一室に、身を潜めているコブ。そこに思わぬ相手からの電話が…。それは、幼い姉弟からの電話だった。

 子どもたちはコブのことをこう呼んだ。「パパ!」

 いつ家に帰ってくるの?…という子どもたちの問いに、満足に答えてやることができないコブ。実はコブはある事情から、故国に帰ることができない身になってしまっていた。そんな我が身を呪い、やりきれない思いに陥ってしまうコブ。

 さらに子どもたちから「ママはいつ帰ってくるの?」と聞かれて、絶句してしまうコブ。「ママは遠くに行って、帰ってこないんだよ…」

 それでも彼は落ち込んでグズグズしているワケにはいかない。作戦失敗を知ったコブたちの雇い主が、彼らをこのまま見過ごすわけがない。身の危険を感じたコブとアーサーは、ビル屋上のヘリポートからヘリに乗って、今まさに高飛びしようとしていた。ところがヘリの中には、思わぬ人物が待ち構えているではないか。

 サイトーだ!

 サイトーはコブとアーサーの仲間の若い男を捕らえて、すべてを吐かせていた。奇妙なことにサイトーは、コブとアーサーを捕らえるつもりはないようだ。それどころか、ここまでの一幕はすべてコブとアーサーの実力を試したかったからだという。サイトーは、どうやらコブに仕事を頼みたいらしいのだ。では、彼に頼みたい仕事とは?

 「インセプションだ!」

 それを聞いて、即座に断るコブ。インセプション…それは相手の頭からアイディアを盗むのではなく、相手の頭に何かの考えを植え付けること。当然、その方が困難を極める。成功例も数少ない。

 それにしても、サイトーは誰に、どんな「インセプション」を行おうというのか?

 サイトーが挙げたターゲットは、巨大エネルギー企業トップの御曹司ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィ)。病に伏せってもうすぐ世を去るであろう父親(ピート・ポスルスウェイト)から、この企業を受け継ぐことになっている。そんな御曹司ロバートに、「父の遺産である巨大企業をつぶす」という考えを植え付けようというのだ。だが、そう事はうまく運ぶモノではあるまい。

 ヘリから降りたコブとアーサーは、サイトーの依頼にまるで乗る気がなかった。しかしサイトーは、そんなコブの気持ちを見透かすように、断りがたい条件を持ち出した。

 「君を帰国できるようにしてやろう!」

 そんな申し出に、ついつい拒めなくなってしまうコブ。それは子供たちの元に帰りたい一心からか、それとも「夢を操る盗人」として手応えのある仕事に取り組んでみたい誘惑に負けたか。アーサーは無茶だと止めたが、もうコブは引き下がれない。かくしてコブとアーサーは、その足で即座にパリへ向かった。

 そんなコブがまず足を運んだのは、とある大学の講堂。そこにいたのは、大学教授のマイルズ(マイケル・ケイン)。ふたりは旧知の仲のように語り合っていたが、それもそのはず。マイルズはコブの子どもたちの「おじいちゃん」…つまりコブの義父だ。そして、彼のかつての「師」でもあったようだ。

 コブが今回マイルズのもとを訪れたのは、彼の教え子から「設計士」になれる人間を推薦してもらいたいからだった。果たしてコブの仕事における「設計士」とは…?

 非合法な仕事に教え子を紹介することに躊躇をおぼえながらも、マイルズはコブに一人の若い女の子を紹介する。その女の子アリアドネ(エレン・ペイジ)は、コブの謎めいた申し出に興味を持った。

 夢の中ならどんな建造物でも街でも、いかなる環境でも創り出すことができる。建築専攻の学生だったアリアドネは、コブに「夢」の中でのルールや振る舞い方を教わりながら、すぐにこの仕事に魅了された。それと同時に、「夢」の中にいきなり現れたナゾの女モルの存在に、コブが抱える潜在的なトラウマの危険性を喝破する。こんな危うい問題を抱えた男が、このプロジェクトの中心人物で大丈夫なのか? これは確かにコブの痛いところを突いてくる指摘だった。

 モルはコブの妻だった。今はこの世の人ではない。ある不幸な出来事からこの世を去り、それ以来、コブのトラウマとなってしまっている。コブが自分で夢の世界を創造せず、他の「設計士」を必要としているのは、このためだ。

 さらにコブは今回の計画を実行するため、夢の中で姿を変えられる「偽造師」としてイームス(トム・ハーディー)を、何層もの入り組んだ深い夢を見させることができる、強烈な薬の「調合師」にユスフ(ディリープ・ラオ)を抜擢。そこにサイトーも「インセプション」が成功したかどうか確認したい…と、「夢」の同行者に割り込んでくる。

 こうして御曹司ロバートを「夢」に引っ張り込む計画が、着々と進んでいったのだが…。

 

クリストファー・ノーランの持つインチキ臭さ

 このサイトを長くご覧になっている方なら、僕がクリストファー・ノーランに対していい思いを抱いていないということは、よくご存じのことと思う。

 このノーランとマーク・フォースターの2人の監督は、近年世間の評判がすこぶるイイにも関わらず、僕がどうしても気に入らない2大映画作家。いくら世評がよく作品がヒットしたとしても、僕は彼らに何となく胡散臭さを感じてしまうのだ。

 しかし…いくら毎度毎度ブッ叩いていても、僕は決して最初からクリストファー・ノーランを目の敵にしていたわけではない。むしろ最初の頃は積極的にホメていたし、大いに感心していたくらいなのだ。

 そう、確かに「メメント」の時は感心した。時制をバラバラに解体するという、その抜群のアイディアと構成力が素晴らしかった。しかも時制を解体したことで見えてくる、「人生の真実」みたいな味わいが絶妙だった。ラストの哀愁みたいなモノが気に入った。

 次のインソムニア(2002)はカッタルかったけど、寝不足特有の不快感だけは実感できた。ユニークな題材で「変な感じ」を観客に体感させるという点で「メメント」と一脈通じるところがあったし、あれが「芸風」なんだろうと納得もした。

 ところが「どうもこいつオカシイなぁ」と思わされたのは、世間では好評だった「バットマン・ビギンズ」からだろうか。アメコミ映画化をシリアスにつくったとホメちぎられたが、そもそも僕はそんなモノにまったく価値が見い出せないのだった。アメコミをシリアスにつくるとそんなにエライの(笑)? そもそも、登場人物がみんなムッツリした顔をしてるだけで、ホントにあれがドラマとして「シリアス」だったのか?

 それより何より、単純に「面白くなかった」。アレ、ホントにみんな面白かったのか?

 そんなノーランの「化けの皮」が完全にはがれたと思えたのが、マジックの芸人を描いたプレステージ(2006)。そもそも初お目見えの「メメント」の時からユニークで刺激的なスタイルの作風のノーランだったが、ここでのお話とその結末はもはや「トンデモ」…の領域。ハッキリ言って人間を描いた作品としてはムチャクチャな展開になっていた。

 それなのに、描く手つきはまるで「人生の真理」を描いているとでも言いたげなシリアス風。登場人物たちもニコリともしない大マジメなツラで、やたら大上段から振りかぶる語り口。役者たちの選択もセンスが良くてイイ役者ばかり揃えているので、描いている事のムチャクチャさがもっともらしく見える。でも、それってイカサマじゃないのか

 しかし世間はまたダマされた。いや、それからもっとデカいイカサマ映画がやって来る。新生バットマン・シリーズ第2作「ダークナイト」

 この映画、悪役を演じたヒース・レジャーが直後に悲劇的な死を遂げたことから、誰もこの映画も彼の演技も悪く言えなくなってしまった。ならば僕がハッキリ言ってやろうか。別にこの映画が世紀の愚作とも思わないし、レジャーの演技も悪いとは思わないが、世間の絶賛ほどには素晴らしいと思えない。

 何しろバケツの底が抜けたような大絶賛。つまらなくはなかったよ。だけど善と悪の本質を描いた作品…とか、哲学的な内容を持った作品…とか、おいおいおいおい、本気で言ってるのかオマエら? 「哲学」って何だか分かってるのか(笑)。困ったもんだよホントに。レジャーの演技だって名演とかホメちぎられているけど、ぶっちゃけエキセントリックさが目立つだけ。あの手の演技は「熱演」がハッキリ見える。ヘタとは思わないが、レジャーだったらもっとイイ演技が他にいくらでもあるだろ。何であんなコケおどし演技を「生涯最高の演技」にしちゃうんだ。

 そう、コケおどし

 クリストファー・ノーランの映画には、常にこれがつきまとう。先に僕はノーラン作品の特質を、「インチキ臭さ」「胡散臭さ」と、にも関わらずうまいこと見る者を丸め込んでしまう「もっともらしさ」と断じた。だがノーランの最も罪深いのは、そんなところではない。

 もちろん…その時にも語ったように…映画だからインチキやウソで大いに結構だ。大風呂敷を広げても一向に構わない。むしろ、それが映画というものだ。

 しかしノーランは、あくまでそれをシリアスで深刻な顔をして「もっともらしく」「大げさに」見せかける。インチキはインチキでいいし、バカバカしいならバカバカしいで構わないのに、それを「さも素晴らしげ」に見せてしまう。

 「大したことがない」モノを「大層なモノ」「立派なモノ」に見せかけてしまうウソ臭さ。

 しかも僕にとって許し難いのは、それを観客の楽しみのため…とか、作品の面白さのため…ではなく、どうも作者ノーラン本人のハッタリのために貢献させているという点だ。

 「マジックの素晴らしいトリックで芸人の壮絶な業を描き抜いたオレ」、「アメコミ原作映画で善悪の真実を描いているオレ」、「哲学的内容まで肉薄したオレ」…という自己満足、自己顕示、優越感…などなどのために、それらは行われているように思えるのだ。

 さもなければ、人間としての本能に逆らった行動をしてまで芸の神髄を演じよう…なんてムチャクチャで不自然なドラマ設定がされるわけがない。バットマンの恋人があっけなく劇中から大した役割も果たさず退場させられ、それに対してバットマンは大して悲しみもしない(一応悲しんでは見せるが、本来あんなものではないだろう)…という作劇が行われるわけがない。そこには一見ありそうに見える「真実」など、本当はカケラもない。ノーランは作品も作品の登場人物も、さらには作品を見てくれる観客も愛していない。愛しているのは自分だけだ。

 それが、たまらなくイヤなのである。

 結局、何だかんだ言って、大金と多くの人々の知恵と努力を使って、観客から入場料と2時間余りの時間を奪ったあげく、「オレはエライ」「オレは利口だ」としか言っていない。それが何とも情けないのである。

 それがハッキリ露呈すればまだいいものを、一見こいつが言っていることはもっともなように見える。本当に「エライ」し「利口」であるかのように見えるのだ。セコい、汚い、ズルい。そこが男らしくないのである。

 正直言って今となっては、あれほどホメちぎった「メメント」でさえ、アレは奇をてらったテクニック的なものを取ってしまったら、意外に凡庸な作品ではなかったか…という気にさえなってきた。最初に偶然あの作戦で成功してしまったので、これからは奇策を繰り返してイカサマで稼ごうと思い立ったのではないか、そんな気がする。

 だとしたら、今回はノーランはディカプリオ以下の豪華キャストとあの奇妙キテレツな映像を使って、一体何をやらかしているのか。とてつもなく天狗の鼻を高くして、エラソーなことを言ってるのではないか。

  

見た後での感想

 というわけで、予告編のすごいイメージと、クリストファー・ノーランへのイヤなイメージという相反する第一印象を抱えながら、決していいコンディションと言えない状態でスクリーンと対峙したわけだ。

 もう、もったいつけずに結論から言ってしまおう。

 面白い! 意外にも僕は気に入った。

 ただし、おそらく世間の人々が思っていたり、ホメている批評で言っているような意味では、僕はこの映画を評価していない。

 劇場パンフではデカプーにケン・ワタナベなど蒼々たるキャストのみなさんが、それぞれに「夢と現実」がどうだとか「複雑な心理」がどうだとか、もっともらしいことをマジメくさって述べている。ハッキリ言ってこれらのコメントはどれもこれもまったくマトはずれだ(笑)。

 そして僕が最初にこの作品に思っていたようには…この映画は複雑な構成をとっていない。いや、夢が何層にも重なって出てくるので複雑そうに見えてるものの、それ自体は意外に単純でどうってことはない。それはむしろ見せ場を多くしたいがために設定されたものだといえる。

 予告を見ても本編を見ても、登場人物はみんなマジメくさった顔をしている。ディカプリオは十八番の眉間にシワ寄せ演技をまたまたやっているし、深刻極まりない顔をしている。だから頭が痛くなるような複雑な映画で、しかもシリアスなことを取り扱っているかのように思える。しかしハッキリ言って、この映画の本質はそんなものではない。

 この映画はバカ映画だ(笑)。

 もう一回言おう。深刻な顔をしてマジメくさってるけど、この映画はバカバカしい映画だ。くっだらない事を大げさに、もっともらしい手つき顔つきで描いているだけ。本質はアホなホラ話でバカ話なのである。

 ホテルの部屋の中で無重力状態でプカプカ浮かんでいるデカプーたちお仲間を、ジョゼフ・ゴードン=レヴィットがヒモでくくってひとまとめにして、「よっこらしょ」とばかりに苦心惨憺してエレベーターまで引っ張っていくくだりのバカバカしさを見よ。何だか僕はチェン・カイコーのPROMISE/プロミス(2005)の中で、チャン・ドンゴンが赤塚不二夫のマンガみたいに足をドタバタさせて走っているCG合成場面を思い出した。

 マンガである。やってる方は大マジメだけど、端で見ているとまるでマンガである。

 他にも浅い階層の夢でクルマが傾いたり空中に浮いたりすると、次に深い階層の夢の中でも周囲が傾いたり無情力状態になったり…一見もっともらしく感じられるけど、よくよく考えるとバカバカしい趣向が全編に展開。例えばキリアン・マーフィーの御曹司を作戦に巻き込むために飛行機を使おうという段になったら、ケン・ワタナベが真顔で「航空会社を買った。その方が安上がりだろ?」とケロリと言ってみたり、敵に向かってバリバリ銃を撃っていたジョゼフ・ゴードン=レヴィットの横で、トム・ハーディーがデカい口径の銃をドカンと一発ブッ放し、「どうせ夢じゃねえか、派手にやったれ!」と言うあたり…ギャグじゃないのにギャグみたいな言動があちこちに連発。どう考えてもバカな映画としか思えないのだ。

 いや、これってひょっとしたらギャグなのかもしれない。これをマジメに受け取ったらいけないんじゃないか。

 これはきっと笑って楽しく見るべき映画なのだ。

 

複雑でも深淵でもないバカ映画だからこそ際立つ潔さ

 そもそもこの作品は、“「メメント」のクリストファー・ノーランが放つ、複雑な深層心理を描いた作品”…なんてシロモノじゃない。

 デカプーがエレン・ペイジやトム・ハーディーら「スペシャリスト」をスカウトしてきてチームを作り上げるくだりからして、何か過去の作品を想起させるではないか。例えば最近の例を挙げればオーシャンズ11(2001)とかもそうだろうし、トム・クルーズが「ミッション・インポッシブル」とかいって映画化する前の、テレビの「スパイ大作戦」(1966〜1973)なんぞもそうだ。

 いわゆる犯罪のチーム・プレイ映画

 特に「スパイ大作戦」の影響は、かなり顕著ではないだろうか。「スパイ大作戦」ではターゲットとなる人物をチームプレイでダマすというのが毎回の展開。ダマすための仕掛けとして、セットを作ったり小道具を偽造したり、あるいは変装したり…と、あの手この手の趣向を披露する。今回の作品では「夢」で何もかもこしらえてしまうが、いずれもダマすためのフェイクであることに違いはない。チームの中に「変装」担当メンバーがいることも同じだ。

 つまり今回の作品は、深層心理を描いた作品でも複雑に時制を分解した作品でもない。ましてや善悪の区別や哲学的内容を描いたもの(笑)などでもない。純粋にダマしゲームの面白さを追求した、犯罪サスペンス映画の一変種に過ぎないのだ。

 で、これが結果的に良かった

 今までの作品では、ムチャクチャなお話だったりバカバカしい設定だったりしていたのに、登場人物がみんな深刻な顔をして語り口もヤケに真面目くさっているので、見ている僕らも「これはシリアスな映画なのだ」とダマされた。だから「人間の哀しみ」を描いているだとか「芸人の業」を描いているだとか、果ては「善悪の境界線」だの「哲学的内容(笑)」を描いているだとか勝手に解釈されていた。

 いや…決して「勝手に解釈された」わけではあるまい。作り手のクリストファー・ノーラン自身が、そう誤解されるように作っていた。本当はくっだらない話やバカ話、トンデモ話やホラ話を作っていただけなのに、まるでもっともらしい深刻な重大事を語っているような顔をした。たぶんそれって彼の虚栄心がそうさせたのだろうが、そこにもっともらしい語り口やらセンスが良くて重厚なキャスティングなども加わって、そんな彼のハッタリが真実のように見えた。

 だから、みんなダマされてしまった

 しかし今回は、彼のバカバカしさが完全に露呈してしまっている。これがよかった。誰がどう見ても娯楽映画だ。だから、今回ばかりはいやらしいダマしが働いていない。中身の空っぽさがカラッポのままでハッキリ見えている。

 僕は、それを決して悪いとは思わない

 カラッポな映画ならカラッポでいいではないか。バカ映画ならバカ映画でいい。トンデモ映画のどこが悪いんだ。僕はそれならそれでいいと思っている。

 僕がこの映画をバカ映画といったのは、決してケナしで言っていない。むしろホメ言葉と受け取ってほしい。いや、それどころか積極的にホメている。この映画は面白いと思っているからだ。

 バカバカしい展開で、バカバカしい破天荒な絵が堂々とスクリーンに登場する。それも一流の映画人を使って、最新テクノロジーと大金をはたいて画面に出してくるのだ。ビックリするような絵をいっぱい見せてくれたし、見ている間はハラハラドキドキして見ていられた。それだけで僕は満足だ。

 派手でバカバカしい見せ場とアクションを正当化するためにこそ、「夢」という設定を考え出したのだろう。「夢」の中なら「何でもアリ」で、荒唐無稽でバカバカしいアクションも可能だ。そういう意味で、今までにないほど荒唐無稽でバカバカしい見せ場を実現するべく、「仮想現実」という「何でもアリ」な設定を作り上げた「マトリックス」(1999)の方向性と極めて似ているかもしれない。そこでマンガみたいなアクションが展開されるという趣向も、まったく同じだ。

 つくったのが「メメント」のクリストファー・ノーランだから、これは深刻で複雑、かつシリアスな深層心理の映画だと思われがちだが、まったくそんなことはあり得ない

 冒頭にちょっとだけ、終盤に出てくるエピソードの「さわり」だけ見せるという奇妙な編集を行っているが、最後まで見れば分かる通り、それはあんまり意味がない(笑)。「メメント」で時制をグチャグチャにいじったような、そこまで踏み込んだ趣向ではない。正直言うと、何でイントロであんな事をやったのかもよく分からないのだが(笑)…少なくとも見ていて混乱はしない。

 そういうゴチャゴチャしたフクザツ構成は今回はなくて、ただただ「夢」を口実に派手なドンパチが行われる映画でしかない。

 夢の階層が何段階にもなっている…という設定は、都会のど真ん中でカー・アクションをしながらの銃撃戦とか、ホテルの廊下での無重力状態での活劇だとか、雪の要塞での攻防戦だとか…そういうさまざまな趣向のアクションや見せ場を盛り込めるからだろう。というか、それだけのために考え出された設定に違いない。雪の要塞でのドンパチ場面などは、まるで「007」映画みたいだと見ていて笑っちゃった。いや、これはどう見たってシリアスにとらえられない。

 そして、このバカバカしさくだらなさは、なかなか味わえるもんじゃない。

 素晴らしいじゃないか、このホラ話っぷりは。カネをかければかけるほどバカバカしさが際立つ。この夏休み映画随一の爽快感とさえ言える。僕は疲れ切って劇場へと足を運んだが、なぜか見終わった後はスカッとして疲れも吹っ飛んだよ。文字通り、究極のエスケープ・ムービーだといえる。

 何もすべての映画が岩波ホールでかかる映画みたいに「人生」やら「社会」やらを考えさせなくたっていい。むしろ「逃避」させたり「一時の気晴らし」の方が、映画としては本来の役割なのではないか。何か誤解してるんじゃないのか岩波ホール。あまりデカいツラしないでいただきたい(笑)。

 閑話休題。

 今回の作品は、そんなクリストファー・ノーラン作品のバカバカしさ、空疎さ、アホさが完全に露呈している。意識してそうしたのか、それとも無意識にそうなったのかは分からないが、その理由は何となく分からないでもない。

 たぶんその最大の原因は、主演のディカプリオにあるんだろう。嫁さんが死んだトラウマに苛まれ、それが作戦遂行のための大きなブレーキにもなってしまう。このディカプリオの嫁さんマリオン・コティヤールがらみのエピソードは、全編にあちこち顔を出す。

 しかし嫁さん死なせたトラウマでおかしくなっちゃってるデカプーってのは、シャッターアイランド(2010)に次いで二度目。「またかよ」って気になってしまう。しかも終盤の危機が迫っている時に、嫁さんとグチュグチュ昔の恨み言を言い合ってるテイタラク。そんなことをしてる場合かよ! 途中でこの嫁さんのエピソードが挟まってくるたびに、見ているこっちはイライラしてしまうのだ。

 そしてそのたびに、ディカプリオ十八番の眉間にシワ寄せ演技(笑)が炸裂。「シャッターアイランド」でも完全にスベっていたあの一本調子のシリアス演技は、今回も相変わらず全開。「真剣に悩んでるんだぞ〜」って言いたげなあのバカでも分かるお芝居は、正直言ってシュワちゃんだって最後の頃にはやらなかったんじゃないだろうか(笑)。おまけにお話が大風呂敷広げたバカ話だから、そこで一人で深刻ぶってるディカプリオがますますバカに見えてくる

 そもそも、これほど難度が高いミッションだったら、こんなトラウマ抱えていたら危険だってことぐらい分かりそうなもの。作戦のリーダーが一番問題アリってのは、いくら何でもアホすぎないか。それなのに、想定外の事態が起きたとたんに周りのメンバーに怒る怒る。ギャーギャーわめきまくって当たり散らすこと当たり散らすこと。リーダーとしての資質のなさもミエミエだし、それ以上に男としてのケツの穴の小ささまで丸見え。

 まぁ、ハッキリ言ってバカ丸出し

 ホントはノーラン映画お得意の深刻さを前面に押し出すために、主演のディカプリオが深刻演技を押し通さなくてはならなかったところなんだろう。しかし肝心のディカプリオがバカ丸出しになってしまったため、全体のバカさも露呈してしまったということなのだろうか。

 単純にそれだけでもないだろうが、今回それが際立った理由は、デカプーのスベり演技に原因がある。そのせいか、バカさが隠しきれなくなっちゃったんだろう。

 で、結果的にそれがよかったんだと思う(笑)

 エンディングでは、主人公が現実と夢とを見極めるための小道具として何回も出てくる「コマ」がダメ押しで登場。念願果たした主人公が画面から退場した後も、意味ありげにコマが画面で回り続ける。つまりあのエンディングは、「これは現実か、それとも夢か?」ってな事を言いたいのだろう。

 実際どっちとも受け取れて、作り手もそのどちらかを観客の判断に委ねている。この手の映画じゃ「ありがち」の意味ありげなオチだ。

 しかし正直言って、それがどっちだろうと観客はどうでもいいのではないか(笑)?

 この映画のディカプリオは、言っちゃ悪いが観客にとって感情移入しづらい人物だ。主人公なのにみんなの足を引っ張るし、ここぞという時にチョンボをする。しかもやっている事、言っている事がなかなか共感できない。観客にとっては、ほとんど笑っちゃう人物なのである。だからオチがどうでもいい感じになってしまったし、映画のバカバカしさも際立ったのだ。

 とにかくそんなこんなで、くだらなさが隠すべくもなくミエミエになってしまってる。それはあまりに壮大なバカさだ。

 で、それでいいじゃないか。

 たぶんそれまでの作品だって、これに負けず劣らず馬鹿な映画だったんだろう。なのに偉そうな顔をしたくって、ノーランは必死に厚化粧をしてそれを隠した。そして、もっともらしいことを言った。まんまとダマされちゃった人も多数いたが、見る人が見ればそれは明白だった。

 だから、見苦しかったのだ。

 いいじゃないか、ノーラン。バカでどこが悪いんだ?

 頭は悪いかもしれないけど、その持ち前のハッタリとホラの吹きっぷりは見上げたものだ。それを見て爽快な気分になる人が、世界にはゴマンといる。疲れ切っていた僕だって、このバカな光景を見せつけられて、思い切り疲れが吹っ飛んだよ。

 しかも今回は、お得意のハッタリを屁理屈ではなく映像の大風呂敷で見せつけたため、バカバカしくもカタルシスのあるスペクタクルが展開した。これが今回の映画に爽快感をもたらしたのは間違いない。空疎は空疎でも、同じ空疎なら屁理屈より壮大なバカ映像を見たいに決まっている

 確かに「人生の深淵」だの「真理」だのを描いた方が、「巨匠」としてエバれるかもしれない。だけどそんな映画ばかりじゃ、お客さんだって困る。客より作り手の方がデカいツラをしているなんて、どこかの老舗の名物煎餅屋みたいだ。どう考えたってどこかヘンではないか。そんな岩波ホール映画は、やっぱり映画本来の道からはずれてるだろう。

 いいじゃないかバカ映画で。その方がみんなのためになるとは思わないか?

 本当に僕はこの映画が楽しかったし、結構気に入ってもいる。正直に言って、クリストファー・ノーランの映画ではこれが一番気に入っているかもしれない。先にも述べたが、バカ映画というのはケナしではない。むしろホメ言葉と言っていい。バカだからこそ、味わえる爽快感というものがあるのだ。

 いいんだよオマエはバカで。自分を利口に見せかけなくなっていいじゃないか。頭が悪くたって他にいいところだってある。その方がみんなの役に立つことだってあるんだ。バカであることを恥じなくたっていい。大いばりでバカぶりを世間にアピールしていいんだ。オマエはバカだからこそいいんだよ。

 今回はデカプーの演技の失態もあるだろうが、ノーラン自身も分かりやすく作ろうとしているように見えるし、どこかストレートな潔さみたいなものを感じる。バカはバカでいい…と悟ったかどうかは分からないが(笑)、それが見ていてとても気持ちいいし好感が持てる。

 あれだけカネとスターとテクノロジーを注ぎ込んで、出来上がった映画は大風呂敷な話と今まで見たこともないキテレツ映像のオンパレード。見るもアッパレな空疎さぶり。どこにも屁理屈や能書きが入り込む余地がない。「ダークナイト」なんて気持ちの悪い映画の100倍ぐらい素晴らしい映画だ。…ま、ちょっとホメ過ぎたか(笑)。

 それによくよく見ると、単にバカなだけ…ってワケでもない。

 今回の映画はアレコレ約束事がゴマンとある。例のコマがどうしただの夢の中で死ぬと目覚めるだの、でも深い夢の階層で死ぬと絶望の中で廃人になるだの…まぁ、ゴチャゴチャゴチャゴチャあれこれルールばかりある。

 もっともこれは、新しい世界観の中で話を展開しようとすると、ある程度避けられないことかもしれない。それでもこれだけゴチャゴチャ設定があると、それの説明に話がとられたり、見ている側が最後まで混乱し続ける羽目になったりする。結局映画のダイナミズムも爽快感も失われるし、何よりよく分からなくなってしまうのだ。

 しかしこの作品は、アレだけ約束事がゴチャゴチャある割には、意外にそれらがちゃんと交通整理されている。そして、最後まで混乱しないで見ていられるから大したものだ。

 あんなに単純で中味のないパイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド(2007)が、これまたゴチャゴチャと約束事ばかりで話がよく分からなくなったことを考えれば、今回の作品の複雑そうに見えてストレートな語り口の巧みさがお分かりいただけるだろう。これは簡単そうで結構難しい。これをやり遂げたクリストファー・ノーランは、ただバカなだけの奴ではない。頭に浮かんでいるアイディアはまるっきりバカそのものだろうが、それを具体化するための工夫はちゃんとある。

 キッチリやるべき時はやれるバカなのだ。

 もうひとつついでに言わせてもらうと、見る前に懸念されていたケン・ワタナベのこの作品におけるポジショニングは…意外にも、思った以上に重要な位置づけとなっていた。

 何しろこの映画でのケン・ワタナベは、全編出ずっぱりである。

 今回の作品は前述の通りメチャクチャ豪華なキャスティングで、それらを見るのも映画ファンとして楽しみではある。しかしながら、それらのすべてが適役であったかというと…単に「旬」で売れてる奴を持ってきたかったんじゃないか…と思わせる役どころの俳優もいて、正直言ってすべてが適材適所であったかどうかは「???」の部分もある。しかしながらわれらがケン・ワタナベ(笑)は、結構イイ感じで全編活躍しているのである。しかも映画のエンディング・タイトルでは、日本版チラシ同様に扱いはディカプリオに次いで2番目という好ポジション。アレは「日本仕様」ではなかった。何とも堂々たるスターぶりなのだ。

 驚くべきことだが、「ディカプリオと渡辺謙がお前の頭へ侵入する」はダテじゃないのである(笑)。

 

見た後の付け足し

 そんなワケで、空前のバカ映画として大いに楽しませてもらった「インセプション」。僕のクリストファー・ノーランに対する印象も大幅に好転。溜まったストレスも解消できて言うことナシの映画鑑賞となったわけだ。

 だがそんな「バカ映画」であるはずのこの作品に、僕は一か所だけひどく個人的な感情を刺激されたのだった。

 それは映画のクライマックスのくだり。撃たれて絶体絶命のキリアン・マーフィーを救い出すべく、さらに夢の深い階層へと入っていく主人公のディカプリオとエレン・ペイジ。ところがそこでまたまた、ディカプリオの妻マリオン・コティヤールが立ちはだかる

 正直言って緊迫した状況なのに、グダグダと今さらどうにもならない話を延々続けるディカプリオとコティヤールに、見ていてイライラさせられるばかりの場面。ハッキリ言ってくたびれ夫婦の揉め事、痴話喧嘩でしかない会話に「いいかげんにしろ!」とスクリーンに怒鳴りたくなったその時、ディカプリオが不意に言ったセリフが胸に突き刺さったのだ。

 そのセリフ自体はもうおぼろげなのだが、ディカプリオは彼の心の中の幻影であるコティヤールに、「君は彼女ではない!」と言い放つのだ。そう、彼女はディカプリオにとっては妻そのものだが、それは幻に過ぎないのである。

 そしてその時、僕はまたしても最近自分の身に起きた、気の滅入るような出来事を想起したのだった。

 それはすでに何度もここで繰り返し語ったので、読んでいる人々にとってはウンザリな話かもしれない。だが、それを僕自身が思い出してしまったのだから仕方がない。申し訳ないが、今回もちょっとだけ僕に付き合っていただきたい。

 それは、イエロー・ハンカチーフ(2008)の感想文でも書いた、つい先日まで僕が付き合っていたある女のことである。

 その女との関係がある夜、想定外のとんでもない諍いで暗転したことは、すでにその感想文で語った通りだ。それでも一端は修復したものの、なぜか僕が東京に帰って来たら、メールの返事が罵りの言葉になっていた。何が何だか分からないまま、関係は終焉を迎えたのだった。

 まぁ正直言うと、まだキツネにつままれたような気持ちでもある。急展開からこっちの彼女の言動は、正直言ってよく理解できない。しかも最後はたまに送られてくるメールの、ごく短い…しかも侮辱のメッセージしかないので、一体何が起きたのかが分からないのだ。

 それだけだと、まるで相手が発狂したかのように思えてしまう。

 特に僕が彼女と別れて東京に戻ったわずか2日の間に、たった4回だけ送ったメールに「うるさい」だの「ウザい」だのと言われても困惑するだけだ。別に何かクドクド言ったわけでもないし、責めたわけでも嘆いたわけでもない。ただ、彼女の住む街で世話してくれたことへのお礼を述べただけだ。それがそんなに気に障ったのか…?

 しかし僕はある日、不意にある言葉を思いだしたのである。

 それは彼女の若い頃からの友人と、僕が初めて会ったときのことだ。自分の親友と顔合わせをしておいた方がいいと、たぶん彼女はそう思っていたのだろう。そこで彼女とその親友との破天荒な青春時代のエピソードを聞かされ、正直かなり驚かされた僕だった。その時に、彼女の親友はちょっと気になる発言をしていたのだ。

 「この人ってホントに携帯とかメールって大嫌いなんだから。平気でずっとシカトしてるんだからね!」

 実は、僕も彼女がメール嫌いなのは薄々感づいていて、出来るだけ彼女にはメールをしないように配慮していたのだった。しかしながら、何しろお互い遠く離れた街に住んでいる身。メールでもやりとりしないとまったく連絡が途絶えてしまう。そこで僕は僕なりに気を遣いながら、おっかなびっくり一週間に一度ぐらいの頻度で連絡をとっていたようなワケだった。すると彼女も楽しげに返事をしてきて、それで何通か他愛のないやりとりをする…まぁ、普通の男女や友人同士がやるようなコミュニケーションをとっていたわけだ。

 しかし、どうもあの時の彼女の親友の口ぶりでは、彼女のメール嫌いはハンパじゃなかったように思える。まったく返事が返ってこないとか、時には苛立った返事が返ってきたりしたというのだ。

 だとすると、あのたった一週間に一回のやりとりも、彼女には苦痛だったのか?

 あの楽しげなやりとりも、彼女にとっては無理に無理を重ねた快活さだったのか?

 そういえば…彼女がかなりのヘビー・スモーカーだったことは、もうすでに例の感想文でも語っていたと思う。

 僕はもうタバコは吸っていないから、正直言ってやめてもらいたいのはヤマヤマ。しかし自分がやめるに至るまでには結構辛い思いもしていたから、他人にそれを強制する気持ちはサラサラなかった。そもそも僕は、タバコの害を鬼の首でもとったかのように吹聴する連中が大嫌い。それだけのために人に威張り散らすのはやめてもらいたいと、常々思っているようなところがあるのだ。だから、彼女にもそれは言いたくなかった

 しかし彼女は時々、僕に言われたらタバコをやめてもいい…と言っていた。僕自身は「男に言われたからやめる」なんてロクなもんじゃないと思っていたから、自分がやめたくなったらやめろと言っていたのだが…。

 それでも彼女は、僕にやめろと言われたらやめられそうな気がする…などと柄にもないことを再三再四言っていた。そして最後に僕が会いに行った時には、僕に東京限定販売の「無煙タバコ」を買って来させていたのだから、たぶん僕に煙を吸わせまいとはしていたのだろう。僕もそんな彼女を、愛おしく感じていた。

 しかし考えてみると、彼女はとてもタバコをやめられそうな雰囲気ではなかった。どこかの店に入ると、そこに親子連れがいようと何だろうとタバコを吸いたがったし、街中でもやたらに吸いたがって困った。東京では野外でも好き勝手に吸えないんだ…と教えても、「わかりゃしない」と言い張って吸おうとした。結局彼女はタバコをやめられっこないだろう。

 だとすると、タバコをやめようとしたり無煙タバコに転向しようとしたり、僕に喫煙をたしなめられたりしたのは、彼女にとって相当なストレスになっていたのではないか?

 前にも語ったように、僕と彼女の住んでいる「世界」は違っていた

 しかしその「違い」を乗り越えて、彼女は何とか僕の世界に歩み寄ろうとしてはいたのだと思う。そんな兆しを僕も感じていたし、どこか好ましく受け取ってもいたのだ。だが、それが実は彼女に相当なストレスを与えていたのではないか?

 いきなり怒り狂ったのは、彼女の「沸点」が異常に低かったからではない。むしろ「沸点」ギリギリまでストレスが溜まっていて、そのことに僕が気づいていなかっただけなのではないか? もっとずっと前の時点から、実は僕らは「危険水域」に入っていたのではないだろうか?

 僕には楽しげな彼女の姿だけが見えていた。しかし、それは本当の彼女の姿だったのだろうか?

 それは、ただの「幻」だったのではないか?

 僕は脳天気にも、彼女が自分に歩み寄ってくれたと喜んでいた。それがそんなに彼女にストレスを与えていたとは、夢にも思っていなかったのだ。何も分かっていなかったし、何も見えていなかった。

 そもそも彼女がそんなカタチで僕に歩み寄ろうとしたことだって、本当に自発的に起きたことなのだろうか。僕はタバコをやめろとは言わなかった。メールも頻繁にやりとりしないように配慮した。僕は気を遣っていた…と思っていたが、どこかで暗示のようなカタチで彼女に僕の考えを押し付けてはいなかったか。

 僕はこんなに気を遣っていた…と思っていたあたりが、今となっては怪しい。

 僕も知らず知らずのうちにやっていたのかもしれない、彼女の心に自分の「考え」を植え付けること(=インセプション)を。

 

 

 

 

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