「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」

  復仇 (Vengeance)

 (2010/06/21)


  

見る前の予想

 ジョニー・トーの新作である。

 ジョニー・トーと言えば痩身男女(2001)とかターンレフト・ターンライト(2002)とかコメディも恋愛映画もつくる才人だが、やっぱりその真価はと言えばハード・ボイルド・アクション。それもザ・ミッション/非情の掟(1999)以降の 男たちのクールな連帯を主軸にした路線が、映画ファンなら即座に脳裏に浮かぶだろう。

 実際のところこの僕も、公開から大分経ってDVDで見た「ザ・ミッション」のカッコよさにシビれて、すっかりジョニー・トーのファンになった次第。だから新作の到来…しかもアクション映画で、おまけに「ザ・ミッション」あたりからの一連の作品にずっと出ているアンソニー・ウォンだとかラム・シューだとかといった面々が出てくると聞けば、もうそれだけで嬉しくて涙が出そうになる。絶対見ないわけにはいかないのである。

 しかも今回は、何とフランス資本との合作という珍しいスタイル。確かにジョニー・トーの新作は欧米との合作とは聞いていたものの、それってオーランド・ブルーム主演という話ではなかったか。

 ところが到着した新作はフランスとの合作。そして主演には「フランスのエルヴィス」と異名をとる、大歌手にして映画にも出るジョニー・アリディを迎えるという布陣。う〜む、これはいかなる映画になっているのであろうか。

 唯一心配になったのは、何とも気取りくさった邦題。あるいは裏切りという名の犬(2005)とか裏切りの闇で眠れ(2006)みたいな、女にコビたようなタイトル。バカ女が喜びそうなタイトルが、何とも物欲しげでイヤらしい。しかし、これもフレンチーなイメージで売ろうということなんだろう。

 そもそもフランスこそフィルム・ノワールの本場。ジョニー・トー映画と相性が良さそうだ。これは見ずにはいられまい。

 

あらすじ

 マカオの高級住宅街。台所でアイリーン(シルヴィー・テステュー)が家族の食事の支度をしている。

 そこに彼女の中国人の夫が子供たちを連れて帰宅。一家の平凡な食事が始まろうというその時、なぜか不意の来客。チャイムの音に玄関先に立った夫だったが…いきなり扉の外からの銃弾に撃ち抜かれ、血まみれになって倒れるではないか。

 あまりのことに動転しつつも、子供たちを連れて二階へと駆け上がるアイリーン。自室に立てこもった彼女は隠し持っていた銃を取り出し、ナゾの賊に立ち向かおうとなけなしの勇気を奮い起こす。しかし、そんな思いも「殺しのプロ」たちには通用しなかった…。

 それから間もなくのこと、マカオの地に一人のフランス人の初老男がやって来る。その男コステロ(ジョニー・アリディ)は、まず病院に足を運んだ。

 そこでは絶対安静の状態で全身包帯だらけ、ノドも切り裂かれて声が出ない状態の、あのアイリーンがベッドに横たわっていた。コステロは、アイリーンの父親だったのだ。彼は新聞紙を持ち込んで、声が出せない彼女から何とか言葉を引き出そうとする。

 「犯人は三人組」…「一人の耳を撃った」…そして「仇を討って」…。

 その後でコステロは警察で事情聴取を受けるが、女刑事(マギー・シュー)の口振りでは犯人逮捕なんて夢のまた夢。女刑事が目を離した隙に、証拠として押収された家族写真を取り戻すコステロ。彼はホテルの部屋にこもって、それらの写真に一枚一枚ある言葉を書き込む。

 その言葉は…「復讐」だ。

 その頃、ある一人の黒メガネの男が、レストランに呼び出されてやって来た。彼の名はクワイ(アンソニー・ウォン)。呼び出したのは犯罪組織の大ボス・ファン(サイモン・ヤム)だ。ファンは同席していた自分の女にまるで強姦のようなキスをしたあげく、仕事の話があるとその場から帰した。

 実はクワイを呼び出した理由は、その女にあった。影で浮気をしているこの女を殺せ…というのが、ファンの命令だった。

 クワイは殺し屋だったのだ。

 かくしてクワイは仲間のチュウ(ラム・カートン)、フェイロク(ラム・シュー)と連れだって、とあるホテルへ。そこが彼女の「浮気現場」となっていたのだ。

 一糸乱れぬあうんの呼吸で、アッという間に女が浮気している部屋に忍び込んだ3人。一戦交える男女目がけて、十分すぎるほどの銃弾を撃ち込む。後は手早くその場から消えれば済むことだった。

 ところが彼らが部屋から出たところで、一人の男が立っているではないか。

 それは、例のコステロだった。実はこのホテルは、コステロが泊まっているホテルだった。たまたま通りかかったところで何事か起きている空気を読みとって、思わずその場に立ち止まってしまったというのが真相だ。

 かくしてお互い黙ったままで、緊張感あるにらみ合いが続く3対1。

 しかしコステロは、何もなかったようにその場を立ち去った。これで目が覚めたように、クワイたち3人もその場を立ち去るのだった。

 さて、殺しの現場に警察がやって来て、目撃者としてコステロが連れてこられる。捜査にやって来たのは、何の偶然かあの女刑事だ。ところがコステロは、まったく初対面のように接するではないか。これには女刑事も当惑を隠しきれない。一体この男、何を考えているのか。

 ともかく後日、警察署に出頭して容疑者の面通しを頼まれるコステロ。しかし彼はマジックミラーごしにチュウを見ても、「ここには犯人はいない」と否定する。

 しかし彼は、決して見間違えたわけではなかった。

 警察署を出たチュウを、何を思ったかコステロが尾行する。すると途中でクワイとフェイロクが現れ、コステロは3人に完全に包囲されるかたちとなった。

 今度こそ、一触即発。

 ところがコステロは、その場で彼らに意表を突いた頼みを口にするのだった。

 「あんたらに、仕事を頼みたい」…。

  

見た後での感想

 「ザ・ミッション」ですっかりジョニー・トーのファンになったと言ったが、その言葉にウソはない

 その後、いろいろなトー作品を見たが、どんなジャンルの作品を作ってもソツがない。楽しめる。それでもこの人は、ハードボイルド・アクションを撮った時にこそ他の追随を許さない腕のサエを見せると断言できる。PTU(2003)、ブレイキング・ニュース(2004)、エレクション(2005)…どれもこれも素晴らしかった。

 そんな中でもとびきり嬉しかったのが、つい2008年に見たエグザイル/絆(2006)だろう。

 アンソニー・ウォン以下の面々が、ほぼ「ザ・ミッション」と同じようなキャラで登場。非情な悪の世界の定めで敵同士になりながら、友情と男の心意気で連帯する。最後はまるでサム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」(1969)のラスト、ウィリアム・ホールデンの「レッツ・ゴー!」のかけ声よろしく、晴れやかに笑って死んでいく。正直言って「ワイルドバンチ」が死ぬほど好きな僕としては、たまらない展開だし設定だ。

 おまけに「ザ・ミッション」の雰囲気をそのまま持ち込んでもいる。「ザ・ミッション」に限らずジョニー・トーのハードボイルド・アクションのどこが素晴らしいかと言えば、スタイリッシュなアクション縁素出でも情景描写でもない。実は主人公たちの「男の心意気」こそが素晴らしいのである。彼らは間違いなくワルで訳あり男たちばかりだが、なぜか…「汚れちまった奴だけが持っている純情」みたいなモノを抱えている。それが見る者を熱くするのである。

 そんなジョニー・トーのジョニー・トーたるゆえんを煮詰めてエッセンスだけ取り出したような「ザ・ミッション」直系の作品に、今回の作品もストレートど真ん中な状態でなっている。それはアンソニー・ウォン、ラム・シュー、ラム・カートンといった面々が出ていることや、その役の設定などから事前に伺えた。

 おまけに主役にはフランスからジョニー・アリディを招聘。この人ってフランスのエルヴィスなんて言われていたが、パトリス・ルコントの列車に乗った男(2002)では訳あり男をいい味出して演じていたのだ。今回もそれはバッチリ的中。これは素晴らしいキャスティングだ。

 キャスティングの素晴らしさで言えば…実は見る前にはまったく気づいていなかったのだが、主人公コステロの娘の役で、ちょっとだけながらあの「ビヨンド・サイレンス」(1996)、点子ちゃんとアントン(1999)、サガン/悲しみよこんにちは(2008)に出ていたシルヴィー・テステューが出てくるではないか。ご贔屓女優に思わず対面できて、かなり儲かった気になってしまった。それだけでも、僕としてはお釣りが来るところだ。

 さて、お話としては、今回の作品も非情な悪の世界における男の心意気と連帯…が描かれるのは変わりない。まさにジョニー・トーど真ん中な内容だ。

 実は上のストーリーではまだ出てこないが、主人公ジョニー・アリディは脳の損傷で記憶を失いつつあり、何も分からなくなって呆然となってしまうこともしばしば。最終的には記憶は完全に失われる運命にある

 アンソニー・ウォンたち殺し屋は運命のいたずらからアリディに加勢するが、それが皮肉にも彼らのボスを裏切る結果になる。しかし、彼らは決して焦りもしなければ躊躇もしない。彼らはアリディとの連帯こそを優先するのである。

 損得でモノは考えない。

 実はこのあたりが、僕がジョニー・トー作品を気に入っている点だ。損得抜きで心意気で行動する主人公を、僕はとても好ましく感じるのである。

 それは、物語が進むにつれてさらに強調される。ボスへの裏切りは彼らの世界では破滅につながる。それでも彼らはアリディの味方をする。ところがアリディは本当に記憶を失い始め、娘の存在も復讐のことも忘れてしまうのだ。

 果たして復讐のことを忘れた奴のために、他人の彼らが復讐する道理があるのか。そのために自分たちが破滅する意味があるのか。

 しかしアンソニー・ウォンは、ただこう仲間に言うだけだ。

 「でも、約束したからな」

 そして圧倒的多勢に無勢で、笑いながら銃弾を浴びて死んでいく。約束である。損得ではない。このあたりでジョニー・トー作品を好きな方なら、たまらないと思ってしまうはずだ。

 

曲がり角に立ったジョニー・トー作品の解毒剤

 しかしながら…これは意見が大いに分かれてしまう点だろうが、このあたりこそが「ついていけない」点だと思ってしまう映画ファンも、確かに存在するのではないかと思う。

 僕はそういう気になる人がいるであろうと思うし、そんな気持ちになることを否定もしない。熱狂的なジョニー・トー・ファンやら香港映画ファン、香港ノワール・ファンとでもいうべきだろうか、こういう人たちにとっては反論は許されないのだろうが、実際これがついていけない気持ちも分からないでもないのだ。

 カッコつけすぎだしわざとらしい。男の心意気を美化し過ぎだし不自然で暑苦しい。

 ごもっとも、全くその通り。

 僕はジョニー・トー映画が大好きだが、そういう僕でも彼の映画を苦手という人の気持ちが分からなくはない。僕は香港ノワール映画や香港映画だけを好んでいるわけではないし、一番好きなのがこれらの作品群というわけでもないから、その気持ちは分かるし共有できるのだ。これのどこが悪いのだと、前述したシンパみたいに大声で相手を威圧しようとは思わない。

 特に「エグザイル/絆」あたりからはそれがいささか「やりすぎ」の域に入ってきた観があり、かく言う僕も大いに喜び楽しんではいたものの、反面少々当惑を覚えてはいたのだ。

 そして、こりゃちょっとマンネリかなとも思ってしまった。ジョニー・トー・ファンとしては大いに喜んだのだが、一般の映画好きとしてはいささか辟易という気持ちも理解できたのだ。とにかく味が濃くて強烈なので、そのアクが鼻につき始めると結構好みが分かれてしまう映画なのである。

 ところが今回は、そんなジョニー・トー味を中和するというのか、解毒する作用となる一服の清涼剤があった。

 ジョニー・アリディの存在である。

 フランスからの「客人」がそれまでのジョニー・トー作品の暑苦しさに、ちょっとした風穴を開けた。その異化作用が、彼の作品に進み始めていたマンネリを止めたのだ。

 たぶんジョニー・トー自身が、そんな「やりすぎ」「マンネリ」を十分すぎるほど気づいていたのだろう。そうでなければ、ここでジョニー・アリディ招聘などという奇策をとるはずがない。アリディ以外はむしろピュア・ジョニー・トーと言っていい配役であり設定なだけに、なおさらその異化作用が際立つのである。これは偶然ではあり得ない。

 実は今回の作品ではもう一カ所疑問が残る場面があって、記憶を失いかけたアリディの前に、アンソニー・ウォンら亡くなった面々が夜の海から戻ってくるのである。

 まるで「黄泉がえり」みたいなこの趣向については、おそらく作品のマンネリ化以上に意見が分かれるところだろうし、亡くなっていないはずのシルヴィー・テステューまで登場することの矛盾とか、この場面に流れるいささか泥臭い音楽も含めて、僕はちょっと「???」と思ったことを告白しなくてはならない。

 それでも今回の作品は、ジョニー・アリディという人を得たことによって「鮮度」を回復した。

 元々あるジョニー・トー「ザ・ミッション」直系の魅力を損なうことなく、ジョニー・アリディを注入することで鮮度を取り戻した作品なのだ。これはなかなか巧妙な作戦ではないだろうか。

 問題は、これ以降のジョニー・トー作品がどこに向かうか…だ。

 

見た後の付け足し

 アンソニー・ウォンら3人が、ボスのし向けた殺し屋たちと戦う銃撃戦シーン。圧倒的多数の刺客たちも、そしてアンソニー・ウォンたちもただ銃をブッ放すだけでなく、ちょっとした「戦法」を採るのが新鮮だ。

 彼らは四角く固められた巨大な紙くずの固まりを転がしながら、それを盾にして銃を撃ちつつ前進するのである。それは何とも奇妙でユーモラスともいえる光景。単にスタイリッシュな銃撃戦…というより、ずっと印象に残る戦いぶりになっている。

 そして僕は、これに似たものを確かにかつて映画で見ていた。

 「天国の門」(1980)だ!

 オスカー受賞で飛ぶ鳥落とす勢いだったマイケル・チミノが天文学的巨費を投じて制作、結果としてユナイテッド・アーティスツ社を破滅に追い込んでしまったという問題作中の問題作。あの作品の後半、牧場主たちが東欧からの移民たちを処刑しようとして勃発する「ジョンソン郡戦争」のくだり(実際には、史実的には少なからず問題があるらしいのだが)。馬車の前面を森から切り出した木材で完全防備し、戦車として銃で攻撃しながら前進する。あの戦法にすごく似ているのだ。

 ただし、これは映画のオリジナルじゃないらしい。劇中で主人公のクリス・クリストファーソンも悪役側の人物も、これを約2000年前の「ローマ帝国の戦法」だと種明かししているのである。情けないことに僕はそれほど世界史に詳しいので分からないのだが、ローマ帝国はかつてこのような戦法を得意としていたのだろうか?

 ジョニー・トーがローマ帝国の戦法に詳しくて、それでここに取り上げたのか。それとも…むしろ「男の心意気」という点でこっちの方がありそうだと思うのだが…マイケル・チミノと「天国の門」へのシンパシーから、この絶望的でかつ美しい戦闘場面に引用したのか。

 実は今回の映画の中で、そこが最も気になる点なのである。

 

 

 

 

 

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