「インビクタス/負けざる者たち」

  Invictus

 (2010/03/01)


  

見る前の予想

 アパルトヘイトが解除した直後の南アで大統領に就任したネルソン・マンデラが、折りから南アで開かれるラグビー・ワールドカップを人種融合のための起爆剤にしようとする…。

 予告編ではいかにも感動的な話のようだが、これが実際に起こった話とはオドロキ。しかもどうも当時の南ア代表チームは低迷してドツボだったようなのに、この大会で一躍優勝してしまったようなのだ。

 こりゃいかにも映画的題材だとは思ったし、きっと良質のアメリカ映画らしい盛り上がりを見せるのだろう…とは思ったが、これがクリント・イーストウッドの監督作品となると話は別。この人の映画にしてはあまりに「ひねり」も「歪み」もないストレートさに驚かされる。

 何でまたイーストウッドがこの映画を撮ったのか?

 また、イーストウッドにこの題材って向いているのか?

 ストレートといえば、この映画のネルソン・マンデラ役にモーガン・フリーマンというのは、あまりと言えばあまりにドンピシャすぎて文句のつけようがない。ただし、本人はどう見てもマンデラに似てないし、予告編でもどう見ても「スター」フリーマンとしか見えていない。なのにマンデラ=フリーマンと来ると納得してしまえる…という、何とも妙な「ハマり具合」なのである。そして、マンデラとの出会いから徐々に彼に心酔していくラグビー・チームの主将にマット・デイモンというのも、あまりといえばあまりなドンピシャぶり。ホントにイメージそのまんまなキャスティングだ。

 確かに抜群の安定感が漂っていることは認めるが、すでにすべてを見せちゃっているみたい(アレ見たらどう考えても南アが優勝して人種が融合するに決まってる)な予告編といい、これじゃ本編観てもまったく意外性もオドロキもないんじゃないか…と、ハタから見ていて心配になるほど。

 ともかく実際はどうなのか…と劇場に確認に行った次第。

 

あらすじ

 2004年、南アフリカ。

 この国のラグビー代表チーム「スプリングボクス」の練習場の外で、時ならぬ大騒ぎが巻き起こる。チームの主将フランソワ・ピナール(マット・デイモン)らが驚いていると、外のフェンスには黒人たちが群がって大歓声。実はこの練習場のすぐ脇の道を、新大統領一行のクルマが通り過ぎるところだったのだ。

 新大統領すなわちネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、アパルトヘイト廃止、黒人解放の象徴。黒人たちが歓声を上げるのは当然だ。

 しかしチームのコーチはその様子を憮然とした表情で見つめながら、吐き捨てるように言った。

 「これでこの国もオシマイだ」

 チームはコーチから選手から白人ばかり。だからこの光景を、快く見られるはずもなかった。そしてこの国の白人たちの大多数も、少なからずこの男と同意見だったのだ。

 大統領官邸に入ったマンデラは、否が応でもその現実を突きつけられる。官邸内は何やら騒然として、引っ越し前のような慌ただしさがあった。

 大統領警護班責任者ジェイソン(トニー・ゴロージ)らを伴って官邸に乗り込んで来たマンデラは、待ちかまえていた官邸スタッフのブレンダ(アジョア・アンドー)に、ただちにスタッフ全員を集めるように言い渡す。そこでマンデラ新大統領は、全員が予想していなかった発言を行うのだった。

 「どうしても辞めたいなら止めようがない。しかし私はみなさんの力が必要だ

 これだけでも驚いていたジェイソンは、増員された大統領警護班の新メンバーを見て、さらに目をむくことになる。新たに配置されたエティエンヌ(ジュリアン・ルイス・ジョーンズ)ら4人の警護メンバーは全員白人。これにはジェイソンも思わず敵意むき出しの視線を送らずにいられない。

 勢い込んで直訴に及んだジェイソンだが、マンデラはそんな彼を穏やかに諭す。

 「許すのだ。それが魂を自由にする」

 決して納得できたわけではないジェイソンだったが、長年牢につながれていたネルソン・マンデラ当人がそう言うのでは反論の余地はない。結局、不満アリアリだったが引き下がらざるを得ないジェイソンだった。

 そんなマンデラは、なぜか代表チーム「スプリングボクス」の試合を観戦しに行く。南アではラグビーは白人のスポーツ。黒人にはむしろ唾棄されるべき忌まわしいスポーツとなっていた。しかもアパルトヘイト政策のために長年世界から締め出され、すっかりチームは弱体化。白人にも見放されつつある状態で、この日もミジメな負けっぷりを見せていた。

 しかしマンデラはなぜか「1年あれば建て直しは可能だな」とつぶやいた。

 実は1年後、南アはラグビー・ワールドカップの主催国となっていた。普通ならばアドバンテージのある「スプリングボクス」には、かなりな成果が期待できるところ。

 しかし、その前途は極めて暗かった。誰一人として南アが善戦するとは思っていない。主将のフランソワはそんな不甲斐ないチームを鼓舞しようと四苦八苦していたが、それで何ができるわけでもなかった。

 そんなボロ負け「ボクス」に追い打ちをかけるように、南アの国家スポーツ評議会は厳しい決定を下そうとしていた。それは「ボクス」の名称やユニフォームの変更だ。

 今や黒人ばかりのスポーツ評議会。白人支配の象徴だった「ボクス」を血祭りに上げようというのが彼らの魂胆だった。

 しかし、それを耳にしたマンデラはただちに評議会会場に向かう。途中、ブレンダが必死に止めるが、マンデラは毅然として揺るがない。

 「過ちを正すのが大統領の仕事だ!」

 時ならぬ大統領の登場にざわめく会議場。当然この決定を喜ぶと思っていた評議員たちの前で、マンデラはここぞとばかりに熱弁をふるった。

 「卑屈な復讐をすべきではない。国家再建のために、使えるレンガはすべて使わねばならない時だ!」

 そんな言葉が功を奏したのか奏さなかったのか、辛くも「ボクス」廃止の投票結果は覆った。しかし熱弁の割には圧倒的な支持とはいかなかったのも事実。

 一方で、マンデラを快く思わない白人たちも相変わらず多い。そんなこんなで、まさに薄氷を踏むような政権運営を強いられていたマンデラだった。

 そんなある日、両親(パトリック・ライスター、ペニー・ダウニー)や恋人ネリーン(マーギュライト・ウィートリー)と共に自宅でくつろいでいたピナールは、いきなりの大統領の呼び出しに仰天。何と彼を大統領官邸に招待し、一緒にお茶を飲もうというのだ。一体どんな意図があるのか。

 緊張でガチガチになりながら、大統領官邸に一人赴くピナール。自らお茶を入れながら、マンデラは気さくにピナールに話しかけた。そんな緊張の時間が過ぎ、官邸から出てくるピナール。クルマの中で待っていたネリーンは、ピナールに素朴な疑問を問いかけた。

 「大統領はあなたに何を頼みたかったの?」

 それに対してピナールは、当惑しながらも確信を持って答えるのだった。

 「たぶん、ワールドカップの優勝だ…」

 

見た後での感想

 これが実話でなければ、とんでもないバカバカしい話になってしまうところだろう。

 一触即発で融和どころかどうなるか分からない国を、ワールドカップ優勝という一大イベントの成功で、力づくでまとめ上げてしまようという話。しかも国の代表チームは、優勝どころかミジメな弱小チーム。いかにもハリウッド映画的な設定過ぎて、まったくリアリティがない

 しかし、リアリティがないと言っても「実話」なんだから仕方がない。得てして世の中、こんな「リアリティがない」と言われそうなことが起きるものなんである。

 実はここだけの話、僕はラグビーなんて知らないし南アの事情にも疎いため、こんなとんでもないコトが起きていたとは知らなかった。これには正直本当に驚いてしまった。そして、こんな映画向きな題材が転がっていたことに二度ビックリ。ホントに出来すぎな話なのだ。

 そして、出てくる人物たちがこれまた出来すぎ。一方の主人公ネルソン・マンデラは、驚くべき人格の持ち主でフトコロの広い人物。これまた実話だから文句の付けようもないのだが、あまりに素晴らしい人格なんで人間じゃないくらい。対するラグビー・チーム主将ピナールも、そんな大統領の思いをストレートに受け止めて、素直に感銘を受けるあたりが「現実」とは思えない

 とにかく、あまりに一点の曇りもないのに驚かされてしまうのだ。

 

「演出してない」のかイーストウッド・マジックなのか(笑)?

 しかし「実話」じゃなければ受け入れてもらえない…ほど出来すぎな話なだけに、ヘタに映画化したら「実話」であるとしても受け入れ難いものになりかねない。あまりにあまりな話なので、かえってこういう題材を映画化するのは難しいのだ。

 こうなってくると、この題材を映画化したのがクリント・イーストウッドだというのが効いてくる。

 こう言っちゃ何だが、イーストウッドという人はミリオンダラー・ベイビー(2004)やグラン・トリノ(2008)の感想文でも書いたように、「演出しない」というのが演出スタイルの監督。いかにもピッタリな俳優を当てはめると、そのまま「演出」的なことはせずに素直に映像化する監督。「グラン・トリノ」に対する賛辞にあったように「どうしたらこんな傑作を作れるのか分からない」監督であり、テクニック的なことがまったくハタから見えない、ひょっとしたらまったく使っていないような監督だ。

 それが今回は「吉」と出た

 これが盛り上げを意識して演出術の限りを尽くしていたら、かえってイヤミであざとく感じられただろうが、まったく放り出したような素っ気ないイーストウッド演出のおかげか、あまり「作為」は感じられない。だから見ている僕らも、目の前で起きている劇的状況を素直に受け止められる。

 こうなってみると、あまりにドンピシャすぎて意外性ゼロのフリーマン、デイモンというキャスティングも絶妙。「ディープ・インパクト」(1998)でオバマ大統領就任に先駆けること11年、米大統領をさすがの風格で演じていたフリーマンだから、ここぞとばかりにブチかます演説が説得力あるなんてもんじゃない。アレではどんなウソっ話だって信じたくなる。そのフリーマンの理想を受け止めるのが、これまた男子の純真、純粋を絵に描いたようなマット・デイモンだから、そりゃ熱血たぎらせて行動するに決まっている。今回ばかりは「タイプ・キャスティング」の効用を感じずにはいられなかった。

 どんな説明やテクニックの必要もなしに、見ている僕らは自然に乗せられてしまう。むしろそんな作為的な手管を使う必要がないため、不自然さが最小限にとどめられていてイヤミがない。映画の作り方としてはまるで盛り上げようとしていないような素っ気なさなのに…そして立派な大統領にフリーマン、純真スポーツマンにデイモンという絵に描いたような配役、チームのメンバーたちがマンデラが囚われていた刑務所を見学に行く場面では、まんまマンデラが囚われているイメージ・ショットを重ねてしまう芸のなさなのに、その「まんま」さがむしろストレートに効いてくる。

 これはもうイーストウッド・マジックとしか言いようがない。

 それでもワールドカップ最終戦、ニュージーランド・チームへの応援で圧倒されそうな競技場上空に、いきなり南ア航空のジャンボ・ジェットが低空飛行で突入。どてっ腹に描いてある「ボクス」応援の文字を見せたとたん、一気に場内の雰囲気が一変するくだりからは、どんなに素っ気なくしようにもお話はいやが上にも盛り上がる。

 しかし…このジャンボ機のエピソードすら「実話」だというのだから、いやはや…これは「事実は小説より奇なり」ではないが、元々の「実話」からしてスゴイ話なのだ。

 この話を映画化するのがイーストウッドだったというのは、偶然だったのかもしれないが正解だったと言えよう。この話はもう何もヘタなことをせず、このまま映画化したほうが面白いのだ。

 

見た後の付け足し

 そんなこんなで、奇跡のような話をイーストウッドの演出してるんだかしてないんだか分からない演出(笑)で映画化して、見事嘘臭さのない作品に仕上げたのはアッパレ。

 しかしそんなこの映画にも、妙に引っかかる一点が存在している。それはマンデラの「プライベート」の描き方だ。

 劇中ほんの何度かではあるが、立派な言動の数々の合間合間に、マンデラが家族とうまくいっていないというエピソードがさりげなく挿入されるのだ。

 例えば、娘がマンデラに対してひどく冷淡であること。アレほど周囲の人間が賞賛し感銘を受ける人物なのに、なぜか娘だけはマンデラにシラケ切った態度をとる。さらに毎日恒例の早朝の散歩の際に、警護班のメンバーがふと家族のことを質問したとたん、あれほどの「人格者」であるはずのマンデラがプイと機嫌を損ねてしまう。これは誰がどう見ても違和感を感じる描写だ。

 たぶん旧体制と戦っていた頃のマンデラは、結果的に家族にかなりの犠牲を強いることになっていたのだろう。それゆえの、家族ならではのギクシャクぶりだ…と解釈できないこともないが、それにしたってマンデラの「家族」に関するエピソードは妙に陰りが感じられる。

 …となると、それは旧体制と戦うためやむにやまれぬことだった…とされてはいるが、本当にそれだけととらえていいのか?

 しかもこれらのエピソードは必ずしも物語の本筋とは関係なく、なくても一向に構わない部分なのだ。ならば、なぜあえてこのような「濁り」のようなモノを、このあまりにストレートな物語に挿入したのか?

 あまりに出来すぎた話における、あまりに出来すぎた「人格者」。「実話」なのだからケチのつけようもないのだが、正直言って常人には理解できないほど立派すぎるその「お人柄」。あまりに現実離れとさえ言える「実話」に、イーストウッドはちょっとしたノイズを滑り込ませた。

 その語り口に何らかの「意図」を読みとってしまうのは、必ずしも強引な見方じゃないと思うが…果たしてどうだろう?

 

 

 

 

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