新作映画1000本ノック 2009年12月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「カールじいさんの空飛ぶ家」 「ビッグ・バグズ・パニック」

 

「カールじいさんの空飛ぶ家」

 Up

Date:2009 / 12 / 28

みるまえ

 毎回毎回同じコトばっかり言ってるんで、もうとっくにみなさんは耳にタコかと思うが、ここんとこのピクサーの新作って企画を知るたびにつまんなそう。ところがそう思って見るたびに、見事にやられてしまうから困ったものだ。それっていつの頃からだっただろうなあ。「ファインディング・ニモ」(2003)のあたりからだろうか。ところが、見るとどれもこれも傑作なんだからイヤになる。しかし、さすがに今回ばかりはダメだろう(笑)。前作「ウォーリー」(2008)は甘っちょろいロボットの恋愛話かと思いきや、何と実はハードな未来SFだったというビックリ編。ところが今回はと言えば、妻に先立たれた老人が風船で家ごと空に飛んでいく話。こりゃさすがにダメだわ。ここまで来るといけません。今回ばかりはバカバカしい話だし、どう考えてもつまんなそう。「空飛ぶ家」だか「動く城」だか知らないが、どうせピクサーもディズニーと一緒になってからパクりグセがついて、今度は宮崎アニメでもパクってるんじゃないか(笑)? どう考えても今回ばかりは年貢の納め時だろう。おまけに、公開された後でいろいろな人から賛辞もいろいろ聞いているが、これが何とも妙なのだ。みんな決まって判で押したように、冒頭の奥さんとの暮らしを描いた何分間かのシークエンスが最高…と言ってくる。しかし、誰も彼もその場面だけ…しかも話が本題に入る前の場面をホメているということは、本編は推して知るべしってことじゃないのか? そんなこんなで、またまた見るのが遅れた次第。それでもこの作品が話題の3D作品だと聞いては、ほっておく訳にはいかない。年末が迫ったある日、ようやく重い腰を上げたわけだ。

ないよう

 伝説の冒険家、チャールズ・マンツ(クリストファー・プラマー)が、決死の南米探険から帰還した。彼ご自慢の飛行船で堂々帰国したマンツは、一躍マスコミの寵児となる。そんなマンツの勇姿を伝えるモノクロのニュース映画を見ながら、ワクワクと冒険心をつのらせていたのが、まだ幼いのに大きなメガネをかけたカール少年。マンツは彼の最大のアイドルだった。マンツがこの南米探険で到達したのが、前人未踏の切り立った台地から流れ落ちる「パラダイスの滝」。そして、そこにだけ生息する怪鳥の骨を持ち帰ってきたというのが、今回の冒険の最大の「売り」だった。ところが学者たちはこの骨の信憑性に疑問符を投げかけたため、マンツは冒険家協会から資格を剥奪されてしまう。この屈辱に我慢がならなかったマンツは、「怪鳥を生け捕りにするまで帰らない」と言い残して、再び冒険の旅に出た…。しかし世間は見捨てても、カールはマンツを見捨てなかった。そんなカールがマンツを見習って飛行帽にゴーグルという格好で近所をドタバタ走り回っているうち、ある空き家で出会ったのが髪がボサボサでいささかゴーインだが、マンツの冒険に対する共感ではカールとイイ勝負の女の子エリー(エリー・ドクター)。たちまち仲良くなった二人は、いつか南米の例の台地に行こうと誓う。そして二人は年令を重ねていくうちに恋人となり、夫婦となり、二人が出会った思い出の家を住処とした。幸せな日々が流れていくが、南米行きの夢を忘れたことはなかった。しかし、現実はそうは甘くない。結局何だかんだとお金は貯まらず、気づいた時には年老いた身。そして、ついに恐れていた日が来てしまった。エリーが病に倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。今、思い出の家の周囲は都市再開発で様変わりし、カールじいさん(エド・アズナー)の家も立ち退きを迫られていた。そして、ついつい感情的になったカールじいさんは、ひょんなことから工事関係者に乱暴を働いてしまう。こうなると役人も法律も大資本の味方。ちっぽけな個人などは平気で踏みにじる。カールじいさんはこの家を引き払い、老人ホームに収容される運命となった。さすがにその前日、進退窮まって苦悩するカールじいさん。「エリーや、わしはどうしたらいいんだ?」…ところが翌朝、老人ホームの迎えがやってくると、いきなりカールじいさんの家の裏手から膨大な数の風船が浮かび上がった。よくよく見るとそれらの風船は、カールじいさんの家に結ばれている。膨大な数の風船によって浮力を得た家は、地面から引き剥がされて空に舞い上がった。「わっはっは! パラダイスの滝から絵葉書を送ってやる!」…こうして家はどんどん空高く飛んでいき、カールじいさんの舵取りで一路南米はパラダイスの滝へと進んでいく。こうして満ち足りた気分でソファに身を沈めたカールじいさんだが、次の瞬間あるはずのないコトが起きてビックリ。空に浮かんでいるはずのこの家の扉を、誰かがノックしたのだ。慌てて扉を開けて外を見回したカールじいさんは、玄関先に一人の少年が青くなって張り付いているのを見付けた。その名はラッセル(ジョーダン・ナガイ)。少年自然探検隊のメンバーで、数日前「名誉バッジがもらえるから」何かカールじいさんの手伝いがしたいと訪ねてきたので、適当なことを言って追い払ってしまったはずだった。よりによってこの騒々しい少年が、この空飛ぶ家に転がり込んでくるとは…。しかし、カールじいさんの「誤算」は、それだけではなかった…。

みたあと

 実はまたしてもやられてしまったと、白状しなくてはならないだろう。やたら評判のいい冒頭の「夫婦愛」のシーンとやらを目撃してやるか…と見始めてみたら、いきなり出てきたのがモノクロのニュース映画場面。それで「あれっ?」と予想をはずされたところに…南米のテーブルマウンテンが出てくる。ここで冒険家が未確認生物の痕跡を発見したと来れば、これだけで僕には「つかみはオッケー」。誰がどう見たって、これって「ロスト・ワールド」(1925)…というより、その原作となったコナン・ドイルのSF古典「失われた世界」に材を取っていることは明らかだからだ。たちまち僕にはこの映画のお話が身近なモノになったし、カールとエリーの二人が何で南米行きにあれだけ夢をふくらませたのかも、容易に納得できる。SF小説にワクワクしていた、小中学生の頃の僕自身を思いだしていたからだ。

みどころ

 予想を覆したオープニングで驚かされた僕だが、もっと驚いたのは…意外にも思ったより早く「目的地」に到達してしまったこと。僕は主人公の老人と少年が南米までの旅の過程で困難にブチ当たり、それを通して仲良くなる…と勝手にストーリーを予想していた。だから、サッサと南米に着いてしまったことに二度ビックリだった。そんなこんなの展開の妙も含めて、やっぱり今回もピクサー作品の脚本は実に巧みだ。今回は風船の粒々まで見分けられるほどの3D効果が威力を発揮しているが、やっぱりそんな視覚効果よりも脚本の力。改めてピクサーの作劇力に驚かされてしまった。ついでに言えば…みなさん絶賛の例の夫婦の愛情シーンについて、僕が改めてホメる必要もないがやっぱり素晴らしい。僕はあの場面を見ていて、黒澤明のフヤけきった遺作「まあだだよ」(1993)の中でも例外的に傑出していた、主人公夫妻が小さな家で暮らしている四季の場面を連想した。あれがあるから、その後のカールじいさんの行動も納得できる。それくらい説得力ある好場面なのだ。

こうすれば

 そんなわけで、またしても文句の付けようのない作品…と言いたいところだが、今回は一カ所どうにも好きになれない点がある。それは、老人の心を開く役割を担った少年のキャラクターだ。とにかく足手まとい、役立たず、そのくせ妙に偉そう。老人の家への思いもロクに知りもせず、鳥を見殺しにした…と責めるあたりも苛立たしい。本当に見ていてイライラさせられた。今回の作品の監督・脚本ピート・ドクターが、あの「モンスターズ・インク」(2001)で監督デビューした人物と知って納得。「モンスターズ・インク」もヘンに登場人物を甘やかす、ヌルい部分が目立った作品だった。こいつなら無理もない。すべて片づいた後でガキは「家のこと、ごめんなさい」などとようやく謝ったが、もう遅いんだよこのクソガキ! それでも、まだ謝っただけマシというもので、これで何とか今回の作品はピクサー作品としての水準を保った。まあまあ許せる範囲内だろう。

つけたし

 注目すべきはこの少年、目のカタチから見て、どうも東洋系らしいではないか。声優を務めているのがジョーダン・ナガイという日系らしい少年というところからも、どうも僕の予想は間違っていないようだ。となると、実はこの作品、ある話題作と奇妙な共通性が目立つ。主人公はいささか頑固で偏屈な老人。妻の死によってますます心を閉ざしかかるが、突然の東洋人少年の闖入から心を開き始める…。さぁ、こんなストーリーの映画を、今年どこかで見たことはないだろうか。これこそクリント・イーストウッド監督主演作「グラン・トリノ」(2008)のプロットではないか。当然今回のピクサー作品の制作スケジュールと「グラン・トリノ」の制作・公開タイミングから考えて、ピクサー・スタッフが「グラン・トリノ」に影響されたはずはない。しかしそうなると、両者は完全な偶然で符合してしまったということになる。これは何とも不思議だ。そして特に近年、ピクサーが子供向けどころか、ある程度の年輩でないと理解できないような作品を連発していることも、これまた何とも不思議だ。これって狙っているんだろうか?

さいごのひとこと

 イーストウッドのピクサー作品登場は時間の問題。

 

「ビッグ・バグズ・パニック」

 Infestation

Date:2009 / 12 / 21

みるまえ

 この映画の存在は、新聞広告か何かで突然知った。B級(C級?)感ムンムンのタイトル。東京は銀座シネパトスで独占公開というだけで、どんな映画だか想像がつく。ここで上映される映画と来たら、公開後即ビデオ発売というシロモノぞろい。過去このサイトで紹介した作品で挙げれば、サミュエル・L・ジャクソン主演「ザ・クリーナー/消された殺人」(2007)、ケビン・コスナー主演「Mr.ブルックス/完璧なる殺人鬼」(2007)、アル・パチーノ主演「88ミニッツ」(2007)…といえば、その位置づけ的なものがお分かりいただけるだろうか? まぁ、そんな映画館で公開される「ビッグ・バグズ・パニック」。どこからどう見てもB級(C級?)SFなのは間違いない。そして、たまたま目にすることができたチラシを見た限りでは、ちょっと「狙った」安っぽさも感じられる。チラシは巨大昆虫たちが都市を襲っている「いかにも」な絵柄。中央にはヒーローとヒロインとおぼしき人物が立っているが、ヒロインは思いきりローライズのジーンズにヘソ出しという分かりやすいコンセプト。ヒーローはといえばテニスのラケットを持って何だか頼りなさそう。こりゃあちょっとコメディも入っているのか? ともかくB級だろうとZ級だろうと、SFと来たら見なくてはならない。他の話題作を差し置いて、慌てて劇場へと走った。

ないよう

 クーパー(クリス・マークェット)は、はっきり言ってダメな奴だ。今日も今日とて会社に遅刻。それはロクな職にも就けないクーパーに、父親がやっと見付けてやった仕事だった。だがクーパーにとっては、それもありがた迷惑だったようだ。携帯を通してガミガミと高圧的にどなりつける父親に辟易しながら、クーパーはやっとこ職場にたどり着く。それは、あるメーカーの商品に対する苦情処理センター。さも遅刻などしなかったようなフリをしていたクーパーだが、むろんそんなセコい手など見え透いたもの。おっかない女上司モーリーン(デボラ・ゲフナー)に呼びつけられ、早速お小言を食らう羽目になる。しかし、それはお小言にとどまらなかった。クーパーのいいかげんさは遅刻にとどまらず、仕事のやり方にも現れていた。客からも苦情殺到。もはや見て見ぬふりはできない。こうしてクーパーは一刀両断、バッサリと「クビ」を言い渡されてしまう。その瞬間、耳をつんざくような衝撃音が!……ふとクーパーが目覚めたとき、彼はクモの糸のようなもので全身を覆われ、まゆのような状態になっていた。何とかこの気色悪い糸をカラダからはがしてみると、次には猛烈な吐き気。一体これは何だと周囲を見回してみると、あれだけ見慣れたオフィスが一変しているではないか。部屋のあちこちに巨大なまゆ。それらは先ほどのクーパーと同じく、糸に覆われた人間に違いない。何が起きたか分からず混乱するクーパーに…突然襲いかかってきたのは巨大な昆虫! それはクモかアリか別の甲虫か、ともかくそれらが何百倍にも巨大化したようなシロモノが、オフィス内でクーパーに襲いかかってきたのだ。普段なら頼りないクーパーだが、この時は偶然が味方した。たまたま手近にあったカサをひと思いに突き出すと、それは昆虫に突き刺さった。こうして戦意喪失した昆虫は、ノソノソとオフィスから逃げていった。しかしクーパーは唖然呆然。そんな彼がなぜかいの一番に目覚めさせた相手は、彼にクビを言い渡したモーリーンだった。とりあえず意識を失う前のことは棚上げにして、何が起きたのかを考え始める二人。するとモーリーンは、会社の外に娘を待たせていたことに気づく。こうなると、外は危険だと言おうが何をしようが、モーリーンはまったく聞く耳を持たない。仕方なくクーパーは会社の外に飛び出そうとするモーリーンを会社の入口に待たせ、自分が彼女の娘を目覚めさせることにした。モーリーンの娘サラ(ブルック・ネヴィン)は会社の正面に停まったクルマの中。クーパーがサラの目を何とか覚まさせるや否や、混乱した彼女はいきなりクーパーに催涙スプレーをぶっかける。これにはクーパーも悶絶だ。こんなテンヤワンヤにモーリーンが絶叫しながら駆け寄ろうとするが、どこからともなく飛来した巨大昆虫につかまり、そのまま空にさらわれてしまう。目が見えなくなったクーパーは何とかサラを正気に戻し、自分を引っ張って建物の中に連れていってもらうよう懇願する。案の定、あちこちからノソノソと昆虫どもが現れるが、どうやらこいつらは音に反応し、目はめっぽう弱いらしい。そんなわけで二人はこいつらを何とかかわして、何とか建物内に避難した。こうして一息ついたクーパーとサラ。しかしサラはまゆにされた人々を助けることに妙に使命感を見出したため、クーパーはため息。そんなこんなでちょっとした混乱もあったが、何とかこの建物内に何人かの生存者を確保する。その面々とは…お天気キャスターのケバケバ金髪美人シンディ(キンゼイ・パッカード)、耳が不自由で図体はデカいが、気は優しくて力持ちなヒューゴ(E・クインシー・スローン)、その父親のアル(ウェズリー・トンプソン)、学者かと思いきやマッサージ勉強中の東洋娘リーチー(リンダ・パーク)…などなど。ところが人が増えれば早速起きるのが「意見の対立」。男二人はピックアップトラックでこの建物から出ていくと言い出すが、クーパーはそれに反対した。何しろ「奴ら」は音に反応するのだ。危なすぎる。この男二人組以外のメンツはクーパーの意見に賛成したが、金髪白痴美人シンディは男たちの誘いにグラグラ。いかにも危なっかしい感じだ。結局男二人を止めることはできず、彼らだけはトラックで出発することになる。こうして早くも生存者は最初の分裂だ。出発する男二人を、建物の入口で見送る一同。ところがクルマが出発するや、予想通りグラついていたシンディが絶叫して追い掛けるではないか。みんなが「ヤバイ」と思ったとたん…空から飛んできた昆虫たちが、クルマに次々襲いかかる! クーパーたちの見ている前で、昆虫に襲われ横転するクルマ。サラはシンディを止めて何とか引き戻したが、昆虫たちは今度はクーパーたちに襲いかかるではないか。そんな中でアルが昆虫に噛まれて深手を負ったりもするが、何とか彼らは建物内に逃げ込むことに成功した。しかし彼らの前途は暗く、一同の結束はいかにもモロい。彼らをリードしているようなカタチをとっているクーパーも、頼りなく情けなく度胸がない。かわいいサラに「その気」になり始めているが、肝心のサラはクーパーの不甲斐なさに呆れている。こんな状態で、彼らはこの難局を乗り切れるのだろうか?

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 このサイトをご覧になっているみなさんは、僕がいかにチープなB級C級SF映画をこよなく愛しているか、よくご存知なことと思う。だからこの映画にも反応せずにはいられない。しかも出てくるのは巨大昆虫という「いかにも」なモンスター。「死の大カマキリ」(1957)の大カマキリや「放射能X」(1954)の巨大アリなどの直系にあたる連中だ。しかも、見る前に予想していたように、かなりバカ映画の臭いがする。何より異色なのは、主人公が何ともアホで怠け者の青年であること。このダメダメ感があるから、映画にどことなくユーモアが漂う。となると、あのデビッド・アークェットがどこかヌケた主人公を演じた「スパイダーパニック!」(2002)、ケビン・ベーコンとフレッド・ウォードのオトボけ二人組が主人公の「トレマーズ」(1990)…の系列にあたる作品だ。いやぁ、こりゃゴキゲン。何とも楽しい映画なのだ。

みどころ

 ただしバカ映画とはいえ、時代はもはや「放射能X」みたいな特撮を許さない。だから、ここに出てくるモンスターは最新技術でキッチリ表現されている。このあたりも「スパイダーパニック!」「トレマーズ」に通じるところ。タイプとしては、昆虫といっても「スターシップ・トゥルーパーズ」(1997)の敵エイリアンとか、「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)で怪獣がボロボロと産み落としていく虫みたいな奴を連想させるシロモノだ。さらに注目すべきは…この映画はユーモラスに見えるものの、実はよくよくその構造を仔細に点検していくと、本当はそうそうユーモラスで笑える話ではないという点だ。確かに主人公はやる気がなさそうで怠け者。こんな状況下でも「好みのタイプ」となれば女の子を口説きにかかる。まるっきり責任感や真面目さもない、決断力も度胸もない、ヒーローなのにヒロイズムのカケラもない男なのだ。演じるクリス・マークェットも何ともフヤけた顔で雰囲気出している。そして取り巻く生存者の人々も、その言動はどこかユーモラスに描かれる。だから一見この映画は、昔のB級C級SF映画にオマージュを捧げた、笑えるSF映画をめざしたもののように見える。確かに「スパイダーパニック!」「トレマーズ」には、そんな要素が多分にあった。しかし今回の作品は、どこかそんな作品群とは一線を画した部分があるように思えるのだ。例えば映画の前半で常に問題を引き起こす、金髪美人のシンディの設定を見よ。何となく笑って見過ごすには、あまりにダークなキャラクターではないか。おまけに彼女は、仲間に銃弾を浴びせられて絶命する。ちょっと大げさに言えば、「ミスト」(2007)のシチュエーションから過度に深刻でダークな要素を大幅に脱臭した感じとでも言おうか。単純に笑えるSF映画を作りたいなら、こんな設定はしないはずだろう。それを最も感じさせるのが、実は先にクローズアップした主人公のキャラクターである。もう一度繰り返せば、主人公はやる気がなさそうで怠け者。ハッキリ言ってダメな奴だ。しかし映画の冒頭から、父親の強いプレッシャーを受けていることが分かる。実際に登場する父親(レイ・ワイズ)はかなり戯画化された人物ではあるが、この父親の登場あたりから主人公のキャラクターは、徐々に「笑わせ」キャラクターから脱皮していくのだ。そして結果的に、終盤には息子が父を乗り越えて成長していく「疑似父殺し」的シチュエーションになっていくあたりも、この映画が単なる笑えるSF映画ではないことを物語っている。そもそも深読みすれば、やる気がなさそうで怠け者。まるっきり責任感や真面目さもない、決断力も度胸もない、ヒーローなのにヒロイズムのカケラもない…という人物は、この映画を見ている観客の大半があてはまるキャラクターではないのか。単純にモンスター映画としても面白いが、監督・脚本のカイル・ランキンはなかなかのクセモノではないだろうか。

つけたし

 多くは語れないが、エンディングの宙ぶらり感にビックリ。アレは続編(笑)で明らかになるのだろうか? あと、この映画が撮影されたのがブルガリアと知ってまたまたビックリ。

さいごのひとこと

 ちなみに本編ではヒロインはヘソ出ししていません。

 

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