新作映画1000本ノック 2009年11月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「2012」 「ホワイトアウト」(ケイト・ベッキンセール主演) 「パイレーツ・ロック」 「ホースメン」(デニス・クエイド主演)

 

「2012」

 2012

Date:2009 / 11 / 30

みるまえ

 この映画の予告編を劇場で見た時には、さすがに血が騒いだねえ。ローランド・エメリッヒ「2012」。チラッと出てくるLA崩壊の図もスゴイ。世界の破滅テーマ映画は最近でもシャマランの「ハプニング」(2008)やニコラス・ケイジ主演「ノウイング」(2009)などいろいろ出てきているが、ここはやっぱり真打ち登場でしょう。ネタ一発だけで映画をつくるシャマランの「ハプニング」なんて、素人映画並みにカネがかかってなさそうだったけど、さすがにエメリッヒは違う。湯水のようにジャブジャブお金を使っている。こういう映画は映画ファンや一般の人から何だかんだと文句を言われがちで、すぐに「大金を投じた空疎なCG大作」とか「典型的ハリウッド大味映画」などと揶揄される。当然、僕も批判するつもりだろう…って? バカ言っちゃいけない。こういう映画をケナすほどラクなことはない。それはマヌケのやることだ。大体、いつからみんなそんなに高尚でセンスが良くて頭が良くなったんだい。本当はオマエら死ぬほどこういう映画見たいんだろ?…って、「おらおら、カラダは正直だぜ」的な安手のAVに出てくる絶倫すごテク男風セリフを吐きたくなる。オレか? もちろん見たいに決まってる。見たくない奴は映画ファンであろうはずがない。それは、映画をダシにして「自分は頭がイイ」と言いたいだけの単なるアホ。まぁ、そういう連中に毒づくのはこのへんにして…(笑)。予告編ではマヤの暦が何だかんだと言っているけど、どうせそんなの単なるこじつけに決まってる。とにかくあのスゴイ絵を見せてくれ。派手に全世界を破壊してくれ。それが死ぬほど見たいんだ! おまけに主演はジョン・キューザック。センスいいじゃねえか。文句あるか、オレは絶対に見るぞ。

ないよう

 2009年、雨の中をインドのとある鉱山に、アメリカの地質学者ヘルムズリー(キウェテル・イジョフォー)がやって来る。彼を出迎えたのは、旧友のインド人学者サトナム(ジミ・ミストリー)。彼は惑星直列による太陽の異変と、それに伴って起きる地球内部の変化について重大な事実を発見していたのだ。これに驚いたヘルムズリーは、ただちにアメリカに帰国。大統領主席補佐官のアンハイザー(オリバー・プラット)のもとに押し掛ける。最初こそ迷惑そうな表情を隠そうともしなかったアンハイザーだが、彼が持参した報告書を一読するや、一言こう告げるのだった。「今日から君の上司は私だ」…さらに2010年、カナダで行われているサミットの席上、アメリカ大統領トーマス・ウィルソン(ダニー・グローバー)は、通訳まで人ばらいした上で各国首脳に衝撃的事実を告げるのだった。「我々が知っているこの世界は、もうすぐ滅びます」…チベットの山地では巨大ダム建設計画によって住民が立ち退きを命じられ、多くの人々がその建設現場で働くことになる。世界各地の美術品は秘密裏にレプリカと入れ替えられ、いずこかに保管のされることになったが、それを怪しんだルーブル美術館館長は突然謎の死を遂げた。美術品保管計画を進めていたウィルソン大統領の娘ローラ(タンディ・ニュートン)は衝撃を受け、一体何が起きているのかと父親を直談判。覚悟を決めたウィルソン大統領は、娘に衝撃の事実を打ち明けるのだった。そんなこんなでやって来た2012年。男やもめにウジがわくジャクソン・カーティス(ジョン・キューザック)は、離婚した妻に引き取られた子供をキャンプに連れていく約束をしていたが、危うく寝過ごして遅刻してしまうところ。慌てて元妻の新居に駆けつけようとすると、運悪くクルマがエンコ。そこで仕方なく、商売道具のリムジンを使うことにする。売れない作家であるカーティスは、現在運転手として生計を建てているのだ。こうして何とか元妻ケイト(アマンダ・ピート)の新居にやって来るカーティス。だが、息子は露骨にカーティスをバカにするし、幼い娘はいまだオムツが取れない情緒不安定さ。ケイトといちゃつく恋人ゴードン(トーマス・マッカーシー)のツラを見るのも不愉快で、今回のキャンプは最初から前途多難な雲行きだった。行き先はイエローストーン国立公園。パパとママの思い出の場所に連れて行ってやる…と言っていたものの、そこはなぜかフェンスで入れなくなっていた。ところがカーティスはそんなこと知ったこっちゃない。ムリヤリ侵入して中に入ってみると…かつてあったはずの湖は干上がっており、何らかの異変があったように見受けられる。しかも奇妙なことに、侵入した3人を目ざとく見付けたのか、軍の兵士たちがどこからともなく湧いて出てくるではないか。こうしてカーティス父子たちは、不審人物として身柄を拘束されてしまう。そんな彼らを解放させてくれたのは、この国立公園内に研究施設を構えているヘルムズリー。彼はカーティスがかつて書いた「アトランティス」本の読者だった。こうして無事に解放されたカーティスたちだったが、何ともスッキリしない成り行きではあった。そんなカーティスの前に現れたのは、世捨て人のように髪ボウボウひげボウボウの怪人チャーリー(ウディ・ハレルソン)。彼はこのイエローストーンでの異変を観察し、「何かが起きる」と警告する不思議な海賊放送を流していた。「ちょっと頭がアレな男」と相手にしていなかったカーティスだが、それでも何となく気になる。夜中、チャーリーが自宅兼放送局にしているオンボロなトレーラーを訪れると、彼はとてつもなく衝撃的な事実をつきつけるのだった。マヤ歴によれば2012年12月が世界の終わりであり、それは現実に起きるというのだ。その理由として惑星直列を挙げたチャーリーは、世界の政府がこの事実を隠蔽し、秘密裏に避難用の巨大な船を建造している…と語る。さすがに大風呂敷すぎてついていけなくなったカーティス。それでも翌日、ロサンゼルスで地割れが発生してケイトから子供たちを返すようにと連絡が来た時には、さすがに何かシャレにならないことが起きていると直感した。確かにシャレになっていない。ヘルムズリーはサトナムと連絡を取り合ううちに、地球に迫る異変のスケジュールが予想を大きく上回る早さで訪れることを悟った。おそらく、あと2〜3日のうちに…。この知らせに驚愕する各国首脳。脱出用に建造されていた船は、まだ4隻しか完成していない。しかし、もはや一刻の猶予もならない。乗り組み予定の「選ばれし人々」に、すぐに乗船命令を発令しなくてはならない。早速発信された「乗船命令」は、アメリカ在住のロシア人大富豪ユーリ(ズラツコ・ブーリック)のもとにも届いた。彼は早速、運転手であるカーティスに連絡。自分の二人の息子たちをリムジンに乗せ、空港まで連れてくるように…と命じた。呼び出しをくったカーティスは、大邸宅から二人の肥満ワガママどら息子を連れ出すが、こいつらがまた二人とも傲慢で可愛げゼロのクソガキども。あげく空港で下ろしてやると、カーティスに何ともムカつく口調で毒づくのだった。「オレたちは船に乗って助かる。オマエみたいな貧乏人はみんな死ぬんだよ!」…しかし、今回ばかりはカーティスもこのクソガキどもの言い草にキレることもなく、ここ最近気になっていた別のことを思い起こしていた。2012年12月が世界の終わり…世界の政府がこの事実を隠蔽…秘密裏に避難用の巨大な船を建造…。そうかそうか、アレはやっぱり事実だったのか。そうカーティスは思い当たるや否や、格納庫にあった小型機を慌てて確保する。そこにいきなりロス全域を激しい地震が直撃だ。ちょうど朝食の食卓についていたケイト、ゴードンと子供たちは、慌ててテーブルの下にかがみ込む。しかしリムジンで乗り付けたカーティスは、彼らを「早くここから逃げろ!」と家から引っ張り出した。何が何やら半信半疑のケイトやゴードンたちを乗せて、リムジンが走り出す。例の小型機でこのロサンゼルスから脱出するしかない…と直感したカーティスが、とっさにとった行動だったが、ちょうどその時…。先ほどの比じゃない大きな揺れが、カリフォルニア全域に襲いかかる。地面は深々と割れ、波のようにたわみ、地上の建築物はすべて崩れ落ちるではないか…!

みたあと

 いやぁ、もうスゴイ。CG映像なんて空虚だの画一的だの見飽きただのってノーガキは、この映画を見てから口にしていただきたい。破壊、それも徹底的な大破壊。一番最初の見せ場はロサンゼルス壊滅場面だが、これには正直驚いた。ロスは今までも何度もやられていて、例えば「大地震」(1974)や「ボルケーノ」(1997)などでイヤってほど見ている記憶があるんだけど、今回のはともかくスゴイ。イマドキCGによる破壊場面なんぞ屁が出そうなほど見せられているから、何をどうやられたって感心なんぞしないはずなのに、本当にコレは大変な見ものなのだ。しかもアナログ特撮の「大地震」などと比較すれば、その凄味の段違いぶりに驚くこと必至。もうどれだけビックリ・マークを付けても足りないくらい。またCGかよ、手に汗にぎるわけないだろ…的な態度をとりたくなるはずのこの僕が、これには正直口をアングリ開けてしまった。CGの破壊シーンがスゴイ…それだけで感想はいいくらいだ。

みどころ

 だから見どころはやっぱり破壊シーンに尽きる。しかもロスを皮切りにイエローストーンで一回、ベガスでもう一回。バチカンがぶっ壊される場面は、まるで「天使と悪魔」(2009)の続きかと思った(笑)。ワシントンD.C.が津波でやられるって見せ場もある。ちなみにワシントンD.C.では、「死の大カマキリ」(1957)に出てきたワシントン記念塔も破壊される念の入れようだ。そんな破壊の見せ場は最後の最後まで続き、チベットを襲う津波場面まで登場。おのぼりさんでも分かるような有名ランドマークばかり破壊してくれる、実に親切な映画なのだ。まさにシッポまでアンコが詰まった鯛焼き状態。こんな大サービスしてくれる映画は、そうめったにないだろう。何でもここまで徹底的にやってしまえば、もう誰もケナせないしバカに出来ない。見ていてかなりの達成感を感じさせるからねえ。ここまでくると、単なる「技術」を超えて思想みたいに思える。「黙示録」的状況をリアルに再現するという意義さえ感じてしまう。そして中心人物に、フツーの人の感じが濃厚なジョン・キューザックという人選がまた素晴らしいのだ。以前のディザスター映画「デイ・アフター・トゥモロー」(2004)でも主演に好感度高いデニス・クエイドやジェイク・ギレンホールを起用して、意外なキャスティング・センスの良さを感じさせたエメリッヒ。今回もなかなか分かっているではないか。そして米大統領にダニー・グローバーってのは、オバマを予見していたのだろうか(笑)? そういや同じディザスター映画の「ディープ・インパクト」(1998)ではモーガン・フリーマンが大統領を演じていたっけ。その点については映画の方が先進性があるね。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ただ、お話がザルなのは如何ともしがたいところ。ドラマの妙味をこの映画に求めるのはヤボってもんだと分かったうえで、あえて挙げるならば…主人公一家の脱出経路はほとんど偶然の幸運が幸運を呼んでいる奇跡のようなコース。それでもロシア大富豪が買い求めた貨物機にありついたところまでは何とか納得できるが、燃料切れで東南アジアあたりの海に着水するはずが、なぜか都合良く大陸が移動してヒマラヤに着いていた…ってのは、いくら何でもムチャクチャな脚本だろう。それと、脱出船が危機に見舞われる理由が、主人公たちが密航したから…ってのはマズイんじゃないか。チベット人の作業員が重傷を負うのもこいつらのせいだし、ここまで辿り着きながら無惨な死に方をする元妻のカレシもひどい扱い。万事、主人公に都合良くコトが運ぶにしても、これではちょっと後味が悪すぎる。だが、劇中最もイヤ〜な感じをおぼえたのは、キウェテル・イジョフォー扮する地質学者だ。こいつが一席ぶって難民全員を船に収容することになるくだりも、冷静に考えればいかがなものか。ここでは全員収容するのは船を危険にさらすと反対する大統領主席補佐官アンハイザー(オリバー・プラット)が人でなし扱いされて悪役となっているが、実際には彼の決断の方が正しいのではないか? 結果オーライではあるが、危うく船は壊滅するところだったのだ。それなのに各国首脳の前でお涙頂戴の熱弁をふるい、結果としてアンハイザーの面目は丸つぶれ。テメエの株だけが上がった。そんなキウェテル・イジョフォーが真っ赤な偽善野郎のエエカッコしいにしか見えないのは僕だけだろうか? そもそも計画の中枢にいながら、金持ちを優遇していたことを知らないはずがない。大統領主席補佐官アンハイザーが自分の親にも真相を黙っていたのを知っていながら、テメエだけは親に知らせる汚い根性。大体、最初に異変に気づいたインド人地質学者一家が見殺しになったのだって、キウェテル・イジョフォーがちゃんとそういう手はずをしていなかったからじゃないのか? ひょっとしてこの男、すべてを自分の手柄にしたくてテメエでインド人学者を見殺しにしたんじゃないの(笑)? こんな調子でどんどん妄想が広がってくるほど、あの善人ヅラが鼻につく。自分にあてがわれた部屋が広すぎる(もっと多くの人を収容できるはず)…などと言っていたくせに、最後までそこにチャッカリ居座るあたり、まさに偽善以外の何者でもない。そこで大統領の娘とベタベタイチャイチャしているあたりのシラジラしさ…。キウェテル・イジョフォーのいかがわしさが全開(笑)。こいつの悪事を暴くつもりで見てみれば、それはそれで面白いかも。ともかくドラマは気にせず、壮大な世界の破滅を見物するだけで元は取れる。見るべし。

さいごのひとこと

 これなら地球にやさしくしてやることない。

 

「ホワイトアウト」

(ケイト・ベッキンセール主演)

 Whiteout

Date:2009 / 11 / 16

みるまえ

 このタイトルを聞いて、思わず織田裕二の「ホワイトアウト」(2000)を思い出しちゃった(笑)けど、こちらは「TATARI」(1999)、「ゴーストシップ」(2002)、「ゴシカ」(2003)、「リーピング」(2007)…など楽しめるホラー映画でお馴染み「ダーク・キャッスル」作品。主演がケイト・ベッキンセールで南極が舞台というのも期待できる。ベッキンセールと言えば「モーテル」(2007)などコワい映画になるとイキイキする女優。そして寒い場所と来れば「遊星からの物体X」(1982)などコワい映画にもってこいの舞台だ。ただし、韓国映画「南極日誌」(2005)のようにハズす場合も少なからずあるが(笑)。ともかく、僕は無条件に雪や氷が出てくる映画は好きなのだ。最悪この雪と氷の要素だけでも楽しめるはず。てなわけで、何と初日に劇場に駆けつけたというわけ。

ないよう

 1957年、南極圏上空。1機のソ連の軍用輸送機が、いずこかを目指して飛んでいる。なぜか副操縦士はコクピットを離れて貨物室へ。そこには何人かの兵士たちがくつろいでいた。副操縦士は彼らに酒を振る舞うと見せかけて一人を射殺。しかし兵士たちも負けずに反撃し、その流れ弾を食らってパイロットが倒れる。輸送機はアッという間に失速して、南極の氷原に叩き付けられた…。それから幾年月、現代の南極大陸。アメリカのアムンゼン・スコット基地に駐留する連邦保安官キャリー・ステッコ(ケイト・ベッキンセール)は、この寒く厳しく退屈な南極の地にいいかげんウンザリしていた。親しい仲間は初老の紳士ジョン・フューリー医師(トム・スケリット)だけ。しかし、それもあと3日の辛抱。半年続く冬を前に立ち去るスタッフたちと共に、輸送機に乗ってこの南極を去ることになっていたのだ。ところがそんなステッコのもとに、意外な知らせが飛び込んでくる。何と氷原のど真ん中に、死体らしきモノが発見されたというのだ。早速、フューリー医師と共に馴染みのパイロットのデルフィ(コロンバス・シュート)の操縦する飛行機に飛び乗るステッコ。現場にたどり着いた彼らは、実に奇妙な死体と遭遇する。全身の骨はバラバラに砕け、顔半分は粉砕されていた。脚にはキズがあるが、なぜか縫い合わされていた。そして死因となったと思われる、胸のひと突きのキズ。これは一体どういう事件なのか。この南極「初」の殺人事件発生に、アムンゼン・スコット基地は騒然となる。死体の身元はすぐに割れた。米国の地質学者ワイスという男で、南極の氷床に埋もれた隕石を調査していたという。しかしこの男の一隊が調査していた地点は、死体があった場所とはまったく違う。さらにワイスと一緒にいたはずの調査隊も行方不明だ…。そんな意外な展開をよそに、ステッコは死体のつぶれた顔を一見して以来、思い出したくない忌まわしい記憶を甦らせていた。それは彼女が南極に来る前のこと。マイアミで捜査を行っていた際のことだ。ドラッグ・ディーラーを逮捕してホッと一息。ところが相棒刑事の裏切りで、彼女は窮地に追い込まれる。危機は何とか脱したものの、相棒はさらに彼女の命を奪おうとした。やむを得ず射殺した相棒は、ビルの窓から転落。その顔は無惨につぶれた。そんなこんなのショックが、彼女を世捨て人のように南極へと駆り立てたのだった。そんな折りもおり、ステッコにまたまた奇妙な連絡が入る。ロシアの古い施設ボストーク基地より、ワイスの同僚だった男から「今すぐ来い」と通信が入ったのだ。ともかく慌ててデルフィと現地へ飛ぶステッコ。ところが辿り着いたボストーク基地には人っ子一人いない。デルフィから離れて一人で隅々まで探すステッコは、ある部屋で血まみれの男を発見した。これがステッコに連絡してきた男なのか? ところが物陰から現れた不審な男が、いきなりステッコに襲いかかる。フードを被って顔の分からないこの男は、ピッケルでステッコを殺そうと追い掛けてくるではないか!

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 雪と氷の舞台にサスペンスと来れば、まずは頭に「遊星からの物体X」がチラつく。おまけに制作はホラー専門「ダーク・キャッスル」。誰がどう考えたってSFかホラーだと思うではないか。さらに出てくるのは奇妙な死体。ますます「そっち」の臭いが濃厚だ。ところがSFやホラーに転びそうな雰囲気はそこまで。いつになってもそっちの道具立ては強くは出てこない。つまり、「超自然」的な要素は出てこなくて、謎の殺人者、鋭利な武器による殺し…という「現実的」な要素のみで話が語られていくのだ。そうはいっても「ダーク・キャッスル」だから、やっぱりホラーの疑いは捨てがたい。となると、「南極日誌」みたいな「なんちゃってホラー」という最悪の展開なのか?…と、見ているうちに思いは乱れるのだが、実際のところこれはSF・ホラー作品ではなかった。やはり極寒の地を舞台にした連続殺人を描いたアリステア・マクリーン原作の映画化、「オーロラ殺人事件」(1979)などと同傾向の作品なのだ。…ってなことを考えていたら、何と何とこの映画最大のサプライズがやって来る。驚いたことに、ヒロインの指がチョン切られちゃうではないか!

みどころ

 この仰天の展開によって、南極の寒さがいかにヤバイのかが問答無用に観客の脳裏に焼き付けられ、いやが上にもサスペンスは倍増(何しろ、ヒロインが野外に出るだけで緊張してしまうのだ)。しかも、例えヒロインであってもいつ殺られるか分かったもんじゃないという緊張感が生まれる。これは実にうまい設定だ。いかにも怪しい国連捜査官(ガブリエル・マクト)の登場も、定石とはいえ楽しめる。そして困難に立ち向かっていくうちに、すっかり挫折しちゃってやる気を失っていたヒロインが、「保安官」としてたった一人立ち向かおうと思い始める…という設定がなかなかいいではないか。意外や意外、健全なアメリカ映画のヒーロー像が甦っているのだ。完全に孤立無援というわけではないものの、基地のみんながほとんどいなくなってしまうという設定も含めて、そこには「真昼の決闘」(1952)のゲイリー・クーパーみたいなイメージがある。これを演じるケイト・ベッキンセールがなかなかいいのだ。この人って恋愛映画とかやると最悪なんだけど、前述したようにサスペンス映画をやると実にイイ。そして拳銃持たせれば「アンダーワールド」(2003)などメチャクチャにカッコいい。今回も「保安官」役が何ともサマになっているのだ。指チョンパという設定も含めて、何とも頑張っているのである。

こうすれば

 ラストのラストまで見ていくと、実は真犯人は「こいつしかいない」状態になって、あまり意外ではない。それでも南極の怖さは十二分に描けているし、ヒロインの勇敢さも心に残る。「安心して見れる」娯楽作の作り手である「60セカンズ」(2000)などのドミニク・セナ監督だが、今回はなかなかお手柄ではないだろうか。思いっ切りB級の佇まいの作品だが、アムンゼン・スコット基地のセットが意外にも大がかりだったりして侮れない。僕はかなり気に入った。

さいごのひとこと

 地球温暖化ってどこのこと?

 

「パイレーツ・ロック」

 Horsemen

Date:2009 / 11 / 09

みるまえ

 1960年代を背景にした、イギリスで行われていた海賊ロック・ラジオ放送のお話。この映画のことを映画館のチラシで初めて知った時の情報は、たぶんそんなものだった。懐かしの1960年代ブリティッシュ・ロックを扱った映画なら、見たい気まんまん。しかも主演者の顔ぶれが、フィリップ・シーモア・ホフマン、ビル・ナイ、リス・エヴァンス…と来れば、これは見ずにはいれないだろう。この映画サイトが開設された1999年以降に目立っていい仕事を残してきた面々というだけでなく、例えばフィリップ・シーモア・ホフマンなら「あの頃ペニー・レインと」(2000)、ビル・ナイなら「スティル・クレイジー」(1998)…と、ロックを扱った素晴らしい出演作がある。何となくロックのスピリットを分かってる人たちの作品という予感がするではないか。これは少なくとも僕は見なくてはいけない映画だろう。

ないよう

 1960年代半ば、ビートルズをはじめローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、ヤードバーズ…などなどによるブリティッシュ・ロック大攻勢の時代。そんなイギリス発のロックの波が世界を席巻していたのと裏腹に、当のイギリスの人々は意外な「不自由」に縛られていた。当時、イギリスのラジオ局はBBCたった1局だけ。そしてBBCの規則では、1日に流せるポップ・ミュージックはわずか45分に限られていた。しかしブリティッシュ・ロック全盛期のこの時代に、「震源地」イギリスの人々がそれだけで我慢できるはずがない。そんなイギリスの人々にとっての「福音」は、海からやって来た。イギリス領海外に停泊した船から電波を飛ばせば、好きなだけロックが流せるのだ。かくして北海上に停泊したボロ船放送局「ラジオ・ロック」が、ロックの海賊放送を朝から晩まで流し続ける。しかし、それは決してマイナーな「海賊」放送ではない。老いも若きも富める者も貧しい者も、ありとあらゆる階層の人々を魅了する「大衆」のための放送局だったのだ。そんなある日、一人の少年がボートに乗せられ、北海のまっただ中に停泊中の「ラジオ・ロック」本船へと送り込まれる。その少年の名はカール(トム・スターリッジ)。タバコの喫煙がバレて退学になり、「謹慎」なのか「社会勉強」なのか、「ラジオ・ロック」の経営者クエンティン(ビル・ナイ)と知り合いの母親が、カールをこの船に送り出したのだ。まだウブな高校生のカールは、乗船早々「ラジオ・ロック」の自由な雰囲気に驚かされる。太めなのにモテモテなデイヴ(ニック・フロスト)、真実の愛を求める善人サイモン(クリス・オダウド)、今ひとつズレた発言が多いアンガス(リス・ダービー)、ニュースと天気予報担当の「ラジオ・ロック」では珍しいマジメ派ニュース・ジョン(ウィル・アダムスデール)、早朝番組担当の変わり者ボブ(ラルフ・ブラウン)、天然なのかバカなのか分からないシック・ケヴィン(トム・ブルーク)、唯一の女性で料理係、実はレスビアンのフェリシティ(キャサリン・パーキンソン)…という個性豊かな面々に、驚かされるばかりのカール。その中でも一際異彩を放っているのが、「ラジオ・ロック」きっての人気DJで、アメリカからやって来た筋金入りの反体制派「ザ・カウント(伯爵)」(フィリップ・シーモア・ホフマン)だ。しかし、そんな「ラジオ・ロック」の大人気を快く思わない人々もいた。時の「体制」側…イギリス政府の閣僚たちは、ハミ出し野郎どもの巣である「ラジオ・ロック」をつぶしたくてウズウズ。なかでも担当大臣のドルマンディ(ケネス・ブラナー)は、彼らを何とか叩きつぶそうと画策を始める。そこに呼ばれたのが、忠実な手下であるトゥワット(ジャック・ダヴェンポート)だ。まずドルマンディとトゥワットがたくらんだのが、「ラジオ・ロック」の資金源であるスポンサーへの妨害。すると、たちまち「ラジオ・ロック」の台所は苦しくなるが、クエンティンたちも指をくわえて見ているだけではなかった。逃げて行ったスポンサーたちが戻ってこざるを得なくなるテコ入れ策を、ちゃんと考えていたのだ。それは圧倒的人気を誇っていた「伝説のDJ」、ギャヴィン・カヴァナ(リス・エヴァンス)のカムバック。自らの野心とアル中とでアメリカに渡っていったカヴァナを復帰させて、「ラジオ・ロック」を盛り返そうというわけだ。やがて乗船したカヴァナに、DJの古株たちは大喜び。しかしただ一人、カヴァナなき後でこの「ラジオ・ロック」に君臨した「ザ・カウントだけは複雑な表情だった。ともかくカヴァナの復帰は鳴り物入りで伝えられ、リスナーの圧倒的支持を得たのだった。そんな「ラジオ・ロック」の船のなかで、さまざまな経験をするカール。4文字言葉を「まんま」とオン・エアしてしまう「ザ・カウント」の反骨精神あふれる茶目っ気や、DJたちを楽しませようと船に乗って大挙してやって来る女の子たち。そしてクエンティンから紹介された美しい姪っ子マリアン(タルラ・ライリー)。マリアンにひと目でまいったカールは、早速童貞喪失のためゴム製品を探して一喜一憂。しかしマリアンはちょっと目を離した隙に、モテモテDJのデイヴとベッドインしているのだった。そんなこんなで楽しくやっていた「ラジオ・ロック」の面々だったが、一方ドルマンディとトゥワットたちは「ラジオ・ロック」壊滅のため、さらに汚い手を考えついていた…。

みたあと

 いきなりキンクスでスタート。もう、つかみはオッケー。これだけで感想文をやめてもいいくらいだが、それじゃいくら何でも…なので、もうちょっと続ける(笑)。それにしても、実際ブリティッシュ・ロック全盛期の1960年代半ばに、イギリスのラジオ界がこんな状態だったなんて驚き。ビートルズに勲章を与えたり、全世界同時中継番組にイギリス代表として出演させたりしながら、一方でやっぱりこんなお堅いことをやっていたんだねぇ…と妙に感慨にふけってしまう。この映画の素晴らしいところは、一にも二にもこの題材を発掘してきたところ。そして登場するメイン・キャラクターの面々の反骨精神や反体制ぶりが、当時のブリティッシュ・ロックのやんちゃぶりを反映しているあたりが、またまたお楽しみだ。

みどころ

 あと、他に何を指摘すればいい? そうそう、フィリップ・シーモア・ホフマン、ビル・ナイ、リス・エヴァンス…が出ているのは知っていたが、コテコテのつくり込んだ悪役にケネス・ブラナーが扮していたのにはビックリ。もっとビックリなのは主人公のママを演じていたエマ・トンプソンで、終始サングラスをかけているので劇中大分経ってからでないと彼女が演じていると分からない。僕は声に聞き覚えがあるので「誰だろう?」とずっと考えてしまった。何より面白いのは、船に集まったDJを初めとする連中が、揃いも揃って「男の子」っぽさを持っているところだろうか。好きな女の子をモテDJにとられてシュンとなってしまう主人公に、さりげなく仲間が寄り添って慰める図とか、意地の張り合いツッパリ合いでバカみたいに船のマストをよじ登る2人のトップDJが、お互い大ケガしながらも打ち解けるというくだり(エンニオ・モリコーネの大げさなマカロニ・ウエスタン音楽が笑える)とか、まるで日本の青春ドラマのようにベタなんだけど、好ましいバカさ加減が嬉しい。政府に締め上げられてあわや放送中止かという時に、「オレはやるぞ!」「オレも!」と一人ひとり立ち上がって「抵抗」の決意表明をするあたりも、完全に日本の青春ドラマのノリの演出。クサいと言えばクサい。だけど、僕にはどうしたって抵抗できない嬉しさなのだ。脚本を手がけた「ノッティング・ヒルの恋人」(1999)も監督作「ラブ・アクチュアリー」(2003)も大好きなリチャード・カーティスだが、今回もやってくれた。というか、この人がつくるんだからつまらないわけがないんだけどね。この映画に対して手法的に「あそこがどうの」「ここがどうの」と言っても意味がない。というか、そんなことをする気がしない。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 「タイタニック」(1998)もびっくりの結末の後、「海賊ラジオは結局衰退したけれども、現在ではイギリスにこんなにラジオ局が出来てロック音楽も発展した」…なんてスーパーインポーズ・タイトルが画面に映し出される。しかし、正直言ってそのくだりだけは、いささか苦い思いがしないでもなかった。「ザ・カウント」がマイクに向かって語る最後の言葉「それらの音楽は世界に奇跡をもたらす」…も含め、作者はロックの勝利と発展についてまったく疑念を挟んでいない。しかし実際はと言えば、ロック・ミュージックはすっかり「こっち側」に取り込まれてビッグ・ビジネス化してしまい、現在では反骨も反体制もあったものではない。あまりに楽天的で肯定的なその姿勢に、ちょっと薄ら寒いモノを感じないでもないところがホンネだ。しかしこの映画には、そんなシニカルな姿勢は似合わないのだろう。そんなモノを入れてしまったら、この映画のこの楽しさと爽快感、甘酸っぱさは出なかったに違いない。皮肉やシラケを挟まずストレートに肯定的なメッセージを発信できるところ、そしてどうやら自身でもそれを100パーセント信じることができるところが、リチャード・カーティスの美点なのかもしれない。

さいごのひとこと

 ビートルズの曲が流れないのは、やっぱりカネのせい?

 

「ホースメン」

(デニス・クエイド主演)

 Horsemen

Date:2009 / 11 / 02

みるまえ

 「SAYURI」(2005)でついにハリウッド映画デビューを果たしたチャン・ツィイー。しかしあの主役としての起用は、あくまで日本の芸者という「東洋娘」の役柄ゆえ。もし彼女が本気でハリウッドでも通用する国際スターの座を望むなら、まずは「アメリカ人」の役をやらねばなるまい。そんな彼女の「本格的」ハリウッド映画出演が実現したと風の便りに聞いたのは、今年の前半ぐらいだっただろうか。出演したのがサスペンス映画らしいと知って、僕は「なるほど」と納得した。アメリカ人から見てあくまで「異質な存在」の彼女が純正ハリウッド映画に出演するには、あくまで「得体の知れない」ミステリアスな役柄で出てくるのが得策だと思えるからだ。こうして公開の運びとなった本作はといえば、主役はいかにも「アメリカ男優」という臭いがムンムンのデニス・クエイド主演。彼を相手にミステリアスな悪女としてチャン・ツィイーが出てくるらしい猟奇サスペンス…と来れば、これはなかなかうまい作戦ではないか。しかも僕はデニス・クエイドが大好きと来る。「G.I.ジョー」(2009)で「重鎮」然として出てきた時には、「そりゃ何か違うだろ」と言いたくなったが、バリバリと主演スターとして出てくるデニス・クエイド、しかもいかにもアメリカ映画の男優らしい「刑事役」と来れば、ファンとしては言うことはない。僕はいそいそと劇場に出かけていった。

ないよう

 真冬の朝のこと。老人が愛犬を連れて、凍り付いた池の畔にやって来る。すると愛犬が、何かに気づいて激しく吠え立てるではないか。凍った池のど真ん中に何やら台がしつらえてあり、その上にフタをかぶせた皿が用意されている。老人がそのフタを開いてみると…。デトロイト市警のブレスリン刑事(デニス・クエイド)が叩き起こされたのは、それから間もなくのこと。例の凍った池に駆けつけたブレスリンは、そこで世にも奇妙な「事件現場」を目撃する。皿の上に、血まみれの大量の歯。この瞬間、自分がなぜこの現場に呼ばれたのか、ブレスリン刑事はハッキリその理由を理解した。彼は歯科法医学専攻の刑事だったのだ。ふと気づくと、周囲四方の木の幹には赤いペンキでおどろおどろしく文字が書かれていた。「COME AND SEE(来たりて見よ)」…。ブレスリンの分析の結果、歯は明らかに人間の口から抜き取られたもので、被害者はまだ生存している可能性があると分かる。その時にはブレスリンも、これが忌まわしい事件に広がっていくとは想像もしていなかった。そんなブレスリンは、高校生のアレックス(ルー・テイラー・プッチ)とまだ幼いショーン(リアム・ジェイムズ)の二人の息子と暮らす男やもめ。妻が病気で亡くなってからは多忙なことも災いして、アレックスとの間にすきま風が吹いているのを感じていた。しかし、呼び出されれば出掛けねばならない。ついつい息子たちと触れあうこともなく、ただ彼らが困らぬようにいくらかのカネを置いていくしか出来ないブレスリンだった。そんな折りもおり、第2の事件が起きる。立派な邸宅の2階の寝室で、その家の主婦である中年女性メリー・アンが惨殺死体で発見されたのだ。この殺しの最も凄惨な点は、全裸の死体が皮膚に突き刺された多数のフックとワイヤーでぶら下げられ、奇妙な枠のような器具に据え付けられていたこと。また、鋭利な刃物で肺を刺されており、その出血で徐々に窒息させられていたのも特徴的だった。つまり、彼女はゆっくりジワジワと殺されていたのだ。そしてこの出血をもたらすには、天才的な外科的技術が必要だった。さらに彼女は妊娠中で、腹の胎児は取り出されてなくなっていた。そんな彼女の死体を取り囲むように、壁に書かれた赤ペンキの「COME AND SEE」の文字。こんな惨たらしい死体を発見したのは、この家の長女だというからブレスリンも顔をしかめた。早速、娘たちに話を聞こうとするブレスリンに、相棒のスティングレイ(クリフトン・コリンズ・ジュニア)が声をかける。「長女は養女です」…んなことはブレスリンだって一目見れば分かる。抱き合って泣いている3人の娘たちのうち、一番年かさの長女はどう見たって「東洋系」。金髪の幼い「妹」たちとは、血がつながっているわけがない。その「長女」クリスティン(チャン・ツィイー)の衝撃を受けた様子を見て、ブレスリンも「何かあったらいつでも呼んで」と名刺を渡すのが精一杯だ。一方で冷え切るばかりの息子との関係を打開するため、アレックスから持ちかけられたバスケ観戦を受け入れるブレスリン。ところがいざ出かけようとした時に、最悪のタイミングでまたまた警察からの呼び出しがかかる。薄汚いアパートの一室で、またまた同一犯人と思われる犯行があったというのだ。駆けつけてみると、部屋にはまたしてもフックとワイヤーで枠のような器具に宙づりされた男の遺体。壁には赤ペンキで「COME AND SEE」の文字。そして遺体の歯はことごとく抜かれていた。第1の犯行の歯はこの男のものだったのだ。しかも、現場のクローゼットから隠れていた一人の女が飛び出してきたから捜査陣はビックリ。女は殺された男の不倫相手と分かり、行方をくらましている女の夫の名が捜査線上に浮かび上がる。また、死体が吊り下げられた「器具」がSM趣味の連中に使われているモノだと知ったブレスリンは、今回使われている「特注品」を作った男を探り出す。男によればこの「特注品」は全部で4つ注文されていたという。すると、あと2人殺されるのか? また「COME AND SEE」の文字は「黙示録」に出てくることに気づいたブレスリンは、犯人たちが「黙示録」に出てくる騎士のつもりで犯行を行っているらしいと推理。そのうち例の女の夫が死体で発見されるが、これはなぜか「器具」に吊られてはいなかった。そんな折りもおり、ブレスリンは殺された女の養女クリスティンから呼び出される。最初は涙ながらにブレスリンにつらい思いを訴えていたクリスティンだったが…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 あのチャン・ツィイーの本格的ハリウッド主演映画。もちろん「SAYURI」だってハリウッドにおける主演映画ではあるが、前述のように今回はそれとは訳が違う。そして、チャン・ツィイーがミステリアスな悪女役らしいってのは、なかなか目に付け所がいいというのも前述した通り。当然、お話は典型的アメリカ人観客の視点から語られねばならないから、主人公はいかにも典型的アメリカ男優のデニス・クエイド。彼の目から忌まわしい猟奇連続殺人が語られる。ツィイーはその捜査途上で登場して、最初はか弱く清純な印象で出てくるのも想定内だ。SMっぽい道具立てに「黙示録」と来て、この手の作品としては「いかにも」な設定が続出するなか、映画も中盤に入ったか入らないかの段階で、いきなりツィイーがバ〜〜〜ンと正体をモロ出しにするからビックリ。おいおい、確かに最初から「そう」だとは思っていたけど、これはちょっと早いんではないの?

こうすれば

 しかもツィイーが正体を現しつつ謎は相変わらず残り、事件は続いていくというのがミソだとは思うのだが…実はあんまり謎というほどの謎はない。確かに他の犯人たちは誰なのか?とか、事件はこれからどうなっていくのか?とか、謎は残されていると言えば残されているのだが、ハッキリ言ってそれってどうでもいい。それには理由が3つほどあって…(1)第3の犯罪あたりで、誰が殺されているのかそれぞれがどういう関係なのかもハッキリ認識されなくなってしまい、したがって犯罪の理由などを推理する手がかりさえ曖昧になる。(2)SMっぽい道具立てや黙示録は意味ありげだが実は大した意味を持っていないし、それがかなり早い段階で何となく見えてしまう。(3)主人公に襲いかかる「衝撃の結末」や「真犯人」がかなり早くに割れてしまい、見る者の興味がそがれる。…ってな具合に、どんどん見る者の興を削いでしまう展開だからだ。誰が殺されようとどんな理由だろうと、知ったこっちゃないって気分になっちゃうのだ(笑)。しかも映画の途中で突然全く知らない人物に話が移って、そこで「共犯者」が一人割れるのだが、その説明もヘタクソだから唐突感だけが残る。さらに、その「共演者」が「あんなこと」になってしまうと、問題の「ショッキングな幕切れ」のツジツマが合わなくなってしまうではないか。天才的な外科手術の手腕がなければ出来ない犯行…だったはずじゃあなかったのか? これって僕が何か見逃して勘違いしているのだろうか。それくらいアカラサマな間違いに見えるのだが。どうして誰も気づかなかったんだ。このお話の「穴」があまりにも大きすぎて、実はチャン・ツィイーがデニス・クエイドと互角の「共演」なんぞではなくて脇役の一人に過ぎず、しかも途中でサッサと退場してしまう…なんてこたぁ大したキズに思えなくなる。いやぁ、だってコレって矛盾なんてもんじゃないよ。それもこれも、演出もうまくないんだろうけど、元々の脚本からしてヘタクソってことなんだろう。ミュージック・ビデオ上がりのスウェーデン出身ジョナス・アカーランド監督の腕前なんぞはそもそも期待すべくもないとして、あの拾いモノの快作「ドゥーム」(2005)も手がけたという脚本デビッド・キャラハムはどうなってしまったのか。「テキサス・チェーンソー」(2003)、「悪魔の棲む家」(2005)、「13日の金曜日」(2009)など古典とも言えるホラー旧作を軒並みリメイクすることにご執心な、意外な一面を披露しているマイケル・ベイが今回の作品もプロデュースしているが、それが良くなかったのか(笑)?

それにしたって

 本来ならいいとこを探してやるのがスジってもんなんだろうが、この作品には呆れかえっちゃってそんな気が起きない。お話のミステリーとしての部分ですら、前述した通りの穴だらけだ。しかもドラマとしての組み立てもお寒い限り。エンディングの後味悪さは「セブン」(1995)のヘタッピーな物まねなんだろうが、まったく不毛だ。犯行をネットで公開するということで、「ブラックサイト」(2007)で描かれたようなネット社会の歪みと「さらに犯行は続く」…ってな気色悪さを狙ったのかもしれないが、これも今ひとつ描き足りなくてよく分からない。だが、この映画の一番イヤなところは、一応「子供たちにツライ思いを強いる大人たちへの反撃」みたいなもっともらしい理由を付けて犯行の動機としていること。養女として連れて来ながら実の子が生まれたら粗末に扱い、あげくの果てに性奴隷に貶めるチャン・ツィイーの義理の両親と、主人公であるデニス・クエイドの刑事を同じ土俵に上げて断罪するってのはいかがなものか。前者は確かにこんな仕打ちを受けても致し方ないと思うが、後者はこれほど責められなきゃならない理由が分からない。仕事が忙しくて子供を放っておいているといっても、男手一人で息子二人育てるってのはハンパじゃない。生活してかなきゃならないから、子供の教育費も含めて稼がなきゃならないではないか。この女房に死なれただけでもショックなのに、何でここでまた痛めつけられなければならないのか。おまけに問題の上の息子はもう高校生だ。それなのに、構ってくれないなんて何を甘ったれたこと言ってるんだ。うちの親父なんざ、子供の頃は忙しくてほとんど遊んでくれなかったよ。この頭でっかちの童貞坊主には心底腹が立った。だからこの映画でショッキングな社会派的問題提起をしたつもりだろうが、ナメた戯言にしか思えない。くたばってせいせいした。そういう意味じゃ爽やかな幕切れと言えなくもないか(笑)。いや、もっとひどい死に方でもオッケーだ。

さいごのひとこと

 ガキのワガママに付き合わされるのは1時間半でも長すぎる。

 

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