新作映画1000本ノック 2009年9月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「リミッツ・オブ・コントロール」 「96時間」 「G.I.ジョー」 「ハリー・ポッターと謎のプリンス」

 

「リミッツ・オブ・コントロール」

 The Limits of Control

Date:2009 / 09 / 28

みるまえ

 何と久々のジム・ジャームッシュの新作が登場。それもビル・マーレイからティルダ・スウィントン、ガエル・ガルシア・ベルナルに「ミステリー・トレイン」(1989)以来のジャームッシュ作品出演となった工藤夕貴…という豪華かつ国際色豊かなキャスト。お話も殺し屋がある指令を帯びてスペインに出かけ、さまざまな人々と接触を図るというもの。「いわゆるジャームッシュ作品」の展開とはかなり違う雰囲気だ。ビル・マーレイ主演の前作「ブロークン・フラワーズ」(2005)でも従来のジャームッシュ調とはかなり違ったテイストを見せて、いいかげんあのスタイルもマンネリと思われていた低調ぶりを一気に払拭したのだった。それに次いでの今作…となれば、これはかなり期待が持てるんじゃないか? 唯一気になっているのは、なぜかこの作品の評判がどこからも聞こえてこないこと。あの傑作「ブロークン・フラワーズ」の次作なら、もっと話題になってもいいはずなのに…なぜ?

ないよう

 小部屋で一人、黙々と太極拳のポーズをとる黒人の男(イザック・ド・バンコレ)。彼が今いるのは空港のトイレだ。やがて彼は空港のターミナルで、椅子に腰掛けた二人の男と落ち合う。片方はフランス語だけをしゃべっるクレオール人(アレックス・デスカス)、もう一人はそれを英語に訳して太極拳男に伝えるフランス人(ジャン=フランソワ・ステヴナン)だ。どうやら太極拳男は、殺しの依頼を受けているらしい。二人の男はその件について、太極拳男に情報を与えようとしているのだ。そこで与えられた「指令」は、「自分は最も偉大だと思っている男を墓場に送れ」…禅問答のような会話がしばし続いた後、太極拳男は二人の男と別れ、機上の人となった。飛行機が着いたところはスペイン。男はひたすら例の二人の男が伝えたメッセージに従って、「タワーをめざし」た。それは奇妙な形をした高層マンションのこと。太極拳男はそのマンションの一室に落ち着き、時には外に出て「何か」を待ち続ける…。野外のカフェに席をとった太極拳男は、なぜか2杯のエスプレッソを注文して「何か」を待つ。そんな彼が落ち着いたマンションの一室に、時として奇妙なメガネ美女(パス・デ・ラ・ウエルタ)が全裸で待ちかまえていたりするが、太極拳男は動揺などしない。なぜな、ら彼は仕事の間はセックスを一切しないのがモットーだからだ。そして昼はまたしても野外のカフェで、2杯のエスプレッソを注文してじっと待っている。そんな彼の前に、ヴァイオリン・ケースを持った男(ルイス・トサル)がついに現れ、太極拳男の前に座った。そしておもむろに口を開くと、太極拳男にこう告げたのだった。「スペイン語は話さないのか?」…。

みたあと

 淡々としたオフビートが身上だったジャームッシュ映画だが、実は近年はかなりそれがマンネリに陥っていたというのは、誰しも思っていたことではないだろうか。世評はいつも絶賛でケナせないジャームッシュ映画だが、僕は正直言って「デッドマン」(1995)あたりで勘弁してほしかった。そんなこんなのジャームッシュ映画のダメさについては何度もこのサイトで書いてきたが、オマケ短編だったシロモノをかき集めて長編に仕立て上げた「コーヒー&シガレッツ」(2003)あたりで、それもついにモロに破綻。ハッキリ言ってオマケだから見ていられたものを、これで一本の映画だなんて、とてもじゃないが人様からお金をいただくシロモノではない。こりゃいよいよジャームッシュもダメだと本気で思ってしまったものだ。ところが主演にビル・マーレイというジャームッシュとしては異色な顔合わせで創り上げた前作「ブロークン・フラワーズ」は、それまでの肌触りとはひと味違う映画となって大成功。それまではやたら「間」をとって登場人物がむっつりしてばかり。おまけにストーリー性も希薄だった彼の映画のスタイルが、ここでは大きく一新された。それまでが「寡黙」とすれば、この作品は「冗舌」と言っていいほどの変貌。従来と比べてドラマ性も強くなって、画面もカラフルになった。つまり手法だけを見るとジャームッシュは「普通の映画作家」に近づいたと見ることもできるのだが、何しろそれまでの手法は「スタイルのためのスタイル」となってしまい、最初の頃こそ鮮烈だったものの、もはや形骸化の一途を辿っていた。だからこの時ジャームッシュが取った「普通の映画作家」のスタイルは、むしろ彼の作品としては新鮮な手法に見えたわけだ。これには驚かされたし、その結果にも大いに満足した。僕は初めて彼の映画を心から「好き」に思えたのだ。そして今度はより豪華な顔合わせで、これまたジャームッシュとしては異例な「犯罪サスペンス」もどきの設定。これは今回も何かあると思わずにいられない。否、面白いに決まってる。…というわけで、仕事疲れで体調は思わしくなかったが、何とか劇場まで駆けつけたわけだ。すると、オープニングは空港。これはパリのシャルル・ド・ゴール空港だろうか。ジャームッシュ映画で空港など珍しいので、それだけでも「今回は違う」という気になってくる。ところがトイレとかターミナルのベンチあたりでモタモタしていて、お話が一向に先に進んでいかない。やっとこ空港のロビーで指令を受け取るくだりに来たら、二人の男が何やら意味ありげで空疎な禅問答みたいなことをブツブツ言い出すではないか。うわっ、しまった! これでは元のジャームッシュに逆戻りだ! その後スペインに舞台が移っても、いや〜何も起きない。何も起きないだけでなく、中味が何もない場面が多すぎる。そのうち元々体調が思わしくなかったこともあって、徐々に眠気を催してくる。こりゃ完全に作品選択を誤ったか…。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ところが単につまらない作品ならばこのまま爆睡できるものを、この映画はそれもさせてくれない。いやいや、別に大音響が上がって目が覚めるとかそんなことではない。どうやら生理的に心地よくない何かが、この映画には含まれているとしか思えない。眠くなるのに寝付けない。ほぼ拷問状態。イラクの刑務所みたい(笑)。節目節目でティルダ・スウィントンやらジョン・ハートやら工藤夕貴やらガエル・ガルシア・ベルナルやらとバラエティに富んだ役者が登場して目を見開かされるのだが、その都度「スター」たちは意味ありげだけど内容空疎なくだらない禅問答を言って消えるだけ。分子がどうの…とか、田舎の高校の映研の8ミリ映画だってそんな戯言を吐かないんじゃないか。最後に主人公のターゲットがビル・マーレイ扮する大物ビジネスマンらしいと分かり、大げさなセキュリティーに守られた別荘みたいな建物に主人公が乗り込むことになるが、「ようやく映画らしくなってきた」と思いきや、主人公が突然いつの間にかその建物の中に入っているから驚いた。ビル・マーレイならずとも「オマエ、どうやって入ってきた?」と言いたくなるところだが、それに答えて主人公いわく「イマジネーションを使った」とは呆れかえる。分かるよ、ジャームッシュがこう言いたいことは。建物に乗り込む際にハンググライダーを使ったり、壁をよじ登ったり、セキュリティーを殺したり…そういう「娯楽映画のお約束」は退屈だ…。ありきたりの娯楽映画の手垢のついたルーティンはあえて無視した。そう言いたいことは分かり切っている。つまりは、単なる「娯楽映画」より高級な映画をオレはつくったのだと言いたいわけだ。しかし、それは屁理屈だし言い訳だし、やるべき事をやっていない手抜きなだけ。おまけに娯楽映画を頭を使って作ってきた、数多くの先輩たちに失礼だ。娯楽映画をバカにしているくせに、娯楽映画的ウツワ(暗殺者、暗号、小道具などなど)を使っているあたりが姑息ではないか。娯楽映画がイヤだというなら、最初からそんな手口は使わなければいい。1分たりとも頭を使わず小指1本動かす気もないくせに、娯楽映画のフリだけするなんて卑怯だし腰抜けだ。オレならもっと高級なモノが作れるという、思い上がりがいやらしいではないか。それはコーエン兄弟の「バーン・アフター・リーディング」(2008)を作った態度にも似ていて、どこか不愉快だ。しかもコーエン兄弟は何とか面白い映画にしているからまだいいが、ジャームッシュはそれすら出来ていない。つまらない。ただただ、つまらない。単につまらない映画でしかない。それを高級な映画にしたなどと誤魔化さないでいただきたい。逆にこうした設定で、どうやったらここまでつまらなくつくれるのか分からない。この一見娯楽サスペンス映画をつくってるフリをして「もっと高級なモノをつくった」と言いたげな態度といい、ユル〜いエレキ・ギターの音楽がショボショボ流れる感じといい、ヴィム・ヴェンダースがミステリ仕立ての映画をつくった時に似ている。結末のつまんなさと来たら信じられないほど。ビル・マーレイをもっと大切に使え。見ていて久しぶりに本気で頭に来た。頭に来るオレがバカなのか。

みどころ

冒頭近く空港で主人公に会う二人の男のうち片方が、何とフランソワ・トリュフォーの「アメリかの夜」(1973)で助監督を演じていたジャン=フランソワ・ステヴナンだったのは予想外で、すごく嬉しくなった。この映画での収穫はこれだけ。

さいごのひとこと

 こいつの映画でコーヒーは鬼門。

 

「96時間」

 Taken

Date:2009 / 09 / 21

みるまえ

 娘をさらわれた父親が単身パリに乗り込んで大暴れ。ただしこの父親、ただのくたびれ親父じゃなくて、政府の工作員としてのキャリアを持っていたから大変…というお話。主演はリーアム・ニーソンとちょいと地味だが、制作がご存じリュック・ベッソンと聞いて…はは〜ん、だから舞台がパリなんだなとピンと来る。例によって例のごとく、「リュック・ベッソン・プレゼンツ」と銘打たれた駄菓子屋風味の娯楽映画。映画ファンからはバカにされている作品群だが、ハッキリ言って頭を使わなくて見れるし、気安い敷居の低さもあって僕は決してキライではない。ただし、出来はいささか安っぽく、粗悪品も混入しているというのは承知の上だ。そしてベッソンという男、フランス人のくせにアメリカ映画への傾倒を隠さない。この人の場合、「国籍不明アクション」というと一頃の日活映画みたいなスタイル上の意味ではなく、一見ハリウッド映画に見せかけたようなインチキ臭いフランス製娯楽アクション映画というところがミソなのだ。ただし最近では、「ベッソン・ブランド」の一時期の神通力もかなり落ちてきているように思えるが…。そんなベッソンとニリーアム・ニーソンとの接点は全く分からないが、このミスマッチな二人が組んだ新作が、なぜかアメリカで大ヒットしたというから驚いた。実はそんなに心待ちしていた訳ではないが、たまたま他の作品の上映時間が僕の予定と合わず、公開初日に見ることになった次第。果たしてストレスに疲れ果てた僕の心を癒す、スカッとした一編になっているのかどうか。

ないよう

 ロサンゼルス。ブライアン・ミルズ(リーアム・ニーソン)は今夜も一人、ビデオを見ながら孤独な夜を過ごす。そのビデオの内容は、一人娘キムの幼い頃の姿を収録したホームムービー。今は望むべくもない幸せだ。昼間は昼間で近くの電気店に出向き、キムの誕生日プレゼントに…と目を付けているカラオケ・セットのチェックに余念がない。そしてキムの誕生日。ブライアンが出掛けたのは超豪華な邸宅。ブライアンの元妻レノーア(ファムケ・ヤンセン)は、この豪邸の主と再婚していたのだ。今日はこの豪邸一杯に訪問客を集めて、キムの誕生パーティーを行おうというわけ。ノコノコ出掛けていった元妻レノーアには、イヤミたらたら並べられて閉口。それでもブライアンを迎えたキム(マギー・グレイス)は、プレゼントのカラオケ・セットを見て大喜び。あげた甲斐があったとブライアンも喜んだ。しかし次の瞬間、義父の大富豪が「究極のプレゼント」の馬を引っ張ってきたら、キムはカラオケ・セットなんか放り出してそっちに突っ走っていった。イヤというほど「格差」を思い知らされるブライアン。そもそもブライアンは、こんな所でショボくれているダメ男なんかではなかった。かつてはアメリカ政府のために世界各地を駆け回り、危険な仕事に手を染めていた男。ところがそれが災いして妻は逃げ、一緒に娘も失ってしまった。その娘の間近にいたくて仕事も辞め、このロサンゼルスに来たものの、今じゃこのテイタラクだ。そんなブライアンの様子を見るに見かねたかつての同僚が、彼を仕事を持ちかけた。スーパースターの歌手のボディガード役。ロス公演をこの仲間たちと一緒にガードするだけで、濡れ手に粟といいたくなるようなカネが手に入る。そんな仲間の好意にすがってボディガードの仕事に参加したブライアンだが、本番寸前で緊張感ピリピリの歌手に、いきなり「娘が歌手志望なんだが何かアドバイスを」などと聞いてしまう大ボケぶり。アッサリ歌手に「そんな夢捨てろって言いなさい」とバッサリやられる情けなさだ。しかし日常ではトホホなこの男だが、非常時にはガラリと変わる。コンサート終了直後、歌手一行が会場から撤収しようとする際に、いきなり歌手に見知らぬ男が襲いかかるではないか。こうなると、普段の昼行灯がいきなり水を得た魚状態に変貌するブライアン。アッという間に男を叩きのめし、歌手と一緒にリムジンに乗り込んで脱出。怯えきった歌手のハートを一気にわしづかみだ。この男、徹底的に平時ではその強みが活かされないのである。そんなある日、キムから「会いたい」とのメッセージを得て大喜びのブライアン。ところが喜び勇んで出掛けたところ、キムだけでなくレノーアまで付いてきたからブライアンは渋い顔。おまけに呼ばれた理由というのが、キムのパリ旅行の同意書に両親としてサインをしてほしいということだったと知って、ブライアンの顔はさらにさらに渋くなる。彼女の友人アマンダとの二人旅、初めての海外旅行…あまりに危険すぎると難色を示すブライアン。こうなるとキムは泣いて怒って店を出ていくわ、元妻のレノーアは例によって罵倒とイヤミを並べるわ…で散々な結果。結局、わざわざキムのいる大豪邸に出向いて、不本意ながら旅行にオーケーを出す羽目になる。せいぜいブライアンに出来ることといえば、彼女に「お守り」代わりに携帯を渡すことぐらいだ。ところがブライアンの心配はたちまち現実のモノとなる。パリのシャルル・ドゴール空港に着いたばかりのキムとアマンダ(ケイティ・キャシディ)は、フランスの好青年に声をかけられ、自分たちの宿となる家の住所を教えてしまう。しかも着いたその家には、キムとアマンダの二人だけ。アマンダの知り合いは留守だった。アマンダは最初から、フランスでのアバンチュール目当てでパリにやって来たのだ。そんな親友に苦笑しながら、自分もまんざらではないキム。しかし、笑っているのもそこまでだった。いつの間にか、不審な男たちが彼女たちのいる家に押し掛ける。男たちがアマンダに襲いかかる様子をたまたま窓から目撃したキムは、慌てて携帯でブライアンに電話だ。すると、それまで「電話が来ない」とおろおろしていたブライアンが、サッと人格が変わったように冷静になるからビックリだ。「いいか、キム。オマエはさらわれる。それまで出来るだけこの携帯で犯人の情報を伝えろ」…ブライアンはその音声をICレコーダーにすかさず録音。ベッドの下に隠れたキムは足を掴まれて引っ張り出され、彼女は悲鳴を上げながら犯人の風体を思い付く限りブライアンに伝えた。そして携帯の向こう側に犯人の息づかいを感じたブライアンは、冷ややかに…そして決然と言い放った。「言っておくが、カネならない。だがオレには、長年培ってきた特殊技能がある。オマエが娘を解放するなら見逃してやるが、そうでなければオレは自分の技術を使ってオマエを探しだし、必ずオマエを殺してやる…!」

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 見ていて笑っちゃった。ともかく、あまりのマンガぶりに。映画冒頭のミジメっぷりは相当なもので、特に「格差」を見せ付けられる愛娘の誕生パーティー場面はその頂点。逃げた女房には文句タラタラ並べられるし、娘には大喜びされるものの、あげた誕生プレゼントをすぐに放り出されるアリサマ。元女房の再婚相手に「どうだ!」と言われているようでミジメさ120パーセント。これは泣けます。しかし主人公の娘のネコっ可愛がりぶりも相当なもので、実は異常の域にまでいってる感じ。特に歌手のボディーガードやってて、いきなり「娘にアドバイスを」などと尋ねるくだりは、ちょっと頭おかしいんじゃないの?って言われても仕方ないかも。しかし、すぐに歌手を襲う暴漢を叩きのめす「最高に頼りになる」場面が出てくるため、その異常さが際だたない。このあたりはかなりスレスレなんだが、辛くもセーフという感じ。パリへの一人旅にも過剰なほど心配していて、結果的に主人公の心配が現実になったから「ほら見たことか!」となったものの、実際これで何も起きなければ娘への異常溺愛ばかりが目立ってしまう。もっとおかしいのは、娘の誘拐事件が起きるまではてんでサエなくて情けないのに、誘拐が起きるや否やシャキっとする。イキイキしてくる。まるで娘の誘拐を「待ってました!」と待ち構えていたようだし、用意万端整えているあたり「事前に分かっていたんじゃないか?」と思えてしまうくらい。挙げ句の果てにこれまで格差つけられてションボリしていたのに、前の女房の前で「黙れ!オレの質問に答えろ!」と前妻のダンナを撃退。有無を言わせず自家用ジェットを用意させる小気味よさ。娘が誘拐されたのをいいことに、日頃の鬱憤晴らしまくり(笑)。ひょっとして「この親父が全部仕組んでいたんじゃないか?」とさえ見えてしまう豹変ぶり、回復ぶりが笑っちゃう。そんなこんなで、正直言ってこの主人公の設定はかなり不自然なのである。少なくとも脚本上だけでは、リアリティもあまりないはずだ。分かりやすいっちゃ分かりやすいが、リュック・ベッソンらしい深みのなさではある。

みどころ

 しかし今回ばかりは、そんなリュック・ベッソンらしい単純さが功を奏した。アレだけ心配性で娘溺愛の男だからこそ、一旦娘がさらわれたとなると猪突猛進。人の国まで乗り込んで行って、モノをブチ壊しまくり人を殺しまくり。凄まじいばかりの殺戮が繰り広げられるが、これだけ冒頭ミジメで、これだけ娘を溺愛していればそれも仕方がない。多少殺しすぎでも許される(笑)。むしろ見ている方は、行け!もっとブチ殺せ!…と無責任に思っちゃうものなのである。そして主人公に扮するリーアム・ニーソンが暴れまくる。アクション俳優でもないし、そもそもそういう作品にも出演していなかった彼だが、とにかく物凄い運動量で暴れるのだ。この意外性も吉と出た。そもそも冒頭のミジメぶり、娘溺愛ぶりも、普通の役者やアクション俳優が演じたら見るに耐えなかっただろうし、マンガすぎて見ちゃいられなかっただろう。リーアム・ニーソンのようにシリアスなイメージを持ってしっかりした演技力を持った俳優が演じたから、かろうじて何とかマンガにならなかった。ギリギリ説得力を持ったといえる。大暴れぶりもマトモに見える。実際どれだけ絶体絶命の状況になっているか分からないのに、なぜかいつも助かってしまう不死身さ。何人かかっても勝ってしまう無敵さ。実はアーノルド・シュワルツェネッガーの「コマンドー」(1985)とほとんど同じシュチュエーションにも関わらず、作品に漂う雰囲気はまるで違う。それもこれも、リーアム・ニーソン起用を決めたリュック・ベッソンのプロデューサー的決断が正解だったのだろう。監督のピエール・モレルはベッソンの秘蔵っ子らしいが、別に才気も何も感じられない。しかしムダなことは一切していないのと、上映時間を93分とコンパクトにまとめたことは認めたい。

さいごのひとこと

 こんなに娘が誘拐されて嬉しそうな親父はいないかも。

 

「G.I.ジョー」

 G.I. Joe - The Rise of Cobra

Date:2009 / 09 / 07

みるまえ

 予告編はちょっと前から劇場で見ていた。パリのエッフェル塔がなぜか崩れ落ちて、何やらパワードスーツみたいなモノに身を包んだ連中が街を駆けめぐる。そして軍服を着たデニス・クエイドがゴチャゴチャ訳の分からないことを言っている。「いや、彼らの名前は秘密です」…そして画面に出てくるタイトルは、「G.I.ジョー」!…「G.I.ジョー」だって? それって確か昔、男の子用に売り出された兵隊人形ではないか? それも、僕がまだ小学生だった頃の話だ。確かおもちゃメーカーの「タカラ」が発売していて、僕はテレビのCMソングだって歌える(笑)。「すっす〜め、ゆっく〜ぞ、G.I.ジョー、G.I.ジョォ〜〜」…ってなやつ。当時、タカラは「G.I.ジョー」電話というのもやっていた。その番号に電話をかけると、「G.I.ジョー」がいろいろ話をしてくれるという趣向だ。「我々は勇敢に戦っている」とか何とかしゃべっていて、その背後で銃声や爆発音が聞こえるというシロモノ。ちょうど「タカラ」では同時に「リカちゃん電話」というのもやっていたのだから、女の子には「リカちゃん」、男の子には「G.I.ジョー」…って位置づけの「着せ替え人形」だったはず。ってことは、またぞろハリウッドが過去の名作も他国の名作も、テレビ番組もマンガもネタとして漁りつくし、ついにはおもちゃにまで手を出した「トランスフォーマー」(2006)みたいな作品なのか? こりゃまいったなぁ。またガキ向け映画かよ…。しかし当時の「G.I.ジョー」が戦っていたのは、たぶん第二次大戦中のヨーロッパあたりのはずだ。そして予告編の「G.I.ジョー」は、どう見たって現代。しかも、まるで「アイアンマン」みたいな格好をして、妙にSFチックだった。アレはどういう訳なんだろう。ハッキリ言って訳が分からなかったし、おもちゃ映画と知って完全に腰が退けてしまった僕だが、ただひとつ見たいと思った理由は好漢デニス・クエイドが出ているから。決してイ・ビョンホンに惹かれたわけではない(笑)。念のため。

ないよう

 NATO本部で、巨大軍事企業MARS社のCEOマッカラン(クリストファー・エクルストン)がスピーチを行っている。それはどんな金属も浸食する物質ナノマイトを使ったミサイルについてのスピーチだ。そしてMARS社からこのナノマイト・ミサイルをNATOに搬入するために、何台もの装甲車領にヘリコプターという、ものものしい装備による大輸送作戦が行われることになる。そんなNATO軍兵士の中に、長年の戦友である勇敢なデューク(チャニング・テイタム)とお調子者のリップコード(マーロン・ウェイアンズ)の二人もいた。しかし、彼らが軽口を叩いていられたのもつかの間。闇夜の空から飛来した謎の飛行物体が、輸送部隊を襲撃した。たちまちバタバタと倒れる隊員たち。飛行物体から降り立った謎の軍団は、アッという間にその場を制圧。その中に、一際目立つサングラスの女がいた。ナノマイトを守って必死に応戦するデュークは、その女の顔を見て驚く。「アナ!」…しかしデュークがアナと呼んだその女バロネス(シエナ・ミラー)は、そんなデュークをあざ笑うかのように殺戮と破壊を繰り返す。そしてナノマイトを奪おうとしたちょうどその時…またまた別の謎の軍団が現れ、バロネスたちと応戦。彼女たちを追い返してナノマイトを守る。ホッと一息のデュークとリップコードだったが、後から現れた軍団の正体が分からない以上、まだまだ安心はできない。まして彼らが「ナノマイトを渡せ」などと言ってくるものだから、ますます警戒心は高まるばかり。ところがそこにホログラム映像で現れたのは、NATO軍で輝かしい戦歴を誇る伝説の英雄ホーク将軍(デニス・クエイド)。となると、後から現れた軍団は敵ではなさそうだ。しかし黙ってナノマイトを渡すわけにもいかず、デュークとリップコードはナノマイトを持ってこの軍団の本拠地に一緒に向かう。それはエジプトの砂漠の地下にあった。それは世界各国によって運営された多国籍軍、しかも特殊技能とテクノロジーを使った世界最強の秘密部隊「G.I.ジョー」だった。ここからナノマイト輸送については、正式にNATOから「G.I.ジョー」に引き継ぎが行われるが、デュークとリップコードも「G.I.ジョー」への参加を志願する。「G.I.ジョー」加入のための訓練は厳しかったが、その厳しい訓練に耐えられなければ、バロネスたちと戦った「G.I.ジョー」のメンバーたち…頭脳明晰な射撃のエキスパートであるスカーレット(レイチェル・ニコルズ)、常に無言の忍者マスターであるスネークアイズ(レイ・パーク)、兵器のエキスパートであるヘビー・デューティ(アドウェール・アキノエ=アグバエ)、人間コンピュータの異名を持つブレーカー(サイード・タグマウイ)らの仲間にはなれないのだ。そんなデュークの頭から離れないのは、あのバロネスことアナのこと…彼女はかつてデュークの恋人だった。そして彼が中東に派遣される前夜に、婚約を交わした仲だったのだ。それなのに、なぜ? 一方、そのバロネスはといえば、仲間の忍者ストームシャドー(イ・ビョンホン)と共にナノマイト奪還を狙っていた。ストームシャドーは、かつて東京で「G.I.ジョー」メンバーのスネークアイズと何やら因縁があった様子。そしてこの悪党たちの背後には、意外な人物が潜んでいたのだった…。

みたあと

 まずは映画の内容を云々する前に、冒頭で僕が語った人形「G.I.ジョー」とこの映画との関連を語らなくてはいけないだろう。実はあまりに様変わりしているので無関係かと思いきや、やっぱり関係があった。というより、コレはまぎれもなくおもちゃの「G.I.ジョー」の映画化作品だった。では、第二次大戦でチマチマと戦っていた「G.I.ジョー」がなぜこんなSFチックな映画になっちゃったのかというと…どうも近年おもちゃの「G.I.ジョー」の設定が大幅に変更になったらしいのだ。この映画のSFチックな設定は、リニューアルされたおもちゃ「G.I.ジョー」に準拠しているらしい。確かにイマドキのガキに第二次大戦の戦争ごっこやらせても喜ばないだろうし、それは確かに正解だろう。しかし、世界各国選りすぐりの多国籍軍、本拠地はエジプトの地下…という設定は、何だか少々キナ臭い気がしないでもない。しかも映画の後半では、それぞれの母国の政府の決定に逆らって、「G.I.ジョー」のメンバーが勝手な作戦行動を行う。これって無責任に楽しんでいていいんだろうか? 僕はどうも引っかかっちゃうんだよねぇ。って、そんなことを考えながらこの映画を見るのはヤボというものか。

みどころ

 映画そのものはあの「ハムナプトラ」シリーズを手がけたスティーブン・ソマーズが監督しているから、なかなか大がかりで派手だ。エッフェル塔をブッ倒すような大風呂敷を広げて、大いにハッタリかましている。ついでに言えば、ソマーズが監督している縁からブレンダン・フレイザーがチョイ役出演しているのもお楽しみだ。東京出身の韓国人の忍者(少年時代を演じた子役が明らかに韓国語をしゃべっていた)という、何だか妙に回りくどい設定のイ・ビョンホンの役など気になる点もいくつかあるが、それをいちいち指摘するのもヤボなんだろう。主人公デュークの相棒のリップコードがアホな言動を繰り返すのもイライラさせられるが、それも気にしちゃいけないんだろう。そういうものは一切考えずに、ボケッと見ている分にはソコソコ楽しめる作品になっている。

こうすれば

 だが、タイトルには「The Rise of Cobra」と副題が付いているし、エンディングもあからさまに続編が作られるという設定で終わっている。最初からシリーズ化前提の作品なのだ。だとするならば…申し訳ないけど、さすがにいかがなものかと思ってしまう。ぶっちゃけ言えば、「G.I.ジョー2」なんて全く待ち遠しくない。チャカチャカど派手なCG特撮もアクションも、あっちこっちの映画で見飽きてる。こんな映画は1本見れば充分。もうたくさん。お腹一杯。2年後か3年後にまた見せられたいとは到底思えないな。

さいごのひとこと

 人形遊びには飽きました。

 

「ハリー・ポッターと謎のプリンス」

 Harry Potter and the Half-blood Prince

Date:2009 / 09 / 07

みるまえ

 考えてみると、「ハリポタ」も早くも6作目を数えようとしている。道理でどれがどれだか分からなくなるはずだ。どうやら、いまだに「映画ファン」的にはあまり評価されず黙殺されたままの「ハリポタ」シリーズ。騒いでいるのは原作ファンと「ヒットしてるから見る」浮動票のみって感じらしいが、最近の何作かについては僕は結構高く評価している。このあたりのことは、前作「不死鳥の騎士団」(2007)感想文にも書いたことなんであまりクドクド言わないが、とりあえず簡単におさらいしてみよう。確かに最初の2作は凡作だったと思うが、3作目の「アズカバンの囚人」(2004)あたりからは徐々に変わってきた。それは1〜2作目のクリス・コロンバスと3作目のアルフォンソ・キュアロンという監督の腕の差もあるだろう(笑)。そしてジャリの話じゃなくて、青春映画としての様相を呈してきたということもあるだろう。それゆえに、物語に陰りが出てきたのである。映画の色調もカラーが抑えられ、まるでモノクロに近い暗い色調になった。こんなに作品の色を抑える映画作家は、他にクリント・イーストウッドぐらいじゃないか。試しにシリーズのポスターを並べてみれば分かる。3作目を境にどんどん暗くなっていっているはずだ。そして物語が暗さを増していく一方で、それに正比例して映画が面白くなっている。正直言って今でも「ハリポタ」映画をケナしている人は、最初の2作しか見ていない人か、カネのかかった大ヒット映画がキライな人、どこか偉そうでイヤな女に見える原作者がキライな人(笑)…ってことになるだろうか。まぁ、もっとも僕もあの原作者は何となくイヤな女に思えるのだが(笑)。今回の監督は、前作「不死鳥の騎士団」を手がけたデビッド・イエーツ。「ハリポタ」シリーズの監督たちの中では一番華がないが、「不死鳥の騎士団」は素晴らしい出来栄えだった.。どうやらシリーズの残りの作品はすべてこのイエーツが手がけるらしいが、それももっともだろう。ともかく、僕の中で最近の「ハリポタ」はすっかり信頼のブランドに変わっている。今回も期待に応えてくれそう…と、いそいそ劇場に出掛けていった。ただし、見たのは7月のこと。今ごろアップしたのは、単に僕が怠慢だったからだ。

ないよう

 間違いなく闇の勢力は力を増してきていた。彼らの手先は白昼のロンドンにまで現れ、そのパワーを誇示し始めた。むろん彼らの狙いはホグワーツ魔法学校であり、そのセレブ中のセレブ、ハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)であることは言うまでもない。その頃、その当のハリーはといえば、休み期間中の小旅行に出ていたところ。とある駅の食堂で、ウエイトレスのネエチャンに色目を使うほどに色気づいていた。しかしオイシイ思いにありつけそうなところに、思わぬ珍客が現れる。ホグワーツの校長ダンブルドア(マイケル・ガンボン)だ。ダンブルドアがハリーの前に現れた理由は、いよいよ闇の勢力との対決を覚悟しなければならなくなったから。そして、闇の帝王ヴォルデモートがあれほど強大な力を得ることになった秘密を探るために、そのカギを握る男をホグワーツに呼び寄せようとしたからだった。その問題の男とは、かつてダンブルドアと一緒に働いていた教師ホラス・スラグホーン(ジム・ブロードベント)。スラグホーンをホグワーツに復帰させるためには、彼を惹き付けるための「えさ」が必要だった。スラグホーンは無類の「セレブ」好きで、すこぶるつきに優秀で後に名が残るような生徒の「恩師」になりたい…という誘惑に勝てない。そんなスラグホーンを惹き付ける格好の「えさ」が、有名人ハリー・ポッターだったのだ。案の定、ダンブルドアとハリーがスラグホーンの家を訪ね、彼にホグワーツの復帰を誘うと、最初はグズっていたもののすぐに大乗り気。こうしてスラグホーンは魔法薬学教授として学校に復帰することになる。一方、闇の勢力のほうは…といえば、相変わらず不穏な動きを見せていた。ハリーの宿敵であるドラコ・マルフォイ(トム・フェルトン)は、闇の勢力のために「大きな仕事」を担わされることになる。そして、その場にはスネイブ先生(アラン・リックマン)も居合わせ、彼を援護射撃するべく何やら「誓い」を立てさせられるではないか。ドラコとスネイブは何をたくらんでいるのか? さて、またまた始まったホグワーツの新学期だが、今回はそんなわけで今ひとつ妙な雰囲気。妙な雰囲気といえば、どいつもこいつも色気付いているから困ったものだ。ハリーは親友ロン・ウィーズリー(ルパート・グリント)の妹ジニー(ボイー・ライト)と「いい感じ」。そのロンはといえば、本当はハーマイオニー・グレンジャー(エマ・ワトソン)と思い思われの仲のくせに、どちらもお互い素直になれない。しかもロンに露骨に好意を見せつけるラベンダー(ジェシー・ケイブ)が現れるから、うまくいくものもいかなくなる。そんなこんなでこじれにこじれるハリーたちの前に、闇の軍団たちがひたひたと迫ってきた…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 お恥ずかしい話、この映画を見たのはもうだいぶ前の話。実はもうストーリーなどもうろ覚えだ(笑)。しかし3作目「アズカバンの囚人」以降のこのシリーズの傾向…主人公たちの年齢が上がって青春映画的色彩が強くなっていくにつれて、彼らの言動もどんどん「いい子」じゃなくなっていき、ストーリーも陰影が濃くなっていき、映像もどんどんカラーの色気が失せて暗くなっていく…という部分は、今回もちゃんと踏襲され、かつますますエスカレートしている。もうすでにメディアなどに露出しているし原作にはすでに出ているだろうから、知っている人は知っているだろうが、今作の終盤ではかなりの重要人物が物語から退場する。考えてみるとシリーズが暗い方向に軌道修正してから、毎回毎回ラストに誰かが死んでいる気がする(笑)。何となく「太陽にほえろ!」の七曲署の殉職刑事じみてきて、いささかワンパターンにも感じられないでもないが、いよいよシリーズ終末に向けて期待が高まるのは確かだ。ただし、今回は今までにも増して終末への「つなぎ」的要素が濃厚だから、映画として面白いし今後に期待も高まるものの、「この作品単独」ではなかなか評価しづらいものがある。エンディングなど、完全に「つづく」という感じなのだ。

みどころ

 イギリス名優のショーケースという観もあるこのシリーズ、今回登場したのはただいま絶好調のジム・ブロードベント。もう、あと出す役者はジュード・ロウとかマイケル・ケイン、ダニエル・クレイグぐらいしかいないんじゃないだろうか(笑)。面白いなと思ったのは、今までひどく単純に「嫌われ者」として出ていたドラコ・マルフォイが、初めて陰影に富んだ厚みのある人物として描かれたこと。「弱さ」を見せ始めたドラコは、今後重要な役割を果たしそうだ。そして毎回つかみどころのない人物として登場するアラン・リックマンのスネイブも、ますます意味ありげな登場ぶり。こんな風に書いていると僕がこのシリーズを単純に楽しんでいる様子がお分かりいただけるだろう。実際のところ、原作小説はどうか知らないが映画「ハリー・ポッター」シリーズは、特にここ何作かは理屈抜きに楽しめる。1作目2作目はクソミソに言ったけれど、ここ何作かは本当に面白く出来ているのだ。こんなつまんない感想文など書いていないで、ただボケッと楽しんでいたい気がするのである。

さいごのひとこと

 このぶんだとハリーの童貞喪失も見れるかも。

 

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