新作映画1000本ノック 2009年7月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「天使と悪魔」 「ノウイング」 「スラムドッグ・ミリオネア」 「アルマズ・プロジェクト」

 

「天使と悪魔」

 Angels & Demons

Date:2009 / 07 / 27

みるまえ

 それにしても、映画版「ダ・ヴィンチ・コード」(2006)に対する攻撃ぶりたるや、正直言って常軌を逸していたとは言えないだろうか。マスコミもひどいがそこらの映画ファンもひどかった。どいつもこいつも口汚く罵る。一体この映画がこいつらにどんな迷惑をかけたっていうんだ。ハリウッド大作でベストセラーの映画化ってだけで、何でこんなに叩かれる。世の中にもっとダメな映画はゴマンとあるというのに、何でみんなこんなに憎しみを持つのか。そのくせ「ダークナイト」(2008)なんてシロモノを「哲学的内容」とまで持ち上げようってんだから…ってのは置いといてっと(笑)。僕だって「ダ・ヴィンチ・コード」が傑作とは思わないが、普通の娯楽映画ではないか。まぁ、とりあえず見ていて退屈はしない。それなのに、映画ファンという映画ファンが…それも超ベテランから昨日今日映画を見始めた奴まで、邦画マニアからミーハーまで、揃いも揃って…それも滑稽なことにそれぞれがまったく正反対の方向からケナしてる。こいつら「ケナし」という一点においてのみ意見が一致しているわけだ。つまり、もうみんなは最初から「ケナす」ことに決めてケナしているのである。だからオレは映画ファンなんざ信用していない。こうなると別に好きでもない映画なのに、妙に肩を持ちたくなるオレなのだ。そんなわけで、娯楽映画の職人ロン・ハワードにとってはまことに気の毒な結果にはなったのだが、商業的には大成功。そもそもハリウッドのセレブであるハワードがそんな末端の雑魚の戯言など気にするわけはないわな。そしてまたまた「ダ・ヴィンチ・コード」の続編を映画化ときた。懲りないねぇ。しかし、なぜか今回は怒濤のケナしが聞こえて来ない。どうしたことか。こうなると、別の意味で妙に気になってくるのだ。

ないよう

 現代、バチカン。法王を亡くしたばかりのこのカトリックの総本山では、枢機卿たちが集まって次期法王を選出するべく、教皇選挙「コンクラーベ」を行おうとしていた。バチカンが世界の注目を集めていたちょうどその頃、スイスの欧州原子核研究機構「CERN」の研究所では、ある画期的な実験が行われようとしていた。それは凄まじいエネルギーを秘めた「反物質」の生成だ。一つ間違えば研究所を辺り一面ごと吹っ飛ばしかねない実験だけに、緊張がはしる。しかしこの「CERN」スタッフのひとりで反物質研究の第一人者である女性科学者ヴィットリア・ヴェトラ(アイェレット・ゾラー)は、ただただ武者震いするばかり。緊張の一瞬が過ぎて、施設内の3つのケースに「反物質」が無事に収納されると、スタッフ一同から安堵の声が漏れる。しかし、そんなリラックスもつかの間。ちょっとした隙を突いて、「反物質」を収納したケースひとつがヴィットリアのつい目と鼻の先で盗み出されてしまう。さて、またまた舞台変わって今度はアメリカ。ハーヴァード大学のロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)がプールで泳いでいると、一人の男が彼を訪ねてくる。それはバチカンの警察組織「ジェンダルメリア」の警部オリヴェッティ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ )。自分あてにバチカンから直々に使者がやって来るという異例の展開に、ラングドンはただならぬ事態が起きていることを察せずにはいられなかった。こうしてオリヴェッティ警部に連れられ、バチカンまでやって来たラングドン。「コンクラーベ」の最中でマスコミと多くの信徒たちに取り囲まれていたバチカンは、それでなくても緊張に包まれている。さらにバチカンでの一般的警察業務を行う「ジェンダルメリア」と、より上位の位置づけとなるスイス衛兵隊との力関係は微妙で、スイス衛兵隊の隊長であるリヒター(ステラン・スカルスゲルド)は、ラングドンを明らかに歓迎してはいないようだ。しかし、彼らから受けた説明は、ラングドンを震撼させるに十分なものだった。実は「コンクラーベ」のために集まった枢機卿たちのうち、新法王の有力候補である4人が誘拐されていた。誘拐したのは、秘密結社「イルミナティ」。かつて神の存在を否定した罪で教会から迫害されたガリレオ・ガリレイらの科学者たちが、その圧力に対抗すべく組織したものだ。しかし、現在では「イルミナティ」は存在しないものと思われていた。ところが今回の事件では、犯行は「イルミナティ」によるものだと自ら主張しているのだ。しかも彼らは誘拐した枢機卿をこれから1時間ごとに一人ずつ殺すと宣言。そして0時ちょうどになったところで、バチカンを一瞬にして地上から消し去ると告げていた。そして送られてきた映像は、例の「CERN」から盗み出された「反物質」入りのケースが、バチカンのどこかに仕掛けられていることを示していた。しかし、それがどこかは分からない。この非常事態に、「CERN」からヴィットリアも呼ばれていた。彼女いわく、例のケースは電池によって磁力を発生させて「反物質」を安定させているため、電池が切れれば爆発してしまう。そうなれば、バチカンは跡形もなくなる。しかも、その期限はあと数時間! 容易ならぬ事態に、バチカンの書庫で資料を見ることを要求するラングドンだが、リヒター隊長はまるで相手にしようとしない。仕方なくラングドンは、法王不在の現在、バチカンの全権を握る前法王の侍従カメルレンゴ(ユアン・マクレガー)に直談判しに行く。すると、実はラングドンに助力を仰ぐべく手配したのが、このカメルレンゴだった。彼がラングドンに「神はいると思うか?」と問いかけると、「説明できない何かがいると思う」と答えるラングドン。カメルレンゴはラングドンに書庫に入る許可を与えた。こうしてヴィットリアと共に謎の解明に取り組むことになったラングドン。しかし当のバチカンでは、枢機卿のひとりシュトラウス(アーミン・ミューラー=スタール)が「コンクラーベ」を強行しようとするなど、不穏な動きを見せていた…。

みたあと

 今考えてみると、「ダ・ヴィンチ・コード」はみんなに叩かれるつまんない映画だったとは思わないが、特に面白い映画だったとも思わない。ただ、そうなってしまったであろう理由も、僕には何となく想像がつく。「ハリー・ポッター」シリーズの初期と同じで、世界的ベストセラー故に縮められなかったのだ。そして映画的なアレンジもあまり出来なかった。だからゴチャゴチャした情報を盛り込むあまり、お話を語りきるだけに追われてしまったのだろう。それなのに、前作の時はあれでも原作を活かしてないとかイチャモンが付いたのだから訳が分からない。一体どれほど原作とやらをありがたがればいいのか。そもそも、それほどの原作かよ。目の付け所はいいと思うが、ハッキリ言って文学作品でも何でもない。一種のハッタリ小説に過ぎないシロモノだ。そして残念ながらそんなムードに負けてしまったのか、ロン・ハワードといえども原作に大鉈を振るえずに終わってしまったのが正直なところ。だが今回は、割とそんな窮屈さからは逃れられてるのではないか。バチカンが出てきたと思いきやスイスの研究所。そこでSF映画まがいの実験が行われたり…と、元々のハッタリは原作にあったものだろうが、映画も負けじとハッタリ感アリアリで楽しそうに撮っている。「ダ・ヴィンチ」の時と違ってこちらの原作は読んでいないが、かなり自由に脚色しちゃったんじゃないだろうか?

みどころ

 そんな「自由度」は、お話が後にいけばいくほど強く感じられる。特にヤマ場たる「反物質」の発見からユアン・マクレガー扮するカメルレンゴが身体を張った大活躍を見せるくだりは…あまりにもスーパーマン的活躍なのに笑いそうになった。ど派手なスペクタクルといいアクションといい、これはかなり原作をいじったんじゃないかと思いきや、今回脚本にはスピルバーグ版「宇宙戦争」(2005)や「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(2008)を手がけたデビッド・コープが参加。なるほど、このケレン味は彼のモノだったのか。でも、まぁ理屈抜きの娯楽大作とすれば、これも大いに結構。近作「フロスト×ニクソン」(2008)ではぐっとシリアスで大人な映画を見せていい味出していたロン・ハワードも、ここでは大いに無責任に派手派手な娯楽映画づくりに専念。これはこれで、その潔い姿勢が嬉しいではないか。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 しかしながら、ちょいと気になるのは…この「真犯人」って果たして原作通りなんだろうか? いやいや、僕は別に原作なんざどうでもいいのだが。…というのは、あまりに唐突で無理な設定なので、いささか面食らったのだ。確かに一旦結論が出たように見えてドンデン返しという意味では娯楽映画的にオイシイ展開ではあるが、動機としても条件的にもいささかキツくはないか? ここまでのアレコレを全部セッティングしたのも「真犯人」で、そのためにラングドンをわざわざ呼び寄せたというのか。こりゃあまりに苦しい設定なのではないか。もし仮にこれが原作通りだとすると、元からこんなに無茶な設定なのだろうか。一時期の韓流映画だってここまで無茶なドンデン返しはしなかったぞ(笑)。まぁ…それもこれも、バチカンを吹っ飛ばすというとんでもない設定なのだから、これくらいムチャクチャでもいいのかな? それともうひとつ…女性科学者ヴィットリア・ヴェトラを演じるアイェレット・ゾラーという女優さんには、最初から最後までなぜかイライラさせられた。役柄の設定がマズイのか、それともこの女優さんの個性がそうなのか。ともかく僕にはイヤな女にしか思えなかった。それがなぜだか全く分からないから困る。

さいごのひとこと

 バチカンの次に吹っ飛ばされそうなのは自民党か。

 

「ノウイング」

 Knowing

Date:2009 / 07 / 20

みるまえ

 予告を見て、久々に血が騒いだ。タイムカプセルから取り出された、何十年か前の紙片。そこにビッシリ数字が書かれているのも奇妙だが、それが過去の大惨事の日付と犠牲者数を表しているというからビックリ。何とこの紙片は「予言」の書らしいのだ。その内容を裏付けるように、渋滞で動かなくなった高速道路に旅客機が墜落して惨憺たる状況。どうやら「予言」の書によれば、地球の破滅まで書かれているらしいのだ。く〜、このハッタリ感あふれるお話。まるでM・ナイト・シャマランの映画みたいじゃないか(笑)。おまけに主演はニコラス・ケイジ! リメイク版「ウィッカーマン」(2006)、「ゴーストライダー」(2007)、「ネクスト」(2007)、「バンコック・デンジャラス」(2008)…と、ジェリー・ブラッカイマー映画常連のハリウッド・スターのくせにトンデモ映画も大好きってところがこの映画にピッタリではないか。みんなはバカにするけれど、僕はこの手のトンデモ映画が大好き(笑)。もう、この予告編だけで見るしかないって思ったよ。唯一の不安は監督のアレックス・プロヤスの前作「アイ、ロボット」(2004)に、よくも悪くもハリウッド大作風の「大味さ」しか感じなかったこと。トンデモ映画ならトンデモ映画らしいチープさや悪趣味さが欲しいところ(笑)だが、「アイ、ロボット」ってそんな気の利いた映画じゃなかった感じだったなぁ。というより、今ではもう内容をまったく覚えていない(笑)。そんな監督に、この手のトンデモ映画をキッチリ(笑)作れるのか。この点には大いにこだわりたい。

ないよう

 1959年、アメリカのある小学校。一人の少女が思い詰めた表情で虚空を見つめている。その少女ルシンダ(ララ・ロビンソン)は周囲から浮いた存在にも関わらず、小学校の創立記念式典の企画案として50年後に残すタイムカプセルの埋設を提案。これが実現することになる。そこに子供たちは未来予想図の絵を描いて埋めることになったが、なぜかルシンダは時間ギリギリまで紙の表裏にビッシリ数字の羅列を書き込む。絵を描けと言ったのに何で数字なんて書いたのか…という苛立ちも手伝って、女教師は最後の部分を書いていたルシンダから紙を取り上げる。そしてタイムカプセル埋設の日、ルシンダは突然姿を消した。イヤな予感を感じた女教師は体育館で物音を聞きつけ、用具室に閉じこもっていたルシンダを発見。何と彼女は両手をツメを血だらけにして、扉に何かの数字を刻みつけていた。アゼンとする女教師に、ルシンダはこう叫ぶ。「ささやく声を止めて!」…それから50年後、宇宙物理学者のジョン(ニコラス・ケイジ)は幼い息子ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)と二人暮らし。しかし、何となく二人の仲はしっくりしない。実はジョンの妻は昨年事故で死に、それ以来、ケイレブは心を閉ざし始めたのだった。しかし妻の死がショックなことはジョンとて同じこと。泣きたいのはオレの方だと、思わず言いたくなるジョンだった。そんなある日、ケイレブの通う小学校で50年前のタイムカプセルを開封する式典があり、ケイレブは「ルシンダ」という少女が入れた封筒を手に入れる。ところがそこには、奇妙な数字がビッシリと書かれているではないか。その紙はその夜ジョンの目にも留まり、彼はその中の一綴りの数字の羅列をホワイトボードに写してみた。「299691101」…これは何だ? ひょっとしてこれは、2001年9月11日同時多発テロの犠牲者2996人を表しているのではないか? そう考え始めたら、居ても立ってもいられない。ジョンはそこに綴られた数字を次々と読み解き、そこに書かれているのがここ50年間の世界中の事故・災害の日付と犠牲者数であることを確信する。そこには彼の妻が死んだホテル火災も挙げられていた。衝撃を受けたジョンは、同僚で友人のフィル(ベン・メンデルソーン)にこのことを打ち明けるが、「妄想だ」と決め付けられて取り合ってもらえない。おまけに紙には、他に読み解けない数字がかなり残っているのも事実。だが、ジョンの胸中は穏やかではなかった。なぜなら紙にはあと3つ、まだ起きていない大惨事が書いてあったからだ。その一つ目は明日! しかし、世界ではこれといった惨事は起きない。安心したジョンがクルマに乗ってケイレブを学校まで迎えに行くと、途中のハイウェイで渋滞に巻き込まれる。ふとカーナビの画面に目を留めてみると、そこに表示された緯度経度こそ…例の紙に抱えた数字の中で意味の分からなかったモノではないか。慌ててジョンがクルマから降りて外に出てみると…いきなり旅客機が急降下してハイウェイを直撃。ジョンの目の前で墜落炎上したではないか。やっぱり何かが起きた! その頃、ケイレブの身辺にも、不思議な男たちが出没し始めるのだった…。

みたあと

 いいねぇ。このインチキ臭いケレン味(笑)。数字がビッシリの紙が出てきた時点で、一瞬だけジム・キャリーの「ナンバー23」(2007)みたいにショボい話になるんじゃないかってイヤな予感が胸をよぎったが、この映画ではすでに予告編で旅客機墜落みたいな絵が出てきてるのを見てるのだった。少なくとも旅客機1機は落ちる(笑)。その保険があるから、僕は安心してトンデモ映画の世界に身を委ねることができた。それだけではない。どうやら人類存亡の危機も迫っているようだぞ。何やら太陽がヤバイとかおかしいとか言っている。「ナンバー23」みたいに個人的でこぢんまりした話に終始するわけではなく、大風呂敷はどんどん広がっていく。話としちゃシャマランの「ハプニング」を思わせる人類破滅モノへと進んでいくが、あんな田舎の高校で作った安い自主映画みたいなゴマカシじゃなく、こっちはニューヨークで地下鉄が大事故を起こすし、その撮影はほぼオーストラリアで行われたということだが、ど派手な見せ場の連続でいやはや大いに結構(笑)! こうなると、大風呂敷をどこまで広げるか…だが。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ただし、こう言っちゃ何だが…出てくる人物たちの心情にはあまり感情移入できない。まずは主人公の息子ケイレブの言い草が気に入らない。目の前で大惨事を目撃して呆然となった主人公が、息子を心配させまいと沈黙を守っていると…「子供扱いするなよな!」…ってテメエ子供だろうがこのガギャア! しかも寂しがっている息子にお手製ホットドッグまで作ってやっているのに、「僕は今日からベジタリアンになったから」…って、つくる前に言えこのクソガキが! 焼いたウインナーがムダになっただろうが。大体がテメエ一人が可哀相って言い草が気に入らない。女房亡くした主人公の方が泣きたいところだ。それをこのクソガキはテメエ一人が悲劇の主人公。殴りたくてイライラした(笑)。ぶっちゃけ言うとラストでこいつら宇宙人に「選ばれし者」とか何とか言われて連れて行かれるが、こんなガキのうちから「選ばれし者」なんて特別扱いしたら教育上ロクなことにならない。絶対このガキ増長するに決まっている。もっと言うと、映画の後半になって「予言」を書いた少女ルシンダの娘ダイアナ(ローズ・バーン)が出てくるが、この娘にいきなり迫っていく主人公ジョンがほとんどストーカーの行動(笑)。怪しまれない訳がない。ところがお話も終盤になってこのダイアナがジョンと行動を共にし始めると、今度はこのダイアナの行動の方が難アリなのだ。一番苛立たされたのが、太陽の爆発で生じるスーパーフレアから逃れようとするダイアナが、主人公ジョンを待たずに子供たちを連れてクルマで逃げるところ。何をどう言っても、ジョンを見捨ててテメエだけ助かろうとしたとしか言えない。「どこに逃げてもムダ」と言われても聞く耳持たないバカ女。だから最後にこの女が事故を起こしてくたばった時には、思わず「やったぜ!」とガッツポーズが出た(笑)。こんな調子で、見ているとどんどんこちらの心の奥底の「暗黒面」が滲み出てくるような映画なのだ(笑)。その他にもお話の展開にかなりの難があって、「予言」に書かれた最後の大災害ってのがいつ頃でどんなモノなのか、もっと早い段階で見る者に分からせなくてはいけないんじゃないだろうか。また、主人公が息子の周辺に現れる奇妙な人物たちに無頓着で、しばしば子供を放置して謎解きに夢中になるのも気になる。まるでクルマに子供を置き去りにして、パチンコに夢中になるバカ親みたいではないか。人の子供をさらって行こうというのに、ロクな説明もせず上から目線の宇宙人たちも何となく神経に障る(笑)。挨拶もロクに出来ないバカで生意気な若造みたいで気にくわない。だから見終わった後も、何となくイヤ〜な気分になってしまうのだ。いやいや…そもそもこれを言っちゃうとこの映画の設定そのものが根底から崩れてしまうのだが、50年前にコレが分かっているなら、タイムカプセルにガキの「予言」なんて遠回しなやり方じゃなくて、もっと直接的な告知の方法があったんじゃないか。っていうか、その「予言」も残りが3つぐらいじゃ何の意味もないんじゃないか(笑)?

みどころ

 しかし、この映画が最後に辿り着く「終末感」というか「無常観」というか、達観した気分はちょっとハリウッド映画らしからぬモノを感じる。誰もヒロイックな行動で地球の破滅を救うことはしないし、奇跡も起きない。ただただ達観あるのみ。それは、確かにあまり他の映画では見られないものだ。それだけでも、この映画はユニークな位置を占めると言えるかもしれない。

さいごのひとこと

 宇宙人のしつけが心配だ。

 

「スラムドッグ・ミリオネア」

 Slumdog Millionaire

Date:2009 / 07 / 13

みるまえ

 今年のアカデミー賞作品賞を受賞した作品。今頃こんな映画を紹介するなんて何ボケたことをやってるんだとお叱りのひとつも頂戴しそう。しかし本当のところ、ついこの前やっとこ見たんだから仕方がない。むろん忙しいからというのが言い訳のひとつだが、その割には「レイン・フォール/雨の牙」とか「ラスト・ブラッド」とか、ちょっとアレな映画には食いつきがいいではないか…と言われれば、確かにその通り。だってこのへんの映画ってすぐ終わっちゃうしね。その点、オスカー受賞作ならしばらくやってるだろう。確かにそれはそれで本当のことだが、実は正直な話、僕はこの「スラムドッグ・ミリオネア」にあまり食指が動いていなかった。まずは最近のオスカー作品賞受賞作は。あありオモロクない。おまけにネタになっている「クイズ・ミリオネア」もあまり好きじゃない…というより、キライだ。さらにこの映画はインド映画じゃないが、インドを題材にしたインド人の話であることは間違いないだろう。ところがインド映画にも興味がないし、昔見たインド映画にもまったくシンパシーは持てなかった。心が狭くてごめんなさい、でも本当なんです。そして何より、ダニー・ボイル作品にイマイチ信頼が持てなかった。「トレインスポッティング」(1996)は確かに面白かった。だけど、その後の迷走は如何ともしがたかった。「ザ・ビーチ」(1999)はミーハー人気があるスターを叩くと「映画通」…みたいな歪んだ映画ファン心理というか、デカプー憎しのクソミソ評ばかりだったから擁護したし、それほど悪い映画とも思わなかったけど、ダニー・ボイルが絶好調であるとも思わなかった。その後、「28日後…」(2002)で「おおっ!」と思わせる快作をモノにしながら、次にまたSFを撮ったかと思えば「サンシャイン2057」(2007)。一体何がやりたいんだか分からない。そんな男がインドの話で「クイズ・ミリオネア」で、しかもオスカー。面白くなさそうな雰囲気がムンムン。わざわざ仕事で疲れた身体をシネコンに引きずっていって、オールナイトでこんな映画見たくもない。とはいえ、映画ってのは何で化けるか分からないところでもある。今さら僕が書くこの映画の感想文なんざ、誰も読みたくもないだろうし、こうなったら勝手に見て勝手に書かせてもらうまで。そう考えたら、ぐっと気楽になってきたから現金なものだ。

ないよう

 ここはインドのムンバイ。警察署の取り調べ室で、一人の若者が尋問されている。「尋問」といえば聞こえがいいが、アジアの警察…分けてもインドの警察などに人権意識なんぞカケラもない。この若者ジャマール・マリク(デーヴ・パテル)の首根っこをつかんで水の中に浸けては、窒息寸前で水から上げる。さらには電気ショックでしゃべらせようとする。しかしジャマールはしぶといのか何なのか、一向に警察の求める答えをしゃべらない。警部(イルファーン・カーン)もこれには業を煮やして苦り切る。「どんな手を使ったんだ、言え! どうせズルをやったんだろう?」…しかしジャマールは答えない。彼はインドでも大人気のテレビ番組「クイズ・ミリオネア」の挑戦者だ。最初にジャマールが登場してきた時には、高名かつ傲慢な番組の司会者プレール・クマール(アニル・カプール)が、みのもんたばりのデカい態度で彼のことをバカにした。「たかがお茶くみ? それがこの番組に挑戦だって?」…ところがそのジャマールが次々正解を答え続けて、あと1問で最高賞金獲得というところまで勝ち進んだ。こうなると、彼は全インドのヒーローだ。みんなが固唾を呑んで彼の結末を見守っている。一人気に入らないのがインドの腹黒みのもんたことクマール。彼はどうせインチキだと決めつけて、ジャマールを警察に引き渡してしまう。こうして彼は、ここで無理矢理拷問まがいのひどい目に遭わされているというわけだ。それでもジャマールは、インチキの手口を言わない。彼はただ、答えを知っていたと答えるだけだ。それでは、どうして答えを知っていたのか? (A)インチキだった、(B)ついていた、(C)天才だった、(D)運命だった…さぁ、そのファイナル・アンサーは? 警部は眉にツバつけながら、ジャマールの話に耳を傾け始める…。ジャマールはムンバイの巨大なスラムの出身だった。優しい母親の下で、ちょっとワルな兄貴サリームと一緒に育てられていた幼少のジャマールは、貧しいながらもそれなりに幸せに暮らしていた。しかし、ある日宗教紛争が起きて、暴徒が狂ったように襲ってくる。母親は兄弟二人に「逃げて!」と告げながら、彼らの前で惨たらしく殺された。嘆く暇なくスラムを逃げまどう兄弟は、何とか生き延びたものの親のない身の上となってしまった。土砂降りの雨の中、貨車に潜り込んで何とか一息ついた兄弟は、同じように孤独な身の上となった一人の少女と出会う。兄のサリームはこの女の子を貨車に上げるのを嫌がったが、優しい弟ジャマールは彼女を中に入れてやった。それがジャマールと「運命のひと」ラティカとの出会いだった。しかしジャマール、サリーム、ラティカには、それからさらに過酷な運命が待ち受けていたのだった…。

みたあと

 正直言ってまったく期待しなかったせいか、かなり楽しんで見た。物語はあちこちですでに語られているだけ語られているから詳しく語らないが、これは久々に「コテコテ」に作り込まれた「物語」を楽しむ映画だ。現在、西側先進国…むろんこの日本でも「格差」なんてことがあれこれ騒がれているが、そんな言葉などてんで甘っちょろいと鼻で笑われてしまいそうなくらいの超「格差」状態。インドのスラムの「貧しい」なんて半端な言葉では語れない過酷な状況から、テレビ「クイズ・ミリオネア」の華やかな世界とそこで手に入れることができる巨額の賞金に象徴される豊かさ。このムチャクチャに振幅の激しい2つの世界を、映画は振り子のように行ったり来たりする。その激しさたるや、フランスの「モンテ・クリスト伯」やイギリスの「王子と乞食」、日本の「山椒大夫」もビックリ。つまりは…イマドキ西側先進国では語ることもできなくなったような強烈に激しい落差とドラマティックな展開が、ここでは堂々大まじめに語られているのだ。ははぁ…これだな、この映画の大成功の原因は。よく言われることだが、現代はドラマが作りにくい時代だという。宇宙から侵略者が襲ってきたり、あるいは政治的な圧政が行われていたりしないと、圧倒的な格差や障害や脅威がなかなか設定できない。それは実際にそういう世界に生きている我々にとってまことにありがたいことだが、それゆえ…ドラマは圧倒的なパワーを失ったのかもしれないのだ。もちろんそんな我々にでも、ささやかなりとも悩みはある。苦しみも喜びも悲しみもある。しかし、それこそ古典と言われているような物語の持つような、問答無用のパワフルな「ドラマ」性というものは、なかなか作り出せないのが現状だ。それは「ドラマ」の衰弱につながりかねないし、実際そうなりつつある。そういったドラマの復権を狙ったのが、今回のインドのお話ということではないか。そこでインドを持ち出したのは…ひとつには現実にインドにはそんな激しい落差の設定を作れる土壌があると同時に、世界の映画ファンにもソコソコ知られているインド映画のコテコテ世界があるからだろう。僕あたりがインド映画について語るなんざバチが当たりそうだが、実際何本か見る機会があった作品群を見ても、そのあたりのことは想像がつく。不自然なまでにコテコテに極端な設定で、ジェットコースター的に派手な展開。そんな設定や展開が文化として根付いているインド映画のテイストもそれなりに「いただいて」、西欧映画に移植してしまおうというのが今回の試みだろう。それをそのままアメリカ映画やヨーロッパ映画に持ってきてもうまくいかないが、インドのお話でインド人のお話だといえば、何となく不自然に感じられず「そういうもんだ」と受け入れられうなづけちゃうという作戦だ。なるほど、これは巧みなやり方かもしれないぞ。

みどころ

 しかも、さらに巧みなことに…実は「ドラマ性の復権」とは、この映画の脚本を手がけたサイモン・ビューフォイの持ち味ではなかったか。この人の代表作「フル・モンティ」(1997)の「ドラマ性」を見てみれば、それがよく分かる。この人もまた、古典的とも言える「ドラマ」の力を信じているのだ。そして、そんなインドのテイストをインド映画、マサラ・ムービーよろしくそのまんま描いたら、いかにも「作り物然」としてくるところを、「トレインスポッティング」のダニー・ボイルがリアリティのある映像にするという巧みなコンビネーション。しかも、よくよく見ればその「トレインスポッティング」も、本当の意味でのリアリズム映画ではない。カリカチュアライズされコミカルにファンタジックにアレンジされたリアリズムだ。なるほど、これは違和感のない必然性のある人選ではないか。そして実際のところ、この映画がアメリカのアカデミー賞で圧勝するに至った背景は、やっぱりこの「ドラマ性」だったと思う。実は「ドラマ性」こそ、本来はハリウッド映画のお家芸だったはずだ。そもそも「負け犬」が過酷な状況から立ち上がり、起死回生の一発勝負に出るというストーリー展開は、そのまま「ロッキー」(1976)になってもおかしくない。常に弟に対してワリを食わせ続けた兄貴が、最後に贖罪を果たすという「帳尻の合わせ方」といい、意外にもハリウッド伝統のドラマ・メソッドに忠実な出来栄えになっているのだ。だからハリウッドの映画人が、この作品を評価しない訳がない。オスカー受賞も当然といえば当然だったのだ。しかもリメイク、シリーズ化、ビギニングもの、おまけにアメコミの映画化…と、加速度的に衰弱を増していくハリウッドは、今一度ここで何かカンフル注射が欲しかった。今やカンフーやワイヤー・アクションなどの演出メソッド、ジャッキー・チェンやジェット・リーといったスター、さらにジョン・ウーなどの映画人まで取り込んで、香港映画テイストを自分のモノにしてしまったハリウッドは、次のリフレッシュ材料をどん欲に探しているに違いない。それが今度は、インドのマサラ・ムービーということではないだろうか。ひょっとしたらインド映画にとってこの「スラムドッグ・ミリオネア」という作品は、香港映画にとっての「燃えよドラゴン」(1973)と同じ役割を果たすことになるのではないだろうか。たぶんそんな事はこの映画を見た誰もが感じることなんだろうが、エンディングの歌と踊りの場面を見ているうちに、僕もそんなことを思っているのだった。

さいごのひとこと

 「クイズ・ミリオネア」の司会はイヤな奴と決まっているのか。

 

「アルマズ・プロジェクト」

 Almaz Black Box

Date:2009 / 07 / 06

みるまえ

 このサイトでさんざシネコンとは肌が合わないとグチをこぼしているが、そうは言ってもそのシネコンに頼らざるを得ないのが悲しいところ。特に新宿のシネコンのオールナイトには、ほぼ毎週お世話になっている状況だ。実は、僕もシネコンどっぷりだし依存しているのである。そんなシネコンで、この映画のチラシを見つけた。昔、ロシアの宇宙船に何やらヤバイことが起きて、それは闇から闇へと葬られかかったが、その時に収録されたビデオ映像が今明かされようとしている…とか何とか。この一見ドキュメントみたいな売り方、「〜プロジェクト」というタイトルからして、完全に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)と同系列の作品だということがミエミエ。まぁ、「ブレア・ウィッチ」と同系列ということは、「食人族」(1981)や「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)とも同じってこと。いわゆる「やらせドキュメント」ってやつだ。この手の映画ってゲテモノ、イカモノとしてバカにされがちだけど、実はここだけの話…僕はこういう映画が大好き。いかがわしいと分かっているのに見たくてたまらなくなる。そんな困った性分なのだ。しかもSF仕立てとなれば、見ないわけにはいかないだろう。そもそも遭難した宇宙船といえば、あの大好きな「イベント・ホライゾン」(1997)が思い出されるではないか。いや〜見たい。絶対に見たい。オレが見なくて誰が見る(笑)。忙しくて劇場に行けずイライラしていた僕は、ある夜辛抱たまらず見に行ったのだった。

ないよう

 1998年11月、ロシアの宇宙ステーション「アルマズ号」が地表に落下するという事故が発生。この事故についてロシア当局は沈黙を守ったが、実はステーション内の一部始終を記録したブラックボックスが存在していたのだった。この映画はそのブラックボックスに記録されていた映像によって構成されている。まずは事の発端は、資金難のロシア側が「ESA(欧州宇宙機構)」に「アルマズ号」を売ろうとしたこと。そこで「ESA」から二人の人間がこの「アルマズ号」に送り込まれ、ステーションの状態を視察することになったわけだ。そしてロシア側では、「ESA」の人間が到着する前に「ODLC」なる装置のアンテナを取り外すことになったわけだが、その船外作業中に宇宙飛行士の一人ユーリに何かの強い衝撃が襲いかかる。そのとたんユーリは体調を崩し、アンテナ撤去を断念して船内に戻ることになる。やがてソユーズに乗って、「ESA」の調査員二人、リックとウィスリーが「アルマズ号」にやって来た。ソユーズは「アルマズ号」にドッキング。「ESA」の二人を、「アルマズ号」乗組員たちは大いに歓迎した。しかし、ユーリの体調は悪化の一途を辿り、突然の衝撃と共に「アルマズ号」のパワーは一気にダウン。地球との通信も途絶えてしまった。さらに「アルマズ号」にドッキングしていたソユーズも、何らかの理由から切り離されて宇宙の彼方へと消える。このあたりで、どうもロシア側乗組員が何か隠しているとにらんだリックが怒りを爆発。「アルマズ号」に搭載されている「ODLC」なる装置が軍事目的であることを見破り、ますます疑心暗鬼な状態となる。ユーリの体調はさらに悪化し、もはや彼の体内は内臓も何もかもグチャグチャな状態で、生きているのが不思議なくらいだ。しかもソユーズ切り離しの影響で「アルマズ号」の軌道が狂い、残りわずかの時間で起動できないと地球に落下する恐れが出てきた。システムの再起動を試みようにも「ODLC」が大きな負荷を与えているらしく、リックは「ODLC」の廃棄を迫るがロシア側にはそうできない事情があるらしい。また、船外活動中のユーリに強い衝撃が襲いかかった際に、「ODLC」を通じて巨大なデータが船内のハードディスクにダウンロードされたらしく、それがあまりに重いため再起動の支障となっていた。だがこの巨大データ、どうやら地球外文明からの何らかのメッセージらしく、そのデータを廃棄するしないでロシア側クルー同士も意見が衝突。ところがそのうち、ロシア側の唯一の女性飛行士ララが自室に閉じこめられたあげく、酸欠状態で死ぬという事件が起こる。一体誰が、どうして、何のためにこんなことをやったのか? そのうちにも船内のパワーはますます低下。それ以上にメンバー同士の感情はもつれにもつれていくのだった…。

みたあと

 やっぱり狙いは「ブレア・ウィッチ」だった。「やらせドキュメント」だ。汚くて粒子が粗いビデオ映像なら、確かに特撮に凝る必要はない。元々が宇宙ステーション内だけのお話だし、低予算で済む。確かにこれは賢明な作戦だ。いかにも面白くなりそうだし、目の付け所もいい。で、宣伝などはまるでドキュメンタリーみたいに売っているけど、イマドキ「ブレア・ウィッチ」みたいなウソが突き通せるわけがない。なのに劇場パンフなどは監督のクリスティアン・ジョンストンの名前も、ジェームズ・ボブソン、ギデオン・エメリー、インナ・ゴメス、イーゴリ・ショイフォト、イワン・シュヴェドフ、アレクサンダー・セルゲイエフなどキャスト名も入れていない。これはいくら何でもやりすぎっていうか、映画の劇場パンフとしてはあまりに不親切ではないか。映画が始まる前にこのパンフの内容に憤慨していた僕だったが、実はその時に一抹の不安を感じないでもなかった。そして映画を見始めた時はワクワクしていたが、お話が先に進んでいくうちにどうやらその予感が的中してしまったことに気づいたのである。

こうすれば

 確かにコンセプトは「ブレア・ウィッチ」だ。だが、致命的なことがひとつだけある。恐いことが起きないのである(笑)。あの映画も何が起きているのかよく分からなかったし、何が写っているのか分からない映像だった。しかしこの映画の場合、それ以前にそもそも大したことが起きていない。というか、大したことは起きているはずなのに、登場人物の反応がイマイチなのだ。乗組員の一人が奇病に感染したらしいが、苦しんでいる時にはみんな「大変だ」と近寄って言うが、次の瞬間「ふ〜ん」と納得したのか、もう話題にもならなくなっている。ステーションが地球に落下しそうだとなって「大変だ」となり、システム再起動のために重いデータを捨てろという話になるが、クルーの一人が「やだ(笑)!」とわめくとそのまんま。ソユーズが誰かに切り離されたり、紅一点のメンバーが殺されたりしても、その都度「大変だ」「誰がやった?」と一触即発の状態になりながら、結局そのまま放置状態。本当だったら命に関わるんだから、掴み合いの大喧嘩になったり殺し合いになったり、あるいはそれを上回る大事件が起きてそれどころじゃなくなったりするだろう。ところがこの映画では、険悪な雰囲気になるけどそれっきり。せいぜい、KKKのメンバーみたいなアメリカ白人のハゲが逆ギレするぐらい。みんな飽きっぽいのか諦めがいいのか、それともモノ忘れがひどいのか、「どうにかしなきゃ」という気持ちが持続しないのである。どう見てもこれがヘンだし理解できない。そうなると、やたら見にくい映像もイライラするし、肝心なモノは何も見せてくれないし教えてくれない語り口にも退屈させられる。ドキュメンタリーと見せかけていながら、時々チラチラとサブリミナル映像(とは言っても何だか分からない)めいたモノが挿入されるイカサマ臭い手口も気に入らない。途中からドキュメンタリーに見せかける努力が中途半端になっちゃうのもいただけない。そして、一番「見えない」のは汚い映像でも、「そこで何が起きているか」ということでもない。出てくる登場人物が一体何を考えているのか…が一番「見えない」のだ。ハッキリ言ってこれは退屈だし失敗作だ。おまけに「ブレア・ウィッチ」や「クローバーフィールド」の向こうを張ってインターネットとの連動を図ろうとしたみたいだが、劇中でしつこくアクセスしろと言っていたURL「www.blackboxtruth.com」に入ってみると、すでにサイトはつぶれてた(笑)。どうなっちゃってんの?

みどころ

 僕は昔からSF映画が大好きで、自慢じゃないが相当ひどいのも見てきた。だから、この程度では別に屁でもない(笑)。駄作だと思うしイライラもさせられたが、「見た」という満足感も確かにあった(笑)。ただし、それは僕みたいな好き者だからこそ…の話。普通の映画ファンのみなさんには、決してお勧めはいたしません。

さいごのひとこと

 登場人物が怖がってないのに見ているお客が恐いわけない。

 

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