新作映画1000本ノック 2009年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「いのちの戦場/アルジェリア1959」 「パッセンジャーズ」 「ザ・クリーナー/消された殺人」

 

「いのちの戦場/アルジェリア1959」

 L'Ennemi Intime (Intimate Enemies)

Date:2009 / 03 / 23

みるまえ

 「アメリカがベトナムを描いたように、フランスもアルジェリアを描かなければならない」…う〜む、いきなりコレである。かなり覚悟が要る映画だということがヒシヒシと伝わってくる。フランスのタブー(と言い切れるほど知らないが、どうやらそうらしい)であるアルジェリア戦争を、厭戦感タップリに描いた作品なのは間違いない。しかし、こういう映画って…誤解を恐れずホンネを言わせていただければ、そうそう見たい映画ではない。たぶんいいこと言ってる映画なんだろうし、「そんな志が低くてどうする」と言われるかもしれないが、やっぱり見た後で気が滅入っちゃうのである。正直言っていつもいつも精神状態が余裕タップリではないだけに、腰が退けてくる傾向があるのは否めない。ところが今回は、チラシのこの言葉が僕の背中を押した。「立案・主演:ブノワ・マジメル」…正直言ってこれまで「立案」って肩書きを映画のスタッフで見たことはないが、たぶん彼の自前の企画ってことなんだろう。そもそも僕はフランスの若手男優の中ではブノワ・マジメルってダントツだと思っているし、俳優として好感も持っている。そんなマジメルの「立案」による戦争映画とくれば、無視はできない。これは、こちらも覚悟を決めて付き合ってやろうではないか。

ないよう

 1959年、荒涼たるアルジェリアの山岳地帯。フランス軍の一団が2隊に分かれて作戦行動を行っていたが、ふいに敵の姿らしきものを見つけた一隊が銃撃を開始。同時にもう一隊が「敵」から不意に攻撃を受ける羽目になる。激しい攻撃の応酬の中で「真相」に気付いたドニャック軍曹(アルベール・デュポンテル)は、慌てて攻撃中止を命令。何と彼らは「敵」ではなく友軍を攻撃していたのだった。それに気付いたのは、すでに双方にかなりの死傷者が出た後。こんな失態の発端をつくったのは、ドニャック軍曹の無能な上官だった。さすがに怒ったドニャック軍曹がこの上官を怒鳴りつけようと駆けつけた時には、幸か不幸か当の上官もすでに銃弾に倒れていた。かくして新たな「上官」が、この大隊に赴任することになる。長い間ジープに揺られ、汗とホコリでドロドロになりながらも、暑苦しい正装でやって来たテリアン中尉(ブノワ・マジメル)が、その新たな「上官」だった。このテリアン中尉、本国では設計技師をやっていた男で、自ら志願してやって来たほどの「志の高さ」。この過酷な場所に来るにも場違いな正装を押し通してくるあたりにも、そんな「理想主義」がチラつく。それに何よりまだ若い。位は下がるが兵士としてはベテランのドニャック軍曹としては、先行き思いやられる気がした。何よりこの土地は、まさに極限の場所。昼間はフランス軍に睨みをきかされて服従する村人も、夜はアルジェリアのゲリラ組織FLNの言いなりだ。だから、誰も信用できない。今日も今日とて村に入ったテリアンやドニャックたちの一隊は、村人たちを乱暴にこづき回す。これに「正義派」テリアンは血相を変える。しかし、理想主義ではやっていけないと知るドニャックや他の隊員たちは、当惑するばかりだ。そしてテリアンは、すぐに自分の甘さを知る。後日、再びやって来た村は人けがまったくなかった。ある家の中に入ってみると…村人たちがみんな虐殺されているではないか。フランス軍に協力したと疑われた村人たちは、FLNに見せしめのため惨殺されたのだ。衝撃を受けたテリアンは、たまたま井戸に逃げ込んで助かった少年アマールを隊に連れ帰るのだった。またある時は、たまたま行商の女たちが馬でやって来るところに出くわすが、場所が立入禁止区域内だけに緊張がはしる。とっさに判断を下せないテリアンだが、ドニャックはためらわずにこの女たちを銃殺。これにテリアンは激怒するが、よくよく見るとこの連中は女に変装したゲリラたち。テリアンは振り上げた拳を下ろして、ドニャックに「よくやった」と言うしかなかった。さらに捕らえた捕虜に電気で拷問を行っている現場を見つけたテリアンは、怒ってこれをやめさせる。しかしこの隊では、捕虜への拷問は「当たり前」のことらしい。それを黙認している隊の中では、テリアンの理想主義はどうしたって浮き上がるばかりだ。その一方で、拷問を見かねて泥酔するドニャックの姿に、意外にもこのような現実を耐え難く思っているホンネを感じ取るテリアン。だが彼を取り巻く状況が過酷さを増すにしたがって、彼の心は確実に蝕まれていくのだった…。

みたあと

 確かに「アメリカがベトナムを描いたように」アルジェリア戦争を描く…という主旨に偽りはない。こちらも大義名分が立たない戦争で、しかもゲリラ相手のウンザリする消耗戦。前線の士気は低下してモラルはどんどん失われていく。戦っている兵士たちの人格も崩壊していく。それを本国からやって来た志高い中尉の目から描いていく…という作戦も、アメリカが盛んに作っていたベトナム戦争映画と共通する。確かにブノワ・マジメル以下作り手たちの狙いはそのへんだろう。ああいったアメリカ製のベトナム戦争映画と同じような姿勢で、フランスによるアルジェリア戦争映画をつくろうと考えたに違いない。しかし出来上がった作品は、アメリカ製のベトナム戦争映画と似ているようで微妙に違う。例えば「ディア・ハンター」や「プラトーン」などのような作品も、この映画と比べるとかなり感傷的な作品に思える。あるいは、この映画よりもずっと熱に浮かされた映画のように見える。そうなると、戦場をクールに見据えたベトナム戦争映画としてスタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」が脳裏に浮かぶが、あれはあれで戦場の兵士をまるで地面のアリンコのように「観察」するような冷ややかさがあった。よく言えば「冷静」悪く言えば「高みの見物」と見える点は否めまい。この映画はそんな「上から目線」でも作られてはいない。ドライでクールなのは間違いないが、目線はあくまで登場人物たちと同等。そのあたりがアメリカ製のベトナム戦争映画とは大きく違う…いわゆるフランス映画たる所以なのである。

みどころ

 確かにこの映画では、兵士のモラルの崩壊が描かれる。しかしモラルの問題が描かれるからといって、ここにはアメリカ映画にありがちな、押しつけがましい「倫理観」や「正義」は出てこない。例えば彼らフランス軍の兵士たちのやっていることは暴力的で残忍そのものだが、実際にその場にいたらそうせざるを得ないほど切迫した危機感がある。敵であるFLNも、フランス軍側に負けず劣らず…いや、ある意味ではずっと上手をいくほどの残忍さだ。むろん、そうなるにはそうなるだけの理由があって…なんて事情はあくまで机上の空論。現場にいる兵士たちにはそんな理屈は屁にもなるまい。そんなドライでクールな視点が、アメリカ製のベトナム戦争映画より以上に徹底している。というか、この「乾きっぷり」はさすがにアメリカ映画には存在しないだろう。もはや「理想主義」的にも「イイ子」にもならない。ただ、状況を「まんま」とらえる語り口が、実にドライでクールなのだ。そして、そのドライさクールさというのは、まさにハードボイルド映画や犯罪映画での「それ」。そして改めてスタッフ名を見つめてみたら、監督はあの快作「スズメバチ」(2002)のフローラン=エミリオ・シリではないか。アメリカ映画的な派手さ、視覚性を重視しながら、語り口はあくまでフランス・フィルム・ノワールのドライでクールな味。そんなシリなら、戦争映画だろうと「倫理観」や「正義」なんか出てくるはずがない。この映画は「戦争の真実をえぐる」的な立派な映画である前に、良質で硬派で男臭い「面白い」ハードボイルド・アクション映画なのだ。だから戦闘場面だって手加減しないハードさ。さらには辺境での極限状況と男たちの世界を描いている点、ラストに突き放したようなドライな結末が待っている点など、フランス映画の古典中の古典、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「恐怖の報酬」(1953)にも通じるものを感じさせる。それはちょいとホメ過ぎかもしれないが、それくらいホメたくなるような作品だ。そしてもちろん企画を立てたブノワ・マジメルの熱演ぶりも素晴らしいが、ベテラン軍曹を演じたアルベール・デュポンテルのちょっとひねった男臭さがダントツにいい。この人、見かけはいたって地味だが、犯罪映画の佳作「ブルー・レクイエム」(2004)でもイイ味だしていたし、つい先日も「PARIS/パリ」(2008)でまるで違う一面を見せていた。この俳優にも今後は大いに注目だ。それにしても、これほど壮大でしっかりした映画を企画するほどになるとは、もはやブノワ・マジメルを「フランス映画の若手」と呼ぶのもふさわしくないんじゃないだろうか。アート映画「ピアニスト」(2000)にも出ればバカ映画「クリムゾン・リバー2/黙示録の天使たち」(2003)にも出ちゃう「分かってる」男マジメル。ジェラール・ドパルデューがあまりに「大御所」になってしまった今、彼こそフランス映画のエースだと言っても間違いじゃないだろう。

さいごのひとこと

 マジメな題材でも楽しませちゃうマジメル。

 

「パッセンジャーズ」

 Passengers

Date:2009 / 03 / 23

みるまえ

 「プリティ・プリンセス」(2001)、「ゲットスマート」(2008)、「プラダを着た悪魔」(2006)などの若手女優、アン・ハサウェイ主演の飛行機映画。チラシだけ見た時点で、僕はそう思っていた。いやいや、正確に言えば「飛行機映画」というより「飛行機事故映画」というべきか。前にも何度か言っているように、僕は飛行機好きで飛行機の業界の末端にもいた人間だ。つい先日は飛行機本まで出した。気にならないわけがあるまい。そして「5人の生存者が云々」…とか書いてあるチラシの宣伝コピーからして、墜落事故にまつわるミステリーかサスペンスらしいと想像がつく。あるいはピーター・ウィアーの旧作「フィアレス」(1993)みたいな作品か。「ブロークバック・マウンテン」(2004)で意外にしっかりした女優さんだと認知されたハサウェイが、今回もシリアス演技を見せるのか。ただし監督として名前が挙がっているロドリゴ・ガルシアって男が、僕にはイマイチ誰だか分からず当惑。「彼女を見ればわかること」(1999)とかいう映画をつくった男と聞いて「あぁ、あの」…と思ったものの、この「彼女を見れば〜」って作品は未見で、タイトルのみ知っていた次第。その次に来た映画も似たようなタイトルだったなぁと思っていたら、そっちは「彼女の恋からわかること」(2000)だった(笑)。そうだ、そうだった。確か僕は「彼女を見ればわかること」ってタイトルの、どこか「上から目線」的な偉そうな言い草がイヤで、見る気をなくしたのだった。「彼女を見りゃ分かるだろう? このボケ!」って、どんだけエラソーなんだよ。しかも何となくタイトルがフェミニズム映画っぽいし、何だかサイテーな予感(笑)。そんな第一印象だけで、見るのをやめた僕だった。そもそも「彼女を見ればわかること」なんて、ちょいとミニシアター系で公開しそうなヌルいタイトルの映画を撮った男に、きちんと骨のある航空絡みのサスペンスなんて撮れるのか。そんなロドリゴ某に多少の不安を感じはしたものの、やっぱり題材が面白そうなので、初日に劇場へと駆けつけた次第。

ないよう

 飛行機が墜落する! 阿鼻叫喚の機内。機体はどんどん降下していく…。気づいてみると、海岸に惨憺たる状況が広がっていた。飛行機の残骸が激しく燃えさかっている。そこにほんの一握りの人々が、呆然と立ちつくすばかり…。突然、眠っていたクレア(アン・ハサウェイ)は真夜中の電話で叩き起こされる。旅客機が墜落し、5名の乗客が奇跡的に生存。その心のケアのために、「専門家」であるクレアが呼ばれたのだ。病院に駆けつけると、旧知のペリー・ジャクソン(アンドレ・ブラウアー)が待っていた。どうもクレア自身が過去に訳ありの様子で、ペリーがそんな彼女にチャンスを与えたようだ。すぐに問題の5名に接触しようとするクレアだが、中に一人だけ気になる人物が…。その人物エリック(パトリック・ウィルソン)は、なぜかやけに明るいのだ。ショックのために躁状態になっているのか。病室のベッドでも全裸で妙に快活。クレアは彼をカウンセリングに誘うが、自分は大丈夫と取り合わない。逆に、エリックに「お姉さんのことをもっと気にとめろ」と指摘され、動揺が隠せないクレア。実は彼女、姉とは口論してから絶縁状態になっていて、そのことを心のどこかで気に病んでいたのだ。早速、帰宅後に姉に連絡を入れるクレアだが、なぜか彼女は電話に出ない…。自宅マンションの隣人トニ(ダイアン・ウィースト)が、妙に馴れ馴れしくもおせっかいに接近してくるのも気になる。そんなこんなで第一回のグループセラピーが行われるが、案の定エリックは参加せず。参加した他の4人も何だかギスギスした様子だ。中でもシャノン(クレア・デュヴァル)は「全然平気!」と強気を崩さない頑なさ。しかしその席で、墜落前にエンジン爆発が起きたような話が出てきて、クレアは思わず動揺する。なぜなら、今回の飛行機事故はパイロットの操縦ミスということで話が進んでいるからだ。そんなセラピーの様子を、一人の男が窓の外から見つめているではないか。何かおかしなことが起きている! 事故原因が気になり出したクレアは航空会社の人間であるアーキン(デビッド・モース)と会って問題のエンジントラブルについて話すが、アーキンはそんなクレアに不快な態度を隠さない。航空会社は事故原因を明らかにしようと思っているのだろうか? 一方、クレアはエリックのことが心配になり、彼の自宅まで訪問する。そこで、思わず彼に惹かれていくクレア。ところが2回目のグループセラピーの時には、参加者が一人減ってしまうではないか。そしてセラピーが終わった後で、参加者の一人が慌ててクレアのクルマに駆け寄ってくるのだった。「誰かがオレを尾行している!」

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 いきなり飛行機事故からスタート。正直言って、こういうミステリアスな展開にはわくわくする。どんな話になるか分からないけど、何だか面白そうだ。眠っているところをいきなり叩き起こされるヒロイン。生存者は5名だけ。そして生存者の中に明らかに挙動不審の人物が…と、このあたりまでは僕も、これから何が始まるんだろうとドキドキしながら見ていたのだが、実は病院でヒロインが生存者に出会うあたりで、何とな〜くイヤ〜な予感がしてきたのだ。それは単に印象でしかないのだが、大惨事が起きて生存者が出てきて、どんよりした雰囲気が流れる…ってパターン。このどんよりとした重さともったい付け方…。前にどこかでこんなの見た記憶があるな〜と思っていたら…あったあったよ、何のことはない、M・ナイト・シャマランが最初に馬脚を現した「アンブレイカブル」(2000)がそうではなかったか。

こうすれば

 イヤな予感ってのは的中するもんだ。最初はそれほど気にならなかったのだが、見ているうちにどんどん気になる部分が増えていく。まずは、「躁状態」の生存者パトリック・ウィルソンが変。こいつとヒロインのアン・ハサウェイがくっつくみたいな方向にいったらヤだなと思っていたら、まさしくその通りになっていくから頭が痛くなる。久々に顔を見たと思ったら胡散臭いデビッド・モースも挙動不審なんだけど、何よりそのモースにいきなり食ってかかるアン・ハサウェイの言動がかなりオカシイ。普通はもうちょっと慎重にやるだろうに、いきなり偉そうにわめき散らす。前述のパトリック・ウィルソンの件でも、いとも簡単に「患者とセラピスト」の一線を超えてしまうし、そんな軽率さのくせにまたしてもデビッド・モースに食ってかかる。もう一人の生存者クレア・デュヴァルには「クスリは要らない? クスリあげるわよ」と「クスリ、クスリ」を連発して、「あんた、それでもセラピストなの?」とあからさまに素人呼ばわりされる始末。いやぁ、クレア・デュヴァルがそう言う前にこっちだってそう言いたかった。そもそもこのヒロイン、人の心の傷を看てやるどころか、自分の方がよっぽどトラウマを持っていて、いまだにそれに囚われているらしいのである。何でこんな女が他人のセラピーを出来るんだ…と、ヒロインの心理も、こんなヒロインを使っている上の人間の意図も理解不能。おまけに一方で航空会社の「陰謀」らしきムードも出てくるのだが、それはそれでづなっちゃってるのか放置状態。生存者も口封じなのか、一人ひとりと消えていく。それなのに、何ら対策は講じられない。どいつもこいつも一体どうなっちゃってるんだ? ムチャクチャな脚本じゃないのか?

!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 ところが脚本がムチャクチャだとばかり思っていたら、それはすべてある「オチ」に持っていくための「伏線」だったからビックリ。最初に、単に印象だけで「アンブレイカブル」やシャマランを思い出した僕だが、正直言ってその予感は正しかった。いやいや、「アンブレイカブル」というより、むしろ近いのはこの監督の代表作の方か。デビッド・モースが挙動不審なのも、事故原因に疑惑が浮上しながら何も起きないのも、生存者が一人また一人と姿を消していくのも…すべて彼ら登場人物が…………だから(笑)。いやはや、またこのネタですか(笑)? 正直言ってマンションの隣人とみられるダイアン・ウィーストが不自然な愛想の良さで迫ってくるあたりからして、何となく気色悪いホラー風味を感じさせた。だから作り手が「それ」を見せる前に、実はこちらの方が早々と「それ」を察してはいたのだ。なるほどねぇ。確かに…………なら、こういう言動もするわな。それに…………なら、こういう不自然な出来事もあり得る。ならばムチャクチャに思えた脚本も、それなりにスジが通る…ってなわきゃ〜ねえだろ(笑)。いやぁ、やっぱりどう考えてもスジ通らない。オチはシャマラン並みの「トンデモ」ぶりで、それがいいか悪いかはともかく、そういう展開はあってもいい。しかし、仮にそんな「オチ」だったとしても、それでもやっぱり別の意味で脚本の設定にスジが通らないのだ。そもそも、出てくる連中がみんな…………だったら、何で生存者とヒロインが別の立場に立って出てくるのか。全然これっておかしいではないか。やっぱりご都合主義を通り越してムチャクチャ。何だか変だぜこの映画。それなのに、妙に作風や立ちこめるムードは、ミニシアター系やアートシアター系映画の「マジメさ」だったり「誠実さ」だったりするところが、またさらにズルい気がする。いかにも「彼女を見ればわかること」なんてタイトルの映画つくる奴らしいよ。これなら、最初から「トンデモ映画つくりま〜す」と宣言しちゃってるシャマランの方が、よっぽど潔いし気持ちがいいではないか。たかが「インチキ映画」「トンデモ映画」…もっとハッキリ言えば「バカ映画」のくせに、何か立派なことでもやっているかのような恩着せがましさや偉そうな態度。そのくせ脚本はムチャクチャ。そこがどうしても引っかかるんだよなぁ。ハッキリ言って上げ底もいいとこ。言ってることもやってることもムチャクチャなくせに、なぜか態度がデカいこの映画のヒロイン、アン・ハサウェイの言動そのものが、まさに「彼女を見ればわかること」的(単にタイトルの話だが)なロドリゴ・ガルシアの姿勢そのものに見えてくるのだ。でも、お客さんみんな怒ってたけどね。ろくすっぽ飛行機を出さなかったあたりも、僕にとってはダマされた感が強い。…な〜んて、「みどころ」とか言いながら結局ボロクソに言っちゃったな(笑)。

さいごのひとこと

 高級そうなふりをしたシャマラン。

 

「ザ・クリーナー/消された殺人」

 Cleaner

Date:2009 / 03 / 09

みるまえ

 この映画のことは、まったく分かっていなかった。ただ犯罪ミステリ映画らしいことは分かっていて、サミュエル・L・ジャクソンとエド・ハリス主演であることが小さい新聞広告に書いてあっただけ。タイトルは「ザ・クリーナー/消された殺人」。サミュエルとくれば「閉ざされた森」(2003)などミステリーものにも定評がある。なかなか面白そうではないか。こうなると、上映されるのが公開即ビデオ発売の映画ばかり公開されることで知られる都内某映画館であることも、かえってプラスに感じられる。この顔ぶれで犯罪ミステリで超どマイナーな扱いってのが、いかにも「馴染んでる」のだ。「ザ・クリーナー」ってことは、例えば「ニキータ」(1990)でジャン・レノが、「パルプ・フィクション」(1994)でハーベイ・カイテルが演じた、死体処理と証拠隠滅を職業とする人物のことなのか。ますます掘り出し物、拾いモノの予感。ところが映画館に着いて二度びっくり。この映画って何とレニー・ハーリン監督の最新作というではないか。レニー・ハーリン…「ダイ・ハード2」(1990)、「クリフハンガー」(1993)で売り出しながら、「カットスロート・アイランド」(1995)、「ロング・キス・グッドナイト」(1996)とヌルい作品を連発してすぐに馬脚を現した男。ダークでマイナーなにおいのする犯罪ミステリとレニー・ハーリン。これほどミスマッチな組み合わせも考えられない。しかもサミュエルとくれば、確かにミステリーものでも定評があるにはあるが、一方で「フリーダムランド」(2006)なんてトンデモ映画もあった。作品としては面白かったものの、「1408号室」(2007)ではちょっと「サミュエルにダマされちゃった」感もあった。そういやレニー・ハーリンとサミュエルって、これまた「やられちゃった」感のある「ディープ・ブルー」(1999)以来ではないか(笑)。う〜ん、こりゃしまった…と思った時にはもう手遅れ。僕はチケットを握りしめてスクリーンの前にいたのであった。

ないよう

 トム(サミュエル・L・ジャクソン)の商売は、一風変わった「掃除屋」だ。それは殺人や事故、自殺などの凄惨な現場から、飛び散った血や肉片などを取り除いて元のキレイな状態に戻すという商売。因果な商売だが、間違いなく世の中から必要とされている商売だ。今日も今日とて久々に顔を出した高校の同窓会で仕事の話をすれば、最初はあまりな話に退いていた元クラスメートたちも、「何かあった時には役に立つ」とのトムの言葉を聞くや我先にと彼の名刺に飛びついた。だからトムの商売はいつも大繁盛。仕事がとぎれる間がない。だが、相当に神経がタフでなければ勤まらない仕事であることも確かだ。トムはかつて刑事だったが、妻の悲劇的な死をきっかけに職を替えた。年頃の娘ローズ(キキ・パーマー)を一人にさせていく訳にもいかないので、早く帰宅できる今の仕事に転向したというわけだ。そんな彼に、今日も警察から殺人現場の「掃除」の仕事が入る。指定された場所はお金持ちの大邸宅。家には誰もいず、指示通りに植木鉢の下からカギを取り出して開けると、居間のソファが血まみれ状態だった。早速、プロならではの技で何もなかったかのようにキレイにするトム。しかしカギを返し忘れたことに気づき、トムは後日その邸宅に足を運ぶ。すると出てきたのは女主人のアン(エヴァ・メンデス)。彼女はトムが何でやってきたのか分からず、どうやら殺人があったことも知らないらしい。調べてみると、警察も「掃除」の依頼などしていないという。何となくイヤな予感を覚えたトムは、適当に言葉をごまかしてその場を離れた。そして証拠となる写真や資料などをしまい込んで、口をつぐんだ。その後、トムがテレビのニュースを見ていると、実業家のジョン・ノーカットという男が行方不明だという。何とあの邸宅はノーカットの家であり、アンは妻だというではないか。ますますイヤな予感。悶々と悩んだあげく、トムはかつての相棒であるエディ刑事(エド・ハリス)を飲み屋に誘う。適当に話を聞きだしてみると、どうやらノーカットは警察内の汚職事件に関して証言することになっていたらしい。ということはノーカットは口封じをされ、あの血まみれの部屋はノーカットの殺された現場だったのではないか? 最初は自分のことを語らずに探りを入れるだけだったトムだが、すぐに事情を察したエディは「すべてを話せ」とトムに迫る。その頃ノーカット失踪事件を捜査中のバーガス刑事(ルイス・ガスマン)は、ノーカット邸の居間から特殊な洗剤が発見されたとトムの元へやってくる。どうやらバーガスはトムを疑っているようだ。そして、トムには疑われても仕方がない事情もあった。実はかつて刑事だった時に、心ならずも汚職に手を染めてしまった事実があったのだ。さらに先日の訪問とその時の言動を不審に思って、夫の行方を探すアンがトムの元にやってくる。いよいよ追いつめられてきたトムは…。

みたあと

 「作ったらブッ壊せ」…これがかつてのレニー・ハーリンのキャッチフレーズだった。確かにハーリンは作ってはブッ壊した。「ダイ・ハード2」では空港をブッ壊し、航空機をブッ壊した。「クリフハンガー」では雪山をブッ壊すわけにいかなかったせいかヘリコプター1機壊しただけで済んだが、「カットスロート・アイランド」では帆船を、「ロング・キス・グッドナイト」ではクルマが走る高速道路を派手にブッ壊した。しかし壊す以外にこれといった芸がなかったため、自分のキャリアまでブッ壊したのはご愛敬。その後はコツコツと地味なキャリアを積み、かつてのようなバブリーな作品は作らなくなった…否、作れなくなったハーリンだが、それにしたってその後のキャリアも「ディープ・ブルー」、「ドリヴン」(2001)、「エクソシスト・ビギニング」(2004)…と「見世物」一筋なのは変わらない。以前ほど「大味」ではなくなったものの、やっぱり構えがデカい派手映画というスタンスは不変だったのだ。だから芝居でじっくり見せる犯罪ミステリという今回の作品には正直ビックリ。それだけで、すごく鮮度…を感じたのは事実だ。この映画で扱われている「クリーナー」が「ニキータ」や「パルプ・フィクション」の「それ」ではなく、合法的な「死の現場」の清掃の仕事だったことは確かに想定外だったが、どっちにしろダークなイメージのユニークな仕事であることは間違いない。その仕事ぶりをたっぷり見せるオープニングから、奇妙な事件に巻き込まれて謎が謎を呼ぶ前半部分は、サミュエル、エド・ハリスなど腕利きの役者たちをそろえているせいか、なかなかいい味出している。かつてのバカ力任せ、大味を絵に描いたような映画作りがウソのようだ。レニー・ハーリン、やっぱり歳を経て少しは成熟してきたんだろうか。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 いつもの力みかえった派手さもなく、大味さも影を潜めているレニー・ハーリンらしからぬ演出。雰囲気と役者の芝居で見せていく語り口。そのあたりに好感を感じさせてくれるのだが、すごく良くできたミステリー・サスペンスかといえば、残念ながらそうはならない。そもそも登場人物が少なすぎて、すぐに誰が怪しいか分かってしまうのだ。結局その理由を知るだけが興味となってしまい、さして意外性もない。おそらくクライマックスにはサミュエルの娘が危険にされされるのだな…と察しがつくのだが、その結末もあまりに呆気ない。正直言ってテレビ・ムービー級のスケールのお話にとどまってしまうのだ。時間つぶしにはなるだろうけど、「面白かった!」と思わせてくれるまでには至っていないのである。

みどころ

 とは言っても、この作品があの「大味」が服着て歩いているようなレニー・ハーリンから発せられたと考えれば、これはこれで感慨深いものがある。アッサリし過ぎのクライマックスだって、それまで「作ったらブッ壊せ」で派手に派手に…やたら濃い口につくってきたハーリンが見せた新境地と考えれば、それはそれで許せる。無駄な殺しと破壊を身上にしてきた映画監督のハーリンにしては、「らしくない」ほどのムダのなさなのだ。あるいは、しみったれているとも言えるのだが(笑)。何となくチマッとした印象も、できるだけ「派手さ」を排したあまりの結果といえば、それはそれで評価できるんじゃないのか。そもそも前半などを見ていると、いい役者を使っていることもあって、それなりに「味」が出ているではないか。「大味」が持ち味だったハーリンが「味」で勝負だなんて、それだけで成長とは思えないだろうか。サミュエル、エド・ハリス、エヴァ・メンデスなど、キャスティングのセンスもなかなかいい。ちゃんと大人の映画になっているのだ。これで話さえ面白かったらよかったのに…と言ったら、ちょっと気の毒だろうか。僕としては、ちゃんとホメるべきところはホメてあげたい。

さいごのひとこと

 これはこれで今はやりの「おくりびと」かも。

 

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