新作映画1000本ノック 2009年2月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」 「ヘルライド」 「チェ/28歳の革命」

 

「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」

 Hellboy II - The Golden Army

Date:2009 / 02 / 16

みるまえ

 前作「ヘルボーイ」(2004)について言えば、実は今だから言うけど、僕は見るまでまったく期待してなんかいなかった。確かにギレルモ・デル・トロ監督がハリウッドで手がける新作と聞けば、多少気にならないでもない。直前に見た「デビルズ・バックボーン」(2001)の素晴らしさを考えると、こいつも期待できそうな気がする。しかし一方で、いかにデル・トロ監督とはいえハリウッドでアメコミ映画を撮るとなると、ちょっとはふくらんだ期待もたちまちしぼむ。またアメコミ? もういいかげんにしてくれって感じ。もうスパイダーマンとバットマンでお腹一杯だよ。おまけに主演がロン・パールマンという地味さ加減に、こりゃちょっとキツイなと思わざるを得ない。何だか「X-メン」(2000)みたいな話だと聞いて、萎えた気持ちがよみがえるわけもないのだった。ところが。見たら大傑作! それもSFXやアクションやらで見せる映画でなく、意外にもキャラクターの妙で見せる映画になっていたから驚いた。僕はてっきりデル・トロ監督ってホラーやゲテモノ専門かと思っていたから、意外な「本格派」と知ってますます興味を持ったわけだ。ともかく前作はそんなわけで、僕にとって「拾いモノ」だった。そして今回続編ができると聞いたら、それは何を置いても見たくなった。あの「ヘルボーイ」の続編。しかもデル・トロ監督は一作目と今回の二作目の間に、大の上にもうひとつ大をつけたいくらいの傑作「パンズ・ラビリンス」(2006)を発表している。映画作家として一枚も二枚も上手になって帰ってきたのだ。これは見ずにはいられないだろう。不安材料を無理して見つけるとしたら、続編で「ゴールデンなんとか」ってタイトルなのが、何となく「エリザベス:ゴールデン・エイジ」(2007)に似ているってことぐらいか(笑)。たまたま私事でバタバタしていたのですぐに劇場で見れなかったものの、何とか時間をつくってこの作品を捕まえることができた。

ないよう

 地獄からやってきた真っ赤な体の赤ん坊「ヘル・ボーイ」。彼はブルーム教授(ジョン・ハート)に育てられ、米軍基地ですくすく成長していた。そんな彼が少年時代だった1955年のクリスマスのこと。ヘルボーイにせがまれて、ブルーム教授は「おとぎ話」を語ってやることにする。それは、人間と魔物が共に地上で暮らしていた遥か昔のことだ。飽くことなき欲望を満たすため、人間はエルフ族をはじめとする魔物たちを攻撃し、地上を支配しようという野望にとりつかれていた。これに腹を立てたエルフのヌアダ王子は、父親のバロル王をさしおいてひとつの計画を実行に移した。それは、鍛冶師に無敵の機械じかけの兵士で構成された黄金軍団をつくらせること。早速この黄金軍団を人間との戦いに投入すると、怖いモノなしの黄金軍団は情け容赦なしに人間を叩きのめす。そのあまりの強さと残酷さにショックを受けたバロル王は、すぐに停戦を命じる。そして人間と地上を分け合う約束を交わし、自分たちは森の奥深くに籠もることとした。さらに黄金軍団の残酷さを恐れたバロル王は、軍団を動かすための王冠を3つに分解。そのうちの2つを自分たちで持ち、1つを人間たちに渡して、永久に黄金軍団が動き出さないように封じ込めた…。

 そして現代。超常現象捜査防衛局「BPRD」は今日も今日とて大にぎわい。特局長マニング(ジェフリー・タンバー)は、メンバーの一人である水棲人のエイブ(ダグ・ジョーンズ)に愚痴をこぼしていた。それというのも、リーダー格のエージェントであるヘルボーイ(ロン・パールマン)がやたら目立ちたがり屋なため、組織と彼の秘密が漏れ始めていたのだ。ところが当のヘルボーイはそれどころではない。実は同僚で念動発火能力者のリズ(セルマ・ブレア)と恋仲になったものの、恋人同士になった男女にはよくあることながら、「価値観の相違」とやらでケンカが絶えない。今日も今日とて、彼らの部屋を危うく火事にしかかる勢いだ。そんなところに出動命令が入ったのは、かえってもっけの幸いかもしれない。出かけていったのはニューヨークにあるオークション会場。高価な骨董や美術品が競りにかけられていたが、そこに奇妙な白づくめの怪人と奇妙な怪物が乱入。大混乱に陥ったあげく、現在は不気味に沈黙を保っているというのだ。早速この会場にやってきたヘルボーイ、リズ、エイブたちは、そこで凶暴な「歯の妖精」たちに襲われる。何とかこれを退治したものの、ヘルボーイはまたしてもマスコミにその身をさらしてしまうのだった。これにはマニングもサジを投げる。その頃、人けのない廃墟では、エルフの王バロルとヌアダ王子(ルーク・ゴス)、さらにその妹のヌアラ王女(アンナ・ウォルトン)、そして家来たちが集まっていた。実は例のオークション会場を襲った白づくめの怪人とはヌアダ王子のことで、彼はこの会場で黄金軍団をコントロールするための王冠の破片の1つが競りにかけられると知り、それを奪いに行ったのだった。そんな王子の野望を知り、バロル王は胸を痛める。ヌアダ王子が黄金軍団を使って人間との全面戦争を始めようとするのを、バロル王は好ましく思っていないのだった。そして妹のヌアラ王女もそんな手荒な真似は避けたいと願っていた。そして説得は不可能と悟ったバロル王は、側近の戦士たちに王子を力づくで止めるように命令。しかし力で勝っていた王子は刺客たちを倒すと、バロル王も手にかけて持っていた王冠の破片1つを奪った。これで後ひとつ…しかしその頃、残りひとつを持っていたヌアラ王女はその場を逃れていた。さて一方、ヘルボーイの暴走に頭を痛めた上層部は、彼の管理を厳しくするために、お目付役として新たな人物を投入することにした。その名もヨハン・クラウス(ジョン・アレクサンダー、ジェームズ・ドッド)。潜水服に身を固めた彼の正体は…煙のようなガス状の人間。このクラウスの何かと言うと杓子定規で融通のきかない態度、いちいち「上から」な言動に、ヘルボーイはイライラするばかりだ。そしてリズもまた、胸の内に小さな秘密を抱えていた…。

みたあと

 前回同様、今回も面白い! さすがに今一番アブラの乗ったギレルモ・デル・トロだ。お話も見せ場も前作よりスケールアップして大作感が出てきたが、キャラクターも深みを増した。そもそも、この手の映画には異例なほど、アクションやビジュアルよりもキャラクターとそのアンサンブル感で見せる映画だった前作。今回の続編もそのあたりのコンセプトにブレはない。登場人物の面白さ、組み合わせの妙、やりとりの楽しさで見せる映画なのだ。このあたりが凡百のアメコミ映画、ありきたりのアクション映画、ありがちなSFX映画と違うところ。この映画はそんな札束で横ッツラひっぱたくような映画や、頭を使っていないバカ映画とは訳が違うのだ。むしろホームドラマにも似た、絶妙な人間群像劇として優れているのである。今回、ヘルボーイとエイブが「恋煩い」におそわれ、バリー・マニロウの歌を大音響で聞きながらビールを飲んだくれるシーンは、誰しも「名場面」として指摘するところだろう。この映画はそんな「いい奴」「いい話」が満載された映画なのである。だからと言ってアクション面、ビジュアル面でも抜かりはなくて、前述したように明らかにスケールアップ。ニューヨークのど真ん中に巨大な樹の精が出現してビルを破壊するなど、なかなかの大業を見せてくれるのだ。

みどころ

 さらに今回「付加価値」を増したのは、新たに妖怪やもののけのような世界を持ち出してきたこと。前作もオカルティズムみたいなものを出してきてはいたものの、今回はそれより素朴でおとぎ話的な…ズバッと荒っぽく言ってしまえば、それこそ「パンズ・ラビリンス」でデル・トロが見せてくれた、ダーク・ファンタジーみたいな世界を全面に打ち出してきたから驚いた。どこかゾッとするけど笑っちゃう、水木しげる的なモンスターの数々は、間違いなくデル・トロが「パンズ・ラビリンス」を通過したことで獲得してきたものだろう。機械仕掛けの黄金軍団の登場なども見ていて楽しいし、最後のヘルボーイと王子との一騎打ち場面に、チャップリンの「モダン・タイムス」(1936)のセットみたいな巨大歯車がグルグル回る中での戦いを入れたりして、見せ場の工夫も怠りない。アクションやスペクタクルだってちゃんと「増量」しているのだ。そんな中で僕がやっぱり注目したいのは、どこか陰りのあるお色気を見せるリズ役のセルマ・ブレア。せっかくの初主演作「キルミー・レイター」(2001)こそ惨憺たる出来だったものの、リメイク版「ザ・フォッグ」(2005)では一人だけ気を吐いていた。今回も人々に化け物呼ばわりされてしょげるヘルボーイに、「私がいるだけじゃダメ?」と訴える健気さ。どっちかと言うと幸薄系の女の子に弱い僕としては、彼女は放っておけないタイプなのだ。そんな彼女とヘルボーイの関係が、前代未聞の「新たな段階」に突入するあたりも見どころか。第三作は一体どうなってしまうのだろう? 興味は尽きない。

さいごのひとこと

 王子は「デトロイト・メタル・シティ」のクラウザー某かと思った。

 

「ヘルライド」

 Hellride

Date:2009 / 02 / 02

みるまえ

 この映画のことは、たぶんどこかの映画館のチラシか予告編で知ったはずだ。クエンティン・タランティーノ・プレゼンツ。それだけで、たぶん昔風のB級映画テイスト立ちこめる映画だと察しが付く。バイク映画そのものが「死んだジャンル」だ。いやいや、そもそもバイク映画というジャンルに「生きていた」ことなどあっただろうか(笑)。そのあたり、いかにもタランティーノの心の琴線に触れそうな映画だが、実はこの作品、アメリカで公開されるやコケにコケたらしい。確かに本来陽の当たらないジャンルの作品なのだから、マトモに考えればコケて当たり前と言っちゃ当たり前だが、タランティーノが絡むならこれに新しい光を当てているんじゃないのか。そのあたりも含めて期待と不安が入り交じる中、主演の一人マイケル・マドセンの名に惹かれて劇場に足を運ぶ。

ないよう

 「あの子のために、宝をちゃんととっておいて」…あの女の言葉が今も脳裏に残る。今まさに、年季の入った革ジャンのバイク野郎ピストレロ(ラリー・ビショップ)は、腹に矢が刺さったまま荒野に横たわる。「これ以上望むべくもない死にざまだぜ」などとスゴんでいると、そこにツリ目のキツそうなネエちゃんがまたがって…。それは今から何十年前になるだろうか。まだ若かったあの日々、脳裏に浮かんでいたあの女…チェロキー・キズム(ジュリア・ジョーンズ)は、ピストレロと恋仲だった。まだ幼い少年だった彼女の息子も、そんな二人の仲を覚えていた。ところが彼女は、まもなく何者かに虐殺されたのだった…。そして現代、砂埃が舞う荒野で、わびしい弔いが行われていた。それはバイカー・チーム「ヴィクターズ」の面々による、仲間セント・ルーイの埋葬の儀式だ。参列者は「ヴィクターズ」のリーダーであるピストレロ、なぜかタキシード姿の大番頭ジェント(マイケル・マドセン)、そして最近加入した若いメンバーであるコマンチ(エリック・バルフォー)をはじめとするコワモテの面々。入ったばかりのコマンチはなぜかピストレロに気に入られ、すぐにグループのメインメンバーへと昇格していた。そんな彼らはセント・ルーイが敵対するバイカー・チーム「シックス・シックス・シックス」に殺されたと知り、復讐を誓うのだった。まずは手始めに「シックス」メンバー3人が籠もるトレーラーハウスに乗り込み、電光石火で彼らをブチ殺すとトレーラーを爆破。さらにピストレロたちは、「シックス」リーダーであるビリー(ヴィニー・ジョーンズ)を追う。ところがビリーの背後では、かつてのこの世界の大物だったデュース(デビッド・キャラダイン)が糸を引いているらしい。さらにビリーとデュースは、かつてのチェロキー・キズム殺しにも関わっているようなのだ。そして「ヴィクターズ」の仲間同士の絆にも、思わぬヒビが入りつつあった…。

みたあと

 一応スジが通っているみたいにストーリーを途中まで紹介したものの、これで正しいかどうかもアヤシイし、これを読んでもあまり話が分からないと思う人もいるかもしれない。でも、それはムリもない。この映画の物語はムチャクチャ分かりにくいし、おまけにいいかげんだ。冒頭からいろいろな人物がゴチャゴチャ出てきて名前を覚えさせられたあげく、時制がポンポンと変わる。おまけにロクな説明もないまま人が死んだり殺されたりして、エピソードのそのまんま放り出しっぱなしのものが多い。これじゃ分からないよ。

こうすれば

 いきなり「ヴィッカーズ」のリーダーとして偉そうに出てくるのが、おそらく主役と思われるのにおよそ華のない男。おまけに顔にまったく馴染みがない。サム・エリオットがショボくれたような容貌のこいつがリーダーってだけでチャンチャラおかしいし(「オレがリーダーだ」的な発言が妙に多いのもコッケイだ)、やたらスゴんだセリフを口にするものの見た目が弱そうだ(笑)。何とこの男が脚本監督のラリー・ビショップだ…と映画を見た後で知って、ビックリするやら納得するやら。実は1960年代から1970年代の量産バイク映画に主演していた男らしく、タランティーノ的にはこれもトラボルタみたいな「再生工場」役者なんだろう。しかしゴミ映画しかないバイク映画の「スター」ってことは、そもそもロクでもない役者ってことではないか。おまけにそいつが脚本・監督。これでちゃんとした映画になるわけない。当時のバイク映画よりは幾分グレードアップはしているんだろうが、同様のデタラメさチープさの映画に仕上がっている。これはちょいと見るに耐えない。タランティーノはクズ映画を拾い上げて見せているとはいえ、彼を通過した時にそれらをポップにリフォームしているから見るに耐えるのだ。「そのまんま」作っちゃったら無惨な出来栄えになるのは当たり前。何でこんなヤツに撮らせたんだ。そういや「デス・プルーフ in グラインドハウス」(2007)も面白かったし僕も楽しんだものの、あの作品あたりから方針が怪しくなってきた。そこへきてこの映画のプロデュースとは、いよいよ独りよがりにトチ狂ってきたかタランティーノ。ともかくちゃんとした商業映画になっていない。死んだはずの男が何の説明もなく生きて再登場する意味の分からなさ、同じく説明もなく味方が敵に寝返り、それをこれまた説明無しに察した主人公側がバンバン殺しまくる。ロクに説明がないから、唐突に出てくるデビッド・キャラダインやデニス・ホッパーなどの重要人物が誰だか分からない。もっと言うと、彼らが出てこなくても一向に困らない。おまけにアクション映画のくせして、ロクなアクション場面すらない。ほぼ全編メタボ体型のおっさんバイカーたちが、チンタラ荒野をバイク転がしてばかりいる映画なのだ。これじゃ分かる分からないより、面白くなろうはずもない。理屈抜きの映画のはずなのに、アートシアター系映画よりも見ていて疲れる。ハッキリ言ってラリー・ビショップが、バイクグループのリーダーの資質もなければ映画スターとしても映画監督・脚本家としても三流四流…いやいや五流六流でもまだ足りない、コワモテを装いたい自己顕示欲ばかりで、映画の才能も愛も何にもないダメ映画人であることは間違いない。

みどころ

 そんなわけで、どうしようもない出来の映画ながら、だからこそかつての1970年代あたりのクズ娯楽映画のニオイを忠実に発散させているともいえる。そういう意味で好事家にはたまらないかもしれない。僕には単に恐ろしく稚拙で安っぽくて商品にもなっていない、作っている奴らだけが楽しんでいるつまらない映画としか思えないが。こういう映画をヘンに持ち上げたりホメたりしちゃいけないと思う。

さいごのひとこと

 オナニーは人の見ていないところでやれ。

 

「チェ/28歳の革命」

 Che Part One

Date:2009 / 02 / 02

みるまえ

 今、チェ・ゲバラが「来てる」んだそうである。スティーブン・ソダーバーグがイマドキなぜかチェ・ゲバラの伝記映画をつくったとなれば、それは話題騒然とならざるを得ない。それも、「父親たちの星条旗」(2006)と「硫黄島からの手紙」(2006)のイーストウッド「硫黄島二部作」や、「レッドクリフ Part 1」(2008)と「Part 2」(2009)のジョン・ウー「三国志」二部作みたいに、今ハヤリの二部作構成でつくったとなれば興味津々。恥ずかしながらチェ・ゲバラについて名前ぐらいしか知らない僕だって、ついつい見たくなってしまう。おまけにソダーバーグとは「トラフィック」(2000)でお手合わせ済みのベニチオ・デル・トロがゲバラを演じると聞いて、そりゃナイスなキャスティングとますます興味が増した。私生活でいろいろあってなかなか劇場に足を運べない毎日が続くが、それでも何とか時間作って劇場に駆けつけた次第。

ないよう

 アメリカ人女性ジャーナリストのリサ・ハワード(ジュリア・オーモンド)は、キューバ革命の立役者チェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)に対して強烈な質問をぶつける。「アメリカの中南米諸国に対する支援は、キューバ革命の意義を失わせるのではないか?」…アメリカの中南米への強烈な影響力と、それに対する憤り。そこに、チェの革命家としての原点があった。元々アルゼンチン生まれの医師だったチェは、1955年にメキシコシティでフィデル・カストロ(デミアン・ビチル)と合流。キューバ革命に参加することになる。82人の同志と共に、船でキューバに潜入。しかし最終的に革命の成就を生きて目撃できたのは、そのうちの12人に過ぎなかったのだが…。森林に潜み、ゲリラ活動を展開していくチェたち。手始めに政府軍の駐屯地を急襲して存在感をアピール。徐々にその勢力を拡大していく。当初は外国人ということで遠慮のあったチェは、カストロの信頼を得ていながらも退いた立場に甘んじたり、時に軍医や新兵の指導などの仕事に携わって前線から離れた位置に身を置いたりもした。しかし味方側の気の緩みや腐敗に厳しく対処しているうちに、徐々に前面に出て革命軍を指揮する立場へと変わっていく。カストロの勢力が他の反政府勢力と合流して力を増していく中で、チェの指導者としての地位も不動のものとなっていった。最終的にはキューバ革命を代表する人物として、1964年に国連総会の演壇に立つまでに至るわけだが、それはまだまだ後の話。果敢に戦う姿勢を見せて合流してきた美しい女性アレイダ・マルチ(カタリーナ・サンディノ・モレノ)を「同志」として傍らに伴いながら、チェたちは徐々に政府軍を追い詰めていく。その最大のヤマ場となったのは、サンタクララにおける大規模な市街戦だった…。

みたあと

 お恥ずかしいことをぶっちゃけると、こちとらチェ・ゲバラについて詳しくもないし思い入れもない。キューバ革命の立役者ってくらいしか知らない。だからせいぜい、ベニチオ・デル・トロのゲバラ役が「雰囲気出してるな〜」ぐらいのことしか分からないのだ。こんな男がゲバラ映画について語っていいのかって論議は当然あるだろうが、世間の人々すべてがゲバラに詳しくなくちゃいけない道理もないだろうし、そもそも映画にしようって段階で、これはそういう疎い人々にゲバラの実像を知らしめようって意図もあったはずだ。だから知らないなりに臆面もなく感想を続けさせてもらえば、正直言ってこの長い映画の「前編」を見終わった段階でも、チェ・ゲバラの実像は一向に浮かんで来なかった。「デル・トロのゲバラが感じを出してる」以上のモノは伝わって来なかった。こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれないが、本当のことだから仕方がない。そもそもこの映画を見たすべての人たちに、明快なゲバラ像は伝わってきたのだろうか。

こうすれば

 何しろこの映画は、ゲバラがキューバ革命に飛び込んでいく寸前から始まってしまう。いきなりメキシコシティでカストロと会って、次の瞬間にはキューバ行きの船に乗っている。だから、普通大きなコトを成し遂げた人物を描くにあたって、必ず描かれるであろう重要な要素が決定的に欠落しているのだ。すなわち、「なぜその人物はそんなコトを成し遂げようと思い至ったか?」…。アルゼンチンの一介の若い医師が、何故にキューバ革命を戦い抜く革命家になったのか。誰がどう考えたって、チェ・ゲバラをチェ・ゲバラたらしめた原動力というか、モチベーションから描かなければ、彼の物語は成立しないと思うのではないだろうか。そんなモノは古今東西の伝記映画で使い古された手法で、もはや陳腐だから必要ないってことなのだろうか? しかし「忠臣蔵」を描くのに、「松の廊下」事件を描かずにいきなり赤穂浪士たちの暗躍から描くようなマネはしないだろう。それではお話が何だか分からない。おまけに映画の前半部分は、雑木林の中でウロウロするようなゲリラ活動を淡々と描いていくばかり。おそらくこれが史実なのだろうが、正直言って体調が悪かった僕は睡魔に襲われてしまった。申し訳ないけど、この映画の前半はかなり退屈だ。

みどころ

 そんなわけで、見ていてシンドかったこの映画がイキイキし始めるのは、お話が徐々に市街戦へと移ってから。特にサンタクララの攻略戦は、戦いそのものが緊迫している上に「敵」の顔が見えているので面白さが増す。そうだ、前半の森の中でのゲリラ活動が面白くなかったのは、「敵」の顔や姿がまるで見えなかったからだろう。ただただ、ゲバラたちが森の中で「戦争ごっこ」をやっているようにしか見えないからだ。そして今回の「前編」は、革命に勝利したゲバラがハバナに進軍していく際に、略奪したスポーツカーに乗った同志に気付いて怒鳴りつけるエピソードで幕を閉じる。これは、「後編」のおそらく悲劇に転じるであろうドラマを不吉に予感させる終わり方でなかなか秀逸。あくまで理想家肌で高潔の人ゲバラが、必ずしもキレイ事ではない革命の現実に直面するというアリサマを、象徴的に描いたエンディングだ。このようにゲバラの高潔さや理想の高さはきちんと描かれるし、ベニチオ・デル・トロの熱演でそれがシラジラしいものに見えないのも認めるが、これではいささか立派過ぎないだろうかと思ってしまう。何より「ゲバラがなぜそうなったのか」、「なぜ医師の地位をなげうって革命に身を投じたのか」…が分からないから、単に理想家肌で高潔な革命家というステレオ・タイプにしか見えない。綿密なリサーチを行っていているのは随所にうかがえるし、喘息だったということも初耳だったので興味深かった。南米の国々の自立をめざす政治的立場も分かったが、「彼にそうせしめた」一番肝心要の点が分からない。「人として」どうして彼はそう思ったのかが分からない。スティーブン・ソダーバーグはこのドラマ構成を「良し」と見ているのだろうか? 先に述べたようにベニチオ・デル・トロは熱演、映画も力のこもった力作であることは分かるが、肝心の「なぜ」が描かれていないから、ただ記録としてのゲバラの半生を見させられているだけのように思えるのだ。こう考える僕はおかしいのだろうか? 映画に主人公のモチベーションが描かれるのを期待するのは、陳腐な発想なんだろうか? 今回、映画全編を英語でなくスペイン語で描いたあたり、ソダーバーグの意気込みにはヒット映画「オーシャンズ」の監督ではなく、「セックスと嘘とビデオテープ」(1989)や「KAFKA/迷宮の悪夢」(1992)を撮ったアート系の映画作家としての面目躍如なものがあったが、あえて主人公のモチベーションを描かないという発想には、そんな「アート」な野心が働いていたのだろうか。だとしたら、それはいささか空回りだったとしか思えないのだが…。 それとも、実は僕が不満に思っていることはすべて描かれていて、単に僕がそれを見逃していただけなのか? たぶんこの作品にケチつけるのって僕ぐらいだろうと思うので少々臆病風に吹かれそうだが、分からないものは分からないもんなぁ。分かってないの僕だけ? チェッ(笑)。

さいごのひとこと

 カストロがうちの親父と同じトシ(82歳)と知ってビックリ。親父のぶんも長生きして。

 

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