「千年の祈り」

  A Thousand Years of Good Prayers

 (2009/12/14)


  

見る前の予想

 この作品のことは、劇場に置いてあったチラシで知った。

 アメリカを舞台にした中国人父娘のお話…と来れば、何だか最初の頃のアン・リーの映画みたいではないか。しかし当然のことながら、この映画はすっかり「大物」となったアン・リーの作品ではない。そうなると、アメリカを舞台に中国人のアイデンティティーを語りそうな映画作家と言えば、僕にはもう一人の名前しか頭に浮かんで来なかった。案の定、この作品を撮ったのはその「もう一人」の映画作家だった。

 ウェイン・ワン

 そのウェイン・ワンと言えば、僕がかつて物凄く惚れ込んでいた映画作家だった。中国語圏の人としてのアイデンティティーとアメリカ映画とを越境して作品づくりをしているあたりが、まるでアン・リーの「先駆」のようでもあり、何ともユニークだった。アート系インディ映画とハリウッド映画との間を自由に行き来しているあたりも、アン・リー的だ。そんな彼の作品を、僕はかなり気に入っていた覚えがある。

 それなのにここ何年もの間、僕はウェイン・ワンの新作を見ていなかった。

 そもそもこのサイトの中でも、ウェイン・ワン作品はまったく取り上げていない。改めてそのフィルモグラフィーを点検してみると、実はウェイン・ワン自身は途切れなく作品を発表しているし、それらはすべてではないものの、ソコソコ日本に紹介されているようなのだ。なのに、なぜ?

 改めてそんな疑問が湧いてくるなか、僕はこの久々のウェイン・ワン作品を見逃してはならないと、最近疎遠になった恵比寿ガーデンシネマまで駆けつけたわけだ。

 はてさて、その出来栄えやいかに? そして、僕はいかにしてウェイン・ワン作品が好きになり、そしてなぜかくも長く遠ざかっていたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見た後で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

 アメリカのある地方都市。空港の到着ロビーに、初老の中国人男性シー氏(ヘンリー・オー)が現れる。出迎えたのは、アメリカ暮らしが長いシー氏の娘イーラン(フェイ・ユー)。長らく遠ざかっていた娘に会いに来た、シー氏のアメリカ滞在の日々がここから始まった。

 シー氏はこの日からイーランが暮らすアパートの部屋に泊まり込み、久々の父娘の共同生活を営むのだ。しかしイーランとシー氏のやりとりは、どこかぎこちない。むしろ飛行機で一緒になったという米国人女性と、片言の英語しかしゃべれないシー氏とのやりとりの方が、よっぽどフレンドリーだ。

 中国でロケット開発のエンジニアだったというシー氏。一方、イーランは夫と別れ、この部屋に一人で暮らしていた。その理由を知りたいと思いながら、娘に問いかけかねているシー氏。彼はイーランのアメリカン・スタイルの中華料理にも、今ひとつ馴染めないものを感じていた。

 翌日、シー氏は早起きして朝食をつくるが、イーランはそれに手を付けずにバスで出勤。部屋に一人取り残されたシー氏は中華ナベを購入し、本格的中華づくりにチャレンジする。しかしこの部屋のキッチンは中華ナベ用には出来ていない。そもそもイーランは、ここでロクな料理もつくってはいないのだ。

 ともかく心づくしの料理をこしらえて、イーランの帰りを待つシー氏。しかしイーランは「たった二人でこんなに料理はいらない」と、どの料理にもお愛想に箸をつける程度。当然、食卓の会話もはずまない。思わずシー氏はイーランに問いかけずにいられない。

 「無口なのは幸せじゃないからか?」

 そんな父親の問いに、「昔は父さんも無口だったわ、幸せじゃなかったの?」と切り返すイーラン。どうしても父娘の会話はすれ違うのだった。

 だがそんな娘との会話とは裏腹に、彼女が出勤している間に周囲の人々と触れあっていくシー氏。

 プールサイドで肌を焼いているビキニ娘は、シー氏が「ロケット工学者」と知って興味を示す。突然尋ねてきたモルモン教勧誘の青年二人には、共産主義について説明する。そして公園に出掛けると、そこでは初老のイラン人マダム(ヴィダ・ガレマニ)と知り合いになるといった具合。特にこのイラン人マダムとは、お互い不慣れな英語の単純な言葉の羅列で、何となく会話がはずむのだった。

 それなのに、なぜか娘イーランとは会話が成立しない。彼女の離婚について触れてみても、「単に夫婦の舟が沈んだだけ」と素っ気ない。その部分に触れれば触れるほど、さらに心が遠のくシー氏とイーランだった。

 そんな思いの丈を、シー氏は例のイラン人マダムに打ち明けるしかない。しかしイラン人マダムは「娘がいるだけでも幸せだ」と諭す。彼女は動乱のイランで娘を亡くし、ここアメリカに逃れてきた。幸い息子がここで医師をしており、もうすぐ孫も生まれるという。そんなマダムをシー氏は祝福するのだった。

 しかし、ある日公園にやってこなくなるマダム。後日、マダムの知人に聞いたところでは、彼女は老人ホームに入れられたという。やりきれない思いを噛みしめるシー氏。

 一方、イーランは何かというと夜に家を空け、夜通し帰って来ないこともあった。ある夜、男にクルマで送ってもらったイーランの姿を見るシー氏。そのワケありな様子を見て、ついにシー氏はイーランに詰問せずにはいられなくなる。当然これにイーランは反発した。

 「私を監視してるの?」

 ますます気まずさを増す二人の間柄。「列車でアメリカ縦断旅行に出掛けたら?」と言うイーランは、父親に出ていってもらいたい意図がミエミエ。そんな会話のやりとりの中で、送ってもらった男が妻帯者のロシア人で、モスクワに妻子がいること、元々イーランの結婚生活が破綻したのも彼女がその男と不倫したからであること…が明るみになる。これには、イーランが夫に捨てられたとばかり思っていたシー氏は大ショックだ。だが、イーランにはイーランの言い分もあった。

 「お父さんこそウソをついていたじゃないの。ロケット工学者じゃなかったんでしょう? 他に女の人がいたんでしょう? みんな知っているのよ!」

 そんなイーランの激しい口調に、シー氏はガックリうなだれる。言ってはいけない言葉だったと思っても、イーランも今さら口から出てしまった言葉は取り消せない。

 そんなやりきれない夜が明けた翌朝、意を決したシー氏は、壁を隔てた隣の部屋にいるイーランに苦しい胸の内を打ち明けるのだった。

 「私に説明をさせておくれ…」

 

僕を魅了した「アメリカの中国人」映画たち

 今でこそ仕事が忙しくて映画を見る本数が少なくなったが、このサイトを始めた最初の5〜6年間は、映画を見る本数が今よりもっと多かった。それまでまとまったボリュームの感想文なんて書いたこともなかったわけだから、その意味では1999年〜2005年が僕の映画観賞が一番充実していた時期と言うべきかもしれない。

 しかし実際には、本当はそれに先立つ1980年末からの10年間ぐらいが、本数的にはもっともっと多かったのだった。そして、思い出深い作品に数多く出会ったのもこの時期。今振り返っても、この時期の作品群はかなり充実していたように思う。

 その中でも僕がハマっていたのがアジア映画の作品群、中国語圏の作品と韓国映画に佳作・傑作が多くあったように思う。

 そして、なぜかこの時期に僕の心に触れたのが、「アメリカの中国人」を描いた作品群。

 別にこれらは「ジャンル」ではなかったし、何ら意図的に連作されたものでもない。そんな「映画的潮流」があったという話も聞かない。たまたまこの時期にポツポツと日本公開されただけとも言える。それでもそれらは、なぜか揃いも揃って僕の心をとらえる佳品ばかりだったのだ。

 例えば香港のアレン・フォンが撮った「ジャスト・ライク・ウェザー」(1986)。香港の若い男女がアメリカ移住するかどうかで揺れに揺れるお話…なんだろうか、実はこの映画、実話ドキュメンタリーなのか劇映画なのか、ハッキリ分からないかたちで展開する。まるでイランのモフセン・マフマルバフ作品みたいな映画なのだ。今改めて思い出したが、これは僕が当時気に入っていたシネヴィヴァン六本木でレイトショーで細々公開された作品だった。だから知名度は乏しいと思うが、それでも印象は強烈だったように思う。

 そして今や伝説的作品といえる、メイベル・チャン誰かがあなたを愛してる(1987)。チョウ・ユンファ扮するやさぐれ男とチェリー・チェン扮する女子大生との淡い恋心が、ニューヨークを舞台に描かれる。まるで「無法松の一生」というか「男純情」というか、無骨なチョウ・ユンファの終盤の激走はおそらく映画史に残る。いや、残さなきゃいけない。今でも思い出せば、グッと胸が熱くなる映画だ。

 スタンリー・クワン「フルムーン・イン・ニューヨーク」(1989)もこの頃。中国・香港・台湾とそれぞれ出身も背景も違う3人の中国女が、ニューヨークを舞台に友情を育てる。演じるのはマギー・チャン、シルヴィア・チャン、スーチン・ガオワーの3人。彼女たちがしたたか酔っ払ってそれぞれのお国の歌を同時に勝手にうたいながら、いつの間にかハーモニーのようになっていくあたりが圧巻! もう細部は忘れてしまったが、歌にまつわるパフォーマンス場面としては、マルティーヌ・デュゴウソンのフランス映画「ミナ」(1993)でヒロインの一人がダリダの歌に合わせて口パク・パフォーマンスを見せる場面に匹敵するほどの素晴らしさ。

 そしてそして、いよいよ真打ち登場だ。香港のピーター・チャンによる「ラヴソング」(1996)。大陸中国から香港に流れてきた男レオン・ライと女マギー・チャンの、10年後のニューヨークにまで至る恋愛映画。その原動力となるのがテレサ・テンの歌だ。まるでダイ・ハード(1988)に匹敵するほど伏線を張りまくった脚本で、最後の最後にとっておきの時限爆弾が大爆発。この幕切れには号泣必至だ。この作品、主演者二人にとっても才人ピーター・チャンにとっても、いまだベストだろう。もちろん映画史に残るかどうかなんて、あえてここで語るまでもないことだ。

 当時の中国語圏映画はそんな「アメリカの中国人」映画の秀作を、ポツリポツリと世に出していた。実はこの時期、アン・リー「ウェディング・バンケット」(1993)も公開されていて、当然の事ながらこの作品も「アメリカの中国人」映画系譜に入ることになるが、お恥ずかしいことに当時の僕はまだ見ていなかった。ついでに言えば、日本では公開が遅れたアン・リーの旧作「推手」(1992)も「アメリカの中国人」映画である。

 余談ついでに言えば、当時の中国語圏映画でもうひとつ僕が注目していた作品があって、それは中国人と日本との関わりを扱ったもの。それも中国語圏映画というとすぐに想起される、戦時中の日本をひたすら糾弾する映画ではなく、中国人と日本人の不思議な関わりを描いたものだ。これらの作品は「傾城之恋」(1984)、「客途秋恨」(1990)、「極道追踪」(1992)…などともっぱら香港の女性監督アン・ホイによって発表されていたが、それは彼女が中国と日本の混血だったから。しかし時には彼女以外にも、香港のイム・ホーが撮った「レッドダスト」(1990)などのように、悪役とは違った日本人と中国人との関わりを描く作品が発表されたりした。なお、この作品は後年のアン・リー作品ラスト、コーション(2007)に通じるものがある。ともかくこちらの作品群も、日本人である僕には大いに見逃せなかった。

 閑話休題。そんなわけでこの時代は、中国語圏の映画作家がアメリカを舞台に中国人のドラマを描く、この手の「アメリカの中国人」映画が多くあった…と言いたかった。おそらくそれらの作品群が登場した背景には、1997年の香港の中国への返還が横たわっていたものと思われる。中国語圏の人々…特に当時の香港人は、どうしたって自分たちのアイデンティティーを振り返らずにはいられなかったのだろう。その時、舞台が移民の国アメリカであることは象徴的だ。というか、そこまで深読みするまでもなく、慌ててアメリカの市民権を取ろうとした香港人が大勢いたことが反映していたのだろう。

 それだけではない。確かこの時期、あのチェン・カイコーもなぜかアメリカに長く滞在していたように記憶している。まぁ、つまりそんな時代だったわけだ。

 

ウェイン・ワン作品への注目と失望

 そんな「アメリカの中国人」映画群の中に、ウエイン・ワン「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)も公開されていた。

 ただしこの映画、他の「アメリカの中国人」映画群とは少々異なり、あのオリバー・ストーンが制作者として名を連ねるアメリカ・ハリウッド映画として製作されている。出演者の中にはプリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角(1986)でモリー・リングウォルドの相手役を演じ、ジョン・ヒューズ青春映画の常連だったアンドリュー・マッカーシーも顔を出していた。だから中国人の物語ではあるが、あくまでセリフは英語。アジア映画テイストではなくウェルメイドなハリウッド風の語り口で描かれていたのだ。

 ただし僕は、ここで「ウェルメイドなハリウッド風の語り口」という言葉を、いかにもアート映画ファンが口走るように批判的に使ってはいない。いささかメロドラマ風ではあるが、この語り口は決して悪くない。むしろ程良い大衆性を感じさせて、なかなか手慣れたものだと感心したのである。いや、かなり僕はこの作品を気に入っていた。何しろ1994年のベストテンで第2位に置いたのだから、相当買っていたのは間違いない。

 中国からアメリカに渡って来た女たちが時代に翻弄される受難劇と、その娘たちとのギクシャクする関係を描いて、スケールでっかいドラマを作り上げていた。まるでハリウッド仕込みの、危なげない手つきが効いていた。そこに、僕は大いに感心したのである。

 この映画こそが、僕とウェイン・ワンとの出会いだった。

 そしてその翌年には、僕のウェイン・ワンへの評価は決定的なものになる。彼の次の作品「スモーク」(1995)が公開されたのだ。

 たぶん一般映画ファンの間でのウェイン・ワン評価が定まったのも、この映画からではないか。ハーベイ・カイテルウィリアム・ハートという通好みの渋い俳優を中心に、町のタバコ屋を舞台にした「ちょっといい話」。いかにもミニシアター系のウツワに収まる作品ながら気取りは毛ほども感じさせず、この映画の後味の良さったらない。もちろん僕はかなり気に入った。

 そしてウェイン・ワンが自らのアイデンティティーである「中国系」にこだわらない、いわゆる「アメリカ」の映画作家なのだと認識されたのもこの作品からだ。実はこの作品の前にトム・ハルス、ヴァージニア・マドセンが主演した「中国臭」のまったくない作品「スラムダンス」(1987)をすでに発表してはいたが、「中国アイデンティティー」なしでもやれる映画作家であることを世間にハッキリと認めさせたのは、やっぱりこの「スモーク」からだろう。そういう意味では、ウェイン・ワンは「アン・リーの先駆」みたいな位置づけを持っていたともいえる。東洋〜西洋の映画世界を自由にスイスイ越境できる映画作家というのが、ウェイン・ワンのイメージだったわけだ。

 次いでウェイン・ワンが発表した作品は何かと言えば、何と「スモーク」の姉妹編ともいえる作品「ブルー・イン・ザ・フェイス」(1995)。好評を得た「スモーク」の次の作品というだけで注目を集めるところを、今回は「スモーク」の主人公や設定、舞台であるタバコ屋をそのままに、即興演技中心で制作したというシロモノ。何でも「スモーク」の原作者であるポール・オースターとウェイン・ワンが、「いい感じ」で進んだ「スモーク」の撮影のムードをそのままに、同じ場所で可能なキャストで何かパッと撮ってしまおうと制作されたもの。だから監督として、ポール・オースターとウェイン・ワンが共同でクレジットされている。キャストも「スモーク」のハーベイ・ハイテルを中心に、ジム・ジャームッシュマイケル・J・フォックス、マドンナなど意外な人々も登場。これはこれでまたまた好評を得て、世間じゃ「傑作」として通っている。当然、ウェイン・ワンの評価はまたまた高まった。

 な〜んだか僕の語り方に冷たいモノが感じられるって? そう思われた方はいい勘してる(笑)。

 世評はどうだか知らないし、これを読んでいるみなさんがどう思われているかも知らないが、少なくとも僕はこの「ブルー・イン・ザ・フェイス」を好きになれない。

 「いい感じの現場だったから、もっと楽しみたい」という志はともかく、それで「お仲間」を集めてきて即興で撮りまくる…ハッキリ言って、それって自己満足でしかないんだよね。マイク・フィッギスの「HOTEL」とかソダーバーグの「オーシャンズ」の2作目とかウォン・カーウァイの以前の映画とかと同じ。ダラダラと内輪ウケのネタを延々べらべらしゃべっているような、何ともメリハリのない映画。僕にはそうとしか思えなかった。

 一件良さそうな雰囲気はするけど、よくよく見ると中身は空疎。みんな「スモーク」の残像があるからダマされちゃったに違いない。この映画をケナすのは勇気が要るけど、結局これは駄作だと思う。ポール・オースターとウェイン・ワンの共同監督なんて書いてあるけど、実際にはポール・オースターの監督でウェイン・ワンが補佐してあげたというのが本当のところなんじゃないか。そしてポール・オースターが一人で監督した「ルル・オン・ザ・ブリッジ」(1998)って映画がこれまたクソつまらなかった。ホメてる奴いっぱいいるけどホントかね? やっぱりこの人、映画では単なる「素人」だろう。

 「スモーク」が面白かったのは、練り上げられたプロの技があったからだ。素人は身の程を知らなきゃいけない。

 そんなわけで、意外なところでミソをつけたウェイン・ワン監督。こうなると一人で撮ったちゃんとした監督作品が早く見たい。やってきた新作「チャイニーズ・ボックス」(1997)に、期待をかけないわけにはいかなかった。返還間近の香港を舞台にした作品で、ジェレミー・アイアンズ、コン・リー、マギー・チャンなどの共演。東西映画界を自由に越境するウェイン・ワンならではの、彼の「アイデンティティー」を十二分に活かした映画になると大いに期待は高まった。さて、その結果は?

 これが……何ともつまらなかったんだねぇ

 何がどうつまらなかったのか…よく分からないんだけど、結局、脚本に「ダントン」(1982)や「ブリキの太鼓」(1979)、「スワンの恋」(1983)、「存在の耐えられない軽さ」(1987)、「シラノ・ド・ベルジュラック」(1990)、魔王(1996)などの名手ジャン=クロード・カリエールを起用したのがマズかったのか。やっぱり香港の中国返還って西欧人には「人ごと」なんだろうなって「本音」がミエミエ。そのドラマティックな背景だけいただいてオイシイお話にしようと目論んだんだろうけど、やっぱりシラジラしいのだ。西欧人ジェレミー・アイアンズ主人公のお話にせざるを得ないところが、まずは苦しい。ウェイン・ワンを監督に起用して補強しようとしたんだろうけど、元々の話がこれじゃあどうしようもないのである。これが「慕情」(1955)みたいなまるっきりの商業娯楽メロドラマなら、いっそ潔いのかもしれない。しかし、マジメなアートフィルムっぽい手つきで描いていくから、シラジラしさも倍加する。せっかくのコン・リーもマギー・チャンも活かし切れていない(特にマギー・チャンなどは役も小さく気の毒なほど)。この映画で唯一見どころを挙げるとすれば、意外にも辛口の男っぷりを見せる「ミスター・ブー」ことマイケル・ホイのシリアス演技ぐらいだろうか。ポール・オースターのお遊びに付き合ったあげく、ウェイン・ワンは映画の「現場カン」をすっかり狂わせてしまったように思えた。

 そしてこれが決定打だったのか、僕はウェイン・ワンに興味を失ってしまった

 その後、彼の作品が日本に入って来なかったわけでもないし、来てもまったく見なかったわけではない。実は「チャイニーズ・ボックス」に続く作品「地上より何処かへ」(1999)は、なぜか僕も見ていた。しかし、恥ずかしながら…今回この感想文を書くまで、僕はこの映画がウェイン・ワン作品だと知らなかった。いや、見た時には知っていたのかもしれないが、すっかり忘れてしまっていた。それくらい、この映画の印象はない。スーザン・サランドンナタリー・ポートマンが反目し合う母娘を演じる話と覚えてはいるが、覚えているのはそれくらい。まったく内容を忘れてしまっているのだ。

 その後の作品「メイド・イン・マンハッタン」(2002)も見ていない。ウェイン・ワン作品だから無視したというわけではない。ジェニファー・ロペスレイフ・ファインズ主演のラブコメだとは聞いていたが、僕はそもそもジェニファー・ロペス主演作にまるで関心が持てない。ウェイン・ワン監督作品だなんてことも、実はまったく知らなかったのだ。

 そんなわけで、最初の頃は「こりゃスゴイ」と大いに期待していたし持ち上げていたウェイン・ワン監督だが、最近はすっかりご無沙汰で消息も知らなかった。ハッキリ言えば、どうでもいい監督となっていたわけだ。そんなウェイン・ワン作品が久々にやって来て、それがどうやら「アメリカの中国人」ジャンルの映画らしいと伝わってくれば、そこはそれ昔取った杵柄(笑)。どうしたって気になって来るというものだ。

 

見た後での感想

 実は映画を見始めてすぐ、この映画の宣伝は失敗かもしれない…と感じ始めていた。

 チラシを読むと、主役二人の人間関係と置かれた状況が、結構具体的に書いてあるではないか。最後のちょっとした「意外性」はさすがに書いていないが、娘のイーランが離婚して、現在は別の不倫の関係を続けていること…などを明かしてしまっている。でも、これを見る前の観客に知らせちゃっていいのか。

 というのは、この映画、そんな主人公たちの境遇に関する「説明」部分を徹底的にそぎ落として描いているからだ。

 最初、空港に到着する父とそれを出迎える娘。この父が何でアメリカにやって来たか、娘が今どんな状況にあるのか、映画は何も説明しない。その後の展開で間接的に、ポツポツとそれらは説明されるが、チラシに書いてあるストーリーのように親切には語ってくれない。アレはわざと「語らない」ように作っているのだ。それを宣伝チラシや予告編で最初からベラベラと言ってしまっては、作者の意図はぶちこわしなのである。これは宣伝のやり方としてマズイだろう。

 実は僕が書いたストーリー紹介ですら冗舌で、多くを語りすぎているくらいだ。だから今回は、ちょっと無茶なのだがストーリーが始まる前に「ご注意」を入れさせていただいた。たぶん、それがこの映画に対する「礼儀」というものだと思う。

 作者はあえて、多くを語らずじっと我慢しているのだ。

 娘の不在中に部屋をアレコレ探る父は、そこにあるロシアのマトリョーシカ人形に注目し、ロシア民謡が入ったCDをプレーヤーでかけてみる。それが何を意味するのかを観客が知るのは、映画の後半になってからだ。一時が万事そんな調子で、この映画はまったくの小品のくせに、脚本のあちこちに伏線が張り巡らされている。その巧みさたるや、先に緻密な脚本のお手本として引き合いに出した「ダイ・ハード」も真っ青とでも言おうか(笑)。本作は明らかにホームドラマの範疇に入る作品なのに、まるでその脚本のミステリアスさ加減はサスペンス映画か犯罪映画並みなのである。

 そういう意味では、この映画の寡黙さはちょっと前に公開されたロシア映画父、帰る(2003)に一脈通じるものがあるかもしれない。「父、帰る」は本来は犯罪サスペンス映画として脚本が書かれたものを、「肝心」の部分の説明をバサバサと監督がカットして、意味ありげな父子ドラマに仕立て直した。その手つきに、どこか本作と共通するものがあるのだ。

 しかし「父、帰る」は本来だったら語るべきだった要素を意図的に削ることによって、「もっと何か意味がある」かのように見せかけた、少々いやらしい狙いを持った作品でもあった。その点、こちらは違う。語るべき要素は語られない訳ではなく、その語るべきタイミングを注意深くズラされているに過ぎない。それによって観客がナゾを解いていくミステリー的展開で、観客をグイグイと問題の核心に導いていこうという発想なのだ。

 そして、あくまで抑えた描写、抑えた感情表現で淡々と描いていく。それはある意味で、ハードボイルドといってもいい語り口だ。観客を感情移入させようとか感傷的にさせようとか、微塵も思っていない語り口なのである。

 そんなミステリー的趣向は、終盤で観客が予想しなかったサプライズをもたらす

 そのサプライズについてクドクドいうのはヤボというものなので、ここではこれ以上語るのはやめておく。ただ、サプライズといっても観客を脅かしたりするようなものではないし、サプライズがこの映画の「面白み」であるわけでもない。あくまで淡々と進む映画の中においては、いくらか「意外」かな…という程度のサプライズなのだ。

 その後、映画にはわずかながら希望の光がさしてくるように見えるが、結局のところは何も解決していない。実質上は何も変わっていない。ここでも「語らない」「説明しない」を貫いた抑え気味の演出は続いている。

 ところが最後の最後…娘が職場でパソコンか何かに向かって仕事をしている最中に、どこからともなく父が旅立つ列車の「汽笛」の音が聞こえてくる。

 僕はこれを聞いた時、不覚にも一気にドッと涙が溢れてきた

 そこに至るまで抑えに抑えて、例のサプライズを唯一の例外に淡々と静かにお話を運んできた。語りたいことも飲み込んで、寡黙にお話を進めてきた。

 だからこそ、この「汽笛一発」が効いてくる。

 ここまで抑えに抑えた態度を貫いたからこそ、ほんのかすかな音なのにこの一点で観客の感情を一気にほとばしらせてしまうほど、破壊力に満ちた「汽笛一発」なのである。

 

見た後の付け足し

 ところで僕は、この「汽笛一発」に至ってようやく、この作品が小津安二郎の「東京物語」(1953)の焼き直しであることに気づいた。

 たぶん勘のいい人ならとっくに気づいているに違いない。確かに親が故郷からやって来て子供と再会、その親と子の断絶が描かれ、全編が淡々と描かれハードボイルドとも言える語り口を見せながら、終盤近くに主要人物の感情のほとばしりがあり、そして「汽笛一発」で幕切れ…と来れば、これは確かに「東京物語」のフォーマットだ。いや、これは絶対に意識してやっているのは間違いない。それをエンディング近くまで気づかなかったとは、まったく情けない。ホントにオレってこれでも映画好きなのかよ(笑)。

 それでも、例えばヴィム・ヴェンダースなどがだらしなく「まんま」やってしまうオマージュなんかと違って、ちゃんと自分の表現にして物語に「貢献」させているあたりが、なかなか大したものだと思わせる。小津にヒントを得たかもしれないが、そこに描かれているのはウェイン・ワンのオリジナルなのである。

 そして「東京物語」の連想なんてことよりも、僕にはこの映画で描かれた「親と子」の関係の方がずっと気になっていた。

 ここまでの感想文をお読みになれば、僕が意図的に感情的な部分やテーマ的な部分をはずして、この映画を語ってきたことにお気づきのことと思う。

 正直言って今年の僕は、例の父の死以来、どんな映画を見ても「親と子」のテーマがチラつく。何しろ007/慰めの報酬(2008)を見たって関心は「親と子」に向かっちゃう(笑)んだから尋常じゃない。こじつけじゃないかと言われれば反論できないが、本当にそういう題材が見る映画見る映画チラついちゃうんだから仕方ないのである。

 だから、この映画に僕がそれを嗅ぎ取らないわけがない。

 しかし、それでも、だからこそ…僕はそのことをこの映画に関して語りたくはなかった。いろいろ思うところはあったが、この映画では語りたくなかった。語ろうと思えば語れただろうが、それをここではあえてやりたくなかった。

 抑えに抑えた作品に対しては、それにふさわしい態度で対峙したかった。それがこの作品に対する「礼儀」ではないかと思えたのである。

 

 

 

 

 

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