「湖のほとりで」

  La Ragazza del Lago (The Girl by the Lake)

 (2009/08/03)


  

見る前の予想

 昨今、イタリア映画ってまったく評判どころか名前も聞かなくなってしまった。

 このサイトで取り上げたイタリア映画の新作そのものが、まず極端に少ない。外国映画がこれだけ公開されていながら、イタリア映画新作はほとんど公開されていない。たまに公開されればフェリーニ旧作のリバイバルみたいなのばっか。あとはロベルト・ベニーニの作品が何本か公開されたが、ハッキリ言ってやかましい奴の映画はパスだ。

 そんなこんなで、イタリア映画はとんとご無沙汰となった次第。

 ところがいきなり、この新作の登場だ。風光明媚な湖のほとりに、美少女の全裸死体。刑事が捜査を始めてみると、静かで何もなさそうな町にさまざまな人間のダークサイドがチラつく…。

 な〜んとなく面白そうじゃないか。

 主役のオッサンは見たこともない男だが、出演者の中に「レインマン」(1988)など一時ハリウッドでも活躍していたヴァレリア・ゴリーノが顔を見せているのが嬉しい。少なくともここ最近のイタリア映画と違って、やたらやかましいロベルト・ベニーニか全く知らないメンツばかりではなく、一人は見知った人の顔を見かけることができそうだ。こいつはちょいと見てみるか。1時間半強という、イマドキ珍しくコンパクトな上映時間も魅力的だ。

 ところがチンタラ足を運んだ映画館は大入り満員で、次の次の上映まで一杯というではないか。おいおい、それほどの映画かよ

 しかし、そうなってみると尚更見たい。そんなわけで、次の週に満を持して映画館に出かけたわけだ。

 

あらすじ

 北イタリアのある町に、今日も朝がやって来る。

 幼い女の子のマルタ(ニコール・ペローネ)は、おばさんの家に泊まって自宅へ帰るところ。トコトコ歩いていた彼女は、しかし途中でピックアップ・トラックの男に声をかけられる。

 その頃、がらんとした家の中で、一人の初老男が手紙を読んでいた。彼の名はサンツィオ(トニ・セルヴィッロ)。しかし手紙の内容は、実に不可解なものだった。

 「あなたに、手紙を書く、か、か、書こうと…」

 その後は、まるで字になっていない。手紙を見つめる男の目は、沈痛そのものだ。

 しばらくして、町ではマルタの母親が「子供が帰ってこない!」と騒ぎ出す。近所の人々もマルタを探し始める中、先ほどのサンツィオがクルマで町に降り立った。サンツィオはマルタの足取りを追うように、町のあちこちを歩き回る。

 サンツィオは警部だ。マルタの捜索の駆り出され、こうして町にやって来た。

 そんなマルタを探すサンツィオの目の前に、まるで幻影のように目指す少女の姿が現れる。しかし、それは幻影ではなかった。マルタは再び姿を現し、無事に警察に身柄を保護されたのだ。

 しかし、それまでマルタはどこに行っていたのか? どうもこの娘の言動にはつじつまが合わない点がある。サンツィオと地元警察の若手刑事シボルディ(ファウスト・マリア・シャラッパ)は母親に頼んで、マルタから話を聞き出すことにした。すると…。

 マルタは近くに住む知的障害のある男マリオ(フランコ・ラヴェーラ)と一緒にいて、彼が飼っているウサギを見せてもらっていた。ところがその後、「湖に住むヘビが出て」きて「魔法をかけた」という。確かに近くには湖があり、そこには見た者を魔法にかけて眠らせるヘビが住んでいる…という古くからの伝説があった。しかし、このマルタの証言とは…。

 サンツィオ、シボルディ、そしてサンツィオの古い相棒であるアルフレード(ネッロ・マーシャ)たちは、湖へと慌てて駆けつける。そこには、まるで絵に描いたように美しくも恐ろしい光景があった。

 澄んだ湖のほとりに、静かに眠っているかのように全裸の娘の遺体が横たわっている。

 その首は不自然に曲げられたポーズをとり、上には青い上着がかけられていた。死因は窒息で、溺死の疑いがある。しかし、首には何かの跡が残っていた。しかし表情はやすらかそのもの。争った形跡もない。

 誰か顔見知りの犯行なのか。

 殺されたのは、この町のアンナ(アレッシア・ピオヴァン)という娘。アイスホッケー・チームのキャプテンを務めていたこともある、みんなから愛されていた活発な娘だった。

 まずは疑うべきは、マルタと共に遺体を発見したというマリオだろう。早速、彼の家へと駆けつけるサンツィオたち。ところがマリオへの尋問を始めようとすると、彼がおびえきっているではないか。ふと見ると、彼の年老いた父親(オメロ・アントヌッティ)が、車椅子に乗っていながら今にも飛びかからんばかりの形相でうなっているではないか。この父親の存在が、マリオを萎縮させているに違いない。サンツィオは気むずかしそうで逆ギレせんばかりの顔をしたこの父親を、強制的に部屋から追い出した。すると、マリオはようやく口を開き始める。

 しかし純朴そのもののマリオの証言は、彼の無実を証明するものでしかなかった。彼はアンナの死は「湖のヘビ」のせいだと固く信じていたのだ。しかも、アンナはみんなに愛されていたともいう。彼に言わせれば、彼女を憎んでいたのは自分の父親ぐらいだろうとのこと。足が不自由なマリオの父親は、いつも軽やかにジョギングする姿を見せていたアンナが忌々しくて仕方がなかったはずだと話す。実はマリオも、自分の父親をどこか憎んでいたのだ。

 さらに疑われたのが、アンナの恋人ロベルト(デニス・ファゾーロ)。何と彼はこの日の朝、アンナの部屋で二人きりでいたというのだ。当然、アリバイなどもない。彼女と男女の仲だったのかと問われ、精一杯ワルぶって「当然!」とうそぶくロベルト。

 ところが検死の結果、意外なことがわかってくる。何とアンナは処女だったというのだ。しかも、もうひとつ意外な事実が発覚。彼女は脳腫瘍を患っていて、長くてあと一年の命だった。彼女もひそかに病院に通っていて、このことを知っていたらしい。

 奇妙なのは、それだけではなかった。アンナの父ダヴィデ(マルコ・バリアーニ)は娘の死に取り乱し、サンツィオに遺体の引き渡しを迫る。それだけなら、確かに最愛の娘を持つ父親として当然かもしれない。しかし彼が撮影した愛娘のビデオを見た時、サンツィオはいささか唖然とせざるを得なかった。旅行に行った時のものらしいが、風景も何も目に入らないのか、ひたすらアンナをカメラが追い回す。上の娘シルヴィア(ハイディ・カルダルト)が声をかけてもまるで答えず、ひたすらアンナをなめまわすように撮影する。その執拗さに、異常なものを感じてしまうサンツィオ。

 その一方で、サンツィオもまた苦しい家庭の事情を抱えていた。実は彼の妻(アンナ・ボナイウート)は進行性の痴呆症で、サンツィオと自分の兄弟とを間違える始末。娘に至っては存在すら忘れてしまった。そんな妻の状況を娘のフランチェスカ(ジュリア・ミケリーニ)には打ち明けられず、妻の病状についてはお茶を濁すばかり。そのせいか、フランチェスカとサンツィオの関係も何ともギクシャクとしたものになりつつあったのだ。

 やがて、アンナが毎日のように携帯をかけていた相手がわかる。それは彼女がベビーシッターをしていた家の夫コッラード・カナーリ(ファブリツィオ・ジフーニ)だった。カナーリによればアンナが自分に恋をして、毎日のように連絡してきたという。

 ところがアンナのベビーシッターのバイトにも、入り組んだ事情があった。彼女が面倒を看ていた子供は、不幸な事故で亡くなった。食事中、ビスケットを喉に詰まらせたのだ。その後、カナーリと妻も別れた。サンツィオはここに何かアンナの行動の謎を解くカギがあると目を付けて、カナーリの別れた妻キアラ(ヴァレリア・ゴリーノ)に話を聞きに行く。

 それは、またしても気が滅入る話だった。

 亡くなったカナーリとキアラの子供アンジェロは、先天的に精神的な障害を持っていた。常にかんしゃくを起こし、夜もなかなか寝付かない。さすがに実の母親のキアラでも持て余した。しかし、そんなアンジェロもなぜかアンナにはなついた。そんな彼女に嫉妬の感情さえ抱くことがあった…とキアラは告白する。

 ところが、アンナの恋人ロベルトの家のそばから、紛失していたアンナのバッグが発見される。それを知って自分が疑われると恐れたロベルトは、いきなり警察の手を振り払って逃げ出した。当然、彼の立場は不利になり、たちまち逮捕。サンツィオはここぞとばかりに取り調べで責め立てるが、ロベルトは頑強に犯行を否定した。

 もはや八方塞がり。私生活も煮詰まり気味のサンツィオは、ただただ困惑するしかなかった…。

 

見た後での感想

 映画を見始めて気づいたのだが、この映画ってテオ・アンゲロプロス監督やタヴィアーニ兄弟監督の作品に出てたオメロ・アントヌッティも出演しているのだった。いやぁ、久しぶりに馴染みに会ったみたいで、ちょっと嬉しかったねぇ。…っていうか、これってひょっとして、向こうではオールスター・キャストなのではないか。単純にイマドキのイタリア映画のスターたちを僕が知らないだけで、あちらでは豪華絢爛なメンバーなのかしらん。

 だとすると、そんな豪華アンサンブル・キャストの中心に立つサンツィオ警部役トニ・セルヴィッロって役者さんは、スター中のスターってことになる。しかし、これがまた先に述べたように、何とも華がない役者なんだよねぇ。

 知らないから華がないのか…とも思ったのだが、とにかく冴えないオッサンだ。

 これがマルチェロ・マストロヤンニあたりが存命中だったら、きっと魅力たっぷりに演じたんだろうな。それでなくても、他にもジャンカルロ・ジャンニーニとか…とにかく、他に誰かいないのか。しかし、そんな名前が出てしまうのは、僕がイマドキのイタリア映画を知らないからなんだろう。

 トニ・セルヴィッロ…は、当代イタリアを代表する名優なんだそうである。

 確かにシュリ(1999)でハン・ソッキュを最初に見た時は、「これが何で韓国最大のスーパースターなんだ?」とかなり違和感を持った。「ムトゥ/踊るマハラジャ」(1995)で主演のラジニカーントを見た時には、このアブラギッシュでずんぐりむっくりしたオッサンが何でスーパースターなのかサッパリ分からなかった。お国柄が変わればスターの概念も変わる。だから、こういうオッサンが国を代表する名優になったりスターになったりってこともあるだろう。そもそも、もしアメリカ映画を見たことがない奴が最近のロバート・レッドフォードを初めて見たら、若ぶってるけど顔がシワクチャで、しかも不自然な整形をしたジイサンがハリウッドを代表するスーパースターなんて思えないだろう。そんなものである。

 それに映画ってのは不思議なもので、スチール写真でイマイチでも、動いている姿を映画一本分みたらファンになっちゃうようなところがある。映画スターというのはスクリーンで動いてナンボなのだ。作品を見てみないことには「華がない」かどうかは分からない。

 そんなわけで、冴えないと思いながらもどこかで魅力が出てくるのだろうと見続けていったのだが…。

 ホントに冴えない。

 まるっきり冴えない。いつまで経っても冴えない。この映画の感想をいくつかネットで拾って読んだのだが、「演技がうまい」とか何とか書いてあるけど、みんな本当にそう思ったのか(笑)? どうも役者としてもパッとしないオッサンにしか思えない。

 しかも…これは役柄のせいで仕方ないのだが、何だか変なところで空威張りしたり、完全な誤認逮捕をしていながら高圧的態度。まるでバカにしか見えない。劇中でも女検事に「それでよく美人の奥さんを射止められたわね」とオチョクられているが、まったく同感である。

 こんな人間的キャパが思い切り狭そうなショボいオッサンが主役なんて、何だか寂しくなってきた。あんまり好きになれそうな俳優さんには思えない。ゴメンナサイ。

 ただし、映画は決して悪くない

 澄み切った湖のほとりに美しい娘の死体。何だか「ツイン・ピークス」みたいだけど、ともかくそんな「遺体発見」の絵がぴたりとキマってる。その澄み切った、恐ろしいほど美しい印象が、この映画全編に底流として流れている。

 そんな美しい田舎の町を、主人公の警部がうろつき回って嗅ぎ回る。お話は淡々として、いささかメリハリに乏しい印象すらある。しかし、それでいてそれなりに心地よく時間は流れる。

 やはり例の「遺体発見」の鮮烈でいて清廉な印象がずっと脳裏に焼き付いているので、じっくり見ていられるのだろう。

 そこで描かれる人間模様も、それなりに興味津々。市井の人々のありふれた日常のように見えて、実はそこには隠された葛藤がある。それを静かに淡々と描いている。

 まぁ、1時間半強という短さだからもった…とも言えるのだが、こんなに起伏のない話でも退屈しない。一見、犯人らしき怪しい人物が山ほど出てくるが、それらも「ミス・リードされた」というイヤな印象はない。ひとつひとつのエピソードに、作者の描きたい意図と必然性を感じるからである。まぁ、実際のところは「引っかけ」登場人物もいるんだろうが…実際のところ、イントロなんて「アレレ、これって幼女誘拐殺人の映画だったっけ?」なんて思わされそうな、いささかもったいぶったこともしているくらいだ。

 それでも、この映画は「謎解き」を主眼としていないことは、見ていてすぐに分かってくる。だから観客がわざとらしくはぐらかされたりダマされたという気にならない。

 ただ、正直言って結末は何となくスッキリしない。動機も僕にはあまりよく分からない。そして、この映画がイタリアで主要賞を独占状態だったと聞いているが、それほど傑出した映画とも僕は思わない。

 しかし、それまで息子の部屋(2001)などナンニ・モレッティ監督作品の助監督を務めて、今回監督デビューとなったアンドレア・モライヨーリの腕前は、この作品を見る限りではなかなか悪くないように思える。ともかくもって回ったような回りくどさやわざとらしさ、インチキ臭さは感じなかった。そうなると、全体の淡々としたあまりの起伏のなさも、いやみのなさとして好感が持てるのである。

 

家族であることの何たるか

 実は今年は、僕にとってちょっと辛い年になった。

 毎度毎度の繰り返しで、このサイトを愛読してくださっている方にはウンザリな話だろうが、1月に僕の父が他界したのがまず大きかった。

 そしてこの7月には、母方の叔父が亡くなった

 どちらも病院でその最後を看取ることになったわけだが、自分の肉親の「最後の時」を看取るのは…あまり当たり前の話なんであえて語るのもアホらしいのだが…かなりつらい

 そしてこの土曜日に、僕は母と一緒に母方の親戚の家を訪ねていった。母の里帰りに同行したわけだ。

 もう30年近くご無沙汰の家である。母もこの10年は父の看病に追われていたので、ロクに訪れることができなかった。実は伯母はだいぶ前から重度の痴呆症になっており、現在は病院で寝たきりの身だった。それを聞いていても、なかなか見舞うことができず、不義理をしていたのだった。

 だから僕も、伯母とはやはり30年ぐらい会っていない。前に会った時は、当然まだまだ元気でピンピンしていた。だから病床でやつれて衰えきった伯母を見る勇気は、正直言ってあまりなかったというのが本音だ。もう誰が何を言っても分からず反応もしない…と聞いていたので、申し訳ないがなおさら腰が退けそうだった。病院に行ってお見舞いしなければと思っていたのは本当の気持ちだが、その反面、少々気が重かったというのも確かだった。

 だが、僕などは久々に顔を出してすぐ帰るのだから、まだいい方だ

 家族はそうはいかない。伯母さんの身の回りの世話はもう高齢の伯父さんが一人でやっているが、これは本当に大変だろう。

 7月に亡くなった叔父は、一人息子…だから僕の従兄弟だ…が仕事の傍ら面倒を看ていた。彼の場合、母親も入院していたから苦労も二倍。さぞやつらかっただろうと思う。

 その点、僕は父親の世話は母親に押しつけ、仕事ばかりにかまけていた。まったくお気楽としかいいようがない。それでも多少協力したことはしたが、およそタカが知れていた。何かやったとはとても言えない。

 そんな大したことをやっていない僕でも…こんなことを言ったらバチが当たりそうなのだが…時として不自由を感じないわけにはいかなかった。

 僕以上に母親は、もっと不自由を強いられていたはずだ。生活は父親中心となっていたから、ほとんど自由はなかった。好きな山登りもほとんど諦めた。土日は僕が父を看ていたが、それでも長い旅行などは行けない。どれほど母はつらかっただろう。

 そんな時…ホントに本当にこんなことを言ったらバチが当たってしまうのだが…キレイごとではなく、家族というのは時として忌まわしい存在になることもあるのだ。

 実はこの「湖のほとりで」を見ていて、思ったのはそうしたここ何年かの家族のことだった。

 ここではいくつもの親子や兄弟や夫婦などが出てくるが…いずれもどこかに病んだ部分を持っている。どちらかがどちらかの手かせ足かせになっていて、ドス黒い感情を抱かせてしまう。

 詳しくはクドクド言わないが、人と人とが関われば、楽しいばかりでは済ませられない。シャレにならない、ウンザリする場面がいつか出てくるものだ。それは友人でも恋人でもそうだ。

 まして「家族」となってしまったら、もはや逃げ場がない。

 そんな抜き差しならない関係が、「身内」という間柄なのである。

 だから僕は、そんな関係を築くことから逃げてきた。本来持っている「家族」の絆は仕方がない。しかし、新たにこれから築くかもしれない関係は、回避することができる。実は本来引き受けなくてはならない親戚との絆も、大して省みてこなかった僕だ。とても新たな関係を構築したいなどと思えなかった。

 僕にはそんな煩わしさを、改めて引き受ける余裕も覚悟もなかった。だから、逃げるだけ逃げてきた。それが本音だ。

 僕には責任は取りきれないと思ったのだ。

 しかし、今年はさすがにそんな僕も、いささか気持ちが揺らいできた

 父が亡くなり、葬儀や法事で親族と深く関わり、母方の叔父の死に直面して…いつまでも、何もかも逃れられるものではない…と、今頃になって遅ればせながら改めて悟り始めたのだ。

 いつまでも今まで通りの暮らしは続いていかない。極端な話、僕は子供の頃から何も変わっていないようなところがあった。しかし、そんなものは幻想に過ぎない。諸行無常とはよく言ったものだ。すべては変わってしまう。そして、次の代へと受け渡されていくものなのだ。

 それなのに、自分一人が「煩わしい」と逃げていて済むものなのだろうか…。

 漠然とそんなことを考えていた時に、僕は母の里帰りに同行することになった。

 母の郷里にある病院に出かけ、30年ぶりに再会することになった伯母さん。僕においしい団子を作ってくれた伯母さん。いつも優しかった伯母さん。

 僕は正直言って会うのが怖かった。

 ベッドに横たわっている伯母さんは、確かに最初は反応がないように見えた。母が手を握って話しかけても、何も分かっていないかのように見えた。

 ところがどうだ!

 しばらくすると、口元が微妙に動くではないか。首を動かし、何かを伝えようとしているみたいじゃないか。次に僕が伯母さんの近くに行くと、叔母さんは目をいきなり見開いた。あれは間違いない。絶対に僕らが分かったのだ。そして驚くべきことに、「はい」と母の言葉に答えたのだ。この時はさすがに伯父さんもビックリしていた。

 僕も驚いた。驚いたというより…安っぽい言い方かもしれないが、感動してしまった。本当に本当に感動してしまった。

 だから何だと言われると…僕は一体何の話をしていたのか、何が何だかよく分からなくて困ってしまう。困ってしまうけれども、その時、僕の中で何かがハッキリしたような気もした

 僕がここ数ヶ月モヤモヤと考えていたことが、不意にひとつに結ばれたような気がしたのだ。

 だから僕はこの「湖のほとりで」のエンディングが、人ごととは思えない。ほんのちょっとでも自分に微笑みかけてくれた…たったそれだけで、「家族」であることは十分に報われるのである。

 

 

 

 

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