「愛を読むひと」

  The Reader

 (2009/06/29)


  

見る前の予想

 ケイト・ウィンスレットがオスカーを受賞した作品。当然のことながら、最初はそれしか知識はなかった。

 映画に出るたびに「いい仕事」しているウィンスレットだから、いつかはきっと獲るだろうとは思っていたが、やっぱり獲ったら獲ったで、その作品が気になるのが正直なところ。実はこの映画、4月に試写会で見ることができたのだが、こればっかりは見るチャンスを逃したくなかった。

 ところで試写会に行った時、僕の隣の席に女優の三田佳子が座ったのには驚いてしまった。あの人もこの映画、すごく見たかったのかねぇ。

 そんなくだらない事はともかく、この映画のイメージソングを平井堅に歌わせるってことを知って、僕はものすごいショックを受けたのだが(笑)。どこから出てくるんだその発想は。

 

あらすじ

 1995年、ドイツ・ベルリン。弁護士のマイケル・バーグ(レイフ・ファインズ)は、妻と別れて以降、一人で暮らしていた。深い仲になる女がいないわけでもなかったが、マイケルが彼女たちに心を開くことは皆無。今日も今日とて「これから久々に娘に会う」と口にすると、昨夜ベッドを共にした女がこんな事を言う始末だ。「あなたに娘さんがいたの? 聞いたことなかったわ」

 どこか人を信じ切れないマイケル。そのまなざしは、いつの間にか何十年も前の「あの日」に立ち戻っていた…。

 1958年、マイケルはまだ15歳。雨の日に突然具合が悪くなった彼は、とあるアパートの前で思わず吐いてうずくまってしまう。そこに通りかかったのが、帰宅してきた市電の車掌ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)。彼女はマイケルを介抱すると、彼を教えられた自宅まで見送り、自宅の前で帰っていった。

 それからマイケルは、3ヶ月も自宅で寝込むことになる。

 ようやく病癒えたマイケルは、礼を言いにハンナのアパートへといそいそ出掛けて行った。そんな彼をぶっきらぼうに迎えるハンナ。慌ただしくハンナのアパートを立ち去り際、マイケルはついついチラリと彼女の着替えを覗いてしまったところを本人に見られてしまう。

 翌日またまたハンナのアパートを訪れたマイケルは、ますますぶっきらぼうなハンナに命じられて、石炭運びをやらされる羽目になる。しかし、さすがに昨日の今日だけにイヤとは言えず…。

 石炭運びで真っ黒になったマイケルは、ハンナに言われるまま風呂に入った。その素肌のマイケルを、全裸になったハンナがギュッと抱きしめたのだった。

 二人の関係は、こうして始まった。

 「愛すること」を覚えたての少年は、それに夢中になった。学校から帰るとハンナのアパートに直行。そのままベッドにもつれ込んだ。そんな日々が続くうち、ひょんなことからハンナはマイケルに「本を読んで聞かせてほしい」と頼む。こうして、まずベッドの前にマイケルが本を読んで聞かせることが、二人の「愛の流儀」になった。

 そんな二人はある日、一泊だけのサイクリング旅行に出掛けた。いつになく華やいだ表情のハンナ。しかし、そんな彼女が田舎の食堂でメニューを渡された時に見せた動揺に、マイケルは気づかなかった。

 その頃、ハンナは会社の上司から昇進を伝えられる。給料も上がるし、市電から降りて事務職になれる。本来だったら喜ばしいはずの申し出なのに、なぜかそれを聞かされたハンナの表情は曇るのだった。

 そんなハンナの感情の揺れ動きは、二人の関係をも揺さぶった。ハンナは何かを悩んでいたが、それが何かをマイケルに打ち明けることはなかった。そして、「あの日」がやってきた。

 ハンナが突然姿を消したのだ。

 いつものようにアパートを訪れたマイケルは、そこがもぬけの空であることに驚く。なぜかハンナはマイケルに何も言わず、住まいを引き払って消え失せた。ただ呆然とするばかりのマイケル。いつか戻って来るのでは…とアパートに再び足を運ぶが、それは虚しい期待だった。ハンナは二度と戻っては来なかった。

 そして、月日は流れた。

 大学に進んだマイケルは、法律家への道をめざしてロール教授(ブルーノ・ガンツ)に師事。何となくイイ感じで近付いてくる女の子もいて、楽しい大学生活を送っていた。ロール教授は法律を教えている人物にも関わらず「話せる男」で、教授のゼミにはどこか開放的な雰囲気が流れていた。マイケルは大学生活を文字通りエンジョイしていたのだ。

 そんなゼミの一環として、ロール教授は生徒を連れて実際の裁判を見に行くことを提案した。むろんマイケルとて異存はない。ナマの裁判を体験できると、大いに張り切ってみんなと出掛けたわけだ。

 その裁判は、「あの戦争」におけるナチの戦犯を裁くものだった。

 ユダヤ人収容所の看守として働いていたナチ親衛隊のメンバー…それがこの裁判の被告たちだった。ロール教授に連れられて意気揚々と傍聴席にやって来たマイケルたち。しかし次の瞬間、マイケルは全身が凍り付くような衝撃を受けるのだった。

 「被告人、ハンナ・シュミッツ!」

 

見た後での感想

 もうこの映画を見てからかなりの時間が経つので、見終わった時の感想は思い出しにくい。

 そんなことならサッサと感想を書けと言われても仕方がないが、情けないことに手が着かなかったのだ。

 そんなわけで、あんまり詳しく観賞後の感想を語れないのが残念だが、気に入ったのかどうかぐらいはさすがに覚えている。

 僕はかなり感銘を受けた。

 この映画のどこがそんなに良かったのか…それは確かにいろいろ言えるだろう。

 この映画のまったく一面だけを取り上げた評価になってしまうだろうが、確かにかつてのナチ戦犯が「市井の人々だった」という重い事実は、同じく敗戦国である日本の僕らにも決して他人事ではないはずだ。

 後の世で「悪魔」のように言われる「ナチ戦犯」も、果たして本当に単純に「極悪人」なんだろうか。さすがにこんな問いかけは、戦争の傷跡がまだ生々しいうちには出来なかったはずだ。こんなことが小説や映画でちゃんと描けるようになったというのは、ある種の「冷静さ」と「成熟」を経なければできない。こんなことを言っているといろいろ誤解されそうなんで深入りしたくないが、確かに後の時代の僕らがとやかく言えない状況ってのもあるに違いない。

 劇中でもいかにも若造の法律学生が聞いた風な批判を口にするが、世の中も人々も「それ一色」になって、それでおかしいと思わない状況の中、「普通の人」がそこで流されてしまっても誰が責められるだろう。誰しも何がしかのカタチで荷担しているはずだ。ケイト・ウィンスレット扮するハンナが裁判長に向かって「あなたならどうしました?」と問いかけたのは、図星だった。みんなシラジラしく自分は潔白みたいな顔をしているが、本当はみんな五十歩百歩なはずだ。誰も人のことなど言えたはずがないのである。

 ただ、それがこの映画が僕に与えた「感銘」だったのかと言えば、いささか心許ない。そんな「社会派」めいた理由で気に入ったのかと言えば、そりゃ違うだろう。それはこの映画の興味深い点のひとつではあるが、それがすべてではないはずだ。

 最初は1980年から始まり、さらに回想で1958年にさかのぼり、そこからさらにまた過去の事件に触れていく…という構成が、時制をいじくるドラマ構成を好む僕を喜ばせたのかもしれない。確かにそういう面もあるだろう。でも、それも「すべて」じゃない。

 この映画で、ケイト・ウィンスレットはついにオスカー主演賞を獲得した。オスカーなんてずいぶん権威が失墜したし、僕も単なるお祭りだと思っている。来年からは何とノミネーションが10本ずつになるとかで、ますますオスカーは安っぽくなるような気がする。そもそもオスカーで受賞した作品や受賞した人物が、妥当だったと思うことも少ない。

 しかし今回のこのケイト・ウィンスレットには、まったく文句のつけようがない。この人の若さを考えたら、この映画におけるむっちりとした普通のオバサンぶりには本当に驚かされる。ホントにあの厚ぼったいどこか脂肪が乗ったようなオバサンぶりは見事だ。

 それでいて、女も知らない少年から見たら輝いている「女の魅力」も手抜かりなく表現している。ただのオバサンを演じていて、ただのオバサンになっていないところが非凡なのである。このあたり、単に「芝居がうまい」女優なら、オバサンに徹してつまんなく演じてしまうだろう。それはそれで見事だろうが、ここでは女をロクに知らない若い男の子から見た、「女の魅力」をちゃんと表現しているのがスゴイのだ。これはやっぱり「スターの輝き」を持っている人でないと演じられない。大したものである。

 そんなケイト・ウィンスレットの見事さを堪能したから、この映画に感心したのも確かだ。もう一方の主人公を演じた新人の男の子、デビッド・クロスも達者なものだ。これまた感心した。

 だから、この映画がいい映画である…と言うのにはまったくためらいがない。

 しかし、それだから僕がこの映画に感銘を受けたのかと言えば…。

 正直に言うと、だからこそ僕はこの感想文になかなか手が付けられなかったんじゃないのか。実は僕がこの映画に感銘を受けたのは、なかなか人に言いにくい気持ちがあるからじゃないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人に言えない関係と男心

 僕が女と深い関係になる時には、大抵その関係を人に言えない場合が多い。

 なぜか…と問われても、それは巡り合わせというしかない。理由はひとつではないし、相手によって異なる。ある女はとにかく僕との関係を隠したがっていたし、僕がオープンにしようとすると怒った。だから僕が彼女と一緒にいる場面を見たのは、ほんの一握りの人々に限られる。別に悪いことをしているわけでもないのに、なぜ…? 僕は不思議に思ったが、彼女は決して明らかにしなかった。僕は大分後になってから、その真相を知ることになる。彼女は関係のかなり早い段階から、僕とのことは「なかったこと」にしたがっていたのだ…。

 それは、かなり苦い経験だった。

 しかしすぐに僕は、そんな彼女のことを非難できない立場になった。今度は、僕の方が女との関係を隠したがったからだ。

 その次の女とも、なぜか僕はコソコソ会っていた。理由はさまざまだが、はっきり言って大きな声では言えない、人から祝福される類のものではない関係だった場合が多い。暮らしている世界も知り合いの質も違っていた。むろん、だからと言って相手を蔑んでいたわけではないし、嫌がっていたわけでもない。しかし僕と彼女たちとの関係は、あまり誉められるような類のものではないと分かっていた。

 彼女たちの中は、とても気のいい人もいた。一緒にいると他の女たちの時と違って心からリラックスできる人もいた。それなのに、付き合っているとは人には言えない。理由は先に述べたように一様ではない。どうして今度もこうなんだろうと思ってしまうし、こんな事を悩む必要もなく、女との関係を周囲から祝福されるみんなを羨ましく思ったりもしたが、なぜか僕はいつもそんな状況に陥るのだった。

 もっとも、女と所帯を持つなど当の昔に諦めてしまった僕だ。そういう間柄も悪くはないか…と、うそぶいてもいた。そして相手の女もどうせそう思っているだろうと、勝手に決めてかかっていた。ひょっとしたら、傷つけていたかもしれないとは思わなかった。向こうだってこのままがいいに決まっている。

 いや、薄々感づいてはいた。だけど、このままの方がラクだから黙っていた。気づかないふりをしていた。相手も自分も周り全員も騙していた。いやいや、もっとハッキリ言おう。

 結局僕は、自分の生活や社会的ポジションや友人やその他モロモロの自分の抱えているものが大事だった。彼女らはそれぞれ事情は違うものの、僕との関係を周囲から認められにくい間柄だった。おそらく祝福はされないだろうし、ヘタをしたら非難されたりひどい目に遭わされるかもしれない。自分が手に入れたモノすべてを失ってしまうかもしれない。

 それより、あえて表沙汰にせず、こうして少しでも長くオイシイ思いを続けていたい…。

 結局、僕は自分を守りたかったのだ。

 この映画を見ていて途中でイライラしたのは、主人公の少年…途中からレイフ・ファインズが演じる中年男だが…の行動が、ヒロインを愛しているのにスッキリしないことだった。このままでは彼女は終身刑になる、そしてそうなった理由も分かっている、それなのに…面会に行って呼び出してまでいるのに、結局帰ってきてしまう意志薄弱ぶり。この軟弱ぶりが、年月を経てヒロインが釈放されるという直前にも顔を出してしまう。いざ彼女が塀の外の自分と同じ世界に出て来られるとなると、急に腰が退けてしまう。そんな一瞬のためらいを、彼はヒロインに読まれてしまうのだ。

 イライラした。偽善野郎だと思った。イヤ〜な気分になった。

 一本の「たかが映画」なのにウンザリした。気分が重くなった。

 でも、その理由はすぐに分かった。それは、この主人公の気持ちが分かったからだ。

 これを偽善と言わば言え。でも、これが男のホンネだろう。男はズルい。男は汚い。そして、得てして男は自分を守ろうとする。ひょっとしたら、守りに入る度合いは女より強いかもしれない。

 テメエ可愛さに目がくらむ。男は臆病だ。そして打たれ弱い。時として、あまりに失いたくないモノが多すぎる。自分の居場所を失いたくない気持ちが強い。

 もう一度言う。この主人公の気持ちは分かる。この映画の観賞の仕方として正しくないかもしれないが…たぶん正しくないだろうし、この感想文も映画の感想文の体をなしてないだろうが…その点こそがこの映画が僕に深い感銘を与えた点だ。間違いない。

 ズルいと分かっている。汚いと知っている。そして、いつかそうしたことを後悔するということも薄々分かっている。それでも自分をついつい守って、テメエ可愛さにはしってしまう。

 それが男心なのか。

 それではいけないと分かっていて、そんな痛みを思い出して、だから心がうずくのか。それとも、もうそろそろそんな事は「よし」にしようと思っているのか。

 実は、今も僕は自分の本当の気持ちを掴みかねているのである。 

 

 

 

 

 to : Review 2009

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME