「インスタント沼」

  Instant Swamp

 (2009/06/15)


  

見る前の予想

 正直言って、最近何かとシンドいのだった。

 仕事がキツいとかそんなこともあるけど、親父が亡くなって以降、自分のこれからも含めていろいろ考え込んじゃってるし。景気の悪化と出版界の低迷で、会社の中も雰囲気悪い。雰囲気悪くなるとロクでもない連中が跋扈する。そんな連中にイライラして悪口雑言を言いたくなる自分もイヤだ。そこで文句を言えば連中と同レベルになっちまうというのに。というか、他人は他人でどうでもいいはずなのだ。…なのになぁ。

 映画を見たくとも暇がないし、暇ができても何となく映画をパスしてしまう。書かなきゃならない感想文は溜まり放題。書けた感想文も出来はイマイチ。それなら映画サイトなんて閉めてしまえ…と夜寝る時には固く誓ったものの、翌日の忙しさにかまけてそれすら忘れる。そして惰性のようにサイトを続けてしまう。じゃあやめれば?…と、これまた毎度おなじみ堂々巡り。

 一時のどん底状態を考えれば「ツラい」なんて言ったら罰が当たりそうだけど、それでも何となくどうしていいのやら…という日々なのだ。

 だから、いざ映画を見る時間ができても、「スラムドッグ・ミリオネア」だのリメイク版「スター・トレック」だのを見ようという気がしない。まして「レスラー」なんかシンドくて食指がそそらない。映画ファンならそんな映画をまずは見に行くのだろうが、今の僕には「映画ファンとしての義務」を果たすためだけに、そんな作品選択をする気がしない。何となく真っ先に見ちゃうのは、レイン・フォール/雨の牙(2009)みたいなクズ(笑)。くっだらないと分かっていて見ちゃうのだ。だって、何となく見ててもラクそうだし。

 そんなこんなで、悶々としながら選んだのがこの作品だった。

 実はここだけの話、僕は麻生久美子が結構好き。単純にそんな彼女が出ている「軽く笑える映画」が見たいと思ったのだ。正直いって、今は軽いのしか受け付けない。

 ところがこの作品、亀は意外と速く泳ぐ(2005)の監督、三木聡の作品だというではないか。それを考えると、見たいような見たくないような、何とも複雑な気分になってくる。

 あの映画、上野樹里の好演もあって不思議なおかしみのある映画だった。ただしその「不思議なおかしみ」を楽しめるようになったのは、お話がかなり進んでから。最初はどうも「おかしみ」がスベっているように思えて、何となくすきま風ばかり感じてしまった。作り手が思っているほど、「おかしみ」がおかしくない…ような気がしたのだ。確か「脱力系」ってのが売りの映画だったと思うが、「系」どころかホントに脱力しそうな映画。それに低予算なせいか、映画全体に貧寒とした雰囲気が漂っているのもツラかった。

 それでも我慢して見ていたら妙におかしく楽しくなってきて、最終的にはかなり楽しんでしまった…そんな映画。僕はその面白さの大部分を、上野樹里が主役を演じたからだと思っていたのだ。

 だとすると、今回はどうだろう。やっぱり今回も微妙なんだろうか? だけど前回ヒロインで何とかもってしまったように、今回も麻生久美子が主役だからもってしまうんじゃないだろうか?

 どっちにしろ、たぶんどこか「脱力」で押しつけがましさだけは微塵もないだろう。それだけを期待して、僕は映画館に足を運んだわけだ。

 

あらすじ

 沈丁花ハナメ(麻生久美子)は、最初は自分が「落ち目」とは思っちゃいなかった。

 母親(松坂慶子)は朝から河童がいるだの見えただのと言ってるが、ハナメはそんな戯言を信じちゃいない。そこがハナメのよくない所と母親は指摘するが、むろん彼女は耳を貸すつもりがない。あり得ないモノは信じないし、見えないし、見ようとするつもりもない。占いもUFOも幽霊も信じない。

 だから、ハナメが編集長を勤めるオシャレ系の女性雑誌「HATENA」で心霊特集をやることになっても、「そんなもの!」とバカにするばかり。そのムキになりっぷりを後輩編集者(白石美帆)たちにバカにされていることも気づかず、空回りは果てしなく続く。

 本当はハナメにも、彼女なりの「野望」があった。彼女には秘かに想いを寄せたカメラマンの男(松岡俊介)がいたのだが、彼は今イタリアで修行中。そこで今作っている雑誌で「一発当てて」、イタリア取材の新雑誌を立ち上げて彼と仲良くなろう…というのがハナメのプランだった。

 しかし肝心の雑誌「HATENA」は返品の山。ついには部長(笹野高史)から休刊宣言が出て、逆ギレしたハナメは勢いで会社を辞めてしまう。そんな彼女に背を向けなかったのは、普段から親しくしていたライターの市ノ瀬(ふせえり)だけ。ところが市ノ瀬も結婚という上昇気流に乗ると聞いて、さすがにハナメは自分が陥っている負のスパイラルに気が付いた。

 何のことはない、ハナメは確実に「ジリ貧人生」にズブズブはまっていたのだ。不幸に向けて直滑降…という派手な落ち方ではないものの、真綿で首が絞まるようにジワジワと迫る「落ち目」。

 そういやこの「ジリ貧」って、「あの日」から始まっているのかもしれない。お父さんが母親を捨てて家を出ていき、ハナメはお父さんからもらったあれやこれやを、家のそばにあった沼に投げ捨てた。それらはみんなズブズブと沈み、沼の底に消えていった。中でも黒い招き猫の置物は、沈みながらハナメに何かを訴えていたようだった。今思えば、アレがすべての始まりだったのか…。

 いやいや、そんな「祟り」や「因縁」話など、ハナメの最もイヤがるものではないか。ないない、そんなことあり得ない。

 とりあえず「人生リセット」をめざして部屋の私物を一気に処分したが、その時に来た業者の連中に笑われてしまう始末。それでも大マジで新規まき直しを誓った矢先、衝撃的な知らせがハナメを襲う。

 何と、母親が池に落ちて意識不明というではないか。

 慌てて病院に駆けつけても、眠り続ける母親は何も語ってくれない。前後の状況から見ると、どうも母親は河童を釣ろうとして池に落ちたようだが、まさかそんなことを警察に言うわけにもいかない。

 それより今回池の底をさらったことで、思わぬ副産物が見つかったことの方が驚きだ。それは何十年も前に盗まれて消えた郵便ポスト。そこには投函されたまま配達されなかった、数多くの郵便物が眠っていた。そしてその中の一通は、ハナメの母親が投函した手紙だったのだ。

 ところがその内容を読んでみて、ハナメは衝撃的な事実を思い知らされるハメになる。その手紙は「沈丁花ノブロウ」という男に宛てたものだったが、何とハナメは出ていったお父さんの子ではなく、このノブロウという男の子どもだと書いてあったのだ。

 激しく動揺するハナメだったが、意識の戻らない母親は真相を語ってくれるわけもない。かくしてハナメは好奇心と若干の「あわよくば富豪かも」ってな俗物根性を抑えきれず、手紙に書いてある住所からノブロウの住処を訪ねることにする。

 すると、そこはイマドキ珍しいくらい雑多なガラクタを集めた「電球商会」なる骨董屋

 しかも、出てきた店主はハゲ上がった額に爆発ヘアーの胡散臭いオヤジ。その名も「電球」こと沈丁花ノブロウ(風間杜夫)。これにはどう低めに見積もっても失望を隠しきれなかったハナメ。言うこともやることも、売っている商品もインチキ臭いこの男をとても父親とは認めたくない彼女だったが、ここに出入りする妙なパンクロッカーで電気工のガス(加瀬亮)に、「顔が似ている」と図星を指摘されてゲッソリ。

 それでも「電球」やガスの溜まり場である骨董屋に出入りするうち、不思議にその場に馴染んでくるハナメだったが…。

 

見た後での感想

 映画が始まるや、ヒロインである沈丁花ハナメのこれまでの半生を振り返る、短いショットがいくつもつなげられたシークエンスがスタートする。その画質はやけに荒れていて、どうも往年の自主制作8ミリ映画を模しているらしい。そこで流れるハナメ本人のモノローグでも「自主制作映画の主人公はやたらと走っている」云々といっているんだから、それはたぶん間違いないんだろう。

 ただ、このくだりのナレーションの内容や出てくる画面を見て、僕はまたまた「亀は意外と速く泳ぐ」を見始めた時のとまどいを思い出した。

 「面白いだろう?」「分かってるだろう?」と目配せされるようなショットやナレーションの数々。このへん、「三木聡ワールド」が大好き…って人ならばこたえられないんだろう。実際、三木聡ってそんなに有名な人なの?…って思っていたのだが、劇場パンフなどには「あの」三木聡…的に書いてあるのだから、それはそれは大変な人に違いない。

 しかし、この冒頭部分はつまらない

 誰が何と言おうと、スベっているものはスベっている。面白くないモノは面白くない。すきま風吹いているものは、誰が何といおうと吹いているのだ。この面白さ分かんないの?…と言われてみたって、「シオシオミロ」などと耳慣れないシロモノを出されて、クスクスなんて出来ない。作り手が「面白いだろ?」「分かってるだろ?」って思っているほど面白くもないし分かっているとも感じられない。

 悪いなオレにセンスなくて。

 そういや三木聡って夜中にテレビでやってた「時効警察」を作ってた人らしい。だからこの作品は、麻生久美子と三木聡の「時効警察」以来の顔合わせってことになるわけだ。確かにアレも面白かったし僕も見ていた。だけど深夜テレビ番組特有の…何というか「分かってくれる人だけ見てくれればいい」的な、ちょっとスノッブな気分もどこかに漂っていた気がする。今回の映画の冒頭部分も、何となくそんな気分が漂っていなくもない。そもそも、「自主制作映画の主人公はやたらと走っている」なんてことは、そんな閉ざされた世界の周辺にいる奴でないと分からないだろう。

 う〜、閉じてるかもこの映画。

 そう思い始めると、映画のちょっとした小ネタ、ちょっとしたギャグ、ちょっとしてセリフ、ちょっとしたディティールが寒くて気になる。そういや「亀は意外と速く泳ぐ」には「脱力系」なんて形容詞がついていたけど、「系」なんていってるあたりからして「狙ってやってるんだぜ」的ないやらしさがあるではないか。な〜にが「脱力系」だよ。

 そんな中、「大物」松坂慶子が大河ドラマに出ようとマイナー映画に出ようと変わらない相変わらずのマイペースで、マイペースなのにこの映画の世界に溶け込んじゃってるのが驚きだ。さらに、ふせえりが不自然さを感じさせない「いかにも」な感じで演じてくれてるので、だんだんそんなちょっとした違和感やすきま風が気にならなくなってくる。

 そもそも主役の麻生久美子だって冒頭のナレーションは寒かったけど、それ以外はキュートで素敵。まぁ、ハッキリ言って僕は彼女が好きだから、ずっと見ているだけでもまったくいいのだが(笑)。

 ってことは、一体この映画はいいのか悪いのか。どっちなんだバカヤロー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小賢しい「才気」ではなく「王道」をとった作者

 映画の前半部分で、少女時代のヒロインが沼にいろいろなモノを捨てる場面が出てくる。あの沼のいかがわしさがいいねぇ!

 僕はギレルモ・デル・トロのパンズ・ラビリンス(2006)の中で、石碑にぽっかり開いた穴からナナフシが出てくる場面や、迷路の中にある井戸のような穴に降りていく場面などの、あの「いかがわしいけど好奇心を刺激する」シチュエーションが大好きだったが、この映画にもそれに似たものを感じる。沼のシーンもそうだし、「電球」が営んでいる骨董屋などもなかなか。途中に出てくるツタンカーメンの占いマシーンなども、チープでいかがわしくて怪しい感じがサイコーだ。個人的には、それらを見ているだけでもぐっとくる。

 たぶん「亀は意外と速く泳ぐ」にもそういうところはあったんだろうが、あの作品は何しろあまりに低予算すぎた。あれでは美術が貧寒としてきても仕方がないだろう。何となく画面全体にふくらみが感じられなかったのは、そういう訳だったのだ。やっぱり映画なんだから見た目でそのへんのおいしさを見せてほしい。

 お話はあまりに行き当たりばったり。松坂慶子の母親が河童を池に釣りにいって溺れると、その池からなぜか郵便ポストが出てきて、またまたなぜか郵便ポストの中から母親が出した手紙が出てくる。その手紙の宛先を訪ねると…ってな具合。何でたまたま母親が河童を釣りにいった池に郵便ポストがハマっていたのか、しかも何でそのポストに手紙が入っていたのか…な〜んてことは最初から最後まで説明されない。それどころか、そこからの展開も伏線も何もへったくれもない。確かに笑っちゃうし楽しいエピソードが次々出てくるが、そういう脚本の語り口の妙味みたいなものはまるでない(ように見える)のだ。

 じゃあ、まるっきり思いつきばかりで作られたダラダラなお話で、確かにクスクス笑えるし楽しいけれど、それは役者の好感あふれる芝居と小ネタの瞬発的なおかしさだけってことなのか。

 …そう問われると、一瞬「その通り」と認めたくなる。

 そもそも「時効警察」にしても「亀は意外と速く泳ぐ」にしても、前述のように「面白いだろ?」「分かってるだろ?」としたり顔で言ってくるような、ちょっと「オレってセンスいいだろ」的なスノッブさがチラつく。そして、「分かってくれる奴だけ分かればいい」的ないやらしさもないわけではない。そうじゃないと言う人がいるかもしれないが、少なくとも僕にはそう感じられる。何しろ「脱力系」だからねぇ、この人は。

 まぁ、そういう映画があってもいい。確かにそういうコメディもあるだろう。しかし、結局それって先に述べたようにどこか「閉じた」シロモノで、しょせんは大きな共感や面白さを感じさせるものではないと思うのだ。

 だからこの映画の面白さもそれらと同じようなモノ…と一瞬思いたくなるが、実はその一方で、少なくとも今回のこの作品に限っては、ちょっと違うんじゃないかという気もする。

 それを思ったのは、ヒロインのハナメが父親「電球」から100万円で買い取った「蔵」の中身を、パンクロッカーのガスと一緒に見に行くくだりを見た時のことだ。

 「蔵」から出てきたシロモノは「とんでもないモノ」で、さすがにガスはヒロインに「だまされたんだから諦めろ」と告げる。ところが彼女はあくまでそれらの「モノ」を持って帰ると言い張ってその場に居座るのだ。そして「せめて夕日が沈むまで手伝って」と泣いて頼み込むが、付き合いきれなくなったガスはバスに乗ってその場から立ち去ってしまう…。

 しかしその後に観客を待っている展開は…何から何まで観客の意表を突いたり肩すかしを食らわせたりしたこの作品にしては、意外とも言いたくなるほどストレートなものだ。いや、ある人はそれを「ベタ」とも「陳腐」とも言うかもしれない。確かにそう言われても仕方がないくらい、それは既存のドラマトゥルギーに忠実な展開だ。

 確かにベタだ。それは例えば「付き合ってられない」とか「カネにならない」などとうそぶいて去ってしまったハン・ソロが、ルーク・スカイウォーカーの危機に際してどこからともなくミレニアム・ファルコン号で戻ってきて、奇声と共にデス・スター攻撃の援護射撃に参加する…あの「スター・ウォーズ」(1977)第一作のクライマックスの、どうしようもなくベタで陳腐で使い古されたような手口で…しかし何度見ても素晴らしい一場面を連想させる。

 王道は「古い」、そして「陳腐」で「ベタ」だ。しかしそれはもう一方で、何をどうやっても「揺るぎない」ものだ。それが「王道」というものだ。

 そして、本当に大きい感動や共感を得ようと思ったら、チョコチョコと頭の中でこさえたような閉じた「才気」や「センス」ではとてももたない。そんなひ弱なものではどうにもならない。「ここぞ」と腹をくくった時には、やはり野太くダイナミズムのある「王道」を持ち出すより他はない。それはドラマトゥルギーというものの基本なのである。

 この映画には相変わらず三木聡らしいコチョコチョした小ネタ中心の笑いや行き当たりばったりな構成があちこちに散見されて、いわゆるそういう才気だけで作っちゃったような印象もないわけでない。しかし…ここは声を大にして言いたいところだが、断じて「それだけ」で作った映画でないと言い切れる。それどころか、実はあまりに素朴で真っ当なことを言っているので、作り手がそれに照れてわざとコチョコチョと小技だけの作品のように見せかけたところさえ見受けられるのだ。

 この映画の本質は、極めて真っ当なことをストレートに言っているところにある。

 それでは何を言っているのかと言えば…実はそれは映画の中ですでに語られているので、あえてここで僕が繰り返す愚を避けたいような気もするが、やっぱり「蛇口をひねる」場面に集約されているのではないだろうか。

 何となくテンションもモチベーションも下がって「落ち目」のヒロインに、「電球」は「こうやりゃテンションも上がるぞ」と、とんでもないアドバイスをする。それが「蛇口をひねる」というフレーズだ。その意味については映画で確かめていただきたいが、くだらないけど一片の真理を語ってもいる。

 ヒロインは劇中の独白で、「結局、自分の意地の重さが自分を沼の底にズブズブ沈めていた」…と語っているが、それこそがこの映画の言いたいことではないか。そしてそれは、実は昨年見たアフタースクール(2008)での結論にも似ている。「人生がつまらないのは、自分がつまらないから」で、「自分が自分の人生をつまらなくしているのだ」ということ。おっと、ついでに勢いに乗って言えばロッキー・ザ・ファイナル(2006)でのこんな言葉とも相通じる。「自分の弱さを人のせいになどするんじゃない。それは卑怯者のすることだ!」

 おお…ついにはロッキーまで引用するなんて、何と「王道」なことよ

 そう自分でここまで書いて我ながら大いに苦笑しながらも、実は苦笑どころか、それこそこの映画の言いたかったことじゃないかと僕は結構マジメに思っているのだ。

 だから僕は、この映画の作り手が大いに照れて照れて、大テレに照れたあげく、そんなチマチマ「小ネタ」映画のふりをした気持ちも分かる。しかし、本当はそうじゃないってことも、それと同じくらい伝わっているのだ。それはラストのあのショットを見れば分かる。

 麻生久美子が可愛らしいピンクの作業服に身を包んで、電気工事用のトラックのゴンドラに乗り込んでいる。ゴンドラが上にどんどん上昇していくにしたがって音楽も盛り上がる。そこで麻生久美子は「水道の蛇口をひねれ!」とか「しょうもない日常を洗い流すのだ!」とか何だか四角四面なアジ演説みたいなセリフをわめいているけど、そんな難しいセリフは全部音楽の盛り上がったレベルにかき消され、何を言ってるのか分からなくなる。そして見ている僕らには、彼女のハイテンションぶりと盛り上がった音楽と、ゴンドラが高く持ち上げられたことでもたらされた「高揚感」だけが伝わってくるのだ。

 理屈はいい、高揚感だけ伝わってくれれば…ってことなんだろうか。そして、理屈はどうでもいいから、自分で自分のテンションを上げていこう…ってことなんだろうか。

 いや、待てよ。ひょっとしてあのセリフって、作り手としてはマジメな意味があるんじゃないのか。イマドキ、アジ演説みたいな「メッセージ」なんて格好悪い。それをオチョクるように苦笑気味に見せているけど、本当はそれこそをマジで言いたいんじゃないのか。「蛇口をひね」って「しょうもない日常を洗い流せ!」ってのは本気も本気。だけど、それに照れていて、それで高揚した音楽でかき消しているんじゃないだろうか。

 とにかく自分で何かやってみろ、グズグズ言ってる前に。

 とてもじゃないが「脱力」どころではない。そんなヘタな青春映画なんぞよりよっぽど「熱い」ことを言いたいんじゃないのか。

 どうやら僕もまた、どんよりと脱力している場合じゃなさそうだ。

 

 

 

 

 

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