「新宿インシデント」

  新宿事件 (Shinjuku Incident)

 (2009/06/01)


  

見る前の予想

 ジャッキー・チェンが新宿・歌舞伎町ロケで、何かハードな映画を撮っている。

 そんなウワサはここ最近ずっと聞いていた。ジャッキー本人もいろいろコメントしていて、そこでは「かつてない」演技を見せているという。

 しかしながら、「かつてない」なんてどこのスターでも自分の新作に対していう言葉だし、実際それほど「かつてない」ことがあったかといえば、これまた極めて疑問だ。だから、どうせ多少のイメチェンだろう…ぐらいに薄めた意味で受け取ってはいた。

 それでも、一種のイメチェンを試みようとしていることは、ここ最近のジャッキーの映画から感じ取れた。その最初の兆しとしては、何と言っても香港国際警察(2003)の鮮烈さが挙げられるだろう。トラウマに襲われ、酔いどれてしまうダークサイドを見せるジャッキー。ワンマン・ムービーから脱して(奇しくも「許されざる者」以降のクリント・イーストウッドのように)アンサンブル・キャストの一員として映画を創るジャッキー。おそらくそれらは長年の目標だったハリウッド上陸を実現し、一種の「達成感」を手に入れたが故の方向転換だろうし、また容赦なく迫ってくる加齢によって従来通りのアクションが出来なくなるであろうことに備えての試行錯誤だろうとも思えた。

 そして続いてのTHE MYTH/神話(2005)にしてもドラゴン・キングダム(2008)にしても、それまでやっていない事をどこか試しているという点では共通するものを持っていた。それくらいの「かつてない」部分なら、今回の新作にもあるのかもしれない。期待してみる価値はある。

 それに何より、僕は日本を舞台にロケした外国映画…早い話がそんな「トンデモ映画」が大好きだ。

 みんなSAYURI(2005)の芸者の描き方のデタラメぶりが気に入らなかったようだが、僕はたっぷり楽しんだ。むしろラストサムライ(2003)など「トンデモ」感が足りなくて物足りなかったくらい。

 そんなわけで、この映画には期待して飛びついた。実際に見たのは公開直後のこと。感想が遅くなったのは、単に僕の怠慢のせいだ。

 

あらすじ

 ある朝、日本海沿岸の海岸で、パトロール中の警官が唖然呆然としている。オンボロ船が坐礁して、砂浜には大勢の中国人密航者たちがうごめいているではないか。我に返った警官が気付いた時には、アッという間に密航者たちに襲われる。そんな密航者たちの中に、鉄頭(ジャッキー・チェン)という男がいた。

 彼は手持ちのなけなしの日本円で電車に乗り、一路、東京をめざす。そんな彼が日本にやって来たのには訳があった。

 鉄頭は中国の田舎町で、つましく生きている男だった。彼にはシュシュ(シュー・ジンレイ)という幼馴染みの恋人がいたが、親戚が日本に移ったのを機に、憧れの日本に出掛けていった。実直な鉄頭にはそんな華やかさに惹かれるシュシュを苦々しく思うが、彼女を止められる訳もない。しかし彼女はすぐに音信不通となり、便りも届かなくなってしまった。こうして思い余った鉄頭は、密航によって日本に向かうことを決心。ところが出発時に中国の公安に見つかって一人を叩きのめしてしまい、その際に偽造パスポートも失った。いまや彼は、後戻りの出来ないところまで来ていたのだった。

 そんな荒んで困り果てた鉄頭が、やっと辿り着いた目的地は…いまや人種のるつぼと化した東京・新宿。警察の売春婦摘発に出くわして危うく捕まりそうになりながら、どうにかこうにか密入国中国人たちが肩を寄せ合って暮らす大久保のアパートにやって来る。そこには旧知の若者・阿傑(ダニエル・ウー)がいた。ちょっと気が弱いが心の優しい阿傑だけが、この土地での唯一の知り合い。

 早速、彼にいろいろ教わりながらカネを稼ぐ日々が始まる。とは言っても、デカく稼げるわけもない。日雇いとして雇われ、底辺のショボい仕事にありつくのが関の山。そんな中で一人の男を事故から救ったことから、鉄頭の新宿での足がかりが少しずつ出来てくる。

 そんなある日、下水道での下請け仕事に駆り出された鉄頭と阿傑は、不運にも警察の手入れに出くわしてしまう。そこにやって来たのは、片言の中国語ができる刑事の北野(竹中直人)。鉄頭たちはスキを見て逃げ出すが、たまたま追い掛けてきた北野が下水に落ちて溺れかかってしまう。本来善良な鉄頭は、そんな北野を見捨てることができなかった。図らずも鉄頭に命を助けられた北野は、彼に「借り」ができたと思うのだった。

 またある日、皿洗いの仕事をしていた鉄頭は、チンピラに襲われているバーの女リリー(ファン・ビンビン)を助け、彼女と夜通し飲み明かして親しくなる。

 ところが鉄頭は、何とこの新宿歌舞伎町でかつての恋人・シュシュと再会することになる。ナイトクラブにやって来たヤクザの幹部・江口(加藤雅也)に付き添って現れた彼女。何とシュシュは今は結子と名乗って、江口の妻となっているではないか。信じたくない事実を目の前に突きつけられ、激しい動揺を隠せない鉄頭。しかし今さら故国には帰れない。

 「もう、行けるところまで行くしかない!」

 阿傑と共に女を買って抱く鉄頭。その日を境に、鉄頭は開き直った。それまで手を染めなかった非合法的な商売にも手を付けた。ウェイ(ラム・シュー)らアパートの仲間たちと手分けをして、パチンコのイカサマから盗品売買まで何でもござれ。以前とは打って変わっての荒稼ぎ。世話になった阿傑には、彼の「夢」だと語っていた天津甘栗の屋台をプレゼント。リリーともどんどん親しさを増して、仲間たちと一緒に豊かで幸せになっていくはずだった。

 しかし阿傑はたまたま中国ヤクザの娘と親しくなったばかりに、運悪くボコボコにされるというアクシンデントが起きる。この時、鉄頭が仲間と共に立ち上がったことが、彼に「一線」を超えさせるキッカケになったのだろうか。そして危うく窮地に追い込まれそうな時に鉄頭を救ったのは、たまたま通りかかった「借り」のある男・北野だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに不運は続く。悪いことにパチンコ不正がバレて、たまたまその場にいた阿傑がヤクザに捕まってしまった。慌てて駆けつけた鉄頭と仲間たちだったが、彼らの前で阿傑は顔を切られ、さらには右手首まで切り落とされてしまうことになる。これが鉄頭の行動をエスカレートさせる最後の決定打だったのか。

 怒りに燃えた鉄頭は、夜中に敵のヤクザの経営する店に忍び込む。ところがそこで鉄頭は、ヤクザたちが江口をワナにかけようとしている密談を耳にしてしまった。結局、鉄頭は店の中に潜んだまま、江口がやって来るのを見守る羽目になる。そしていよいよヤクザたちが江口に襲いかかった時、物陰から飛び出して敵ヤクザを一撃。手首を切り落として仇をとり、江口と共に店の外に逃げ出した。

 結果的に江口を救った鉄頭は、彼の立派な屋敷に連れて行かれる。そこには当然、彼の妻である結子ことシュシュが出迎え、二人は苦い再会を果たすことになる。今では彼女に江口との間にできた幼い娘がいることも、鉄頭の心を暗くした。

 その一方で江口との出会いは、鉄頭の運命を激しく変えることになったのだが…。

 

見た後での感想

 このサイトをよくのぞいていただいている方ならご存じかとは思うが、僕が映画を見る場所は、大抵の場合、新宿の歌舞伎町だ。家から近し何かと便利だし土地勘もある。そんなわけで封切り映画はもっぱら新宿歌舞伎町で見てきた僕だが、実はそんな僕が「ここで見てよかった」と思った映画が今までに2本あった。

 1本は金城武が日本映画に初主演した「不夜城」(1998)。

 この映画、香港のリー・チーガイが監督してエリック・ツァンなどが脇で顔を出したりしてることもあって、かなり日本映画離れしている作品。いわゆる歌舞伎町のチャイニーズ・マフィア台頭などが背景にあるわけだが、その香港映画だか日本映画だか訳が分からないテイストの映画を、新宿歌舞伎町のまっただ中で見たもんだからたまらない。ついさっき映画館に行く途中横切ったはずの路地やら建物が出てくる。渡ったばかりの横断歩道のそばで銃撃戦がある(笑)。そうかと思えば、見慣れたはずの街並みのすぐそばに、「ブレードランナー」(1982)か「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985)に出てきそうな無国籍街が鎮座している。いや〜、僕はこの映画を120パーセント楽しんだ。この映画は歌舞伎町以外で見ると面白さ半減なんじゃないのか? 見ている時も興奮だったけど、見終わった後、いつ角からチャイニーズ・マフィアが飛び出してくるかビクビクしてしまった(笑)。そのくらい迫真性があってリアル。

 もう一本がソフィア・コッポラロスト・イン・トランスレーション(2003)だ。

 こちらもよく知った新宿がいっぱい出てくる。ヒロインが通う病院も、父が肺ガン手術を、僕が胆のう手術を受けた病院だ。こっちも今にもそこらにビル・マーレイスカーレット・ヨハンソンが出て来そうでまいった。よくニューヨークが舞台の恋愛映画なんかが公開されるが、アレなんかニューヨーカーが見たらこんな気持ちなんだろうかって気になった。恋の街、新宿って感じ。しかも、それが異邦人の独りぼっちの見知らぬ街として描かれているから新鮮なのだ。よその人にはこの街ってこんな風に見えるのかぁ。

 その2本の映画体験があまりにも鮮烈だったので、僕は今回の「新宿インシデント」も歌舞伎町で見ようと決めていた。この点だけは譲れなかった。これは新宿歌舞伎町で見なければ。

 で、見た感想はといえば…もう、結論言っちゃおうか?

 面白かった! すごく面白かったしインパクトがあった。

 正直言って、これを新宿歌舞伎町で見たからどうの…って感じは、実は「不夜城」や「ロスト・イン・トランスレーション」ほど強烈には感じられなかった。まぁ、単純に自分がよく立ち回る先などが映画にあまり出てこなかったからだろうか。だから、映画がその映画の実体以上にふくらんで迫真性を帯びて見えてくるってなことは、残念ながら今回は体験できなかった。

 そして、冒頭に書いたような「トンデモ映画」でもあり得なかった。

 しかし、そんなことはもういい。この映画、一本の映画として実に立派な仕上がりなのである。本当に堂々たる作品だ。骨も身もある作品だ。

 そして良くできた映画であるという前に、まずこの映画はジャッキー・チェン映画として非常に画期的な位置づけの作品である…ということを言わなくてはなるまい。ジャッキー主演作の場合…特に近年のジャッキー作品の場合、そのことを語らずして作品を語ることはできない。

 となると、まずはいかにジャッキー作品らしからぬ作品であり、なおかつジャッキー作品であるところの必然性を語らなくてはならぬ。

 

脱ジャッキーながらも、やはりジャッキー

 ジャッキー映画の定義は何か?…などということは、僕などよりもっと他に語るにふさわしい人がいるだろう。だからあまりゴチャゴチャ言うつもりはないが、それでもあえて簡単に言うなら、悪、エロ、グロの入り込まない、良い子でも見れるファミリー・ピクチャー的な健全さだったといえる。

 それが変質してきた最初の例は、やはりあの「香港国際警察」というべきなのだろうか。

 何で変質してきたのか、その理由は何となく分かる。ジャッキーが長年の念願でもあったハリウッド進出まで実現して、ある種の「達成感」を得たからだろう。ポジティブに考えるとそこまでやり遂げたから…故の余裕が、そんな新たな試みをさせたと言える。ネガティブに考えると、売り出し当時ジャッキーに用意されていた真っ白なカンバスはほとんど塗りつぶされ、「停滞」「後退」が許されないジャッキーとしては新たなカンバスが必要となったから…だともいえる。

 さらに50歳を超えたジャッキーの加齢が、そんな選択を彼にさせた…というのっぴきならない事情も間違いなくあっただろう。それはひとつには、いつかアクションが出来なくなった時のために演技者としての活路を見出す…という、必要に迫られた面もあるだろう。さらにアクションスターとしてだけでなく現役の役者としても残り時間が少なくなってきた中で、今までやっていないことをやりたいという映画人としての欲もあるだろう。ともかくジャッキーを取り巻くさまざまな事情が、彼に新たな挑戦を迫ったのだ。

 こうして彼が「香港国際警察」で初めて見せた新生面は、酒に溺れて自堕落になってしまう弱さを芝居で見せるという試み。もちろん最終的に彼のスーパーアクションとヒーローぶりで担保されているとはいえ、確かにあの作品の彼の思い詰めぶりは尋常ではなかった。さらに、ワンマン映画ではなく多彩なアンサンブル・キャストの一人として機能したという点でも、従来の彼にはなかったことだろう。

 その後も、時代劇の中で死を迎える「THE MYTH/神話」や両雄並び立たずという従来のパターンを取っ払い、ジェット・リーとの互角の共演を実現させた「ドラゴン・キングダム」と、毎回のようにそれまでやっていなかったことを実行。徐々にそのタブーを減らし続けていった。

 しかし、今回ほど徹底的にやるとは…。

 正直言って、どう頑張ってもジャッキー。「彼にしては」意欲作だったりシリアスだったり…という、カッコ付きの作品どまりだろうと思っていた。それが、いやぁ正直言って驚いた。

 まず、今回のジャッキーは一介の中国難民である。

 これのどこが驚くべき事なのかと、みなさんは思われるかもしれない。しかし、今回ここに書いたことは、この言葉通りのことだ。彼がただの中国難民を演じているからスゴイのである。

 例えば「香港国際警察」はスゴ腕の警官だし、「ドラゴン・キングダム」は酔拳の達人である。カンフーがそれなりにできて当たり前。しかし「ゴージャス」(1999)の彼の役は大富豪で、「THE MYTH/神話」の彼は考古学者だ。でもカンフーをガンガンやるし、何より彼は「ジャッキー・チェン」なのである。ジャッキー・チェンの顔をしているというのではない。ジャッキーという「キャラクター」を演じている。

 ところが今回は、まずはあのカンフーの技を見せない。ただの男にしてはそれなりに腕っ節は強いが、それでもバスター・キートンみたいなアクロバティカルなアクションは極力見せていない。

 それだけではない。盗みにイカサマと悪事も何でもござれ。あげく武器で「人を殺す」という荒技も見せる。今までジャッキーは、派手なアクションは見せても人は殺さなかった。これは何より意外な一面だろう。

 さらに驚くべきことに、今回の彼は娼婦を買って抱く。ロマンチックなベッドシーンさえやらなかった彼が、女を買うんだからビックリだ。

 それもこれも、今回は「一介の中国難民」を演じるのだから…と、完全に割り切ったからこそやったのだろう。従来のタブーや縛りがあっては、結局どうやっても「ジャッキー・チェン」だからである。

 そんな彼がまなじりを決して演じた今回の映画は、先にも述べたように堂々たる悲劇である。

 例えて挙げるとしたら、ブライアン・デパーマがアル・パチーノと組んで撮ったスカーフェイス(1983)が近いだろうか。キューバ難民がマイアミでのし上がって「つかの間の夢」を見るが…というお話。難民問題というリアリスティックな切り口といい、どちらにも手の切断というショッキングな場面が出てくることといい、さらに終盤に絶望的なまでの敵の猛攻が出てくることといい、本作には明らかに「スカーフェイス」に影響された形跡が感じられる。

 だが僕には、そこにもう一本別の映画の影響も強く嗅ぎ取れるのだ。それは香港の女流監督アン・ホイが日本ロケで発表した異色作「極道追踪」(1991)だ。

 アンディ・ラウ、チェリー・チャンに、石田純一なども参加したこの作品。香港からの留学生がいつの間にか日本人ヤクザの抗争に巻き込まれるという物語からして何となく本作との共通点は満載という感じ。アン・ホイという監督は自身が中国と日本のハーフで、そんなアイデンティティが彼女に繰り返し日本絡みの作品を撮らせているのだが、正直言ってこの「極道追踪」はあまり彼女の作品としては評判が芳しくない。さらにこのあたりの時期から香港映画界の体質の変化や世代交代が起きて、アン・ホイ自身が地味な存在になってしまった。そんなこんなで、あまり顧みられることのない作品でもある。

 しかしこの作品、単に中国人が日本でヤクザの抗争に巻き込まれる…という設定だけでなく、本作「新宿インシデント」に大きな影を投げかけているのだ。それは、脇に出てくる主人公の友人の設定だ。

 この作品を見たのはもうかなり前なので、うろ覚えなのをお許しいただきたいが…確かこの主人公の友人は、中国から恋人か婚約者を追って日本にやって来た。すぐに帰ってくると言っていたのに、いつまで待っても戻らない恋人を求めて、この友人は東京をあちこち探す。しかし、当然のことながら見つかるわけもない。ところが物語の終盤、主人公が逃げ回る先で、廃墟のような場所でアダルト・ビデオの撮影をやっている。その「本番」をやっているAV女優こそが、彼が探し求めていた恋人ではないか。映画全体の中でも見過ごしてしまうほどのちっぽけなエピソードだが、なぜか哀れな印象が心に残った。実は今でも「極道追踪」というと、全体のストーリーはまったく覚えていないが、このエピソードだけはハッキリ記憶しているのだ。

 恋人を捜して日本にやってきた男と、日本社会で変わり果てた女。

 だからどう見ても、「新宿インシデント」での主人公の設定には「極道追踪」の影響が濃厚だと感じる。ワンナイト・イン・モンコック(2004)、忘れえぬ想い(2003)など今でもバリバリ最前線で働くイー・トンシン監督だが、元々は「つきせぬ想い」(1993)で注目され、アニタ・ユンをスターダムにのし上げた人。その前から活動していたのだから、アン・ホイは意識しないはずがないだろう。おそらく、間違いなく発想の原点であると見た。

 そんなわけで、圧倒的な悲劇として見応えのある本作。その最大の勝因は、やはり腹をくくって自らのタブーを破ったジャッキーということになるだろう。

 しかし、ジャッキーらしさを封印したジャッキーだとすると…それはジャッキーでなくても、いや、ジャッキーじゃなかった方がよかったんじゃないかという逆説も成り立つ。

 実は今回の作品、最初にジャッキーがかなりな事をやるとは聞いていたので、それなら別にジャッキーが無理してやらなくてもいいんじゃないかと思ったりもした。というか、ジャッキーじゃない方がいいのではないかとさえ思ったのだ。

 しかし映画を見終わってみると、やっぱりジャッキーで正しかったんだと思う。

 ここに出てくる男は、一介の中国難民だ。それがいつの間にか悪に染まり、のっぴきならない事情で追い込まれていく。

 彼の悲劇は、そうなりたくてなったわけではない…ということだ。そもそも、彼は日本にすら来たくはなかった。来たら来たで帰れないから、悪に手を染めた。それでも、彼の性根の部分は善良で素朴だ。実は、だからこそ悲劇的なのだ。

 ところが凡百の俳優がやったら、たぶん悪に染まった時点でその人の中味まで悪人に見えてしまうだろう。その中味はいつまでも善良だと見せたくとも、かなり思い切った残酷描写も出てくるこの作品では、なかなかそれを見せていくのは難しいはずだ。

 だが、ジャッキーならできる

 彼が今まで築いてきた善良イメージが揺るぎなくあるから、彼が性根の部分では善良だということだけは、何がどうしたって揺るがない。何しろ何十年も積み上げてきたイメージだ。一朝一夕では崩れないのだ。

 そして、本来こんなことはしないはずの善良な彼が、やむにやまれず悪に染まる気の毒さが胸に迫る。なるほど、これはジャッキーにしかできない。彼がやるからこそ意味がある。

 まさに奇跡的ではあるが、これこそ彼にしかできない「アクロバティックな技」なのである。

 

 

 

 

 

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